「……人集まりすぎじゃねえか? 本当に模擬レースかよ」
トレーニングコースに到着すると、そこには多くのギャラリーがすでに駆けつけていた。学園のウマ娘たちはもちろん、スカウト目的と思われるトレーナーたちがコース周りやスタンドに詰めかけており、模擬レースとは思えないほどの盛況ぶりだった。
「どこで見ようかね……おっ」
良い場所を探してスタンドを歩いていると、知っている顔を見つけた。
「
「あん? ああ、坂川か。好きにしろぃ」
俺は郷田と呼んだ初老の男性の横に腰を下ろした。
「選抜レースみたいに人集まってんなあ。そんなに有名どころが走んのか?」
「お前~何も知らずに見に来たのかぁ?」
「しょうがねえだろ? 最近は進路探しで忙しかったんだ」
「ああ……栗毛のアイツ、今日で最後だったか?」
「そうそう。さっき最後の挨拶に来てくれたとこだったんだ。相変わらず元気で安心した」
「そうか、良かったな! お前もお疲れさんだのぉ」
「労いのお言葉どうも。郷田さんとこは今年退学ゼロだったろ? 凄いわ」
「かっかっか! これが敏腕トレーナーの実力よぉ!」
「へいへい」
俺と軽口を叩き合っている郷田という男は初老のベテラントレーナーだ。深く皺の刻まれた険しい顔をしているが、話してみると結構取っ付きやすい性格をしている爺さんだ。
本人は敏腕トレーナーと今さっき自称したが、現状を考えると正直微妙なところである。昔はGⅠには手が届かずとも年に1回は重賞を勝てる実力派中堅トレーナーだったが、ここ数年は重賞勝利に縁が無く、未勝利戦で四苦八苦するウマ娘もチームに多くいる。しかし、今年は郷田のチームのクラシック級全員が未勝利戦を勝ち抜けていた。
彼の経験に裏付けされたトレーニング法や調整法は確かで、トレーナーとして俺がこの人から学んだ部分は多数ある。一方で熱血というか、根性論が先行しすぎてしまうことが玉に瑕だが。
何故そこまで知っているのかと言うと、郷田のチームとウチのチームはよく合同トレーニングを行う仲だからだ。
何年か前にトレーニングコースでの練習時間と場所がたまたま被ったことが続いたことで知り合い、お互いチームの人数が少ないこともあって、それから自然と一緒にトレーニングすることが増え現在に至る。
だから郷田は栗毛の彼女のことも知っていたのである。
「で、誰が出走するんだ?」
「本当に何も知らねぇのか? 仕方ねえ、儂が教えてやろうか」
「助かる」
郷田はズボンのポケットから折りたたまれた紙を取り出し、それを開いて話し始めた。
「まずはキングヘイロー。海外競バ好きのお前なら知っているだろぅ? あのグッバイヘイローの娘だ」
「さすがに知ってる」
その名前を聞いた瞬間、さっきの騒動が頭の中で甦ってきた。
「他にはメジロ家のメジロランバートやディヴァインライト、エモシオンといった来年のクラシック級の主役候補が雁首揃えてやがる」
「確かに中々のメンツだな」
郷田が言ったそれはキングヘイローを含めデビュー前から有望株として名を揚げていたウマ娘たちだった。
しかし、このメンツぐらいでここまで人が集まるだろうか。
「もしかしてそいつらだけ?」
「んなわけねえだろダボ! そいつらより
「グラスワンダーとスペシャルウィークのことッスね! 伯父さん!」
郷田の声を遮ったのは若い女の声だった。いかにも体育会系女子でしたよと言わんばかりの声と見た目の持ち主は、背後から現れると俺の横に腰を下ろした。
「マコ……お前、儂の台詞を取りおってからに……」
「勿体ぶりなんスよ伯父さんは! 坂川さんもお疲れさまッス!」
「おう、お疲れさん。マコも見に来たのか?」
「もちろんッスよ。これを見逃す手は無いッス!」
このマコと呼ばれている快活な20代中盤の女性は郷田マコ。初老の郷田、もとい郷田
「なあマコ、このレースにでるウマ娘のこと──」
「このレースのウマ娘についてッスか!? 了解ッス! 今年のジュニア世代は誰もが知っての通り、超有望なウマ娘が揃ってるッス! その中でも世代トップとの呼び声高いのがグラスワンダーとスペシャルウィークッス!」
マコは脇に抱えていた分厚いファイルを開いてパラパラと捲りながら目を輝かせて語り始めた。
ファイルの中の資料はウマ娘についてのプロフィールやこれまでの模擬レースや選抜レースの結果がまとめてあるものだ。マコはこれをいつも持ち歩いており、詳細が知りたいウマ娘のこと聞くと今のように目を輝かせながら教えてくれる。
このマコという女は見た目は体育系だが中身は筋金入りのウマ娘オタクなのである。しかも語りたい系の。
「これまでのレース実績もさることながら、アメリカ生まれの帰国子女グラスワンダー、生みの親を早くに亡くしたスペシャルウィークと話題性も抜群、すでにクラシックはこの2人で決まりと話す記者もいるッス! どうッスか坂川さん!?」
「どうですかと言われてもな……一応それぐらいは知ってるぞ」
「じゃあ次はキングヘイロー! 母は言わずと知れたGⅠ7勝ウマ娘! 現在は勝負服の超一流デザイナーで────」
マコの乱射されるトークにいつものことながら圧倒される。
俺が知りたいのはウマ娘のエピソードでなく、これまでのレース成績についてなのだが。まあ、グラスワンダーとスペシャルウィークの成績なんて聞かずともある程度は知っているし、別にいいか……
キングヘイローから続き、先程の郷田の話に出ていたディヴァインライトやエモシオンなど、このレースでの注目ウマ娘についてマコは語り続けた。俺が話の途中で口を挟んで訊くと、模擬レースなどの結果も教えてくれた。
「────ッス! こんなとこッスね!」
一通りマコが語り終えた。まさにマシンガントークと呼ぶに相応しい語りだった。
「……あれ?」
そこであることに気付いた。
「どうしたッスか?」
「セイウンスカイってウマ娘は今日走らないのか?」
「ああ、セイウンスカイッスか? 出走予定にはなってるッスよ。えーっと──」
セイウンスカイのページまでパラパラと資料を捲っていったマコだったが、そのページを見るなり渋い顔をした。
「正直、データあんまないッス」
「へえ、マコがデータ持ってないって珍しいな。なんでだ?」
「このウマ娘、トレーニングしてる姿は見かけないッスし、模擬レースにもほとんど出てないッス。でも今月の選抜レースで2着に入ったりと実力あるんスよねえ。もしかしたら気性難かもしれないッスね」
トレーナー室での一件を思い出すと気性難というよりサボり癖のあるウマ娘のようだったが……何にせよ、曲者の匂いがすることは確かだ。
「よくセイウンスカイのこと知ってたッスね? 坂川さんがジュニア級のウマ娘に興味を示すなんて気になることでもあったッスか?」
「引き戸が破壊されそうになった」
「意味不明ッスけど、何かあったってことだけ分かったッス」
疑問はあるものの、セイウンスカイがどんなウマ娘かはこのレースを見れば分かるだろう。ただ所詮このレースは模擬レースなので、サボり癖のあるウマ娘なら手を抜いて走る可能性もある。
というか、そもそも何故ただの模擬レースにクラシックを狙えるようなウマ娘が勢揃いしているのだろうか。マコに聞いてみることにしよう。
「そもそも、なんで模擬レースにこんなメンバーが揃ってんだ?」
「聞いた話によると、キングヘイローが声をかけて集めたみたいッスよ」
「そりゃまたご苦労なことだな」
わざわざメンバーを揃えたってことは、情報収集か、自分の力を試したいか、はたまた自分の力を誇示したいか、考えられるのはそんなところだろう。
まさかトレーナーの指示でもあるまいし──と、考えが至ったところでマコに聞かなければいけないことがまた一つ出てきた。
「マコ、この模擬レースに出るウマ娘って皆トレーナー誰か決まってんのか?」
「ちょっと待ってくださいッスよ……えーっと、決まってるウマ娘がほとんどっすね。誰が聞きたいッスか?」
「グラスワンダーは
「その3人ッスね……スペシャルウィークはチームシリウスの
「…………」
マコの口からは思いもよらない2人の名前が出てきた。
よく知っている2人だ。腐れ縁といってもいい。
しかし、今の俺にとってはもう遠くなってしまった雲の上の存在の2人だ。
この世界に入った時は3人が横一線に並んでいたのに、今は俺1人だけ取り残されてしまっている。
「坂川さんの同期じゃないっスかあ! 10年前の、高卒18歳で合格したあの3人──あっ……」
マコの上がりかけていたテンションが急降下した。
「あの……坂川さん、すいませんッス」
「ああ? なんで謝るんだ?」
「いやだって……その」
ばつが悪そうにこちらをチラチラ見るマコ。
この話題でこの感じ、既視感がある。こいつもしかしてまた──
「また俺に気でも使ってんのか?」
「まあ、そうッスけど……」
なぜか知らないが、俺が同期の天崎と横水にコンプレックスを抱いているとマコは思っているらしい。今までにも、俺の前であの2人の話題が出た時にマコと同じような会話をした経験がある。
「気にする必要はねえって言っただろ? 大体、俺があの2人と比べられて落ち込むような奴に見えるか?」
「見えないっス」
「即答かよ……だから気にすんな。気遣われる方が嫌だからな」
「……分かったッス!」
マコの表情に笑顔が戻ってほっとした。
一段落したところで話を戻した。
「スペシャルウィークはシリウスの天崎のとこか、こりゃまた大物が入ったな」
スペシャルウィークは今月頭にはまだフリーだと聞いていたから、天崎は選抜レース後に契約へこぎつけたのだろう。
「押しも押されぬトップトレーナーの1人っスからね! メジロマックイーンやライスシャワーをはじめ何人もDTL(ドリームトロフィーリーグ)に送り出し、数年前のナリタブライアンはクラシック三冠を達成。そのブライアンもDTLに……ほんと、凄いッス!」
「……そうだな。それにサイレンススズカだっけか、少し前にシリウスに移籍したんだろ?」
「そうッスよ! 坂川さんも知ってたッスか」
「あれだけニュースになればな……」
先週、サイレンススズカが天崎のチームシリウスに移籍したというニュースはトレーナーの間で瞬く間に広がっていた。ダービーでは大敗したとはいえ、ジュニア級の時にはそのポテンシャルの高さで少し騒がれたウマ娘だ。中には『こいつにクラシックは全て持っていかれる』とまで言ったトレーナーもいたほどだった。
「ダービーは駄目だったが天崎がどうせ立て直してくるだろ。まあ、それはいいとして、セイウンスカイは横水か……」
「なんスか? そのトーンダウン。横水トレーナーがどうかしたんッスか? トロットサンダーやサクラローレルをDTLに導いてますし、なんの心配もいらないと思うッスけど……あ、もしかして手強いなーとかそんな感じっすか?」
横水は生真面目が服を着て歩いているような奴だが、クセのあるウマ娘へのトレーニング理論や扱いに関しては昔から優れているものがあった。そんな横水とサボり魔のセイウンスカイ……妙な感じがする。
「……いや、何でもねえ。ただ、横水がトレーナーならセイウンスカイはちゃんと走らない可能性が高くなったな。横水なら模擬レースでは情報収集させることが多いから」
「やっぱ坂川さん、同期なだけあってよく知ってるッスねえ。メモメモ、と」
「で、キングヘイローは?」
「ああ、キングヘイローはトレーナーついてないッスよ。未だにスカウトには靡かないし、あの気性難ッスから敬遠する中堅やベテラントレーナーもさらに増えたとか」
ウマ娘を集めたキングヘイローにトレーナーがついてない……なら今回の模擬レースの話は見えてくる。
大方、実力のあるウマ娘たちを倒して有名トレーナーにスカウトしてもらおうとか、選抜レースのリベンジとか、そういう魂胆だろう。同じような企みをするウマ娘はこれまでにも何人か見たことがある。
「ありがとう、マコ。てかお前それだけの情報よく集められたな」
「仲良くしてるジュニア級の子が何人かいるんスよ~。ちゃんと、見返りはあげてるッスから。持つべきものは友達ッスね!」
トレーナーとウマ娘という関係にしろ、情報の見返りをあげる関係にしろ、それは果たして友達と呼んでいいのだろうか。
などと考えているうちに、トレーニングコースで動きがあった。
「……おっと! 模擬レース始まるみたいッスよ!」
発バ機が用意されてその周辺に出走予定のウマ娘が集まっている。その中にはキングヘイローの姿もあり、その横には制服から体操服に変わったセイウンスカイがいた。
遠目からなので細かい表情までは伺えないが、キングヘイローが他のウマ娘に対して何かを宣言している様子が見てとれた。
「おいマコ、ビデオ用意しとけよ」
「了解ッス!」
郷田に指示されたマコがビデオカメラのスイッチを入れて構える。
そうしているうちに枠入りがどんどん進んでいく。キングヘイローは気合十分といった様子ですぐに収まった。そして──
──ピィーッ
と、監督する教官の笛の音がレースの始まりを告げ、ゲートが開かれた。
芝1600m・左回り・10人立て、注目必至のジュニア級模擬レースがスタートした。