底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第37話 野暮

 昼下がりのトレーナー室には、研修会の発表資料について郷田マコが相談しにやって来ていた。

 

「内容はこんなもんでいいが、レイアウトもうちょっと考えろ。色使いすぎで見にくいんだよ」

「う……ついカラフルにしちゃうんスよねえ」

「あと全体的に視線の誘導も意識しとけ。例えばこのスライドなら、こっからこういう風に──」

「お〜なるほど。分かったッス。持って帰って修正しとくッス」

 

 それも一段落して、マコは大きく伸びをした。

 

 ダービーに続いて安田記念も終わり、東京開催のGⅠラッシュの喧騒も落ち着いた6月の下旬。

 目下、この時期のトレーナーたちを賑やかすイベントと言えば──

 

「そう言えば坂川さん! 今週は選抜レースッスよ!」

「げ、もうそんな時期かよ」

「新入生はちゃんとサーチしてるッスか?」

「してるわけねえだろうが」

「なんでそんなエラそうなんスか……」

 

 ──そう、チームに所属していないウマ娘たちで行われる選抜レース。それが今週末に迫っていた。

 安田記念が終わった頃に「そういやそろそろだな」ぐらいには思っていたのだが、それからすっかり抜け落ちてしまっていた。

 

「坂川さんのチーム、最低でも2人は集めないといけないッスよね?」

「そうだな。3月で2人が抜けちまったから」

 

 改めて整理すると、1チームに最低5人のウマ娘が所属してないといけない。俺のチームのように5人未満の場合、年明けの1月に強制的にチームに所属していないウマ娘が割り振られるのだ。

 俺のチームでは所属していたシニア級のウマ娘が大学進学を選び、3月に学園を卒業したため2人欠員が出ていた。

 

「今年のジュニア級はどうなんだ? 目ぼしいウマ娘とかいんのか?」

「そりゃあ何人もいるッスよ! なんと言っても大注目はティアラ二冠ウマ娘ベガの娘アドマイヤベガ!」

「あー、あのウマ娘の子どもか」

 

 マコはファイルを開いて調査したデータと写真を見せてきた。写真はご丁寧にも制服姿と体操服姿のものがあった。隠し撮り以外の何物でもない。制服姿と体操服姿、2枚も用意する必要性を感じない。ただ単にマコが撮りたかっただけだろう。

 アドマイヤベガの全体像を映した写真を見ると、左足が若干内に曲がっていた。親のベガも確かそうだった記憶がある。

 

「他にもナリタトップロード! テイエムオペラオー! スティンガー! トゥザヴィクトリー! それから────」

 

 次々にページを捲って見せてくるウマ娘たちを流し見しながら顔だけ頭に入れていく。

 

「────とまあ、こんなもんッス!」

「なるほど。サンキューな」

 

 そんな淡泊な俺の反応が気に入らなかったのだろうか、マコは口をとがらせていた。

 

「……坂川さんってほんっっっと、ジュニア級に興味ないッスねえ」

「有名どころのウマ娘知ってたからって、スカウトできるもんでもねえだろ」

「去年はキングちゃん、一昨年はモエちゃんスカウトできたじゃないッスか。2人とも有名どころッスよ。しかも、確か私に情報訊いてきてたッスよね、2人とも。やっぱ知っておくことは大事ッスよ」

「それはそうだが……」

 

 確かに2人ともマコからあらかじめ情報を入れていた事実はある。

 スカウトに関してもマコの言う通りなのだが、なんと言うか、2人のスカウトへ至った経緯は中々に紆余曲折あったもので、所謂正統派のスカウトとは違う気がする。知っていたからどうにかなったというものでもない。

 改めて思い返すと、よくあの2人は俺のチームに入ってくれたもんだと思う。2人とした言い争いの内容は今でもはっきりと覚えていた。

 

「この1年、キングちゃんの活躍で坂川さんの名前もウマ娘たちに通ってきてると思うッス。なんせ東スポ杯制覇にホープフルと皐月賞でGⅠ2着2回、今年のクラシック主役の1人キングヘイローのトレーナーなんスから」

「そんなもんかねえ……」

 

 レース関係でインタビューに答える頻度は高くなったが、名前が通っているという実感は全くない。SNSなどをしていればフォロワー数で目に見えるのかもしれないが、生憎俺はSNSに興味もなければ始める予定も全くない。

 

「だから靡いてくれるウマ娘もいると思うッスよ!」

「どうだか」

 

 自分には年頃の女の子が好むようなトークスキルもないし容姿だってお世辞にも優れてるとは言えない。そんな簡単にはいかないだろう。トレーナーとしての実績を重視するウマ娘もいるが、第一印象や見た目で判断するウマ娘だって多いのだ。

 しかし、好印象を与えたいから綺麗ごとを並べて希望を持たせるような無責任なスカウト文句も言いたくない。俺はクソがつくほどのリアリストなのだ。

 それにスカウトするのは誰でもいい訳でもない。そのウマ娘の走りに興味を惹かれないとスカウトはしない。こっちが選べる立場にないと理解はしているが、そこはトレーナーとしての俺のポリシーだ。

 

 駄目なら駄目で年明けに配属ウマ娘を待つだけだ。スカウトしたウマ娘だろうが、配属されたウマ娘だろうが、俺がやることに……全力を注ぐことに変わりはない。

 

「おっと、そろそろ私戻らないと」

 

 掛け時計に目をやったマコは荷物を纏めて立ち上がった。

 

「じゃあ坂川さん、お疲れッス。スライド見てくれてありがとうございましたっ!」

「ああ。またな」

 

 足早に彼女はトレーナー室を去っていった。

 

 今のように研修の資料作成や、提出が求められる年次のマネジメントレビューなどの書類仕事の際は、昔人間の郷田でなく俺に頼ってくることが多い。

 

「もっとしっかりして欲しいもんだが……まあ、悪い気はしねえけど」

 

 俺も色々教えるかわりに、マコからジュニア級のウマ娘の情報を教えてくれるので、そこはギブアンドテイクでうまく成り立っているのかもしれない。

 

「……俺も仕事に戻るか」

 

 気を取り直してPCに向かい合い、自身の仕事にとりかかった。

 

 ◇

 

 完全に日が落ちて暗くなったトレセン学園。仕事を終えた俺はトレーナー寮へ向かっていた。

 

「時間かかっちまったな……」

 

 トレーニング後に夏合宿の申請書類を仕上げたり、日程調整の計画を詰めたりしていると、思ったより遅くなり夜も更けてしまっていた。

 外に出ると思いのほか夜風が涼しく、疲れた体と頭に効いて心地良かったので、何の気なしに遠回りしていた。

 

「ん……?」

 

 その道すがら、トレーニングコースの近くを通りがかると誰かが走る音が聴こえてきた。ターフを走っているであろうその足音は1人分だけだった。

 

「こんな時間まで走ってる奴いんのか?」

 

 練習熱心なのは感心するが、トレーナーとしての経験上こんな夜まで走っているウマ娘は大抵まともじゃない。嫌なことがあって一時的にヤケクソになって走ってるならまだいい方で、抱えている精神的な問題を走りや無理なトレーニングにぶつけているケースが多い。

 ……昔の、ウチのどっかの誰かさんみたいに。そういえば、あの時とよく似たシチュエーションだった。

 

「さて、どんな奴か顔だけでも拝んでやるか」

 

 その足音に誘われるままコースを一望できる位置に出ると、予想通り走るウマ娘の影がひとつあった。

 

「速えな……!」

 

 ──速い。

 洗練されてはいない。しかし、粗削りさを感じさせるその走りの中に、確かなスピードを秘めていることは一目で分かった。

 

「どこのチームのウマ娘だ……いや、あいつは……!」

 

 ちょうど照明の下を通ったときにその顔が明るみに出た。暗めの鹿毛に右耳だけに着けられた青いメンコが特徴的なそのウマ娘は──

 

「アドマイヤベガか!」

 

 その姿は昼間にマコに見せられた写真と合致していた。

 昔、桜花賞とオークスを制したGⅠ2勝ウマ娘ベガの娘であるアドマイヤベガだった。マコによればこの世代で最も注目を集めているウマ娘の1人とのことだった。まだチームには所属しておらず、今週末の選抜レースに出場予定らしい。

 ……名ウマ娘の娘というと、ウチにいるどっかの誰かさんと誰かさんが自然と頭に浮かんでくる。

 

 マコに写真を見せられなければ誰か分からなかっただろう。彼女の言うことは正しかったと思い直し、心の中でお礼を言っておいた。また後ほど本人にも直接言っておこう。

 

 ちょうどアドマイヤベガは足を止めて息をつき顔を上げていた。その視線は上へ……いや、空へ向けられているようで、物思いに(ふけ)っているように見えた。

 

「なんか悩んでんのかねえ」

 

 意味ありげな仕草を見せているアドマイヤベガを見て、そう思わずにはいられなかった。彼女もウチの2人と同じように、親のことで一悶着あったりするのだろうか。

 

「しっかしまあ、いい走りするなあ……」

 

 単純に速い。再び走り出した彼女を見ていると、ジュニア級で最注目だと言われているのも頷ける。ベガの娘というだけでなく、実力そのものが評価されているのは明らかだった。

 何周も何周も、何かに追い立てられているかのように彼女は延々と走り続けていた。あれだけ走れば疲労も相当なものだろうに。

 

「どうすっかな。やっぱ声かけるべきか」

 

 一昨年のカレンモエ、去年のキングヘイロー。2年とも偶然の出会いだったとはいえ、声をかけたからこそスカウト活動は実を結んだ。そして今年のアドマイヤベガ。正真正銘世代の1番手レベルというマコの話が本当なら、そんなウマ娘と1対1で話せる機会なんてそうそうないだろう。これからのトレーナー人生でももう一度訪れるかどうかではないだろうか。

 

 ちょうど、俺が見ているところから近い場所で彼女は足を止めた。近いと言っても、コースにいる彼女と高い位置にある外周の舗装路にいる俺とは距離があるが。

 

「……よし」

 

 意を決して階段を下りていく。

 

「……大、丈夫か?」

「えっ?」

 

 階段を下りていく足が止まる。

 返事をしたのはアドマイヤベガ。しかし、声をかけたのは俺ではない。若い男の声だった。その声のする方……コースの照明が当たらない場所をよく見ると、そこに誰かがいた。

 どうやら先客がすでにいたらしい。

 

「あっ……いや」

「? ……平気。いつもやってることだから」

 

 アドマイヤベガの元にその声の主が歩み寄り、その姿が照明に照らされ露わになった。

 確か、今年トレーナーになったばかりの新人トレーナーだった。新年度のトレーナー会議にて、新任トレーナー挨拶での自己紹介を遠目から見聞きした程度しか知らないが、容姿も整っており、誠実で爽やかな好青年との印象が残っていた。

 どっかの作業服で冴えない見た目の胡散臭そうなアラサートレーナーとは対極にいそうなトレーナーだった。

 

「いつもこんな時間まで?」

「だいたいは」

「……辛くないのか?」

「ない。……勝つために、必要なことだから」

 

 たどたどしく交わされる会話から、2人はあまり面識がないことが察せられた。

 幸か不幸か、お互い相手のことにだけ注意が行っているようで、階段を下りかけで固まっている俺には2人とも気づいていないようだ。スポットライトに当てられた舞台のように、コース上には2人だけの世界が展開されていた。

 暗闇の階段にいる俺は文字通り蚊帳の外だった。

 

(……縁がねえってのは、こういうことを言うんだろうな)

 

 この場を去る決断をした俺は2人に気づかれないよう静かに踵を返した。新人トレーナーのスカウトのチャンスに横槍をいれようとするほど、俺は野暮な人間ではない。

 

 

 無事2人に気づかれずコースから離れることができた。彼のスカウト活動はうまくいっただろうか。もしかしたら他に懇意にしているトレーナーがいるかもしれないし、この時期なら選抜レースが終わったあとにしてくれと言われそうではあるが。

 どっちにしろ、彼女がデビューしたら分かる話だ。

 

「アドマイヤベガ……新人には荷が重いだろうがな」

 

 既にこの時点であんなに速いのだから、ジュニア級かクラシック級で大きいところは取れるかもしれない。

 しかし、あの曲がった左脚を考えると、故障には最大限の注意を払わなければならない。シニア級からDTLまで長く走り続けるのならあの脚のケアは不可欠だ。トレーニング量と故障のリスクを天秤にかけて、その都度正確な判断を下し続ける必要がある。相当な知識と経験がなければ難しいだろう。

 

 それでも、あの青年が彼女と向き合って、熱意をもって最大限の努力をするならば──

 

「ま、頑張れよ。新人」

 

 自然とそう口にした自分がもう若者でないと、少しだけ嫌になった。

 

「……やっぱ、もったいねえことしたかなあ」

 

 そして、ほんの少しではないくらい後ろ髪を引かれる思いも残っていた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 某日。あるハンバーガーショップにて、1人のウマ娘が恋愛小説を読みふけっていた。黒鹿毛でサイドと前髪をふんわりと流してセットしたボブカットに、黒地に黄色のラインが一本入ったメンコを左耳にだけ着けているウマ娘だった。

 そんな彼女の元へ、恰幅の良いスーツ姿の初老の男性が急いだ様子で駆け寄っていった。

 

「お嬢様……探しましたぞ! また、このような俗な店に……!」

「あら執事(バトラー)。忙しそうね。何か用かしら?」

 

 ウマ娘は文庫本から目を離さず、つまらなさそうにそう訊いた。至福の時間に水を差されたのだから、無理もなかった。

 

「しらばっくれないでください! ……家庭教師がお待ちになっています。さあ、屋敷へお戻りください」

「嫌よ。今日はこれから予定があるもの。幼稚園のお遊戯会に行くのよ」

「幼稚園ですと!? 病院や施設じゃ飽き足らず、そんなところにまで出入りしているのですか! 無駄な社会奉仕もほどほどにしていただきたい!」

「……はあ。いいシーンだったのに」

 

 彼女はため息をついて読みかけの文庫本を閉じた。横でこんな騒がれては小説なぞ読めたものではない。せっかくのロマンチックなクライマックスシーンが台無しだった。

 ……ほんと、野暮な男。

 

「分かったわよ。行くわ」

「おお……やっと聞き入れてくださいましたか。下に車を待たせております。さあ、こちらに」

 

 バーガーやポテトの包装紙を捨て、執事に促されるまま店を出る。そこには黒塗りのリムジンが停まっていた。

 リムジンに近づくとドアが自動で開けられ、そのウマ娘を迎えた。

 

「ねえ執事(バトラー)

「? ……いかがされましたか?」

 

 リムジンに乗り入れる直前、彼女は立ち止まった。

 

「車は嫌いなの。知ってるでしょう?」

 

 彼女はそう言うと身を翻して走り始めた。

 逃げ出したのだ。

 

「なっ!? お、お嬢様ぁ!」

「私は自由な精神でいたいの! 私が従うのは私の心だけ! 勉強なんてクソ喰らえだわっ!」

 

 本気で走っているウマ娘にヒトである執事が追いつけるわけもなく、小さくなる背中に向かって叫ぶことしかできなかった。

 

「ダイアナお嬢様ぁ! い、何処(いずこ)に〜!?」

 

 

 

 

 ──ダイアナと呼ばれたウマ娘と坂川健幸が出会うのは、まだ先の話。

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