底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第43話 10年前のこと

 設えられたソファに腰を下ろすと、サトノダイヤモンドは俺の真正面に座った。

 

「なぜ私があなたを呼び出したのか、改めてお伝えするまでもないですよね?」

 

 彼女の柔和な態度が硬質なものに変容してきた。

 

「昨日のことだろう。お前は何が聞きたいんだ」

「昨日、キタちゃんとあなたとの間に何があったのか、です。一から説明していただけますか」

 

 昨日のことについて詳しく知らないのか、それとも知った上で俺を試しているのかは分からない。

 どちらにしても、こちら側としては正直に話すだけだ。

 

 昨日のことを俺が知っている範囲で包み隠さず話した。

 サトノダイヤモンドはこちらをじっと見て黙ったまま俺の話を聞いていた。

 

 

 

「──そんなところだ」

「…………キタちゃんから聞いた話と、相違ないですね」

 

 やはりキタサンブラックと話をしていたようだ。

 なら、今日サトノダイヤモンドが俺を呼び出したのはキタサンブラックも一枚噛んでいるのだろうか。それともサトノダイヤモンドの独断で行動しているだけなのか。

 

 サトノダイヤモンドはなにか考え込んでいるように黙っていた。しばらくした後、重々しく口を開いた。

 

「…………なぜ、キタちゃんに()()()()()をしたのですか」

「は?」

「10年前の、あの時のことです」

「……」

 

 やはりこの話になるのか、というのが俺の正直な感想だった。

 俺と彼女は10年前の事件が起きてから、会ってもいないし話したこともない。彼女が俺を問い詰めるのは何らおかしい事ではないのだ。そこから全てが始まっているのだから。

 今回のことは間違いなく10年前のことが起因している。もしかしたら、10年前のことを訊き出すために俺を呼んだのだろうか。

 

 長いまつ毛の下の、強かな意思を宿したサトノダイヤモンドの瞳がじいっと俺を射抜く。

 半端な答えも、話題を逸らすことも許されないのは火を見るより明らかだ。

 

「俺が最悪なぐらい未熟でバカだったからだ。キタサンのためだとか言って、俺は自分のことしか考えていなかった。それに尽きる」

「キタちゃんが傷つくと思わなかったのですか?」

「……思わなかったんだろうな。だから()()()んだ」

 

 そう言うと、サトノダイヤモンドの目つきがさらに険しくなった。耳も引き絞られていた。

 

「本当に……本当にっ!」

「……」

「あなたはっ、何も思わなかったのですか!?」

 

 

 

 感情を露わにしてきた彼女をどこか俯瞰で見ている自分に気づく。

 だからだろうか。次に彼女が発する言葉が直感的に分かってしまった。

 

 

 

 

「キタちゃんに────」

 

 

 

 

 桜色をした彼女の唇から、それが言い放たれる。

 

 

 

 

 

 俺がキタサンブラックにしてしまった、最低最悪の所業が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドーピングさせて!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しくその言葉を聞いた。

 

 競走能力を向上させるために筋、神経、血液成分、代謝、内分泌系に作用する禁止薬物を使用する行為、ドーピング。

 ウマ娘のレースだけでなく、スポーツにおいて絶対的な禁忌とされるもの。

 

 それこそが、俺の過ち。

 

 

 俺はあの時、キタサンブラックを騙してドーピングさせた。

 

 

「……さっきも言ったろ。俺は自分のことしか考えてなかったからドーピングさせたんだ。キタサンの気持ちを少しでも考えてたなら、騙してドーピングなんてするはずねえだろ」

「……っ」

「坂川健幸はキタサンブラックにドーピングさせた。その事実が全て物語ってる」

 

 至る道筋がどんなものであろうと、坂川健幸という人間が選んだのはドーピングという行為だ。

 それが事実なのだ。

 

 どこに弁明の余地があろうか。

 仮に弁明したとして、それはただの言い訳にしかならない。

 

 

 サトノダイヤモンドが立ち上がって、俺の目の前にやって来た。

 そして──

 

 

「────っ!」

 

 

 ──ばちっ、と乾いた破裂音が俺の左頬から聞こえた。続けてヒリつく感覚と痛みが同じ箇所に訪れた。

 

 俺はサトノダイヤモンドにぶたれたのだ。

 ただ痛いだけで済んだのだから、ウマ娘の力を考えれば相当に手加減されたものだろう。親友を傷つけた仇のような存在の俺に対して、この程度で済んで良かったとさえ思える。

 

「……ごめんなさい。手をあげたことは謝ります」

「…………」

 

 彼女は力なくうなだれていた。

 こういうところで謝ってしまうのが彼女の育ちの良さや性格の良さに起因するものなんだろう。

 サトノダイヤモンドは優しいウマ娘だ。実際に接していたから分かる。そんな彼女に暴力を振るわせる所業をしたのが坂川健幸だ。

 

「キタちゃんをあんなに傷つけたあなたを、私は一生許しません」

 

 当然だ。

 担当ウマ娘にドーピングさせたトレーナーなんて、それだけでレースに関わるウマ娘からしたら唾棄すべき存在だ。そしてそのドーピングされたウマ娘が自身の親友なのだ。こうして口をきくだけでも不快に感じていることだろう。

 

「あなたは今……」

「……今、なんだ?」

「キタちゃんのことをどう思っているのですか? あなたの担当じゃなくなってからトゥインクルシリーズで名を上げ、DTLでも絶対的な王者であり続けるキタちゃんを見て、あなたは一体何を思ったのですか?」

 

 二転三転と話題が変遷する。……いや、変遷しているように俺が思えてしまうだけだ。

 俺とサトノダイヤモンドの関係は10年前に止まったままだった。それが今動き出しただけなのだ。

 だから今、ドーピングしたときの話と、それ以降の話を俺に訊ねているのだ。

 

 

 親友が道半ばまで共にした坂川健幸がどういう人間だったか。それを見定める最終確認だ、これは。

 

 

「そもそも、あなたはキタちゃんのレースを見ていたのですか?」

「ああ、見ていた。勝ったレースも負けたレースも全て」

「……そう、ですか。それで、あなたの手から離れたキタちゃんを見てどう思ったのですか」

「良かったと、思ってる」

「……」

「キタサンは昔から、自分の走りでみんなに元気や笑顔を与えたいと言っていた。それは達成されたんだ。GⅠ7勝だぞ? ルドルフに並ぶ快挙だ。加えて、表彰式での歌唱やウイニングライブでのあのパフォーマンス……レース場は大歓声に包まれてた。メディアにだってたくさん出た。日本でキタサンブラックを知らない奴なんていないだろう。間違いなく、アイツは多くの人間やウマ娘に感動を与えた。元気と笑顔をみんなに与えることができた。夢は叶ったんだと思う。……本当に良かった」

 

 一拍置いて、俺はただ事実を口にした。

 

「俺みたいな最低のトレーナーから離れられて、本当に良かった。キタサンも喜んでるだろう──」

「っ!!」

 

 ばちっ! 

 

 と。俺が言い終わる前に再びさっきと同じ衝撃が左頬に走った。

 俺はまたサトノダイヤモンドにぶたれた。しかも、さっきより強い力で。

 

「今度は謝りませんっ!」

「な……!? お前……?」

 

 驚いた。

 

 俺が見上げたサトノダイヤモンドの目に、涙が浮かんでいたから。

 

「キタちゃんは……今のキタちゃんは! 身体もボロボロで、もうとっくに限界を迎えてるんですっ!」

「は……?」

「そんなキタちゃんがどんな思いで今も走り続けているのか、あなたは知っていますか!? 知らないでしょう……!」

「一体なにを……」

 

 今日一番、サトノダイヤモンドは感情を爆発させていた。

 理由はわからない。見当もつかない。

 

 身体がボロボロ……未だにDTLの中長距離で頂点に立っているキタサンブラックが!? 彼女に関するニュースや情報は余すことなく収集しているし、レースだって見ている。そんな兆候は見受けられなかった。

 だが、サトノダイヤモンドが嘘をつく理由がない。限界を迎えているというのはおそらく事実なのだろう。

 

 それをなぜ、今俺に伝えたのだろうか。その真意は? 

 

「……本日は突然お呼び出しして申し訳ございませんでした。失礼します」

 

 感情を無理やり落ち着けた様子のサトノダイヤモンドはそう言って応接室を出ていった。

 

「……どういうことなんだよ……」

 

 部屋に残されたのは、なにも分からない男一人だけだった。

 

 左の頬には未だにじんじんとした痛みがあった。

 

 ◇

 

 その日の放課後、トレーナー室にて俺のチームのウマ娘たちを待っていると、キングヘイローが最初にやって来た。

 

「おう、お疲れさん」

「ええ。って!? トレーナー、その顔……」

「ん? ああ、これか」

 

 彼女の指摘を受けて、湿布を貼ってある左頬に手をやる。あれから段々と腫れてきたので冷やしたのちに湿布を貼っていた。

 

「午前中に歯医者に行ってきてな。腫れたから湿布貼ってんだよ」

「嘘よ。誰にやられたの!? キタサンブラック!?」

「歯医者に行ったんだ。()()()()?」

「っ!」

 

 今話す気はないと、はっきりとそう拒絶した。

 全部話した後なら伝えてもいいが、今彼女に伝えるとこのまま飛び出していってしまいそうな気がするからそうした。それにこの痛みの程度なら、数日もすればきれいさっぱり治るだろう。どうということはない。

 

「それより、身体はどうだ?」

 

 何か言いたげな彼女を制して、先に俺が口を開いた。

 

 キングヘイローの両腕に絆創膏がいくつも貼られていた。脚はニーソックスで隠れているため分かりにくいが、よく見ればそのニーソックスの膝辺りをはじめ膨らみがあちこちに見て取れる。まだガーゼか絆創膏を貼っているのだろう。

 

「……擦り傷や切り傷が痛いだけで、他は問題ないわ。一流のキングの身体なら、数日もすれば治るわよ」

 

 数日で治るという、俺自身の頬の腫れに感じていることと同じように話すのを見て、少しおかしくなった。

 

「そうか、なら良かったんだ。キング、昨日のこと……すまなかった」

「……どうしてあなたが謝るのかしら? それに、私が聞きたいのは謝罪じゃないわ」

 

 キタサンブラックとのことを教えてと、彼女は言ってきた。

 

「アイツとのことは……話すつもりでいる」

「!」

「だが、今ここでは話せねえ。どこで誰が聞いてるか分からねえからな」

「……そんな、内容なの」

「そうだ」

 

 ──キタサンブラックに昔ドーピングさせた。それをURAにもみ消してもらった。

 

 そんなこと、このトレーナー室で話せない。話が漏れたら全てが終わりだ。

 

「だから今週末からの夏合宿でお前らに話す。あんな誰もいない田舎なら、邪魔も入らねえだろうしな……おい、お前らも早く入ってこい」

 

 つい先程から扉の向こうにウマ娘の影が見えていた。ウマ耳の形や背格好からモエとペティだということは分かっていた。

 扉を開いた2人は、難しそうな顔をして入ってきた。

 

「お前らも聞いてたな? ちゃんと話すから、それまで待ってくれ。頼む」

 

 3人に頭を下げてから、今日のトレーニングへと向かった。

 

 

 

 キングヘイローは擦り傷がまだ治ってないので室内で別メニュー。カレンモエもウェイトを中心としたメニューをこなした。

 

 キタサンブラックは姿を現さなかった。清島の言うことを聞いてくれた……ということなのだろうか。

 

 

 そしていよいよ、夏合宿へと舞台は移っていく──

 

 

 ◇

 

 

 ほぼ同時刻、一番広いメイントレーニングコース……トレセン学園のトップチームたちが使用しているそのコースにて、あるチームのウマ娘たちがトレーニングをしていた。

 

 そのチームとはアルファーグ。先頭を走るキタサンブラックに、グラスワンダーとエルコンドルパサーが追いすがっていた。

 2人の次走予定……毎日王冠の1800mを想定した模擬レースを行っていた。

 

「ふぅ、ふっ……! 必ず、捉えて……っ!」

「はあ、はあ! くうううう~~~~~~、追いつけないデース!」

 

 朝日杯FSを無敗で制したグラスワンダーと、NHKマイルカップを無敗で制したエルコンドルパサー。2人とも紛うことなき無敗のGⅠウマ娘で、スペシャルウィークやセイウンスカイと並んでクラシック級を代表する実力者である。

 しかし、そんな2人を歯牙にもかけないように突き放していくのがキタサンブラック。彼女の適性より短い1800mであるのに、全く問題にしていなかった。

 

 結局2人は追いつけず、勝利したのはキタサンブラックだった。

 彼女は遅れてゴールを駆け抜けた2人に声をかけた。

 

「ふうっ……2人ともお疲れ様! 走り、良かったよっ!」

「ふっ、ふっ、はあっ……あ、ありがとうございました……まだまだ、精進せねばですね」

「ぜえ、ぜえ……悔しい~~~~! もっともっと、速くなってみせます!」

「あはは! 2人ともその意気だよっ! 毎日王冠にはサイレンススズカちゃんが出るかもなんでしょ? あの娘、もしかしたら今のあたしより強いかもしれないよ?」

「「キタサン先輩以上……」」

 

 そんなやりとりをする3人の元へ1人の人影が近づいてきた。

 

 チーフトレーナーの清島だった。

 

「トレーナーさん、お疲れ様です」

「お疲れさまデース!」

「ああ……キタサン、ちょっといいか」

「……はい。じゃあ2人とも、トレーニング頑張ってね」

 

 返事をするクラシック級の2人に背を向けて、清島とキタサンブラックはトレーナー室へと向かった。

 

 

 入室した2人は向かい合った。

 

「昨日、なぜあんなことをした?」

「…………」

「……黙ってても分からねえぞ、キタサン」

「…………」

 

 トレーナー室に沈黙が訪れる。

 

「…………」

 

 ──口を噤んだキタサンブラックの表情は、苦しそうに歪んでいた。そしてどこか、悲しそうでもあった。

 

「……話したくないんだな」

「…………すみません。清島先生」

「俺に謝らなくていい…………話したくないならそれでいい。でもな、二度と昨日のようなことはするな。いいな……!」

 

 怒気をはらませてそう言った清島に対し、キタサンブラックは小さく頷いた。

 

「ならいい。今日はもう上がれ。今週末はSDT決勝だ。……歩様、乱れてるぞ。身体のケアだけしとけよ」

「……はい。失礼します」

 

 キタサンブラックはそうして部屋を出ていった。

 

「…………キタサン。お前は……」

 

 1人になったトレーナー室で、清島の言葉はそれ以上紡がれることはなかった。

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