トレセン学園では1学期が終了し長い夏休みへ入った。
学園主導の合宿に身を寄せるチームもいれば、サマーレース遠征のために学園に残るチームもいた。チームの枠にとらわれず、グループの持つ合宿所兼療養所で夏を過ごすメジロ家やサトノ家のウマ娘なんかもいた。
俺たちのチームは郷田のチームなど、似通った人数の数チームと合同で北関東の山間部にある合宿所に来ていた。近くに大型の商業施設こそないものの、車で10分ほど行けば田舎街ながら一通りの店は揃っている立地だった。
ここ数年継続して利用しているその合宿所は、廃校となった小学校を改築してできた施設だった。URAが直接運営している数多くある合宿所のひとつで、まだ改築されて10年未満なので施設自体は新しく、マシンなどの機器も揃っていた。
食事などもURAから手配された調理師たちが食材を含めてちゃんと準備してくれる。もっとも、メニューはトレーナー陣があらかじめ合宿前に一通り提案しておく必要があるが。
ウマ娘たちは貸切バスで移動。足が欲しいトレーナー陣はそれぞれの自家用車で移動していた。道中運転していると、カレンモエの面倒を見るために一昨年往復しまくったときのことを自然と思い出していた。あの時はよくもまあ、毎日あれだけ運転したものだ。もう2年も前だというのに、つい最近のように感じられた。
初日の午前中は移動。午後は、ウマ娘たちはコースのスクーリングやトレーニング施設の確認後自由行動となっていた。
トレーナー陣は改めてスケジュールの確認と打ち合わせをした。基本的には各チーム各ウマ娘ごとの集中的なトレーニングになるが、併せや模擬レースの予定も組んでいるので、その最終的なすり合わせをエントランスの広間で行った。
「──以上だ。解散。明日からよろしく頼むぞぅ」
最年長でまとめ役の郷田が締めてそれもお開きになった。
そうなると、トレーナー陣も今日はヒマになる。明日に備えて荷ほどきがてらゆっくり部屋で過ごす奴や、早速街の方へ買い出しに行く奴など過ごし方はそれぞれだ。
何の気なしにトレーニングコースに出ると、体全体を真夏の空気が迎えた。
目の前には元々の小学校グラウンドよりも数倍広くなったコースが目の前に広がっていた。流石にトレセン学園のコースよりは狭く、バ場の種類も少ないが、この人数で合宿する分には十二分なものだ。URAの管理も行き届いており、太陽に照りつけられた青々とした芝の眩しさに思わず目を細めた。
コース全体を見渡すと、スクーリングがてら軽くランニングしているウマ娘たちが何人もいた。その中にウチのチームの2人の姿もあった。
そしてウチのチームのもう1人……ペティはそんなウマ娘たちの様子を建物の影にて見守っていた。普段は下ろしている腰までの長さの黒鹿毛をポニーテールにしており、うなじには汗が光っていた。長い間、こうして外にいるのだろう。
「おう」
「あ、トレーナーさん」
「影にくると意外と涼しいな」
コースに目をやったまま、彼女に並び立った。
彼女には話しておかなくてはならないことがある。それを口にした。
「お前、先生の娘なんだってな」
「…………はい。そうですよ」
少し間を置いて、静かに彼女はそう言った。
「隠してたこと、怒ってますか?」
「怒らねえよ。むしろ、お前が怒ってんじゃねえのか? お前のことを覚えてなかった俺に」
「! どうしてそのこと……もしかして、思い出して──」
「悪い。思い出してはねえんだ。お前の父親に……清島先生に聞いた」
「……なんだ、そうだったんですか」
──ずるいなあ、と。ペティは独り言のようにそう言った。
俺のチームに入って約1年、初めて敬語じゃない彼女の言葉を聞いた気がする。
「昔、ポニースクールのオープンキャンパスでトレセンに来た時に、俺とキタサンに会ったんだってな」
「……はい。その通りです。スクールのウマ娘たちに馴染めず、1人でフラフラしてた私に声をかけてくれたのがおにいさんとおねえさん……トレーナーさんとキタサンブラックだったんですよ」
そう説明されても、その当時のことはまるで思い出せなかった。ここまで覚えていないとなると、ペティに対して大きな罪悪感を感じた。
「……すまねえな。思い出せない」
「もう10年前のことですから、仕方ないですよ。むしろ、そんなことを今でも覚えているわたしの方がおかしいのかもしれません」
「それは絶対にない。悪いのは忘れちまってる俺だ」
「……これを」
「なんだ?」
ペティはポケットから取り出したスマホを操作して俺に渡してきた。
その画面には10年前の俺とキタサンブラックのツーショットが映っていた。ぎこちなく口元だけ笑っている俺と、俺に身を寄せて満面の笑顔でピースをしているキタサンブラックが並んで立っていた。今ではもうあり得ない、しかし10年前は当たり前だった光景だった。
それを見せられて、脳裏をかすかによぎるものがあった。
キタサンブラックと一緒に写真を撮られたようなことを思い出した。でも、思い出せたのはそこまでだった。
「お前が撮ったのか?」
「はい」
「確かに写真を撮られたような覚えがある」
「最後、別れる時に撮ったんです。そのあとすぐ、2人はスプリングステークスに勝つんですもん。ほんの少し前に会ったおにいさんとおねえさんがテレビの向こうで華々しく活躍してる……あの頃のわたしにとって、2人はヒーローだったんです。2人が勝って誇らしかったですし、憧れでした。2人はもっと活躍して、私だけじゃなく、日本中のヒーローになるんだって疑いませんでした」
大切なものをひとつひとつ引き出しから取り出すように、ペティは当時の心境を語った。こんなに俺たちを想っていてくれていたなんて、思いもしなかった。
「そんな2人が、いつの間にか一緒にいなかったんです。子どもながらレースや情報はテレビや雑誌、ネットのニュースで追っていました。でも、キタサンブラックが菊花賞を勝ったとき、トレーナーさんはどのメディアからも姿を消していた。あんなに仲の良かった2人だったのにおかしいと思いました。でも、父さんに訊いても何も教えてくれない。キタサンブラックと会った時に訊いても口を噤むだけ。尚更おかしいと思いました。トレーナーさんにいたっては、どこに行けば会えるかも分からない。トレーナーの名簿には載っていましたから、中央に在籍していることだけは知っていましたけど」
「……菊花賞前からその年度の終わりまで、俺は地方に行っていたからな」
「……そうだったんですか」
ドーピングが発覚してからその年度の終わり、つまりアルファーグを正式に離れるまで俺はURAの指示で全国の地方トレセンを数週間ごとに転々としていた。研修のための出張というのが表向きの理由で、実際は中央から離れさせるためだった。
「子どもながら、手詰まりになったことが分かりました。わたしのヒーローたちがどうなったのか知りたかったですけど、諦めるしかなかった。その後、GⅠをいくつも勝って現役最強に登り詰めたキタサンブラックを見るのは嬉しかったです。でもトレーナーさんはどこにもいなくて……胸のつっかえは取れないままでした。時間だけが過ぎて、あっという間にキタサンブラックはトゥインクルシリーズからDTLへ。わたしはポニースクールに学校にと忙しくなって、気づけば小学生を終えていました」
「そっから勉強一本に切り替えて、トレセンに入ったんだったか」
「そんなことまで聞いてるんですか。父さん、何でも話しすぎなんですよ……。ええ、走りの才能がないことは分かったので。ならスタッフ研修課程の枠でトレセン学園に入ってやろうと思って勉強したんです。将来的にはウマ娘に携わる仕事がしたかったですし」
「……なあ、ペティ」
「なんですか?」
「入学したお前は、俺とキタサンのことを知りたかったから俺のチームへやってきたのか?」
彼女の話を聞いていて、そこがどうしても気になった。最初トレーナー室に彼女がやって来たとき、俺のチームの未勝利戦のウマ娘の傾向や成績を熱弁していたことを思い出す。
俺のチームに来たいからあんなデータを見つけたのか、それと関係無く偶然あのデータを見つけたのか、どっちが先なのだろうか。
「う~ん、難しい質問ですね。はっきり言ってしまうと、トレーナーさんとこのウマ娘を真っ先に調べたことは事実です。でもそこで面白そうなデータが見つからなかったら、トレーナーさんのチームには入ってなかったと思います。スタッフ研修生のキャリアを考えて、自分の益になるチームに行きたかったですから。もし違うチームに行ってたら、ただトレーナーさんと理由をつけて会って、なんとかキタサンブラックとのことを訊き出そうとしてたと思います。ずっと、知りたかったことでしたから」
「そうか……」
「でも、最初に会ったときに言ったことは本心です。本音を言うと、トレーナーさんとこのウマ娘を調べて少し嬉しくなりました」
「嬉しい? 何でだ?」
「やっぱり、トレーナーさんは凄いんだなあ、って思ったんです。……最初に会ったとき、わたしのことに気づいてくれてればもっと嬉しかったですけど」
話し終えたペティは大きく息をついたあと、笑ってこちらを見た。付き物が落ちたような笑顔だった。
ここ最近はペティとぎこちない関係になっていたので、そんな笑顔を見れてほっとした気持ちになった。
「話してくれてありがとうな。……今日の夜、お前らに話そうと思う。俺とキタサンのことを」
「……そうですか。なんか複雑です。これまで知りたかったのに、いざ教えてもらうとなると──」
「……言っておくが、気持ちのいい話じゃない。話を聞いた後、お前らが俺を見限ったって何もおかしくない」
「…………」
それにペティは答えなかった。
「夜、散歩でもしながら話そうかって考えててな。後からお前らに集合時刻と場所を連絡するわ。キングとモエが戻ってきたらそう言っといてくれ」
「……はい」
俺はそう言い残すとコースを離れた。
──ついにやってきた。全てを話す時が。
◇
坂川が指定したのは、完全に日が沈んで暗くなった時間帯だった。
指定された通り、合宿所を出て舗装路を数分歩いたところにある、自販機が何台も置いてあるバス停へ向かった。スポットライトが当たっているみたいに明るいそこに、坂川の姿があった。
「お、キングか。もう来たのか」
「ええ。モエさんとペティさんは?」
「来てねえよ。まだ30分前だぞ。お前が早く来すぎなんだよ」
「……もう来ているあなたが言うことかしら?」
坂川はベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。
集めた張本人とはいえ、自分よりも早く来ている彼にそう言われるのは納得できなかった。
「お前も何か飲むか? あとは寝るだけなんだから、ジュースとか糖分の多いもんは無しな」
「……じゃあ、ミネラルウォーターでいいわよ。あなたに奢る権利をあげるわ」
「分かった。水だな」
坂川は自販機でミネラルウォーターを買うと、それを私に差し出した。
それを受け取った私はベンチに腰掛けた。私から一人分空けて、坂川も再びベンチに座った。
「ねえ、トレーナー」
「ん?」
「あなたの過去に何があろうと、私はそれを受け止めるわ」
「……は?」
「な、なによっ」
坂川は目を丸くしてこっちを見ていた。
さっきのセリフ、実はけっこう勇気が要った。なのに、何なのかしらこの反応は。おばか。
「いや、すまねえ。気を使ってくれてんだな。ありがとな」
「……ふんっ」
「でもな、俺の話を聞いてから、どうするか考えた方が良い。俺を見限って、チームを変えたって別にいいんだ。俺は止めねえよ」
「なっ、にを……!」
カチンと、頭にきた。
流石に今の言葉は聞き逃がせない。私がそんなことをするウマ娘だと──
「……なんだ。お前らみんな、来るの早えんだよ」
「トレーナーさん。キングも、もう来てたんですか」
「……」
ペティとカレンモエが姿を現したので、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
「おし。揃ったし行くか」
立ち上がった坂川は、コーヒー缶をゴミ箱に捨ててから歩き出した。
彼のあとを、私たち3人が付いていく。
バス停から離れ、田んぼの間を通る、車が1台通れるぐらいの道を歩いていった。
夜の涼風によって、辺りの稲が音を立てて揺れていた。
「話す前に頼みがあるんだ。今から話すことは絶対に口外しないでくれ。親しい友達にも、親にもだ。約束できるか?」
私たちは3人とも肯定の返事をした。
「ありがとうな……さて、何から話すかな」
前を歩く坂川の表情は見えない。
「ま、最初から順を追って話すか」
いつもと変わらない調子だが、どこか淡々とした口調で彼は語り始めた。
トレーナーになりアルファーグに入ったこと。
キタサンブラックの担当になったこと。
キタサンブラックと二人三脚で、トゥインクルシリーズに挑んでいったこと。
メイクデビューからスプリングステークスまで順調にいっていたこと。
皐月賞で初めての敗北を喫したこと。
ダービーで惨敗したこと。
ダービーでの敗北から、距離短縮を考えていたこと。
そして、そこから話は続いていく。
次に彼が話し始めたのは、キタサンブラックがクラシック級の秋のことだった。