底辺キング   作:シェーク両面粒高

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追憶11 告白

 俺を助手席に乗せた清島の自家用車はキタサンブラックの実家へ向かっていた。車内は会話もなく、ただラジオだけが流れていた。

 俺は窓の外に流れる景色に目をやりながら到着を待っていた。

 

 ずっと考えていた。坂川健幸という人間は何者なのかを。

 

 それを踏まえて、彼女にどう接するべきなのかを。

 

 

 

 気づけば車は彼女の実家の正門が見えるところまで来た。

 周りの塀よりひときわ背の高い木製の大きな正門の前に父親の弟子と思われる男が立っていた。俺は以前、正月に招かれたときにその男を目にしたことを覚えていた。おそらく俺たちを待っていたのだろう。

 正門の前に車を着けた清島は正門を開けてもらうため、近寄ってきた弟子の男に窓を開けて声をかけた。

 

「清島だ。門、開けてくれねえか」

「清島さん、お待ちしてました。師匠が清島さんとまずサシで話したいと待っておられます。今すぐ開けるので、どうぞお入りください。ただ──」

 

 弟子の視線が俺に向けられた。

 

()()()()()は別です。師匠から、ウチの敷居を跨がせるなと仰せつかっていますので。ここで降りていただきます」

「……分かりました」

「……坂川」

 

 俺が助手席から降りると、開けられた正門の中へ清島の車とその弟子が消えていった。正門は再び閉じられ、ねずみ一匹通しそうにないそれが俺の前に立ちふさがっていた。

 

 

「…………当然だよな」

 

 

 精神的にも物理的にもキタサンブラックの家に拒絶された俺はただ立ち尽くすしかなかった。スマホを弄る気になんてなれず、ただ下を向いていた。

 

 

 偶然か必然か、1人でいる時間ができた。

 

 だから俺は自分自身を見つめ直すことにした。

 坂川健幸という人間の本質と本性について。

 

 ……俺は自分のことが分からなくなっていた。

 

 

「…………」

 

 

 坂川健幸はキタサンブラックのことを大切に思っていると、そう俺は自覚していた……この事件があるまでは。

 でも、本当にそうだろうか? 

 

 

「……俺は……」

 

 

 キタサンブラックを大切に思っている人間が、彼女を騙してドーピングして、その上暴力まで振るうだろうか? 

 

 ドーピングのことで頭が混乱して追い詰められていた状況とはいえ、菊花賞に行きたいと彼女が告げたとき、俺はどんな考え方をしていただろうか? 

 追い詰められた状況で精神的な余裕がなかったからこそ、その人間の……坂川健幸の本心が出てきたのではないだろうか? 

 

 

 

 

 

 ならば、坂川健幸という人間の本質と本性とは──

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 清島が家の中に入ってから1時間ほどした頃だろうか。その正門が突如として開かれた。

 中から姿を現したのはさっきの弟子とは違う男……俺と同世代くらいの若い男の弟子だった。

 

 彼は憎しみを込めた目で俺を見ていた。目の前の男が許せないと、その表情と態度が物語っていた。

 

 

 

 人の信頼を裏切るというのは、こういうことなんだと、やっと理解できてきた。

 

 

 

「……入れ。お嬢がそこで待っている」

「……はい」

 

 促されるまま敷地内へ足を踏み入れると、視界いっぱいに広がる日本庭園の中心に何人もの人影が見えた。十数人の弟子たちと彼女の両親が俺を待ち構えていた。皆が皆、厳しい表情をしていた。正月に笑顔で迎えてくれた面影はどこにも無かった。

 清島は父親の隣に並んでいた。

 

 

 

 そして、その中心にいたのは、頭に包帯を巻いたキタサンブラックだった。

 

 

 

 その光景はまるで、中世の公開処刑場のようだと思った。

 

 

 

「トレーナーさんっ……」

 

 キタサンブラックが俺に駆け寄ってきた。数日会ってないだけなのに、久しぶりに会ったように感じた。

 彼女にいつものような溌剌さはなく、緋色の瞳は不安に揺れていた。耳も尻尾も垂れ下がってしまっていた。

 

「……身体は大丈夫なのか」

「はいっ。今はもう、元気いっぱいです。……突き飛ばして、ごめんなさい! トレーナーさんこそ、お怪我はありませんでしたか?」

「俺は傷ひとつ負ってないよ……庇ってくれて、ありがとうな」

「いえっ! あたしはお助けキタちゃんですから! お怪我がないなら良かったです!」

 

 俺が暴力を振るったことを問い詰めないでくれている。

 明るく振る舞っているつもりだろうが、言葉の節々が震えていた。強がっていることは明白で、その明るさが痛々しさを一層引き立たせていた。

 

「あの、トレーナーさん……」

「……なんだ」

「嘘……ですよね。ドーピングなんて」

「……」

「み、みんな、変なこと言うんですよ! トレーナーさんがそんなことする人じゃないって、あたしが一番知ってますから!」

 

 おそらく本心では分かっているだろう。でもここまでして、彼女は健気にも俺のことを信じてくれている。

 

 

 その信頼を今から俺の手で壊さなければならない。

 

 

「も……もしっ、そうだったとしても、なにかの間違いですよねっ? 誰かに騙されたとか、ビタミン剤と間違えちゃったとかですよねっ? あはは、トレーナーさんも、おっちょこちょいだなあ……」

「……」

 

 間違いだったのだと、その気はなかったのだと、そう嘘をつけば彼女は許してくれるだろうか。

 ……そんな嘘言えるわけがない。言った瞬間、俺は人間でなくなる。畜生以下の存在に成り下がる。

 

「…………なんで、なんで何も言ってくれないんですか……トレーナーさん……何か、言ってください……お願いします……」

 

 

 赦しを請うなんて、許されない。

 

 

 これ以上、嘘を重ねられない。

 

 

 真実を話すしかない。

 

 

 

 ──『本当に彼女の身を案じられる人間なら、最初から副作用の可能性のあるドーピングなんてしないでしょう? それに、バレればその娘のレース人生は滅茶苦茶になるのですよ?』──

 

 ドーピングさせたという事実から導き出される、坂川健幸という人間の本質を。

 

 

 

 ──そんな理由でレースを選んでGⅠを勝てるなら、誰がこんなに苦労するか……! 約束なんて、くだらない……!──

 

 菊花賞を選ぶと言った彼女に対し暴力を振るい、そしてあの時心の奥底から湧き上がってきた、坂川健幸という人間の本性を。

 

 

 

「ごめんな。キタサン」

「え──?」

 

 

 

 覚悟を決めろ、坂川健幸。

 

 

 

 俺と彼女の関係は、おそらく今日で終わりを迎える。

 

 

 

 ならせめて最期だけは、彼女に正直であるべきなんだ。

 

 

 

 それがせめてもの、彼女への贖罪だ。

 

 

 

「いいや。俺は俺の意思で、お前を騙してドーピングさせた」

「そ……そんな……噓ですっ……噓っ……」

「嘘じゃない。話を聞いてるかは知らないが、あの日の午前中、お前を呼び出して白い錠剤を渡しただろ。あれがクスリだ」

「いやっ……いやです……信じません……聞きたくないです…………」

 

 キタサンブラックは見てて可哀想になるほど取り乱し始めた。

 

「分からないならもう一度言ってやる。俺は俺の意思で、禁止薬物だと知っていて、お前を騙して、ドーピングさせた」

 

「ぅあああああぁぁぁ────!」

 

 

 絶叫が響いた。

 

 

 

 涙が溢れていた。

 

 

 

 愁嘆場めいた俺たちのやり取りを、彼女の後ろにいる清島以外の人間たちは怒りをにじませながら見ていた。

 怒りの矛先は全て俺に向いていた。

 

 

 

 表沙汰にならないだけで、彼女にはドーピングしたという事実が一生刻み込まれる。今後どれだけ成績を残しても、クスリに一度汚されたことが彼女を苛み苦しめるだろう。

 

 

 

 キタサンブラックは下を向いて涙を流したまま、嗚咽に必死に抗いながら口を開いた。

 

「どうしてっ……ですかっ……」

「……何がだ」

「どうして、ドーピングなんてっ……」

「…………」

「昔から……いつから使ってたんですか……」

「……使ったのはあの日だけだが、それを俺が言って、今のお前は信じられるのか?」

「…………っ……」

 

 俺は彼女のことを本当の意味で想っていなかった。だからドーピングさせた。

 彼女のことを想っていたなら、ドーピングなんて凶行に走るわけがない。

 そう、ドーピングをさせたという結果が、俺という人間の本質を明確に表している。

 

 そんなことを思う中、自然と湧き上がってくるものがあった。

 

 ──何をやってんだ俺は……! 

 ──もう二度と泣かせないと誓ったのに、なんで俺がキタサンを泣かせてるんだ……! 

 

 

「…………っ!」

 

 

 声が震えないよう必死に喉へ力を入れる。

 奥歯を食いしばり、平静を保つよう努めた。

 

 

「ドーピングさせたのは、トレーニングで結果が出なかったからだ。あのクスリ、トレーニングで使うためのクスリでな。天皇賞秋を勝つには必要なタイムに届いていなかったから使った。あの日にタイムを出せたのはドーピングのおかげなんだよ。……こんなヘマしなければ、お前にも、URAにもバレることは無かった」

「そんな……っ……」

 

 

 この調子で一気に全て話してしまおう。

 こういう口調で一気に捲し立てないと、言葉に詰まって喋られなくなると思うから。

 

 無意識的に、両手の感覚が分からなくなるほど力を入れて握りしめていた。

 

 

「他にもある。お前はウマ娘として今がピークの可能性があった。最悪、GⅠを取れるのは今回の天皇賞秋が最後かもしれなかったからな。それもクスリを使う一押しになった」

 

 

 泣きじゃくるキタサンブラックに言葉を叩きつける。

 

 

「現状、天皇賞秋でも勝てるか分からなかったのに、菊花賞に行きたいと聞いたときは耳を疑ったよ。2400mのダービーで惨敗したのを忘れたのか? 長距離は適性外なんだよ。あんだけ説明したのに分かってなかったのか? …………友達との約束だって?」

 

 

 大粒の涙が地面に光り輝きながら落ちていく。彼女はずっと泣いているからか、その泣き声もかすれてしまっていた。

 

 

 俺が口にしているのは、正真正銘、あの時に俺が思ったことだ。

 

 

「そんな理由でレースを選んでGⅠを勝てるなら、誰がこんなに苦労するか。約束なんて、くだらない」

 

「ううっ……うわああああああああああああああああ────!」

 

 

 

 二度目の絶叫。

 

 

 

 彼女は友だちとのかけがえのない約束を貶され、遂に崩れ落ちるように座りこんでしまった。

 

 

 

「信じてたのに……あたし、トレーナーさんのこと、ずっと…………信じてたのに…………」

「……」

 

 

 

 

「……っ…………ひどい…………ひどいです……っ……」

「……」

 

 

 

 

 彼女の言葉ひとつひとつが胸の奥に突き刺さる。

 

 

 

 

 

 

 そして、涙に濡れた彼女の瞳の奥に、怒りがかすかに滲んだのを見た。

 

 

 

 

 

 

 そんな目で見られるのは、つらかった。

 

 

 

 

 

 

「…………っ……トレーナーさんは…………あたしのこと…………」

 

 

 

 

 

 どう思っていたのか、とその後に続くのだろう。

 

 

 

 

 

「……俺は──」

 

 

 

 

 

 おそらく最後に交わす言葉になる。これで、俺と彼女は終わる。

 

 

 

 

 

 ふいに、今までの思い出がフラッシュバックした──

 

 

 

 

 

『キタサンブラックです! こちらこそ、これからずっと、この先どこまでも! よろしくお願いします!』

 

 

『トレーナーさんは夏合宿頑張ったって言ってくれましたけど、あたしの努力が足りなかったんです!』

 

 

『レースで勝てるようにってお願いしました! もうすぐメイクデビューですから!』

 

 

『いや~照れちゃいますね~……あたしのこと、いっぱいお願いしていただいてありがとうございます、トレーナーさんっ!』

 

 

『やりましたっ! トレーナーさん!!!』

 

 

『あっ! その万年筆使ってくれてるんですね! えへへ……喜んでもらえたなら嬉しいです!』

 

 

『そうなんですか。あたし、ノート書いてるトレーナーさん好きですよっ! なんか、知的な感じでカッコいいです!』

 

 

『トレーナーさんっ……ごめんなさい……っ、期待に……ぐすっ、うあ、うわあああああん!』

 

 

『本当ですか!? えへへ、嬉しいですっ! ……ハァア~~ン! よおし、喉も調子もまだまだ絶好調ですっ!』

 

 

 

 

 

 

 ──ごめんな、キタサン。俺は最低のトレーナーだったんだ。

 

 

 ──心も体もこんなに傷つけて、ごめんな。これで終わりにするから。

 

 

 ──ごめんな。さよならだ。

 

 

 

 

 最後の言葉を言おうとして、脳裏を一瞬よぎったのは先輩の声だった。

 

 

『過程に意味はない。結果が全てだ』

 

 

 

 ──ああ、先輩、確かにそうですね。……あなたのこと、恨んではいませんよ。悪かったのは俺の弱い心と、醜悪な本質と本性ですから。

 

 

 

 キタサンブラックにGⅠを勝ってほしい。夢を叶えてほしい。笑ってほしい。

 そんなことを願っていたという俺の過程に、一体何の意味があるというのだろう? どんな思いを抱いていようが、たどり着いた結果は暴力とドーピングだ。その結果はもう変えられない。

 

 

 

 坂川健幸がキタサンブラックのことを想っていたなら、信じていたなら、本当に大切に思っていたなら、いくら勝たせたいからって、暴力やドーピングなんて結果には至らないのだ。

 俺は自分のことしか考えていない、自分本位で利己的な人間なのだ。利他的なら、キタサンブラックを心の底から思いやれる人間なら、こんなことをするはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 だから、暴力とドーピングという結果から導かれる俺の本心とはこういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 大切じゃなかったから、暴力を振るいドーピングで(けが)したのだ。

 認めたくなかった。でも、いくら考えてもこの結論にしか至れなかった。

 

 

 

 

 

 

「俺はお前のことを大切になんて思ってなかったんだよ。だからお前をぶって、ドーピングさせたんだ」

 

「う、あ────」

 

「もうやめろおっ!!!!!」

 

「ぐっ……」

 

 

 いきなり視界に弟子の若い男が割って入ってきて、俺の頬を殴りつけた。さっき正門を開けてくれた男だった。

 頭が揺らされるような衝撃と頬の痛みを認識する前に、彼に胸ぐらをつかまれ引き寄せられた。

 

 吊り上がった形の良い眉の下の目は赤くなっており、潤んでいるように見えた。他人のために泣けるなんて、どこまでお人好しでいい奴なんだろう。

 

「お嬢をそんなに傷つけて、何がしたいんだ! お前がそんなクソ野郎だとは思わなかった! 最低の男だ! お嬢も、師匠も、俺たちも、みんなお前のことを信じていたのに……! 許さない……!!!」

「……俺はこういう人間だ。勝手に信じたのはそっちだろう」

「っ!!!!! このおっ!!!!!」

 

 2発、3発と殴られる。俺は抵抗せず、彼にされるがままになっていた。口の中は鉄の味が広がっていった。

 

 誰も止める者はいなかった。キタサンブラックも、涙に濡れた瞳でただ殴られる俺を見ていた。

 

「はあ……はあ……くそっ! お嬢、大丈夫ですか……」

 

 殴って気が済んだのか、俺を解放した彼はキタサンブラックの元へ駆け寄って彼女の肩を抱いた。

 

 

「……おい」 

 

 

 地の底から響いてくるような、重い声が俺にかけられる。

 

 彼と入れ替わるように俺の前に立ったその声の主は、キタサンブラックの父親だった。まさしく鬼の形相だった。

 

 

「二度と俺たちの前に姿を現すな。今日だけは清島の顔に免じて見逃してやる。さっさと失せろ……!」

「……はい…………娘さんのこと、申し訳ございませんでした……」

「……」

 

 

 父親に頭を下げたあと、俺は背を向けて歩き正門の外へ出た。

 ほどなくして清島が運転する車が門から出てくると、即座に門は閉じられた。

 

 車に乗り込んだ俺は、殴られた頬を抑えて俯いていた。

 

「……すいません。先生…………」

「なんであんなことを言ったんだ……取り繕うこともできただろう…………」

「俺が実際にそう思っていたからです。俺は自分がそういう人間だと分かったからです。せめて……せめて、最後だけは正直に話すべきだって、思ったんです」

「…………お前は、それだけじゃねえだろうが……」

 

 そこで会話は途切れた。

 頬が痛む。口内の出血は止まらない。目を瞑って痛みに耐える。

 

「…………」

 

 キタサンブラックの泣き叫ぶ姿がまだ瞼の裏に焼きついている。

 

「…………」

 

 俺と彼女の行く末は平行線をたどり、もう二度と交わらないだろう。

 俺と彼女の関係は終わったのだ。彼女と話すことも、笑い合うことも、悔しさや喜びを分かち合うことも、もう永遠に訪れない。

 

 

 

「……っ」

 

 

 赦されないのに。

 

 

「……っ……っ……」

 

 

 彼女をあれだけ傷つけたのは、俺なのに。

 

 

「……っ…………くっ……」

 

 

 俺は彼女にドーピングをさせた最低の人間なのに。

 思い通りにいかないからって暴力を振るう屑みたいな人間なのに。

 

 

 

 

 

 なんで、俺は泣いているんだろう。

 

 

 

 

 

「……っ……ぐっ……っ」

 

 止めどなく涙が流れ落ちていく。

 

「人間ってのは理屈だけじゃねえんだよ、バカ野郎……」

 

 

 

 分からない。

 

 俺は何も分からない。

 

 

 

「……お前が、キタサンを大切に思ってないわけ、ねえだろうが…………」

 

 

 

 泣いてる理由も。

 

 キタサンへの思いも。

 

 

 

 

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