底辺キング   作:シェーク両面粒高

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追憶12 悪夢

 この日はそれで終わらなかった。

 

「話は聞いたぞ! ふざけるな!!!」

「…………」

 

 キタサンブラックの家から新人寮に帰ってきた俺をエントランスで待ち構えていたのは激高していた横水だった。ドーピングのことを口にはしないが、それしかないだろう。

 情報が漏れるのが早すぎる。彼女に詰め寄られるなか、頭の中でその情報源を考えた。

 

 彼女の一族は代々トレーナーを多く輩出し、トレーナー以外にもURAの上層部に一族の人間を何人も送り込んでいる。情報源を聞けていはいないが、おそらくそこからではないかと当たりをつけた。あのスーツを着た男の中に、一族の人間がいたのかもしれない。

 

「何か言ったらどうだ!? あんな行為、トレーナーとして、人間として、屑のすることだ!!!」

「…………」

「なぜ、そんな平然としているっ!? ウマ娘を傷つけて、なんとも思わないのかっ!?」

「…………」

「っ!!! このっ!!! 何か答えたらどうだ!!!」

 

 口を噤む俺に堪忍袋の緒が切れた横水は、胸ぐらをつかんできた。

 

「その頬の傷も、どうせキタサンブラックか清島トレーナーに殴られたんだろう!!!」

「……似たようなもんだな」

「! お前……いろんな人やウマ娘にお世話になって、それをあんな仇で返したのかっ!? なんて見下げ果てた奴なんだ!!! そんな奴だとは思わなかった!!!」

 

「ちょっ!? 幸ちゃんの声がすると思ったら……なにやってんの!」

 

 そこで、騒ぎを聞きつけたのか、天崎がエントランスへやって来た。ちょうど、横水が手を振り上げたときだった。

 

「ダメだよ幸ちゃん! 手を離してっ!」

「うるさいっ! 邪魔をするなひより!」

「ダメだって!!!」

 

 天崎は俺たちの間に強引に割って入り、俺と横水を引きはがした。

 

「なんでそんな怒ってるのっ! 何があったって、暴力はダメだよ! ……って、坂川くん、その顔……!」

 

 天崎は殴られて腫れあがった俺の頬を見て、目を見開いていた。

 

「幸ちゃんに叩かれたの!?」

「……違う。横水にはなにもされてない」

「……そっか。幸ちゃん。もう一回言うけど、暴力はダメだよ。……そもそも2人とも、何があったの?」

「こいつは──」

 

「なにかあったんスか?」「ケンカですか?」

 

 横水がドーピングのことを口にする前に、騒ぎを聞きつけた新人寮の後輩トレーナーたちがぞろぞろとエントランスに顔を出した。

 

「──くっ! くそっ!」

 

 横水はドーピングのことを口にせず、そのまま踵を返して自室へ戻っていった。未だに怒っている様子の彼女の背中を、天崎と2人で見送った。

 

「あ、あはは。ごめんね~。何でもないよ」

 

 天崎は俺の前に立ち、手を上げて後輩たちに軽く振り、俺の顔が彼らから隠れるようにしてくれた。

 

「? ならいいんスけど」「まあ、そう言われるなら……」

 

 そうして後輩たちは去ってくれた。

 

「ふう、なんとか誤魔化せたかな……?」

「……ありがとうな天崎。じゃあ──」

「待って」

 

 彼女は俺の手を掴んで引き留めた。

 

「……何だ?」

「その顔、ちゃんと処置しないと。顔に血もついてる。氷嚢と湿布用意してくるから、部屋行こう。ここじゃ目立つし」

「後から自分でやる。俺に構わないでくれ」

「ダーメッ! 私が構いたいから構うの。何かあったとか訊かないから。それだけさせて。お願い」

 

 俺を見つめてきた彼女の目は、嘘をついていなかった。

 

「……勝手にしろ」

「! うんっ! 部屋の鍵、開けててよ!」

 

 俺の手を解いた彼女は小走りで救急箱を取りに行った。

 

 

 俺は部屋に戻り扉を閉めると、内鍵に手をかけた。

 

「…………」

 

 しかし、鍵をかけず手を離した。

 数分後、天崎が息を切らしながらやって来た。

 

「坂川くん、鍵かけないでいてくれたんだね。ありがとっ」

 

 天崎は部屋の中へ入ると、暖かい濡れタオルで俺の顔を拭き始めた。

 

「血、よく見ると口元にいっぱい付いてる……痛かったらゴメンね」

「……っ!!」

 

 彼女が拭いたところに激痛が走った。

 

「わわっ、ゴメンっ!」

「大丈夫だ……頼むわ」

「! ……うんっ!」

 

 時々痛みに襲われながら、彼女が拭き終わるのを待った。

 

「よしっ! これでおっけー。坂川くん、これ氷嚢ね。氷の予備、冷凍庫に入れておくから。冷やすの終わったらこの湿布貼ってね。それじゃ!」

「……本当に何も訊かないんだな」

「? そう言ったじゃん」

 

 扉に向かおうとしていた天崎は、こちらへ振り返ってきょとんとした目で俺を見ていた。

 

 正直なことを言うと、俺は彼女に話を聞いてほしかった。おそらく、多くの敵意を向けられて、弱っていた俺に優しくしてくれた彼女に甘えたかったんだと思う。

 

 しかし、キタサンブラックのためにドーピングのことを他人に話すことは許されない。

 

「天崎。俺、この後すぐ地方へ行くことになるんだ」

「へっ? レース見に行くってこと?」

「いいや。中央を離れて地方トレセンへ勉強しに行くんだ。だからしばらくの間、お前らとは会えなくなる」

「え……? 坂川くん、キタちゃんはどうするの? もうすぐ天皇賞秋じゃん」

「キタサンは清島先生が見ることになった」

「……もしかして、幸ちゃんが怒ってるのって、そのことと関係あるの?」

「…………」

 

 沈黙は肯定を示していた。

 

「そう…………ねえ、坂川くん」

「なんだ?」

「幸ちゃんのこと、あまり気にしないであげてね。今、すごく大変そうだから」

「何かあったのか?」

「……実はね。数日前、幸ちゃんのお父さん、脳卒中で倒れちゃったの」

「なっ!? お父さんって、アルバリのチーフのだよな?」

「うん。まだニュースにはなってないから、公にはされてないんだ」

 

 チームアルバリとは横水の一族が代々チーフトレーナーを務める伝統のあるチームだ。そこのチーフである父親が倒れたのだから、大変と一言では済ませられないぐらい大事(おおごと)だ。

 

「父親は大丈夫なのか?」

「一命は取り留めたみたいなんだけど……右半身に重い麻痺があって手足がほとんど動かせないんだって、座ってるのもままならないみたい。それに失語症っていうのになって、言葉のやり取りも難しいとか……」

「……そんな状態じゃ、トレーナーなんて無理だろうな……」

「うん。でも、大変なのはそれだけじゃなくて……」

「まだ何かあるのか?」

「幸ちゃんのチームって、横水の人がチーフをする世襲のチームじゃない? だから、次は幸ちゃんがチーフになる予定なんだけど……」

「そうか。確かに大変だな……でも、経験豊富なサブトレーナーが何人もいるし、その人たちに支えてもらえれば、横水ならきっと──」

「そこなんだよ。坂川くん」

「は?」

「そのサブトレーナーたちが、みんなアルバリを辞めちゃったんだよ。それで、辞めたサブトレーナーたちで新しいチームを作るみたいなんだ。アルバリのウマ娘をほとんど引き抜いて」

「それは……」

「お父さんは厳格な人で、サブにもウマ娘にも厳しかったから、不満が溜まってたんじゃないかって、幸ちゃんは言ってた。あと、自分の力が足りないって……」

 

 父親が気に入らなかったから、その娘を見捨てたということだ。アルバリというチームに入ったのなら、娘が継ぐことぐらい最初から分かっていたはずだ。

 なんて(むご)い話なのだろう。そこまで冷徹になれるものなのだろうか。

 

「残されたのは幸ちゃんと2人のウマ娘だけ。1人は故障で満足に走れないサクラローレルって娘と、地方からやってきたばかりのトロットサンダーって娘だけなんだって」

 

 話を聞くだけでも手を焼きそうなウマ娘たちだ。他人のサポートも受けれない状況下でそんなウマ娘の面倒を見るなんて、まだ2年目で新人同然のトレーナーには荷が重すぎる。

 

「幸ちゃん、精神的にすごく追い詰められてて……だから坂川くんも、今日のことは気にしないでくれると嬉しいな。幸ちゃんもあんなことしたくてしたわけじゃないと思うから」

「…………」

 

 それはどうだろうか。

 確かに追い詰められてストレスが溜まっているのは事実なのだろう。しかし、あの怒りは……ドーピングに対する怒りは本物だと思う。

 それに目の前にいる天崎だって、ドーピングのことを知ればどう思うか分からない。さっきの横水と同じような反応をするかもしれない。

 

「それじゃね。私も部屋に戻るよ、お大事にね、坂川くん。もし地方に行く日が決まったら教えてね」

「……ああ、ありがとうな」

「いいえ、どういたしまして!」

 

 天崎は歯を見せて笑い、部屋を出ていった。

 

「……」

 

 久しぶりに、他人と普通の会話をした気がした。

 

 

 天崎からもらった氷嚢を頬に当てて、ベッドに寝転んで目を瞑った。

 すると強烈な眠気に襲われ、俺はすぐに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

『トレーナーさん、やりましたっ!!! あたし、GⅠを勝てたんですっ! 観客の皆さん、みんな喜んで笑ってくれてる……! これであたしも主役になれましたよねっ!!!』

 

 優勝レイを肩にかけたキタサンブラックが目の前で笑っていた。

 

『言葉にできないぐらい嬉しいですっ! 今、ここで歌ってもいいですか!?』

 

 眩しくなるような笑顔だった。

 

『え? ダメ? ~~~~っ! いや、もう我慢できませんっ! 感謝の気持ち、歌い上げます!』

 

 ウイニングライブを待たず、キタサンブラックはターフで歌い始めた。

 

 彼女と同じように、俺も満たされた気分だった。嬉しい思いで心がいっぱいだった。

 歌の合間にちらっと俺に視線をやる彼女がとても愛おしく思えた。

 

 

 

 

 ──そこで、夢は覚めた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「っ! はあ、はあ……」

 

 目が覚めると、つけっぱなしにしてある室内灯が目に入った。体を起こして時計を見ると、針は深夜を示していた。

 

「……夢、か……っ」

 

 無意識的に触った頬に痛みが走った。寝る前より本格的に腫れてきたようで、少し喋りにくい。枕元には温くなった氷嚢が転がっていた。

 

「…………」

 

 今見た夢がまだ脳裏に残っていた。

 

 昨日の今日でこんな夢を見るなんて、俺はどれだけ浅ましい人間なんだろうか。

 本当に救いがない。

 

 

『夢の内容はいつも一緒だ。あいつがGⅠを勝って、笑ってる夢さ。……最高(最低)の夢だろ?』

 

 先輩がそう言っていたことを思い出した。

 どうやら俺も同じような夢を見たようだ。だが……

 

 

最高(最低)の夢どころじゃねえよ……」

 

 

 間違いなく幸せな夢だった。俺が焦がれ続けた光景だった。

 

 しかし、幸せの絶頂から覚めると、地獄のような現実が待っていた。

 自分の薄汚い欲望を目の前に突きつけられた夢だった。

 

 

 

「……悪夢だろ、これは」

 

 

 

 

 目が冴えてしまった俺は湿布を頬に貼ってから荷物の整理を始めた。

 地方に行くための荷造りだ。

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