底辺キング   作:シェーク両面粒高

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追憶13 遠い空の下で

 それから数日後、俺は北海道の地を踏んでいた。

 先ほど新千歳空港に着いた俺はバスに乗っていた。出張研修とは名ばかりの辞令により、門別トレセンへ行くためだった。

 

「……」

 

 本州とは趣の異なる風景を眺めながら、キタサンブラックとの袂を分かってから今日までのことを思い返していた。

 

 

 

 あの日の翌日、再び本部棟に呼び出されURAの重鎮たちと会った俺に、正式に地方トレセンへの出張研修が命じられた。この出張研修がいつまで続くかも、またそのトレセン学園にどのぐらいの期間滞在するのかも、追々決定してから伝えられるとのことだった。

 

 研修……その仕事内容はというと、決まっていなかった。URAは地方トレセンで空いているトレーナー寮の部屋の使用許可をとっただけで、仕事までは確保していなかった。していないと言うより、最初からする気がなかったのだろう。だって、今回のこれはただ俺を中央から遠ざけることが目的だからだ。

 あくまで仕事は自分で見つけろと、そう糸目の男から言われた。

 

 新人寮の部屋からはどちらにしろ今年度で出ていかなければならないので、急いで私物を運び出して準備をした。準備には天崎が手伝いに来てくれた。横水から話を聞いたかどうか、それは訊かなかったが、彼女は普段通りの調子で手伝ってくれた。

 

 

 

 そして今に至る。

 

 

 

「……もうすぐだな」

 

 スマホのマップを見ながらそう独り言ちた。もう10分もせずに着くはずだ。

 スマホをしまってから、湿布を貼った頬を軽く撫でた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 門別トレセンに来てから数日が経った。

 

 普段のレースが行われるナイターの時間帯を見計らって、俺はコースをその足で歩いてスクーリングをしていた。

 ほぼ無人のダートコースを一歩一歩確かめながら歩いていく。地方のコースとしては最大級の広さなので、1周するだけでも少し時間がかかる。

 

「……確かに、深い感じはするな」

 

 ローカルシリーズ開催地である地方のコースの中でも、門別の砂厚が厚いことは知っていた。他の地方トレセンのコースを実際に歩いたことがあるわけではないが、こうして実体験して確認しておくことは大切だと思っていた。

 

 そして、こうして歩くことで新しく発見することもある。

 ちょうど、ひゅうと、潮の香りを含んだ風がコースを吹き抜けていった。

 

「さみぃな……」

 

 ここ門別レース場は海から近いところに位置しているため、海風がここまで吹き付けるのだ。もうすぐ冬だからか、その風は冷たいものになっていた。

 

「これで霧が発生することもあるんだろ。風が苦手なウマ娘とか、霧を未経験のウマ娘なんかを走らせるときは頭に入れとかねえと……」

 

 ウマ娘の中には、強風で体が煽られたり、霧などで視界が開けないと予想以上にパフォーマンスを落とす奴がいる。もしこの門別でウマ娘を走らせる場合はあらかじめ注意をしなければならない。

 

「よし、ノートに書き……って」

 

 左手に持ったノートに今思ったことを書き止めようとしたが、その左手には何もなかった。

 

「そうだ……先生に渡したんだったな」

 

 キタサンブラックを担当するようになってからつけていたノートは、こちらに来る前に清島に全て渡していた。十数冊に渡るそれは、彼女のトレーニングデータも全て記入してあり、各種トレーニングの効果とその評価もつけてあった。他にも、俺が普段何気なく思ったり考えたりしたことなども書かれていた。

 これから清島が彼女を担当するうえで少しでも参考にしてくれればと思い渡した。彼みたいな超一流のトレーナーには必要ないかもしれないが……どっちにしろ、俺にだってもう必要なくなったものだ。捨ててしまうより、渡した方が良いだろう。

 

 胸ポケットから代わりとなる小さいメモ帳を取り出して、それに記入した。……やっぱり書きにくい。空いた時間にでも新しいノートを買いに行こう。

 

「……こんなもんか」

 

 一通りスクーリングを終えたので引き上げることにした。次は雨が降ったりしてバ場状態が変わったときにスクーリングしようと決めた。

 

 

 ◇

 

 

 翌日の午後、ウマ娘がコースに出てきてトレーニングし始めた。各トレーナーの元でウマ娘たちが懸命に走っている姿は、中央となんら変わりは無かった。

 それぞれのチームのウマ娘やトレーニングメニューを見て、中央との違いやそのメニューの意義などを自分なりの考えで書き出していった。ある程度自分の考えがまとまって形になれば、トレーニングをしていた各トレーナーに話を聞きに行こうと思っていたのだ。

 突然中央から研修目的でやってきたトレーナーを受け入れてもらうためには、それぐらいは必要だと考えていた。何の考えも持たず教えを乞うのは失礼だと思ったからだ。

 

 こっちに来た日に全てのトレーナーにあいさつ回りをした。やはりと言っていいのか、歓迎した様子はなく、奇異の目や訝しむような態度を取る人がほとんどだった。正直、当然の反応だと思う。こんな時期に中央2年目のトレーナーが1人で研修にやって来るなんてほとんどないだろう。

 いつまで門別にいるかは分からないが、長くなるかもしれない。少しでも受け入れてもらうために、余所者の俺は出来る限りのことをしないといけない。できればトレーナーの誰かと仲良くなって、サブトレーナー扱いでチームに入れてもらえれば理想なのだが……

 

 

 

 

 

 トレーニングが終わり学園の校舎に戻ると廊下で若い男女1組のトレーナーを見かけた。男の方はさっきのトレーニングで俺が今日よく観察していたチームのトレーナーだった。2人は先の方の曲がり角を曲がっていった。

 

「……よし。いってみるか」

 

 ちょうど考えもまとまっていたことだし、あの男トレーナーに話を訊いてみようと追いかけた。

 俺が曲がり角に差し掛かったときだった。2人の会話が俺の耳にまで届いてきた。

 

「今日もスタンドに座って、ずーっと何か書いてただろ?」

「ああ、あの男ね。坂川だっけ?」

 

「! ……」

 

 俺の名前が聞こえて、曲がり角を曲がる前に足が止まった。会話は相変わらず聞こえてくる。2人はその先で立ち止まって話をしているらしい。

 

「お前知らねえの? 有名だろ。10代で中央のトレーナーになったんだぜ?」

「それ、信じらんないだよねー。あんな冴えない男、そうは見えないんだけど。つーかそんなガチエリートくんがなんで門別に来てるの?」

「地方の勉強をしたいんだとよ。雑誌の記事とか見てたら、確か今年のクラシック級のウマ娘の面倒見てたらしかったが……そうだ、先月セントライト記念を勝ったキタサンブラックだ」

「なにそれ!? 中央で重賞取れるウマ娘捨てたってこと!? 地方の私たちにとったら、そんなウマ娘担当できるなんて夢みたいなことなのに……選りすぐりのエリートは羨ましいわね」

「それほっぽり出して地方に来たんだから、よっぽど地方に行きたかったんだろうな。ま、アルファーグのチーフが面倒を見るようになっただけかもしれねえけど」

「……いや、なんかあったんじゃない? ほら、ほっぺに湿布貼ってるでしょ? 案外、担当ウマ娘に手を出そうしてぶたれて、チームにいられなくなって傷心旅行中とか?」

「お前……ぷっ、くくっ……それありえるかもな。面白いじゃん、お前訊いてきてくれよ」

「いーやっ。あんたが訊いてきてよ。『勘違いしちゃったのか?』って。あははっ!」

 

「…………」

 

 

 

 俺は踵を返し、足音を立てずその場を去り、寮へ戻った。

 伝えるべきことをまとめたメモ用紙は握り潰してゴミ箱に放った。

 

「ああ思われるぐらい、どうってことない」

 

 ドーピングが漏れていないなら、俺がどう思われたっていい。仮にアイツらが話していたような事情が事実なら、どれほど良かっただろうか。あんなのただの笑い話だ。

 でも、なんで俺はあそこで話しかけず立ち去ったのだろう。どう思われてもいいなら、気にせず話にいけばいいだけなのに。

 

「いや、違う。……そうか」

 

 そこで気づいた。

 キタサンブラックのことがあってから、俺は自分自身がどういう人間かについてよく考えるようになっていた。

 

「怖かったんだな。俺は……」

 

 俺は臆病な人間だったんだろう。謂れのない悪口を言われることが我慢できなかった。

 だから、あそこで逃げたんだ。そして今、もう一度話しかける気にもなっていない。他のトレーナーにも同じように思われてるんじゃないかって怖くなってもいる。

 

「明日からどうすっかなあ……」

 

 

 その日は考えることを放棄して眠りについた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それから少し時は流れ、10月下旬になっていた。

 

 あの一件での恐怖心は残っていたが、克服のためにもなんとかトレーナーたちに話しかけ、トレーニングについての話を聞いた。件の男女のトレーナーにも話を聞きに行った。

 彼らが本心はどう思ってようと、ウマ娘についての話なら相手は真摯に答えてくれたようだった。その話や考えから得るものはたくさんあった。

 

 レースの開催日はバ場整備や入場してくる客の案内などの雑用を進んで引き受けるようになった。少しでも力になって馴染もうと思ったのだ。

 でも、未だにどこかのチームに世話になれてはいなかった。疎外感は中々拭えなかったし、まだまだ余所者だとの実感があった。

 

 

 

 

 今日は10月25日の日曜日で、基本的に火曜日から木曜日のナイターがレース開催の門別トレセンにとっては休みの日だった。

 俺はトレーナー寮の自室にて、テレビに向かい合っていた。

 

『季節が進んだ秋風に、ターフが靡いています──』

 

 実況の男性アナウンサーの言う通り、テレビ画面には風に揺れる京都レース場のターフが映し出されていた。

 クラシック最後の一冠をかけた菊花賞がまさに今始まろうとしていた。

 

 ゲート前にいるウマ娘たちをカメラが映すと、その中に大きく深呼吸するキタサンブラックの姿があった。彼女は5番人気でレースを迎えていた。

 彼女は天皇賞秋ではなく、菊花賞を選んだことを俺はニュースや雑誌で知っていた。

 菊花賞に出られない二冠ウマ娘と約束のためなのだろう。

 

「……」

 

 長距離が彼女の適性外であるという考えは今でも変わらない。本音を言えば天皇賞秋に出てほしかったが、それが彼女の勝利を願わない理由にはならない。

 彼女は一生懸命努力していた。俺がそれを一番知っている。……もっとも、それを(けが)したのは俺なのだが。

 こんな俺が彼女のレースを見る資格があるのかと、そんなことを自問自答したこともあった。でも、結局俺はこうしてテレビの前に居座っていた。

 

「……頑張れ。キタサン」

 

 彼女が4番ゲートに入るのを見守り、祈るような気持ちで発走を待った。

 

『今年は戦国菊花賞です……スタートしましたっ!』

 

 1人大きく出遅れたが、その他のウマ娘たちはまとまったスタートを切っていた。

 

 キタサンブラックはスタートも良く、5番手から6番手あたりの内ラチ沿いに位置取りレースを進めていた。

 ポジション取りとしては悪くない。1勝クラスからセントライト記念までは大体2番手でレースを進めていたことに比べれば後ろだが、菊花賞は3000mの長丁場だ。位置に拘り過ぎても良くない。

 

 ウマ娘たちは正面スタンド前へとやってきた。外枠の2人が先頭を走り、その後は縦長の隊列が続いていた。ポジション争いは落ち着いているようだった。

 

『最初の1000mは1分ちょうどぐらいで行きました。ほんのりと菊薫るゴール前を通過して、各ウマ娘力がみなぎります18人──』

 

 ウマ娘たちは落ち着いた流れで2コーナーから向こう正面に入っていった。

 そこで中団にいたウマ娘たちの何人かがポジションを上げて先団に取りついていった。第1、2コーナーで緩くなった流れを見越してのことだろう。

 

『リアファル、1番人気の重圧をどう跳ね返すか──そして外から行った行ったアルバートドック! そしてミュゼエイリアンも上がって先頭に立つ! 先団のあたりは出入りが激しくなりました!』

 

 それに呼応するかのように、他のウマ娘たちもこぞって前へと上がっていく。一気に流れが激しくなっていく。

 

 キタサンブラックはというと、追い抜いてくるウマ娘は追わず、位置を下げることも厭わず、内ラチ沿いでじっと我慢していた。

 それでも第3コーナーへ近づくにつれて、ポジションを前へと押し上げ始めた。

 

『目まぐるしく順位が入れ替わります! 坂の下りに入って800を切りました!』

 

 3コーナーに入った頃には先団にウマ娘が殺到するかのようにひしめき合っていた。

 後方に置いて行かれている数人のウマ娘を置いて、坂を下りながらほぼ一塊になって第4コーナーから最後の直線へと入っていった。

 

 キタサンブラックは冷静に最内で構えていた。他のウマ娘たちに釣られて掛かることもなく、あくまで自分のペースを貫いていた。

 道中のロスなんてない、完璧な立ち回りだった。

 

 あとは前をこじ開けるだけだった。

 

「行け……行けっ! 頑張れキタサン!」

 

 テレビの先に映る彼女に向かって無意識的に声が出た。痛くなるほど拳を強く握っていた。

 

『第4コーナーから直線に入りました! 菊へと迫る最後の直線です! ミュゼエイリアンが先頭だ! そして──』

 

 

 

 キタサンブラックが猛烈な勢いで内から抜け出しにかかっていた。

 

 

 

『内からキタサンブラック! 最内からキタサンブラック、キタサンブラックだ!』

 

 空いた最内を突こうとしたキタサンブラックだったが、先頭を走っていたミュゼエイリアンが最内に寄り、進路が防がれる格好になった。

 

「まだだ! まだ行ける! 外に──」

 

 残り200m。

 俺の声が聞こえたかのように、キタサンブラックは外に進路を取り、前を走るミュゼエイリアンとそれを捉えにかかるリアファルの間をこじ開けて抜け出していく。

 

『狭いところからキタサンブラックが追ってきた! キタサンブラックが先頭! そして……真ん中からリアルスティールだ!』

 

 内から先頭に躍り出たキタサンブラックを捉えようと、バ場の真ん中からリアルスティールがトップスピードに乗って襲い掛かってきた。リアファルも粘ってはいるが、勢いが減衰している。

 

 最後の一冠はキタサンブラックとリアルスティール、この2人に絞られた。

 

 

 

 スプリングステークスで1着と2着。

 皐月賞で3着と2着。

 ダービーで14着と4着。

 

 

 

 幾度となく鎬を削ってきたライバル。

 最後の一冠をかけたこのクラシック最後の大舞台。

 そして、ドゥラメンテと約束した2人。

 

 ──決着をつける時がきた。

 

『内からキタサンブラック! 真ん中からリアルスティール!』

 

 残り50mを切って1バ身リードしたキタサンブラックを猛然と追い詰めるリアルスティール。

 

「キタサンっ、頑張れ!」

 

 

 歯を食いしばって、追撃を振り払おうと必死に走っているキタサンブラック。

 

 懸命に追い込んで差し切ろうとしているリアルスティール。

 

 

 勝負の行方は────

 

 

 

『内からキタサンブラックだ!! 祭りだ! 淀はキタサン祭りだ!』

 

 

 

「行け──!」

 

 

 ────猛追するリアルスティールを、キタサンブラックがクビ差凌ぎ切った。

 

 

『キタサンブラックだ!!! キタサンブラック1着!!! キタサンブラック、初のGⅠ制覇です!』

 

 

 クラシック最後の一冠、勝ったのはキタサンブラックだった。

 

「やった……? やった……!」

 

 テレビの向こうでは、走りを緩め自身が勝ったことを認識したキタサンブラックが満開の花のような笑顔を見せていた。

 

 

 ──その笑顔は、すぐに滲んで見えなくなった。

 

 

「──え?」

 

 

 テレビがおかしくなったのかと思った。

 

 

 違った。

 

 

 目から涙が流れて出ていた。

 視界が涙で滲んで、テレビの画面がよく見えなかった。

 

「んだよ……クソ……っ」

 

 

 涙を何度も何度も拭っても、次から次へと溢れてくる。前が見えない。

 

 遅れて、嗚咽がやって来た。

 

 勝ったキタサンブラックの姿を見たいのに。

 

 

「……っ……」

 

 

 そしてこの一瞬で、様々な思いが胸に去来した。

 距離適性を間違えていただとか、なのにあんな非道いことを言ったりしてしまっただとか、結局何もかも俺は足りなかったのだとか、再び後悔の念が襲ってきた。

 

 

 ──でも、それよりも。

 

 

「っ……っ……っ……」

 

 

 

 

 

 ──キタサンブラックがGⅠを勝ててよかったと。夢が叶ってよかったと。努力が報われてよかったと。嬉しい気持ちがただただ胸を満たしていた。

 

 

 

 

 

「……っ……よかった……よかったなあ、キタサン……!」

 

 

 

 

 

 テレビから聞こえる音声は、大歓声の中キタサンブラックが笑顔を振りまきながらウイニングランをしていることを伝えていた。

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