「グラスワンダーは強いッスね~。まさに怪物ッス!」
「能力が頭1つ抜けてるな。レースセンスもあるし。本当に今月メイクデビューしたウマ娘か?」
帰っていくウマ娘やトレーナーが横を通り過ぎていく中、俺は観客席でマコと模擬レースの振り返りをしていた。
「儂は帰る。マコ、帰ったら儂のパソコンにレースの動画入れとけぃ」
「了解ッスよ、伯父さん」
郷田が席を立って去っていった。
俺とマコはレースの分析を始めた。
「で、坂川さん、今のレースはどんなレースだったんッスか?」
「セイウンスカイが作ったハイペースのレースだ。ついていったウマ娘は潰れて、ペースを読んだウマ娘が勝った。簡単に纏めるとこんなもんだな」
自分のストップウォッチで記録したラップタイムを書き起こしたメモ帳に目を落とす。
「にしてもこのラップは異常だな。ほれ見てみろ、800mから1200mまでの2ハロンのタイム」
メモ帳をマコに見せた。
「どっちも11秒台前半!? これじゃスプリントじゃないッスか」
「序盤からハイペースで飛ばして4角辺りからこれだからな。これで走ればそりゃバテて最下位に落ちるわ」
このレースではセイウンスカイは正気の沙汰とは思えないラップを刻んだ。それはなぜか。
「セイウンスカイも舞い上がったんじゃないッスか? そうじゃないとこんな走り方しないッスよ」
「……言ったろ。セイウンスカイのトレーナーは横水だ。十中八九アイツの指示が入ってる。だからマコ、セイウンスカイを記録するなら今のレースは参考外にしとけ。全く参考にならん」
「了解ッス! えーっと“ハイペースで殺人ラップを刻むも横水トレーナーの指示の可能性大。当レースは参考外”……っと」
マコがファイルの書類にボールペンを走らせる。
「でも、この時期にこのラップを刻めることは能力の証明になる。前半ハイペースでラップを刻んだのもアイツの指示なら、セイウンスカイは相当強いウマ娘だ」
「“ただしラップを刻み実行する能力とその走り自体は評価すべきか? 坂川『相当強いウマ娘かも』”……っと、こんなもんッスかね」
セイウンスカイの記録を取り終わったようだ。マコは毎回レースがあったら結果だけでなくレースの中身をこのように記録している。その勤勉な態度は殊勝で良い事だが、俺が居合わせた場合その内容は俺に任せっきりなる。
まあ、頼られているようで悪い気はしないのだが。
「他のウマ娘はどうッスか?」
「グラスワンダーとスペシャルウィークは実力的に順当だろ。さっきも言ったが意外とレースセンスが良いってとこだな。セイウンスカイに釣られず直線までよく我慢していた。他に気になったウマ娘は……逆に我慢できなかったキングヘイローかねえ」
「キングヘイローッスか! 直線でセイウンスカイを捉えて勝つかと一瞬思ったッスけど、最後は足が上がってたッスね」
「あいつは1着2着の2人と違って全くペース読めてなかったな。バ群の中での走り方とか色々あるが、2人と比べたら完全に実力不足だ。何もかも足りねえ」
「えらく辛口ッスねえ」
「本当の事だからな。それにあのグッバイヘイローの娘だし。俺、グッバイヘイローのファンだったし」
「え、そうなんスか? 坂川さんが海外のレース好きなのは知ってたッスけど」
「ガキの頃にアメリカのレースに夢中になってなあ、そん時に活躍してたウマ娘なんだよ」
「好きなウマ娘の子だから厳しい評価になると。……“坂川、愛するウマ娘の子には厳しい。親気取りか? ”」
パラパラとファイルを捲って最後の方にあるページを開いてボールペンを走らせるマコ。
……聞き捨てならない台詞が聞こえた気がする。
「おい! 何書いてんだコラ」
「坂川健幸の個人ファイルッス」
「お前そんなの作ってんのか!? キモいわお前、早く破棄しろ!」
そんなおぞましいモノをマコが作っていたことに戦慄を覚える。一体何が書いてあるのだろうか。
「破棄しませんッス! あと、レディに向かってキモいは酷いッス!」
「キモいっつったのはその坂川健幸個人ファイル作成についてだっつうの! その書類渡せ!」
「嫌ッスゥゥッ!」
ファイルを取り上げて破り捨ててやろうと思ったが、マコの巧みなガードを突破することができなかった。
◇
レースの振り返りはこんなもんだろう。マコと引き上げる準備をする。
「マコ、その動画明日でいいから俺にもくれよ」
「了解ッス。じゃあ明日持っていくッスね。お疲れ様ッス」
「お疲れさん」
マコとは観客席を出たところで別れた。仲良くしているジュニア級のウマ娘のところに情報収集に行ってくるらしい。
俺はやることがないのでトレーナー室に帰ろうとしたのだが──
「……混み過ぎだろ」
コースの外から校舎にかけて、模擬レースを見に来ていたウマ娘やトレーナーでごった返していた。
さっきのレースを話題にしているウマ娘やトレーナーもいれば、レースを見た流れで雑談に興じている奴らもいる。他にも、それに乗じて未契約のウマ娘を狙ってスカウト活動をしているトレーナーもいる。
選抜レース後はこのようにカオスになることが多いが、模擬レースでこんなことになるとは。つくづく注目度の高いレースだったのだろう。
「遠回りするか」
人混みは好きではないので、模擬レースが行われたトレーニングコースから少し離れたところにある障害用トレーニングコースの周りを経由して帰ることを選択した。
狙い通りこちらの道は空いていた。たまに障害ウマ娘と会うくらいで、ほとんど誰も見かけなかった。
「そりゃそうか。レースもあったし、わざわざこんな道通らねえもんな」
そう独り言ちながら校舎のある敷地に入っていく。そこで、気になるものを見つけた。
「……ん?」
障害用トレーニングコースから校舎の敷地に少し入ったところにある小さな水洗い場に1人のウマ娘の姿があった。大きな水洗い場が障害用トレーニングコース寄りに設置してあるので障害ウマ娘の多くはそっちを使うのだが……
「あのメンコ……!」
耳から外した青い2つのメンコが洗い場の上に置かれている。そしてその横には耳飾りと思われる緑のリボンもあった。
どちらも既視感がある。先程まで見ていたものだ。
「キングヘイロー……か」
キングヘイローは頭から水を被ったのか、鹿毛の髪が艶やかに濡れていた。タオルを首にかけ、水洗い場の壁に両手をついて俯いていた。
「どうすっかな……」
敷地に入るには水場の近くを通らないといけないのでおそらく気付かれる。独りになりたいがためにこの水洗い場を選んでいるのだろうから、そこに行くのもデリカシーのある1人の大人としてどうかと思うところである。
引き返そうか……などと考えていたところで、キングヘイローが顔をあげて振り向いた。目が合うのは自然のことだった。
「あなたは……確か、坂川トレーナー」
「キングヘイローだったな。お疲れさん」
気付かれたものは仕方がない。独りにしてやるためスルーして通り過ぎようとしたが────キングヘイローが声をかけてきた。
「っ……おーっほっほっほ! 一流のウマ娘はどこにいようとも人を引き寄せてしまうのね! おーっほっほっほ!」
濡れてベタっとした髪と、泥を落とすために濡らしたであろう四肢。疲労もあるだろうし見た目はボロボロだ。尻尾は滑らかに動いているが、耳は垂れてしまっている。
どうして、そこまでするのだろうか──そんな疑問を訊くのは野暮だ。しかし、せっかくここで出会ったのだからレースの話をしたくなった。
「今日の模擬レース見てたぞ」
「そう!? 一流の走りは次のレースでお見せするわ! キングの本当の実力はもっともーっと凄いのだから! おーっほっほっほ!」
高笑いをするキングヘイロー。
正直、痛々しくて見ていられない。マコの話によるとこれをずっと続けているらしいから驚きだ。
「本当の実力、ねえ」
俺はキングヘイローには聞こえないようにボソッと呟いた。
「何か言った坂川トレーナー? この一流ウマ娘であるキングとの出会いに感動して声もでないのかしら? 今ならあなたにキングへ自らを売り込む権利をあげるわ! おーっほっほっほ!」
「……?」
キングヘイローの高笑いが続いている。
こいつは俺がスカウトのために探しに来たと思っているのか? だがそれはあり得ない。彼女が弱小トレーナーである俺の担当ウマ娘になることはないだろう。
だから、偶然出会ったこの瞬間が俺とキングヘイローが直接話す人生最後のチャンスかもしれない。
どんな話をするか逡巡したが俺の考えていることを話そうと、そう思った。
「殺人ラップのハイペースについていって自滅することが一流のウマ娘のやることなのか?」
「──え」
キングヘイローの作られていた仮面が剥がれかけていた。痛々しい笑顔を作るために閉じられていた瞼が開き、彼女の瞳が現れる。
その瞳は驚きで揺れていた。
「これ、やるよ。今日のレースのラップだ」
模擬レースのラップタイムが記されたメモ帳を破いてキングヘイローの足元に放る。彼女はそれに目を落とした。800mから1200mの2ハロンのタイムには万年筆で何重にも丸を付けて強調してあるから、嫌でもそこに目が行くはずだ。
「丸で囲んだところが800から1200の2ハロンのラップだ。セイウンスカイはおそらくそこで意図的に暴走した。お前はついていって自滅した。グラスワンダーはペースを読んで追い出しを待って勝ちに持っていった」
「……あなたは一体何が言いたいの?」
キングヘイローの仮面は完全に剥がれ落ちた。貼り付けた痛々しい笑顔から不信感と不快感の混ざりあった表情に変わり、それが俺に向けられていた。
「俺は今日のレースの回顧をしているだけだ。せっかくそのレースを走った1人に会ったんだから、ただ喋りたくなった」
「あなたは、私をスカウトしに来たのではないの……!?」
「ああ? 違えよ。そもそも、お前が俺のスカウトを受けるわけないだろ?」
キングヘイローの表情に疑問の色が混じる。
コイツ、顔に出やすいな……それとも弱ってるからか?
「お前が一流のトレーナーを求めているってことはトレーナーの間に知れ渡ってる。あなたは私のトレーナーに相応しくないって言って、多くのトレーナーの誘いを断っていることもな。そこにあるスマホで“坂川健幸”について調べてみろ。俺の言っている意味が分かる」
「……」
キングヘイローはメンコの横に置いてあったスマホを手に取り画面をタップし始めた。しばらくして指が止まり、画面を睨むように見つめていた。
「坂川健幸……トレーナー歴10年……GⅠ勝利数0……GⅡ勝利数0……GⅢ勝利数0……!」
「俺の言ってることが分かっただろ? トレーナー10年やって重賞勝利0。一流どころか、二流、三流ですらない。弱小、底辺……そう呼ばれるのが相応しいトレーナーだからな」
トレーナーのヒエラルキーの階層で言えば間違いなく最底辺に位置するトレーナー、それが坂川健幸だ。
「……ええ、そう。あなたは私とは縁のない人みたいね。それで、あなたは何が言いたいの? 口だけで一流じゃないって? 他のウマ娘やこれまでのトレーナーみたいに私に現実を知れって言いたいの?
「……」
キングヘイローからはっきりと敵意が感じられた。だが、その敵意は俺だけに向けられたものではないように感じる。
俺以外に……他のウマ娘、これまでのトレーナー、それとあの人、か。
「私は何を言われたって一流と言い続けるわ!
喋り終えて一つ息をついたキングヘイローと再び目線が合う。睨みつけるキングヘイローと、それを観察するように見る俺。
そのキングヘイローを見ていて瞬間的に心がざわついたように感じたが、すぐにどこかに消えてしまった。
「絶対に、認めさせてやるんだから……!」
キングヘイローはそう言って、潤んだ瞳で相変わらず俺を睨みつけてくる。
よくもまあ、そこまで真っすぐに相手を睨みつけられるものだと感心していると、自然と1人のウマ娘の姿を思い出してしまった。
(こいつ、やっぱり……)
思い出してしまったことによってつい笑ってしまいそうに……いや、もう我慢できなかった。
「……くっ」
そうか、これがキングヘイローか。
「くっくっく……」
「……? あなた、本当に
この負けん気の強そうな表情。
諦めてなるものか、負けてなるものかという不屈の姿勢。
そして、現実に打ちのめされたこの現状。
そっくりじゃないか。幼い頃画面の向こうに映っていた、シニア級の
「はっはっは! ……いや、スマン思い出し笑いしてしまった」
「思い出し笑い!? あなた、どこまで無礼な人なの……!」
「いやースマンスマン。邪魔して悪かったな。じゃあな、キングヘイロー。いいトレーナーが見つかるといいな。そのラップ書いた紙、やるよ」
キングヘイローは先程の模擬レースで惨敗したとはいえ今月の選抜レースでは3着だ。気性が問題視されているとしても、能力と血統から放っておかない中堅以上のトレーナーは必ず現れるだろう。本人もどこかで落としどころを見つけられるはずだ。
話を終え、キングヘイローの前を通りすぎようとした。
「はあ!? あなたは一体何がしたかったのよ!?」
「だから、レースの回顧をしただけって言っただろ? トレーナーの話になったから俺のことを絡めて適当に話しただけだっての」
「意味が分からないわ! 結局、他のトレーナーみたいに私を貶しただけじゃない!」
「……む」
そこまで言われたら俺も流石に思うところがある。最後にトレーナーらしいことをしてやるか。
「──中団バ群で控えているときと抜け出す時のフォームが明らかに違う。バ群にいるときは全身に力が入りすぎた。あれじゃ必要以上に消耗する。克服するなら競られるトレーニングしてフォーム自体を修正するか、バ群から距離を取る戦法を試せ。これは最優先に取り組め」
「はあ?」
「ペースを読めないなら体内時計を意識したトレーニングをしろ。訓練方法は教本にもたくさん載ってるし、自分に合う方法を選んだらいい。ストップウォッチを使うにしても色々なやり方がある。トレーナーが決まったら素直に相談するのが吉だな」
「いきなり何を──」
「東京レース場で4コーナーの手前から仕掛けるのは愚策だからやめとけ。レース場ごとに形状や起伏があるから、デビュー前に頭に叩き込んでイメトレしとけ。過去のレースを見ても勉強になる。自分と似た性質のウマ娘を探せ」
「──なんで、そんなこと」
「1つ、褒めといてやるよ。4コーナーでセイウンスカイを捕まえようとスパート掛けた時の脚は良かったぞ。位置取りを下げておいて、もう少し我慢すればどうにかなってたかもな。グラスワンダーとスペシャルウィークに勝てたかは分からんが」
「あなた、変よ……」
アドバイスしてやってるのに失礼な奴だ、と喉まで出てきていたが、それより面白いセリフを思いついた。
「最後に」
「……なに?」
ちょっとからかってやろう。
「首は下げないとかカッコいいこと言ってたが、レースの時は首を下げろアホ。最初から頭が高すぎるんだよ。そうだな……毎日土下座でもすればいいんじゃねえか? 頭が上手い事下がるようになるかもなー」
「あ、あほ!? ど、土下座って……! 品性を疑うわ! やっぱりあなた、最っ低ね!」
「おう、最底辺のトレーナーだ。じゃあなキングヘイロー。最近、障害ウマ娘の連中が合同で夜錬してるから、さっさと済ませないとかち合うぞ」
「え!? いや、ちょっとあなた! 待ちなさい──」
──もう彼女と話す機会はないだろう。
水洗い場でぎゃーぎゃー言っているキングヘイローを背に、敷地の奥へ足を進めた。
チラッと振り返ると、そこに疲れ切ったような痛々しいキングヘイローの姿はなく、耳をピンと立て、引き上げる準備に悪戦苦闘しながら急いでいる元気な1人のウマ娘の姿があった。
◇
「全く、何なのよあのトレーナーは……」
タオルで水に濡れた部分を拭いたあと、足早に水洗い場から去ろうとするキングヘイロー。
水洗い場から20mもいかないところで、地面に落ちている黒く細長いものを見つけた。
「これは……?」
思わず落ちていたものを拾い上げる。長さは20cmほどで、細長く長方形をしている革製のケースのようだ。中に何か入っているのか、真ん中が細長く膨らんでいる。
ケースには何も書いておらず、モノが何かも分からないので、ケースの中から細長いものを取り出して見てみた。
「これ、万年筆よね?」
出てきたのは黒光りする万年筆だった。回しながら外観を眺めていると、蓋の部分に英字の筆記体で金色のネームが入れてあった。
「“K.Sakagawa”……って!」
サカガワ──坂川!
さっきの意味不明なトレーナーで間違いない。
「落としたってこと?」
万年筆を見るに安物ではなく、微細な傷が入りながらも綺麗に保たれていることが分かる。大事に使っているのだろう。
使い捨てボールペン程度なら届けずとも罪悪感はないが、おそらく本人が大切にしているであろう万年筆だ。これは坂川に返すべきだろう。だが、再び坂川と会うのに気が乗らないことも確かなのだ。
「届けた方がいいわよね。でも……」
万年筆を手にどうするか思案していると、複数の足音が校舎の方から聞こえてきた。坂川が言っていた、障害ウマ娘たちだろうか?
「~~っ、もうっ!」
こんな状態を他のウマ娘に見られるわけにはいかない。
キングヘイローは万年筆を手にしたまま、寮を目指して小走りに歩き始めた。