底辺キング   作:シェーク両面粒高

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追憶15 ひとつ

 トレーナー5年目の1月。つまり、2回目に配属された6人が全員退学してから数ヶ月後のこと。

 俺のトレーナー室には新しく振り分けられた5人がやって来ていた。……学内レースの成績も、これまでの11人と同じような成績だった。最下位しか経験していないウマ娘たちだ。

 

「俺が坂川健幸だ。今日からお前らのトレーナーになる。これからよろしく頼む」

 

 俺が挨拶したあと、新しく来た5人に自己紹介させた。

 自己紹介が終わると、その5人は不安そうな表情を見せた。

 

 ……だいたい何を言いたいのか予想はつく。

 

「疑問があるなら何でも言ってくれ」

「……トレーナーさん」

「なんだ?」

 

 代表するように口を開いたのは責任感の強そうな青鹿毛のロングヘアーをしたウマ娘だった。

 

「あなたのこのチームは、一人も未勝利戦を勝ち抜けていないと……誰一人1勝すらできていないというのは事実ですか? それどころか、あなたはトレーナーになってから誰も勝たせていないというのも事実でしょうか?」

 

 残りの4人はその言葉に同意するような反応を見せた。

 

 予想は当たった。

 このご時世、スマホを使えばトレーナーの成績なんて簡単に調べられる。坂川健幸が担当したウマ娘が誰一人として勝てていないのは事実だ。中央に戻ってから担当した11人もそうだし、キタサンブラックだって、担当のようなものだったとはいえ所属は元からアルファーグで清島のウマ娘だ。

 URAが管理する個人記録のデータベースには、俺が1勝もしていないと示してある。それをこの5人は見たのだろう。

 

「事実だ」

「……そうですか」

 

 その青鹿毛のウマ娘と他の4人は目を合わせアイコンタクトをしてから俺の方を向いた。

 

「失礼ながら言わせてもらいます。私たちは1勝もできないトレーナーのあなたを信用できません。先輩が言っていました……『あの坂川ってトレーナーのチームに入ったら終わりだよ。誰も勝てないから』って」

 

 そういう噂も広まるだろう。だって事実なのだから。

 

「私たち5人は……落ちこぼれです。でも、勝たせられないあなたに実力がないのも明白です。ここに来る前に5人で相談しまして、トレーニングのメニューや方法は私たちで決めることにしました。私たちはもっともっと頑張らないといけないんです。よろしいですか?」

 

 初めてのパターンだった。これまでトレーニングをサボる奴はいたが、こうも真っ向からお前には従わないと言われるのは初めてだった。

 ……当然かもしれない。1勝もできなかったという結果が現状を招いているのだ。

 

「…………」

 

 青鹿毛のウマ娘が言ったことを考える。

 はっきり言って自殺行為だ。入学して1年も経たない奴らだけでそれぞれに適切なメニューを考えられるわけがない。俺だって足りないのは承知しているが、こんな初心者たちに任せるよりはマシだろう。

 この中で誰か1人でもそんなメニューが考えられるなら、それこそ学内レースの各距離で最下位を独占している事実と合致しない。誰か1人ぐらいは上位に入れているだろう。

 

「1ヶ月だ」

「はい?」

「1ヶ月だけ俺に時間をくれ。もしそれで俺のトレーニングに納得できないなら……自分たちで好きにやってくれたらいい。どうだ?」

「……少し、待って下さい」

 

 5人は輪になって相談し始めた。

 

 

 しばらくしてから結論が出たようで、輪を解いて5人が俺と向き合った。

 

「いいでしょう。1ヶ月間だけ……1月末までなら」

「ありがとう。なら早速トレーニングに入るぞ。っとその前に。これをお前らに渡すから着けてくれ」

 

 俺は立ち上がってスマホを一回り小さくして厚くなった形のものを渡した。

 

「これは……?」

「スポーツ用のGPSトラッカー、通称デジタルブラだ。そこの収納ケースに入っているウェアの背中側にセンサーを入れて使う。走行距離や速度が分かるだけじゃなく慣性計測、つまり加速度計や角速度計やらのセンサーが付いてる。それをタブレットで管理して、お前たちの走行距離や速度をリアルタイムで計測したり、ビデオと合わせて走行フォームの解析や走るときの癖を見つけ出して修正するために使う。これからトレーニングをするときは絶対に着けてくれ」

 

 去年の途中から俺はこのGPSトラッカーを導入していた。データや数値で具体的に示せるものを突き詰めようとしてたどり着いたのが他の競技で使われているこれだった。去年はデータ解析に時間がかかり、その解釈もうまく導き出せなかった。でも、使い慣れてくるうちにウマ娘たちの修正点が明らかになって、より良い指導ができるようになった。去年のウマ娘たちは上位入線を果たせるようになり、掲示板に入れるまで順位を押し上げることができた。そう意味では効果はあったのだろう。

 

 

 ……しかし、いくら順位を押し上げることができても、俺は結局1人も勝たせることができなかった。2着や3着を何度とっても、未勝利戦では意味がないのだ。

 

 

 彼女たちは渡されたGPSトラッカーを不思議そうに眺めていた。

 

「あ、それと後から親の連絡先教えてくれ」

「? どうされるのですか?」

「1ヶ月に1回、トレーニングの内容や方針を親に報告するんだよ。気になるなら親に送った文書をお前らにも見せてやるよ」

 

 これは今年から始めることだ。

 去年の面談もそうだが、親からトレーニングメニューや内容について問いただされることが多かった。それならあらかじめ連絡しておこうと思ったのだ。親もメニューについて口出ししたいなら返信してくれるだろう。

 親が怒ったり悲しんだりしているのも見たくなかった。ウマ娘も親も、色んなことに納得してくれるならと思って始めることにした。

 

「よし、じゃあ部室まで行くか。着替えたらサブコースに集合な。ウェアのサイズは一通りそろえているが、サイズ合わなかったら言ってくれ」

 

 俺はウェアが入った衣装ケースを抱えて彼女らを先導して部室へ行った。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 それから3ヶ月経ち4月になって、いきなり本部棟に俺は呼び出されていた。

 待っていたのはあの糸目の男だった。中央に帰ってきて以来だったから会うのは3年ぶりだった。

 彼は書類から目を上げた。

 

「お久しぶりです。お元気ですか? 坂川くん」

「ええ」

「さて、今日呼び出した理由ですが、単刀直入に言いましょう。今年よりスカウト活動解禁です」

「……そうですか」

「ええ。また、頑張ってくださいね」

「……はい。失礼します」

「あ、坂川くん」

「まだ何か?」

「キミ、いい顔になりましたね」

「はあ……?」

 

 意味不明だった。何にも嬉しくなかった。

 

 部屋を出て、本部棟の廊下の窓ガラスに映る自分の顔を見た。キタサンブラックを担当していた数年前と比べると、倍以上の時が流れたかのように老けてくたびれていた。目も据わってるように見えた。とても20代前半だとは思えなかった。

 GPSトラッカーのセンサーの波形とビデオを使っての動作解析と修正点の考察や、適性を探るための推察、資料集め、トレーニングの理論の構築などで慢性的に寝不足であるのと不摂生の賜物だろう。見た目は完全に30代だ。

 

「どこがいい顔なんだよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 坂川が去ったあと、糸目の男は書類に目を戻した。その書類には坂川のチームのウマ娘の戦績が載っていた。

 URAで勤めるにあたって、糸目の男はトレーナー試験を合格できるレベルの知識を頭に叩き込んでいた。仕事の片手間にそれができるくらいには彼は優秀だった。

 だから、彼にはその戦績を見て思うところがあった。

 

「この短期間でここまで持ってくるとは……凄まじいな」

 

 その戦績を見て、彼は素直に感心していた。称賛と言ってもいいくらいだった。予想をはるかに超える好成績を残していたのだ。

 

 坂川も気づいているだろうが、彼のチームには学内レースで全く結果を残せなかった万年最下位のウマ娘ばかりを集めていた。以前丸顔の男に説明した通り、ほとぼりが冷めるまで大人しくしてもらうためだった。

 はっきり言って、そんなウマ娘たちなんてトゥインクルシリーズに出ても全く勝てない。掲示板なんて夢のような話だ。普通に最下位になるだけならまだ御の字で、タイムオーバー連発が当たり前だ。現に彼が担当した最初の5人はまさしくそうだった。

 それほど走りの才能の差とは残酷なものだ。勝ち上がれるウマ娘とそうでないウマ娘には断然たる差がある。

 

 しかし、2年目で彼はチームの何人も掲示板に乗せ、あまつさえ2着に入ったウマ娘も出した。

 彼のチームのウマ娘の成績で目を惹くのが距離や芝ダートなどの条件を変えて結果を残すということだ。何人か例を挙げるなら、学内レースでは芝のスプリントを走っていたがダートの中距離で3着に入ったウマ娘がいたり、デビューは東京2000mだったウマ娘がその後は右回りの1400mに絞って出走し掲示板を繰り返していたウマ娘がいた。

 当然のことながら、距離や芝やダートによって理論や適するトレーニング法は異なる。だから必然的にトレーナーも分野によって得手不得手があるのは自明のことだ。スプリント重賞を勝つウマ娘を多く送り出しているトレーナーもいれば、長距離を得意として菊花賞や天皇賞春に強いトレーナーだっている。それはトレーナー各々が経験を積んで確立された理論やトレーニング法を持っているからだろう。

 だが彼は違う。彼は中央に戻ってからまだ3年ほどしか経っていない。確かにGⅠなどの大舞台ではないが、条件を変えたウマ娘たちの成績が軒並み上がっている。適性を見つけ出しただけと言えばそうかもしれないが、成績を残すからには必ずそこに何かしらの思惑や考えがあってのこと。そして条件を変えるからにはそれに合ったトレーニングをこなさなければならない。先程挙げたスプリントからダート中距離へ変えたウマ娘なら、肉体的にも変えていかなければならないし、フォームはもちろんペース感覚だって全く異なる。それを彼が教え込んでいないと考える方が難しいだろう。

 

 実績のあるベテラントレーナーならまだ分かる。積み重ねたものがあるからだ。だか、彼はトレーナーになって数年しか経験がなく、新人に毛が生えた程度だ。

 加えて、彼に寄越したのはトレセン学園で最も才能がないと思われるウマ娘たちだ。

 

 それでこの成績……これを凄まじいと言わずになんと言うのか。驚異的な手腕だ。

 こんな芸当、今GⅠ戦線にいるトレーナーでもできるかどうか……いや、ほとんどのトレーナーができないのではないだろうか。GⅠを勝たせるのと未勝利を勝たせるのでは求められるものは違うが、それでもできるのは一握りのトレーナーぐらいだ。

 

 彼も()()()()()()()だったのかと……そんなことを思いながら今日彼と会った。

 しかし、それは思い違いだった。彼の顔を見た瞬間に分かった。彼を天才だと考えたことを失礼だとさえ思った。

 

「いい顔になったというのは、本音ですよ」

 

 

 

 あの顔は、心身を擦り減らして足掻いている人間の顔だ。

 

 

 

「でも哀しいかな、キミを褒めてくれる人なんていないだろう。未勝利戦で足掻いている底辺トレーナーなんて、誰も見向きなどしないのだから」

 

 糸目の男の目的は達成されていた。坂川は底辺を這いつくばっていた。メディアから彼の姿は完全に消えていた。学園でもあの事件は単なる諍いのひとつとして鎮火した。

 だからスカウト活動を解禁したのだ。

 

「そこまで出来るのに、なぜドーピングなんてしたのだか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、いや」

 

 糸目の男の呟きは続いた。さっきの独り言に訂正すべき箇所があったからだ。

 

「『誰も』ではなかったな。少なくとも()()だけは──」

 

 彼は一人のウマ娘を思い浮かべていた。

 

「……キミが彼を想う理由、少し分かった気がしますよ」

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 自分たちでメニューを考えると言っていたウマ娘たちだが、1ヶ月間俺が指導すると、彼女たちは俺を認めてくれた。2月以降も俺の指導の下でトレーニングを続けていた。GPSトラッカーやビデオのデータを生かした理論的なトレーニングをしたり、各トレーニングの意義や目的を詳しく説明したり、彼女たちの希望や疑問、不安も聞いてあげて、できるだけ寄り添ったメニューを作ったのも良かったのかもしれない。

 彼女らを勝たせるために、未勝利戦では分析した根拠のもと条件をよく変えた。距離はもちろん、芝かダート、レース場など、合うと思われる適性を必死に探した。……俺がキタサンブラックで誤った経験もあったのだろう。

 トレーニングも適性探しも概ね上手くいっていた。5人全員掲示板にだって入れることができた。

 

 ……だが、そこまでだった。すでに4人、最後の未勝利戦を敗北で終えていた。

 

 

 残る1人は責任感の強い青鹿毛のウマ娘だった。

 今日は最後となる8月末の未勝利戦。負ければ退学のレースが始まろうとしていた。もうすぐパドックに呼ばれることだろう。

 

 俺は彼女がいる控室に飛び込んでいった。

 彼女は緊張と不安で押しつぶされそうな表情をしていた。当たり前だ。負ければ全てが終わりなのだから。

 

「トレーナーさん……いきなり出ていかれたと思ったら、どこに……?」

「はあ、はあ……レースと芝の状態を見に行ってたんだ。いいかよく聞け。作戦を変えるぞ」

「え?」

「開催日数が進んで内側の芝が荒れてる話は頭に入ってるな?」

「はい。だから4コーナーで荒れてない外へスムーズに出せるように前目につけろってことですよね。あと、コーナーではチャンスがあれば一番人気の娘の外側を走って蓋をするのと、二番人気の娘は外へ寄れる癖があるから直線で注意しろって……」

「それは全部忘れてくれ。時間がねえから今から言うこと頭に入れろよ。作戦は逃げだ。その荒れた内側をロスなく回していけ」

「へっ!? ど、どういうことですか!?」

 

 ポイントは内側のバ場状態。内側は開催日数が進んで芝が荒れていること。加えて、今日の未明まで雨が降り続いていた影響で重バ場になっていたことだ。

 

「確かに内側の芝は荒れている。でも、ここのレース場は内側から芝が乾く傾向があるんだ。それを確かめに今レースを見に行ってた。今さっき行われたレースで6着に負けはしていたが、最内の荒れたバ場を通ったその6着のウマ娘が最後一番伸びていた」

「! と言うことは……!」

「ああ。荒れてるがおそらく内側のバ場は乾いてきている。良バ場の方が得意なお前にとって、芝の状態が良い外の重バ場を走るより内を走った方がいい。逃げるのはその最内を誰にも取らせないためだ。幸いお前は1枠1番の絶好枠、スタートさえ失敗しなければ大丈夫だ」

「分かりました……でも、私本番で逃げた事なんて……」

「お前は体内時計がしっかりしてる。練習では何度もやってるんだ心配ない。それに、今まで逃げたことのないお前が逃げて最内を通ることで他のウマ娘は後手を踏むはずだ。だから──」

 

 そこで控室のスピーカーからパドックに向かうようにとの放送があった。

 

「トレーナーさん、私っ……」

「逃げで最内を回すんだ! お前ならできる! ……俺を信じてくれ! 頼む……!」

「……」

 

 彼女はこくんと頷いて、緊張した面持ちで控室を出ていった。

 

「……頑張れ」

 

 

 

 

 

 

 パドックでのお披露目を終えた彼女を地下バ道で迎え、ペースなどの確認をしてから送り出した。

 急いで観客席に戻ると、ゲートインが始まっている所だった。

 

 そしてあっという間にスタートした。

 

 

 青鹿毛の彼女は俺の指示通りハナに立った。しかし──

 

「っ! クソ……」

 

 競りかけてくるウマ娘がいた。そのウマ娘はペースが速くなることも厭わず、強引にハナを奪おうとしていた。

 そこで初めて、俺は競りかけてくるウマ娘がいた時の対応を指示しなかったことに気づいた。ハイペースになりそうなら付き合わず譲れと言っておくべきった。

 後悔しても遅い……と考えた瞬間だった。

 

「! あ……」

 

 まるで俺の心の声が聞こえたかのように、青鹿毛の彼女はその暴走するウマ娘にハナを譲った。

 

 そしてレースは最後の直線に入ってきた。

 彼女は暴走して力尽きたウマ娘を交わして早々に先頭に立った。もちろん最内の荒れたバ場の上を走っている。

 対して他のウマ娘は外を回していた。

 

「行け……頑張れ……頼む……!」

 

 彼女たちが目の前にやって来た。先頭を走っている彼女を捉えようと、後ろから死に物狂いで追い込んでくる。

 これは1着以外全員が退学になるレースだ。彼女たちみんなが今までのレース人生をかけて挑んでいる。

 

 俺はただ、祈ることしかできなかった。

 

 そしてその青鹿毛のウマ娘は──

 

「……は!?」

 

 ──後続を突き放していった。

 

 後方のウマ娘たちと全く脚色が違う。1バ身ぐらいまで接近してきたウマ娘たちとの差を逆に2バ身、3バ身と広げていく。

 

 ゴールは目前だった。

 

「────」

 

 青鹿毛のウマ娘が1着でゴール板を過ぎるのを見て、俺は言葉を失っていた。

 何が起こったのか分からず、呆然としていた。

 

 そして気づけば、瞳を潤ませながら笑顔の青鹿毛のウマ娘が俺の目の前に立っていた。まだ息も絶え絶えで、汗にまみれ顔も上気していた。

 

 

「トレーナーさんっ! 私っ、やりましたあっ!!!」

 

 

 彼女は汗と喜びの涙を散らしながら両の拳を握っていた。

 

 

 

 

 

 小手先の作戦だったかもしれない。

 でも、何年もずっと必死に頑張ってきて、数えきれないほど悔しい思いを経験して、足掻きに足掻いて、それでやっとひとつ勝たせることができた。

 

 

 GⅠでも重賞でもない、トゥインクルシリーズにおいて最低ランクの格であろう未勝利戦での、ただの1勝。

 

 

 その1勝が、担当ウマ娘を勝たせることが、担当ウマ娘が笑顔を向けてくれることが、こんなにも……こんなにも、心の底から嬉しかったのだ。

 

 

 

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