青鹿毛のウマ娘は未勝利戦を勝ってから連勝を飾って一気にオープンクラスまで駆け上がり、シニア級ではリステッド競走も勝った。未勝利戦で停滞していたのが嘘のような活躍だった。
うまくいくときはこうも順調に行くのかと多少驚いたのを覚えている。
シニア級2年の3月……つまり高等部3年でのトレセン学園卒業を選び、大学進学すると決めた彼女は夏場に行われたGⅢに引退レースとして出走した。最初で最後、初めての重賞だった。
結果は15人中12番人気で8着……掲示板には入れなかったが、レースを走り切った彼女は晴れ晴れとした表情をしていた。
今日は3月。その青鹿毛のウマ娘の卒業式だった。
桜の花びらが舞い散る中庭の一角にて、卒業式を終え卒業証書を携えた彼女が俺の目の前にいた。
初めて自分のウマ娘をここまで持ってこられたことを思うと、俺自身も感慨深いものがあった。
「うわああああん! 先輩、マジで卒業しちゃうんですかあ~~……ううっ……」
「なに泣いてるの、もう。前から分かってたでしょ」
「あっという間でした……今までありがとうございました」
「うん、こっちこそありがとね。楽しかったよ!」
青鹿毛のウマ娘は一つ下のシニア級1年の後輩ウマ娘2人と最後の別れを交わしていた。この2人は未勝利戦を勝ち上がった俺のチームのウマ娘だ。
それを少し遠巻きに見ているのが二つ下のクラシック級のウマ娘3人。今年1月の振り分けでやって来たウマ娘だ。青鹿毛のウマ娘は引退レース後も受験勉強の気分転換を兼ねて月に数回トレーニングに顔を出していたとはいえ、彼女の引退後にチームに入ってきた3人はどう言葉をかけたらいいか分からないといった様子だった。
「卒業おめでとう。大学でも頑張れよ」
「トレーナーさん……」
声をかけると、こちらを向いた彼女と目が合った。
「……あっち、行くよ」
「えっ!? なんでなんで!? もっと先輩といたい──」
「空気を読みなさいバカ! ほーら!」
後輩2人は彼女から離れてクラシック級の3人の元へ行った。
「トレーナーさん、あの……」
「ん? なんだよ」
「……ごめんなさい!!」
「はあ!? なんだいきなり!?」
彼女は大きく頭を下げて謝ってきた。
「……最初に会ったときのこと、覚えてますか?」
「は? ああ、そりゃあな」
「あの時、トレーナーさんに失礼なことを……本当にごめんなさい! ずっと謝りたかったんです」
「失礼だあ?」
彼女によると、初対面時に『私たちは1勝もできないトレーナーのあなたを信用できません』だとか『勝たせられないあなたに実力がないのも明白です』だとか言ったことを謝りたかったらしい。
「そんなの気にしてたのか? 配属されたチームのトレーナーが1勝もできてなかったら誰だって不安になる。別に俺は何も気にしてねえぞ。それにお前らは結局俺の指導に従ってくれたしな」
「それでもです! トレーナーさんのこと何も知らずに……みんなに合った的確なメニューの作成もそうですし、あんなに私たちのことを考えてトレーニングしてくれる人だったのに……ごめんなさい!」
「気にしてねえって言っただろうが……ったく、クソ真面目なとこは最初から全然変わんねえな」
彼女に頭を上げさせた。心底申し訳なさそうな顔をしていてるので、なんだかこっちが居たたまれなくなってきた。
「1勝もしていなかったのも、俺に実力がなかったのも本当のことだ。現に、お前以外の同期4人は退学にしちまったからな」
「でもっ、4人ともみんな惜しかったです。配属される前、私たち5人はみんな超のつく落ちこぼれでした。そんな私たちを惜しいところまで……私に至ってはリステッド競走を勝てるまで育てていただいて」
「……いいか。自分自身をそう簡単に過小評価するな。ウマ娘の
「私はそうは思いませんっ! トレーナーさんじゃなかったら私は未勝利も勝てなかったと思いますっ!」
「……そうかい」
そこまで言われるなら素直にその言葉を受け取っておこう。……正直、そう言われて嬉しかったのが本音だ。
「……お前が俺に最初の1勝をくれたんだ。リステッド勝ちもな。ありがとうな。お前の力になれたなら、良かったよ」
「はいっ! 私、トレーナーさんのウマ娘で良かったですっ!」
ストレートな表現に、柄にもなく鼻の奥がツンとする。
こんな風にウマ娘が信頼して付いてきてくれたことこそ、トレーナーとして幸せなことなんだと思う。
本当のことを言うなら、俺に最初の1勝をくれたのはキタサンブラックかもしれない。でも、この青鹿毛のウマ娘も間違いなくトレーナー坂川健幸に最初の1勝をくれたウマ娘だ。
「先輩とトレーナーさん! 記念写真撮りましょうよう! ほらほら、こっち来て!」
さっきまで青鹿毛のウマ娘に泣きついていた後輩ウマ娘がそう言って手招きしていた。桜の木の下に俺のチームのウマ娘たちが集まっていた。
「はいはい、分かった」
俺は後輩たちの元へ歩き出した。主役である青鹿毛のウマ娘も俺の後に──
「ん? どうした? 早く来いよ」
──続いていなかった。彼女はその場に立ち止まったまま俺を見ていた。さっきまでの表情と違う……どこか、儚げな表情をしていた。
「……今行きます!」
明るい表情に戻った彼女は早足でこちらにやって来た。
一歩遅れてやって来た主役を中心に据えて桜の木の下で記念写真を撮った。
こうして、青鹿毛のウマ娘の中央での学園生活は幕を下ろした。
◇
──記念写真を撮ろうと、後輩に呼ばれて歩き出した坂川の背中に向かって、青鹿毛のウマ娘は口を開いた。
「いつか、トレーナーさんが凄いトレーナーだってこと、証明してくれるウマ娘が現れたらいいですね。……私には無理だったから」
その呟きは誰の耳にも届くことなく、春風に乗せられ消えていった。
◇
多くの出会いと別れを繰り返し、俺のトレーナー人生は続いていった。
スカウト活動は解禁されたが、あまりうまく行かなかった。俺のチームに入ると勝てないとは言われなくなったものの、結果が芳しくないのは変わりなかったし、加えて俺はあまり口が上手くなかったからだろう。スカウトするからって嘘や過大な期待を抱かせるようなことも言わないこともある。もっと容姿が良くて、彼女らの興味を惹くようなトークでもできれば違ったのかもしれないが。
スカウトで入ってくるのは年に1人いれば良い方で、多くは1月の自動振り分けで配属されるウマ娘だ。そのウマ娘もこれまでと同じように学内レースで最下位だった奴が多い。
未だに俺は入ってきたウマ娘全員を勝たせることはできてない。でも、その年に入ってきた世代のウマ娘のうち1人以上は勝たせられるようにはなった。進歩といえば進歩したと思う。でもまだまだ全然足りないのだ。
トレーナーのヒエラルキーがあれば、俺は最底辺に位置にしているトレーナーだろう。
そんなトレーナー人生を送る俺に対し、あの2人は華々しい活躍をしていた。
『チームシリウスの天崎チーフトレーナーです! 今年は既にGⅠ4勝! その活躍の秘訣は──』
『一方、こちらも先週のGⅠを制された横水チーフトレーナーです! 少数精鋭ながら、所属ウマ娘たちの成績は輝かしく──』
担当ウマ娘たちが重賞やGⅠを勝ちまくり、メディアによく露出している2人を見て思うことがある。
俺も未熟でなければ、間違わなければ、ああなっていたのだろうかと。
俺がアルファーグに残った世界線があったら……ドーピングなんてすることなく、キタサンブラックを無事勝たせられた世界線があったのなら、俺もGⅠ戦線で今頃活躍していたのだろうか。
でも、もしそうだったら、こうなる前の俺と同じように未勝利戦で必死に頑張っているウマ娘たちがいることなんて
しかし、分からないのが悪いことなのかとも思う。
GⅠ戦線にいるから上等なのか? 未勝利戦で足掻いているから下等なのか?
未勝利戦で勝てず泣いているウマ娘たちがいる現実を知っているから上等なのか? GⅠ戦線の華やかでキラキラした夢の舞台しか知らないから下等なのか?
違う。
どっちが上等で、どっちが下等かなんて話ではない。比較すること自体が間違っている。
立ち位置や場所が違えど、それぞれが選んだり与えられた場所で戦っているのだ。そこに優劣は無いし、貴賤も無いと俺は思う。
悩みだって一緒だ。その立ち位置や場所での悩みがそれぞれある。……俺で言うなら、昔はキタサンをGⅠを勝たせたくて、今は担当ウマ娘みんなに未勝利戦を勝たせたくて、という風に。どっちも俺は悩みに悩んでた……後者は現在進行形で悩んでいる。こう言えば、どっちの悩みが良いとか悪いとか、そんな話にはならないと思う。
……まあ、底辺トレーナーの俺が言うのだから、負け犬の遠吠えだと言われればそれまでだが。事実、客観的な優劣の評価は付いて回る。勝鞍はちゃんと記録に残るし、もらえる金だって上と下では雲泥の差だ。
しかし、外的な環境の幸せと内的な心の幸せはきっと違うのだ。GⅠをいくら勝っても満たされないウマ娘もいれば、未勝利戦を勝つことで満たされるウマ娘もきっといるだろう。有り余る金と権力があっても満たされない人間がいれば、質素な生活でも幸せを感じて満たされる人間がいるように。
注目されて取り上げられるのはGⅠ戦線で華々しい活躍をするウマ娘だ。でも、誰からも注目されない未勝利戦や条件クラスのウマ娘たち一人一人にも多くの物語がある。そこには尊い努力があるし、かけがえのない笑いや喜び、そして涙がある。GⅠ戦線のウマ娘となんら遜色はない光景が広がっている。アルファーグと現状を経験した俺だからそう言える。
俺が今いるのはトレセン学園の底辺だ。勝利の美酒なんてほとんど味わえなくて、負けて苦汁を舐めることが圧倒的に多い。負けたウマ娘や退学になったウマ娘を経験するのは何度経験しても耐え難い気持ちになる。先輩はいつか慣れると言っていたが、俺は全く慣れそうになかった。
負けて終わってしまったウマ娘たちにはどうやっても贖うことはできない。今でも後悔ばっかりだ。
でも、だからこそひとつ勝つということの大変さと素晴らしさを知ることができた。たとえ未勝利戦であっても、担当ウマ娘が勝ってくれれば最高の気持ちになれる。力になれて良かったと、トレーナーをやってて良かったと、心の底からそう思わせてくれる。
そして気がつけば、たくさんの担当ウマ娘たちが俺の胸に刻まれていた。キタサンブラックはもちろん、中央に帰ってきて担当し、退学になったウマ娘たち、勝たせられたウマ娘たち……まるで降り積もる雪のように、彼女たちの存在がどんどんと胸の内で積み重なっていった。トレーナーを続ける限り誰一人として忘れることはないだろう。
今現在担当しているウマ娘と過去となったウマ娘、その存在が今の俺を突き動かしている。
俺は彼女たちを覚えているからトレーナーとして進んでいけるし、進んでいかなければならない。トレーナーを続けると選択してしまった以上、中途半端に逃げ出すことは許されないことだと思う。……ドーピングさせたという十字架も、一生背負っていかなければならない。
明確に言葉にしたことはなかったが、ぼんやりとそんな風に考えながらトレーナーを続けていって、出会ったウマ娘が──
『……あなたが、いい。モエのトレーナーになって欲しい』
──カレンモエであったり、
『あなたに、キングのトレーナーになる権利をあげるわ!』
──キングヘイローであった。
これが、坂川健幸というトレーナーが現在に至る道程だ。
主人公の過去編である追憶はこれにて一応終わりとなります。
と言っても、まだ描写していないシーンがいくつかあるので、これからも過去編はちょくちょく挟んでいく予定です。