底辺キング   作:シェーク両面粒高

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fairy-tale ending:直訳するとおとぎ話の終わり。意味合い的には大団円とかハッピーエンドって感じです


第55話 Her fairy-tale ending

 私が勝利した東京新聞杯から約3ヶ月前……菊花賞が終わった頃へと遡り、そこから今に至るまでを振り返っていく。

 

 

 菊花賞が終わってからも様々なことがあった。

 順を追って整理をすると、11月の菊花賞が終わってから1週間も経たずにダイアナヘイローというジュニア級のウマ娘がチームに加入した。もっとも、彼女がチームに入った要因というのは私にあるのだけれど。

 どうも彼女は私に『運命的な何かを感じる』らしい。対する私も、初対面なのにどうも他人とは思えない何かを彼女に感じていた。妙な親近感というか……不思議な感じだ。そうとしか説明できない。

 

 11月の末にはカレンモエがGⅢ京阪杯に出走。初めての重賞挑戦であったが1番人気に支持されていた。何気に彼女は出走してきたレース全てで1番人気を背負っていた。

 結果はクビ差の2着。非常に惜しい結果となっていた。レースを終えて帰ってきた彼女はいつもと変わらない様子だったが、やはり悔しさみたいなものはにじみ出ていた。

 

 

 そして12月。クラシック級最後のレースは有馬記念を選んだ。坂川とも相談して、年が明けてシニア級になってから距離短縮したレース選びをしようという運びになった。菊花賞でも5着と大負けはしていないし、坂川の言うように私の身体が短い距離に向く成長をしているなら、2500mの有馬記念に出られるのは最後かもしれないからだ。

 

 年末の有馬記念へ向けてのトレーニングに暮れていた12月の中頃のある日、坂川がさらっと爆弾発言を投下した。

 

「サイレンススズカがウチに移籍することになった。書類上の正式な移籍はホープフルの次の日になるから、それまでは絶対に外部へ漏らすなよ。今も入院してるから、顔合わせはまたそのうちな」

 

 事情を知っていたらしいカレンモエ以外の私たち3人は驚きのあまりポカンとしていた。移籍はまだ良いとしても、なにせそのウマ娘がビッグネームすぎたからだ。

 スペシャルウィークと同じ超強豪シリウスで、夢のような凄まじい逃げでGⅠを制して、そして天皇賞秋で故障により大怪我を負った……あのウマ娘がウチのチームに入ってくる? 冗談にしか聞こえなかった。

 彼女のケガは再起不能レベルで、レースへの復帰は難しいだろうと報道されてた。

 

 どんな経緯があって移籍してきたか彼は話してくれなかった。おそらくだけれど、サイレンススズカ本人だけでなくシリウスのトレーナーとも関係あるのだろう。坂川とシリウスのチーフトレーナーである天崎は同期だから、その繋がりかもしれない。

 

 ……ちなみに12月に入って坂川は難しい顔をしてパソコンに向き合っていることが多かった。どうやら年末に研究の発表会があるらしく、それの準備とのことだった。

 

 

 そんなこともありながら迎えた有馬記念。クラシック路線3強と呼ばれていた過去の栄光なんて見る影もない私は10番人気でレースを迎えた。いくらシニア級の一線級が揃うレースであっても、二桁人気になるなんて本音を言えばものすごく悔しかった。今まで同世代相手とはいえ3番人気を外したことが無かったので、見返してやりたいという気持ちが強かった。

 今年の有馬記念にはクラシック二冠ウマ娘セイウンスカイとグラスワンダーがいた。他にも多くのGⅠウマ娘がいた。

 ダービーや菊花賞と同じぐらい強く勝利を目指して臨んだが結果は6着。人気よりは上の着順に来られたけれど、勝利どころか掲示板を外してしまった。

 

 負けて悔しい思いをしたが、それと同時にどこか誇らしくもあった。私と同じくクラシックを走ったセイウンスカイが4着になってしまったものの、同世代のグラスワンダーが有馬を制したからだ。日常で接する上で、怪我で満足に走れない頃の彼女の姿を知っているだけに、その苦労が報われて本当に良かったと思う。グランプリを勝って喜んでいる彼女に、私は惜しみない拍手を送った。

 

 少し時間は遡るけれど、11月のジャパンカップではエルコンドルパサーが優勝。スペシャルウィークは3着だった。ダービーを圧勝した彼女が東京2400mで負けるなんて想像もつかなかったけれど、勝ったエルコンドルパサーの強さにも驚かされた。

 このジャパンカップや有馬記念に加えて、私が東スポ杯で勝ったマイネルラヴがスプリンターズステークスを制したこともあり、私たちの世代が物凄く強い世代……“最強世代”かもしれないなんて声もちらほら耳にするようになった。そう言われるウマ娘の中におそらく私は入っていないけれど、私の友人と呼べる彼女たちがみんな努力しているのを知っているだけに嬉しく、そして誇らしく思えた。

 

 

 再び有馬記念へと話を戻す。

 実はレース後、あるウマ娘と私は話をした。彼女も有馬記念に出走すると分かった時に、できれば話をしてみたいと思っていた。メディアのニュースでも、おそらく引退レースとなるという話を聞いていたから。

 

 そしてそれは叶った。レース後、ターフとグランプリロードの境目へ差し掛かったところでの出来事だった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 そのウマ娘を初めて()()したのはあの天皇賞秋だった。

 

 菊花賞を1週間後に控えた日曜日、調整重視のトレーニングを午前中で終えた私はチームの皆と一緒にテレビでそのレースを観戦していた。サイレンススズカが圧倒的一番人気に支持されたレースで、勝つか負けるかよりどんな勝ち方をするかが話題になっていたことを覚えている。

 そしてその結果は────あまり語りたくないのだが、凄まじいスピードで大逃げしたサイレンススズカは大欅を越えたところで故障発生し競走中止。テレビから聞こえていた歓声が一気に悲鳴に変わっていた。故障した左脚がテレビに映っており、思わず顔を背けたくなった。実際、一緒にテレビを見ていたペティは目を逸らしていた。

 しかしレースは続いていく。サイレンススズカがいなくなったことで波乱となった天皇賞秋を制したのは、6番人気の栗毛のウマ娘オフサイドトラップだった。

 

『オフサイドトラップ先頭! 内からステイゴールドも追い上げるが、オフサイドトラップ1着でゴールインッ!!! なんとシニア級4年、オフサイドトラップ!!! 悲願のGⅠ初制覇っ!!!』

 

 これまでの重賞レースでその名前を聞いたことはあった。でもシニア級4年であることを含め彼女のことを私はよく知らなかった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を乗り越えて、重賞3連勝で頂点へ! シニア級4年、オフサイドトラップです!!!』

 

「……凄い…………」

 

 実況を聞いて、そんな言葉が自然と口から零れた。

 

 まだサイレンススズカが故障した余波のざわめきが残るスタンドの前に彼女は来ると、ぽつぽつと拍手が起こり始めたスタンドに向かって笑顔で頭を下げた。観客もそんな彼女に暖かい歓声を送って迎えていた。そこに彼女のトレーナーと思われる男性や、同じチームと思われるウマ娘たちが笑顔で彼女に駆け寄って抱き合っていた。その中にはサイドテールにサンバイザーを着けたウマ娘もいた。

 彼女を含めたチームのウマ娘とトレーナーに涙は無かった。笑顔だけがそこにあった。彼女たちの苦労や想いを外野の私たちには知る由もないけれど、その笑顔が全てを物語っているように見えた。

 

 

 そのレース以降、彼女のことを度々考えるようになった。

 私の3倍以上の現役生活を過ごし、私の3倍近い数の敗北を経験し、何度も屈腱炎に苛まれて休養を余儀なくされて、それでも彼女は走り続け、あの天皇賞にてGⅠを取った。

 そこには数えきれないほどの悔しさや苦しみ、そして葛藤があったはずなのだ。……私が共感するなんて恐れ多くて口が裂けても言えないけれど、感じ入ることがあるのは確かだった。

 

 オフサイドトラップを知った私は次第に彼女と話してみたいと思うようになった。一流のウマ娘とは何かを探す手掛かりになる気がしたから。

 でもシニア級4年のウマ娘や彼女のチームと関係性は全くないので、その機会は訪れなかった。トレーニングで偶然目にするなんてこともなく、そうやって日々が流れていって有馬記念にたどり着いた。

 

 

 

 そして有馬でレースが終わったあと、彼女の背中を見つけた私は話しかけることにした。

 

「あの、少しよろしいですか?」

「……へ? わたし?」

 

 黄色と青が主で赤をアクセントで差してあるパンツスタイルの勝負服が翻った。振り返った栗毛のウマ娘はオフサイドトラップその人だった。

 

「あなたはキングヘイローさんだよね? どうしたの?」

「……オフサイドトラップさんと、お話をしたいと思いまして。ここから控室に帰るまでで良いので……いかがでしょうか?」

「お話? なんかわたし、レースでやらかしたかな!? もしかして斜行とか!?」

 

 インタビューなどの大人びた感じとは違って(実際歳はいくつも上だけれど)、すごく親しみやすい印象を受けた。

 レースでの不利とか、そんな話ではないと否定すると彼女はホッと息をついていた。

 

 あなたのことについて話が聞きたいと、そう伝えた。

 

「わたしの話? いや~面白くもなんともないと思うけど。……どうして聞きたいの?」

「それは…………失礼な物言いになるかもしれませんけど……」

「全然気にしなくていいよ。何でも言ってみて」

「……天皇賞を勝たれるまで、多くの敗北や怪我を経験されてきたと存じております。なぜ貴女はそこまでして走れたのですか? なぜ貴女は今まで走り続けたのですか? それを……知りたくて」

「…………」

 

 彼女の無言の視線を感じた。彼女はじいっと私を見ていた。

 

「……そっか」

「?」

 

 何かに納得したように彼女は頷いた。

 

「いいよ。ゆっくり歩きながらでいい?」

「! ありがとうございます……!」

「別にいいよ〜。そうだなあ、せっかくだし最初から話そうかな。さっきも言ったけど、あんまり面白い話じゃないし、それにキングヘイローさんの参考ならないと思うよ?」

「いえそんな! ぜひお聞きしたいです!」

 

 肩を並べて私たちはグランプリロードへ歩き出した。

 

「わたしさあ、実はメイクデビューの前から右脚悪かったんだよね。トレーニングしたあとに右脚がよく熱持っててさ」

 

 そうやって彼女は語りだした。

 

「でもまあ最初の内はなんとか上手くいって、若葉ステークス勝って3連勝! それで皐月賞とダービーに挑戦! ……したまでは良かったんだけど、7着8着とあんまり振るわなくて。後ろの方でブライアン強えーって思いながら走ってたっけ。それで秋に向けて7月のラジオNIKKEI賞に出たあとに()()()が来るの」

「最初……屈腱炎、ですよね」

「うん。右脚の屈腱炎。ついにここで一度目のトラップ発動。もう酷いほど腫れちゃってさ。毎日毎日氷で冷やしたり、レーザーやマイクロ波当てたりして何とかしようとしてたんだ。アイネスさん……チームの先輩にさ、わたしと同じように屈腱炎になったウマ娘がいたから、トレーナーも屈腱炎に対処するノウハウを持っててね。トレーナーやアイネスさん含め、チームの皆のサポートしてもらって屈腱炎は一応は鳴りを潜めたんだ。……ああ、でも今振り返ったら、この時の屈腱炎なんてまだまだ()()()()()()んだなあ」

 

 彼女の口調は軽い。でも言葉の奥にある重みはひしひしと感じられた。

 

「マシになってきたらトレーニング再開するんだけど、やっぱ全力では走れなかったしトレーナーに禁止された。そもそも思いっきりスピード出して走るのが怖くて怖くて。負荷をかけないようなメニューをトレーナーが考えてくれてた」

「……トレーニングでも、大変だったんですね」

「そうだねえ。結局トレーニングじゃ全力で走れたことなんて数えられるほどだったよ。……話を進めると、私は5ヶ月後の12月にディセンバーステークスで復帰できた。年が明けてシニア級1年になったわたしは1月の中山金杯、2月のバレンタインステークスに出走できた。バレンタインの方は1着になれた。……良かったんだ、()()()()()

 

 彼女の経歴は少し頭に入れていたから知っている。バレンタインステークスの後に何が起こったのか。

 

「バレンタインステークスのあとに次は右脚の屈腱炎悪化と左脚の屈腱炎。両脚に来た二度目のトラップ。これがさあ~、もうホントに酷くて酷くて。一度目の屈腱炎なんて可愛いもんだったよ。氷とかレーザーとか言ってる場合じゃなくてさ、空気が触れるだけで痛いって言うの? 何もしなくてズキズキ痛いのに、ちょんと指で触れられただけで電撃が走るような激痛でのたうち回るぐらいでさ。寝ても覚めても脚がずっと痛くて、走れるようになるのか分かんないのに何やってんだろって考えて。あの頃は毎日泣いてたな~。ちょっと良くなってトレーニング再開しても、すぐに腫れが強くなって元に戻って。そもそもトレーニングだって足の負担考えると坂路でしかできなくて。出口のない迷宮に入り込むってこういうことなんだなって」

「……その時に」

「ん?」

「レースを辞めようと思われなかったんでしょうか?」

「そりゃあ思ったよ。めっちゃ痛いし。走れるようになるかさえ分かんないし」

 

 彼女はあっけらかんとそう言い切った。

 ……なぜ彼女はそう、深刻さの欠片もないように話せるのだろう。

 

「でも貴女はそこで諦めなかった。なぜ走り続けたんですか?」

 

 

 これこそ私が彼女に訊きたいことだった。

 そんな酷い屈腱炎に苦しめられても走り続けた理由とは一体何なのか。

 

 

「走り続けた理由? う~ん。……ごめんね。分かんない」

「……え?」

 

 その答えを聞いて思わず足が止まった。私に合わせて彼女も足を止めた。

 気づけば地下バ道を入ったところまでやって来ていた。

 

 

 理由が分からないのに、走ることを選んだの? 

 

 

「……キングヘイローさんって分かりやすいね。仕方ないでしょ~。これって理由は思い浮かばないんだから」

 

 彼女は地下バ道の壁に背を預け口を開いた。

 

「勝ちたいって気持ちはもちろんあったよ。高望みなのは分かってるけど、重賞勝てたらいいなあって思ってた。でも体を見下ろすと、痛いばかりの脚が目に入るんだ。こんな痛みとはおさらばできるって考えたら、レース辞めるのもいいなあって思ったよ。レースやトレーニングのことなんて考えないで、祈りながら氷やレーザー当てるだけの日々とはサヨナラして、自由にショッピングしたりファミレスで友達と駄弁ったり、そっちの方が絶対楽しいでしょ。そう思わない?」

「……」

 

 それを否定することはできなかった。

 

「でもさあ……」

「……でも?」

「ふふっ……トレーナーやアイネスさんがめっちゃ必死だったんだよねえ」

 

 そう言った彼女は懐かしんでいるようでもあった。

 

「2人とも屈腱炎と戦ってきた人達だからさ。アイネスさん、今はDTLで故障しない程度に走ってるけど、トゥインクルシリーズは屈腱炎で引退しちゃったから。だからか2人ともグイグイ来てさ。どこぞの温泉がいいとか、珍しい成分の湿布を取り寄せたりとか、果てには生肉を脚に貼るとか迷信っぽいことも持ち出して来て……あの時は部屋が臭くなって大変だったなあ。試せることは何でも試したよ」

 

 彼女はその時のことを思い出したかのように苦笑していた。

 

「だからかな。わたしはとりあえず走れそうなら走ってみようと思ったんだ。屈腱炎が原因で大怪我しても、最終的に日常生活に戻れるレベルならいいやって。わたしもチームのみんなもこんな苦労して頑張ってんだからさー、ちょっとは良い夢見てもいいでしょっ! ってそんな感じ」

「…………」

 

 少しずつだが、私は分かってきた。

 走る理由は思い浮かばないと彼女は言った。本人が言うのだから確かにそうかもしれない。

 でも彼女にとって重要なのは()()じゃない気がする。

 

「その10ヶ月後ぐらいかな。屈腱炎治ってはないけど、ちょっと軽くなって安定してきたからディセンバーステークスに出走したんだ。二度目の復帰戦は3着だった。でもまたレース後屈腱炎悪化しちゃって長期休養。また氷とレーザーとお付き合いの日々。そして11ヶ月後……えーっと、シニア級2年11月の富士ステークスで三度目の復帰戦。この頃になると頑張った甲斐あってか大分症状も落ち着いてね。トレーニングで思い切り走れないのは変わらないけど順調だった。大体1ヶ月間隔でレース出て重賞にも挑戦した。勝てはしなかったけど、2着を何度も取ったのもあって手ごたえはあった。このまま行けばいつかは重賞勝てるって思ってた。でもシニア級3年5月末のエプソムカップのあと、三度目の屈腱炎再発(トラップ)。……もう、どん詰まりだった」

 

 彼女は自身の脚を慈しむように撫でた。

 

「こんなに順調に走れてたのクラシック級の時以来だったから、三度目のこれも堪えたよ。山を登ってたら急に真っ暗な谷底へ叩き落とされた感じ。シニア級3年……潮時だし、レース引退しようかって本気で考えた。でもトレーナーやアイネスさん、両親とも色々あって、あと1年だけやってみようって話になったんだ。それで10ヶ月後、シニア級4年……今年の3月だね。東風ステークスで四度目の復帰。症状も落ち着いてくれてて、去年と同じように1ヶ月ごとに出走できた。勝てはしなかったけどね。でも、7月の福島レース場──」

「……七夕賞」

「うん。デビューしてから4年半経って、七夕賞で私は初めて重賞を勝った。いや~あの時は嬉しかったなあ。脚のケアしながらトレーナー室でみんなと朝まで騒いで後から学園に怒られたっけな~」

 

 その時の喜びを再び噛みしめるように、彼女は笑っていた。

 

「しかも8月の新潟記念も勝っちゃって重賞連勝! もう自分が一番びっくりしてた。こんな良いことが続いていいのかって。それで軽い休養挟んで11月、4年ぶりのGⅠ天皇賞秋。もうここまで来たら詳しい説明はいらない?」

「……もし良ければ、レースのことと、勝った時のことを教えてもらえませんか?」

「いいけど……大変なレースだったからねえ。サイレンススズカさんが故障発生した時、後ろのわたしには何が起こったか分かんなくてさ。2番手の娘が外に持ち出したの見て『なにかあったんだ』って思って。その後は……必死だった。故障したなら外に行くはずだから、一か八かラチ沿いを進んでいった。2番手のサイレントハンターさんや外を通ってきた娘はサイレンススズカさんを避けるために大回りになってたけど、私は影響を受けることなく走れた。最後の直線は……とりあえず先頭に立ってからは『早くゴール来てっ!』って無我夢中で……で、なんとか凌いで1着!」

 

 彼女は自身の手のひらを見つめながら、それを軽く握った。

 

「スタンド前に帰ってくるとお客さんの多くがサイレンススズカさんを心配している様子だったけど、それでもわたしに拍手したり声をかけてくれる人がいたから嬉しかったなあ。トレーナーさんやアイネスさんたちが来たとき、誰か泣いちゃうかなって思ったけど、みんな笑顔で祝福してくれた。わたしも嬉しくて、いっぱい笑った。……辛くて泣いて励ましてもらってばかりの日々だったから、笑顔で返せて本当に良かった。それで今日こうやってグランプリにも出られてさ。引退レースが有馬だなんて……幸せだなって思うよ」

 

 はにかむように笑うオフサイドトラップを見て、私はやっと気づいた。

 彼女は数多の苦難を乗り越えてきたからこそ、こうして笑顔で話せるのだと。

 

「……お話、ありがとうございました。そして、今更ですが天皇賞秋優勝おめでとうございます」

「ありがとっ! う~ん、なんで走れるとか、走り続けられるとか、自分でもよく分かんないけど……参考になった?」

「とても……とても良い話でした。ありがとうございました」

「なら良かったんだけど。……よしっ、ライブあるし、わたしたちも行こっか」

「はい」

「あっ、キングヘイローさん」

 

 先に歩き始めた私を、彼女は私の肩を叩いて呼び止めた。

 

「なん────」

 

 ふにっ。

 

「──んえぇ?」

 

 肩を叩かれた方から振り向くと、彼女の指が私の頬に柔らかく突き刺さった。

 

「へへ~引っかかった~。いたずら(トラップ)成功~!」

「な、なにを……」

 

 お茶目にウィンクした彼女は私を追いこしてこちらを向いた。

 

「わたしの恥ずかしい話聞かせてあげたんだから、これぐらいの役得はないとね~ふふっ」

「……もうっ」

「……キングヘイローさん」

「何でしょう?」

「わたし、なんかあなたと他人の気がしないんだよねえ……?」

「え?」

 

 似たような話を少し前に聞いた。ダイアナヘイローとのことで。

 でも私はオフサイドトラップに対しては()()()()()あまり……? 

 

「……いや、やっぱ何でもない。気のせいかも」

「そうですか」

「ごめんね変なこと言って。いい加減わたしたちも──」

 

 

 地下バ道の先から複数の声が聞こえてきて、彼女の声を遮った。

 前方から聞こえてきたそれは聞き覚えの無い声で、どうやらオフサイドトラップのトレーナーやチームのウマ娘だった。

 

 引退レースなのに何道草食ってんだ心配させんなよ~って優しい声色の声が聞こえてくれば、チームのウマ娘のきゃいきゃいとした声も複数聞こえてきた。

 どの声も悲壮感なんてなく、ただ彼女を暖かく迎えていた。

 

「あ~ごめんごめん! もう、みんなわざわざ来ちゃってさ……じゃあね、キングヘイローさん。あなたもたぶん、いっぱい悩んでるんだろうけどさ。……これだけ、あなたに伝えておくよ」

 

 

 彼女は前を向いた。

 

 

 

「わたし、走って良かったよ。走り続けて良かった」

 

 

 

 彼女は踏み出した。チームの皆がいる所へ。

 

 

 

「うん…………わたし、頑張ったよね。走り切れたよね────」

 

 

 

 駆け寄っていく彼女の笑顔から光るものが一雫、散っていったのを見た。

 

 

 

 

 彼女がゴールにたどり着いた瞬間を、確かに見た。

 

 

 

 

 

 ◇ 

 

 

 

 

 

 

 

 オフサイドトラップはレースを走った。走り続けた。幾度となく怪我に苦しめられようとも。

 

 

 おそらくだけれど、彼女はずっと自分自身と戦ってたんだ。だからこそ──

 

 

 ──“走ること”

 

 ──“走り続けること”

 

 

 レースに出て走ること、それ自体に理由や意味があったんじゃないか……そんな風に私は思った。

 

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