底辺キング   作:シェーク両面粒高

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例によって未実装ウマ娘の話なので苦手な方はご注意を。

彼女の話はキングを含め周りに影響を与えることになるので、少しの間お付き合いお願いいたします。

以前いただいた感想の返信で書いたのですけど、馬名の由来は同名のラブソングだそうですよ。


第62話 育成最終目標:メイクデビューまたは未勝利戦で1着

 時は遡り11月の中旬。キングヘイローが5着に終わった菊花賞から数日後のこと。

 当時はキングヘイローの次走について頭を悩ませ、また11月末の京阪杯に向けてカレンモエのトレーニングが佳境を迎えていた……そんな時だった。

 

 放課後いつものようにトレーナー室でチームのウマ娘たちが来るのを待っていると、怪訝な表情をしたキングヘイローがやってきた。

 

「どうした? 調子でも悪いのか?」

「それが……これを見て」

 

 キングヘイローは手に持っていた書類が入ったクリアファイルを俺に差し出した。確認するとそれはウマ娘がトレーナーと契約するための書類だった。すでに記入してあるようで──

 

「……“ダイアナヘイロー”って誰だ? お前の知り合いか? もしかして妹とかか?」

「いいえ。昨日会ったばかり、赤の他人ね。……その様子だとやっぱりあなたも会ったことはないのね」

「はあ?」

 

 改めてその書類に目を通す。このダイアナヘイローとは現在ジュニア級のウマ娘らしい。書類自体はあとトレーナーが記入して印鑑を押すだけで完成するようになっていた。

 つまりこのダイアナヘイローというウマ娘はトレーナーの誰かと担当の契約を結びたいということだ。

 

 そのウマ娘の書類をキングヘイローが持っていて、あまつさえ俺に見せているこの状況は一体何なのか。

 

「で、これはどういうことなんだ。全く話が見えねえんだが」

「ウチのチームに入りたいらしいわ。それを渡されて、あなたに渡しておいてって」

「……」

 

 意味が分からない。

 

 確かにキングヘイローが言う通り、ダイアナヘイローは俺と契約したいということだろう。この書類をトレーナーである俺に渡すとはそういうことだ。

 ただそれに至る経緯が全く見えてこない。俺はダイアナヘイローなんてウマ娘とは話すどころか見たことも聞いたこともない。繋がりなんて全くないのだ。

 

「昨日初めて会ったんだったな。何かあったのか?」

「……ええ。昨日──」

 

 キングヘイローはダイアナヘイローと出会ったときのことを話し始めた。

 

 ◇

 

 昨日、休み時間に廊下を歩いているといきなり見知らぬウマ娘……つまりダイアナヘイローに話しかけられた。

 

「あなた、キングヘイローよね!?」

「へっ? ええ、そうだけど……」

 

 あまりに突然の出来事すぎて余裕がない状況でそう返した。

 

 その黒鹿毛のウマ娘は初めて見る顔だった。

 彼女は抱き着くかのようにグイグイと私に身を寄せてきた。

 

「ちょっと近……ええっと、あなたは?」

「あらごめんない。私はダイアナヘイローよ。……どうぞお見知りおきを」

 

 彼女はそう言うと一歩距離を取って膝を折ったお辞儀……カーテシーをした。

 自然で流麗、そして隙のない完璧な所作から付け焼刃ではないと一目で分かった。幼い頃から繰り返し体に染みついた動きだ。おそらくこの娘はそれなりの身分の生まれなのだろう。

 醸し出す雰囲気はどこか高貴なものを感じるのだが、先程までの立ち振る舞いは庶民らしい俗っぽさがある。ちぐはぐとまではいかないが不思議な印象を持った

 

「ダイアナヘイローさん。キングを知っているなんて殊勝な方ね。ふふっ、まあ当然だけれど。お礼にあなたの顔と名前を覚えておいてあげるわ」

 

 気分を良くした私は彼女に合わせて軽くお辞儀をしてからそう言った。

 

「それで何かキングに用かしら? 今ならサインでも握手でも、何でもしてあげるわよ」

「ほんとうっ!? じゃあとりあえず握手! それと写真撮りましょう!」

 

 彼女は私の手をギューッと握った後、スマホを取り出して私とツーショットを取り始めた。要望されるまでもなくキメ顔でスマホのカメラを見る。

 いろんな角度から何枚も撮ったそれをスマホで確認する彼女はとても嬉しそうだった。

 

 それはそれはとても良い気分になった。

 

「ありがとうキングヘイロー……いや、キングって呼んでいいかしら?」

「好きに呼びなさい! キングは寛大なのだから! おーっほっほっほ!」

「ありがとう。その笑い方素敵ね! 私も……おーっほっほっほ!」

 

 通り過ぎるウマ娘たちの視線を感じるが、そんなことお構いなしに2人してシンクロしてひとしきり笑い合った。

 

「おーっほっほっほ…………はあっ。ねえキング!」

「おーっほっほっほ! 何かしら?」

「やっぱり私、あなたに運命レベルの何かを感じるわ! グラスワンダーを以前見た時も感じたけど、それとは比べ物にならないぐらい強いの!」

「運命的なもの?」

「ええ! 私、レースとかほとんど見ないのだけど、偶然この前の菊花賞を走るあなたを見てびびっと来たの。私はあなたに会うべきだって直感で思ったわ。私たちは初対面だけれど、私は他人の気がしない。キングもそうじゃない?」

 

 そう言われると、こちらも表現しにくい不思議な感情が湧いてくる。初対面なのに浅からぬ繋がりを感じるというか……妙なほど親近感が湧いてくるのだ。

 これが彼女の言う運命レベルの何かなのだろうか? 

 

「ダイアナヘイローさん……あなたは」

「ダイアナでいいわよキング。あなたとあたしの仲でしょう──」

 

 そこで次の授業開始を告げるチャイムが廊下に響いた。気づけば廊下には私たち以外誰もいない。思ったよりも時間が過ぎていたようだ。

 

「あっ!? じゃあねダイアナさん! あなたも授業に遅れるわよ!」

「そうねっ。また会いましょうキング!」

 

 私はダイアナヘイローと別れた。教師がまだ教室に来ていないことを願って私は教室まで駆けていった。

 

 

 ……結局間に合わず、遅刻扱いにはならなかったが教師の御小言を食らうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。友人の勉強を教えていたのと御手洗いに行っていたせいで授業の開始時間が迫る中、移動教室のために急ぐ廊下にてまたしてもダイアナヘイローに出会った。

 

「あらキング。ごきげんよう。待っていたのよ」

「ダイアナさんごめんなさい! 少し急いでるから今は──」

「あらそうなの。……じゃあこれ! キングのトレーナーに渡しておいて!」

 

 彼女は書類の入ったクリアファイルを取り出して私に渡した。

 

「私、キングと同じチームに入るから!」

「──へ?」

 

 あまりに唐突なその発言に耳を疑う。

 

「もう決めたの! よろしくねキング!」

「え、ちょっと……」

 

 思わず足を止めそうになったが、すぐに遅刻の二文字が頭をよぎったので元のペースで駆けていく。

 

「全然知らないけど、キングのトレーナーってどんな人なのかしら? 爽やかで優しい王子様? それとも頼りがいのある渋い大人のおじ様? どっちにしても、キングに相応しいトレーナーなのだから期待しちゃうわ! ……あ、私こっちだからまたねキング!」

 

 彼女はそう言って私とは逆の道へ曲がっていった。

 

 

 そして放課後。そう言えば連絡先を聞いておけば良かったと思いながらトレーナー室に顔を出した。

 

 ◇

 

「悪かったなうだつの上がらない作業着姿の冴えないアラサー男でよ」

 

 手にしていた契約の書類をデスクに放った。

 

「しっかしウチに入るったって直接話さねえとどうにもならねえぞ。連絡先は知らないんだな?」

「次会ったら訊いておくわ。それでここに一度来るように話を──」

 

 

「ここがキングのチームの部屋かしら!?」

 

 

 キングヘイローの声を遮るようにトレーナー室の扉が勢いよく開かれた。そこには初めて見る黒鹿毛のウマ娘がいた。サイドと前髪をふんわりと流してセットしたショートボブの黒鹿毛に、黒地に黄色のラインが一本入ったメンコを左耳にだけ着けていた。

 

 

「あっ、キング! ……ごきげんよう」

「ダイアナさん? ええ、ごきげんよう」

 

 挨拶を返したキングヘイローに目配せをすると彼女は軽く頷いた。どうやらこのウマ娘が件のダイアナヘイローのようだ。

 

「あなたのインタビュー記事見つけて、坂川って名前のトレーナーが担当だって分かって探してここに来たのよ。書類を渡すだけでは失礼だと思い直したの。せめて今日中に挨拶しようと思って。それで──」

 

 キングヘイローにばかり向いていた彼女の視線が初めてデスクの椅子に座る俺に向けられた。彼女は俺と視線を合わせるなりに目を丸くした。

 

「…………あなたは? お召し物から察するに学園の清掃員の方かしら?」

「は?」

 

 彼女は俺の作業服に目を移しながら言った。

 

「清掃のために来られていたの? でもいくら清掃のためだとしても坂川トレーナーの椅子に座るなんて感心しないわ。身分を弁えろとは言わないけれど、立場というものがあるでしょう?」

「俺が坂川だ。自分の椅子に座って何が悪いんだ。意味分からんことばっか言ってんじゃねえぞ」

「え?」

 

 トレーナーバッジをデスクの上に置いて椅子にふんぞり返った俺に対し、彼女の目は訝し気に細められた。

 

「……あなたが坂川健幸トレーナー? キングのトレーナーなの?」

「そう言ってるだろうが。爽やかで優しい王子様で、頼りがいのある渋い大人のおじ様だ」

「なっ!? あなたそれ、私がキングに今日……」

 

 彼女の視線がキングヘイローに向いた。

 

「本当なのキング。この男性が坂川……あなたのトレーナーなの?」

「ええ。彼がキングのトレーナーよ」

「…………ちょっとキング。いいかしら?」

「どうしたの?」

 

 ダイアナヘイローはキングヘイローを呼びつけて、部屋の隅で何か話し始めた。

 

「これドッキリじゃないわよね? 本当に()()が坂川トレーナーなの?」

「そうよ。嘘はつかないわ」

「……もしかしてキング、あの男に何か弱みを握られてるとか?」

「何言ってるの……そんなことないわ。流石に彼に失礼よ」

「う……だって想像つかないじゃない。キングのトレーナーがあんな清掃員か何か分からないような、いい加減で適当そうで、不遜な…………ねえ?」

「正真正銘、彼が私のトレーナーよ」

「……むう……」

「まあ、最初は私も彼のこと気に入らなかったわ。このチームに入りたいとあなたは言っていたけれど、気に入らないなら考え直すべきね。彼のことは……一緒に過ごして時間をかけないとどんな人間か理解できないでしょうし。それに他にもトレーナーは沢山いるのだから」

 

「全部聞こえてるぞ。……ったく、ほらこれ」

 

 近づいて声を掛けると2人ともこちらを向いた。

 俺はダイアナヘイローに書類が入ったクリアファイルを突き出した。

 

「キングの言った通り、俺が気に入らなねえなら違うトレーナーを選ぶんだな。つうか一度も話してねえのによくこんな真似できたもんだ」

「…………」

 

 しかし、彼女はそれを受け取らない。じーっとそのクリアファイルを見つめて何かを考え込んでいるようだ。

 

「どうした?」

「……いいえ、返さなくていいわ。あなたが受け取って頂戴」

「はあ? 俺は嫌だったんじゃねえのか」

「嫌と言うか……でもっ、私はキングと同じチームに入りたいのっ!」

 

 キングヘイローの話だと運命だとかどうとか話していたが……確かにウマ娘の間でそういう話はたまに聞く話だ。だから納得できないこともないのだが、気に入らないトレーナーを担当にしてまでキングヘイローと一緒にいたいのだろうか。

 

「……うんっ」

 

 ダイアナヘイローは意を決したようにそのクリアファイルを俺に押し返した。

 

「改めて……私はダイアナヘイロー。坂川トレーナー、これからよろしくお願いいたします」

「あ、ああ……」

 

 

 このように急な展開で俺の担当ウマ娘になったダイアナヘイロー。

 

 

 このときには彼女の気性……いや素行に難があると分かるはずもなかった。

 

 情報収集として例によってマコに話を聞くと、彼女はトレーニングには取り組んでいるものの、今まで選抜レースどころか模擬レースにも未出走とのことだった。

 何となく嫌な予感がした。

 

 

 ◇

 

 

 

 年が明けて、ダイアナヘイローには京都のマイルでメイクデビューを迎えさせた。

 時期は違えど、京都のマイルはキングヘイローと同じ条件だ。キングヘイローと同じとかいい加減な理由ではなく、トレーニングでの走りを見て俺が判断した。彼女の母親は中央では芝やダートを走り未勝利、叔母は地方のダートで勝利経験があった。

 ダートでも良かったのだが、ダイアナヘイローのフォーム解析や筋力測定から適性は芝だと判断した。芝向けの軽快な走りと、ダートを走るには如何せんパワー不足であったのだ。

 京都を選んだのは、最後の直線に坂がなくパワーをそれほど必要としないからだ。

 

「指示はただ一つ。前から言ってたが逃げだけはするな。必ず2番手以下でレースをしろ」

「…………」

 

 デビューで逃げさせないのは我慢を覚えさせることがまず一つ。逃げができるのと逃げしかできないのとでは雲泥の差だからだ。

 また、キングヘイローのメイクデビュー時にペティたちに説明した通り、ジュニア級とクラシック級の違いはあるにせよ、逃げが影響を及ぼして次走以降の成績を落とす可能性があるのが一つ。

 まだ1月……早く勝てることに越したことは無いが、焦ってしまっては意味がない。

 

 レース前の控室で、以前からの打ち合わせ通り俺はそう伝えたのだが──

 

 

『先頭ダイアナヘイロー逃げ切ってゴールインッ!!!』

 

 

 出たなりで先頭に立ったダイアナヘイローは2バ身半差で快勝した。6番人気を覆す見事な勝利だった。

 指示は無視されたが、スタートを上手く決めた結果先頭に立ってしまったようだったし、何よりも勝ってくれた。これで退学を免れたと思うと指示の無視などはあまり気にならなかった。

 

 だがレース後に逃げのことについて彼女に訊くと──

 

「……私は自由な精神でいたいの。私が従うのは私の心だけよ」

 

 とボソッと言った。

 

 それが妙に気になった。

 

 

 

 ◇

 

 

 メイクデビュー後、身体のダメージを確認して全く問題がないと判断し、中1週の間隔でクラシック級限定のエルフィンステークスを目指すことにした。もちろんダイアナヘイローと相談した上でだ。彼女はどちらかと言うとティアラ路線に興味があるようだったので、桜花賞を大目標にしてレース選択をした。

 

 そしてエルフィンステークスから1週間前の金曜日……レース前の重要な調整時期でそれは起こった。

 トレーニング前、トレーナー室に来た彼女は俺に対してこう言い放った。

 

「トレーナー、私明日と明後日のトレーニングは休むから」

「……は?」

 

 突如トレーニングを休むと言い出したのだ。

 

「身体の調子が悪いのか?」

「いいえ」

「なら──」

「土日は彼氏とデートなの。だから休むわ。最近会えていなかったから」

 

 どうやら彼女には男がいたらしい。俺は初耳だった。

 

 トレーニングの休みは自分で取るというのがウチのチームのやり方だ。普段なら何の問題もないが、今はレース前の大事な時期だ。エルフィンステークスの結果次第で春の重賞やティアラ路線のレース選択に大きな影響を及ぼしてしまう。

 

「分かった。休みにしておく。だが休むならもっと早く言ってくれ。トレーニングや調整のスケジュールがあるからな」

「善処するわ」

「……もし調整がうまくいかなかったらエルフィンステークスは回避(スクラッチ)だ」

「手は煩わせないわよ。来週はちゃんとレースに出るわ」

 

 

 

 

 そうして彼女はしっかりと土日のトレーニングを休み、そしてエルフィンステークスに出走した。

 

 メイクデビューと同レース場で同距離のエルフィンステークスだが、前者は内回り、後者は外回りで、京都のマイルと言ってもコースが異なる。

 

 

 

 

 そして当日。ダイアナヘイローは7番人気でレースを迎えた。

 スタート直後、引っかかるような素振りを見せながらも2番手で運んだ彼女は1着と1.1/4バ身差の2着に入線した。

 

 あの調整過程とレース間隔、そしてレースの内容から2着……彼女のウマ娘としての高い能力を確認できたレースだった。

 

 

 ◇

 

 

 次走をフィリーズレビューに定めてトレーニングに取り組んでいた2月中旬のある日のトレーニング前、チーム全員が集まっているトレーナー室で彼女はまたしてもこう告げた。

 

「来週と再来週の土日、どちらとも彼氏とお泊りデートするから休みにするわ。いい?」

「……分かった。平日は大丈夫なんだな?」

「ええ。……ねえキング、スズカ! 部室行きましょう!」

「あっ、ちょっとダイアナさん……もうっ」

「……デジタルブラは持っていけよ」

「あ、今日も忘れてたわ。あれ煩わしくて嫌なのよね」

 

 デジタルブラのセンサーを手に取ったダイアナヘイローに引っ張られる形でキングヘイローは連れていかれた。共に呼ばれたサイレンススズカも遅れて2人のあとを車椅子で追っていった。

 

「いいんですかトレーナーさん」

「何がだ」

 

 残ってトレーニング機器の準備をしているペティは眉根に皺を寄せていた。

 

「さすがにあの娘サボり過ぎじゃないですかね」

「好きに休み取っていいって言ってんのは俺だからな。ああやって事前に言ってんだから、まあいいだろ」

 

 これまで担当したウマ娘の中には連絡せずにトレーニングをサボる奴もいた。それに比べたらまだちゃんと報告するだけマシだろう。

 思うところが無いわけでもないが、トレーニングに出たら真面目に取り組んでいるのでそれはそれとして良しとしている。チームの空気が悪くなっているわけでもない。キングヘイローとカレンモエは相変わらずストイックにトレーニングをこなしている。

 

「ペティ、そこまで気にしなくていいぞ。メニューやトレーニングはその都度調整するから。……ありがとうな」

「トレーナーさんがそう言うなら……先に行きますね」

 

 ペティはタブレットなどの機器を抱えてトレーナー室を出ていった。

 

 残されたのは俺とカレンモエのみ。

 

「……」

「? モエ、どうかしたか?」

 

 彼女はペティが去った扉から視線を俺に戻した。

 

「……これはモエの勘なんだけど」

「勘?」

「ダイアナ、彼氏いないと思うよ」

「そうなのか?」

「確証はないけど……たぶん」

「なら何で嘘をついてるんだ?」

「……さあ?」

 

 ウマ娘……それか女の直感というものなのだろうか。

 

 あまりカレンモエとダイアナヘイローが話している場面は見たことがない。年上のペティやキングヘイローには呼び捨てのダイアナヘイローも、カレンモエにはさん付けで呼んでいる。ビビっているまでとは言わないが、あまり喋らない2つ上の先輩ウマ娘としての怖さみたいなものを感じているように見受けられた。

 

「……トレーナーさんも」

「ん?」

「彼女さん、いないでしょ?」

「何言ってんだ? 俺は結婚してるし、子どもも一人いるぞ。まあ確かに彼女はいねえな。嫁はいるが」

「…………」

 

 カレンモエはフラットな表情を変えずに俺を見つめていた。

 ……このジョークは受けなかったらしい。

 

「つまんねえ冗談で悪かったな。結婚どころか彼女もいねえよ。……よし、準備完了っと。トレーニング行くぞモエ」

「……うん、今行く」

 

 カレンモエの視線になぜか今までにない怖さを感じたので、強引に話を切り上げた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 3月の中旬、阪神レース場1400mのGⅡフィリーズレビューを迎えた。

 3着までに桜花賞の優先出走権が与えられるこのレース。4番人気で迎えたダイアナヘイローは2枠3番からの出走となった。

 

『さあ桜舞台へ最後の切符をかけてフィリーズレビュー……スタートしましたっ! ちょっとばらついたスタートになりました!』

 

 ダイアナヘイローはゲートの出こそ悪くなかったものの、行き脚がつかず後ろにズルズルと下がってしまう。逃げと2番手で運んだ前走とは逆のレース展開になってしまったようだ。

 

 18人がほぼ一塊となった中で、ダイアナヘイローは後ろから5、6番手の内で他のウマ娘に包まれるようにして向こう正面を進んでいった。その中で──

 

「っ! 掛かってんな……」

 

 バ群に閉じ込められるようにしている彼女は明らかに掛かっていた。

 さらにエルフィンステークスと同じように他のウマ娘に寄られると上体を起こしたりして体勢を崩してしまっていた。

 

 他のウマ娘に寄られるとバランスを崩す……こんなとこまで運命を感じる奴(キングヘイロー)に似なくていいのに……チラッと横目で応援するキングヘイローを見てからターフに視線を戻すと、レースは第3コーナーへと入っていた。

 結局スタートからコーナーに入るまでの向こう正面はずっと掛かり通しだった。

 

『4コーナーから直線! 先頭はキャンディバローズ! このまま押し切るか! 外からソルヴェイグ! 1番人気のアットザシーサイドはまだ中団だ苦しい!』

 

 先頭に立つウマ娘たちとは裏腹に、前壁していたダイアナヘイローがやっと大外に持ち出して進路が開けたのが残り300mを切った地点。後ろに数人のウマ娘はいるものの、ほぼ最後方という位置取りだった。

 

「厳しいか…………?」

 

『ソルヴェイグ! ソルヴェイグが抜け出した! 内でキャンディバローズ粘る! アットザシーサイドもようやく上がってきたが──』

 

 実況される前のウマ娘たちの一方で、ダイアナヘイローは猛烈な脚で後から追い込んできていた。

 後ろからならこんな脚を使えるのかと俺は驚きとともに感心していた。

 

 彼女は先頭へとぐんぐんと迫っていく。

 

 だが時すでに遅し。

 

『ソルヴェイグ先頭でゴールインッ! なんと1勝ウマ娘ソルヴェイグです! 1バ身ほど遅れてアットザシーサイドとキャンディバローズ! この3人が桜花賞への切符を手にしました!』

 

 ダイアナヘイローは3着のキャンディバローズから1バ身ほど後ろでゴールした。

 

 惜しくも3着は逃し、桜花賞への優先出走権は得られなかった。

 

 

 

 

 

 チームのウマ娘に先に控室に向かわせ、地下バ道にて俺は1人でダイアナヘイローを迎えた。

 

「お疲れさん。前半は課題があったが、後半は良い脚だったな」

「そう? ありがとう」

 

 特に悔しがる素振りもなく、普段のトレーニングが終わったときのような様子で彼女はそう答えた。別段感情を露わにすることなく淡々としていた。

 思い返せば、勝っても負けても似たような反応だった。

 

 レース後の様子もウマ娘によって十人十色だからそこまで気にはしていなかった。

 

 

 ◇

 

 

 翌日、俺とダイアナヘイローはレースの振り返りをした後、これからの出走予定について話し合っていた。

 

「抽選や他のウマ娘の動向によっちゃ桜花賞出られるかもな。だから一応桜花賞に向けて調整していくぞ。出られなかったら当日か前日の1勝クラスを狙う。それでいいか?」

「いいわよ。トレーナーに任せるわ」

「……」

 

 全く関係のない他人事のように彼女はそう言った。

 この“任せる”が俺を信用してのことじゃないのは彼女の態度や声色が物語っていた。

 

「何か気に食わないことがあるのか? 希望とか、他のレースに出たいならそう言ってくれ」

「別に。どうでもいいわよ」

「……どうでもいい、だと?」

 

 その気はなかったが棘のある言い方になってしまった。しかし、“どうでもいい”の意味がどういうことか気になったことは確かだ。

 

「レースに対して拘りはないってことか?」

「…………はあ。いい機会ね。この際だからはっきり言っておくけど──」

 

 彼女は椅子から立ち上がってカバンを手にした。

 

「私はGⅠとか重賞とか……強いて言うならレース自体に興味はないの。メイクデビューで勝ててこの学園に残れると決まった時点で、私のレース目標は全て達成されてる。だから次走もあなたが適当に選んで頂戴。あ、そうだ。今日も彼氏とお出かけだからこの後のトレーニング休むわね」

 

 彼女は背を向けて出口へと向かっていく。

 

「……なあ」

「まだ何かあるの?」

「ま、一言だけ聞いてくれ」

 

 こういう手合いに対して、真面目にしろとかちゃんと走れとか言うのは的が外れている。対応としては下の下だ。

 メイクデビューを勝って彼女の目的が達成されたのが事実ならもう走る理由はないからだ。極端に言うならもう走らずレースを引退したっていいのだ。

 

 しかし彼女は走ってもいいと意思表示はしてくれた。だから俺がここで話しておくべきは──

 

「お前は走りたいときに走ってくれたらいい。走りたくなったら、ちゃんと言え」

「走りたいときに?」

「ああ」

「……? 終わりかしら? なら失礼するわね」

 

 ダイアナヘイローは身を翻して足早に去っていった。

 

「…………はあ。あいつにも色々あんのかねえ……」

 

 溜息とともに俺はある日のことを思い出す。

 

 実は、トレセン学園外で彼女を目にしたことがあるのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 フィリーズレビューから遡ったある日の夕方に買い出しで街中を車で走っていたときのこと。その日のトレーニングもダイアナヘイローは彼氏とデートだとかで休んでいた。

 信号待ちのため停車をしていると、ふいに反対車線側の歩道が目に入った。

 

「ん? あれは……」

 

 そこには私服のダイアナヘイローの姿があった。

 

 周りに何人もの小さい影を引き連れて。

 

「随分と可愛い彼氏だな……彼女もいるな。……モエの勘は外れたみたいだな」

 

 ダイアナヘイローは自身の身長の半分もない子どもやウマ娘たちと一緒に、食料品と思われる買い物袋を持って、彼らと笑い合いながら歩いていた。

 

 

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