元ネタ馬の同厩舎とか、関連があるウマ娘と同室になっています。
阪神レース場での1勝クラスでの敗北から数日後、中2週で5月1日京都1200mの1勝クラスが次走だと坂川から伝えられてから、コース上でのトレーニング内容に変化が生じていた。
併せやインターバル走、短距離のダッシュなど、これまではレース前でも“普通に走る”トレーニングが多く、その中での心肺強化や走りのフォームの修正などが主だった。
しかし今はレースに沿ったトレーニングになっていた。例えばスタートやコーナリング、ペース感覚を養うメニュー、他チームのウマ娘との併せや模擬レース、そんなものがほとんどだった。
トレーニング時間は日に日に短くなっており、まさに短期集中の様相を呈していた。
距離が1200に短縮となったのは個人的にも長いよりは良いと思った。それに京都は勝っている舞台だから勝つイメージがしやすいし。
次走までちょうど2週間と迫った週末、今日はゲートの練習から始まった。
はっきり言ってスタートには自信があった。ゲートを出た後のダッシュだって同世代のウマ娘と比べて速くて、ハナを切ろうと思えば大体は切れたから。
……
「いくぞー…………よっと」
坂川の掛け声の後、金属が擦れる音と共に簡易ゲートが開かれた。
開いた瞬間を見計らって、地面を捉える足の力を解き放ってゲートを飛び出る。腿を身体に引きつけるようにして、脚の回転を意識しながら加速していった。
(よしっ! 最高のスタートだわ! さっきよりは絶対に良い感じ──)
完璧。これ以上ない手ごたえを感じながら走り出したのだけれど──
(──うそっ!? これでもダメなのっ!?)
──私の1バ身ほど先に、芦毛の髪が翻っていた。
「っ……!」
結局差を詰めることは叶わず、芦毛のウマ娘──カレンモエが私より1バ身半ほど先で指定された100m地点を通り過ぎた。
「ああっ! もうっ!!」
これで今日も全戦全敗。
カレンモエとのゲート練習が始まってから今日まで、ただの一度も勝てたことがない。はっきり言って屈辱的だった。自分はスタートが上手いなんて自惚れは粉々に砕け散っていた。
ゴールして先にゲートへ戻っていく彼女の背中を見る視線が意図せず恨めしくなる。私のトレーニングに付き合ってくれて感謝はしているし彼女は何も悪くない。けれど、こうも負け続けては気分が良いわけがない。
「はあ、はあ……くっ……!」
息を整えてから、カレンモエに遅れてゲート横にいる坂川の元へ戻った。
タブレットが彼の手に1台と、スタンドに設置されたものが1台あった。手に持っているそれはペティが並走して撮影していたもので、スタンドにあるのはデジタルブラのデータ用のものだ。
坂川はそれらを交互に見比べてから口を開いた。
「反応は悪くない。脚の引きつけも良い。さっき指摘したことは修正できている……が」
坂川はタブレットをこちらに向け、映像を再生し始めた。
「スタートダッシュから通常の走りに移行するのが遅い。ほらここ見てみろ。お前はまだ上体を大きく前傾させてるが、モエの上体は既にほぼ起きかかっている。ここのコンマ何秒かの判断の遅さがゴール地点での1バ身半差に繋がってくる。……テンの速さを意識しすぎだな」
「ぐく……」
私とカレンモエが走っている映像を坂川がご丁寧にも解説してくれていた。彼の解説通り、カレンモエから僅かに遅れて通常のフォームに移行する私が映っていた。
「次はこれも頭に入れて走れ」
「……分かったわ。やってやるわよ、今度こそ……!」
「…………」
「なに?」
「いや、何でもねえ。1年前にも似たようなのを見た気がしてな」
「……?」
「この話は終わりだ。ほれ次だ次」
促されるまま再びゲートへ足を向け、今日何度目か分からないスタート練習へと向かう。
──結局、今日もカレンモエに一度も勝てなかった。
◇
「で! 今日もゲート練は全然ダメだったわっ! ……スズカぁ、あの男ひどいのよ……一回一回走るたびに小姑みたいに細かいことをグチグチと……コーナリングの時の骨盤とか上体の傾きの角度はこうとかあ……足の着地位置が1センチずれてるとか知らないわよ……ビデオと意味不明なグラフだけで何故分かるのよ……」
「ま、まあダイアナさん……落ち込まないで」
坂川の指示により早めにトレーニングを切り上げさせられ制服に着替えた私は、ウェイトルームにいた休憩中のサイレンススズカの元でくだを巻いていた。彼女は何を言っても受け止めてくれるので、こうやって甘えたくなる。
キングヘイローにも甘えたいが、残念ながらまだトレーニングを続けていたので無理な話だった。6月の安田記念へ向けて、月並みな言葉だが鬼気迫るぐらいに彼女は自分を追い込んでいた。
「でも、成果は上がっているってトレーナーさんから聞いたわ。努力した結果はちゃんとついてきてるわよ」
「ありがとうっスズカ! ……ん? トレーナーさんと私の話してるの?」
「えっ!? えっーと……ええ。この間、たまたまだけれど……」
「ふーん……? まあいいわ。それよりスズカ、今日もこれ見て」
私はスマホを取り出して、坂川からもらった今日の模擬レースの映像をサイレンススズカに見せた。
最近は毎日空いた時間にこうやって色々相談していた。
「今日もトレーナーの指示通りで逃げ。序盤はそこそこ飛ばして、コーナーで一度緩めてから最後の直線で再加速したの。一応勝ったのだけれど……どうかしら?」
フォーム修正などについては坂川の言うことを聞くように彼女から言われている。
だからこうやって彼女に訊くのは“逃げ”について。硬い言い方なら戦術、砕けた言い方なら気の持ちようとか心得みたいなもの。
「なぜ一度緩めたの?」
「後ろの娘たちがあまり詰めてこなかったから、直線でのスタミナを残しておくためよ」
タブレットにはハナ差で1着となった私が映っていた。
サイレンススズカは少し黙り込んでから口を開いた。真剣に考えてくれているんだと思うと嬉しくなる。
「……後ろのウマ娘たち……」
「え?」
「彼女たちを詳しく知っている訳じゃないけど……序盤、ダイアナさん以外のウマ娘の多くは追走に苦労しているように見えるわ」
彼女は映像を巻き戻し、私の逃げについてくるウマ娘たちを指さした。
「そうなのかしら? ……確かにそう言われたらそんな気がするわね」
「ダイアナさんのスピードについてこられてないなら、コーナーで緩めるよりそのままスピードに任せて走った方が良かったかもしれないわね。そっちの方が、もっと余裕で勝てていたかも。……あくまで、この模擬レースに関してはだけれど……」
「なるほど! 分かったわ。後ろのウマ娘たちがどんな状態で走ってるかチェックすることが大事ってことね」
「ええ……そうね」
「よしっ! 明日はそれを意識して模擬レースに臨むわ! ありがとうねっスズカ!」
話もいい感じにまとまったので、今日はここまでにしておこう。サイレンスズカもまだトレーニングの途中なのだ。
「筋トレ頑張ってねっ」
「ありがとう。また明日」
手を小さく振る彼女に笑顔で返して、私はウェイトルームを出ていった。
「……次のレースは勝たないと」
栗東寮へ向かう道すがらそう独り言ちる。
──『おねえちゃん、このまえもまけちゃったんだ……つぎはぜったいかってねっ!』──
「…………」
阪神1600の1勝クラスのあとに訪れた児童養護施設にて、悲しそうにしながらもそう健気にエールをくれた5歳のウマ娘が頭をよぎる。
「……あんな顔は見たくないわ」
絶対に応えてみせる。
だから最近は施設にもほとんど行かずトレーニングに励んでいるのだ。
サイレンススズカだって、以前私が逃げについて尋ねたのを覚えているから、今こうやって色々教えてくれてるのだろう。
彼女にだって応えたい。
もちろん、キングヘイローに格好いい姿を見せたいし。
そのためにも今日もしっかりと休んで明日に備えよう。
◇
その日の夜。栗東寮の自室にて。
『的確だな。良いアドバイスだと思うぞ』
「そうでしょうか……なら、良かったのですけど」
同室の娘が夜のランニングに行っている間に、私は最近の日課となっている坂川との通話を行っていた。彼女愛用の布団乾燥機の音で少し彼の声が聞き取り辛い。
『お前の言う通り後続は追走でひーひー言ってたな。アイツの一番の強みはあのスピードを生かした走りだから、あのペースで走って後続の脚を削った方が良かったかもな。現段階なら、スローよりはミドルからハイでペースを刻ませて気持ち良く走らせた方が良い結果になる可能性が高いんじゃねえかな。京都1200は内回りで平坦、短い直線、そして痛みの少ない内のバ場……多少オーバースピードでも前で残れる可能性は高い』
毎日の通話内容はダイアナヘイローに関しての情報共有。私が話したことと、彼によるトレーニングの評価をお互い把握することが目的だった。
彼女が練習終わりに私の元へ来ると知った坂川から、その話した内容を教えてくれとお願いされたのだ。
『ゲート練習は順調だ。モエには勝ててねえが安定して迫れてる。ゲート出てからのダッシュも速いから、問題なく本番でも逃げられそうだ』
彼女はスタートが全然うまくいかないと今日も言っていたが、どうやら坂川の見立てでは違うらしい。それを聞いて安堵した。
カレンモエのスタートはびっくりするぐらい速くて安定している。ダイアナヘイローが勝てないのも仕方ないとは思う。
カレンモエには、私の脚が治ったら一緒に練習してスタートのコツを教えてもらいたい。そうしたら私の走りももっと──
「……あ……」
──ふと、無意識に左足を撫でていたことに気づいた。
まだ自分の体重さえ満足に支えられないそれを。
『コーナリングを意識した足の運びと体幹のコントロールを叩き込んでいるがまだ不十分だ。どれも甘いし四肢と体幹が理想的な動きと連動をしていない。だが、グラフの波形見てたら良化しそうな兆候はある。必要なのは反復練だ。安心しろ、本番までには仕上げてやる──』
この機会を通じて知った、データを駆使した彼の指導を私が受けたら、私はもっと──
『──。今日のトレーニングはそんなもんだ。今までは練習をいつ休むか分からん奴だったから、技術をモノにするための実践的なメニューに集中的に取り組めずにいたが、今は練習休まねえしうまくいってる』
いつの間にか彼からの情報提供は大体終わっていて、あとは坂川が電話を切ると言い出す頃合いになった……いつもなら。
『今日はこれで…………あーいや、スズカ。ちょっといいか?』
「何でしょう?」
『ダイアナの逃げに関するアドバイス……今日みたいに立ち回りについて教えるのは良いことだ。それはそれで続けて欲しいんだが……』
「ええ……?」
『……戦術だけじゃなく、もっと他に伝えることはないか? なあ、
「私……?」
『ああ。…………ま、急ぐもんでもないか。それじゃあな、しっかり寝ろよ』
「えっ!?」
私が声を上げた時には既に通話は切れていた。
通話画面からホーム画面に戻ったスマホを見つめながら、耳に残る坂川の言葉を感じていた。
「……どういう意味なのかしら?」
サイレンススズカがダイアナヘイローに伝えること……?
「…………」
大逃げでレースを制してきた
「分からないわ……どういう意味なの……トレーナーさんは……」
ベッドに身を沈め目を瞑る。そうすると自然とダイアナヘイローの姿が瞼の裏に浮かんできた。
今日見せられた、彼女が模擬レースを走る姿が。
スタートからゴールまで先頭の景色を譲ることなく駆け抜けていったダイアナヘイローが、なぜか瞼の裏から離れてくれない。
さっきの電話のこともあり、考えることが多くて、頭が重い。
「………………ん……」
──微睡みに身を任せ薄れゆく意識の中、無意識下で零れた言葉に、サイレンススズカは気づかない。
「……私も…………あんな風に…………また…………」
まだこの身体が覚えている。先頭の鮮やかな景色を。ターフから空高くまで吹き渡る涼やかな風を。
──その言葉は誰にも掬われることなく、ただそれは揺蕩った。なにも残らないはずの声は、しかし形を成した。
「…………きっと………………きもち、いい…………」
──ひとすじだけ、目尻から流れたものによって。