底辺キング   作:シェーク両面粒高

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当作品はイクイノックス号(父キタサンブラック母父キングヘイロー)を全力で応援しています(2話ぶり8回目)

……何も言葉が出てきません



第66話 羨望の先

 週末に本番を迎えた木曜日。明日は京都へ移動となるのでレース前最後のトレーニング日だ。

 トレーニングは調整の色合いが濃くなっている。一週間前と比べて負荷をかけるメニューはほとんどなく、加えて練習時間も更に短くなっている。

 疲労が抜けて軽くなってきた身体は、順調に調整できていることを教えてくれていた。

 現在進行系で行っているゲート練習が本日最後のメニューだ。これを終えたらあとはレース本番までトレーニングらしいトレーニングはもうない。

 

 今日はサイレンススズカもコースにいて私のトレーニングを見てくれている。

 持ち運び用のアウトドアチェアに座った彼女から視線を感じる。最後に良いところを見せたいし、カレンモエにも勝ちたい。

 

「頑張って、ダイアナさん」

「ええ! やってやるわっ」

「これで最後だ。泣きの一回はねえぞ」

「……ふぅ……」

 

 ゲートに入り、ちらっと見やった横のゲートにはいつもの通りカレンモエがいた。

 不本意なことに全戦全敗は継続している。まさか一回も勝てずにレースを迎えそうになるとは思わなかった。

 

(……最後ぐらい勝ってみせるわ! 情けないったら!)

 

 速くスタートを切ることだけに集中しろと心中で言い聞かせる。

 そしてカレンモエを強烈に意識する。今度こそお前には負けないと、念じるように思っていると──

 

「……ダイアナ」

「っ!? ぁ、はいっ!?」

 

 いつの間にかカレンモエがこちらを向いていた。

 青く鮮やかな瞳がこちらを覗く。

 

「……目を瞑って」

「えっ……」

 

 突然のことだが、彼女の言われた通りにする。

 

「大きく深呼吸」

「……分かりました」

 

 大きく息を吸って、そして吐く。

 

「身体のおへそに意識を持っていって。それで深呼吸2回。目は瞑ったままで、吐くときに肩の力を抜いて」

 

 彼女の意図などは深く考えないようにして、これも言われるとおりにした。

 ……そうしたことで、身体全体に余計な力が入って緊張していたことに気づく。先程よりも体が楽になった。

 

「今、お腹あたりに意識があると思うから、そのままスタートしてみて。……ゲートを速く出ようって考えすぎたらダメだよ」

「えっ? 分かり、ました……はい」

 

 これはアドバイスなのだと今更になって気づく。時々一言二言軽くアドバイスは貰っていたが、こんなに具体的で多くのことは言われたことが無かった。

 言われたことを必死に頭につなぎ止めながら実践する。

 

 上体にある意識はそのままに……それと、速く出るとか考えない…………

 

「……モエ、話は終わったか?」

「うん」

「分かった。行くぞ──」

 

 坂川の声の後、ゲートが開いた。

 彼女に言われた通り、もっと速くゲートを出るとかは考えないようにした。その結果──

 

(あっ!? やっぱりダメじゃないっ!)

 

 ──カレンモエが1バ身ほど先にいた。

 最後の最後のゲート練も失敗したのかと思ってしまったが──

 

(……あれ? 脚の動きが軽い……!)

 

 行き脚がこの一瞬でも体感できるほど軽い。

 その感覚が嘘ではないと、カレンモエに離されず追い縋っている自分自身のスピードが証明していた。

 

 上体を起こすタイミングを前を走るカレンモエを参考にして、彼女に合わせるように体を起こしその背中を追う。

 

(行けるわっ! 絶対に抜かすっ!)

 

 カレンモエの背中に迫り肩を並べる。

 設定されたゴールまであと20m。

 

「っっ! はああっ!」

 

 調整とかは頭から飛んでいた。思いっきり全力で脚を回した。

 

 その結果、私がクビ差ぐらいで抜け出したところがゴールだった。

 駆け抜けてから、じわじわと実感が湧いてくる。

 

「やった!」

 

 ゲート練で初めてカレンモエに勝つことができた……! 

 

「モエさんっ! ありがとうございますっ!」

 

 すぐに彼女の元に駆け寄った。

 彼女に感謝を述べるためだ。勝てたのは、彼女のアドバイスのおかげだと思ったから。

 

「先程のアドバイスのおかげです!」

「……そう……さっきの」

「はい?」

「さっきしたこと、本番でもしたらいいかもね」

「はいっ。そうしますっ!」

 

 カレンモエは表情や仕草をいつもと変えることなく、先に坂川の元へ歩き出した。その後を私もついていく。

 

 ……本音を言えば、キングにやるように感謝の証として抱き着きたいのだが、彼女にそれをする勇気は無かった。

 

「よくモエに勝てたな。やるじゃねえか」

「あったりまえでしょっ! ……と言いたいところだけれど、モエさんのおかげね」

「…………」

「なにかしら?」

 

 訝しむような眼で私を見る坂川。

 

「おまえ本当はキングと姉妹とかじゃねえのか?」

「意味の分からないこと言わないで。キングが姉ならどれだけ良かったか…………あっ、スズカっ! やったわよ!」

「やったわね、ダイアナさん」

 

 サイレンススズカは柔らかい笑みを返してくれた。彼女は笑うと目尻が下がって本当に可愛い。

 

「ありがとうっ! これで本番も最高のスタートを切って見せるわ!」

「ええ、頑張ってね」

「これでトレーニングは終わりだ。コーナリングもなんとか形になったし、上々だな。残すはストレッチングだ。俺が手伝ってやるから、さっさと来い」

「はいはい。行きましょうスズカ」

「……私、少し寄り道してから行くから、先に行ってて」

「そう? 分かったわ」

 

 どこに寄るのか疑問に感じながらも、椅子に座るサイレンスズカを置いて、坂川のあとを追っていった。

 

 

 ◇

 

 

 ダイアナヘイローを先に行かした理由は、自身のトレーニングのために残っているカレンモエだった。

 

「……モエさん、トレーニングの邪魔をして申し訳ないのだけれど……少しいい?」

「なに?」

「ありがとう。あの……」

 

 彼女に訊きたいことがあったから。

 

 ……近頃の私は、どこか心の中が晴れないような、もやもやとした気持ちを抱えていた。

 

 

 ──『戦術だけじゃなく、もっと他に伝えることはないか? なあ、先頭の景色を見続けたサイレンススズカ』──

 

 

 以前の電話口での坂川の言葉が頭から離れないのだ。

 電話の翌日に彼に直接その言葉の意味を尋ねたけれど、彼には『分からないなら無理に考える必要はない。分かったらでいい』と交わされて、その話題は終わった。

 

 でも彼が言うことだから意味があるはずと思い、私だから伝えられることを探したものの、何も見つからないままだった。……それが心の中のもやもやの正体。

 

 

 ダイアナヘイローのために、サイレンススズカが伝えられることを見つけ出したかった。彼女の勝ちたいって気持ちの手助けになってあげたかった。

 

 

 彼は私に何を求めていたのだろう──そんな心持ちで迎えた今日、目の前でカレンモエがダイアナヘイローにアドバイスしている姿を見た。

 カレンモエがしたアドバイスと、私が伝えられること……関係ないかもしれないけれど、藁にも縋る思いで訊いてみたくなった。

 

「……どうしたの?」

「あ……えっと」

 

 同じチームになってから4ヶ月ほど経つけれど、こうやって誰もいないところで一対一で直接話すのは初めてだ。同学年ではあるけれど、これまで関りなんて一切なかったし、お互い積極的に話しかけるタイプではないのもある。

 

「実はこの前──」

 

 

 少し緊張しながら、坂川との間にあったことを話した。

 

 

「……そう」

「トレーナーさんは私に何をして欲しかったのか分からなくて……。さっき、ダイアナさんに何か助言をしてたでしょう? どういうことを話してたの?」

「……ん…………さっきのなら」

 

 カレンモエは次のトレーニングのために身体を軽く動かしながら答えてくれた。

 

「感覚的なこと。体に力が入りすぎてて、モエに勝ちたいって気持ちが強くて掛かってたから、リラックスできるような深呼吸や意識の向け方を教えた」

「……確かに最後のダイアナさんは速かったわ」

「トレーナーさんが技術的な指導はしてるから、モエは余計なことは言わないでおこうって思ってたんだけど……去年、キングにスタートを教えた時のことを思い出して」

「キングヘイローさんとのこと?」

「うん。意識の向け方とか感覚的なことを教えた」

 

 意識や感覚……坂川が私に求めてたのはそれなの? 

 

「感覚的な話ってウマ娘にしかできないでしょ? でも教えられるのってモエ自身が知ってることだけ。あのアドバイスが正しいのか分からなかった。もしスタートが遅くなったら、それはモエの責任になる。……ほんとは、言う前にトレーナーさんに相談した方が良かったかもね」

「……怖いとは思わなかったの?」

「思うよ。でもあの時トレーナーさんはモエの話を止めなかった。いくらウマ娘の感覚が分からないからって、間違ってることやマイナスなことはトレーナーさんは絶対に止める。だから怖かったけど安心してたよ」

「……信頼してるのね、トレーナーさんのこと」

「うん」

 

 即答するカレンモエ。初めて目にした饒舌に喋る彼女よりも、その肯定の返事が彼と過ごした日々を表している気がした。

 

「今考えたら、ずっと毎日モエと一緒にスタート練してたから、最初からトレーナーさんはモエにこうして欲しかったのかも。相手を見て、モエ自身に自発的に何かを考えさせたかったんじゃないかって。トレーナーさんって、そういうとこあるから」

「……」

「それでね、スズカがトレーナーさんに言われたことだけど……」

「……え?」

「ダイアナへのアドバイス……それはダイアナのためにもなるけど、たぶんそれだけじゃないと思う」

 

 初めてカレンモエが私を見た。

 

 彼女の表情には疑いの色なんて欠片も浮かんでいなかった。

 

 

「それはスズカのためでもあるよ。きっと」

 

 

「……私の……ため」

 

 

 彼女へのアドバイスを考えることが、私のためになる……? 

 

 

「うん。トレーナーさんが『分かったらでいい』って言ってるなら、急がないでいいよ。そうやって悩んで考えることに、意味はあるんだと思う」

「…………」

 

「モエさーん、コース空きましたよー。お願いしまーす!」

 

 ペティが遠くからカレンモエに手を大きく振っていた。

 

「モエ行くね」

「あっ……ありがとう。モエさん」

 

 ペティの元へ走っていくカレンモエの背中を目で追う。

 彼女はペティとタブレットを見て言葉を交わしてから走り始めた。

 

 

「悩んで考えることに、意味がある……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月1日京都レース場。芝2000mで行われた第4レースが終わり、第5レースに出る他のウマ娘たちと一緒にパドックから地下バ道を通ってコースへ向かっていた。頭の中ではカレンモエが教えてくれたスタート前のルーティンを忘れないように反芻していた。

 地下バ道の道中には、2人のウマ娘が私を待ってくれていた。

 

「キング! スズカ! 来てくれたのねっ!」

 

 彼女らの姿を視界に捉えると、駆け寄る足が思わず早足になってしまった。

 

「ダイアナさん、自分のやってきたことを出し切るのよ。そうしたら絶対に大丈夫」

「もちろんよっ! キングの前だもの、今日こそは勝ってみせるわっ!」

「その調子よ! キングの後輩らしく、一流の走りを期待しているわ」

「ええっ! キングいつものあれやりましょう!」

「ふふっ、仕方ないわね。せーのっ」

「「おーっほっほっほ!」」

 

 私たちの声は地下バ道によく響いた。ひとしきりこうやって笑うと、力が改めて湧いてきた。

 キングたちのためにも……そして施設のあの娘のためにも、絶対に勝つ姿を見せてあげたい。

 

「キングはこれで失礼するわね。……ダイアナさん、良いレースを」

「ありがとう!」

 

 キングは踵を返して地下バ道を戻っていった。

 

 地下バ道に残されたのは私とサイレンススズカ。私以外のウマ娘はもう出口に差し掛かっていた。

 

「……? スズカ、どうしたの?」

「あ……ええっと……」

 

 溌剌としていたキングヘイローと違い、サイレンスズカは私を見てどこか迷いのあるような顔をして俯いていた。

 

「どうしたのスズカ? ……あ! 服どこかおかしい? 着崩れてるかしら?」

「いえ、そんなことはないわ……」

「そう?」

 

 彼女は俯いていた顔を上げた。

 

「…………あのっ、ダイアナさん……!」

「へっ? ええ、なに?」

 

 覚悟を決めたような表情に少しびっくりした。

 

「……風を」

「風?」

「身体に当たる気持ちいい風を……誰も前にいないターフを……見渡す限りのレース場を──」

 

 彼女の言葉に次第に力が入ってくる。

 胸の前で手を組んだ彼女は、私に対して強く願うようにこう言った。

 

 

 

「──先頭の景色を、楽しんできて」

 

 

 

「先頭の、景色……?」

 

 思わずオウム返しをしてしまった。

 

 正直言って、何のことか分からない。でも──

 

「あ……あの……えっと……」

「……ふふっ。えいっ!」

 

 そう言った後に狼狽える彼女がどうにも可笑しかったから、私は彼女に抱き着いた。彼女の持っていた松葉杖は倒さないように気をつけて、全身を包み込むように抱く。

 

「ちょっと……ダイアナさん?」

「もうスズカったら……なんであなたがそんななのよ。……ありがとう。分かったわ、先頭の景色を楽しんでくるわね」

 

 言葉の意味は分からない。でも、さっきのキングヘイローと同じぐらい物凄く力を貰えた気がする。

 

「やっぱり私、あなたと他人の気がしないわ。スズカもそう思うでしょ?」

「……ええ」

「よねっ! ……私、行ってくるわねっ!」

 

 彼女を離した私は地下バ道の出口へと向かっていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 スタンドに戻り、チームの皆と並んでターフに目をやる。

 枠入りが完了し、後はスタートを待つだけだった。

 

『スタートしましたっ! ダッシュよくダイアナヘイローが出ていきました。ダイアナヘイロー先頭、2番手ウメマツサクラ』

 

 スタートダッシュを決めてたダイアナヘイローが2バ身ほど差をつけて()()()()()()()()。2番手以下は集団となって彼女の跡を追走していた。

 コーナーまでは約300mと短いこともあって、あっという間に彼女は内回りの第3コーナーへと差し掛かった。

 

 ──スピードに身を任せ軽快に走るダイアナヘイローを見ていると、さっき私から彼女にかけた言葉が自然と蘇ってきた。

 

 

 

 “先頭の景色を、楽しんできて”

 

 

 

『ダイアナヘイロー先頭で3コーナー通過。あとには──』

 

 後ろのウマ娘を従えて、先頭のダイアナヘイローが手ごたえ良くコーナーを回ってくる。体軸のぶれも少なく、スムーズにコーナリングできていた。

 スピードを緩めることなく、後続の脚を削っていた。

 

「……」

 

 ──結局、あれから彼女にかける言葉を探しても何も見つからなかった。地下バ道で彼女を迎えても、何も思い浮かばななかった。

 それでも何か声をかけようと思って、浮かんできたのは自分のことだけだった。

 

 ──私が……サイレンススズカが走っていたときのこと。

 

 

『先頭はダイアナヘイロー! 400mを通過して、さあ直線コース!』

 

 

 第4コーナーを回り、後続との差を保ったまま最後の直線にダイアナヘイローが入ってくる。

 

 

『ダイアナヘイロー先頭だ! ダイアナヘイロー先頭だ! まだ2バ身3バ身リードがあるっ!』

 

 

 

 ──あの言葉に意味があったのかは分からない。けれど──

 

 

『残り200mを切った! 2番手ウメマツサクラ、そしてバ群の間を縫うようにサイタスリーレッドが3番手を伺ってくるっ! しかしダイアナヘイロー先頭! リードを広げにかかるっ!』

 

 

 残り100mを切って、ダイアナヘイローは後続との差を3バ身から4バ身と広げていく。

 後ろから追い込んでくるウマ娘もいるが、差は縮まらない。

 

 

 まさに快速。

 

 

 彼女の逃げに誰も追いつけない。

 

 

 

 ──けれど、彼女が先頭で逃げている姿を見せられて、ひとつ分かったことがある。

 

 

『さあ2、3番手は接戦になりそうだが──』

 

 

 

 他のウマ娘を置き去りにして、先頭を駆けるダイアナヘイローがゴールへと向かう。

 

 

 

『先頭はダイアナヘイローだ! ダイアナヘイローゴールインッ!!!』

 

 

 

 私の周りで、チームの皆が喜んでいた。

 

 

 ダイアナヘイローが走りながら手を上げて零れるような笑顔でこっちを見ていた。

 

 

 

 私も嬉しい。でも、その中で──

 

 

 

「……ああ……気持ちよさそう──」

 

 

 

 ──逃げ切った彼女を見て……自由に走れる彼女を見て……先頭の“景色”を見ているだろう彼女を見て、私は──

 

 

 

「私もまた、あんなふうに────」

 

 

 

 

 ──ただただ、彼女が羨ましかったのだ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ダイアナヘイローと携わり、あのレースを終えて、私自身のことが整理……いや、理解できた気がする。それと“景色”についても。

 

 

 “景色”を再び見るために、私は坂川の元へ移籍してきた。彼が“景色”を見せてくれるって約束してくれた。そして新しい“景色”を探しに行こうとも。

 自分が荒唐無稽な話をしているのは分かっている。それでも彼が私の“景色”が見たいって言ってくれて嬉しかった。その言葉には心を動かされたし、一生懸命に語りかけてくる彼を見て、熱い思いが伝わってきた。

 

『走ることもそうだが……走りに向き合うことで、新しく見えてくるものは必ずある。それは“景色”にも繋がっているって、俺は思うんだ』

 

 今になって彼がそう言っていたことを思い出す。一連のダイアナヘイローとの経験が彼の言っていたことと同じなのかは分からないけれど、関係ないとは思えなかった。

 私はダイアナヘイローを通じて走りに向き合ったんだと思う。

 

『──先頭の景色を、楽しんできて』

 

 そう振り返ったうえで、あの地下バ道での私自身の言葉を思い返すと、私はダイアナヘイローを通して“景色”を見ようとしていたんだと思う。“景色”を託すとも言っていい。

 それがおそらく、新しい“景色”の形のひとつなのだ。誰かに“景色”を託す……私を他のウマ娘に投影する。それは間違いなく“景色”の形のひとつだと思う。

 

 

 

 

 私自身は走らず、携わったウマ娘というレンズを通して、私が“景色”を見る。見せてもらう。

 

 

 

 

 ……実は、そういう形での将来を考えなかったわけではない。私の脚が治る可能性が低いのは知っている。怪我をしてすぐ、過去に同じ怪我をしたウマ娘たちの末路を調べたことがあるのだ。

 絶対に治るって根拠のない夢を見られるほど子供じゃない。それでも諦めきれなくて、私は坂川を頼ったのだ。

 

 景色は見せてもらうことができる。そのことは今回のことで理解できた。

 

 けれど……

 

 

『先頭はダイアナヘイローだ! ダイアナヘイローゴールインッ!!!』

 

 

 ダイアナヘイローが目の前で逃げ切る姿を見て、湧き上がってくる想いを抑えられなかった。

 

 

 “私もまた、あんなふうに────”

 

 

 未だに体重のかけられない脚でも、治る見込みが低くても……もし、もう走れないという結果が待っていたとしても。

 

 

 私は走ることに……自分自身がターフの上で見る“景色”に、どうしようもなく惹かれていて、身が焼かれるほど焦がれている。

 

 

 この(サイレンススズカ)の気持ちに嘘はつけない。誤魔化すなんて何があってもできない。

 

 

 

 

 走ることは何事にも代えられない。

 

 

 

 

 “景色”に出会うなら、そのときの私はターフで走っているサイレンススズカがいい。

 

 

 

 

 それが正真正銘偽りのない、私の気持ちだ。

 

 

 

 

 

 

 レースの翌日、他のウマ娘が部室へ向かったあと、トレーナー室にいた坂川に私はこう伝えた。

 

「やっぱり私……走りたいです。厳しい道になるのは承知しています。けれど、“景色”を見るのは、先頭で走るサイレンススズカが良いんです」

 

 デスクに座る彼にそう言うと、彼は少しだけ間を置いてからこっちを見やった。

 彼の口元には笑みが浮かんでいた。

 

「何も変わらねえってことだな。分かった。……今日からメニューを変更だ。医者とも情報交換して、次のステップに移行することになった。厳しいし辛いぞ。覚悟はいいな?」

「はい」

「と、その前に土日のレース回顧のノート提出な。今までやってた座学だって続けていくぞ。それと……ダイアナヘイローのこと、ありがとうな。お前が色々考えて手伝ってくれたおかげで勝つことができた。よし、じゃあ一緒にウェイトルームに行って、新しいメニューについて教える。近々コースにも出てもらうぞ」

「! コースに、ですか!?」

「ああ。まだ歩くとか走るとかは無理だし荷重に制限はあるが、出来ることはある」

「はいっ! 頑張りますっ」

 

 先にトレーナー室を出て、ゆっくり歩く彼の後を私は追っていった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 1勝クラスに勝利して、その数日後に児童養護施設を訪ねると、これまでに見たことないぐらい子どもたちが喜んでくれた。

 こっちが申し訳なくなるぐらいの喜びようだった。あのウマ娘の子は「おねえちゃんすごいすごいっ!」ってずっと言ってくれて、その日はずっとじゃれていた。

 

 レース後はキングヘイロー含めてチームの皆も自分の事のように喜んでくれていた。

 

 頑張って走って勝つのも悪くないって、そう思った。自分のためにとは思わないけれど、他人のためになら私は頑張れるんだって理解させられた。

 

 

 そんな満たされた気持ちになった翌日の放課後、トレーナー室に顔を出すと坂川だけがいた。彼は私を一瞥した後、パソコンと睨み合ってキーボードを叩いていた。

 

「ごきげんよう。誰も来てないの?」

「お前が一番最初だ」

「……」

 

 相変わらず気に食わない男だ……とは思うけれど、キングヘイローとカレンモエが来月にレースを控えている中、レース前は私に付きっきりで色々なことを教えてくれた。

 さすがの私でも、彼の指導が無かったらおそらく勝ててはいなかったことぐらいは分かる。

 

 パソコンでの作業が一段落終えたのか、彼はイスの背もたれにもたれかかった。

 

「ふぅ。……なあ、ダイアナ」

「なにかしら」

「……いや、やっぱ何でもねえ。お前はお前の走りたいときに走ればいい」

「……またそれ?」

 

 彼はそう言ったきりまたパソコンに向き直った。話はそれで終わりということだろう。

 

 ……まあでも、今の私たちはこんな距離感でいてくれた方がいいのかもしれない。

 

「……ま、分かったわよ」

「は?」

「あなたが言ったことよ。それじゃ、部室に行くわ」

 

 部室でキングヘイローたちを待つことにした私は、自分のデジタルブラのセンサーを持ってトレーナー室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ダイアナヘイローがトレーナー室から出ていった。

 

 

「……まあ、良い方向に出たか」

 

 

 ダイアナヘイローのレース終わり、彼女については一段落した。

 結果も出たのは何より喜ばしいことだ。彼女自身の持てる力を発揮してくれた結果、4バ身差の勝利となった。

 今回のレースへの意欲が、あの小さい子どもたちと繋がっている可能性もあるが……俺が首を突っ込むことでもないだろう。悩んでそうな様子が見られたらまた別だが。

 

 サイレンススズカも自分のことについて向き合ってくれたようだった。狙い通りと言えば言い方は悪いが、偶然にも機会を作れたようで良かった。

 それでも走ることを選んだのだから、多くの苦難が待ち受けているだろうが、最大限サポートしてやるだけだ。

 

 答えを提示して教えるのは楽だし簡単だ。だがそれだけでは成長したり前に進まない。自ら前に一歩踏み出すことこそ大切だと思うから、今回はサイレンスズカに色々考えてもらったのだ。

 “教育”とはよく言ったものだと思う。“教”えるだけでなく“育”てないといけないのだ。

 

 

「こっちは一段落で、次は……もう来月だな」

 

 

 

 来月……6月にはキングヘイローが安田記念、カレンモエは函館スプリントが待っている。

 

 

 やるべきことは変わらず山積している。だが、やることは何も変わらない。結局はいつもの通りだ。

 

 

「……アイツらも、まだまだここからだ」

 

 俺は改めてパソコンに向かい合い、走りの分析やメニューの作成に取り組んだ。

 

 




ダイアナヘイロー編……実質サイレンススズカ編でもありましたが、これにて完結です。
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