底辺キング   作:シェーク両面粒高

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本話には“追憶14 底の景色”と対応している場面があります。


追想6 現役最強

 あたしのトゥインクルシリーズは続いていった。

 

 

 

 

 

 ──シニア級1年、ジャパンカップ(東京2400m)……1着。

 

 

『キタサンブラック、ゴールインッ! 東京2400を見事に逃げきりました!』

 

 

 菊花賞以来となるリアルスティールとの再戦となったジャパンカップ。あたしは逃げきって勝利した。

 

 これでGⅠ3勝目。

 

 

 

 

 

 

 ──シニア級1年、宝塚に続いてファン投票1位で迎えた有馬記念(中山2500m)……2着。

 

 

『キタサンブラックかっ!? サトノダイヤモンドかっ!? 並んでゴールインッ!!! サトノダイヤモンド捉えたかっ!? それともキタサンブラック残したか!? 最後は捉えたかサトノダイヤモンド!?』

 

 

 親友であったサトノダイヤモンドとの初対決は、クビ差で負けて2着だった。

 ……サトノ家の組織的なレース内容のこともあり、この有馬記念あたりからしばらく、サトノダイヤモンドとの間にわだかまりができた。あたしは何も気にしていなかったけれど、彼女の方からあたしに距離を置くようになったのだ。数ヶ月は会話らしい会話はなかった。

 わだかまりが解けたのは二度目の天皇賞春が終わった後になる。

 

 

 有は負けたけど、シニア級1年では天皇賞春とジャパンカップを勝った。

 レースに出る度にあたしへの歓声が大きくなっているのを感じていた。宝塚有馬と連続でファン投票1位になり数字にも表れた。メディアからの取材も大量に来ていて、スポーツ紙やテレビでの扱いも格段に大きくなった。グッズの展開やCMにだって起用され、レース以外でも日に日に忙しさが増していった。

 

 ──キタサンが強くなって良い走りをしたら、絶対に見てくれる人は増えてくる──

 

 ……皐月賞の前、トレーナーさんが言ったとおりだった。

 

 

 

 そしてシニア級1年を終えたあたしに与えられたのは、現役最強の証明である年度代表ウマ娘の称号だった。

 

 

 

 あたしは単なる世代代表のウマ娘じゃなくなった。実力でも人気でも、あたしがトゥインクルシリーズの主役で中心だと確信していた。

 自信は矜持と自負心へと変わった。

 

 それらを認識する度に、背負うものがひとつ、またひとつと増えていった。

 

 

 全部背負ってやる覚悟は疾うにできていた。

 

 

 ◇

 

 

 

 年が明けてしばらくしたある日、あたしは寮の自室にいた。

 スマホでURAのサイトにアクセスし“坂川健幸”のプロフィールページを開くと、彼の担当ウマ娘5人の名前が追加されていた。無事にトレーナーとしてウマ娘を担当することができたようだ。

 

「良かった……」

 

 おそらく振り分けられたウマ娘なんだろうけど、どんな形でも彼が中央でトレーナーとして復帰できたことに安堵していた。

 

「……もう1年も経ったんだ……」

 

 ノートを読んでから1年が経過していた。早かった気もするし、あっという間の気もした。一日一日は濃いはずなのに、日にちは一瞬で過ぎ去ってしまう。

 あれから1年経って、変わらなかったこともあれば変わったこともある。

 

 トレーナーさんがあたしに対してどう思っているのかは分からないままだった。……これはあたしじゃどうしようもない問題で、時間は解決してくれない。彼に直接気持ちを確かめるしか解決する方法はないんだと思う。

 ドーピングに対する怒りとか憎しみ……そういった感情は完全には消え去ってはいないけれど、ノートを読んだ直後と比べても限りなく薄れていった。

 それよりも、どうしてにあんなことになってしまったんだろうって思う気持ちが強くなった。

 

 

 ──もっと他にできることがあったはずだから。

 ──トレーナーさんのことをちゃんと理解していたなら。

 ──違う選択肢を選んでいたら。

 ──皐月やダービーで勝っていたなら。

 ──もっと強かったなら。

 

 

 ……トレーナーさんはドーピングなんてしなかったんじゃないかって考えるようになった。

 

 

 

 あたしとトレーナーさんが一緒に歩んだ未来だって、どこかにあったはずなのに。

 

 

 

「…………」

 

 机の引き出しに目をやる。その奥にはあのノートが大事に保管してある。

 あれからも何度も何度も見返していた。最初に貰って来た時よりノートの端がボロっとしていた。

 

 今でもトレーナーさんに会う気にはなれなかった。会って、彼のあたしに対する気持ちがもし最悪のものだったら、立ち直れないと思うから。

 それに父のこともある。少なくともあたしが大人になって独立するまでは……トゥインクルシリーズにいるうちはトレーナーさんと接触したら何が起こるか分からない。

 

 

 

 

 首を振って余計な思考を散らした。

 

 

 ……考えてもどうしようもないのはもう知っている。

 

 

 

「あたしは……あたしのできることを…………」

 

 

 

 それしかない。

 

 

 

 ◇

 

 

 ──シニア級2年、大阪杯(阪神2000m)……1着。

 

『しかし寄せ付けない! キタサン祭りだ! キタサンブラックですっ!』

 

 同期のサトノクラウンや一つ下のダービーウマ娘マカヒキもいたレースだったが、3番手からレースを進め最後は押し切った。

 

 GⅠ4勝目。

 

 

 

 

 

 ──シニア級2年、天皇賞春(京都3200m)……1着。レコードタイムにて連覇達成。

 

 

 

 レース直前のゲート前。

 

「キタちゃん……その……」

 

 レース開始直前だというのに、サトノダイヤモンドはおどおどとして闘争心の欠片もない様子だった。彼女はばつが悪そうあたしに話しかけてきた。

 有でのサトノ家の行為に今でも引け目を感じ引きずっているんだと直感で分かった。

 これでは()()だ。今の彼女はくすんで濁ってしまっている。こんな気持ちとモチベーションのまま走らせても彼女のためにならないし、良い走りはできない。

 あたしは幼い頃からの親友と全力でぶつかり合いたい。そして全力の彼女を倒して現役“最強”で在り続けるために。

 

 何よりも、ダイヤちゃんには輝いていて欲しいから。

 

「……今でも……怒ってる……よね……」

「…………」

「そう、だよね……っ…………」

 

 サトノダイヤモンドは唇を噛み俯いた。勝負服の装飾がかすかに揺れ、肩にかかった亜麻色の髪の毛が幾房か滑り落ちた。

 

 分かってる。有馬記念のサトノ家のチームプレーは彼女が望んだものじゃないってこと。親友のあたしが彼女がそんなことをする娘じゃないって一番知っている。だからあたしは何にも思わなかったのだ。

 サトノ家の偉い人かトレーナーか、仕組んだ首謀者は誰かは知らないし、知りたくもない。

 

「……言い訳はしない。事実だから。キタちゃんが怒ってるのも──」

「ダイヤちゃん。あたしは怒ってないよ。本当に何も怒ってない」

「──え?」

 

 現役最強である去年の年度代表ウマ娘キタサンブラックとして。何よりサトノダイヤモンドの親友キタサンブラックとして。

 いつものあたしの元気を込めて、彼女に真正面から高らかに言い放つ。

 

「今日は邪魔は入らない。ちゃんと決着つけよう。勝負しようっ、ダイヤちゃん!」

「……キタちゃん…………」

 

 ありがとう、と確かに聞こえた。消え入りそうで泣きそうな声だったけれど、芯の通った声だった。

 その瞳には煌めく輝きが戻っていた。いつものダイヤちゃんだった。

 

「絶対に負けないっ! キタちゃんを倒して、私がサトノ家に眩い栄光を!」

「……ダイヤちゃんの強い気持ち、伝わってくるよ」

 

 過去から現在に渡るサトノ家の全てを背負っているウマ娘がサトノダイヤモンドだ。彼女の背負っているものの大きさと重さはあたしには計り知れない。

 

「でもっ! あたしだって負けられないっ!」

 

 応援してくれる人々や、こんなあたしを支えてくれたみんなに笑顔と元気をあげたい。応えたい。

 そして“最強”を証明するために。

 

 あたしはあたしのために走る。そして勝つ。

 

 

 

 

『キタサンブラック先頭、2バ身のリード! 外からサトノダイヤモンド、間からシュヴァルグラン! しかしっ──』

 

 

 大逃げするヤマカツライデンから離れ、実質的に逃げとなる形の2番手でレースを運びゴール前。

 先頭で後続を突き放すあたしに追いつける者はいなかった。

 

 

 

『連覇だ! 連覇だっ! キタサンブラック連覇達成ッ!!! “最強”ウマ娘はキタサンブラック!!! ──っ!? 勝ちタイムがなんと3分12秒5! レコードタイムッ!!!』

 

 

 

 電光掲示板に赤く点灯した“レコード”の文字を目にした。

 

 

 これでGⅠ5勝目。

 

 

 勝って、サトノダイヤモンドと仲直りの抱擁をしてから観客席を見た。あたしを応援してくれるたくさんの観客がいる。あたしの両親や父のお弟子さん、アルファーグの清島やチームメイト、友達、トレセン学園のウマ娘……もちろん、その中にドゥラメンテもいた。

 

「ありがとうございますっ! 温かいご声援、ありがとうございますっ!!! 皆さんの応援、ほんっとうに力になりましたっ!!!」

 

 この瞬間は元気と笑顔をあげられたって実感が爆発するように湧いてくる。近くに行き、声を掛けて手を振って感謝の気持ちを精一杯伝えた。表彰式のときには職員にお願いして一曲だけ歌わせてもらった。

 レースとこれだけじゃ足りなくて、足りない分はライブで一生懸命歌って踊って感謝の気持ちと笑顔や元気をもっとあげたいって思った。

 

 歌い終わり、そして訪れたいつもの感覚──

 

「お聴きくださってありがとうございますっ! ははっ、ありがとーっ!」

 

 

 ──あたしが欲しかったものが今、目の前にある。

 

 

 

 でも、いない。

 

 

 

「ありがとうございますっ! 次のレースも頑張りますっ! また温かいご声援、よろしくお願いしますっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこを探してもトレーナーさんはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーさんだけがどこにもいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 ──シニア級2年、宝塚記念(阪神2200m)……9着。

 

 

 今回も人気投票1位に支持された。現役最強ウマ娘として、そして何より人気投票で投票してくれた多くの人々のために勝ちたいレースだった。去年負けてしまった雪辱を果たしたかった。しかし──

 

 

『苦しい、キタサンブラック! 伸びないっ! 伸びないっ! いつもの力強さがないっ! サトノクラウンが突き抜ける!』

 

 ──待っていのは久方ぶりの大敗だった。

 

『サトノクラウンだ! サトノクラウン1着! キタサンブラック敗れる!』

 

 

 原因は分からなかった。調子も悪くなかったし、その後の精密検査でも怪我は見つからなかった。

 クラシック級のセントライト記念からこの宝塚記念まで2年近く3着を外したことが無かった。ここまで大負けするのはダービー以来だった。凱旋門に行くプランもあったけれど、リスクを考え清島や周りの人と相談して国内に専念することに決めた。

 

 敗北と期待に応えられなかったことへの悔しさはもちろんあったが、すぐに切り替えて秋からのレースのためにトレーニングに集中した。現役最強であることを再び証明するためには、くよくよしている時間なんて必要ないから。

 

 

 ◇

 

 

 そして8月の終わり。夏合宿の最終タームのことだった。

 その日のトレーニングを終え自室に戻ったあたしは、スマホを使って今日開催されたあるレースの結果をチェックした。

 

 あるレースとは、トレーナーさんのウマ娘が出た未勝利戦。()()()()()()だった。

 

「……そんな…………」

 

 結果は最下位惨敗だった。これで彼が担当したウマ娘5人全員が8月の未勝利戦を敗北で終えたことになる。

 既に他の4人の名前はURAの彼の現役担当ウマ娘の欄から削除され、過去に担当したウマ娘の欄に移っている。未勝利戦で勝てなかったから、退学したということなんだろう。

 担当ウマ娘の欄にあった最後のウマ娘が負けてしまった。5人全員が掲示板にすら一度も入れていなかった。

 

 彼の担当するウマ娘はいなくなった。

 

「……どうして……?」

 

 これまでのレース結果を追っている中でもそうだったが、今でも全く理解ができなかった。

 今まで彼の担当ウマ娘のレース映像は見ないでいた。見たら色んなことを考えてしまいそうだったから。

 けれどそうとも言っていられない。取りあえず、5人全員の最後の未勝利戦のレース映像を見てみた。

 

「…………なにこれ……」

 

 どのウマ娘も追走すらできていなかったのだ。レース途中でバ群に離されて脱落する娘がほとんどで、勝負にすらなっていない。

 

 こんなこと思うのは嫌だけど、この娘たちは足が遅すぎる。

 フォーム自体は皆整っているように見える。……中にはあたしに似たフォームの娘もいた。でも、フォームに問題ないからこそ足の遅さが強調される。

 振り分けられたウマ娘が遅すぎたってこと? 

 

「……」

 

 でも、それを知ったからってあたしにできることは何もない。あたしはただトレーナーさんの行く末をこうやって離れたところで見ているしかできない。

 

 担当ウマ娘が全員一回も勝てずに退学……トレーナーさんはどんな心境でいるだろうか。あたしを担当してくれてた時みたいに、ウマ娘のことを大切に思ってくれているなら想像もできないほど苦しんでいると思う。

 

 ……あたしなら、トレーナーさんに勝利を──

 

「あたしにできることは……」

 

 

 結局、あたしにできるのはレースに出ることだけ。

 

 もしかしたらレースやライブをトレーナーさんが見てくれてて、あたしのこともまだ大切に思ってくれてて、それで元気や笑顔をあげられる可能性がほんの僅かでもあるなら──

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ──シニア級2年、天皇賞秋(東京2000m)……1着。

 

 

 

 

『さあ、18人未体験ゾーンの不良バ場。これから天皇賞秋のスタートです』

 

 台風の影響で、大雨により不良バ場となった天皇賞秋。……後になってから振り返れば、絶対に勝ってみせると気負いすぎていたのだと思う。

 

 だからか、スタートでは出遅れてしまった。ほとんど最後方からのレースになってしまった。

 

『キタサンブラックあまりいいスタートではありません──』

 

(……大丈夫)

 

 あたしは全く焦っていなかった。むしろ、出遅れてしまったことで逆に頭が冷えた気がした。

 他のウマ娘の位置取りやバ場状態をひとつひとつ冷静に頭に入れながらレースを進めた。リアルスティールは先団前目で、サトノクラウンは中団、その後ろであたしの前にレインボーライン。バ場は荒れているなんて言葉では言い表せないほど柔くぬかるんでいて、地面を捉えるたびに大量の水と泥が跳ねていた。脚を引き抜くのにも相当のパワーが要る。

 

 だけど問題はない。出遅れもバ場も、あたしがこれまでに培ってきた身体と経験で対応できる。展開やバ場で能力を著しく落とすようじゃ現役最強ウマ娘なんて名乗れない。

 どんな条件だろうが勝つ。どんな距離やどんなバ場でもこなしてこそ“最強”のウマ娘なんだ。

 

 10のハロン棒が見えてきたところで、少しずつペースを上げて前へとポジションを上げていく。バ場状態を考慮して、あまりに後ろ過ぎると末脚が届かない可能性があるからだ。良バ場想定の位置では遠すぎる。

 

 他のウマ娘が避けているバ場の最も緩い最内から前へと出ていった。

 

『ここにいましたキタサンブラック。後方から徐々に前へと進出。今日は祭りのテーマをこの府中に轟かせるか?』

 

 10のハロン棒が過ぎ残り1000mを切った。途中リアルスティールを交わして、あたしは先頭集団からすぐ後ろの2番手集団につけた。

 そのままコーナーに入り曲がっていく。

 

(いい位置……あとは末脚…………あ──)

 

 末脚のことを考えて、瞬間的に頭を過ぎったものがあった。

 

(……あのノート……)

 

 天皇賞秋と末脚……クラシック級で天皇賞秋を目指していたトレーナーさんがノートに書いていたこと。

 天皇賞秋に勝つには上がり最速級の末脚が必要だとトレーナーさんは考えていた。だからあの時期のトレーニングは瞬発力を鍛えるメニューを多くこなしていた。

 そのトレーニングが実ってあたしは菊花賞を上がり3F最速の脚で勝利した。けれど、それから逃げか番手でレースをすることが多かったから、今年の天皇賞春で3位に入った以外は全て上がり3Fで上位3人から外れていた。

 

 でもだからって、今のあたしが上がり最速の脚を繰り出せない理由にはならない。

 

 あのトレーナーさんのトレーニングや身体作りが土台にあって、引き継いでくれた清島の指導があって、あたしの努力や頑張りによって、今のキタサンブラックというウマ娘は出来ている。

 

 

 ──逃げで他のウマ娘を擦り潰せないのなら、上がり最速の脚で圧倒すればいいんだ。

 

 

 

 バ群が第4コーナーから直線の入り口に向いた。他のウマ娘たちは外を回して膨らみながらコーナリングしていった。

 前方の景色が開けた。

 

『さあ4コーナーカーブから直線コース!』

 

 

 ここが勝負所。あたしは迷わず最内を狙い、一番荒れているバ場の悪い内側を回した。

 

 

『最内をすくって、さあ! キタサンブラックは最内選択! キタサンブラック勝負に出たっ!』

 

 

 距離のロスがある他のウマ娘を差し置いて、最短距離でのコーナリングで最後の直線へと躍り出る。

 直線に入って100mを過ぎる前には既に先頭に立っていた。

 

 

『キタサンブラックが追い込んできた! 内を突いてキタサン先頭! キタサン先頭に変わる! 400mを通過した!』

 

 

 残り400m地点で抜け出した。横にウマ娘がいなくなったのであたしはバ場の良いところを求めて進路を外側へ取った。もう内側を走る必要はない。

 後ろからあたしを追ってくる気配を感じる。ちらっと見やると、宝塚を1着で駆け抜けたウマ娘の姿があった。泥にまみれた彼女は必死の形相であたしを交わそうと追い上げてきた。

 

『2番手サトノクラウン! 3番手レインボーライン、その後ろにリアルスティール!』

 

 サトノクラウンが近づいてすぐ後ろに来た。

 彼女は外へ進路を取るあたしの内側に潜り込んでくる。

 

(クラちゃん…………!)

 

 

『キタサンブラック堂々と先頭だ! しかし追ってくる、進路を内に取ったサトノクラウン!』

 

 

 彼女の勢いは衰えていない。むしろ距離を詰めてくる。脚色は彼女の方が良い。

 

 

『キタサン先頭! しかしクラウンも来る! その差が縮まる!』

 

 

 残り100m。

 

(…………なら)

 

 考えを変えた。

 

 半バ身差に詰められたあたりで外へ行くのをやめて、サトノクラウンとバ体を合わすようにしてゴールへと向かっていく。

 バ体を合わせた競り合いと粘りならあたしは誰にも負けないから。

 

 

『キタサンブラック! 差を詰めるサトノクラウン! しかし──』

 

 

 バ体をサトノクラウンに近づけていくと、ほんの一瞬だけ彼女が怯んだのが分かった。

 

 

 勝負はそこで決した。

 

 

 

『──サトノクラウン2番手! キタサンだキタサンだっ! 仁川の悲鳴は杞憂に終わったっ!!!』

 

 

 

 最後はクビ差まで詰め寄られるも、サトノクラウンの追撃を凌いで勝利した。

 

 

『キタサンブラック見事! 心配無用! これが現役最強です!』

 

 

 これでGⅠ6勝目。

 

 

 後から知ったけど、上がり3Fのタイムは最速だった。

 

 

 

 ゴール後に立ち止まって後ろを振り返ると、2着以下に敗れたウマ娘たちが目に入った。みんな泥まみれで、雨で髪も勝負服もぐちゃぐちゃだった。

 仰向けで倒れて胸を上下させている娘、化け物でも見るかのようにあたしを呆然と見ている娘、気力を振り絞りあたしの目を見返す娘、そんな気力もなくただ俯いている娘。

 

 倒した相手に羨望と諦観を刻み付ける……みんながみんな、あたしのことを好いてくれているわけじゃない。あたしが勝つ分だけ負けるウマ娘がいて、そんな彼女らを応援して支えている人たちがいる。

 それらを踏みにじって上に立つ。現役最強ウマ娘になるとはそういうことだ。

 

 

 

 この天皇賞秋で現役最強はキタサンブラックだって、あたしなんだって証明できた。

 

 

 

 

 だから思ったんだ。

 

 

 

 このタイミングなんだって。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 天皇賞秋を終えてからしばらくして、あたしはジャパンカップ、有馬記念で引退することを発表した。理由のひとつ目はトゥインクルシリーズで現役最強を証明できたと思ったから。ふたつ目はドリームトロフィーリーグ(DTL)で改めて“最強”を証明するため。

 DTLでは全盛期から能力の落ちたウマ娘が多いけれど、未だにトゥインクルシリーズと遜色ないかむしろ上のレベルで走っているウマ娘もいる。そのウマ娘たち相手に、全盛期のあたしが勝って真の最強を証明するためにトゥインクルシリーズを引退するのだ。

 ……もちろん、ドゥラメンテの目標として在り続ける意味もある。

 加えて海外のこともある。勝って華々しく引退するのが主流の海外のウマ娘たちも各国の日本のDTL相当のリーグに所属している。年に1回は国をまたいだ交流戦があり、そこで海外の名ウマ娘たちと勝負するためでもあった。世界で“最強”を証明できればこれ以上のことはない。

 

 引退を決める前にURAに照会するとDTLからの招待はすぐに届いた。

 それを受けてあたしの考えをみんなに相談したけれど、清島や両親はじめみんな納得して送り出してくれて発表に至った。

 

 会見ではドゥラメンテのこと以外は包み隠さず話した。

 

 世間の反応としては、ありがたいことにあたしの引退を惜しんでくれる声が多かった。

 具体的には『もっとトゥインクルシリーズで走る姿が見たかった……』、『引退は悲しいけどDTLでキタサンの走りが見れるなら嬉しい! 日本、いや世界相手に頑張ってほしい!』、『キタサンを応援していると、自分も頑張ろうって気になるので、DTLでも応援します』など。

 メディアも取り上げてくれて、様々な媒体であたしの引退がトップニュースになった。舞い込んでくる取材やあたしの記事を目にすると、あたしはトゥインクルシリーズの中心で、現役最強のウマ娘で、みんなに勇気や元気、笑顔を与えられる存在になったんだと改めて実感できた。

 

 

 

 

 あたしの夢は叶った。あたしは夢を叶えることができたんだ。

 

 

 

『私、誰かに勇気や元気をあげられるウマ娘になりたいんです!!』

 

 

 

 あたしを支えてくれたみんな、応援してくれたみんなにあたしは勇気や元気、笑顔をあげることができた。

 

 

 

『ああ、それを叶える手伝いを俺にさせてくれ──』

 

 

 

 

 

 

 ──あなたをのぞいて。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ──シニア級2年、ジャパンカップ(東京2400m)……3着。

 

 

『シュヴァルグラン! シュヴァルグランが先頭だっ! シュヴァルグラン、ゴールインッ!!!』

 

 いい走りは出来たけど、シュヴァルグランとレイデオロに負けてしまった。

 ミスらしいミスは無かった。強いて言えば左脚の落鉄があったが、落鉄程度は言い訳にならない。落鉄で負けるなら、その程度の実力だったってだけ。

 

 あたしは素直に勝った相手を称えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──シニア級2年、有馬記念(中山2500m)。あたしのトゥインクルシリーズラストラン。

 

 人気投票は1位。多くの人達の期待を背に、あたしは最後のレースへと向かう。

 走り始めた時には考えられなかったぐらい大きいものをあたしは背負っていた。決して軽くはないけれど、今のあたしは全て背負って立つことができる。

 

 

 1枠2番のゲートに入り、スタートを待つ。

 心は完全に凪いでいて、身体も必要最低限しか力が入っていない。これ以上ないほど集中できていた。

 

「……っ!」

 

 ゲートが開いた瞬間、最後のレースへと飛び込んでいった。

 

 上手くスタートを切れて、逃げる形となった。

 道中であたしに競りかけてくるウマ娘はいなかった。これまでのレースで、あたしに競りかけたらどうなるか知っているから(擦り潰されて力尽きるだけ)だろう。

 

 あたしはペースを微調整しながら走っていった。1周目のスタンド前から向こう正面へ。そして第3コーナーへと。

 コンディションは最高で、気持ちいいぐらいだった。

 

 あたしが先頭のまま、最後の直線に入っていく。

 

 

『第4コーナーカーブから直線へ! 先頭はキタサンブラック! 逃げる逃げる、リードは2バ身ある!』

 

 

 後ろから追い込んでくる気配がある。みんながみんな本気を出して、あたしを追い抜こうとしている。

 

 

『キタサンブラック、離す! 離す! 離すっ!』

 

 

 でも、誰もあたしには追いつけない。差は縮まらない。縮めさせない。後ろを突き放す。

 

 

『キタサンブラック──』

 

 

 目の前に迫るゴールを駆け抜けていった。

 

 

 

『──ゴールインッ! これが! 現役最強ウマ娘の引き際だぁ!!!』

 

 

 

 ラストラン勝利。引退レースでシンボリルドルフに並ぶGⅠ7勝目。

 

 

「……っ……はあっ……」

 

 

 

『中山レース場、物凄い拍手と歓声です! この拍手、この大歓声をお聞きください!』

 

 

 あたしの背中に拍手と歓声が合わさった轟音が浴びせられていた。

 

 

 

 思い残すことはない。もう十分。これ以上ないくらい、あたしは果報者だ。

 

 

 

「あたし、やりましたあっ!!!! ありがとうございますっ!!!」

 

 

 

 あたしは観客席を向いて、最大限の感謝を込めて、ウイニングランへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────♪!!!  ……ありがとうございました──っ!!!」

 

 

 トゥインクルシリーズ最後のウイニングライブが今終わった。最初の曲からアンコールに応えた最後の曲まで、あたしの思いを全て込めた歌と踊りができた。

 歓声は鳴りやまず、サイリウムの光が観客席一杯に輝いている。観客席は多くの一般のファンの人が占めているけど、中にはあちこちに見知った顔があった。清島、アルファーグのサブトレやチームメイト、両親、父の弟子、トレセン学園のウマ娘たち。もちろんドゥラメンテ、サトノダイヤモンド、リアルスティールもいた。

 

 もちろん、今こうしてここに立つことができているのは、清島はじめアルファーグの皆や友人が支えてくれたから。目の前にいるたくさんの応援してくれる人がいたから。

 でも……トレーナーさんがいなかったら今のあたしはない。あの人があたしのために頑張ってくれたおかげで今のあたしがあるんだ。

 

 既に分かっている。菊花賞のライブの時から感じている強烈な違和感、気持ちの悪さ、欠けているジグソーパズルを見る感覚……その正体。

 あたしは今日もその姿を探していた。いないって分かってるのに。

 

 

 

「みなさんっ! 今日はこんなハレの日にお集まりいただき、ありがとうございますっ!!!」

 

 

 

 

 今日もトレーナーさんはいない。中山レース場にも、このライブ会場にも。

 

 どこにもあなたはいない。

 

 

 

 

 

 

「ご存知とは思いますが、あたしは今日でトゥインクルシリーズを引退して、ドリームトロフィーリーグへ移籍します! だからっ、トゥインクルシリーズのウマ娘キタサンブラックとしてはっ、今日が最期の走りと歌になります! だから、みなさんにお聞きしたいんですっ!」

 

 

 

 変な気分だった。目の前の人達に全力で応えているあたしと、どこか離れたところで違うことを考えているあたしがいた。

 

 

 

 少しだけ静まる観客席。その奥の方に、あたしを捉えているカメラを偶然見つけた。

 

 

 ──トレーナーさん……もしかしたら…………このカメラの向こうで……

 

 

 

 

「あたしの走りで、あなたに笑顔と元気を届けられましたか?」

 

 

 

 

 ──あたしの走り、見てくれていましたか? あなたに笑顔と元気を届けられましたか? 

 

 

 

 

「あたしの歌で、あなたに感謝の気持ちを伝えられましたか?」

 

 

 

 

 ──あたしの歌、聴いてくれていましたか? あなたにも感謝を……ありがとうの気持ちを込めて歌っていました。ちゃんと伝わってたら、いいな……

 

 

 

 

「あたしは、あなたの夢になれましたか?」

 

 

 

 “キタサンの夢を叶えさせたい。何より、キタサンに喜んでほしい。心の底から笑ってほしい。自分がトゥインクルシリーズの主役なんだって、自分は凄いウマ娘なんだって、そう自分を認めさせてやりたい”

 

 

 

 ──あたしの夢は叶いました。あなたがあたしのことを想って……おこがましいかもしれないけど、それはあなたの夢でもあったと、そう信じています。

 あなたがあたしにくれたたくさんのものが、今でもあたしの中に残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 ──あたしはあなたの苦悩と努力、その想いに応えられましたか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──トレーナーさん…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ああ……

 

 

 

 

 

 

 観客席のサイリウムが揺れる。大歓声がライブ会場を包んでいる。

 

 

 

 

 ここにもあなたの笑顔だけがない。

 

 

 

 

 

 おそらく、もう永遠に見られない。

 

 

 

 

 

 

「……っ…………」

 

 

 

 

 

 視界が滲む。零れないように上を向いた。

 

 

 

 

 

 離れたところにいるあたしを消して、目の前の人々のために応える。

 

 

 

 

「……ありがとうございますっ!!!!! こんなに応援してくれるみなさんがいて、あたしは果報者ですっ!!! ドリームトロフィーリーグでも、笑顔と元気を届けられるよう頑張りますっ!!! これからもどうか、応援よろしくお願いしますっ!!!!!」

 

 

 

 

 

 爆発するような歓声が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたしのトゥインクルシリーズはこうして幕を下ろした。

 

 

 

 

 後日、2年連続で年度代表ウマ娘に選出された。

 

 

 

 

 

 キタサンブラック。20戦12勝。GⅠ7勝。重賞10勝。年度代表ウマ娘2回。

 

 シニア級に上がってからの2年、現役最強のウマ娘であったと胸を張れる。

 

 

 

 

 

 

 

 でも、これで終わりじゃない。

 

 

 

 

 まだあたしのレースは続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、この葛藤も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




追想はまだまだ続きますが、次回より一旦本編に戻ります。
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