底辺キング   作:シェーク両面粒高

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第71話 各人各様

「さてやるか。お前らさっき言った指示を頭に入れて走れよ」

 

 寒さで引き締まった空気の漂う12月初めのトレーニングコース。

 俺の前方に3人分の簡易ゲートが左向けに設置してあり、そのゲート裏に3人のウマ娘が控えていた。

 

「じゃあゲート入ってください」

 

 ペティがゲート横で3人に声を掛けると、カレンモエ、キングヘイロー、ダイアナヘイローの順でそれぞれゲートに入っていった。

 俺はゲートを操作するペティにアイコンタクトで合図を送った。

 

「準備はいいですか」

 

 スタート前の一瞬の静寂が訪れる。

 俺は動画撮影用のタブレットを構えて録画をスタートさせた。

 

 今から始まるのは俺のチームのウマ娘3人で行うレース形式のトレーニングだ。

 距離設定は1200mの右回り。今使っているコースが狭いのでコーナーは4つだが、最後の直線に上り坂が来るように設定している。

 つまり、スプリンターズステークスの中山1200mを想定したレースだ。

 

「行きますよー……」

 

 数秒後、金属の擦れる音と共にゲートが開いた。

 

「「「っ!」」」

 

 3人が一斉に飛び出していく。

 

 スタートを決めたカレンモエに僅かに遅れてダイアナヘイローが続く。ダイアナヘイローはカレンモエを第1コーナーで追い抜き先頭に立った。

 ダイアナヘイローから1バ身半後ろにカレンモエ、そのあと4バ身ほど空けてキングヘイローが最後尾で追っていく。

 

「ふう」

「ペティありがとうな。これ頼む」

 

 ゲートを押してコースから除けて、俺の傍までやって来たペティに動画撮影用のタブレットを渡す。

 

「はーい。走り、どうですか?」

 

 俺の目の前にはスタンドに設置されたタブレットが3つ並んでおり、それぞれ3人のGPSトラッカーの波形が画面に映し出されていた。

 その画面と実際に走っている姿を交互にリアルタイムで確認し、適切なタイミングで耳にイヤホンを着けている彼女らに指示を送るのだ。小型のピンマイクと機器を3つ用意し、各個人に独立して声を届けられるようにしている。

 キングヘイローが出走するスプリンターズステークスを想定したレースではあるが、3人ともに個別の課題を持って取り組んでもらっている。

 

「そろそろこの辺からだ。……さて」

 

 3番のマイクのスイッチを入れた。

 

「ダイアナ、ペースを上げろ。予定通り向こう正面で2ハロン11秒未満でラップ刻めよ」

 

 ダイアナヘイローがペースを上げ、カレンモエとの差を3バ身まで広げた。

 

「ピッチ上げるのは良いがストライドが狭くなってる。無駄な上下動が多いから修正しろ」

 

 ダイアナヘイローのストライドが元に戻った。上下動も少し改善したがそのしわ寄せが他に来ているのが波形を見ていると分かる。これ以上は口頭指示による修正は難しい。

 いつまでも彼女だけに構っているわけには行かない。1200mしかないからすぐにレースは終わってしまう。

 

 3番マイクのスイッチを切り、1番マイクのスイッチを入れる。

 

「モエ、ダイアナのペースを読んで差を調整しろ。前と後ろのトータルで交わすタイミングを意識。抜け出しが早すぎたらキングに差されるぞ」

 

 カレンモエはダイアナヘイローに少し差を詰めて2バ身半ほど後ろにつける。波形は特に乱れていない。

 問題無し。1番マイクのスイッチを切り2番マイクのスイッチを入れる。

 

「キング、さっき言った通りコーナーまでは2人のペースと差を無視しろ。釣られず自分のペースを貫け。動くのは早くても第3コーナー手前から。動き出す瞬間に注力」

 

 2番マイクのスイッチを切りレースを見守る。

 

 3人は向こう正面から第3コーナーに入っていった。

 先頭ダイアナヘイロー。2バ身半後方にぴったりとカレンモエ。そこからさらに7バ身ほど後ろにキングヘイロー。

 

 タブレットに映る3人の波形を見る。ダイアナヘイローは乱れっぱなし。カレンモエは全く問題なし。キングヘイローは少しぎくしゃくしているが許容範囲内。

 

 先頭のダイアナヘイローがコーナーへと差し掛かった。

 また順にマイクのスイッチをオンオフし、それぞれに指示を出す。

 

「ダイアナ、コーナーでペース落として息をつけ。後ろ2人は気にせず自分のやることに集中。直線の坂の上りに備えろ」

 

 ダイアナヘイローにはレース終盤の坂の走りを今回の課題としていた。平坦な直線は得意なのだが上り坂が苦手なのだ。筋力自体の強化が重要なのは言うまでないが、中山や阪神に対応するためにもスタミナギリギリの状態で坂を上らせるという実践を意識した練習を行っていた。

 向こう正面でペースを上げさせたのは去年のスプリンターズステークスのラップタイムを参考にしてのことで、ダイアナヘイローのためと言うよりはキングヘイローのためであった。無論ダイアナヘイロー本人にそう話して了承を得ている。

 途中で緩めるよりはスピードで押し切る方が彼女のウマ娘としての性質的に合っているのだが、今からそれだけに拘り選択肢や可能性を狭める必要もない。今日はコーナーで緩めてからの坂の上りを試している。まだまだ色んなことに挑戦する時期だ。

 

 ダイアナヘイローは下半期に入って2勝クラスに出走してきたが、勝ちきれないレースが続いていた。10月京都1200m壬生特別で3着、11月同じく京都1200m醍醐特別で2着、つい先日12月の頭に条件を変えた中京1400m鳥羽特別4着……いずれも作戦は逃げの予定だったが、他に主張してくるウマ娘に競り負けたり、出だしのスピードで付いていけなかったりでハナを奪えず控えたレースになってしまっていた。

 このレベルになると勝ち上がってきた優秀で強いウマ娘ばかりで、理想通りのレースなんて中々難しい。……今更だが、メイクデビューで逃げた影響により逃げでしか勝てなくなっているのもしれない。逃げた方がフォームが安定するのは確かなのだ。

 それでも控えた展開の練習もしているが、やはり能力を最大限発揮するなら逃げ、最低でも番手だ。今回のこれも色々な走りの経験を積ませる一環になれば良いと思ってやっている。

 

 次走は年明け京都1200mシニア級以上2勝クラスに出走予定だ。今の彼女にとって京都1200mがやはりベストな条件だと判断していた。

 週に1回か2回は必ず休むものの、トレーニングに顔を出す頻度は以前より高くなっているので仕上げてやりたいところだ。トレーニング前後は文句を垂れているが、トレーニング自体は真面目に懸命にこなしている。彼女は真剣に取り組んでいるとデータも物語っていた。

 

「モエ、交わすタイミングな。ペースと前後の2人の距離を強く意識しろ」

 

 去年11月の京阪杯から重賞挑戦が始まり9月のセントウルステークスまでの重賞4レースで2着3回、5着1回と好走しながらもあと一歩届かないカレンモエ。

 展開不利の中2着に粘ったレースもあり、彼女が重賞を勝つレベルのウマ娘であるのは間違いない。2着だった重賞3つとも勝っていてもおかしくない走りだった。2人になったとき、心の底から悔しいと心情を俺にだけ吐露していた。

 

 そんな彼女だが、番手から抜け出してリードするも最後の最後に交わされる展開がよくある。つまり先頭に立つのが早いのだ。

 先頭に抜け出すのが早すぎると目標にされやすいし、加えて彼女は先頭に立つと追うときよりほんの少し脚が鈍る。レース界隈ではソラを使うとも言うが、ソラを使うほどではないにしても、ラップを見れば抜け出した後にラップが少し落ち込む傾向にある。

 だからと言って仕掛けが遅いと交わせないし、実力を十分に発揮できずに終わってしまう。この辺は実践的な経験を積んでいくしかない。彼女は来月にはシニア級3年になるが、体質の影響もありまだキャリア12戦しかしていない。本番のレースで経験できない分、これまでもこうやって模擬レースに積極的に取り組んできた。

 仕掛けるタイミングや交わすタイミングはレースの世界において紙一重、コンマ1秒の話だ。レース展開、バ場、ペース、相手関係を考慮すると複雑で即座に答えを出すなんて難しい。可能な限りこうやってトレーニングを継続していくしかない。

 

 実績的にもGⅠであるスプリンターズステークスは見送り、来月のシルクロードステークスに出走を予定している。無理に狙って除外されるよりは、体質的なことも考えて確実に出走できるレースに狙いを絞って調整させてやりたい。

 

「キング、動き出すタイミングはお前に任せる。早すぎたら坂で止まるし、遅すぎたらエンジン掛かる前に終わるぞ」

 

 そして有馬記念とスプリンターズステークスの両睨みから後者を選んだキングヘイロー。

 有にはジャパンカップで海外のウマ娘たち相手に劇的な勝利を挙げたスペシャルウィークやグランプリ2連覇中のグラスワンダーがいたが、来年も短い距離のレースを選ぶと決意した彼女はスプリンターズステークスに出走すると決めた。

 初のスプリント1200m……正直、本番のレースを走ってみないと適性があるかどうか分からない。だがマイルと同じワンターン、距離が短いから考えや駆け引きも中距離よりは要しない。もっとも、中距離“より”と言うだけで、道中ほぼ全速力で走りながら考えや駆け引きをしなければならないことは事実だ。

 レースまで時間はないので全てのことをこなせるわけではない。集中して取り組んでいるのは、道中はリラックスして運ぶことと、末脚の使い所を間違えないこと。ポジション取りは今回は捨て、マイペースに運ぶことを最優先とした。初体験のスプリントの激流のペース、しかもGⅠレベルとなればポジション取りだけで彼女の走りが滅茶苦茶になるだろうことは容易く想像できる。

 キングヘイローのレースにおいて重要なのは彼女の能力を最大限発揮できるようにしてあげること。あとは彼女にほんの少しの運が向けば。

 

 

 3人は第3コーナーから第4コーナーに入ってくる。キングヘイローが進出を開始した。

 

 スプリントを選んだキングヘイローにとって2人……特に重賞レベルのウマ娘であるカレンモエが同じチームにいるのは非常に大きい。こうして良い練習相手にもなるのはもちろん、スプリントのコツや心得などの話もカレンモエが教えてくれているのだ。

 こうやって後輩ができて分かったことだが、カレンモエは後輩の面倒見が良い。あまり口数の多い奴ではないが、必要な時はちゃんと口に出して伝えてくれる。チーム最年長として、トレーニングの態度や走りにおいてもチームを率いてくれている。こういうウマ娘がいるのはトレーナーとして本当にありがたいのだ。

 

 

「しっかし、ウチの3人みんなともスプリントのウマ娘になっちゃいましたね」

 

 タブレットを構えて動画を撮影しているペティがしみじみとした口調でそう言った。

 

「トレーナーさんもスプリント専門のチームって感じで宣伝したらいいんじゃないですか? 来年入学してくる、スプリント路線を目指している有望なジュニア級のウマ娘が入って来てくれるかもしれませんよ?」

「今のこの状況は偶然だしなあ。距離適性探してたらたまたま3人とも1200mを走るようになったってだけだしな。キングなんかはまだスプリント適性があるかレースを走ってみねえと分かんねえし」

「でもモエさんは重賞上位常連ですし、キングもスプリント路線で良い結果残せそうならそんな感じで見られるかもしれませんよ」

「確かにそうしれんが、あんまり気は乗らないな。スプリント走りたいって入って来ても適性外って判断したら色んな距離走らせるし……と、来たな」

 

 

 コーナーを回って3人が直線に入ってきた。

 ダイアナヘイローから1バ身離れてカレンモエ。カレンモエの5バ身後ろにコーナーで差を詰めてきたキングヘイロー。

 

 急坂に入ったところでダイアナヘイローの勢いが鈍り、彼女にカレンモエが並びかける。

 ダイアナヘイローも抵抗するものの、残り100mあたりの急坂が終わるところでカレンモエが交わして1バ身前に出た。

 そしてその後ろから追い込んでくるキングヘイローがダイアナヘイローをあっという間に交わしてカレンモエに迫る。

 

 残り50m、猛追するキングヘイローと先頭を走るカレンモエの差は3バ身。その差が2バ身、1バ身とぐんぐん縮まる。勢いは完全にキングヘイローが圧倒している。

 ……が、カレンモエが何とか半バ身リードを保ち1着でゴール。2着に入ったキングヘイローはゴール後すぐにカレンモエを交わしていた。3着にヘロヘロになったダイアナヘイロー。

 

「おーし皆よくやった。お疲れさん」

 

 レースを終えて、息も絶え絶えの3人が戻ってきた。

 キングヘイローは水分を補給しながら自身のデジタルブラのデータを記録していたタブレットの方に向かう。

 

「フォームは?」

「許容範囲内だ。だが崩れている部分はある」

「そう」

 

 彼女はタブレットを操作し、ペティの持つタブレットの動画を再生しながら波形のグラフと見比べる。そのペティと一緒に動画と波形を確認し始めた

 

「コーナーで加速する時の……あっ、ここです。ここ」

「この波形なら左右のブレかしら? いや……右?」

「動画は……多分そうですね。加速する一瞬、体流れるの押さえつけすぎた感じですかね」

「そうね。あとライン取りと脚の運びも──」

 

 そうして2人で何回も動画を再生し波形を照らし合わせながら修正点をあぶり出していく。聞き耳を立てていたが、内容は間違っていない。見つけられていない箇所があるので、後から指摘してやろう。こうやって能動的に自分達で考えることは大切だ。

 

 2人がウチに来て2年以上の月日が経つ。少しずつ波形の見方や意味を教え、その結果こうやってある程度は分析することができている。波形を見ても全く理解出来ていなかったジュニア級のときを思い出し、少し感慨深くなった。

 

 カレンモエはカレンモエでタブレットで波形を確認している。彼女も今では1人で大まかに分析できている。

 彼女はじぃーっとタブレットを見つめていた。

 

「……ペティ、そっち終わったら動画のタブレットお願い」

「はい。もうちょっとだけ待ってください。もうキングの終わるので」

「急がないでいいよ」

 

 キングヘイローと同じように、後から話して気づいていない点があれば教えてやればいい。

 仕掛けが少し遅かったのも自分で分かっているだろう。

 

 

 残るはあと1人。タブレットを確認する気が一切ないお嬢様の世話が今の俺の仕事だ。

 

「はぁ〜っ。もう、疲れたわ〜……」

 

 地べたに座り込んでいるダイアナヘイローの元へタブレットを持っていく。

 

「おう。お前もお疲れさん。ペースの調整ありがとうな」

「キングのためなら何だってやるわよ。あなたのためにやったのではないから誤解しないでね」

「んなこと思ってもねえよ。それより走り方がボロボロでクソほど修正点があるんだがな。興味はねえだろうが話だけ聞け」

「……分かったわよ」

 

 ダイアナヘイローは自ら波形の意味を知ろうとはしていないが、別にそれは悪いことではない。第一、波形などのグラフの意味を理解するのに時間がかかるし、答えを導き出すのに知識が要り単純に難しいからだ。俺が今まで担当してきたウマ娘の中でも、波形の意味まで知ろうとするウマ娘は少なかった。

 キングヘイローやカレンモエのように自分から理解しようとするのは良いことだが、それを担当ウマ娘全員に求めているわけではないし、必ずしも必要ではない。そもそもの話、修正点を見つけるのはトレーナーである俺の領分だからだ。

 だからこうやって話を聞いてくれるだけでも十分なのだ。

 

「まずペース上げた時のピッチとストライドだが──」

 

 片膝をついて彼女の目線にタブレットを合わせ、波形を提示して説明していく。

 時々返事や頷きながら聞いてはくれている。頭の中にどれだけインプットできているのかは知らないが。

 ダイアナヘイローは気分屋のウマ娘だ。走りたいときに走ってくれればいいと過去に俺が言った通り、彼女が求めてきたらその時に応えてやればいい。

 

「──こんなもんだ。今言ったことを纏めたやつを後から渡すから目を通しとけよ。動画も見とけ」

「はいはい」

「よし。ならさっさと立て。集合だ」

 

 他の3人にも声を掛けて集合をかけた。

 

「後のトレーニングはペティに伝えてあるから、3人とも指示に従うように。俺は今からスズカんとこ行ってくるからな。終わったら戻って来るが、何かあったら連絡してくれ。ペティ、後は頼むぞ」

「任せてください!」

 

 ペティは今では立派に俺の右腕として働いてくれている。分析や解析もそうだが、こうやって少しの間トレーニングを任せることもできるようになった。

 彼女は今年度でスタッフ研修課程を卒業予定だが、そのスタッフ研修課程には大学相当の教育機関も用意してあり、そこに進学予定だ。そこから更に大学における博士前期課程、博士後期課程も用意してある。そこに進むかは未だ不明だが、もしかすると思ったより長い付き合いになるかもしれない。

 卒業研究については俺の使っているGPSトラッカーのデータを基にした姿勢制御やフィードバック、フィードフォワードに関する研究を行っていて、近々行われる卒論発表に臨む予定だ。担当トレーナーとして解析や考察、そしてスライド作りを見てやった。もう既に発表資料は完成していて、あとは口演の完成度を高めるのと質疑応答を予想して対策を立てるぐらいだ。

 

 

 ペティにトレーニングを任せた俺はサイレンススズカがいるトレーナー室へと足を運んだ。

 

 ◇

 

 ()()()()()()()()()()()自身のトレーナー室に入ると、中ではジャージを着て()()()()()()()()()()()()サイレンススズカがいた。

 彼女は俺に気づくとこちらを向いた。さっきまで筋トレをしていたはずだからか、首筋などは少し汗ばんでいた。

 

「待たせたな」

「はい……お疲れ様です…………えっと……」

 

 彼女はジャージの裾を握って目線を逸らし、怯えるような仕草を見せた。

 

「分かってんだろ。ほら早く──」

 

 俺はトレーナー室の扉の内鍵をかける。部屋の中にカチャッと音が響いた。

 

「──脱いでくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャージの長ズボンを脱いで0分丈のスパッツ姿になった彼女の脚を前にして、俺は薬品を付けたガーゼで彼女の肌を擦ろうとしていた。

 

「ちょっと冷たいぞー」

「はい……ひゃっ?」

「……いい加減慣れろよ」

「す、すいません」

「電極貼るぞ。……よし、次」

 

 俺が今行っているのは表面筋電図を計測するためにの電極を貼ることだ。電極とはエ〇キバンのようなもので、それを計測したい筋肉に2つ貼り付け、その2つからケーブルで繋がっている超小型のセンサーも一緒に貼り付ける。このセンサーから無線でPCまで情報がリアルタイムで届き記録されるのだ。

 それを皮膚に貼り付ける際に皮膚処理をする必要があり、汗や油分、角質を落とさなければならない。簡単に言えば汚れを専用のクリームで落として綺麗にするのだ。これをしないと正確な電位が導出できない。

 サイレンススズカは肌が敏感なのか、毎回こうやって声を出す。これをやり始めてもう1ヶ月は経つので慣れてほしいところだ。何故か俺がいけないことをやっている気になってしまう。

 

 彼女の両下肢の大腿部、下腿部、足部の計測予定の筋に要領よく貼り付けていく。上着も捲ってもらって、背中下部にも電極を貼る。

 ……問題は次だ。

 

「最後のとこだ」

「……はい。分かっています…………お願いします」

「すまねえな……」

 

 スパッツの片端を捲り上げてもらい、トモ……人間で言うなら臀部、俗に言うと尻を出してもらう。スパッツの下から脚よりほんのり白い肌色をしたサイレンススズカのトモが露出する。ほんの僅かにスパッツとトモの間から別の色の何かが見えるが極力目を細めて見ないように心がける。

 ……同性ならまだしも、異性でしかもアラサーのおっさんである俺にトモを見られて良い気分のはずがない。拒否されないのは本当にありがたい。

 同性であるチームのウマ娘たちに頼もうかとも考えたが、やはり正確に計測したいので俺がやることにした。上手い下手もあるが、データを比較する上で個人差というのを考慮すると同じ人物がやる方が絶対に良いのだ。

 

「やるぞ。我慢してくれ」

「はい……っ……」

 

 手早く皮膚処理をして電極を貼り付けた。

 続けて同じ工程をもう片方のトモにも行った。

 

「終わったぞ」

 

 そう俺が言うと彼女はそそくさとスパッツを直しズボンを履く。

 俺は入って来た誰かに勘違いされないようにとかけていた内鍵を開けてから、筋電図のセンサーと繋がっている専用のPCでちゃんと電極が貼れているか確認した。

 

「オッケーだ。トレーニングに移ろう」

「……お願いします」

 

 彼女はトレーナー室に設置したトレッドミルに乗り歩き始める。俺は筋電図用のPCとトレッドミル用のPCを前にして分析を始めた。

 

 サイレンススズカは淡々とトレッドミルでの歩行を続けている。

 決してこれは楽なことではない。一歩一歩に集中し神経を擦り減らしながら歩いている。

 俺はPC2台と歩いている彼女を交互に見やる。

 

「……」

 

 改めてサイレンススズカに整理してみる。それとこの新しい機器のことも。

 

 未だに普段は松葉杖を使わないといけない状況ではあるが、杖無しでの歩行が許可されたのが秋に入った頃だ。怪我は予定通りに回復してきており、途中で頓挫もなくここまで来ていた。

 

 ならば、まずは歩くことから。長い間歩行をしていなかったサイレンススズカに対し、走ることまでを想定した故障に繋がらない正しい歩行の獲得を目指す。

 更には歩行に対応した筋の状態や使い方などの分析や修正を図っていこうというのが俺の考えだった。

 

 そこで用意したのがこの特別製のトレッドミルと表面筋電計だ。

 まずはこのトレッドミル。普通のものではなく、足圧分布を計測するための特別なトレッドミルだ。足圧分布の計測とは、足のどの部分にどれだけの荷重がどれだけの時間かかったかをデータ化することだ。

 しかもこのトレッドミルはウマ娘に対応し耐久性が極めて高い。静止時にも使えるが、歩行に加えなんと走る時の足圧分布も計測することができる。

 これには大量のセンサーが設置されており様々な項目の計測が可能だ。例えば前後の最大振幅などの足圧中心動揺パラメーターや、ストライドの長さや時間を計測する歩行間隔パラメーターなどがある。身体の重心位置だって計測できる。今挙げたのはほんの一例で、他にも大量のデータ計測項目があり、それぞれ解析ができるのだ。

 

 次に表面筋電計。トレッドミルでの歩行のときの筋活動を見るためだ。筋電図を計測し、量的因子、周波数因子、時間因子について解析する。これも最新のもので、激しい運動にも対応しており耐水性もある。なんと水中でも計測できるらしい。

 歩行において見た目にそれほど変化がなくても実際の筋肉の働きは分からない。無意識的にかばっていたり、必要な筋活動が足りなかったりするのだ。そもそも故障して手術をしているので、最低でもその周辺の筋肉には影響が出ているだろう。

 故障の再発に繋がる可能性も考えられるので、それを防ぐ手立てとしても筋電図の計測を取り入れた。

 

 実はこの2つの機器は同じ医療機器メーカーのもので、トレッドミルと筋電図、そして撮影した動画のデータを同期することができる。購入はしていないが、同じ医療機器メーカーには三次元動作分析装置もあり、これも同期できるらしい。

 

 これらの得られたデータを毎日解析して考察し、日毎の変化を比較していくのだ。今は正直この分析だけでかなりの時間がかかる。データの解析自体もそうだし、解釈を導き出すのに時間を要する。もし瞬時にデータや波形の解釈を導き出せたら、今使っているGPSトラッカーのように即座に何でも指導できるかもしれないがそれは未だはるか遠い。

 

 ここまでやったって、レースで走れるようになるかは分からない。怪我の再発を抑えられる効果があるかだって分からないのだ。

 だが俺は天才的な閃きがあるような人間ではない。完治不可能の怪我を魔法のように治せるわけでもない。

 こうやって機器に頼り地道にやっていくしか俺にはない。根気だけなら俺でも何とかなる。

 

 

 ……ちなみにと言ったらいいのか、これらを用意するために恐ろしい金額がかかっている。このトレッドミルだけで地方都市で立派な一軒家を建てられるぐらいだ。

 毎年支給される予算で足りるはずもなく自腹を切った。こんな時が来るかもしれないと、キングヘイローやカレンモエが良い成績を残して給与に上乗せされたインセンティブを全て貯金に回していたのだが、その金が頭金だけで跡形もなく消えてしまった。しかも足りない分はローンを組んでいる。三次元動作分析装置も欲しかったが、ローンで借金をしている現状そんな金は俺には無かった。

 俺には縁のない話だろうが、通帳から金が消え失せローンの手続きをしていたときには結婚してマイホームを買った世の父親の気持ちが分かった気がした。なお、傍にいるのは嫁と子どもではなくトレッドミルと表面筋電計だが。

 そんな俺は相変わらずインスタントラーメンとインスタントコーヒーを啜っている。

 

 しかしながら購入した意義はある。この分析方法を俺なりに確立させたら怪我をしているウマ娘以外にもフォーム解析や修正に繋げられる可能性が高い。走るうえでウマ娘個々に合った必要な筋の部位だってもっと詳細に知ることだって出来るだろう。

 まあ数年で出来ることではないが。それでもトレーナーとして何十年も続けていくならと、こうして大枚をはたいて購入したのだ。

 全く後悔はしていない……と言えたら格好いいのだが、すっからかんになった通帳を見るとやっぱり寂しくなる。心なしか通帳も物理的に軽くなった気がする。俺はどこまでも俗な人間らしい。

 

「この前のデータの分析をしたんだが、左足が床に着く瞬間の足関節の角度を意識してくれ」

「足関節ですか?」

「ああ、左の足首だ。踵が接地した時の足関節をもっと背屈……上の方に曲げるようにしろ。それで踵が接地した一瞬だけその位置を保って体が前方へ移動するのと合わせて足底接地へ移行するんだ。故障した方の脚だから怖いと思うだろうがやってくれ。その足関節を修正できれば下肢の他の筋肉やトモの働きに繋がってくる」

「分かりました。やってみます」

「膝関節の屈伸運動にも注意な」

 

 こうやって毎日毎日ひとつひとつ地道な歩行の修正が続いていく。

 

 これを始めた当初のサイレンススズカの歩行は大きく崩れていたことを思い出す。左脚を庇うため体重心は右方へ偏っておりブレが大きく、さらに足の着地位置や肝心の足圧分布もバラバラで非常にアンバランスだった。……当然だ、1年近く普通の歩行をやって来なかったのだから。

 それを大雑把にここまで修正してきた。予測より早く歩行は上達しており、今は筋電図にも注意を払い更なる修正を図っている。

 

 

 10分ほど歩行を続けさせ、あることに気づいた俺は彼女の歩行を止めた。計測しているデータに乱れがあるのもそうだが、問題は別にある。

 

「降りろ」

「……はい」

「そこ座って脚を見せてくれ」

 

 椅子に座らせ彼女の左足を見る。すると故障して手術した箇所が少し腫れていた。熱も僅かに出てきていた。

 

「今日は終わりだな」

「分かりました……今日もありがとうございました」

 

 サイレンススズカは杖なしで歩くことはできる。しかし、今のように脚が腫れたり熱をもってしまうことが多々あるのだ。翌日以降も腫れや熱感が続くことがあり、症状が残っているときは歩行訓練は行わない。症状が治まる日を待つことになる。

 現状は最大15分間を設定して歩行訓練に取り組んでいる。調子の良い日は15分歩いても症状が出ないこともあるが、今日のように10分で症状が出ることもある。

 数日に一回、この短時間の中で集中して取り組んでいくしかないのだ。……彼女本人が一番もどかしいだろう。

 

「今氷嚢を用意してやるから。ほら、電極外していいぞ」

 

 そう言うと彼女は脚や背中についている電極とセンサーを剥がし始めた。

 

「スズカ、焦るなよ。今はこのペースでいいから。このまま行くぞ」

「分かっています。……そんなに焦っているように見えましたか?」

「ああ? いや……もどかしいんじゃないかと思ってな」

「確かにもどかしさはありますけど……焦ってはいません。私はこうして少しの間でも歩けるだけで嬉しいんです。それに復帰に向けて取り組んでいることも。1年前、病院でトレーナーさんに会ったときには想像もできませんでしたから」

 

 電極とセンサーを片付けて、こちらを向いた彼女は優しく微笑みかけてきた。

 

「本当にありがとうございます」

「まだ普通に歩くことすらできてねえんだ。俺は何にもできてない。お礼を言うならちゃんと治った後にしとけ」

「ふふっ…………トレーナーさん、ありがとうございますっ」

「…………分かったよ」

 

 サイレンススズカが俺の何に感謝の気持ちを伝えてくれているか、今の俺なら理解できていると思う。

 

 病院で虚空を見つめていたサイレンススズカが、今ではこうやって柔らかく笑ってくれている。

 それだけでもここまで頑張ってきた甲斐があったと、そう感じたのだった。

 

 

 ◇

 

 

 

 

 GⅠスプリンターズステークス。

 

 このレースには天崎の担当ウマ娘であるアグネスワールドと──

 

「こんにちはっ、トレーナーさんっ!」

「学園の授業お疲れさまスぺちゃん。有馬に向けて今日も頑張ろっか!」

「はいっ!」

 

 

 

 

 

 ──横水の担当ウマ娘であるブラックホークが出走する。

 

「どうも」

「珍しいものだな、セイウンスカイ。お前から私に話があるとは」

「いいじゃないですかたまには~」

 

 

 

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