ゴツ、ゴツ、という岩がぶつかり合うような音で目が覚めた。
焦点の合わない目を凝らして周りを見てみると、無数の岩が周囲に漂っている。
──あれ?まだ夢を見ているのだろうか?
その考えは後ろから聞こえてきた声で打ち砕かれる。
「あ、起きたか」
振り向くと、アラベラが舵輪と昇降レバーを握って小刻みに動かしていた。
飛行船はアラベラの操作によく応え、漂う岩の隙間を潜り抜けていく。
その見事な操船に惚れ惚れ──している場合じゃない!
「起きたか、じゃない!何だここは?というか、いつの間に出発してやがった!?」
「あーアンタ、出発時間になっても気持ちよさそうにグースカ寝てっから、起こさないでいてあげたの。で、急がないと追いつけないからあーしが操船して出航したってわけよ。グリッドレイ領へはここを通るのが近道なんでね」
「いや起こせよ!ってかなんでこんな危ないとこ通るんだよ!船が壊れたらどうするんだ!?」
「喚かないで。集中できない」
アラベラは涼しい顔で昇降レバーを引いて、漂ってきた大きな岩を躱す。
無数の水晶のような鉱石が鋭く突き出した岩を見て肝が冷えた。
口論などしてアラベラの集中力を乱し、岩に激突すれば一瞬でお陀仏。
彼女から舵輪を奪い返しても俺ではこの岩だらけの空域を抜けられないし、引き返すこともできない。そもそもどちらの方角から来たのかも知らない。
──それが理解できてしまった。
「何なんだよこの場所──」
力が抜けて、船縁にへたり込む。
「心配すんなよ。何度も通った場所さ。あーしら運び屋の間じゃ近道で知られてんだよ」
「お前ら命が惜しくないのかよ──」
こんな機雷原さえ可愛く思えるような難空域を近道として使う連中の考えは俺には分からない。
「アッハッハ!リオンって臆病だね!冒険者のくせにさ!」
アラベラは恐怖なんてカケラも見せずに俺を笑っている。
飛行船に乗って生きてる奴は度胸が違うということだろうか?
「うるせぇ。お前と違ってこちとらこれまでずっと陸で暮らしてきたんだよ。お前こそ頭のネジ何本か飛んでいるんじゃないのか?」
「そいつは褒め言葉と受け取っておきますよ、と」
アラベラが急に舵輪を回し、俺は慣性で反対側の船縁に投げ出される。
そのすぐ後ろを大きな岩が通り過ぎる。
「悪い悪い。反応が遅れた。死にたくなきゃしっかり掴まって静かにしててくんな」
──駄目だこれ。詰んだ。
飛行船はアラベラに完全に乗っ取られている。
観念した俺はアラベラの言う通りにすることにした。
だがやられっ放しというわけにもいかないので釘を刺しておく。
「分かったよ。けど、絶対に船を壊すなよ。壊したら弁償させるからな」
「はいはい。でもあーしに任せてりゃ心配いらないって。信用しな」
自信たっぷりに宣うアラベラだが、その表情はどこか固かった。
なんだかんだ言ってコイツ自信ないんじゃないのかと疑っていると──
「ゥオオオオオオオオオオオオオ」
風に乗って不気味な叫び声のような音が微かに聞こえてきた。
「──クッソ。ついてねぇな。よりにもよってそっちから来るのかよ」
アラベラは毒づいて辺りを見回すと、大きく舵を切った。
「おい、何だよ?」
「セイレーンだ。見つかったら船ごと呑み込まれちまう。隠れないと」
「はぁ!?」
聞いたことのない名前が出てきたが、何かとんでもなく巨大で恐ろしいモンスターの類が近づいてきているのだろうと察せられた。
ただでさえ岩だらけの難所なのにそんなモンスターまで出るとは聞いていない。
「隠れるって──逃げられないのか?」
「無理だ。あーしらが行こうとしてる方向から来てる。それにこの船じゃ逃げたって振り切れねえよ。隠れてやり過ごす方がいい」
アラベラは飛行船を大きな岩の窪みへと持っていくと、プロペラの回転を止め、手早く舫綱を突き出た鉱石にかけると、飛行船の船体を岩に引き寄せる。
「リオン、エンジンを切って、魔力回路も落として」
「あ、ああ」
まだ唸りを上げていたエンジンを切ると、飛行船は浮遊石へのエネルギー供給を絶たれ、どさりと岩肌の上に落ちて横たわる。
そして俺たちはその陰に隠れた。
「来た。近いぞ」
周囲を警戒していたアラベラが頭を引っ込め、俺の頭も押さえつける。
その言葉通り、不気味な叫び声がどんどん大きくなってくる。
否、それはもはや叫び声というより断末魔と言った方がよかった。
「声を立てるんじゃねーぞ。あいつ耳がいいから──」
アラベラが耳打ちしてくるが、その声すらも途中からかき消える。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
悲鳴を上げたくなるのを堪えて口に手を当てる。
だがすぐに声が耳をつん裂くような轟音に変わり、手を離して耳を塞いだ。
それでもなお耳が耐え切れずに耳鳴りを起こし、耳から頭に鋭い痛みが走る。
苦痛と恐怖に思わず目を瞑ったその寸前、一瞬見えたソレは巨大な人魚のような姿をしていた。
目も鼻もないのっぺりとした顔に鋭い牙がずらりと並んだ大きな口、人間のものに似た手の先についた鋭い爪、一つ一つが剣と見紛うばかりの尖った鱗、ボロボロの旗のような巨大な尾鰭──今まで見てきたモンスターとは比較にならない恐ろしい姿だった。
見ただけで勝てないとはっきり分かってしまうのは初めての経験だった。
あんなのライフルとか魔弾があったって倒すのは無理だ。
俺にできたのは耳を強く抑えてどうか気付かれませんようにと必死で祈ることだけだった。
静かになったのは十分ほど経った頃だったが、俺には一時間くらいにも感じられた。
「何だったんだよあれ──」
安堵の溜息と共にそんな呟きが漏れた。
「飛行船乗りにとっちゃ検問の次に恐ろしい相手だよ。最近はほとんど見かけないけど、ここにはまだいくらか残ってんのさ。ま、さっきみたいにやり過ごせば大体安全だけどね」
アラベラが舫綱を解きながら答える。
「さ、ぐずぐずしてられない。日が暮れる前にここから抜け出さないと」
俺は半ば魂が抜けたかのように力が入らない身体に鞭打って飛行船に乗り込み、エンジンをかけた。
アラベラがすぐに操船を交代し、再び目的地に向かって進み始める。
さっきみたいなモンスターが現れないか周囲を警戒しながら思った。
ここから抜けたらアラベラと一度きっちり話をしよう、と。
飛行船の持ち主である俺に相談もなしに危険な場所を何度も通られてはたまったものではない。
◇◇◇
岩石地帯を抜けたのはだいぶ陽が傾いてからだった。
「ふう。無事に抜けられたね。これであいつの針路上に先回りできたはずだよ」
ご機嫌のアラベラだが、俺の方はもはや限界だった。
「お前、あんな危ない目に遭ってよくそんなに平然としていられるよな」
嫌味を飛ばしてやると、アラベラはヘラヘラ笑って頭を掻く。
「いやぁ、昔から度胸だけは有り余ってるって言われるんだよね~」
「ふざけた口を利くんじゃねーよ!!」
思わず立ち上がって怒鳴った。
「俺は言ったよな?この飛行船の持ち主は俺だ。で、操船するのも俺、航路も教えろって言ったよな?なのに俺に一言の相談も断りもなしにあんな危険な場所通りやがって。下手すりゃ死ぬところだったじゃないか!」
するとアラベラは笑みを消して目を細め、低い声で問うてくる。
「言ったところでアンタは賛成したの?」
「あ?するわけないだろうが。死んじまったら何にもならねえんだからさ」
俺の答えにアラベラは目を閉じて溜息を吐いた。
「──そう。やっぱりね。言わないでおいて正解だったよ」
「何だと?」
「アンタさ、命あっての物種って思ってるでしょ?危ないことが嫌いで、何を失くしても生きてさえいればどうにかなる、って思ってる。違う?」
「──それがどうだって言うんだよ?」
問いかけると、アラベラはキッと俺の方を睨みつけて口を開く。
「アンタがそんな風に思えるのは今までぬるま湯に浸かってたからだよ。アンタなんだかんだで食うには困らなくて、命が危なくなることなんてない贅沢な暮らししてきたでしょ?そんで、その暮らしがある日突然失われることなんてない──そう思ってダラダラ生きてきたんでしょ?」
「そんなこと──」
否定しようとしたが、言葉に詰まってしまった。
自分のこれまでの十五年間を振り返ってみれば、アラベラの言葉を否定できなかった。
実際、毎日無気力だったのだ。
朝から親父に鍛えられて、その後は農作業でクタクタになって、夜は勉強。そして寝る時間になったらベッドにダイブして、すぐに泥のように眠る。
毎日その繰り返しでキツい毎日だったが、その日の飯や寝床に困るわけでもなく、変えようとか、何とかしようとか、そんなことは考えたそばから諦めていた。
目の前の仕事でいっぱいいっぱいで何かに挑戦することもなく、努力や研鑽とは無縁の日々だったと言ってもいい。
かといって完全に自分を諦めていたわけでもなく、いつか本気を出して、経験値集めしてみようだとか、冒険の旅に出ようだとか、そんな都合のいいことを考えていた。
アラベラは言葉に詰まった俺を見て溜息を吐いた。
「図星か。言っとくけど、あーしはぬるま湯に浸かって生きてきたアンタの生温いやり方には従えない。それじゃあーしの船は取り返せないし、取り返せなかったらあーしは商売道具なくして借金地獄で、人生終わりだから」
「それは俺だって同じだ。武器を取り返せなかったら俺は──」
「でもアンタには帰る家がある。そして誰も大事な積荷を盗まれて無様に帰ってきたアンタを咎めない。むしろよく生きて帰ってきてくれたって褒めてくれるんでしょ?分かるよ。わざわざ成人したての青二才の一人旅に、魔弾なんて高級品を用意してくれるような、優しくてお金持ちなご家族だものね。結局アンタは失敗したって生きてりゃ次がある、別の道があるってどこかで思ってるんだよ。そんなアンタが、武器を取り返せなかったら人生終わりだとか、痛すぎ──」
「人の話は最後まで聞けよ!!」
思わず俺は船縁を殴りつけて怒鳴った。
こちらの事情など何も知らないくせにという怒りが、怒鳴り声として口から飛び出す。
「俺はな、自分のためだけに冒険しているんじゃねーんだよ。俺が死んだら、俺の弟が妖怪婆に売り飛ばされちまうんだよ!」
アラベラは目を見開き、続いて怪訝な顔をする。
「はぁ?妖怪婆?何のこと言ってるの?」
「若い男を後夫に迎えて戦場に送り出して、戦死させて遺族年金で儲けようと企んでいる五十過ぎのバツ七婆だ。俺の親父の正妻が勝手にそいつと俺の縁談を進めやがった。その縁談を断るために金が必要になったんだよ。それこそ魔弾なんて千発以上買ってもお釣りが来るくらいのな。そんな金を短期間で用意するなんて、冒険で一山当てる以外じゃ無理だ。だから俺はこうしてこんな小さな飛行船で冒険に出ているんだよ」
「──アンタ、それ本当なの?」
「本当だ。この際だから言うけどな、俺は貴族だ。つっても辺境の男爵家の三男坊で、しかも妾の子だけどな。親父の正妻は俺を学園にやる金が惜しいらしくてな、俺を軍人にしてから戦死させて、遺族年金を手に入れようとしているんだ。うちに寄生して王都で贅沢三昧のくせして、俺を穀潰しだなんて抜かしやがった。そんなやつの私腹を肥やすために犠牲にされるなんて真っ平御免だ。だから金は自分で用意するから縁談は取り消せ、って啖呵切って旅に出た。そうしたからには絶対に金を稼いで生きて帰らなきゃいけない。手ぶらで戻ったりしたら、その時は間違いなく俺は売り飛ばされる。俺が逃げたり死んだりすりゃ、次は弟が同じ目に遭う。俺の命もこの船も俺だけのものじゃないんだ。俺と俺の弟の命運が懸かっているんだよ。だから今日みたいに勝手に危険地帯に入られたら、困るどころの話じゃないんだ。俺が嘘を言っているように見えるか?」」
アラベラは俺の長々とした話を顔を顰めながら聞いていたが、やがて大きく溜息を吐いて、ばつの悪そうな顔で言った。
「──馬鹿にして悪かった。アンタもけっこう大変な目に遭ってたんだね」
そして俺の手を取って顔を近づけてきた。
「アンタもあーしももう後がない。アンタは武器、あーしは船、取り返せなかったら二人仲良くお終いだ。だから改めて、共闘しよう。もうアンタに黙って勝手なことはしないと約束する。だからもうしばらくこの舟とアンタの力を貸して欲しい。あーしもできるだけのことはする。二人で一緒に乗り越えよう」
アラベラの目は真剣だった。
白々しい気もするが、俺のライフルと魔弾を盗んだ犯人と思しき奴が乗っている船を探し当てるには、コイツの協力が要る。
不本意ではあるが、勝手をされたことは水に流すことにした。
だがタダでというわけにもいかない。
「──分かった。今回だけは目を瞑ってやる。その代わり、条件がある。もしお前の船に俺のライフルと魔弾がなかったら、買い直すための資金稼ぎに付き合え。二人で乗り越えようって言ったからにはできるよな?」
「ああ。分かった。仕事を終わったらいくらでも付き合うさ」
本当なら一筆書かせたいところだが、生憎そんな道具も暇もなさそうだ。
アラベラが手を離すと、懐から地図を取り出して広げた。
「あいつが普通の航路で行ったなら、ちょうど明日の夜明けくらいにこの灯台の近くを通るはずだ。そこまで行って待ち伏せる。ここからだと四時間くらいで着くから、すぐ出発しよう。着いたら交代で見張りをする。それで見つけた方はすぐに起こして追跡を始める。それでいい?」
「ああ。それで、お前の船の特徴は?」
尋ねると、アラベラは指先で空中にラグビーボールの片方半分を絞ったような楕円形を描く。
「こんな形の黒い浮き袋が付いてる。で、船体も黒。夜は全然見えないけど、日が照ってれば見つけやすいと思う。夜はあーしが見張るからアンタは日が昇ってからをお願い。とにかく、黒い船を見つけたらすぐに起こして。スループっつってスピードが出るやつだから、一秒でも早く見つけないと捕まえられない」
「分かった」
アラベラは頷くと、舵輪の前を譲った。
「よし、じゃあ出発しよう。日が暮れる前に灯台のところに辿り着かないと」
俺は舵輪を握り、地図に描かれた灯台へ針路を取った。
セイレーンの声はシャドーコリドーのうるさいアイツをイメージして頂ければ