今更だけれど、読んでくれてありがとうございます
「星、ですか」
表面上は平静を装えたと思う。だけど、心臓の方は鼓動が物凄い勢いでエイトビートを刻んでいる。多分ちょっと近寄られたら、この人には聞こえてしまうだろう。
「ん?まさか一夏君ともあろう者が忘れたはずがないだろう?もうすぐペルセウス座流星群の時期じゃないか。君は毎年のように楽しみにしていただろう」
「‥‥まさか、忘れるはずがないじゃないですか」
実際に忘れてはいなかった。もう何か月も前から望遠鏡をのぞいて、星の動きを見ていつどこで見るのが一番きれいなのかを考えていたのだ。
物心ついたころから一度も欠かしたことがない、毎年の恒例行事だった。去年だって、楽しみ過ぎて寝られなかったのを憶えている。
「おや、その割にはどこか冷めた目をしている。モンドグロッソで会ったときは、試合そっちのけで話し明かしたというのに」
「流石にあれは反省したんですよ。それに千冬姉の試合意外興味ないって話振ってきたの、財前さんの方だったじゃないですか」
「おや、そうだったかな。ハッハッハ、まあこんなことは些細なことだ。それでどうなんだい、今年もまたどこかで観測するのかい?」
きっとこの人は気づいている。俺がずっとこの話題を避けていたことを。
(けど、それもそうだよな。ずっとそんなことしか頭にない人間だったんだから)
「どうでしょうか。勉強も忙しいですし、もしかしたらそんな暇ないかも」
今の言葉もそうだが、改めて自分を振り返って見ると不自然なことこの上ない。何が勉強だよ、卒業したら働こうとしていたやつが。これまで天体観測と勉強を秤に掛けることすらなかったくせに。思わず自嘲の笑みがこぼれそうだ。
それでも見栄を張ったのは、たぶん最後の意地だ。まだ諦めたわけじゃないって、どうしようもない現実を認めるのが嫌だから、我儘を言っているようなものだ。
そうでもなきゃ、そもそもこの場所に来てすらいないだろうから。
「ほう、そうか。そうだな、世間一般で言えば君は受験生だ。何よりも今は勉学こそが優先されるべきものだろう」
財前さんの言葉にはどこか含みがある言葉を返される。まるで俺の思いなどお見通しだとでも言うように。
一拍置いて、この人は言葉をつづける。
「私はね一夏君、小さい頃の君に袖を引かれて見た夜空と、その時の君の姿は今でも忘れられない。幾重にも流れる星々と、その夜空を映す鏡のように流星群を眺める君の眼は輝いていた。」
「よく覚えていますね、そんな昔の事」
「私が初めて星に心奪われた瞬間さ、忘れるはずがないだろう。そしてモンドグロッソの場で一夏君と再会した時も、君の目からその輝きは失われていなかった。嬉しかったよ、君がずっと変わらずにいてくれたことを。
いつかこの宇宙の向こうへ行くのだと叫んだ君でいてくれたことが、私はたまらなく嬉しかった」
「────」
どうしても財前さんの顔を見ることが出来なった。きっとこの人の顔を見てしまったら、ずっと胸の奥で仕舞い込んでいたものが決壊して溢れてしまうだろうから。
こんなドロドロに濁って情けないモノを、昔の俺の思い出を大切にしてくれている人の前でさらけ出してしまうのは自分自身が許せなかったのだ。
だって、今の俺はかつてこうありたいと思った俺だと口が裂けても言えないのだから。
「‥‥そうですか。なら、今の俺はどうですか?やっぱり、もうそんなもの俺には残ってはないですかね?」
自虐を含めて投げやりな言葉になってしまったことを、口にした後で後悔する。だが、財前さんは気に掛けず、そのまま答えたのた。
「ふむ。質問を質問で返すようですまないが、先に聞いておきたいことがあるんだ。」
「聞いておきたいこと、ですか?」
「ああ、一夏君がここに来た理由さ。ああ、私はもちろん公務だ。」
心臓が跳ねる。どこまでも見透かされているような気がしてならず、目の前の傑物が少し恐ろしく感じる。きっとこの後俺がどう答えるのかも想像がついているのだろう。それでも俺は全てを話そうとは思えなかった。
「ここの目玉、知ってますか?」
「もちろんだとも。
世界で初めて宇宙空間での長時間航行及び宇宙ステーションでの作業を行った倉敷技研開発の第二世代IS『はやぶさ』。
かつて同じように世界初の偉業を成し遂げた日本の小惑星探査機と同じ名前を持つそれがここに安置されている。
確か去年だったかな?担ぎ込まれたのは。それなりのニュースになっていた憶えがある」
「ええ。けど普段は一般公開されないんです。こういう特別ツアーだったりしない限り滅多に見れないんですよ。
これまでも何度かこのツアーに応募していたんですけど俺、運悪くて。そしたら抽選当たった友人が俺にツアー券を譲ってくれたんです」
「それはそれは、いい友人を持ったようだね。
だが、千冬君は君がISに関わるのを避けていたのではなかったのかな?だからこそドイツに渡る際はに私を訪ねたのだろう?」
俺は二年前のモンドグロッソの時、応援を間近でしたいと千冬姉に直談判したが、もともと俺をISを遠ざけようとしていた千冬姉は開催地のドイツに俺を連れて行かせてくれなかった。
どうしたものかと考えた末ダメもとでこの財前さんに掛け合ってみたら「私にまかせなさい」とんとん拍子で話が進みまさかの要人席で観戦することになったのだ。
その結果、千冬姉に大迷惑をかけることになったのだから世話がない。
「まあ、今回も内緒でお出かけです。流石に二回も誘拐されたらたまらないですけど」
「ハッハッハッ違いない!‥‥あの時はすまなかったね。私がついていながら、みすみす君を危険に晒す羽目になってしまった。」
「いえ、もう済んだことですし。この通り無事だったんですから」
実際、落ち着かなくなった俺が警護の人を外してもらってトイレに行ったのが原因なのだから、財前さんに非はないだろう。このことについて俺はもう財前さんに思うところは何も無かった。
「なんで、ここに来たのはそのISを見に来るためですよ。前々から結構楽しみにしていたんです」
嘘は何も言っていなかった。前から来たかったのも、ISを見に来たのも事実だ。それでも、どこかずるいことをした気がしてならなず、財前さんの顔を見ることが出来なかった。
「なるほど理解した。だが、私が聞きたいのはもっと深いところだ」
「深いところ?」
「ここだよ」
財前さんは右手で握りこぶしを作り、こつんと自身の左胸にあてがう。
「それが全てではないだろう、一夏君。君を衝き動かし、ここにたどり着かせたものはなんだ?」
この人はどこまで知っているのだろう。俺でも知らない俺のことをこの人は知っているのだろうか。俺の疑問が伝わったのか、応えるように財前さんは続けた。
「私にはまだ何もわからないよ。察することはいくらでもできるが、それは理解することではないからね。だから知りたいんだよ、一夏君。一人の家族である君のことを」
「‥‥」
家族だと言ってくれた。そのことが滅茶苦茶うれしい。その期待に応えたいと思えてくる。だけどまだ、自分に勇気が足りなかった。
「おっと、私ばかりが聞くのはフェアではないな。先に君の質問に答えよう、今の君が私にどう見えるかだったね」
「‥‥はい」
「残っていない?とんでもないな。だが今までとは違う。抑えつけられ燻ってはいるが、だからこそ更に強い燃えるような輝きが君には宿っているとも」
「────え」
力強い答えをくれた、その人の顔を見上げる。ガラス張りの壁から漏れる太陽が眩しくて、思わず目を細めたが、彼の目には真実しか映していなかった。
「だから教えてくれ、今の一夏君をそうしているものは何なのか。君の心を聞かせてくれないか」
「ISって、もともと束さんが開発したのは宇宙活動用のものじゃないですか。最近になってISを本来の用途で扱おうって動きが出てきたんですよ。」
観念するように口を開いた。
「女性権利団体の躍進だとか軍事利用でのイメージダウン対策だとか、色々言われていますけど。聞いたばっかの時は純粋に嬉しかったんです。束さんの願いが一つようやく形になったのもそうですし、間違いなく飛躍的に宇宙開発が発展していくって思っていました。」
せき止めていた思いが溢れ出す。ずっと胸の中で抱えていたものを吐き出してく。
「実際にここにある『はやぶさ』が宇宙ステーションに上がって、宇宙での活動の安全性とか利便性が証明されたんです。
やっぱり束さんってすごいんだなって改めて思いましたよ。色々と夢が広がりました。
これから観測可能域が広がって、新しい天体とか銀河系とかが発見されて、俺も絶対に宇宙飛行士になってたくさんのものを見るんだって意気込んでたんです。
だけど、そうできないかもしれないってなったんです」
そう、俺の将来の夢は閉ざされようとしていた。他でもない大切な人が生み出した夢の形であるISによって。
「本当にすごかったんです。
ISネットワークがあるから通信障害の心配はほぼゼロ。宇宙への資材運搬なんかは拡張領域があるから楽だし、作業中に宇宙空間に放り投げられることもない。デブリの除去なんか単独で可能です。大気圏間の移動だけすれば、ほとんどの作業をこれまでと比べて何倍も効率的に、そして安全に行えるんですよ。
それならって、みんな思っちゃったんです。『これなら宇宙に行くのはISパイロットだけで十分じゃないか』って」
「‥‥なるほど」
「だからって、今すぐにそうしようってなったわけじゃありません。
そもそもISパイロットだけになるなんてありえませんし。宇宙ステーションで行われているのは建設だけじゃない、無重力下での研究なんかは専門家が行く必要がありますし、ISにしても長期間滞在するならメンテナンス要員は必要でしょうから。
だけど、宇宙開拓方面についてはISを中心に再編成していくのは確実だそうです。それにつれて、宇宙飛行士を女性中心にしようって動きもあって。
‥‥正直、俺が大学卒業してから日本人の応募が始まるまでに男性の枠が残っているか、はっきりしていないんですよ。」
そうでなくとも、女性が優先されることになるのは間違いなかった。これから男性にとって、宇宙飛行士はさらに狭き門になるのだ。
でもまだなれる可能性があるのなら、諦める気はなかった。死に物狂いで勉強して、訓練して、絶対に夢を叶えるのだと言えた。
だけど、もし完全に道が閉ざされてしまったら?自分のやってきたことが、後で全て無駄になるのだと言われてしまったら?
「‥‥怖くなりました。
だったら、もういいんじゃないかって、夢を見るのはここまでにした方がいいんじゃないかって。そう思ったこともあります。」
今は千冬姉が支えてくれているけど、決して楽観視は出来ないだろう。このまま千冬姉にばかり負担をかけさせるわけにはいかない。
宇宙飛行士ならないのならもう学歴も必要ないだろうし、卒業から働こうと考えたりもした。いや、諦める言い訳を作ろうとしていた。
そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだった。
「だけど、やっぱり駄目です。そんなの納得できません。
ずっと、ずっとそれだけが夢だったんですから。なのにこんな理由で無理になるなんて酷いじゃないですか。便利なものができて、それは女性にしか扱えないから、男はもう必要ないから宇宙に出るなって。
そんな一方的に言い渡されたって、『はい、そうですか』って素直に頷いて、簡単に諦められるわけないでしょう!」
最後はもう、思いっ切り叫んだ。他のツアー客は先に行ってしまっているらしく、周りには財前さん以外誰もいなかった。こんなの他の誰にも聞かせられない。
頭をしわくちゃに搔きまくる。
情けない、本当に情けない。誰のせいでもないのに、こんなに喚き散らして。まるで我儘なガキだ。
けど、今だけは素直になろうって決めたのだから、もうどうにでもなれと開き直ってしまおう。ほら、財前さんも微笑ましい物を見るように笑っているのだから。今更恥ずかしがることもないだろう。
「今の気持ちに整理をつけたいんです。このままじゃ他のことが手につかなくて、周りに迷惑かけちゃうんで。実際に宇宙に行ったISをこの目で見たら、何か変わるかもって。
だからここに来たんです。自分の中で決着をつけるために。」
大きく息を吐く。
これで抱えていたものは全部だ。大変みっともない告白だったと自負している。末代まで恥として語り継いでやりたいくらいだ。だけど、話す前よりどこか気分が清々しい。
(ずっと悔しかった。)
そう、自分の夢が自分の努力じゃどうにもならないくらい遠くのものになってしまったことが、たまらなく悔しかった。あれやこれやと遠回りをしているかもしれないが、これが俺の気持ちの全部と言えるだろう。
これまで黙って聞いていてくれた財前さんは俺の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でた。ごつごつして、皮が分厚くて、少し抑えつけられるようで苦しかったけど、不器用でも温かさが伝わってくるみたいだ。
「束君を恨んでいるかね」
「恨んでは、いません。だけど今目の前に現れたら、たぶんいつも通りではいられないと思います」
「そうか。君はやはり優しい。強くて優しい子だ。君の本音を聞けたことを誇りに思うよ」
「やめてくださいよ、そんな」
口では言ったが、払いのける気にはなれなかった。自分でも内心驚いている。
「正直もっと色々言われるかと思ってました」
「一発背中を引っ叩いてやろうとも思っていたがね。
だが必要ないだろう?君は現状を良しとせずに前に進む意思を持っているのだから。」
それっきり、財前さんは俺のことを無言で撫で続ける。その間俺は、いつか父親になったときはこんな風な大人になっているだろうかと、未来に思いを馳せていた。
ひとしきり撫でられ続けて流石に恥ずかしさがせりあがってきたので、なんとか財前さんに切り上げてもらい、見えなくなったツアーの集団の後を急ぐ。
そこまで遠くには行ってなかったようで、一度中央の大きい階段を昇れば最後尾の子供たちがはしゃいでいるのを目の端でとらえた。
「はーい皆さん!お待たせしました!ここからが今回のISツアーの目玉、本物のISをお披露目しちゃいまーす!あ、ここからはツアー参加者以外は立ち入り禁止になりますので、お子さんたちのお母さん、お父さん方はここでお待ちください。」
「おお!」「ついに!」「やったー!」
合流したのは本当にいいタイミングだったらしい。曲がり角を曲がると、大きく厳重に施錠された扉の前にツアーのお姉さんたちを中心に子供たちが集まっていた。どうやら、遂に今日の目的を果たせるようだ。
「楽しみだね、実物を見るのは初めてだよ」
「そうなんですか?てっきり打ち上げの時にでも見ているものかと。たしか総理大臣とか見学に行ってたじゃないですか」
「私も是非そうしたかったんだけどね、残念ながらその時は別の仕事をしていた。実にもったいないことをしたものさ」
まあ、それはどうでもいいとでも言うように財前さんは呟いた。
かく言う俺も打ち上げ当時は期末試験が忙しくテレビの録画でしか見ることが出来なかった。テスト中に窓の外から種子島の方角の空を見上げて打ちあがった後の長く伸びる雲を眺めたくらいだ。
財前さんと話しているうちに、目の前の扉が大きな電子音の立ててスライドしていく。真っ暗なホールを案内され前に進んでしばらくすると案内役のお姉さんからアナウンスが入った。
「この格納庫は、かつて宇宙開発に関連するものが保存される場所になります。宇宙服のモデルを始めスペースシャトルのエンジン部から火星に送られた自走探査機。そして!これから皆様にお披露目するのが~!?」
合図で一斉にライトアップされ、ホールの中にある品々が光を浴びる。周りには先ほど紹介にあった宇宙関連のものが囲んでおり、目の前には3メートルほどのパワードスーツが鎮座していた。
「これが!世界で初めて宇宙を飛んだ日本製IS『はやぶさ』でーす!」
磨かれた装甲はライトを反射して白一色の表面を更に際立させている。独立する二つの背部ユニットは上からワイヤーで吊るされており、流動的な機体デザインはまるでその名の通り隼を思わせる風貌を醸し出している。
「倉持技研が中心となって開発された第二世代機『はやぶさ』は、もとはキャノンボールファストなどのレース競技を見据えた、練習用量産機としての設計思想を持ったISでした。そこにISによる宇宙開発プロジェクトが持ち上がった際にロールアウト寸前だったこの機体に白羽の矢が立ち、宇宙活動用パッケージに新造され、見事その役目を果たしたのです!」
脚部、胸部、腕部はそれぞれが独立しており、人ひとりを修めるだけの空洞が存在している。内側にはパイロットの肉体に同着させるためのクッションが見えているが、一部露出した表面に機械部分が主張していた。
「すごーい!」「かっこいいー!」「きれーだねー!」
子供たちが皆無邪気に瞳を輝かせて前の鎧へと駆け寄る。いつか、自分もこれを身にまとうのだとでも夢見るように。
「これが、インフィニットストラトス‥‥」
人は、こんなもので宇宙へ飛び立てるというのか。
世界に発展と混乱をもたらし、自分から夢を奪おうとしている元凶が今、俺の目の前にある。
「今でもにわかには信じがたいね。こんなに小さなもの一つで人類はこの星を飛び立つことが出来るなんて。まあ、私たちにはできないのだけどね」
正直、俺もどこかまだ夢物語のように思っているのかもしれない。膝や肩、なにより頭部がむき出しのものを纏って人が宇宙空間を自由に飛び回っているなんて、少し前までは考えられなかった。それを可能にした、してしまったのが今や世界が知る『天災』篠ノ之束さんその人だ。
「酸素の確保や温度調節は絶対防御とシールドエネルギーのシステムを改良し、機体表面10cm間の安定領域を最大2時間、補給なしで展開することが出来ます。
これは生みの親である篠ノ之束博士がISの発表当時から公開されていた論文の中に既に存在していたものであり、ISの本来の使用用途が宇宙開発であるという証でもありますね」
「ほう、そこまで可能なのか。ほんの少し昔からは考えられないな」
つまり十年近く前の第一世代の頃から宇宙での活動が可能なようにISは開発されていたということになる。あの人は未来に生きているのだろうか。本当に束さんの異次元っぷりにはいつも驚かされる。
(‥‥なんか、思ったより落ち着いてるな、俺)
こうして待ち望んだ場所にに立ってみて、率直な感想だった。ここに来るまでは自分はISを目の前にしていつも通りでいられるのか心配していたのだけど、俺の心にはさざ波の一つも立たないでいる。
いや、どこかもやついた感覚は間違いなくあるのだが、思っていたものとどこか違う。怒りとか憎しみとかそんな濁った後ろめたさでは無くて。これは多分、湧き上がる感情をうまく言葉にできないことに対してのもどかしさなのだ。
(なんだろう、この気持ちは。こんなこと久しぶり───)
久しぶり?
俺は昔に同じ気持ちを持ったのか。いつ、どこで?それと、どうして初めて見たISにそんなことを思ったのか。
いくら記憶をさかのぼってみても何も思い出せない。俺はまるで、自らずっと避けていたかのようにISのことを何も知らない。
だけど、そうだ。ようやく解った。ずっと引っかかっていた感情が。
これはきっと、『──』ってやつじゃ‥‥
「それで一夏君はどうする?」
「───えっあ、はい。なにがですか?」
「おや、聞いていなかったのかね。今から個人で記念撮影ができるようだが君はどうする?」
改めて『はやぶさ』の方を見ると、ツアーの子供たちが機体の前に立ってお姉さんの持つカメラへ無邪気に笑顔を向けていた。
「せっかくだ。私も一緒に撮ってもらおうと思ってね。それとも、
「‥‥いえ、そんな嫌がるほどでもないですよ。一緒に撮りましょう」
順番を楽しみに笑う子供たちの後ろに俺と財前さんが並ぶ。こうしている間も、ISに対して嫌悪感が湧いてくることは無かった。
さっきまで感じていた違和感は、もうどこかに消えてしまった。疑問は残るが、すぐに忘れてしまうのであれば大したことではないのだろう。
無邪気にはしゃぐ子供たちの相手をしている間に、自分たちの順番がやってきたことにお姉さんに呼ばれて気が付く。『はやぶさ』を財前さんと二人で挟む形で前に立って、今までで一番近い距離で純白の機体を見上げた。
「──綺麗だな」
零れ出た言葉が、たぶん今の俺の答えだ。これが人を乗せて
これを纏って、自由に空を、世界を、宇宙を渡る自分の姿を少しだけ想像して、小さく笑った。全く似合ってないというか、男がピチピチのスーツとISを身に着けてはしゃぐなんて誰得だって感じだ。
想像して、馬鹿だと笑って、それでもやっぱり望んでいた。
だからだろうか、俺は無意識に欲しいモノへと手を伸ばした。
鉄の塊でできた純白の肌に、物心つく頃から宿した熱の掌を当てる。
きっと何も届かなくて、何も伝わらないだろう。
物言わぬ鎧はただ触れた掌から熱を奪うばかりで、俺の思いなんて知りもしない。
俺にはできないのかもしれない。俺は選ばれなかったのかもしれない。
(それでも────やっぱり、俺は宇宙へ行きたいよ)
───MITUKETA────
「……えっ」
突如、何かが脳を揺さぶった。微かな音で、長いトンネルのラジオ回線のようにひどいノイズだらけだったけど、それは確かに声だった。
(誰かが呼んだんだ、俺のことを。ここにいる誰かが)
何の確証もない、ただの妄想と言われた方がみんな納得するだろう。頭では自分でもそう思っている。
だけど心は直感していた。
「お前が……俺を呼んだ、のか?」
目の前に鎮座する鉄の塊であるはずのモノに、途切れ途切れの言葉で問いかける。
その純白の肌はやさしい微熱を確かに触れている掌へと伝えていた。。
『
突如、ISが電子音を鳴らすと共に俺を巻き込んで青白い光に包まれた。
「は、はあ!?」
「はーい二人ともーこっちに視線お願いし……はぁ!?」
「これは……!」
「きゃー!」「まぶしー!」「なにこれー!」
急な事態に財前さんやツアーの人たちは一斉にこっちをむく。だが、何が起こっているのかわからず身動きが取れずにいた。俺はあまりの眩しさに思わず片手で視界を塞ぐが、ISに触れている手を引こうとはしなかった。自分でもどうしてかは解らない。
機体は一度輝きを収めると、脚の先から青い光の粒子となって分解されていく。
無数の粒子はゆっくりと俺方へと漂い始め、接触する間際で輪郭をなぞるように回転を始めた。
脚部から始まり、腰、腕、肩、胸、背部ユニットと同じように俺の体を包んでいく。
「なんだよ、これ……」
今日は本当に訳が分からないことばかりだ。
ISに触れた理由も、こんなことになった原因も皆目見当がつかない。
俺の知らない何かが、俺の中にあるのだろうか。
俺の知らない誰かが、俺の本当を知っているのだろうか。解らないことがあまりにも多すぎた。
「すげえ……」
ただ、先の直感はもう確信に変わっている。
俺は
それだけは、今の俺でも信じられた。
「なんか、とにかくコレすっげえ!!」
興奮が胸の奥から湧き上がって止まらない。
思いの丈を叫んだ瞬間、鉄塊だったはずの粒子が一際眩い光を放って、広いホールの中を派手に照らした。
眼を固く閉じてから、一瞬の浮遊感。
星の引力から解放され、この体は本当の自由を手に入れる。
肌から何かが体を覆う感覚が伝わってくる。
重力ように俺を縛るのではなく、守り羽ばたかせようと優しく包んでいる、そんな温かさを感じていた。
瞼の上からでも感じる光が収まった後、ゆっくり俺は目を開く。
はじめに写ったのは、俺を見上げる財前さんやツアーのみんな。お姉さんは限界まで目を見開いて驚きを隠せず、子供たちは逆に目を輝かせてはしゃいでいる。財前さんは一度目を合わせると下を向き大きく肩を震わせ始めた。
みんなが見上げている、俺の視点が1メートルくらい高くなっている。
さらに視界の端には半円形のメーターのようなものと沢山の数字が浮いている。視点をどこに動かしてもそれに合わせて移動し、頭に直接情報が洪水のように流れ込んでくる
『装着者のバイタル正常値
ISネットワークへの同期を確認
PIC制御、ハイパーセンサー
絶対防御、ジェネレーター出力、シールドエネルギー残量
各種機能異常なし
ISAS 倉持技研共同開発宇宙開発専用特別試作機
『はやぶさ』の起動を確認』
「これが、インフィニット・ストラトス…!」
鋼鉄の翼が俺を認めたという事実が、どこまでも心を昂らせる。
世界が覆る音が、俺の頭の中で響いていた。