春は別れと出会いの季節、トレセン学園に来てから1年が経った。寮生活である私の部屋にも漸く新しい住人がやってきた。たまに部屋移動で同期や先輩が来ることもあるが、私の一個下の後輩が同部屋となった。
「初めましてシンフォニアリリー先輩、フジキセキと言います」
「よろしく。気軽にシンフォニーかリリーって呼んでよ、私もフジちゃんって呼ぶからさ」
「フジちゃんはちょっと恥ずかしいです」
物凄い顔の良い娘が入ってきた。幼さは残ってるけど大人びた雰囲気というか余裕がある。恥ずかしいと言いながら、はにかんでみせる所を見ると天然の垂らしか。これはすぐにファンクラブが出来るだろう。
主戦距離はマイルから中距離らしく、私と同じくクラシック3冠を目指しているらしい。
それじゃあまあ、先輩として恥ずかしい姿は見せられないかな。
皐月賞、クラシックが誇るGⅠのレースが1つ。そして3冠バを目指すにあたり1番の目標であり、獲れるか否かで今後のモチベーションにも繋がる大事なレース。デビューしたウマ娘がクラシック期で1度しか出走することを許されない、そんな舞台がついに開幕する。
このレースを目指し、散って行ったウマ娘の数多く、真の強さを持ったウマ娘のみが集い、競うことを許された。
最速の名を手にするのは、どのウマ娘か。
「リリーさん、いよいよですね」
「うん、待ちくたびれたよ」
「緊張は……心配する必要はなさそうですね」
「大丈夫だよ、勝つのは私だもん」
「頼もしいですね」
自分が勝つと信じ始めた日、南坂Tは少し驚いていたけどそのまま私を迎え入れてくれた。何があったか聞きたかっただろうけど、変に水を差して私の集中が途切れるかもしれないと思ったんだろう。
お陰で今日まで集中力を保ってこれたし、コンディションもバッチリだ。万全の状態でレースを迎えられる。
「じゃ、行ってくる」
「応援してます」
言葉少なに挨拶を交わし、コースへと続くトンネルを歩いていく。出口に近づく毎に、少しずつ鼓動が湧き上がってくるが、それを表に出さず、静かに内に秘める。これを解放するのは、もう少し後だ。
ふと前を見ると、初めて見るGⅠの勝負服に身を包んだシンボリルドルフが居た。緑の軍服の様な格好で、厳格さと勇ましさを感じるシンボリルドルフらしい格好だ。
言葉を交わしたわけではないが、隣で歩調を合わせて進む。
「……この時を待ち侘びていたよ」
絞り出す様に、シンボリルドルフが呟いた。
私もだ、シンボリルドルフと戦える、競い合える日をどれだけ待っていただろうか。お互いが全てを出し切って戦える、そんな相手を待っていて、出会い、共に走る日を。
「言葉は要らない、走りで語り合おう」
「望む所だよ」
そしてコースへと入場する。
ワァアアアアアアア!!
割れんばかりの歓声が、全方向から飛びかかってきた。それは軽い衝撃波となって身体に叩きつけられるが、今日はそれが心地よい。自分を奮い立たせる鼓舞になる。
『並んで入場したのは2番人気10番シンボリルドルフ。1番人気を逃しましたが間違いなく1着争いの筆頭候補です。今日は勝負服を着ての出走、緑の軍服の様な勝負服と、有無を言わせぬ圧倒的な走りから皇帝と呼ぶ声も。その名に相応しく実力は申し分なし、いつも通りの力強い走りを見せてくれるでしょう!』
『そして1番人気11番シンフォニアリリー。GⅠホープフルステークスを制し堂々の1番人気!その末脚に惚れた人も数多く、1人、また1人と差し切っていく姿からサムライの異名。その爆発的な末脚で今日も1着を捥ぎ獲っていくのでしょうか!』
コースに入ると先にいたウマ娘たちから鋭い視線が向けられる。見知った顔ではハッピーストライクやマーチングキャップの姿もあった。2人以外にも顔ぶれは重賞へ出走したことのある娘ばかり、皐月賞に出走するウマ娘として不足はないだろう。
以前ならそんなウマ娘たちからは重苦しい空気を感じたが、今はシンボリルドルフしか見えていないのもあって、まるで何も感じない。
彼女たちは強い、皐月賞に出る実力はあるし、油断できる相手ではない。それでも思い込みではなく、私の方が総合的に見たら速いだろう。やはり1番の敵はシンボリルドルフだ、近くにいると肌で強さを感じられる。そんな奴と今から思いっきり走れると思うと、思わず笑いが込み上げてくる。
『クラシックレースを飾る一つ目のGⅠ皐月賞、クラシック3冠のその一つ目、獲って弾みをつけるのはどのウマ娘か。ミスターシービーの3冠も記憶に新しく、まずその1つ目を獲るウマ娘を見ようと観客は超満員です』
『やはり注目は1番人気シンフォニアリリーと2番人気シンボリルドルフでしょう。どちらもまだ全勝で皐月賞へと挑んでいます。2人とも他のウマ娘とは一線を画す実力の持ち主です、大いに期待しましょう。勿論油断できる相手は皐月賞に出走してはいません、どういう展開になるかたのしみです』
『各ウマ娘ゲートイン完了……スタートしました!揃って良いスタートを切りました。最速のウマ娘が勝つと言われる皐月賞、ハナを奪っていったのは2番と4番、快調に進んでいきます。2バ身開いて5番と16番と3番、10番シンボリルドルフはこの位置につけています。差がなく9番、外から12番、ここまでが先頭集団を成しています。1バ身離れて11番シンフォニアリリー、後ろに14番ハッピーストライク、その外17番、1番マーチングキャップ、6番、内で7番と8番、大きく離れて15番、18番、最後方13番、間伸びした展開となっています』
『さぁ先頭は第1コーナーへと向かっていきます。内から行きますシンボリルドルフ、それに合わせて5番と16番が少し前へ行っていますが掛かっているのでしょうか。外で3番はシンボリルドルフの隣で落ち着かない様子』
早速シンボリルドルフが仕掛け始めている。プレッシャーに当てられた5番と16番は少しでも離れたくてペースを上げている、早いうちに落ちてくるだろう。3番は内を譲ってでも関わらないことを選んだ。でもその位置だとただでさえ実力差があるシンボリルドルフよりも距離を走ることになる、出来るだけ早く状況を打開したいだろう。その考えはシンボリルドルフの術中にハマっている。
少し下がってシンボリルドルフの後ろに着く位置へと収まったが、それを見てシンボリルドルフはわざと内を開けた。そこに飛び込んでしまえば前の2人と同じ状況になるとわかっているから迂闊には踏み込めない。けど折角空いた内を突こうと、9番と12番が前へと押しあがっていく。
『先頭集団で動きがありました、3番がシンボリルドルフの後ろに着けたかと思えばシンボリルドルフはその内を開ける。それを突いて9番と12番が上がっていき、それに押されるように3番も前へと進む。進むがこれは5番と16番と同じ、急なハイペースで上がっていきます』
そしてシンボリルドルフの近くに来て、漸くそのプレッシャーに気づいた9番と12番は進行を止めた。それがわかっているかのようにシンボリルドルフも元の場所は戻っていく。鮮やか過ぎて言葉も出ないわ。よくもまぁあんな簡単に3人掛からせたな、他の誰にも真似できないでしょあんなの。
第2コーナーを抜けて向正面の直線を進む。皆が皆自分のペースで落ち着いた頃、後ろの連中は前の状況を把握したからか仕掛けてこない。ならこっちは好きにやらせてもらうよ。
『向正面に入って11番シンフォニアリリーが少し前へ出ました。9番と12番の隙を狙うように進退を繰り返しています』
私がうろちょろしているのを見て、2人は鬱陶しそうにしている。そう簡単に並ばせてたまるかと、ブロックを繰り返す。でも後ろばっかり気にしてていいの?前、ちょっと詰まってるよ?
進退を繰り返していくうちに少しずつ前へ進んでいたのに気づかなかったのか、シンボリルドルフのプレッシャーの範囲に入って漸く自分の犯した失態に気づいたようだ。シンボリルドルフ程ではないが私もそれなりに圧力をかけている、前と後ろでプレッシャーに挟まれて、自分が思っているよりスタミナを消費しているだろう。
そんな2人の内をわざわざ狙う必要はない、そのうち垂れてくるから今のうちに外目に着けておく。ここがシンボリルドルフの行動も見えてスパートしやすいベストポジションだろう。
『さぁシンフォニアリリーが外に着けてシンボリルドルフの様子を伺う。先頭は変わらず2番、続いて4番、そのすぐ後ろに5番と16番と3番、掛かっているのか前は入れ替わりが激しい大混戦だ。その後ろ1バ身にシンボリルドルフ、すぐ後ろに9番外に12番、その後ろ少し外寄りにシンフォニアリリー。1000mを過ぎました、タイムは59.1、少し早いペースだが先頭の娘たちはスタミナが保つのでしょうか』
あれだけ先頭争いをしてたら、スタミナは保たないだろう。シンボリルドルフはおそらくタイムを1:00に合わせてる。少し後ろだけど私もまぁ良いペース、これより後ろは警戒し過ぎて間が空き過ぎている。万全の状態でスパートできる私に追いついてくることはないだろう。
1000mを過ぎ第3コーナーへ入る時、そろそろ仕掛け始めようと思っていた私よりも早く、シンボリルドルフが前へ出た。先頭争いの中を進んでいくけど、タイミングもペースも速くない……?いや、あれは前へ出たんじゃなくて、スパートを掛けたのか!
『第3コーナー直前!10番シンボリルドルフが行きました!スパートをかけグングンと前へと進んでいきます。残り800mもあるがスタミナは保つのでしょうか!?それを見て11番シンフォニアリリーも順位を上げてきた!掛かっていた5番16番3番はここまでか、ずるずると下がってきます!』
私はいつもレースの終盤、最終コーナー付近でスパートをかけ始める。それはスピードに乗りすぎて外に膨れすぎてしまうのを防ぐためだ。スピードには乗るが余計な距離を走ってしまうため結果的にタイムが伸びる、ある程度速度を落としてでも内を走った方が早い。シンボリルドルフはそれを見越して差を広げられるだけ広げておこうと、自分のスタミナが切れないギリギリを見計らってスパートを掛けてきた。
直感的に追う選択をした。自分のスタミナが保つかどうか分からないが、多分このまま走らせていたら差し切れないほど差をつけられる。一か八かだけど、ここは自分を信じる。
『さぁ最終コーナー、先頭を進んでいた2番と4番もスパートを掛け始める、しかしすでにスピードに乗ったシンボリルドルフがその横を抜き去って行った!10番シンボリルドルフ1番手!後続もスパートを掛けてきた!そしてやはり!外からやってきたのは11番シンフォニアリリーだ!先頭集団の外から躱して2番手!ここからがシンフォニアリリーの本領発揮!しかしシンボリルドルフとの差は4バ身程、中山の直線は短いが差し切れるのか!』
いつもなら4バ身くらい余裕で差し切れる。しかし今回は相手がシンボリルドルフだ、間に合うかなんてわからない、そんなことを考えている余裕なんかない。
だけど、こんなレースを待っていた。追いつけるか分からない、勝てるかどうか分からない、自分の全てをぶつけられる、そんなレースを!
さぁ勝負だシンボリルドルフ
「勝つのは、私だぁああ!」
『きた!最終直線でシンフォニアリリーが、その末脚を解放した!日本刀のような切れ味でシンボリルドルフに襲い掛かる!速い、速いぞ、背中にロケットでも付いているかの様な加速!シンボリルドルフも逃げるがジリジリと差は詰まっていく!その差は2バ身、1バ身半、いや既に1バ身を切っているぞ!残り200m!シンフォニアリリー差し切るか、シンボリルドルフ逃げ切るか!?』
こっちが全力で走ってるっていうのに、追っている背中が全然縮まってこない。明らかに今までの相手とは手応えが違う。その中々縮まらない差がもどかしい。
『シンフォニアリリー並んだ!シンボリルドルフと横一直線!』
「……負けて、たまるかぁ!」
「っ!しぶとい!」
『しかしシンボリルドルフも粘る!並んだ差を1バ身まで引き離す!残り100m!どっちが勝ってもおかしくない!勝つのはシンボリルドルフか、はたまたシンフォニアリリーか!シンフォニアリリー差を詰めるがあと少しが縮まらない!シンボリルドルフ粘る!ここでシンフォニアリリーが並び返す!シンボリルドルフ譲らない!二人並んだまま!並んだままゴールイン!!』
ゴールした瞬間倒れ込む様に芝へ座り込む。スタミナは完全に使い切った、これ以上は走れない。とにかく酸素を身体に取り込もうと息が荒い。シンボリルドルフも同じ様だ、膝をついて息を吸っているが、あまりに急に吸い込んだせいか咽せて咳き込んでいる。
そして、お互いを見合う。
どちらが先とも言えず、根性で立ち上がる。正直まだ座っていたいけど、あっちが立ってるのにこっちが座ったままなんて我慢できない。それでも動くことはできないので、息が整うまでその場で立ち尽くす。
漸く動くことができるようになった時には、他のウマ娘たちもゴールしていて、着順が確定した。
……どっちだ、どっちが勝った?
フラフラと歩いて電光掲示板の前に立つ、隣にシンボリルドルフも並んだ。
結果が出るまで観客も声を出さない、レース場全体が静寂に包まれる。
1着 10番 シンボリルドルフ
2着 11番 シンフォニアリリー
『1着は10番シンボリルドルフ!ハナ差でシンフォニアリリーを押さえつけ、皐月賞を制覇しました!苛烈なレースを乗り換え、世代最速の名を手にしたウマ娘はシンボリルドルフだ!』
電光掲示板に結果が表示された瞬間、大歓声が降り注いだ。それと共にシンボリルドルフのコールが鳴り響く。何度も何度も、それを私に結果を理解させるのには十分だった。
そうか、あれだけ全力を出したのに、負けちゃったか。
「……勝った」
それは短くて、歓声に掻き消されそうなほど小さな声だったけど、隣にいた私には届いた。心底ホッとしたような、でもまだ現実に追いついていないような声だった。自分では気付いていないのだろう、震える手で拳を握っていた。
あのシンボリルドルフが、ガッツポーズ。今までのレース、勝っても余裕を絶やさず、観客に愛想よく手を振ることを欠かさないシンボリルドルフが、そんなことも忘れて自分の感情を堪え切れずに出している。
私は、それほどの相手だった、ということか。
なんか負けて悔しいような、それほどの相手と認められて嬉しいような、複雑な気分だ。
「はぁ……、シンボリルドルフ」
「っ!シンフォニア、リリー」
「おめでとう」
「……あぁ、ありがとう」
声をかけると漸く我に戻ったようだ。祝福の言葉をかけると礼と共に手を差し出してきた。私もそれを握り返す。
「これで満足してないよね」
「?」
「言っとくけど、あと10mもあれば差し切れたし。次のダービーは東京レース場で最後の直線も中山より長いんだから、このままだと勝つのは私だからね!当然の勝利なんて望んでないんだけど?」
「……あぁ!あぁそうとも!無論同じ私ではない、次も私が勝ってみせる」
ダービーは2400mもあり、今回みたいに残り800mからのロングスパートなんてできない。それに最終直線も長く、皐月賞よりも私の方が有利だ。だからこそ、皐月賞に勝ったからといって腑抜けられて、ダービーで楽勝でした、なんてことになって意味のない勝利なんて欲しくない。私が欲しいのは、皐月賞の勢いのまま、さらに強くなったシンボリルドルフを倒して得る勝利なのだから。
そう伝えるとシンボリルドルフはとても嬉しそうにしていた。なんとなく理由はわかる。今まで戦った相手は心が折れてしまったんだろう。しかし私は次があるのだと、勝つのは私だと、浮かれるなと言ったのだ。それが嬉しかったのかもしれない。
そろそろインタビューの時間だろうと、手を離しコースを後にする。今からライブも始まるし、控え室で早く着替えないと。
「リリーさん、お疲れ様でした」
「あ、トレーナー」
控え室の前で南坂Tが待っていた。少しだけ悔しさを滲ませながら、けど本当に悔しいのは私自身だと分かっているから表には出さずに、笑顔で労ってくれた。
「……悔しいなぁ」
だから私も、本音を出して良いんだと、吐き出した。
「悔しい、悔しいよ……。勝ったと思った、あのシンボリルドルフに勝ったと思ったんだ……」
「はい、見てました。凄い走りでした、今までで1番でした」
「それでも、1番の走りをしても勝てなかった。本当にシンボリルドルフは凄いよ……めちゃくちゃ強い……」
「……では、どうしますか?クラシック3冠はもう獲れません、諦めて違う路線を目指すこともできますよ?」
そうすればシンボリルドルフと戦わずに済む。勿論他のウマ娘が劣るわけではないけど、それでもクラシックGⅠを獲るのは比較的容易になるだろう。
でも、それじゃ意味がない。そんなんじゃ満足しないってわかってて南坂Tも言ってくる。
「じょーだん、負けたままじゃ終われない。勝ってあの顔悔しさに塗れさせてやる」
「わかりました。私も全力でサポートします」
「うん!これからもよろしくね、トレーナー!」
3冠の残りダービーと菊花賞を勝てば、世間では私の方がシンボリルドルフより強いって認められるだろう。3冠じゃないけど、そもそもがめちゃくちゃ難しいことなんだし、気落ちしてなんかいられない。2冠だって十分な偉業なんだから、それを全力で獲りにいく。
その度に立ちはだかるのはシンボリルドルフだろう、けど負けるのは1度で良い。次は絶対に勝つ!