皐月賞で負けたとはいえ落ち込んでいる余裕はない、約1ヵ月後にはダービーがあり、距離も2000mから2400mへと伸びる。400mも走る距離が伸びるとなると、それに合わせた身体作りも必要になってくる。
たかが400mだと思われるが、人の身体をした生き物が車と同等の速度で走るのだから、その負担は尋常ではない。特に足にかかる負担は少し距離が伸びるだけで大きく変わってくる。筋肉だって長い距離を走る筋肉と、短い距離を速く走る筋肉とでは質が違う。勝つためには適した身体作りをしっかりと行わなければならない。
私は別に2400mを走るだけなら問題ないスタミナはついているが、皐月賞のようにシンボリルドルフが早めのスパートを仕掛けた時に対応できるように、少し早いスパートでも走り切れるようにトレーニングをしている。シンボリルドルフのスタミナは同世代でもトップクラス、今でも問題なく2400mを走り切るだろう。今頃あっちでは、私の末脚に対抗できるようにトレーニングを積んでいるはずだ。ならこっちもスタミナも底上げしつつ、スピードも強化していかないと。
「……にしても、やりづらいなぁ」
トレーニングをしている私の周りには、多くのウマ娘たちが見学に来ていた。幾人か先輩らしきウマ娘もいるが、殆どは真新しいジャージを着た新入生だ。ホープフルステークスを勝った辺りから少しずつそういったウマ娘はいたが、皐月賞が終わってからはより顕著に増えていった。
彼女たちは担当契約を希望しているのだろう。担当契約というのは選抜レースや模擬レース(学園の行事ではなく、ウマ娘が主導で行うレース)を見たトレーナーがスカウトするのが一般的だが、ウマ娘がトレーナーに契約を持ちかける場合もある。そのトレーナーの資質や指導、トレーニング内容や器具の充実さを見て、トレーナーに直接契約を申し込みに来るのだ。大体その内のいずれかが魅力的だった場合にこういったことは起こるのだが、今回はトレーナーの資質、指導が優れていると判断されたからだろう。
南坂Tは2年目の新人トレーナーだ。普通は担当ウマ娘を持ったとしても、そのウマ娘が重賞を現役の内に獲ることができたらトレーナーとして優秀と言えるだろう。そして何年も指導を重ねていき、自己流の指導やトレーニング内容で他のトレーナーと差をつけていき、いつかはGⅠをというのが一般的だ。それが担当を持って1年足らずでGⅠを獲ったのだから話題になる。
寒門(家系にGⅠなどを取ったことのない無名である)の出の私がGⅠを獲ったというのが大きい。優秀なウマ娘というのは名門から多く輩出される。シンボリ家やメジロ家などが名門と呼ばれているが、逆に聞いたことのないようなウマ娘、さらにはレースの経験もない素人の私は周囲からは全く期待されていなかっただろう。それがGⅠを獲った。そして更にはクラシックレースの皐月賞を、名門であるシンボリ家の次期当主と噂されるシンボリルドルフに、ハナ差の接戦を繰り広げたのだから、話が大きくなった。寒門=実力がないという認識は払拭し辛く、ならばトレーナーが優秀なんじゃないかという噂が流れたのだ。
それは寒門のウマ娘からしたら目を輝かせる噂だ。希望を持ってこのトレセン学園に来たはいいが、当然自分はやっていけるのかという不安もある。そこで同じ寒門のウマ娘をGⅠを勝たせたトレーナーともなれば、是非とも契約したい存在なのだ。
「確かにトレーナーは優秀だけどね」
1年一緒にやってきた私だから言えるが、南坂Tはかなり優秀である。こういうトレーニングがしたいと言えば候補を出してくれるし、在学しているウマ娘はほぼ把握しているから情報を仕入れるのも早い、レースの動画もコースや脚質に分けて用意してくれる真面目さもあるし、何より気遣いが上手い。自分からこういうことをしようという自主性はないかもしれないが、その分サポート能力が高いので安定して高水準のトレーニングができる強みがある。
そんな南坂Tが困り顔で、一人一人見学に来てくれたウマ娘たちを対応しているおかげで、私のトレーニングは一向に捗らない。トレーナーとしては嬉しい悲鳴というやつだが、私にとっては迷惑な話だ。それにこの人数と全員契約できるわけではないので、誰かを選ばなければならない。まぁ何か基準を作って、それを満たした娘を選ぶことになる。
「まぁウマ娘のことを知るなら、レースが一番だよねぇ」
というわけで集まってくれた娘たちで、簡易的なレースをすることになった。1600mと2000mを選んで走ってもらい、その走りで目に付いたウマ娘に改めて交渉し、それ次第では新しく担当契約を結ぶといった形になるそうだ。ちなみに両方とも私も走る。いやなぜに?
「どうせならリリーさんのレース経験を少しでも積みたいですし、勿論間に休憩は入れますよ」
「それならいいんだけどさ……」
ぶっちゃけ勝負になるかな~って。一応こっちはデビューしてGⅠも獲ったウマ娘で、あっちはまだデビューもしてないウマ娘、あきらかに実力に差がある。手を抜かないとどうしようもない差ができるんじゃないかって心配なんだけど。
「いずれは大舞台に上がらないといけないんですし、今この場でリリーさんと走れるのも彼女たちにとって大きな経験になるはずです。むしろリリーさんと走っても折れずに立ち向かえるか、自分の走りを貫けるかを見たいのです」
「そういうことなら、本気で走っちゃおっかな」
まぁどんなレースでも、走るなら勝つ気でいかなくちゃね。
そう思ったのがいけなかったのか、私からプレッシャーが漏れ出たらしく、周りのウマ娘はぎょっとした顔をして少し離れていった。
結果1600mを走ったのだが、スタートと同時に皆逃げるようにハイペースで走り、スタミナを途中で使い果たして、見たこともないような大差で私がゴールした。確かにいくらプレッシャーをかけたとはいえ、自分を見失った走りをしているようじゃ、契約はちょっと難しいかな。
息を整え十分に身体を休ませて次は2000mを走る。ほんの少し疲労は残っているけど、2400mを走るつもりならちょうどいいくらいの疲労感だろう。
「よろしくお願いしますね、リリー先輩」
「やぁフジちゃん、こっちこそよろしくね」
それにしてもまさか同室のフジちゃんまで見に来ていてくれたとは驚きだ。寒門というわけでもないのに来てくれたのは、皐月賞を見て興味を持ってくれたかららしい。負けちゃったけど同室の後輩がそういってくれるのは嬉しいね。
少し緩んだ空気を出すと、フジちゃんは笑いながらも真剣そうな表情になった。
「リリー先輩、私先輩に勝つつもりですから」
「……へぇ」
そうこなくっちゃ、ね。
そしてトレーナーの合図で2000mのレースが始まる。やはりというか殆どのウマ娘はスタートと同時に我先にと勢いよく飛び出していく。2000を走るのにしてはペースが早すぎる。残っているのは私と、フジちゃんだけだ。フジちゃんは前方の一団の2、3バ身後ろで様子を窺っていて、私はそのさらに3バ身後ろで走る。フジちゃんのペースは悪くないけど、連続で走っている私がそのペースで走ると足が残るか不安な所もある。あくまで私は2400を走っているつもりでペースを保っていく。
1000mを過ぎたところでフジちゃんが少しだけペースを上げ、先頭集団の後ろにつくと、少しして集団がさらにペースを上げた。いくらなんでも無茶し過ぎと思っていたら案の定すぐにズルズルとスタミナを使い果たして下がってきた。フジちゃんはそれを見越していてか外目についていて、楽に集団を交わしていた。
「……ふーん、なるほど?」
私が第3コーナーを曲がるころに、その集団へと追いつく。大きく外を回らなければ回避できないが、コーナーでそれをして、最終コーナーのために加速していくとさらに外に膨らむことになる。あきらかにオーバーラン、さてはフジちゃんはこれを狙っていたな。
状況が全く違うからシンボリルドルフとまではいかないが、なかなかの策士のようだ。自分はコーナー前で集団を交わして内を悠然と走っている。勝つつもりとは言っていたけど、なるほど自信があるわけだ。
確かに私は大きく外に膨らみながら走ることになって、距離的にはロスになってしまうだろう、けどそれは集団を抜くまでの話。
「まだデビュー前の娘に、負けるわけにはいかないってね!」
集団を外から躱し、最終コーナーへと入る。フジちゃんはすでに内でスパートに入っていて、もうすぐコーナーを抜けそうだ。
いつか囲まれていた時みたいに、身体を倒して無理矢理方向を変える。本来なら斜行になってしまう場面だが、抜いた娘たちはもうまともに走れていなくて邪魔になる心配もない。だから最終コーナーの出口目掛けてスパートをかける。グングンと迫るフジちゃんの背中、最終直線に入ったころにはその差は2バ身もなかった。
「お待たせフジちゃん」
「えぇ!? くっ……!」
負けじとフジちゃんもスピードを上げるが、私の末脚には及ばない。差を突き放して6バ身程で私が先にゴールした。
「……流石、完敗です」
「フジちゃんも良かったよ、いい作戦だった」
末脚も悪くはなかった。私が最終直線で差がない状況から6バ身しか離せなかったんだから、実力は重賞を狙えるくらいにはすでにあるだろう、これは将来有望だ。
「フジキセキさん、よろしいでしょうか」
「あっ、はい」
南坂Tもそう思ったようでフジちゃんに声をかける。まぁフジちゃんが良い素質の持ち主っていうのもあるけど、逆に他の娘が全員自滅してしまったから消去法で選ぶなら一択だろう。
「……申し訳ありません、私は貴女と契約できません」
「えー!?」
今叫んだのは私だ。っていうか何で?フジちゃん才能あるし今すぐデビューしても勝っていける実力もある。断る理由なんてないんじゃないの?
「理由を聞いても良いですか」
「初めての担当バであるリリーさんの最初の3年間は、他の娘目もくれず付きっきりでいたいんです。初めてリリーさんを見た時から、才能あるウマ娘だと思っていました。選抜レースを見て確信に変わり、是非担当契約を結びたいと思いましたが、私は2年目の新人でしたので、選ばれる自信がありませんでした。しかしリリーさんは私を選んでくれました、それに報いたいのです」
「それは、とてもロマンチックですね」
「はい、運命のウマ娘ですから」
か、かゆい……!選抜レースの時のあのセリフを言っているんだろうけど、これは中々に来るものがある。走った後でテンション上がってたのもあるけど、あんな恥ずかしいこというんじゃなかった。まぁそう思ってたのは事実だけども。
「それじゃ仕方ありませんね」
「お詫びと言っては何ですが、どこか他に興味のあるトレーナーやチームがありましたら話を通すくらいはさせてください」
「本当ですか? じゃあ見つかったらお願いします」
フジちゃんくらいの実力なら、有名なチームに所属したとしても見劣りしないだろう。一緒にトレーニングできないのは残念だけど、フジちゃんならきっと活躍できるはずだから応援しよう。
それにしても、南坂Tがそんなことを思っていたとはね。期待に応えるのは勿論だけど、私にとっても南坂Tにとっても実りのある3年間になったら良いな。