東京優駿、日本ダービーは特別なレースだ。GⅠレースであること、クラシック期の一度しか出走の機会がないことが理由としてあるが、それ以上にダービーには夢がある。たとえクラシック3冠の他のレースである皐月賞や菊花賞を勝利したとして、ダービーを勝利したことによって得られるダービーウマ娘という称号は、決して劣ることはなく偉大な称号の1つとして後世に語られるほどだ。他のどんなレースを勝ったことがあるトレーナーですら、『ダービー』を勝つことを心から望む、そこまで言ってもまだ足りないほどにダービーは、日本だけでなく世界各国のレースの中でも特別扱いされる。他のレースは負けてもいい、しかしダービーだけは勝ちたいと言うウマ娘も、ダービーのみを目標に掲げトレーニングに勤しむウマ娘もいる。
そんな日本中のウマ娘が、トレーナーが、それを観戦する人たちが待ち望んだ日が、ついにやってきた。
例に漏れず、私も何としてでもダービーを勝ちたいウマ娘の一人だ。目標はクラシック3冠だけど、その中でもやはりダービーは特に意識してきたレースである。皐月賞を負けたっていうのもあるけど、このレースだけは勝ちたいって思いはいつもよりも高くなっている。
「リリーさんでも、やっぱりダービーは緊張しますか?」
「うーん、緊張っていうのは違うかな。ただいつもよりドキドキしてる」
「ではその分、もっと楽しんでレースをしてきてください」
珍しく浮足立っている、フワフワと地に足がついていない感じが抜けなかったけど、南坂Tのその一言がストンと胸に収まった。なるほどね、たとえダービーでも私が大好きなレースには変わりない。なら大丈夫だ。
「じゃ、行ってくる」
「応援してます」
コースへと続くトンネルを歩く、そこでさえ観客の声援は届いてきた。やっぱり他のGⅠよりも観客は多いようだ、それほど皆ダービーというのを楽しみにしてきたのだろう。
そんな皆の期待を裏切らない、良いレースにしなくっちゃね!
『さぁ笑顔でコースへ入ってきたのは2番人気6番シンフォニアリリー。1番人気こそ譲りましたが当然の人気、観客たちの声も一際大きく聞こえます。皐月賞ではシンボリルドルフに惜しくもハナ差の2着となりましたが、そこでも見せた圧巻の末脚、東京レース場でもその脚で魅せてくれるのを期待します』
そう、私は2番人気である。初めて1番人気を逃したが、相手があいつじゃしょうがない。
『そして来ました1番人気10番シンボリルドルフ!皐月賞での1着が彼女を1番人気へと押し上げました。GⅠを制したことで、よりその威厳は増したように見えます。力強くしっかりとした走りを支える冷静なペース配分、仕掛けどころを見誤らない判断力が強みです。1つめの冠を手にし、2つめも勢いに乗って制すことはできるでしょうか!』
実況の言う通り、それを手にしたウマ娘としての重責や圧し掛かるプレッシャーすら自分の力に変えてそうな雰囲気を放っている。しっかりとダービーへ向けてトレーニングも積んできたみたいだ。そうでなくちゃ張り合い甲斐もないけどね。
シンボリルドルフもこちらを見つけると、しっかりと鋭い視線を突き付けてきた。それを受けてこっちも圧を増す。ウマ娘の本能が、こいつには負けたくないと訴えてくる。早く競い合いたくなる気持ちを抑えないと、足が勝手に走り出しそうだ。
しかし、そんな私やシンボリルドルフのプレッシャーを受けても、周りのウマ娘たちは以前よりも落ち着きを見せている。逆に負けじとプレッシャーを放ってくるほどだ。やっぱりダービーに掛ける想いというのは、全員が大きなものを持っているらしい。これはシンボリルドルフだけを見ていると足元を掬われるかもね。シンボリルドルフもそれに気づいて嬉しそうだ、ライバルが増えることは勝つことにおいて大変なことではあるが、競う相手が増えるのはその分素晴らしいレースになるってことだ。当然私も楽しみだけど、負けるつもりは一切ない。全員纏めて撫で切ってやる。
『レースの最高峰GⅠ、その中でも一際特別なのが日本ダービー。このレースを夢見たウマ娘は数百、数千にも及びます。その中で選ばれた18人がその栄光を掴む権利を手にしました。選ばれなかったウマ娘の想いも乗せ、彼女たちの目指すダービーウマ娘の称号は2400m先。各々鬼気迫る表情でゲートへと収まって、全員がゲートイン完了……スタートしました!大観衆が拍手で始まった日本ダービー、先頭を行くのはなんと6番シンフォニアリリー!続いて9番、内と外から4番と15番がハナを争います』
スタートダッシュは上々、早めに内に切り込んで良ポジをキープする。出走メンバーの情報だと、逃げ3人先行8人差し4人追込3人って予想している。先行が多いけどシンボリルドルフが荒してくるだろうから、後々下がってきたときに追い越すのが面倒になる、だから今回は先頭集団の頭を取る形で行くことにした。私もシンボリルドルフのプレッシャーや作戦の被害にあうかもしれないけど、皐月賞より距離が長い分、後方脚質の娘が有利になる。どちらかと言えばそっちをどうにかしたいだろうし、実力差的に逃げ先行の娘たちとは大きく離されてない限り差し切れると判断するって考えてこうして走っている。
『さぁ第1コーナーを進みます、先頭は変わって4番、その後ろに9番、外に並んで15番、シンフォニアリリーは内を取るとスルスルと下がって2バ身後ろに、そして10番シンボリルドルフが外から並ぼうとしています。そこから3バ身離れて大きな一団を形成しています。殿は7番と12番、一体どういうレース展開になっていくのでしょうか』
『恐らく皐月賞でのシンボリルドルフの走りを見て、警戒して距離を開けているようですね。シンフォニアリリーとシンボリルドルフがポツンと浮いた形になりました。しかしこの差は大きいです、最後に差し切れるのでしょうか』
私の予想を裏切ってか、先行脚質のほとんどが差しの脚質に変更してきた。おかげでこっちはシンボリルドルフと一騎打ちだ、こんな序盤からバチバチやりあっちゃスタミナ持たないって。
先を譲る形になるが、ここは少し下がって競い合うのを避ける。
「なんだ、逃げるのか」
「……はぁ?」
「皐月賞の後に私に言った言葉の持ち主とは、到底思えないな」
序盤とはいえ走りながら喋るのは結構つらい、にも拘らずシンボリルドルフはそう言って私を煽ってきた。これが煽りだと分かっている、これも作戦の1つなのだろう、乗ってはいけない。そう分かっているだけ冷静なのだが、それはそれとして言われっぱなしでいられるほど私は上品じゃない。
「いいよ、乗ってあげる。そっちこそ、大口叩いたくせにへばらないでよね!」
「そうこなくては、な!」
そして二人で加速する。
『第2コーナーを抜けて向こう正面直線に入ったところで、シンフォニアリリーとシンボリルドルフがペースを上げた!先頭との距離を少しづつ詰めていきます、これはどうしたのでしょう、もしかして二人とも掛かってしまったのでしょうか?』
『押されるように先頭もペースを上げていきますが、これはかなりのハイペースです、スタミナは持つのでしょうか。そしてこの状況に黙って見ていないのが後方集団です。既に先頭とは7バ身離されています、スタミナが切れたとしても差し切れるか怪しい距離……やはりこちらも差を一気に詰めてきました。ここで展開が纏まって一つの混戦となっていきます!』
シンボリルドルフが内を取ろうとスピードを上げてるが、そうはさせないとこちらも前に出る。あちらが前へ出ればこちらも出て、こちらが前に出ればあちらも出る、シーソーゲームをやっているような気分だ。けどここで引くという選択肢はない、冷静に考えたら一度下がるべきなんだろうけど、もうこれはプライドの問題なんだよ。
私がそうしてシンボリルドルフと競い合っていると、後ろから上がってくる足音が聞こえてくる。こっちがやりあってスタミナ切れになると思っての行動だろうけど、こっちとしちゃ水を差された気分だよ。この戦いに入りたかったら、それなりの実力を見せろってね!
こちらを一瞥すると、シンボリルドルフは私の後ろにつくように少し下がった。なら私はと内を大きく開けてやる。それを好機と思ったのか一人飛び込んでくるが、同時にシンボリルドルフも上がってきて、二人で挟む形になる。そして私とシンボリルドルフは内と外が入れ替わり、睨み合いを再開した。
「お先ぃ!」
「させない!」
『っこんのぉ!』
私が先に仕掛けて、それに呼応するようにシンボリルドルフも前へ出る。それに釣られて間の娘は負けじとスピードを上げるが、そこで私たちは一息をついた。しまったというような表情をするがもう遅い、その娘の後ろにしっかりとつけて風よけになってもらう。流石にやり過ぎた、一旦落ち着かないとね。
『後方から上がってきた13番、シンフォニアリリーとシンボリルドルフの間で競い合っていましたが、一人抜け出すことになりました。さぁ坂を下りながらの第3コーナー、ここで先頭少しペースが落ちてきたかさらに差が縮まります』
『とはいえここで抜くようなことはできません、スピードに乗り過ぎて大きく膨らんでしまいます。坂を下りきってから、最終コーナーからが本番です。先頭から4番、9番、15番が差がなく進み、少し離れて13番、その後ろに6番シンフォニアリリー、内に10番シンボリルドルフ、その後ろ1バ身に2番と9番、5番14番18番、1番3番16番、8番14番11番、7番12番17番はまだ動かない。先頭集団坂を下りきって最後のスパートだ!』
最終コーナーに入って皆スパートを掛ける。私もスパートするが、まだ全力ではいかない。13番の後ろで少しづつ加速しながら待っている。そしてその意図に気付いたシンボリルドルフが、内から狭い間を抜けるように駆け抜けていく。
ここで私が本気のスパートをしていたら、コーナリングの拙さとスピードも相まってそこそこ大きく外に膨れるだろう。前に壁がなくなることはいいことだが、スタミナ消費が激しい今、無理に長い距離を走ると持つかわからない。それにその間を突いてシンボリルドルフは綺麗にコーナーを曲がり、2~3バ身以上は優に差をつけただろう。しかしそれは私がスパートを掛けたらの話、13番の後ろに着いたままでは間を突くこともできないし、外から回ろうにもそれは私以上に外に膨れることになる。そのままでは私と同タイミングでのスパートをすることになり、そうなったら最高速の差で私の勝ちだ。だからシンボリルドルフは狭く通りにくいだろうが、13番の内を抜け、私たちにペースを荒されてスタミナも尽き下がってくる4番9番15番を躱すという選択肢を取ることになった。だけどそれじゃあまともに加速できないでしょ。
シンボリルドルフがその選択を取った瞬間、私は全力のスパートを掛けた。
『最終コーナー、シンボリルドルフが内から、外からシンフォニアリリーが抜けだしてきた!やはりこの二人、この二人が最後を争うのか!しかしシンボリルドルフ先頭の間を抜けるのに手間取っている、その隙にシンフォニアリリーがグングンとスピードを上げる!内と外、差は2バ身程!そして最終直線に入っていきます!』
『直線で強いのはシンフォニアリリーです、いくらか差があるとはいえ彼女にとってはないも同然でしょう!さぁ正面直線、観客の応援も最高潮、ダービーウマ娘を手にするのは果たしてどのウマ娘か!?』
皐月賞では直線が短くて差し切れなかった。けど東京レース場は直線がさらに200mもある。
全員纏めて、ぶっちぎってやる!
『やはり来た!シンフォニアリリーだ!サムライがついにその伝家の宝刀を抜いた!その刀でターフを切り裂いていく!13番、15番、9番を抜き去り前は残すところあと二人!足色は衰えるどころかスピードを増していく!シンボリルドルフも負けじと追い上げる!しかしついにシンフォニアリリー抜け出した!先頭はシンフォニアリリーに代りました!』
ちらっと横を見る。並ぶように走る4番と9番を躱すためにシンボリルドルフは外へと寄る。その隙に差をさらに広げる。いくらシンボリルドルフでもあそこから追い上げて差すことは無理だ!
油断はしない、甘い考えは捨てろ、相手はあのシンボリルドルフだ、差はどれだけ広げても安心できない。
『シンフォニアリリーが差を広げる、1バ身2バ身、まだ突き放す!シンボリルドルフも4番9番を躱して2番手!しかしこの差は決して短くない!』
残り200mの標識を横切る。スタミナはぎりっぎり持つ。それが分かった瞬間、胸に熱いものが広がった。
あぁ、そうか、私が望んでいた、実力の拮抗したウマ娘との熱い勝負をする、それが叶い、そして
「勝っ
ゾワッ
空気が急に重くなった。
そして私はターフの上を走っていたはずなのに、いつの間にか玉座を目の前にしていた。
身体は動かない。
後ろから足音が聞こえる。
「”そこ”は私の
汝、皇帝の神威を見よ
紫電を纏ったシンボリルドルフが、玉座の前で君臨していた。
「っ!なんでっ!」
目の前がさっきと同じターフの上へと戻る。身体に異常はない、走りを止めていたわけでもなく、風を切って感じる空気抵抗は変わっていない。つまり私の速度は落ちてはいないのだ。
じゃあなんで
「なんであんたがそこにいる!?」
『シンボリルドルフが、ここにきてシンボリルドルフが加速した!一瞬にしてシンフォニアリリーと並んだ!それだけに収まらず、シンフォニアリリーを躱していく!差を広げていく!』
「ふざけんな!ふっざけんなよ!」
確かに私は皐月賞からはダービーのために主にスタミナの強化のトレーニングをしていた。その間シンボリルドルフがスピード中心のトレーニングをしているのは想像できた。それでも1ヵ月って短い期間で追い越されるほど私は遅くない。それなのになんで差は広がる!?
『シンボリルドルフが差を広げる!シンフォニアリリー粘るも差を詰められない!シンボリルドルフだ!シンボリルドルフが今ゴールイン!今!日本ダービーを制し、無敗の2冠となったのはシンボリルドルフ!2着は2バ身差でシンフォニアリリー!誰もがシンフォニアリリーの勝ちを確信してからの逆転!勝利を引き寄せる力、それが”皇帝”シンボリルドルフにはある!』
走り切ってまた倒れ込むように座る。限界ギリギリの走りでスタミナは切れた、どうにか息を吸って酸素を脳に回していく。他のウマ娘たちが全員入り切ってようやく、頭が回り始め、周りのシンボリルドルフのコールが分かるようになり、負けたことを実感させた。
……負け、た。一度ならず二度も、しかも私の方が優位だったはずの状況で、圧倒的に勝っていたはずの直線の走りで負けた。その現実が、どうにも受け入れられない。そこで負けたら私は、何を頼りにこの先戦っていけばいいの?
いや、それは言い訳か。私が思っている以上にシンボリルドルフはトレーニングを課して、私以上のスピードを手に入れたんだ。そこに賞賛はしても、卑下することではない。今後はそれにも負けないようにトレーニングをするしかないんだ。
悔しくないと言ってら嘘になるが、それでも勝者を讃えようとシンボリルドルフに声を掛けた。
「シンボリルドルフ……私の負けだ。まさか直線でも負けるなんてね、正直かなりショックだよ。でもこれだけは譲れないんだよね。次は勝負にも、直線でも負けないんからね!」
「…………」
「? 聞いてんの?」
「ふふっ、ハハハハハハハハ!!」
シンボリルドルフは急に笑い出した。ダービーに勝ったからか随分と楽しそうだ。気持ちは分からなくもないけど、無視するのはちょっと失礼じゃない。
「ハハハ……あぁ、シンフォニアリリー。 何か言ったか? 」
控室へと戻り、汗や泥で汚れた服を着替えてライブの準備をする。そのつもりだったのに気づけば私は拳を何度も、南坂Tがとめるまで壁に叩きつけていた。
「リリーさん、悔しいのは分かりますが落ち着いてください!それ以上は怪我しますよ!」
「……あいつ、見てなかった」
「あいつとは、シンボリルドルフさんですか」
「あいつ、私のことを見てなかった……。私を見ているのに、何か別のものを見てた……」
シンボリルドルフの眼が、アメジスト色した眼が煌々と輝いていて、今までとは違う雰囲気を身に纏っていて、まるで別人になったような感じがした。そしてその姿に、私は怯えてしまった。対等とは言わないまでも、私はシンボリルドルフと戦えるだけの実力があると思っていたし、それはあっちもそう思っていたはずだ。けど、そのシンボリルドルフは、私のことを敵として見ていなかった。
「悔しいのに、怒りたいのに、私を見ろって言いたいのに、言えなかった、逃げてきちゃった」
あれ以上私を無視されたら、精神的に持つ自信がなかった。虚勢でもなんでも立ち向かう姿を見せなきゃ、心のどこかで負けを認めた状態で走っても勝つことなんてできない。それなのに。
逃げてしまった自分に腹が立つ、食って掛からなかった自分が情けない。自分で自分を許せない。
「……覚えてろよ、シンボリルドルフ」
二度と私を無視できないようにしてやる。