ディストピアゲーに転生したら行政側だった件について 作:我等の優雅なりし様を見るや?
自らの視座で語らうものだけが、死と真なる友誼を結ぶに能う
歴史は勝者が作る物。
ペンは剣よりも強しと人は言うが、そのペンを握る資格もまた、強き勝者の側に立った者にのみ与えられる。当然だ、敗者には歴史を綴る権利すら与えられないのだから。
それでも、敗者からも奪い難い権利がたった一つだけ存在する。それは
……だが、その権利すら奪われるとしたら?敗者から歴史を綴る手も、経験を語る口も……否。敗者の名すらも、万人の記憶と歴史から放逐する蛮行が可能だとしたら?
名は体を表す。ならば名を奪われた歴史は、肉体を持たぬ亡霊そのもの。故にこそ、歴史からその存在を忘却された亡霊達が行き着く先が、かつて冥府が位置すると語られた地の底に広がるこの“廃棄場”である事は何ら不思議ではあるまい。
この地こそ、世界から切り捨てられたあらゆる過去の集積場。幼児が野放図に紙を鋏で切り刻むような気まぐれと、自らが望む遊戯盤を作り上げるための冷徹な打算の下、強欲の権化にして知恵の魔神───アマイモンによって切り離され、抹消された過去が流れ着く一つの世界。
今や彼女自身にすら全容を掴めぬ程に拡大したその領域は、廃棄された過去に連なる物が無秩序に立ち並ぶ歴史の墳墓であり、その墓守にして埋葬者は
───そこは、本来であれば誰も目を向けることのなかった舞台袖。
だが其処に、切り捨てられ、誰も彼もが忘却してしまった過去───超常の存在しない日常を記憶として知る、上位世界の魂を宿すクローン兵が、紛うことなき異分子が入り込んでしまった。
それは未だ己達を忘れていなかった者への廃棄場からの手招きか。はたまた、全知の魔神の予測すら叶わぬ変数が齎した偶然か。そのどちらにせよ、長らく沈黙と停滞が揺蕩っていたこの地に役者が揃った事には相違なく。
魔神の寵愛を受けし魔人、無能無敗。
世界に超常を齎し、
かつてこの世界に骸として降り立ち、物理法則を普遍のものとして宇宙に刻み込んだ第一の魔神、その残り香。
魔神達の遊戯盤は確かに、そして着実に。たった一人、されど超弩級の変数によって、全知すら予期せぬ方向へと転がりつつあった────
◆
嫌な
桃色の髪を熱波混じる風に靡かせ、片手に七色の輝きを封じた水晶の剣を握りしめた
他ならぬ春音達が接触し、味方に引き入れるべしとエリザから命じられた『もう一人の魔神』、
襤褸を纏い、怯懦に身を震わせる彼女が告げた言葉の断片達は、決して春音にとって無視できぬ単語が散りばめられていた。
ピンク髪の男の
そっちに立ってるのはその時の眷属の
「わ、私の血縁者って……何の、いや、誰の話を……違う、嘘、そんな訳ない……」
此方を見つめる無表情の黒衣の執行者の手に握られた、無骨な銃。無能無敗と名付けられたクローン兵が常に携え、苦い記憶に終わった初陣にてその力の片鱗を見てとった
「おと、お父さんの……お父さんが……
震える手で青年の───朱羽亜門が無造作に下げた右手に握られたその銃を指差すも、返ってくるのは沈黙ばかり。
この地下の世界において奇妙な呉越同舟を為した青年は、無表情のまま此方を見つめていた。感情の宿らない無機質な声色の中にも、よくよく注視すれば微かな情動のようなものを滲ませていたあの声も、今は黙して語らず────ただ、あの黒曜石のような、どこまでも底のない黒い瞳が此方を見つめ返すだけ。
黙して語らず、片手に漆黒の銃を……今や、血に濡れた遺骸にしか見えぬそれを携えながら、ただ立つ青年。人間味を感じさせないその佇まいを前にして、春音の脳裏に彼との───悪魔との会話がよぎる。
『何もかもを知っている。』
『……お父さんが何処にいるかも?』
『──── それは、お前次第だな』
「……………ぁ」
まさか。まさか、まさか、まさか、まさか。
父の居場所を知るとは、
彼女しか知らない、父の遺産。彼女しか知らない、父の失踪の経緯。彼女しか知らない、父が遺した言葉。
それをこの青年は、知っていた。さも当然の事のように。当時は恐怖と、あまりにも唐突すぎた衝撃で深くまで考えてこなかったが、それは本来あり得ないはずだ。レジスタンスのメンバーにすら深くは話していないその情報を、彼女以外誰も知り得ない当時の状況を、なぜ彼が知っているのか。死者の末路について最も詳しいのは、死者本人かあるいは────その死者を死者たらしめた下手人
彼はただ真意を悟らせぬ鉄面皮で此方を見つめ返すのみ。深く、深く、底の無い闇を覗くかの如く感情の機微を感じさせぬ瞳が、少女の焦燥と恐怖、そして芽生えた不信の種を芽吹かせていく。永劫にも感じる、されど寸毫の沈黙の果てに彼は、唐突に鈍く光沢を帯びた漆黒の拳銃を持ち上げた。
嘗て敵として相対した時には恐ろしく、しかしこの地下世界においては寸毫ながらも奇妙な共同戦線の下に背を預けた際には頼もしくあった、彼の手に携えられる拳銃。通常の拳銃よりも銃身を延長させた無骨な金属の塊が、今や血肉滴る悍ましい肉塊にしか見えないのは何故だろう。銃を握るその腕は、鎌首をもたげる大蛇のようにすら見えるのはきっと、その恐ろしさを一度身をもって体験しているから。
これまでの共闘は全て茶番であったのだと言わんばかりに、一切の思考を挟んだ様子もない
◆
Q.身に覚えもない上に、自身でも全容のわからない殺人と死体損壊の冤罪を着せられています。なんか発端は上司っぽいです。しかも相手はこっちも10000回は殺せそうな思春期真っ盛りの情緒不安定人間です。どうしたらいいですか?
A.わ、わかんない……怖……
お悩み解決実績、脅威の0件を誇る俺の脳内知恵袋が弾き出した解答は、いつも通りに解決実績に新たな黒星を付けて爆散していった。何だ今の。
春音が携えている
この地下空間に降り立った当初、俺が彼女の父親である
レジスタンスに匿われてまだ日が浅い、というのは要因の一つではあるかもしれないが、やはり最も大きな理由は彼女が父親の捜索にかける思いの丈だろう。
思い起こすのは、
魔神の亡骸たるセフィラ・ツリー。分割された全能の一端。それは適合者の本質……言ってしまえば、その人間をその人間たらしめる欲求に深く結びつく事となる。彼女の持つ本質は『真実の探求』。故にこそ、彼女が最初に直面した謎である【自らの父の行方】に対して、ある種の執着が生まれているのは当然の事であろう。
そもそもが、父親は彼女にとって唯一の肉親。それが一切の痕跡を残さず、人々の記憶と記録から抹消されたというのだから、まだ18かそこらの彼女が過剰反応を示すのも無理はない。だが………!
「何とか言ってよ……ねぇっ…………!」
その絞り出したような悲痛な叫びに対し、俺は沈黙を守るしかない。何故なら!俺の愛銃が人体から作られた可能性を肝心の俺が否定できないから!
俺の愛銃、レメゲトン。適合者───俺の血肉を贄にする大飯食らいの兵装であり、その名の通りに七十二柱の悪魔に準えた異能ならざる超常を行使する俺の切り札。圧倒的に火力に劣る俺に唯一許された、正面から格上を打倒しうる
(……JDACS、法務省神学部門のデータアーカイブにアクセス。『
『検索中……。エラー。情報クリアランス不足です。当該情報は法務省異能調整局局長の命令により封鎖されています。情報は大臣代行、および理事権限を持つユーザーにのみ開示されます。』
しかもその情報を隠してるのが、よりにもよってあの合法ロリ魔神ときた。胡散臭いどころか怪しすぎて鼻がもげそう。
正直に言って、俺の銃の素材に人体が使われていたとしても驚きはない。何せ、原作では電気系の異能行使者を多数拘束してバッテリー代わりにしたり、テレパス系の異能行使者の脳を直接クチュクチュすることによって通話する異界間通信ネットワークを作り上げたりしていた奴だから。
なんなら、嫌がらせがわりに俺の銃に『私で作りました』とかいう被害者の顔つきステッカーでも貼ってきてもおかしくない。ゲラゲラ笑いながらそういう事をするのが、鬱屈したサディズムを拗らせたあの魔神だ。上司が畜生系のラスボスだと部下に皺寄せが来るんですよ!
………だが、百歩、いや千歩……何歩譲っても嫌なものは嫌だが、仮に俺の銃が【原料:人間(遺伝子組み換え・異界法則汚染を含む)】とかいうSAN値直葬ものだったとしよう。そうだとしても、俺の銃の原料が春音の父親であるということだけは確実に否定できる。
何故なら彼は今もなお、健在のままに魔神の手中にあるはずなのだから。
────羽曳春音の父親、
さて、先に身も蓋もない話をすると。この
ゲーム内のストーリーで原作開始以前の出来事が語られるのは僅かであり、プレイヤーはキャラクターの言動の端端に散りばめられた単語や、各地で入手できるテキストから考察するしかない。だがそれらを総合するに、どうやら彼が最初に異界への扉を開き、それを通ってこの世界に現れたのがアマイモンであるらしい。えげつない外来種を呼び込んでくれたもんである。
その後、彼はアマイモンと何らかの契約を交わすも、その隙を突かれる形で事態は思わぬ方向へと転がった。そして全世界で異界の門がバカスカ開きまくった挙句、既存の世界秩序は崩壊、大戦争に至る……というのが原作の開始前の大まかな流れであるようだ。もっとも、ここから先は全くもってゲーム内では描写がない。次にプレイヤーが彼と再開するのは、文字通りの最終局面においてアマイモンが父親の命と世界を天秤にかけ、春音に選択を迫るシーンだ。
そのシーンの開始時点においては、彼は五体満足───内面はその限りではないが───で春音との再会を果たしており、これによって俺の愛銃=主人公の肉親の体を使って作られたガチサイコ兵器という線は消えるのだが……問題はそれを現時点では春音に説明できない事だ。
これからの彼女の旅路において、彼女はアマイモンという魔神の本質、そしてこの世界の欠落へと迫り、そこで得た絆や知識によって父親の所在を突き止めていく。それを俺が此処で真相を語ろうものなら、原作崩壊どころの騒ぎではない。最悪、ここで春音がそのまま東京に単身で突撃をかました挙句、唯一アマイモンに対抗しうる主人公が脱落するとかいうバッドエンド一直線になりかねない。
そうなれば俺の退職及び高跳び計画はご破産、ブラックを超えたブラック、ダーク企業じみたこの国家にすり潰されて俺の第二の人生が終わってしまう。それは全くもってごめん被りたい所。よって別の切り口からの説得をなさねばなるまい。
「な、なんか揉めてる……今のうちに逃げないと……。くそぅ、あの魔神が絡んでるって分かったら此処まで来なかったのに……。」
さて、とっとと俺の潔白を証明したいところだが──── まずは唐突に現れて俺に辻冤罪をふっかけた挙句、しれっとフェードアウトしようとしてるこいつをどうにかしなくては。
『
背後で何やら呟きながらコソコソと動く気配へと、肩越しに暴徒鎮圧用の麻痺弾を撃ち放てば、報復の時来たれりとばかりに冤罪の俎上に上げられていた愛銃から放たれた紫電が弾け、抜き足差し足でその場を後にしようとしていた猫背の少女を包み込んだ。
「みぎゃぁぁぁぁっ!?!?!?」
澱のように沈澱していた沈黙を引き裂くのは、尻尾を踏まれた猫を思わせる情けない叫び声。ゼンマイの切れた玩具を思わせる挙動で四肢を
「……え?」
春音が間の抜けた声と共にぽかんとした顔で固まっているのを視界の端で捉えながら、俺はこの騒動の元凶へと歩み寄った。
「俺の銃……レメゲトンを受領したのは六年前、そしてこいつの父親が失踪したのはつい先月のことだ。適当なことを抜かすな。」
そもそも原作開始が一年前。そんで、俺が生後半年くらいで
はい、此処に完全なアリバイ証明が完成いたしました。俺って社畜だけじゃなくて弁護士の才能もあったんだ。この世界じゃクソの役に立たないけどな!弁護士やら裁判官がいる裁判なんて高級市民の贅沢品だからね、仕方ないね。当国家では人権を省くことによる手続きの簡略化を目指し、零審制を採用しております。つか、そもそも裁判なしで死刑執行したりするのが俺のお仕事なんだ。終わってるぜ!
「いっっった!?こ、この無慈悲さは間違いない、やっぱりアマイモンの眷属……!ちょ、やめなさっ、やめろぉ!そこは洒落になら────あばばばばばっ!?」
職業選択の不自由を嘆くこちらの気持ちを余所に、涙目でこちらを睨みつけ、更に非常に不名誉な汚名を着せようとしてきたので追加でもう一発。臀部を押さえ、水揚げされた魚の様にのたうち回るその様はやはり、俺の知る紫陽花とは似ても似つかない───いや、意識を奪うことを念頭に開発された麻痺弾を数発喰らっておいて元気に悲鳴を上げられている時点で、耐久性は似た様なものか。
「………きゅう……。」
……やっと麻痺したか。唐突に現れたこいつといい、神宿駅のこの地下空間といい、先刻接敵した
国家公民にあるまじき、しかし切実なエールはしかし、俯き無言のままこちらへと歩み寄ってくる春音によって中断されることとなる。両手を握りしめ、ずんずんと迷いなき足取りで歩を進めるその姿は、何かを堪えているようで。そのまま俺の目の前に立ち、ゆっくりと腕を引き────
……ぽすん。柔らかな力のない拳が俺の脇腹へと触れる。何度も、何度も、何度も。
「………春音?」
「黙ってて。」
アッハイ。……え、何これは。もしかして全く、全然、これっぽっちも納得されておられない?俯いたまま俺の脇にパンチを───身体強化を経ていない少女の柔腕での拳なぞ、仮にもサイバネで全身を固めている俺には微風に等しいのだが───もとい、奇行を続ける春音を前に俺は思わずその顔を覗き込んだ。
「………泣いているのか?」
「泣いてない。貴方、脇腹硬過ぎ!」
すっげぇ理不尽。お前この世界での公務員の才能あるよ。
「……なんで黙ってたの。私が聞いた後。……ちゃんと言い訳持ってるなら、なんで直ぐ言わなかったの。」
「それは……あー、どこまで話していいものか、熟考していた。」
「どこまで?……話してないこと、沢山あるんだ。ふーん。」
……しまった。これは失言だったか。明らかに声のトーンが落ちると共に、ぽすんぽすんという拳の音がゲシゲシという洒落にならない音になり始めてきたので、堪らず俺は身を翻す。
────春音の宿す存在の本質は『探究』。あらゆる未知の帷を取り払い、真実へと突き進まんとする意志そのもの。故にこそ彼女は、過去を魔神に削ぎ取られたこの世界を救うための
存在を構成する情報を分解し、取り込むという春音の
「前に貴方と戦った時は……なんていうか機械みたいで、心なんてないように見えた。実際、レジスタンスの人達もそう言ってたし。クローン兵は生きてる機械みたいなもので、プログラム以上の自我はないって。……でも、短い間だとしても一緒に戦ったり、一緒に行動してる内に……貴方は違うって思えた。それどころか、他の政府の人達よりも……なんていうか、人間っぽい時もあった。」
春音は声を震わせながら、まるで堪えていたものを吐き出すかのように言葉を紡ぐ。
「でも……さっきの話を否定せずに、無言でこっちを見てた時。今まで話してきた貴方が全部偽物になったみたいだった。……貴方の考えも、やろうとしてる事も、全部分からなくなった。さっきまでのが全部、嘘だったみたいに。」
まずい。まずい、まずい、まずい────この流れは、まずい。俺の発言の真偽そのものではなく、俺の立ち位置そのものへの不信を抱きつつあるという事か?
……百歩譲って、春音を敵に回す事そのものは致し方ない。俺は政府の
だが、この場ではまずい。俺の原作知識にない場所、人物、設定のオンパレード!俺の目下の最重要目標は、不確定要素が満載かつ危険地帯でもあるこの場所から、春音を最低でも神宿駅の深部へと送り返すこと。だが、ただでさえ異常な頻度で敵対的な存在と遭遇し続けている現状において、春音と交戦しつつの帰投は不可能に近い。
更に言えば他に対応策がなかったとは言え、彼女は俺のテコ入れによって
「……俺が話した内容は確かに真実だ。この銃を受領したのは俺の生後半年、つまりは6年と数ヶ月前の話であって、失踪時期を考えればこの銃の素材がお前の父親などという与太話は───!?」
必死の───表情筋はあいも変わらず職務を放棄しているが───俺の弁明を遮るように、春音は俺の襟首を片手で掴んで引き寄せた。10数センチの体格差を物ともしないその強引な動作に、俺は思わず片膝をついた。
(まずい、やはり───!)
これから来たる彼女との交戦、それも大幅に強化された彼女との一戦に身構えんとする俺の目の前にあったのは、しかし。こちらの予想を裏切る、揺らぐ事なく真っ直ぐに俺を見据える蜂蜜色の瞳だった。
「良いから聞いて。……貴方の言葉が真実かどうかなんて分かるはずない。貴方が何者で、何を知ってて、何がしたいのかも。そして貴方は私より多くを知っていて、私よりもずっと強い。ここから出るのに私の力なんて必要ないくらいに。」
お互いの息遣いが肌で感じられるほどの近距離で浴びせられた言葉に震えはなく。生命の気配のないこの伽藍堂の都市の中で尚も明朗に、神聖な誓いの如くに響き渡った。
「でも、貴方は私を守ってくれた。あのブリキの兵隊達から、今は私の中にいるあの子達から。そして、信じてくれた。……私なら、あの子達をどうにかできるって。繰り返し続ける生と死の牢獄からあの子達を救えるのは、私だけだって。」
その言葉に応えるように、無数の煌めきをプリズムの屈折に内包した水晶の大剣が柔らかな朱色に脈打つ。それは紛れもなく先程俺たちが対峙し、そして春音の覚醒によって消失した赫羽焔を模した六羽の
「貴方はきっと色んなことを知ってて、そして目的を隠してる。私に教えたくないことも、私に言えないことも、片手の指じゃ数えられないくらいあると思う。本当はその全てを知りたくて知りたくてたまらないけど────今は、私を信じてくれた貴方を信じるよ。」
その言葉に揺らぎはなく。その立ち振る舞いに虚妄の類はなく。忘我の境地にて力の制御を失い荒れ狂っていた暴走の面影も、疑心暗鬼に駆られて此方を見つめていた怯懦の気配も、今や感じられない。
「そ、それは……そうか。うん。それは、助かる……」
思わずしどろもどろになりながら、こちらを真っ直ぐに見つめる瞳を探るも、おおよそ悪感情の気配はなく。この少女が腹芸をこなせる類の人間ではないことを知る俺は、しばし唖然とせざるを得なかった。まさか、この短時間で克服したというのか?己の内側で芽生えた真実への飢餓感を、あるいは俺への不信を。
「……ふふっ、貴方もそんな風に言い淀むことがあるんだ。……っと、ごめん。近かったね。」
ふ、とその表情を綻ばせ、襟から手を離して後ろに下がる春音。俺の視線と彼女の視線が交錯し、再び沈黙が訪れる。だがそれは決して先程のような息苦しいものではない。それどころか、むしろ───
「お、おいっ!よ、よくもやってくれた……!」
瞬間、その沈黙は気丈な、しかし小物臭さの抜けない叫び声によって中断された。この短時間で意識を取り戻したらしい足元で蠢いていたボロ雑巾……もとい、
「突然やってきたかと思えば、私に対するこの狼藉三昧!ミサイルはぶち込むわ、電撃は浴びせるわ!わ、私の寛容はもう限界だぞ!何か弁明があるなら聞こうじゃないか!」
……が、しかし。その
「………ねぇ、この子って上にいた、なんか上品そうな女の子……に似てるけど、やっぱ違うよね?格好もその、ボロボロだし……。」
「外見は瓜二つだがな。……どちらにせよ、俺の上司の真名を口走っていた以上は重要人物であることに違いはない。」
「貴方も知らないんだ、この子の事。……だったら余計にお話聞かなきゃね。」
俺達の前で両手を広げ、めいいっぱい背伸びしながらこちらを睥睨する様はさながらアライグマの威嚇のようで。この様を見る限りまず間違いなく、俺達を害せる存在ではないようだが……。
「な、なんだぁっ!殺すなら殺せー!私は決して屈しな───」
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「───でもやっぱ交渉の余地とかあるなら今からお話ししてもいいかもだぞっ!?命とか保証してくれても全然いいぞっ!」
春音が一歩を踏み出した瞬間、かろうじて保っていた威嚇の姿勢は総崩れとなったらしい。擦り切れた襤褸を翻し、灰色の残像となりながら近くの瓦礫の影へと身を隠せば、一転して命乞いときた。
……うーん、やはり似ても似つかない。俺の知る
「大丈夫だよー、怖くないよー。」
「だ、誰が騙されるものか!そもそも此処に何しにきた!私とお前達の勝負はとっくの昔に済んでいるはずだぞ!」
「えっと、勝負……?私達もわざと此処にきたわけじゃないんだ。だから此処から出る方法さえ分かればすぐに出ていくよ?」
「む、むぅ……」
野良猫と接するかのようにしゃがみ込んで両手を広げ、敵意のないことを示す春音。彼女の穏やかな言葉を前に、少女も徐々に構えを解くが、はっと気づいたような顔でこちらを指さしてくる。
「やはり信じられないな!こっちの男は見るからに……私を殺しそうな顔をしてるぞ!大体、先に攻撃してきたのはこいつだ!」
「こっちのお兄さんも顔は怖いし、やってることも怖いけど、ほんとはあんまり怖くないよー。」
「顔も行動も怖いなら結局のところは怖いんじゃないか!?」
「うーん、そうかも。」
何やら失礼なことを言っている春音の頭に軽く拳骨を喰らわせておく。言っとくけど政府の中では外れ値レベルで寛容だぞ、俺は。
「いっった!?左手!それ機械の方の腕!」
「ひぃぃぃ!やっぱり怖いじゃないかっ!仲間割れだっ!」
揃って地面に蹲るピンク頭と紫頭を見下ろしながら俺はため息を吐く。全く埒があかん。
「……この場所も、お前の事も、俺は知らん。まずは聞こう、お前は何者だ。」
「……ふ、ふふん。ようやく聞く気になったか。」
途端に少女は居住まいを正し、頭を抑えながらも精一杯に尊大な表情を作ってみせた。つい数秒前まで命乞いをしていた人物とは思えない変わり身の早さである。モゾモゾと立ち上がり、纏う灰色の襤褸を翻せば、先ほどまでとは打って変わった朗々とした声で少女は告げる。
「耳をかっぽじってよく聞くといい!我が名は───」
「我が名は
まるで誇りある尊き称号を告げるかのように、少女は胸を張って意気揚々と言い放つ。丸まっていた猫背が伸び、その瞳に自負が宿る様は、纏う装いさえ違えば紫陽花その人と見紛うほどで。
だが、問題は────名乗ったその称号のどれもが、少女とは不釣り合いだったことだ。ふふん、と腕を組みながらこちらをドヤ顔で見つめる様は……正直言って、無限なるモノという名乗りには程遠い。
……ちょっと電流流しすぎたか?俺が対応に困っていると、少し困ったような笑みと共に春音が口火を切る。
「……そ、そっかー!ソフちゃんって呼ぶね、じゃあ。」
「不敬っ!」
「じゃあン・ソちゃんがいいかな?」
「なんでそこから抜粋した!?辺境の部族の名前みたいになってるじゃないか!それならソフでいい!」
「じゃあソフちゃん。此処について詳しいのなら教えて欲しいな。この街……都市?国?って、どのくらい広いの?」
おお、流石は主人公、グッドコミュニケーション。意図しているのか天然なのかは不明だが、先ほどの妄言を良い感じに流しつつも核心に触れていく。流石はメンヘラ攻略のエキスパート、百合ゲーの主人公と言ったところだろうか。
そもそもこの場所の正体についてだが、異界の一種である事は俺にも分かる。神宿駅と同様に、外周に収まるはずのない広さの内部構造を持つ以上、それは間違いない。だが、異界とは基本的に俺たちの知る世界とは異なる生物、異なる環境、そして隔絶した法則が敷かれている事が常だ。だがこの空間は……どうにも俺の知る世界と地続きのように見える。
「……本当に知らないのかい?無限だ。文字通りに限りが無い。ここに来て久しいが、常にこの場所は拡大を続けているんだ。他ならぬお前達の手によってな。」
「えっと、それはどういう……?」
「しらばっくれるのも大概にしろ!私には分かっているんだ、お前達の背後にいる存在が誰なのか!いいか、この場所は────」
片手を腰に当て、俺たちを指さしながら。彼女は糾弾するかのように言い放つ。
「魔神アマイモンが切り捨て、編纂し、切り取った過去の集積場だ!私を
…………上司がラスボスだとこういうのも俺の責任になるの???
◆
────
おお、それは人類の夢。距離という空間の制約を跳ね除け、瞬時に自らの望む場所へと移動するという空想の産物。数多くのSFで語られるそれはしかし、あまりにも多くの物理法則による制限によって現実には叶わぬモノとされていた。
されど。それは空想が頭蓋の内側においてのみ存在していた時代においての話。世界が空想に侵食され、あらゆる幻想が現実になり得る可能性を孕む混沌の時代において。戦争が喫緊の必要を産み、必要が発明を産み、そして発明が効率よく
異界とこの世界を繋ぐ門を解析し、その複雑怪奇極まる原理を流用しての空間跳躍。それは軍事史において、火薬の発明にすら匹敵するほどの
軍が期待していたような大規模部隊の輸送なぞはとても望めず、転移可能なのは精々が小隊規模。更には転移の行き先の座標は三次元ですらなく四次元的、時には五次元的に変動する物を一分の狂いもなく設定せねばならない。大規模な演算施設を相互に設置すればその必要はなくなるが、用途は高官の緊急避難が関の山と言ったところ。
そして事故は起きるよどこまでも。転移先の座標がコンマの果てに連なる0が二桁に及ぶ極小の数値分ずれただけで、肉体が
尤も、大戦も末期になれば戦法も技術も改良される。事前に敵地に浸透した人員が転移に必要な座標を逐一報告し、それによって少数精鋭の特殊部隊が敵司令部へと首斬り作戦を敢行するなどの活用法は次第に一般的になっていく。
それを受けて各国の政府高官は単身にて自衛可能な軍事訓練を受けた異能行使者が増えていき、それが政体の軍国化が進んでいった……というのはやや脇道に逸れる話題であるためにここでは割愛するが、兎も角。空間の跳躍という人類の夢は、空想が現実の領域を犯すこの時代においても尚、発展途上のものとして追及され続けている物なのである────
「と、無知蒙昧なる二級市民未満は思っているのでしょうけどね。……いや、そのレベルの
片目を覆う無骨な黒い眼帯を弄び、気だるげに毒を吐くは芦毛の女。その豊満な体を覆う漆黒のスーツと、胸の部分に誇示するように輝く支配階級の証───大臣達が沈黙を保ち続ける今、絶大なる権益と権力を持つ理事勲章が、彼女が何者かを雄弁に示していた。
背後に立ち並ぶは、その全身を鋼の装甲で覆う偉丈夫達。赤いバイザーは威を示すが如くに重苦しく光り、背負うは身の丈ほどの重火器。統一されたその外見は見る者に畏怖を与え、彼らが行使しうる暴威を沈黙のままに語る。
「だからさっさとあれを接収させなさい。試製超長距離空間干渉増幅装置……貴方達には無用の長物でしょう?何せ、そのレベルの長距離転移であれば必要な演算の規模は天文学級。AIの計算資源じゃ採算が合わないものね?」
彼らを背に彼女が立つは、東京に位置する高層ビルの一室。大戦時から今に至るまで、数多の技術と
しかしそんな大企業の人間と言えども、決して支配者には頭が上がらない。この国では資本よりも権威が物をいうのだから。されど開発部の部長たる
「そ、それは無茶なご要求です……!これは我が局の命運を賭けたプロジェクトの一端なのです!既に少なくない費用と時間、人的資源を費やしております……!これを接収とはあまりにご無体……せめて、貸与という形であれば───ひっ!」
刹那、数十の銃口が一斉に男へと向けられる。誰が命じたわけでもなく、無言のままに叩きつけられる殺意の群れ。黒光りする暴力の気配に打ちのめされ、喘鳴のような息と共に後ずさる彼はしかし、首輪をつけられた犬のように、そのネクタイを逃さぬとばかりに女が引き寄せたことで距離を取ることすら許されない。
「聞きたいのはそういう言葉じゃないのはわかってるでしょう?……全く、愚物も良いところね。いくら有益な会社でも、所詮は被支配者なのを忘れちゃった?貴方に許されるのは“ハイ”か“喜んで”の二つだけ。それ以外を話したら、明日から貴方とその家族は東京の外でゴミ漁りだからね。」
彼の頭皮を守護していた
「全く、二級市民とはいえ所詮はゴミね。……あーあ、手が汚れた。」
ネクタイから手を離し、穢らわしいとでも言わんばかりにハンカチで手を拭いながら、彼女は自らの軍勢を引き連れて部屋を出ていく。もはや言葉を交わす価値も、意味もないと言わんばかりに。だが、それでいい。もうこれ以上、同じ空間には居たくない。ドアまでの数歩を彼女が踏破する短い時間が早く過ぎ去ることを、この数分で10数年は老けたかのような男が祈る中。くるりと芦毛の髪が振り返ったのを見て、男は心臓を握り潰されたかのように竦み上がる
「ああ、そう。貴方の所の部署が法務省と組んで、あのクローン兵に色々おもちゃをあげてるらしいじゃない。それの文書ももらっていくから。」
機密指定の文書をコンビニの雑誌でも貰っていくかのような気楽さで要求する傍若無人さも、今や気になるはずもなく。必死に頷く彼を見て、女は───
「さて。……良い加減、前時代の遺物にはご退場願いましょう。遠い遠い地の底から、二度と帰ってこられぬように。」
その眼帯の下で、六面の眼球が策謀と共に蠢く。その行く末を誰も知らないままに。