神なのですが、他人の人生を狂わせるのがちょろ過ぎて困っています。   作:杜甫kuresu

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虚無と自殺予定の男

「虚無と言います。貴方の自殺を見届ける目的を与えられたので、今日から貴方のお傍で暮らさせていただきます」

「…………ちっ。悪趣味なキャッチセールスだ」

 

 俺の第一声はそんな刺々しいものだ。とはいえ、俺の言いたいことが分からないやつも少ないだろう。それは、全てにおいて俺に喧嘩を売っていたんだから。

 軍隊みたいな黒い軍帽と、ファーの仰々しいコート。服装は割に人形みたいなチャールストンで、どうにもちぐはぐな存在。あまりに浮いた装束は、それ以上に異様な白くきめ細やかな肌と、赤い瞳と、豊かな白髪で概ね帳消しに出来ているようだった。

 

 虚無。そいつは土砂降りの雨の中、コンビニの前で俺を待っていたらしい。俺はさっきも大負けしたパチンコの腹いせに店員に八つ当たりしたばかりで、それをこの真顔で見ながら雨に濡れていたのだと思うと…………流石にどうとも思わないわけでもなかった。男ならまだしも、年端も行かない少女に見える。

 

「悪趣味? 分かりません、貴方の服装の方が悪趣味に見えますよ」

「お前に言われたかねえよ、イカれ女! 大体俺が自殺するってなんだ!? 馬鹿にしてんのか!」

「事実ですよ。もう首が回らないのですよね、黒い金銭にも手を付けているようですし」

 

 何処で調べてきたんだか、俺は苛立ち混じりに煙草を顔に投げつけた。

 明らかに頬を火傷していたが、掴む様子もなければ熱がる様子もない。気味の悪い姿だったが、俺はそれに関してだけなら、意外と不愉快ではなかった。

 

 虚無はそれにリアクションもせずに話を続ける。

 

「両親は孤児で不在、学生の頃から悪知恵の回るものにことごとく騙され、中学卒業で就職。水商売で捕まえた女は、金を啜るだけ啜って蒸発。私じゃなくても自殺する展望が見えますよ、貴方」

「ちっ。それだけ調べて、何が目的だよ。たかる金もねえぞクソガキ、海外で身売りが限度だろうよ」

「貴方のような不健康な人物は、身売りする価値も地球では認められません」

 

 癪に障ることを淡々と言う少女だった。俺は無視して帰り道を傘も刺さずに帰り始める、もうその金もない。

 

 虚無は俺の態度に欠片の興味もないのか、似たような歩調でついてきているのが分かる。コイツの軍帽はツバが広い、ぽちゃぽちゃと雨の当たる音も人よりよく目立っていた。

 流石に興味も湧いてくる。

 

「何が目的だよ、お前。家なんか入れてやらねえぞ」

「それは困ります。家の前で泣いたふりでもしてみましょうか、”優しい人”に該当する人類が私を哀れんで泊めてくれるかもしれません」

「何が面白くてこんな事してんだ、お前の服はどう見ても高級品だぞ」

「目的に従っています。それが私を動かす唯一のものです」

「目的が何なんだって聞いてんだろうが…………頭悪いのかお前は……」

「貴方よりはマシです」

 

 イラつく回答ばかりする子供だったが、俺はなぜかちゃんと受け答えをしてしまっている。

 何せ、もう遊ぶ金もない。こんな訳の分からない少女でも喋れないよりは、随分気が紛れる所があるのは否定できなかった。

 

 高架下に入ると、やかましい車の通行音で雨の音はかき消えた。虚無の声だけがはっきりとしてくる。

 

「こんな不審者と歓談する辺り、貴方も切羽が詰まっているのですね。どうでしょう、私の目的のためにも早めの自殺などは」

「自分で不審者って言ってんじゃねえよボケ。誰がしてやるか、する気があってもしたくなくなるわアホ」

「そうですか。レベルの低い罵倒がお好きなのですね、楽しそうで何より」

「何処が楽しそうに見えてんだよこのスットコドッコイ!」

 

 結局、家までついてきた。騒ぎ出すから、家にも入れてしまったし、俺はつくづく運がない男だと不運を呪った。

 

 

 

 

 

 

 

「食事が出てくるんですか。驚きです、薬物ぐらいしか経口摂取しないのかと思いました」

「お前俺が人間なのは分かってるよな? 頭マジでおかしいのか?」

「頭マジでおかしいのは貴方ですよ。何で私にまで牛丼屋の朝定食並みの食事を出しているんですか、貧乏人なのに」

 

 何故? 何故と言われると、つい考え込んでしまった。

 俺は難しいことを考えて生きてこなかった。したいと思ったことは、理由を考えずにやってきたし、やりたくないことはあらゆる説得を無視してしなかった。

 

 大体損をした覚えはある。騙されたり、機を逃したり、まあ色々とろくな目にはあってない。

 ただ、それでも俺はこの頭の悪い生き方しか出来なかった。

 

「理由なんかねえよ、作る気になった」

「考えてください。人は考えることで活力を得られますよ」

「何一丁前に説教してんだクソガキ。さっさと食え、俺より遅かったら全部食うからな」

「えー。卑しい大人は嫌ですね」

「図々しいガキも嫌だよなぁ!?」

 

 虚無は真顔のまま机の前に正座して、俺と飯を交互に見やるとおもむろに食べ始めた。

 

 素直なガキは嫌いではない。質問が多いガキと、失礼なガキと、鬱陶しいガキは嫌いだが。コイツは今の所三つ嫌いだ。

 

「料理の腕はそこそこですね。まあ溝のヘドロでも私は摂取しましたが」

「それはやめておけよ…………あんま文句言ってると眼の前で捨てるからな」

「あんまりひどい事をしていると家の前で土食べますからね」

「どういう脅しだ」

「貴方は案外こういう言い方が良さそうなので」

 

 お前が土食っても知るかよ。自業自得も良い所だ。

 ただ、コイツは食事をしている時の所作は丁寧だった。俺は俺より賢い女が好きだ、例えそれが悪知恵に向いていて、俺に興味がなくても好きだ。

 

 だから、コイツは意外と見る所があるような気もしていた。

 こういう考え方だから損をするが、俺は今損をするよりコイツに興味を持ち始めていた。

 

「お前、何処から来た」

「食事中に口を開けないでください。食欲が失せますよ、私は元から無いんですけど」

「うるさい。質問に答えなきゃ蹴っ飛ばすぞ」

「何処にでも居ますよ。貴方は偶々今日見えるようになっただけです」

「本当にイカれてるな…………さっさと病院にでも行け」

 

 食事はあっという間に終わる。当たり前だ、金が無いから量がない。

 

 俺は黙って虚無の皿を下げた。見た目通りというか、いやそうでもないのか。兎に角、コイツは意外と綺麗に食事をするやつだということが見て取れる。

 それは良い。食うのが汚いやつは何をやっても品が見えてこなくなる、コイツはとりあえず何をやってもそれなりに見えることが確定した。

 

 事実、俺が人生で見た中でだんとつに美人であることは最初からそうなんだが。

 

「これから何をするんですか。やはりダメ人間らしく、惰眠を貪っていくんですか」

「ナンカ悪いかよ」

「お散歩をしましょう、食後の運動ですよ。髭を剃って、顔を洗うのです。ついでに、お風呂にも入りなさい。とてもとても、貴方は臭う」

「お前何言ってんだ? どうやら冗談だと思ってるようだな、さっさと出ていけ」

「分かりました」

 

 三日間家の前でじぃと居座れた。仕方なく、今後は家に入れておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 今日も今日とて虚無は居る。そして、当然のように扉は荒々しく叩かれる。言うまでもないが、闇金の取り立てがやってきているんだろう。がなりたてる男の声にビビるほど慣れてないわけじゃないが、心臓に良いものじゃない。

 

 虚無は育ちの良さそうな見た目に反して、それにうろたえている様子はなかった。火傷に頓着しなかったときから、コイツは感情の起伏が一切顔に出ていないのは分かっていたが、それにしたって異常さが際立つ。

 

「おい虚無、俺は逃げる。お前はお前で何とかしろ」

「やーん、虚無わかんなーい。おじさんつれてってー」

「よくそのカタコトで釣れると思ったなクソガキ」

「いや分からないのは本当ですが。私この後どうなるんでしょうか、強姦とかされますかね」

 

 コイツの常識に関するアンテナはかなり曖昧だ。というより、知っている日と知らない日があるような様子が見て取れる。

 

 俺はこの程度でガキの重りをするほど気の多い男ではない。

 ただ、そいつの疑問と要求については考慮をするようにした。無機質だが、騒いだり何だりと俺に迷惑をかけて反抗する気骨はあったからだ。

 

「さあな、俺の関係者だと思われてろくな目に合わないかもしれねえ」

「へぇ。じゃあ私も連れて行ってください、私は貴方の傍に居なければなりません」

「邪魔だったらアイツラに売り渡すぞ」

「出来ないでしょう、貴方。知っていますよ」

 

 コイツは本当にすぐに調子に乗る、そう思いながら窓から飛び出た。

 二階から飛び降りたもんだから脚は軽く軋むが、虚無は飛び降り慣れた俺以上に軽い体捌きで降りてくる。漫画の一コマみたいで、あんまり現実味はない。

 

 元々無いやつだからそんな気にはならないが。

 

「俺より脚が早そうだな、俺を引っ張っていけ」

「貴方の後ろにしか私の道がないので、無理です」

「何いってんだお前」

 

 

 

 

 

 

 

「…………ァア、ってぇな……」

 

 口からは吐くまでもなく血が流れていた。指は2,3本折られた気がするが、アイツラの事務所にいるからどれだけ叫んでも誰も来なかった。気絶して、ようやく起きたってところだろう。俺からすれば時間は繋がってるんだが。

 

 逃げ切るなんてそう簡単なもんじゃないのは、俺もよく分かってる。人数も、慣れもあちらが勝ってるわけだからな。ただ、こういうのは可能な限り逃げとかないと、別に逃げなくても酷い目に遭うもんだ。相応の理由があるってのも、理解はしてる。

 

 ただ…………。

 

「ぉい、きょ無…………生きてるか……」

 

 俺は、そんなお人好しだっただろうか。

 曖昧な視界と意識の中で、虚無を呼んでいた。別に、情が湧いたかと言えば違うような気もする。

 

 ただ単に、最近は近くにアイツが居るのが普通だった。何となく、アイツの状況を確認するのがルーチンワークになってしまっていたというか。

 だから、気づかなくて良いことにも気づいた。

 

 今日の連中は、不機嫌そうと言うよりは笑っていて、息が荒かったって辺りだ。

 

「コイツ幾らヤッても締まり良いじゃねえか、最初からこの女出しとけよバカ男」

 

 あんまり想像したくない光景が頭をよぎって、つい見てしまった。

 想像したくないことがあっさり起きている。それは虚無だからと言うわけではなく、誰がそうでも俺は見たくないと思う光景だ。

 

「何処使っても上物だな、このガキ。いやほんと何でこんなバカ男について来るかなー、騙し方を教えてほしいもんですなぁ!」

 

 男数人がかりで抑えつけられているのが見えるし、きたねえ男のケツもすぐ近くに見える。黒い下着が近くに移った、意外と趣味が悪い。

 アイツは抵抗したんだろうか、なんて事を好奇心で俺は考えるかと思ったが――――――。

 

 笑っていい、俺はキレて変な声を出した。奇声に近い。男たちがぎょっとしたし、虚無は無機質に俺を見ていた…………いや、実際には見えてない。

 ただ、赤い何かが此方に向いたのが分かったから、そうだったと思うだけだ。

 

「は? いやどうしたお前…………気色悪いなぁ!」

 

 思いっきり蹴られて、ついでに血を吐いたが、頭がおかしくなったみたいに立ち上がった。

 俺は真面目に、そんな義憤に駆られる男ではない。ただ、まぁ…………一つ考える所はあったのだろう。

 

――そいつは失礼なガキだが、此処までされることはどう考えてもしてない。

 これは義憤と言うより、俺の中での公平さの話だ。

 

「え、いやいやキモすぎる。何、コイツマジで彼女か何か? 不釣り合いすぎてびっくりだわ」

「…………知るか、ただの――――――」

 

 答える前に蹴られて意識は飛んでいった。

 何となく、虚無の咳切るようなぶつ切れの吐息だけはっきりしていて、最後まで気分は最悪だったと言っていい。

 

 

 

 

 

 

 

「貴方は相当愚かなようです。ちょっと居候が強姦されたぐらいで怒り過ぎではないでしょうか」

「ケロっとしてるお前が気色悪いわ…………ってぇ!? 病院行く前に折れた患部触るバカが居るか!?」

「痛がるかどうか気になりました」

「あぁ!? 強姦され足りねえらしいなお前!」

 

 おかしな話だが、俺は虚無に手当をされていた。コイツが自主的に俺に何かをしようとしたのは、珍しい。多分初めてのことだ。

 あの後、お楽しむだけお楽しまれ、いたぶられるだけいたぶられ、放り出された俺達は、しかし何とか肩を寄せ合いつつ帰ってきた。

 

 いや、訂正しよう。虚無に持って帰られた、に近い。

 虚無のこの様子は、一応しっかり恐怖を与えて取り立てやすくしよう――――なんて薄っぺらい動機があったアイツラには、あまり虫の居所がよくないものなんだろうか。

 

「何で声も出さなけりゃ抵抗もしないんだ。いや、ああ言う時はそれもパターンってことはあるのかもしれないが…………」

「何で、ですか? 何故でしょう、別に私にとっては大した問題ではないですから。彼らも大変満足そうでしたね、反応がないと嫌がられ始めた時は図々しいなと思うばかりでしたが…………個人的には、悦んでくださる方が嬉しいかもしれません」

 

 話を聞いて、否応なく虚無の内股の血をふき取った跡が気になってしまう。というか、それも適当で拭き取り跡が残ったまま、俺を手当してるのが一番気になる。

 珍しく…………というか久しぶりに、人の事で虫の居所が悪かった。

 

「お前、本当に大抵のことに狼狽えないな。どんな人生を送ってきたんだ…………いや、まあ分かってるよ。”人生”じゃ、お前にとって適切な言葉じゃないのかもしれないな」

「そうですね。レイプされる程度の事では、私が抱える負荷にとっては砂浜の一粒にも比類しません」

「ほう、例えば」

「苦労して生み出した万物を滅ぼせと言われる時は、このストレスの比ではないですよ」

 

 苦労して生み出した万物、なんだか神様が喋っているような言い草だった。

 ついニヤニヤしてしまうが、虚無はあんまりそういうのを気にしないやつだ。俺の一挙一投足を割とよく見ている割に、それに頓着はしていない。

 

「ふーん。他には」

「まあ滅ぼすのにも種類がありまして。宇宙規模でデスゲームをして減らせと言われたり、年端も行かない少女をいじめろと言われましたり。それこそ、むしろ泣き叫ぶ雌を犯す仕事も私自身経験がありますよ」

「えっ、両刀?」

「男にも別になれますし、女でも相手を出来ます。別に、貴方でも相手を出来ますよ、その気になれば至極幸せそうにセックスを今すぐ行うことも可能です」

「それはそれで気色悪いからやめろ。にしても、想像がつかねえな…………今はどういう状態を想定してリアクションしてんだ」

「そうですね…………貴方が気に入りそうな、ちょっと変わっていて、温かみを感じなくもない、そして献身的な少女をしています。まあ、私がよく使うモデルともいいますが。私の本質は名の通り虚空ですが、だからこそ誰にでも献身的に振る舞えるというのも事実なので」

 

 距離感が近いようで、やっぱりコイツは何処か遠かった。

 ただ、別に嫌なわけでもない。喋り口自体は、わざとらしい嫌味は付くが、結構素直なことにも流石に気がついてきている。

 

 虚無は俺の顔を見つめて固まっている。

 

「ん、何だよ」

「面白いですか、この話は。笑っているようですが」

「面白いかと言えば…………まあ、面白い」

 

 そうですか。

 それだけしか、虚無は言わずに俺の手当を再開する。

 

「虚無」

「なんですか、セックスならしませんよ。貴方が私の出血を見て逆に傷つく、大変ナイーブな方だと理解していますので」

「ああそうだよ、ってかそんな気遣いはいらねえ。そうじゃなくて――――――まぁ、こんな家で良ければ好きなだけ居ろ。パチンコよりは、お前は暇つぶしに使える」

「やはり交尾目的ですか、私は可愛いですからね」

「真面目に言ってるんだが?」

「冗談です」

 

 コイツの冗談は、ちょっと分かりにくいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

「はー、折れた指で仕事はきっついな…………煙たがられるしよ、そもそもドクターストップだしよ」

「おや、帰宅が速い。またクビですか」

「お前、デリカシーを意図的になくすのをやめろ」

「貴方が私を気遣えば考えます」

 

 知らない間に、コイツの立ち位置は押しかけ女房になっていた。

 俺はバイトをして、コイツは黙々と家事をしている。本人は「私は夫婦のロールプレイもさいつよなのですよ」と言っていたが、こんなデリカシーの無い妻は結婚一週間でほぼ離婚されるから下手で間違いない。

 

 結局闇金に関しては然るべき場所で相談し、病院もきっちり通うことにした。虚無の件もついでにお巡りさんに告げ口したから、もうアイツラは色々と勝手に壊滅してくれることだろう。流石に杜撰過ぎる。

 

 俺の生活は、こいつが来てからしょうもないなりの人間性を取り戻してきていた。

 

「で、今日の飯は」

「生意気ですね、今すぐ全部デリートしてもいいんですよ」

 

 デリートというのは、コイツの”権能”らしい。何でも動くことなく消し去れるようで、俺の更生生活一ヶ月目の給与の内一万は、虚無のデリートの実演で消された。珍しく本気でキレてしまった。

 

「悪かった。だが、腹は減ってる」

「今日はカニカマ入り雑炊です。柚子ポン酢を掛けつつあっさりといただくヘルシーな食事となっていますね」

「家庭的すぎて第一印象から思うとかなり意味分からんな、お前」

「もっと褒めるべきです。最高の内縁の妻でしょう」

 

 絶対コイツは俺を夫などとは思ってないし、俺も同居人としか思ってないつもりなんだが、そういう冗談はやたらと好きなやつだ。

 確かに匂いは中々に良いもので、たるんでいた体でハードワークをこなした後の、このどうしようもない倦怠感を吹っ飛ばすものが何処と無く漂っている。

 

 さっさと虚無は飯をついで、いつもの俺の席の前に置く。

 確かに実質妻かもしれない…………ロール的には。

 

「相変わらず服が一緒だな。どうせ洗濯は必要ないんだろうが、イメチェンはしないのか…………料理もしにくそうだ」

「嬉しいことを言ってくれるではありませんか」

「真顔で全然嬉しそうに見えないが?」

「こういう仕様なので」

 

 実際、別に喜んでないかもしれないとは思っていた。それでいい、俺がしなければならないと思えば、虚無が気にしなくてもしなければならないことだ。

 

 食事を始めてみると――――自炊には自信が有ったのだが、やはりコイツの食事は温かみがある。

 手付きも、表情も、仕草も全部色気も愛嬌もないやつなのだが、食事には恐ろしいほどの懐かしさがある。母親、だろうか。俺には居たことも無いはずなんだが。

 

 虚無という生き物は、縛られている中では本当に俺に良くしようとしているのが何となく分かる。ちぐはぐだ。

 俺が事故りそうになったら、俺を体を張って引っ張り回して何とかした。自殺を待ってるはずなのだが、自殺じゃないから止めたらしい。

 上から鉄骨が落ちてきたら、ビビるほど俊敏に俺の手を引いて避けていった。やっぱりこれも自殺じゃないかららしい。

 

 言い訳をするお人好しのようだった。

 ただ、俺も人のことは言えない気もしてきていたから、言わないが。

 

「何かどんどん自殺から遠のいてるぞ、お前忙しそうだけど良いのか」

「ちゃんと自殺に向かっていますよ。それに私は何人にでも増えることが出来ますから、貴方がそういった私の労力を気にする必要はありません」

「気になるだろ」

「惚れたのですか」

「いや、違う。違うかな、分からんけど、もっと人として~的なアレのつもりだ」

「人間として惚れ込まれていますね」

 

 口は上手い。表情は終わっているが。

 

 だが、俺の生活が変わったのはこいつが来てからだ。こいつは俺が自殺してから何処かに行くというような喋り口だが、ちょっとばかし怖い気もしていた。

 こいつは俺が生きているうちにどっかに行ってしまうだろうと、そう思えてならない。

 だって、虚無自身隠すつもりがあるのか怪しいのだ。俺は、明らかに自殺から遠のいている。

 

「なあ」

「食事中に口を開けないでください」

「言わせろ」

「仕方ない人です」

「別に、俺の前から消えてもいいが…………そうだな、意味ないんだろうが。幸せにはなれよ、せめて気分良くはなれ」

「それは肉欲的な意味で?」

「お前ホント下品だよな、なにげに」

「人間は動物なので、すぐそういう考えになるのかと」

 

 本気で思ってそうだから、困ったもんだった。

 

 

 

 

 

 

 

「養子をもらってきた。金はある、育てるぞ」

「私まで巻き込むんですか? 外堀を覆っても逃げる時は逃げますよ、私」

「それでいい。お前は案外教育にはいい女だ」

 

 

 

 

 

 

 

「最近な、職場でいい感じの女と知り合った。結婚しようか迷ってる…………竜胆が気にしないと良いんだが」

「気が速すぎませんかね。まずはちゃんと人となりをお互い知りなさい、そしてお互いに許せると思った時に結婚なさい。息子さんはダイジョウブですよ、貴方が酒・煙草・ギャンブル大好きなカスだともう分かっているようなので。敏い子です」

「いや、事実なんだが…………お前に言われると凹むからやめろ」

 

 

 

 

 

 

 

「虚無さんって、いつから俊さんと暮らしていらっしゃるんですか? 私が結婚する前からこのお家には居ましたよね?」

「それはもう前からですよ。でもマウントは取りません、そういうのは彼にだけするのですね、いじめると面白いので」

「ふふっ、何となく分かります。貴方は無表情な方ですが、心が豊かな方のようで最近安心しています」

「そうでしょう、彼の更生は私のおかげなので無限に感謝してくださると助かります」

「おい虚無!? またろくでもねえことを日向に言ってるだろ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「もう孫だぞ虚無、人生短すぎないか?」

「万物の寿命短すぎですね。私からしたらよくそれで満足していると感心します」

「虚無さんって何歳なんですか?」

「宇宙が始まってからずっと生きていると思ってくださっていいですよ」

「虚無姉さん、俺が父さんのところに来た頃から居るけど…………マジでこれ冗談なの? 電波発言定期的にするよな、ホント昔っから」

「好きに思っとけ竜胆、間違いないのはコイツが面白いやつってことだ」

 

 

 

 

 

 

 

――――そして、気づけば俺は殆ど喋れなくなっていた。

 老化というやつだ。こんだけ老いたのに、喋り方一つ治らない馬鹿な男のままではあった。

 

「老いとは速いですね、貴方はこんなあっという間に枯れ枝のようになってしまった」

 

 うるせえ。もうすぐ往生してやるから安心しろ。

 俺はかなり、こいつが来てから幸せになってしまって、本当に自殺なんか出来やしないと思っていた。

 

 ただ、今は出来る気がしてきた。どうにも、俺を活かすには金がかかりすぎるらしいのだが――――――俺は、まるで人生に後悔がなくなってしまったのだ。

 それでもまだ、虚無は俺の手を擦りながら無表情で林檎を食っている。俺の分は何処に行ったんだか。

 

「ようやく仕事が終わりそうで一安心ではありますね。貴方は予想以上に、良質な自殺を迎えられそうですから」

 

 良質な自殺ってなんだよ。お前からすれば死ぬなら全部一緒みたいなもんだろ。

――虚無の姿は、まるで変わらない。誰もが歳を経て皺を重ね、涙の数だけ目尻に線を残すのに、コイツはずっと綺麗で、ずっと変な格好のままだった。

 

 最初は老いないことが羨ましいと、俺も妻も言っていた。

 ただ…………今、こうやって眺めると、違う感情が湧いてこなくもない。

 

「どうでしたか、自殺するには丁度よい人生だったでしょう。満足感の中で家族のために死に、そしてこれほどの美人に看取られる。人類でもトップクラスの幸福ではありませんか」

 

 全くだ。

 全くなんだが、ちょっとだけ目は潤んでぼやけなくもない。

 

「貴方が自分で手に入れたんです。私は、ただ傍で生活をしただけに過ぎない。これまでの”目的”に比べれば、ずっとずっと単純なものだった」

「…………虚無」

「どうしました? やはり感謝の言葉でも述べてくれるのでしょうか、当然ですが――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前を、置いていくのは、辛いなぁ…………」

 

 コイツは、誰とも同じ時間を過ごせてないと気づいたのは、俺の体が枯れ枝になってからだ。

 別に虚無は悲しくないふりも出来るだろうし、実際悲しくないことにも出来るような、あやふやで、言葉通り神様みたいなやつだというのは俺も知ってる。

 

 ただ、それでも。コイツにもしも、少しでも俺達と同じ時間を過ごしたいという気持ちがあってみろ。

 虚無は、誰が決めたとも知らない”目的”とやらのせいで、それを叶えることはない。形の上ですら、出来やしない。

 

「…………昔から思っていましたが、貴方は口汚いだけで人に気を遣い過ぎです。むしろ、私は死後の貴方が気になるぐらいですよ…………そうですね、安心しなさい。死後の世界は、用意されていることもあります。世界は無数に用意されていて、貴方にピッタリのものがあるはずだから」

 

 口数を増やして誤魔化そうとするのは、あまりに人間っぽい。泣きながら笑いが出てしまう。

 

「おい、虚無」

「はい。何ですか、伊藤俊」

「楽しかったか…………?」

 

 俺は、という訳で明日死ぬ。確かに、実質的な自殺みたいなものだ。

 コイツは迂遠な言い回しをした。俺の意志で確かに治療は取りやめだ、ターミナルケアというやつは、俺には合わない。

 

 しかし…………自殺と言うには、その道程はあまりに良いものだったと。俺はそう思えた。

 

「別に。悲しくもないですよ、だから安心して死になさい。貴方が居なくとも、私は昨日と同じように宇宙で”目的”に従うだけです」

「そう、かい…………」

 

 しかし、何だ。

 そうかぁ…………俺が居なくても、悲しくないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 良かったなぁ。

 俺は初めて、そして最期に。コイツのそんなそっけない物言いに安心した。


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