その日は重たい頭を無理矢理起こして、いつもより早く家を出た。誰かとこの話を共有したくて、大分胸が高鳴っていたのだと思う。道中で見上げた空は、交じりっけのない青に染まっていた。
皆考えることは同じだったらしく、僕が教室に着いた時には既にその話題で話は持ち切りだった。
野比のび太が
俄には信じ難い話を耳にした。初めはただ僕らを揶揄うために、ホラを吹いているのだと思っていたから僕らは誰も本気にしなかったのだけど、その噂は椚ヶ丘中にどんどん広まっていった。
「のび太がE組行きになったのはE組のせいだ」なんて後ろ指を指され始めれば、嫌でも気がつく。
彼は本当にこのクラスにやって来るらしい、と。
「なぁ、やっぱ今日だよな。アイツが来るのって」
「雪村先生もそう言ってたし、間違いないと思う。……杉野はあまり嬉しくなさそうだね」
「そう言う渚も顔に出てんぞ。アイツに何かされた訳じゃないんだけどさ、何つーか、クラスで人気の異性とちょっと会話しただけで目をつけられるみたいな感じ。相手が神崎さんだったらきっと目をつけられた俺のことを心配してくれてそのまま一気に……」
「うん、まず神崎さんに話しかける所から始めよっか」
神崎さん絡みになると、杉野は目をつけられる側じゃなくて、目をつける側になりそうだ。
けれど杉野みたいな考えの人が大半で、この教室では彼を厄介者だと思う人も少なくないだろう。
この椚ヶ丘で、のび太君を知らないと言う人を僕は知らない。
彼が所属する弓道部では三冠が期待されていたし、中二の全国模試で彗星の如く現れて以来、彼の名前を聞かない日はなかった。
因みに全国模試で順位が並ぶことはあっても、中間や期末のテストで彼らの順位が並ぶことがないのは、現在進行形で例年より問題の難易度が跳ね上がっているせいなのだとか。
それでもテストの表彰台の争いをしているのは、いつもあの3人で。
何故E組に来ることになったのかは分からないけど、確かなのは僕らとは真逆の存在である彼と仲良く出来そうにないということだった。
「のび太は悪い奴じゃないんだけどな」
僕と杉野の会話が聞こえてきたのか、磯貝君が話に混じって来た。
「何だよ磯貝。アイツと知り合いなのか?」
「中一ん時同じクラスでさ。それにお前らも聞いただろ、三英傑の代わりに五英傑が新しく出来たって話。もうお前の居場所はないぞって、あっさりと切り捨てられたんだ。それって、俺らと同じだよな。
のび太の居場所を作ってやれるのは、俺らしか居ないんじゃないか?」
「「い、イケメンだ……」」
考えもしなかった。自分の心配よりも相手の心配をサラッと出来ちゃうところが磯貝君らしい。
磯貝君が本当に嬉しそうに彼のことを話すのだから、よほど彼は良い人なのだろう。
正直彼が羨ましいと思った。比べても仕方がない。考えてはいけないと分かってはいるのに、母さんの言葉が脳裏によぎる。
彼には
僕には、
最後まで自分のことを心配してしまう僕はずるい奴だったと思う。
「おーい!!渚君、だいじょーぶ!?」
嫌な記憶を思い出してしまった。今一番顔を見たくなかった人が会いに来た。
「のび太くん……。僕は大丈夫だよ、どうしてここに?」
「だって渚君、僕のせいで寺坂君たちから呼び出されてたから……」
「寺坂君たちとは前々から暗殺の相談をしてたんだ。さっきも暗殺の相談をしてただけだよ。
もう授業も始まるし、教室に戻ろう」
そう促しても、どこか心配そうな顔をして僕から離れようとしない。
心臓の音が小刻みに聞こえる。背中で覆い隠しているピンク袋が手汗で今にも落ちそうだ。
さっき先生がミサイルを片手に校舎へ戻っていったと伝えると、ようやく彼から解放された。
三英傑なんて称されるぐらい頭が良いのに、上履で校庭まで追いかけて来たり、ミサイル一つに目の色を変えちゃうようなのび太君だから、みんなもすんなり彼を受け入れられたんだろう。
『の、野比のび太です!宜しくお願いします……』
(((( ここに来るまでに何があった?!))))
あの後HRの時間になっても彼は来なくて、その時の雪村先生は若干涙目になっていた。
結局彼が来たのは一時間目の途中で、けれども何故か制服は木の葉や砂で汚れていて、顔には擦り傷が幾つかあって。彼を見た雪村先生はとうとう泣き出してしまった。初対面だったけど僕らもそれなりに心配した。
後で聞いたのだけれど、その日はつまずいて階段から転げ落ちて、外に出れば車に水溜りの水をはねられ、山道を登って来る時にイノシシに追いかけ回されていたらしい。
こんなに不運なのは久しぶりなんて言っていたけど、一度や二度のことじゃないらしい。とんでもない不運体質の人だった。僕らは滅茶苦茶心配した。
浅野君や出来杉君に並ぶ完璧超人だと思っていたけれど、何というかイメージとかけ離れていた。
『みてみて!上手く描けたと思わない?!』
『お、おう。ええっと……虎か?』
『猫だよ!!』
動物や人の絵がお世辞にも上手とは言えなかったり。
因みに菅谷君に描き方を教えて貰ったらしく、翌週見た時には僕の絵よりも上手くなっていた。やっぱり超人だった。建物や船の絵も上手くて、設計図面の書き方なんかは千葉君に頼み込んで教えて貰ったんだとか。
絵が上手くなっていたことも驚いたけど、彼がE組生徒に頭を下げたことに僕らはもっと驚いた。
『この式教えて欲しいんだけど——』
『あぁ、これはね!ここの係数を……』
嫌な顔をするどころか嬉しそうに勉強を教えてくれたり。
『急げ!全校集会に遅刻したら何させられるか分からないぞ!』
『あれ、のび太は?』
『うわあああああっ!?!』
『『『のび太?!!』』』
彼が川に落ちてしまった時は、彼を助けるために集会どころじゃなかった。それはそれはもう大変だった。勿論集会には遅れた。
『う、う、う、う、宇宙人!?!?』
『失礼な!!生まれも育ちも地球ですよ!!!!』
月を7割型殺った超生物に一番驚いていたのは彼だったっけ。
明らかに人工的に作られた生き物だと僕らは思っていたけど、彼だけは地球に未確認生物がいたことに喜んでいた。口外しないか心配だ。
『おい見ろよアレ。ついにAIや機械学の本に手を出しやがった』
『マジかよ。下手したら大学で学ぶ内容だろ。アイツ何目指してんの?』
『毎日放課後残って勉強してるよね……』
頭が良くて、誰にでも優しくて、僕らとも対等に接してくれて。けれど不器用で、僕らが見てないと心配になって。その上努力家で。
彼を見てると、ますます自分が嫌いになって。
『自分はこの世界でたった一人しか存在しない人間なんだぞ』
解らないよね。のび太君や
期待も警戒も——
渚が上手く怪物の懐に入り込んだ今なら殺れると絶対的な自信を持って、スイッチを押した。
目障りな怪物も居なくなって、自分だけ百億を手に入れる。こうも上手くいくと思ってなかったから、少しだけ舞い上がっていた。
スイッチを押す前に疾風が吹いた気もするが気のせいだ。一瞬目を瞑っていたから弾が炸裂した様子も目にすることができなかったのが残念なところか。音がしなかったのも手榴弾の不備かなんかだろう。
それよりもさっきから手が痛い。きっと強く押し過ぎたせいだと自己暗示を掛けて、恐る恐る自分の指を見やる。
「——— いってええぇっ!! 」
あまりの痛さにスイッチを床に落としてしまった。
気のせいではなかった。スイッチは押せてなかった。怪物の姿は見当たらないが、こういうことが出来るのは怪物ぐらいだろう。考えたくないが、暗殺は失敗した。渚が手榴弾を持たなかったのかと考えたが、渚の姿も見当たらない。
代わりに目に入ったのは、昼休みに投げつけてやった二丁の拳銃を構えたのび太の姿だった。よく見れば、少し赤く腫れ上がった指先の何本かにbb弾の弾の痕がついている。コイツの仕業だと、全身鳥肌が立った。
「のび太あぁっ!!何してくれてんだテメェ……!?」
痛みも何ともない左手で拳を作り、のび太に殴りかかろうとする。しかし、それよりも先にのび太が、手にしていた銃を床に乱暴に投げ捨て、自分の胸倉に掴みかかる。
「何してくれてんだ…‥?自分が何をしようとしたのか分かって言ってるの?!渚君が死んだら渚君は絶滅するんだ。代わりなんていないんだ。……っ……… 」
「べ、別に人間が死ぬ威力じゃねえって。
治療費くらい、俺の100億で出してやるつもりだったんだよ」
激しい剣幕で怒ったかと思いきや、最後の方はなんて言ってるのか全く分からなかった。
正直気持ち悪くて、のび太の手を振り払おうとした瞬間また風が吹き荒れた。
「実は先生、月に一度ほど脱皮をします。脱いだ皮を渚君に被せました。結果的には必要なかったようですが」
どこからともなく怪物の声が聞こえてきた。上だと誰かが叫んだ声に釣られて、天井に目をやった。
ーーー 寺坂、吉田、村松。
天井にへばりついている怪物は自分たちの名前を呼ぶ。
その怪物の触手には自分が落としたスイッチと手榴弾があった。さっきの風と共に一緒に回収されたのか。
「 首謀者は、君等だな」
その声は聞いたこともないくらい低くて、見る見る全身がドス黒く豹変していく。
真っ直ぐこちらを睨みつける赤い目は、まるでナイフや銃を喉元に突きつけられているみたいで、思わず怪物から目を逸らした。
言葉を発しようとするが、恐怖で上手く呂律が回らない。
すると怪物は自分たちの表札をものの数分で持って来て、二度とこのような手を使うなと自分たちを脅した。殺せないと思った。
どうせ殺せず殺されるなら、と怪物に喧嘩を売ったが、怪物は怒るどころか自分たちを褒めることもあった。それがのび太を思い出させて、ますます腹が立った。
当のアイツは射撃の腕前を怪物や他の奴らに褒められていた。クラスの一人は怪物に名前なんてつけ始めた。居心地が悪くて、足早に教室を後にした。
指先の腫れは数日続いた。渡した銃はどうやら吉田が威力を改造した銃だったらしい。くそったれ。
放課後の教室で一人参考書を広げるのび太君に声を掛けた。
助けて貰ったお礼を言いに来たはずなのに、中々思うような言葉を口に出せなかった。
勝手に八つ当たりして、のび太君を騙してまで自分の命を粗末にしようとした。
けれど少し嬉しかった。あんなに怒った様子で寺坂君に詰め寄るのび太君を僕は見たことがなくて、誰かにあんな風に言ってもらえたのは初めてだったから。
「どうして、あんなことをしたの?」
僕がしどろもどろに話していると、のび太君はゆっくりでいいからと聞いてきた。
何故か無性に話しやすくなって、ぽろぽろと本音がこぼれ出てきた。
僕はずっと君が羨ましかったということ。
君が言ったように自分はこの世に一人しか存在しないけど、自分の代わりは幾らでもいるということ。
まだまだ聞いてほしいことがあったけど、言葉がつっかえてしまった。何故かのび太君の方が僕より先に泣いていて、これ以上話を掘り下げてしまったら自分の心が壊れてしまいそうで。
「ねぇ渚君。どうして生物に自我が芽生えたと思う?」
「どうしてって……。意思疎通を図るため?」
のび太君の質問に僕はそう尋ね返した。
「そうだね。自分の気持ちを、誰かに伝える為なんだよ。自分が幸せになる為だと僕は思うんだ。
だってそうでしょ。もし誰かを幸せにする為だけの理由で生まれてきたんなら、感情なんか持つ必要がないんだから」
「渚君の人生は渚君のもので、代わりなんて誰にも出来ないんだよ。
僕も渚君も、幸せになるために生まれてきたんだ」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が全身を走った。これまでの自分をあっさりと否定されたような気さえした。なのに心が暖かい気持ちになって。それは僕が誰かに一番掛けてもらいたかった言葉だった。
何か不味いことを言ったのかとのび太君は慌てふためいていたけれど、ゴミが目に入ったことにして誤魔化した。話を逸らそうと、バッグの中から教科書とノートを取り出す。
「のび太君。ここの問題分からないところがあるんだけど、教えて貰ってもいいかな?」
「勿論!」
「……ありがとう」
「え?何か言った?」
「……ううん!何でもないよ!ここの問題なんだけど」
殺せんせーに早く帰りなさいと怒られるまで、僕らは一緒に勉強した。
校舎から出た時にはすっかり日は暮れていて、外は少し肌寒かった。
4月中には投稿すると言ったのに投稿しなかった作者はこちらです。
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