のび太の暗殺教室   作:黒猫紳士

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杉野の時間

 

 

 

 蓋を開けてみると、ステンレス製容器の大半を日本国旗が占めていた。申し訳程度に添えられているのは、卵焼きに、ウインナーとピーマンの炒めもの。そしてきゅうり。

 白ご飯を口に運んでみるものの、噛めば噛むほど口の中でベチャベチャとした食感が広がって、箸は進みそうにない。どうしても体が受け付けず、作ってくれた親に心の内で謝って、弁当に蓋をする。

 いつもは渚と一緒に弁当を広げるのだが、気の置けない友人とでさえも、今はご飯を食べる気分にはなれなかった。

 

「………はぁ」

 

  殺せんせーの暗殺に失敗してから、杉野は暇さえあれば天を仰いで嘆息していた。

 そのあまりの落胆ぶりに幾人かの級友が声をかけたものの、気力を奮い立たせるばかりか、杉野からますます精がなくなっていった。

 分かっていた。マッハ20の怪物が自分の球で殺れる筈がないことは。あれは、自分の尊敬するプロ野球選手でも殺せない。

 それでも殺すつもりで投げた球が、後ろを振り返ればグローブに収まっていた。怪物は言った。自分の球が遅すぎて暇だったから旧校舎の物置小屋まで行ってグローブを取ってきたのだと。

 凶器を見て逃げるどころか自分の凶器(ボール)で遊ばれている。

 お前の投げるボールは投手としても暗殺者としても何も脅威にもならないと言われているようだった。

 実際その通りなのは分かっているから、ただでさえ有って無いようなものだった杉野の自尊心は砕け散ってしまった。

 

「杉野」

 

「なんだ、のび太か」

 

「なんだって、酷い奴だなぁ」

 

 声をかけてきた相手がのび太だと分かると、杉野はあからさまに顔を顰めた。そんな杉野を気にも留めない様子で、のび太は階段を一歩踏み外して尻もちをついた。

 

「……大丈夫か?」

 

「うん、痛いけど。聞いたよ。暗殺のこと」

 

「そうかよ」

 

 杉野はのび太の無事を確認すると、もう言葉を交わす気はないとでも言うように、ぶっきら棒に言葉を返した。

 その意を汲み取ったのか、のび太もそれ以上は何も言わなかった。杉野が自分の口から語るのを、のび太は待つことにした。

 

 五分か十分か、時間がどのくらい経ったか定かではないが、沈黙に音を上げたのは杉野だった。

 

「俺が野球部だったのはのび太も知ってるだろ。……遅いんだよ、俺の球」

 

「もしかして、杉野のポジションって投手(ピッチャー)だったの?」

 

「そう。遅いからバカすか打たれてレギュラー降ろされて、それから勉強にもやる気なくして……。

 寺坂が渚にやろうとしていたことは許せないけど、アイツの意見も分かるんだ。よく思うよ。俺にものび太みたいに才能が有ればって」

 

「僕の才能が杉野の方にいったって、杉野より遅いよ?球」

 

 のび太がもっと意地が悪いヤツだったら、或いは欠点が一つもなくて到底敵わないと思えたなら。

 嫌味を嫌味とも捉えないのび太の一面に、時には罪悪感が芽生えることもあって、その度に杉野は妬心のやり場に困っていた。

 

「悪りぃ。のび太には縁のない話だったな」

 

「そんなことないよ。小学生の時は友だちに誘われてよくやってたんだ。少年野球とか、そんな大層な野球じゃないけどね。何やってもてんでダメで、エラーなんかした日には殴られてたっけ」

 

「……それ友達って言えんのか?」

 

 聞けばその友人は自分と同じ投手で、道を歩けば殴られたこともある。もう殴られ慣れたと、のび太は顔をにこにこさせて言う。理不尽な理由で人を殴るやばいヤツをどうして友達と笑って言えるだろうか。

 杉野は戸惑いを隠せなかった。弱者と強者で成り立つ関係(洗脳)を、杉野は知悉していた。

 

「友だちだよ。杉野だって、僕の大事な友だち」

 

 のび太の純朴な言葉に杉野は頭を抱えた。悩みの種がもう一つ出来て、胃がキリキリしだした。どこぞの聖人君子とそれを苛むその友人に石ころの一つや二つ投げたくなった。

 作り話の可能性も疑った。例えばのび太が凄く野球が出来るヤツなんじゃないかとか。体育の授業で見るのび太を振り払って、野球をしているのび太を思い浮かべた。それでも投げればボールは真っ直ぐにも飛ばないだろうし、打席に入れば三振を取られているのび太の姿が容易に想像出来た。

 

「杉野が何か悩んでいるなら、僕も一緒に悩みたい。それにほら、投手と弓道って似てるでしょ?勿論ルールも使う道具も違うけど、投手はミットに向かってボールを投げる。弓道は的に向かって矢を射る。そういう意味では、ボーリングなんかも似てるよね」

 

 違う。全然似ていない。弓道も野球も、俺とのび太も。

 今まさにのび太のことで悩んでいた杉野の悩みは、火種となって妬心が勢いよく燃えあがっていく。

 

「いや、全然似てねぇよ。野球と弓道じゃ使う体の部位も違うし、何よりお前の矢は的を射るけど俺の球はミットに収まらない」

 

「弓道って、弓によって弱さや強さが変わってくるんだ。ボーリングみたいに。僕は10kgの弓を引いているけど、それ以上になると上手く本領は発揮出来ないし、下手したら矢は的にすら届かないかもしれない。

 杉野はボーリングでさ、一番重い球で投げたことはある?」

 

 杉野は不意をつかれた。弓道で持て囃されていたのび太に引けない弓があると思わなかった。

 ほのおタイプのポケモンがみずタイプのポケモンに返り討ちにされたみたいに、またしても妬心のやり場を見失っていた。

 

「ないけど……」

 

「野球でもそう言える?自分に合った球で投げればもの凄く強い武器になるのに、杉野は無理をして一番重い球を投げてるんじゃないかな」

 

「自分に合った、球」

 

 弓道やボーリングのように投げる球に階級があるわけでもない。杉野は自分に合った球というのが分からなかった。これまで尊敬するプロ野球選手を真似て投げていたし、今まで彼が杉野の道標だった。

 迫り来る怪物の影のような雲は、杉野を軛から解放させまいとしていた。

 

「磨いておきましたよ、杉野君」

 

 迷える子羊に道を指し示すかのように触手は姿を現した。触手から差し出された凶器を受け取ると、杉野は怪物が食んでいる姿に頬を引きつらせた。

 

「殺せんせー……何食ってんの?」

 

「昨日ハワイで買っといたヤシの実です。食べますか?」

 

 バキバキとヤシのみを噛み砕きながら殺せんせーは杉野をのび太と間に挟む形で腰を下ろす。

 

「飲むだろ、フツー」

 

「え、ココナッツの果肉って食べたら美味しいんだよ?生で食べるとイカ刺身みたいな味がするし、焼いて食べるとタコみたいな味がするんだよね。因みに僕は生の方が好きかな」

 

 のび太のヤシのみの食レポはやけに具体的で、杉野の食欲をそそる。

 同時に杉野は自分の常識を疑う羽目になり、また胃が痛くなった。

 

「ヌルフフフ。詳しいですね、のび太くん。もしかしてココナッツが好きな食べ物なんですか?」

 

「好物って訳でもないけど、十年住んでた無人島にはヤシのみしかなかったから。懐かしいなぁ」

 

「そうですか————ニュヤ?」

 

「なぁのび太。俺今ちょっと空耳が聴こえた気がするんだが。

 今十年どっかに住んでたって言わなかったか?」

 

「—————あっ。じょ、冗談だよ冗談!」

 

 しばらく黙り込んだ後、明日の空へと目を泳がせてネタバラシをするのび太に、杉野と殺せんせーは酷く狼狽した。のび太の嘘が嘘には見えなかったからだ。

 

「やっぱり無人島って言ってましたよね!?一人で暮らしていたんですか?親御さんはどうしてたんですか!?」

 

「だ、だから冗談だってば。考えみてよ。僕は今14歳で、無人島に十年も一人で暮らすなんて勿論出来ないし、本当に無人島で暮らしていたんなら杉野に話した話だって嘘になる。ねぇ、杉野」

 

 殺せんせーの触手でのび太はメトロームが一分間で20拍しか刻めないような一定のリズムで、緩徐ではあるが体を揺さぶられていた。近くには食べかけのヤシのみが転がっている。

 のび太は助けを懇願する目を杉野に向けたが、杉野は一度のび太から目を逸らした。自分が悩むことなんてなかった。そう思わせてくれる話の方が、友人と野球をしていた話がどちらかと言えば嘘であってほしいと杉野は思った。

 それでも次第に顔色が悪くなるのび太から目を逸らすことは出来ず、杉野はボールを殺せんせーに向かって投げた。それをまたあっさり白い布で止められてショックを受けつつも、杉野は話の内容を口にする。

 

「生徒に危害加えないって約束だろ、殺せんせー。のび太が話してくれたんだけど、小学生の時はよく友達と野球をしてたらしいんだ。本当にのび太の冗談なんだよ」

 

「そ、そうなんですか。すいません、のび太くん。大丈夫ですか?」

 

「な、何とか?」

 

 のび太の頭の中は昨日読んだ本でぐるぐる渦めく。触手から解放された上半身を草原に委ねると、のび太は気絶するように目を瞑った。

 

「ヌヤァァァァァ?!のび太くん、目を覚ましてください!!」

 

「のび太!!?」

 

 殺せんせーの叫び声は校舎まで聞こえたと、後に渚は語った。

 のび太が倒れたので、二人は慌てふためいた。殺せんせーが救急車を呼ぶ為に取り出したスマホは、触手と触手の間を往来していた。

 

「…………グゥ………」

 

「………ん?」

 

 のび太の体を動かそうとした時、杉野は微かに耳にした。それが聞き間違いじゃないことを確認すると、杉野は安堵の嘆息を漏らした。

 

「————殺せんせー、のび太は」

 

「大丈夫です杉野君。脈はあります。のび太くんは生きています」

 

「いや、寝てるだけっぽいぞ、殺せんせー」

 

「ええだから今救急車を————ヌ?」

 

 往来していたスマホが触手と触手をすり抜けてコンクリートにぶつかる。

 殺せんせーは杉野の言葉の真偽を確認すべく、のび太の顔を覗きこんだ。

 

「……グゥ……グゥ……」

 

「本当に寝てるだけ、のようですね」

 

「マジで良かったぁ。にしてものび太のヤツ、寝るの早過ぎだろ。眠りにつくのマッハ20かよ」

 

「せ、先生の方が速いですし?」

 

「中学生相手に張り合うなよ」

 

 殺せんせーはのび太を保健室にあるベッドに寝かせようとしたが、何やら心地よさげに眠るので、仕方なく保健室から取ってきた薄いタオルをのび太に被せた。

 

「しかし、私の失態のせいで……」

 

「ホント何やってんだよ殺せんせー」

 

「返す言葉もありません」

 

 杉野はここぞとばかりに殺せんせーの痛いところを突いた。殺せんせーは何時ものように躱そうとも向かい打とうともせず、ただただ突かれていた。

 それが地球を爆破しようとする怪物に見えなくて、後ろめたさがあった。

 

「誰がどう見たって偶々だよ偶々。それかのび太の勉強のやりすぎ。どうせ放課後とか日が暮れるまで教室にいるんじゃねぇの?なんで毎日あんな必死にノートにペンを走らせてるのかは知らないけどさ、殺せんせーのせいじゃないよ」

 

「でもずるいよな。天才ってのは努力が必ず実るものだって信じてる。俺にも同じ景色が見えているみたいに、曇りのない瞳を向けてくる。のび太も進藤も」

 

「進藤?」

 

「……俺からエースの座を奪ったヤツなんだ。豪速球で高校からも注目されてる」

 

 殺せんせーがもう一度ボールを手渡すと、杉野はボールを宙に浮かせたり手元で転がせたりする。

 

「君は野球部に?」

 

「………前はね」

 

「前は?」

 

 隔離校舎のE組では部活動が禁止であること。自分の球が遅いこと。バカすか打たれてレギュラーを降ろされたこと。それから勉強にもやる気をなくして、今ではエンドのE組であること。のび太にアドバイスをもらったが、自分に合った球というのが分からないこと。

 先ほどまでの落胆ぶりはどこに行ったのやら、杉野の話を全て聞き終えた殺せんせーは、うねうねと触手を飛び交わせて不気味な笑みを杉野に向ける。

 

「杉野君。先生からも一つ、アドバイスをあげましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅん。————それで?どうなったの?」

 

 校庭でミットにボールが吸い込まれる音が二度響いた。2ストライク、バッターアウトまであと一球。

 のび太は二回バットを振り終えると、眉間に皺を寄せて事の詳細を尋ねた。

 

「どうって……。触手に絡まれて大変だったわ。なんかヌルヌルしてて気持ち悪かったし」

 

「どうして起こしてくれなかったのさ。そんなおもし、大変な時に」

 

「今面白そうって言おうとしたよね!?」

 

 のび太が言いかけた言葉を渚が拾って杉野にボールを投げ返す。

 

「あれは寝てたお前が悪い。ウォーミングアップも終わったことだし、今から新技を試してみるよ」

 

「今までのウォーミングアップだったの?!」

 

「当たり前だっつーの」

 

 生気溢れる杉野を前にのび太の顔はみるみる青ざめていく。そんな二人を見て思わず渚は笑みをこぼした。

 いつの間に仲良くなったのか。のび太は杉野になんて声をかけたのか等と想像を膨らませて、次に先生のことを考えた。杉野に助言(アドバイス)をあげるためにニューヨークにまで行った殺せんせーを。

 杉野の殺る気の引き金を引いたのは殺せんせーだろうと渚は思った。殺せんせーは自分たちを良い意味でも悪い意味でも特別扱いしなかった。渚の知る先生の面影は超生物にはどこにもなかった。

 悲鳴をあげるぐらい生徒を心配するし、怒るし、脱皮はするし、生徒に触手で絡まるし。それでいて自分と杉野を殺る気にさせる不思議な先生。

 

「いくぞー!渚!のび太!」

 

 杉野の掛け声に、渚は二つの期待を込めてミットを構えた。

 

「うん!いつでもいいよ!」

 

「よし、来い!」

 

 杉野から投げられたボールはミットに収まる直前で軌道を変え、草むらで小さく弾む。

 のび太はバットを振るタイミングを逃したものの、その光景に感嘆の眼差しを渚と杉野へ向けた。

 

「すごい!今の消えたよね!渚君も見てた?!」

 

「見てたよ!ボールが消えるみたいに変化した!」

 

「ヒジと手首をフルに活かした変化球を習得中だ!!遅い速球(ストレート)もこいつと2択で早く見せられる」

 

「あいつにとっちゃアクビが出るような球だろうけど。でもさ、俺はこいつを自分だけの武器(たま)にして見せる。続けるよ。暗殺も野球も」

 

 杉野の爽やかな笑みに連鎖するように軽風が3人の頬をかすめて、杉野は思い出したかのように三日月の形をした唇を丸くさせて言った。

 

「あとのび太、こういうやりとりが出来る関係を友達って言うんだ。な、渚?」

 

「う、うん?」

 

 いきなり友達とはどういう関係かをのび太に諭し始めた杉野に、突然同意を求められて渚はたじろぐ。

 友達と言ってくれるのはすごく嬉しいが、急に唐突な話題を振られてわけがわからずにいた。

 

「そうだね。二人を見てると懐かしくなっちゃった。行くか迷ってたけど、やっぱり僕も行こうかな」

 

「行くってどこへ?」

 

「今度小学生の頃の友だちみんなで集まるんだ。僕含めて5人なんだけど」

 

「まさかその友達ってのび太を野球に誘ってた友達は含まれてないよな?」

 

「?ジャイアンは絶対参加すると思うけど……」

 

 のび太はジャイアンの手料理のことを思い出して、一瞬表情を曇らせた。その一瞬を、杉野は見逃さなかった。

 懐かしくなったと聞いてもう手遅れかもしれないと嫌な予感はしていた。友達に暴力を振るうヤツは友達じゃないと言ってない(言ってる)のに、一体何が懐かしくなってよし行こうとなるのか。一瞬顔を顰めたのは本当はジャイアンとかいう暴君が嫌だからなのか。

 のび太の言動に未だ杉野は悩まされていた。そんなことを知りもしない渚とのび太は会話を弾ませる。

 

「ジャイアン?」

 

「そう、僕の友だち。身体が大きくてガキ大将だけどさ、すごく頼もしいヤツなんだ。みんなにも渚君や杉野のこと紹介したいなぁ。出木杉も来るんだよ」

 

「へぇ〜、やっぱり出木杉君とは小学生の時からだったんだ。それにのび太君がそこまで言うなんて、すごい友達なんだね」

 

「そりゃあ出木杉のおかげで、みんなのおかげで僕は挫けずに頑張ってこれたから」

 

 青々とした空を見上げてのび太は言う。哀愁が漂うのを、渚と杉野は肌に感じた。硬くて、弱い衝撃には傷一つ付かないのに、一つの衝撃で砕け散ってしまいそうなガラスの脆さを垣間見たような気がした。

 

「何かあったら相談しろよ、のび太」

 

 その衝撃を与えるのがジャイアンでないことを杉野は願った。自分に出来ることは今はこれぐらいしかないから。

 

 さぁもう一回、とバットを握ったのび太に断って、杉野はたった一回きりのストライクを狙いにいく。出来れば悩みが振り切れることを祈って。

 そんな杉野の背中を二人は駆け足で追いかけていった。

 

 

 

 

 






 感想、誤字脱字報告、お気に入り登録、ご評価ありがとうございます。
 たった4話で68件も感想を頂ける(しかも一年前の読者の方から感想が届く)なんて作者は幸せ者だと思います。
 感想を見てると何やら渚がヒロインだとか殺せんせーがヒロインだとかしずかちゃんがヒロイン派の方々がいらっしゃいまして、「あれ?ヒロインいない方が平和なのでは?」と思ったり思わなかったり。
え?5話でようやく原作2話目が終わった……?

 
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