人間とは根源的に怠惰な存在である、というのは誰の言葉だっただろう。
多分、俺の言葉だったような気がする。ハイがデカいのかなんなんのかはしらないが、俺は決してハイデガーさんの言葉を許可なく改変したわけではない。
何故なら、俺は真実を言っているだけに過ぎないのだから。
俺はここに一つ予言する。いずれ誰もが口を揃えていうだろう。怠惰こそ人間の本質である、と。
俺は誰よりも早く世界の真理に到達した、名誉ある存在なのだ。
人との関わりとはめんどうだろう。それがたとえどれだけ仲の良い相手だろうと、それがたとえ血のつながっている相手だろうと、楽しいという感情と同時に、面倒という感情も溢れ出ているはずだ。
俺は別に変人じゃない。いや、むしろ一般的かつ凡庸な一市民でしかない。ただ少し、その楽しいと面倒という感情のせめぎ合いにおいて、面倒という感情が常に勝ってしまうだけで。
当然、手足を動かすのも、風呂も、飯も、寝るのも、呼吸でさえ、全て全て面倒臭い。
叶うものなら、考えることすら止めたいとすら思っている。
なぁ、思い直してみろ。考えるまでもなく願望が勝手に発生し、願望を叶えるために努力することなく願望が叶う。
これがどれほど素晴らしきことなのか。今の俺の演説で誰もが理解しただろう。
しかし、やはり政府からすれば俺たちに働いてほしいに決まっている。何故働いて欲しいのかは知らないが、給料云々だとか、経済を回さなければ己に厄が降りかかると知っているからだろう。
その問題さえ解決するというのが俺の願望ではあるものの、願望とは所詮願望でしかない。
故に社会は俺に勤勉を強いる。全く……これがいかにイカれているか分かるか?誰もが怠惰を望むというのに、皆、周囲や自分自身に勤勉を強いる。
いやもうね、ドMか!と。
……そして俺は生憎とそのようなドMではない。
俺は由緒正しき引きこもり。己が職業である自宅警備員という職業を誇りを持って勤めている。
勤務先は我が家の俺の家の聖なる布団。俺はそこで起き、そこで過ごし、そこで寝る。
飯?やはり食うのは面倒くさいが、食わなければ殺すと家庭内脅迫を受けたため、嫌々毎朝置かれているコンビニの塩むすび一個を食べて生活している。
親には申し訳ないと思っているが、俺には妹がいるし、家のことはなんとかなるだろう。
基本的に俺は家にいる時、昼に塩むすびを食う時以外動くことはなく、電気代も使わなければ、何かを消耗する、ということはない。朝と夜は飯を食わず、トイレは当然毎日支給される水を飲み切った後のペットボトルへ。風呂は入らずウェットティッシュで体を拭くのみ。
ウェットティッシュや水入りポットボトル、そして塩むすび、など、恐らく全て合わせても1ヶ月間において俺は6000円程度しか消費していないだろう。さらに言えば、本来ならば俺には小遣いとして3000円が支給されるはずだが、それを断っているので、実質的には1ヶ月間で3000円程度しか使用していないのだ。
なんと便利な生物だろうか?俺という生物はエコロジーを極めた存在のようだ。やはり怠惰……!怠惰は全てを解決する……!!
し、か、も、俺の理想とする怠惰において、人類は呼吸をする必要がなくなっているだろう。であれば二酸化炭素を放出しまくる地球にとって癌のような存在がいなくなるわけだ。ふっ、なんと素晴らしいことか。はははははは!
「──はーっはははは!!」
「……何してんの?」
「ふぁっ!?」
思わず後ろを振り向くと、そこには俺の母が立っていた。
音もなく忍び寄り、音もなく扉を開ける。なんという芸当。もし俺が勤勉な存在だったら、忍者として指導を受け、誰よりも優れる存在として活躍できていたかもしれない。
相変わらずゴミを見るような目で俺を見てくる母だったが、今日は一段とドン引きしていた。
「……一体何してたの?あんたは」
「何も」
「いや今間違いなく高笑いを──」
「何も」
執拗に俺を疑ってくる面倒な存在に、俺は真実を述べる。
「はぁ……とにかく、早く着替えなさいよ、あんた」
「はい?」
俺は間抜けな声をあげる。何を言ってるんだこいつは……何故着替える必要が……?まさか、俺にコスプレをさせ、お金を稼ぐつもりなのか?
「バカな考えはやめろ。俺は自らに押し付けられている人権という権利の元、その命令を無視する」
「バカなのはあんたでしょうが!!ほら、さっさと布団から出なさい!!」
まるで巨人のように部屋を震撼させながら俺の方へ向かってくる母。俺の布団を奪い去ろうと、我が聖域に不法侵入してきてしまう。
「や、やめろー!!俺のサンクチュアリに入ってくるな!俺は布団と一生を添い遂げると誓ったんだ!!」
「何馬鹿なこと言ってんの。ほら、起きなさい!!」
「俺が言ったことを忘れたのか!?俺が口の筋肉を動かすというクソめんどくさいクソ過程をクソのように実行するときは、布団、もしくは椅子に座っている時、そして権力者との対話、最後に圧倒的理不尽なクソ面倒臭い状況に陥った時のみだ、と!」
「いやそんなことでドヤ顔しないで欲しいんだけど」
ドヤ顔?そんなものするわけないだろ。表情筋を動かすのってマジでめんどうなんだから。
「よくも俺に大声を出させたな……めんどくさいのに……」
「……いや勝手に出して勝手に恨まれても……はぁ、なんでこんなになっちゃったのかね。ちょっと前までは普通の子だったのに……受験が終わったあたりから突然人が変わっちゃって……」
俺を道端に捨てられているガムを見る目で見てくる母。
そんな過去もあったな、と俺は自らの黒歴史に対する羞恥で悶える。思えば今まで何故怠惰に目覚めなかったのか不思議なくらいだ。
受験後燃え尽き症候群のように何に対してもやる気がなかった俺は、何も行動せずにできる事、つまり考えることのみをし続け、自らを見直し、行動原理やその思考回路まで考えた結果、どのようなものにも、面倒臭い、という感情が混じっていることに気がついた。
そこからさまざまな事を考えていくうち、怠惰であることの魅力にどんどんと気がついていったのだ。俺は今まで人生を損していた。怠惰の魅力に気が付かなかった俺の過去など、黒歴史同然だ。
「……受験が終わった後だから学校に行かなくてもいいとは思ってたけど、まさか一回も行かないなんてね……友達も寂しがってたわよ?」
うっ……い、いや、別に?どうだっていいし?確かに遊ぶのは楽しかったけど、結局面倒臭かったし?人間との関わり合いなんて、面倒なことばっかりだし?
「……とにかく!!今日は高校1日目でしょ!!さっさと準備しなさい!」
……そうだったのか……でも……
「……嫌だ。めんどくさい。だるい。行きたくない」
「……はぁ、全く、早く起き上がって支度しなさい。学校に行かないで困るのはあんたなんだよ」
「困る?学校に行かなくたって困らないかもしれないじゃないか。未来は誰にも分からない。今、ここで学校へ通うことが必ずしも正解とは限らないだろ?……ふっ、そもそも俺の夢は誰かに養ってもらうこと。学歴なんて必要ないし、どこかで働くつもりも一切ない」
このまま自宅警備員を続けるのも悪くないが、俺を産んだというだけで毎月3000円が消失していく親の気持ちを考えると、やはり、それでもいいと向こう側から望んでくれる存在に養われる方がいいだろう。俺の将来の夢はヒモ。働く、と、まける、というのはやっぱり同義語だと思う。
「……相変わらずだね。あんたは。……けど、学歴が良くないと誰も養ってくれないかもじゃないか」
「でも、養ってくれるかもしれない」
「……それでも学歴が良い方が人と関わる機会も増えるし、必然的に夢が叶う確率は上がるだろ?より大きな怠惰のために、面倒臭くても今は頑張って──」
母は俺をどうしても説得したいのか、普段なら絶対に言わないようなことまで言ってくる。
「──まあ、確かに」
俺の言葉に思わずと言った様子で顔を上げる母。
「とでもいうと思ったか!?ははは!俺は騙されないぞ!そうやって適当な方便を並べ、俺を真っ当な人間へと戻そうとしてるんだろう?お生憎様!俺は既に真っ当かつ模範的な極一般的な普通の人間──いたっ!?」
「うるさい」
突然、頭に衝撃が走ったかと思うと、俺の景色が反転し始める。
最後に映った景色は、俺の妹が、俺を痴漢をした犯人を目を眺めるような目で俺を見下している姿だった。
◆
目を覚ますと、目の前に広がる景色は見慣れた天井ではなく、たまにしか見ない車の天井だった。頭が痛い。
手には手錠、口にはガムテープが貼っており、俺が脱出しないためか、さらに俺と座席を縄でぐるぐる巻きにしてあった。
「んん!んんんんんんんんん!!」
オイ!これははんざいだぞ!!
と、俺は訴える。しかしガムテープのせいで絶対に聞こえていない。
挙句運転席にいる母はイヤホンをつけており、俺がんんんんんーと謎の音を出していることすら気がついていないようだった。
一体どういう状況なのか、椅子に座っているからか面倒くさくとも頭が回り始める。
まず、最後の記憶は音もなく俺の部屋に近づき、音もなく俺の近くまで来てきた忍者第二号である妹らしき破壊兵器が、俺を見下していた光景。
そこから予測できるのは、俺の頭を奴がサッカーボールを蹴る感覚で吹き飛ばしたせいで気絶した、という結論。今もなお頭が痛いし。
我が妹ながら、どうしてあんなにも怪物的な身体能力を有しているのか不思議でならない。恐らく日本政府に兵器として採用されても俺は驚かないだろう。多分、あいつの蹴りなら文字通り世界をとれる。あの蹴りで国を吹き飛ばし、国を支配するのだ。
俺に簡単に脳震盪を起こさせた妹に戦慄しながら、俺は手錠をなんとか外せないかと下を向く。
すると、気づいた。俺の服が制服に変化している、ということに。
「んんんんん!!」
へんたいめ!!俺は叫ぶ。
まさか、俺の服を脱がせ、着替えさせたのか……?どっちがやったのかは知らないが、あまりにも変態的すぎる。
どういう風に脱がされたかなんて考えたくもなかったので、俺がこの車がどこへ向かっているのかを予想しようとしたその時、突如として車が停止した。窓からは、高度育成高等学校と刻まれた門が見える。……なんか、聞いたことあるぞ。
俺がそんな事を考える中、ついに車のドアが開けられ、母が俺の手錠と縄とガムテープを外してくる。
「これは犯罪だ!!然るべきところへ訴えてやる!!」
ガムテープが外されたその刹那、俺は叫んだ。そして一瞬で車から脱出するため走り出そうとする。
しかし、抵抗虚しく俺は囚われ、母に引きずられる形で車から解放された。
周囲を見渡すと、何が面白いのか、俺を眺めている奴らがいた。……あっ、おい今そこのやつ笑ったろ!覚えとけよ!
もはや椅子に座ってなどいないので、声には出さなかったが、俺は心の中でそう誓った。
俺が誓いの儀式を進める中、母は俺を引きずり回し、ついに、門の中へ荷物と一緒に俺を放り投げた。
直ぐに追いかけようと走り出す俺だったが、何者かに足を引っ掛けられ転倒。あやうく地球とファーストキスをしそうになった俺は、いてー、と思いながらも前を見ると、既に俺が乗せられてきたであろう車は発進しており、やっと俺は自らの状況を理解した。
つ、つまり……俺は……捨てられた……ってわけか……?
ああ、これこそが……圧倒的理不尽なクソ面倒臭い状況に陥った時、なのか……
途端、怒りが溢れてくる。……そういえば俺は足を引っ掛けられたよな?‥‥ふざけやがって、そいつのせいで俺は……
俺は俺に足を引っ掛けたであろう存在へと、布団の中でもないし、椅子に座ってもいないのに、口を開く。
「おいてめえふざけんなよ?何てめえ足引っ掛けてくれてんだオイ。ぶっ殺すぞ──」
「──ここの、警備員のものだが」
「……ぶ……ブッ・コロスゾ……!そこの足引っ掛けて転んじゃってる蟻!それがお前の名前だ!」
俺はとりあえず地面を見た。