クルクルと手の中で新調した短剣を回す。……軽いな。
「危ないな……するっと飛んで俺達に刺さったらどうするんだよ。ここ圏外だぞ」
「そんな新兵みたいな真似するかよ」
「ベテランでもやらかしそうなミスだよな」
「だったら俺はベテラン以上だ。超熟練とでも呼べ」
「超熟練短剣使いさん、槍よりも強いからそっち使ってください。楽です」
「嫌です私は槍を使いたいのですヘタレ真っ黒ビーターさん。……やっぱその超熟練とか言わなくていいわ、不気味」
「だったら弄る度にビーター言うの止めろ」
「いい加減スイッチしてくれないかしら? 刺すわよ?」
「「すいませんっしたー!」」
……戦闘中は真面目にやるか。
三日間洞窟に泊まり込みでエクストラスキル《体術》を習得した俺達は、久しぶりに日の光を浴びながら走って来た道をゆっくりと歩いて帰っていた。険しい道だと改めて思いながら山を下るが、当然敵とエンカウントはする。これで三回目だ。
一層の青イノシシとは比べ物にならない程大きくパワフルなイノシシ。言うまでも無く堅い。
「アスナ、スイッチ行くぞ!」
「OK!」
流石に慣れきったようで、キリトとアスナの連携は滑らかだ。どっちがどう動くのか、最初から分かりきっているように淀みがない。
俺はというと、今は槍ではなく短剣で戦っている。
開放された第三のスキルスロットには《短剣》をセットしたので、こうして偶に短剣で戦う。スキル上げの為だが、気分転換も兼ねている。あまり長い時間触り過ぎると昔を思いだすので、本当に暇で余裕があるか武器がこれしかない時以外は避けるようにした。
「………」
デジタルな唾液を垂らしながら向かってくるオオカミをぼやっと眺めながら、手の中の短剣で遊ぶ。長年使い続けたモノとは少しも感覚が似ていないし、そもそもこれは実態するナイフじゃない。それでもナイフであることには変わらない、だから疼く。
物足りない、と。
飛びかかろうと大きくジャンプして襲ってきたオオカミの顎を蹴りあげ、だらしなく垂らした下を自分の歯で噛み千切りHPが少し減少したのを面白く感じながら、ゆったりと短剣を持った右手を持ちあげる。
背中に当たる部分を深く切り裂き、尻尾を掴んで地面に叩きつけ、頭に踵落とし。生身の人間なら、子供でも大人の額を割ることができそうなものだが、生憎とここはデジタルな世界でコレは人間じゃない。切断による部位欠損状態はあるが、粉砕による部位欠損は無さそうだ。
レベル補正や短剣の威力もあり、これだけの攻撃でオオカミはHPを全て失った。
ああ、
「アイン?」
物足りない。
「アイン君?」
仮想の肉は手応えがなくて、つまらない。
「アイン!」
「うお!」
「どうしたんだよ……ぼーっとして。珍しいな」
「誰かさんと違ってね」
「うるさい。それで、本当にどうかしたのか?」
「………いや、何でもない。腹が減ったなーって」
「なんだそんなことかよ……」
「戦ってる時に棒立ちなんて、危ないわ。気をつけて」
「おう。まさかアスナに忠告される時が来るとはなぁ……」
「何それ、馬鹿にしてる?」
「まさか。成長を喜んでるのさ」
「……ケーキ驕りなさい」
「うへぇ」
……こえー。でもこれで済んで良かった。
冗談抜きで、二人を斬っていたかもしれない。誰かと居る時は短剣を使うのはよそう。スキル上げは夜中に一人でやるか。
*********
転移門開通から三日が経った今でも、二層主街区《ウルバス》では祭りが続いている。まだ拙い料理スキル熟練度のプレイヤーが露店を出していたり、NPC売り子が声を上げながらグルグルとプログラム通りに街中を歩いていたり、武器を持たないプレイヤーが笑顔で転移門周辺をうろついたりと、とにかく人が溢れかえっている。まるで縁日みたいだ。
祭りは嫌いじゃない。どことなく盛り上がっている雰囲気は好きだし、出店も花火もよく詩乃と二人で駆けまわったもんだ。
ただ、人込みはいつになっても好きになれそうにない。どこに誰がいて、誰が自分を見ているのか分からなくなるのは、俺にとって恐怖だ。
そして、キリトにとってもあの溢れかえるような人混みは避けたいところだろう。
「流石に知られているかな……」
「だから気にするなよ、あの中に一層ボス攻略メンバーがいればしょうがないが、大多数のプレイヤーは物見遊山さ」
「むむ……」
「はぁ、行きましょ。お風呂にも入りたいし、固い岩盤はもうこりごりよ。置いて行くわよ」
「わ、分かったよ……」
疲れ切ったアスナが波に揉まれて消えて行きそうになるのを見て、流石にキリトも腹を括って飛びこんだ。溜め息をつきながら俺も追う。
「お風呂とベッドがある宿屋分かる?」
「俺が知ってるところは格安の所だけだからない、キリトは?」
「うーん、転移門正面にあるところぐらいだ。結構値は張るけど」
「じゃあそこね」
「え!? で、でも高いぞ! 凄く! 現実で言えば高級ホテルのスイートルームぐらいに!」
「普通じゃない、それ」
「はぁ!?」
「どんまい」
適当に知らないとかはぐらかしてしまえば、すぐ近くの宿に入れたのにな。わざわざ自分から人の多いところを選ぶとは……。スイートルームを普通とか言うアスナもどこか凄いな。リアルは結構社会ステータス高いのかもしれない。
人混みをかき分けながら先へ進む。諦めたキリトがぐいぐいと前へ行き、アスナと俺を宿まで誘導してくれた。その間、誰かがビーターだのと騒ぐことは無く、キリトの心配は杞憂で終わり、本人はわりと本気でほっとしていたのを見て笑ったわ。
「二部屋でいいよな?」
「一部屋ベッドは幾つあるんだ?」
「一つ。でもデッカイソファがあるから大丈夫だろ」
「おう」
ということで、転移門通りに面した三階の二部屋を借りた。その内一部屋は角になっていて、大通りの二方向がよく見える。
「わあ……凄い人ね。これ何人いるのかしら」
「千人ぐらいじゃないか? いや、もうちょっと多いかも」
わりと広い通路だが、今に限っては人と露店でごった返している。窓の外を見て、下を向けば人、人、人。プレイヤーとNPCが混ざり合ってとにかく凄い。髪の色と装備でカラフルだ。
「こんなに人が集まったの始めてかも」
「俺も……なんか、テレビで見るのと全然違うな」
「ええ」
確かに、ディスプレイ越しにドームで野球観戦に集まった人達を見るのと、自分がその場で観戦するのは意味が違う。近くの人も、遠くの人も、実際にそこで座って応援しているのを肉眼ではっきりと見えるし、顔や表情も分かる。そうさせる雰囲気もあるだろう。肌で感じる、という言葉がピッタリ合うな。
「ふぁ……私、部屋でお昼寝してるから、夕飯食べる時間になったら起こしてね」
「七時でどうだ?」
「アラームセットしておくわ。じゃあ」
あくびをしながらアスナはそう言って部屋を出ていった。同時に隣の部屋に誰かが入る気配を感じる。岩を殴る毎日に疲れていたし、堅い岩盤でごろ寝は流石にきつかったか……。あとでケーキ買ってこよう。
「さて、キリトはどうする?」
「外には出れないしな……アイテムの点検とかやって、昼寝でもする」
「俺は外を見てくる。掘り出し物とかあるかもしれないし」
「勇者だな、お前。気をつけてな」
それは、ビーター呼ばわりされないように、ってことだろう。だから心配し過ぎだって。そう言って結局宿へ来る間も何も起きなかったし、言われたからって何が困るわけでもないんだ。俺は攻略しているんだって、堂々としていればいい。
メニューを開いて装備を外し、下に着ていた黒いカーゴパンツと黒いシャツになり鏡を見る。………正に黒一色。これしかないし、ファッションには疎いからな……まあいいか。
そう言えば、全裸で街中を歩くとどうなるんだろう? 今度クラインで試してみよう。
「なんか、俺よりビーターって感じがするな」
「黒いだけでビーター呼ばわりは勘弁だ」
ははっ、と笑いながらドアノブに手をかける。
その時、窓の向こう側から一ヶ月ぶりの声が聞こえた。
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新調した短剣《クロスダガー》を鞘へ納めて、ふぅと息を吐く。肺に溜まった空気が緊張感と共に抜けていくのを感じながらメニューを眺めた。
「あとどれくらい?」
「多分、二、三体」
「じゃ、このまま連戦だね」
「あれにしましょう」
「……うん。丁度いいかも」
平野の向こうにはのそのそと歩いている赤いイノシシが三体群れている。《はじまりの街》周辺で戦った青いイノシシの上位互換だ。上位と言ってもステータスに大差はなく、ちょっと攻撃力が高いだけ。つまり楽勝。
駆けだしたフィリアの右後ろについて、投擲用の短剣を群れの一番右側のイノシシに命中させる。一体だけこちらに気付いて鼻息を荒くしながら突っ込んできた。それを見て私は進路を右へ逸らす。フィリアはそのまま真っすぐ進んで二体へ切りこんでいった。
レベルが高く余裕のあるフィリアが複数を受け持ち、私が一対一で戦える状況を作る。ここ数日での経験から得た安全確実な戦い方だった。
短剣の間合いに入るまであと数十歩――時間にして僅か数秒前で構え、ソードスキルを立ち上げる。ダガーを握った右手を引き絞り、左手を広げて前に突きだし、ビリヤードのキューを構えるような形を作った。
「はあっ!」
短剣単発突進技《ラピッド・ネイル》。高速で踏み込み、目視不可能に近い速度で繰り出す突き技だ。威力は低いものの、発動から攻撃までの間隔が短く出が速い上に衝撃波的な何かで射程延長の効果もある。スピードにより火力補正が入って結果的にはスタンさせる程度のダメージを見込めるため、とても扱いやすい。
他のソードスキルなら一発で半分は削れるHPバーも、この技では三割が限界。その代わり、一瞬でゼロ距離に入りこめて攻勢に移れるのが強みだ。
この三日間で散々繰り返した動作、ソードスキル起動を起こして残った七割のゲージを飛ばす。
「シノンも大分強くなってきたね」
ふぅ、と一息つくとフィリアは既に一体を倒し終えていて、残った一体もHPがレッドへと入っている。私と雑談をするぐらいの余裕があるのが羨ましいな。
「フィリアほどじゃないけど」
「たった数日で追いつかれちゃったら困るかな」
虫を追い払うような気軽さで振った短剣は優にイノシシを倒していた。
同時に私の経験値が満たされてレベルアップした。これで6レベル。
「おめでとう」
「ありがとう。これからどうするの? どこかに行きたそうだけど」
「そうそう。上に上がってみない?」
「上?」
「二層のこと。実はシノンがログインしたその日に、二層へ開通したんだよ。それぐらいのレベルなら即死亡なんてことにはならないし、戦い方も上手くなってるからフィールド回っても問題ないでしょ」
……そう言えば、ゲーム開始から私がログインする一ヶ月間、全く攻略は進んでおらず一層で足踏みしていたらしい。百層あるのにそれで大丈夫なのかと思う。だが、この状況は私にとっては好都合と言えた。
攻略が進むという事は、それだけレベルが高く差が開く事でもある。街から出らずに待ち続ける人もいるのならひたすら攻略を進めるだけのプレイヤーがいたっておかしくない。もしユウがその攻略層にいるのなら、時間が経てば経つほど追いつくことも探す事も難しくなっていく。
今ならレベルの差もそこまでないし、前線もはっきりしている。
「行きましょう」
二つ返事で私は呑み込んだ。
「それじゃ、さっそく《はじまりの街》まで戻ろっか」
「え? このまま先に進んで迷宮区を抜けるんじゃないの?」
「それでもいいけど、《はじまりの街》の方が近いから。各層の主街区には《転移門》っていう層を繋ぐテレポーターがあるの。こっちの方が楽で安全だから、こっちから行かない?」
「フィリアがそう言うならいいわ。安全に越したことはないし」
「なら早速」
「ええ」
それだけ言うと、フィリアは街道を無視して最短距離を歩き始めた。その右に並んで私も歩く。
このペースなら休憩をどこかに挟んでも正午を過ぎた午後三時には街につきそう。一通り街を回ってレベリングができるぐらいの時間はありそうだ。運が良ければ今日にでも会える可能性がある。
思っていたよりも速く再会を果たせそうだ。
気が速いと分かっていても、高なる胸を抑えることはできなかった。
意識していなかったけど、この時の私はスキップをしていたとフィリアが言っていた。
*********
「ねえ、ここって」
「そう。ログインした時の広場だよ。《黒鉄宮》って言うの」
数日ぶりに戻ってきたこの街は全く変わっていなかった。敢えて言うなら、なんとなく人が少ない気がする。どこを見てもNPCばかりで、プレイヤーは全く見えない。
「プレイヤーが居ないわね……」
「祭りがあってるから。きっと外に出ようとしない人も行ってるんじゃない?」
「祭り? そういうクエスト?」
「二層開放のお祭り。一ヶ月掛かりはしたけど、ようやく一層を突破できたわけだからみんなで祝ってるの。クエストは全く関係ないよ」
「………」
最後に行ったお祭りはいつだろう?
今年の夏だっけ? 近所にある神社の縁日か市が開いた夏祭りのどっちかだと思う。何故か大金を持っているユウは端から端まで、全ての屋台をハシゴしていたっけ。食べ物系は私と半分こして、射的や輪投げは一緒にやった。
特に射的は毎年必ず何度もやった。驚くことに、射的と言いながら実際に使うのは銃ではなく弓で、おじさんに会う度に「射的って呼べるの?」といつも言っていたわ。
後でこっそり聞いたけど、射的屋のおじさんはユウと知り合いの銃火器マニアで、夏が来ると射的屋を趣味で出すらしい。ただ、それじゃ私が楽しめないからと無理を言って銃をやめて弓に変えてもらったそうだ。
『嬢ちゃん、ちょっといいかい?』
『?』
『今から話す事、タカにゃオフレコで頼むぜ。バレたら俺がバラバラにされた揚句ハチの巣になっちまう』
『それ、私に関係あること?』
『大アリだ。是非とも嬢ちゃんには知っていてほしい』
『……何?』
『俺がタカの昔の知り合いだってことは知ってるだろ? そんで、日本で再会した時にな、言われたのさ。弓で射的屋をやってくれ、景品にも屋台の中にも銃を一切持ち込まないで。ってな』
『昔は銃で射的屋をしてたのね』
『俺はマニアでな、モデルガンとか集めたりサバゲーやるのが趣味なんだ。大きい声じゃ言えないが、幾つか実銃も持ってる。射的屋始めたのも、超絶綺麗に出来たモデルガンが使われるところを見たかったからだし、他のマニア友達を増やしたかったからさ』
『………私のため』
『おう。俺は感動したよ。昔の奴とはまるで別人だ。普段からニコニコ笑ってよ、ジョークまで言いやがる。年頃のガキ共と何にも変わらねえ。相変わらずの野菜嫌いみたいだけどな、押し込んででも食わせてやれ』
『結構昔からなのね……最近は巧妙に野菜少なめのメニューにしようと買い物で小細工してくるわ』
『嫌々だが、口に押し込めばちゃんと食うぜ、アイツ。んで、まあそんな幸せな毎日を送っているダチの頼みを断れずに、弓で射的をやってるのさ。嬢ちゃんが安心して射的で遊べるようにってな。詳しい話は聞いてねえが、銃が苦手なんだって? まあそんな人もいるわな。苦手な人にも楽しんでもらえるなら、俺は別にかまいやしないよ』
『えっと……ごめんなさ――いえ、ありがとうございます』
『おう。タカを頼むぜ、うっとうしいかもしれねえけどな』
……しばらく会えそうにないわね。元気にしているかしら、おじさん。
「祭りは好き?」
「ええ、とても」
「私も! 折角だから回ってみない?」
「いいわね。コルは溜まってるんだし、美味しい物食べたいわ」
装備や回復アイテムの為にと思って節約しているけれど、中々良いものに巡り合えず溜まっていくばかり。街を移ったり、層を上がるたびに装備を変えることはないだろうし、今の所使い道があまりないからこの数日間でも結構溜まった。ゼロの数が多すぎて、ここらでちょっと贅沢をしてみたくもなる。
太ることも無いし、お腹いっぱい食べよう。ユウを探すのはそのあとでも遅くはない。早く会いたいのは変わらないけれど、元々長い時間をかけてやるつもりだったし、焦るのは良くない。まずはSAOに慣れてから。
「それで、どうやって二層に行くの?」
「中央にある大きな石碑があるでしょ? あれが転移門、あの前で転移する街の名前を言うとその層に行けるの」
「テレポーターって感じじゃないわ」
「まぁファンタジー系のゲームだからね。私達プレイヤー側が使えないだけで、何かしらの魔法的なものがあるんじゃないかな」
「……ま、いいわ。行きましょう」
「うん」
人気の薄れた街の中心へと歩き、石碑の前に立つ。フィリアがくるりと回れ右をしたので私も習った。
そこで気付いた。
「二層の街の名前なんて知らないわ」
「私の知り合いに情報屋をやってる人がいるんだけど、彼女に教えてもらったから大丈夫。《ウルバス》っていう名前」
「ウルバス……ね」
「私がせーのって合図出すから、一緒に大きな声で「転移、ウルバス!」って言ってね。そうしないと転移しないから」
「分かったわ」
「じゃ、いくよ。せーの!」
「「転移、ウルバス!」」
言われた通りに声を出すと、急に転移門の内側が光りはじめ、青い球体になって私達を包む。眩しいってほどじゃない。そして不思議なことに周りの景色が見えなくなって、球体に閉じ込められる。
数秒もすれば、光りも失せていき、全く見たことのない風景が目の前に広がっていた。
「これが……」
「二層の主街区みたいだね。それにしても人が多い……」
「酔いそう……」
目を閉じて開いたら全く違う場所に居た、そんな感じがするけど、新鮮な景色よりもまず目についたのはうざったくなるほどの人の波。転位門を避けるようにたくさん人があっちこっちを行き来していて、ここから見える街の大通りは全て人で埋め尽くされていた。
通りには出店の様な屋台だったり、カーペットが広げられている。看板や籠を持って歩きまわる売り子もちらほらと見えた。
なるほど、祭りね。規模は私が見たことのある中でも一番だけど。
「ど、何処に行く?」
「とりあえず転移門から出よう。他の人が使えないと困るから」
それはつまり、人の波へダイブすること。……仕方ないか。
フィリアとはぐれないようにピッタリとくっつきながら転移門から出る。一気に気温が上がった気がするぐらいの熱気が押し寄せてきて、同時に歩くたびに誰かとぶつかってしまう。そのたびにお互い頭を下げながらようやく一番近くにあったテントへたどり着く。
「いらっしゃい! 何にします?」
人波から逃れようとし過ぎて逆に店のNPCが反応してしまった。別に無視してもいいのだけど、それだと何のために祭りに来たのか分からなくなる。何の店なのかも分からないけど、とりあえず覗くだけ。
「何の店?」
「ウルバス名物、イノシシの唐揚げさ!」
「い、イノシシ肉? フィリア、食べたことある?」
「あるよ。美味しいのと不味いのがはっきり分かれるんだって。私が食べたことあるのは不味い方で、臭いし硬かったなぁ」
「そいつはオスだな。ウチのはメスだから安心して食べてくれ!」
「雄雌で味が変わるの?」
「おう。季節も関係してくるんだけどな、大体上手いイノシシ肉はメスが殆どなんだよ。特にこの時期は上手いぜー!」
聞いたことがあるだけで、私は食べたことはないのだけど……どうなの? ユウはフィリアと同じこと言ってたっけ。
こんなゲームの中でイノシシ肉って言ってもね……。
「一つ頂戴。シノンは食べる?」
「頂くわ」
「毎度ありぃ!」
どうしようか迷っているとフィリアが買うと言ったので、流されて買ってしまった。……まあいいわよね、祭りだし。不味くても仕方ないわ。美味しいことを祈りましょう。
店主から受け取って、店から離れる。他の店のNPCが反応しない程度に端によって、買ったばかりの唐揚げが入った袋の封を切る。
「あら、イイ匂い」
「これは期待できそうかな?」
「そうね」
何とも香ばしいイイ匂いが広がる。見た目も綺麗なきつね色で焦げ目もないし、軽く握っただけで汁が滲み出てきた。これは美味しそうだ。普通の鳥肉を使っても中々こうはいかない。
「「頂きます」」
合唱は省略して、フィリアとせーのでぱくりと食べる。
………柔らかい。甘みもあって溶けるような感じがする。もっと食べたくなるような……そんな感じ。
「美味しい! 昔食べたのとは大違い!」
「ご飯が欲しくなるわ……」
「確かに!」
「ここにきてから、ずっと怪しい料理と黒パンばっかりだったから、まともな食べ物は割と久しぶりだわ……感激」
「大事だよね、ご飯」
「……決めた、私料理スキルとる」
「じゃあ余裕ができたら《採集》スキル取ろうかな? シノンに美味しく料理してもらおう」
「いいわね、それ」
たったの数日だけしか経ってないのに、毎日料理していたのが懐かしく思える。……実際に料理したのはユウがSAOにログインする当日の朝食までだったんだけど、それでも長年続けてきたものなのに懐かしさを感じる。
手軽に手に入る食べ物は怪しいし、安いレストランは味覚破壊を狙っているとしか思えないクオリティだし、自分でスキルを上げて作る方が安心できるし、美味しく作れそう。《投擲》の次は《料理》で決まりね。
最後の一口をじっくりと味わって呑み込む。フィリアはペロペロと指についていた肉汁を舐めていた。……可愛い。
「混んではいるけど、美味しい食べ物あるし、やっぱり祭りね」
「次はどこに行く? 向こうに見えるクレープがものすごく気になるんだけど……」
「……あれ? 他にも女性並んでるし、美味しそうね」
「行こう、シノン!」
目を輝かせながら私の手を握るフィリアは、見たことがないくらいのはしゃぎようだった。茶目っ気があるのはなんとなく分かってたけど、こんなふうにはしゃぐことってあるのね……。
ゆっくりとくつろいでいても食事中でも、どこか気を抜かないところがあるフィリアがこう全力で楽しんでいるのは新鮮だった。
ただ、ここへきてソレが災いした。
「うおっ!」
「きゃ……」
後ろを向いていたフィリアと、傍を通ろうとした男性がぶつかった。
「痛えなぁ……おい!」
「あ、す、すいません……」
相手は割といかつい顔をしていて、いかにも悪そうな人相の男性プレイヤーだった。他にも二人ほど同じような雰囲気の仲間がいて、同様に怒っている。
「聞こえねえなぁオイ! 謝り方も知らねえのかぁ?」
「え、えっと、その………」
いきなりの事で驚いたフィリアはオロオロと動揺するばかりで、逆に男性プレイヤーは調子に乗ったようで笑いながら更に追いつめてくる。フィリアの中にあるスイッチがオフになっているのかもしれない、でなきゃこんな彼女はありえない。
見てられない。
「もういいじゃないですか。最初に謝っていますし、怯えさせるだけよ。代わりに私も謝るから」
「そーいう問題じゃねえだろガキが。いいから黙ってな、そっちの奴と話してんだよ」
ヘラヘラ笑って……。
「とんだ下衆野郎ね。行きましょう、関わるとこっちが馬鹿になるわ」
「………あ?」
「あら? 私は友人と話しているの。いいから黙ってて貰える?」
「テメェ………こんのクソガキ共が!」
「クソガキで結構よ。脅すだけでだらしなく笑うようなクズよりは何倍もマシだわ」
「ああ!?」
「聞こえなかった? アンタみたいな男と一緒にされるくらいなら死んだ方がマシだって言ってるのよ!」
「こっ……この………!」
大きな声で逆に挑発すると、男は逆上して剣を抜いて振りあげようと手を柄にかける。仲間もパーティメンバーを侮辱されて同様に怒っており、武器を抜いた。だが、攻撃までは仕掛けてこない。
それもそうだ。傍から見れば私達はまだ子供でしかも女、対してこいつらはどう見ても二十代前後といった分別のつく社会人。加えて怯えるフィリアに喜びを表情に浮かべた男、どちらが悪者なのかは歴然だ。もしここで攻撃してきても私達にダメージは無いし、完全な正当性を得られる。逆に、こいつらは無抵抗な子供に怒って武器で攻撃した不良だとレッテルを張られる。
どちらに転ぼうと、既に武器を抜いた以上悪いのは向こうだ。
「この……舐めた真似しやがって! ぶっ殺してやる!」
そう男は叫ぶと右手に握った片手剣を力いっぱい握って振り下ろしてきた。
「シノン!」
「大丈夫、このまま任せて。慣れてるから」
何かを言いたげなフィリアを後ろに庇って短剣を抜く。後は適当にいなしてか弱い女子を演じつつ追い払えばいい。
短剣を横にして受ける体勢をとる。
が、男の右腕は振り下ろされることなくぴたりと動きを止めた。いや、逆光で見えにくいが、誰かが後ろから右腕を掴んでいるように見える。
「テメェ、俺の女に何しやがる?」
それは一ヶ月ぶりの愛しい声だった。