アインクラッド第33層
人にとっての娯楽とは一体何だろうか? 千差万別であるだろうが、ある程度は絞れるのでは?
このSAO………ゲームは娯楽の為に生まれたようなものだし、もっともっと辿れば、娯楽とは上流階級の人間が嗜むためのちょっとしたお遊戯だったとも聞く。今では絶滅危惧種とも言える俳句や和歌だって、平安時代の貴族達からすれば大流行した雅な趣味だったに違いない。当時は結婚を申し込む際も和歌で気持ちを伝えたそうだ。
別に遊びだけでもないだろう。人によっては料理や裁縫だって娯楽だし、食べることや寝ること、性行為といった三代欲求を満たす行為もまた極端な話娯楽だ。
ならば……入浴だって娯楽と言っても差支えはないだろう?
「………何だ、ここは?」
「そこかしこから湯気が上がってる」
「火傷するぐらい熱かったりするのかな……」
「……いや、丁度いい。丁度いい熱さだ。これは、温泉だ! 見わたす限り温泉が湧いてるぞ!!」
ボス攻略を無事に終え、ギルド《エンブリオン》は一人の死亡者を出すことなく次の階層に脚を踏み入れると、待っていたのは無数の温泉だった。
*********
一先ずいつも通りアクティベートを済ませ、宿を借りて集まる。ベッドやソファ等を使って円になり、くつろぎながら話をしていた。
「しっかし、次は温泉エリアか。入れるのかな、あれ」
「んー、湿地帯の沼とか川と同じ扱いだと思う。特にステータス補正が入るなんてのはないんじゃ―――」
「どれもこれも、人が肩まで浸かれるぐらいの大きさだったから、入る分には問題ないわよね?」
「それは大丈夫だろうけど……でもどこに行くの。街中には無いし、フィールドだと圏外だからゆっくりはできなさそう」
「そっか……はぁ、入りたい」
以前、お風呂と聞いて目の色を変えたアスナを始め、女子メンバーは温泉には並ならぬ情熱を持っているようだ。俺も嫌いじゃないが、現実みたいに肩コリが取れるわけでもないし、ゲーム的な美味しい要素もなさそうなんだよな。普通の宿にある風呂で十分だ。
「迷宮区探しのついでに、入れそうなところ探す。それでいいだろ? 敵がいないわけじゃないんだから、ちゃんとレベル上げないと攻略ペース落ちるぞ」
「それは分かるけど………うーん、やっぱり入りたい!」
「地面掘ったら湧かないかな?」
「それは無い」
フィリアの時々でるアホな発想には頭が痛い。SAOじゃ地面掘れないからな。
「多数決! 多数決とろうよ! 私は温泉入りたい! 絶対!」
全くブレないアスナさんは何としてでも温泉に入りたいようです。
「ブレないな、アスナ」
「じゃあ聞くけど、アイン君は入りたくないの? 温泉だよ?」
「極端なこと言うと、身体洗えるなら冷水でもいい」
「そんなんじゃダメだよ!!」
「うお!?」
あくび交じりに答えを返すと、鬼気迫る表情でアスナが両肩を掴んで顔を近づけてきた。始めて見る必死の表情で聞きとりづらい呪文の様なトークが勝手に始まる。
「温泉っていうのはね、ただ疲れをとるだけのものじゃないの。心の洗濯って言葉もあるくらいなんだから――――」
………長い。
「キリト達はどうする?」
「入るとなると、安全且つゆっくり入れてこの人数が収まるところを探さないといけないんだろ?」
「まぁ、そうなる」
「あるのか? てか、行きたいなら女子だけで行けば良いんじゃね? アインは興味なさそうだし、俺も正直気にならない」
「フィリアは行きたいか?」
「勿論!」
「シノン」
「行くわよ、ユウ」
「あ、俺も行くのね」
何故か数に入れられていた俺は連行され、結果一人で留守番するのも寂しいからとキリトも行くことに。
今日は攻略を休んで、温泉に入れる場所を探しにギルド総出で探索に出ることになったのだ。
*********
エリアに因んだクエストはどこの層だって幾つかはある。なら温泉絡みのクエストがあったっておかしくない! いやある!
とはアスナさんの言葉である。美容もクソもないこの世界ではせめて人間らしい事をやりたいととなんとか言ってはいたが、狂ったように温泉探しをするアスナからはとてもそんな雰囲気を感じない。どう見ても温泉ハンターだ。
………なんだよ、温泉ハンターって。
まぁ、血眼になって情報を集めながら探索しているよ。
「キリトよー」
「んー?」
「お前温泉って入った事あるか?」
「学校の修学旅行先のホテルで入った風呂を温泉と呼ぶなら」
「俺さ、家の風呂とシノンの家の風呂しか知らないんだ」
「うん、さり気ない惚気は聞かないでおいてやる。にしても温泉かぁ」
「興味ある?」
「そこそこ。何時間も練り歩いて探すほどじゃない」
「だよなー」
特番でよく見る露天風呂は川のすぐ真横とか、滝の近くとか、一歩歩けば海とか、そんな所ばかり。確かに凄いとか思うことはあるがそこまでして入るものじゃないだろっていつも心の中でツッコミ入れたり入れなかったりだ。
いや、だからこそなのかもな。こういう機会も無ければ行こうと思わないか。
「なぁ、もうその辺でよくねえか?」
早速飽きてきた。見渡せば湯気ばかりの景色で、選ばなければそこら中に湯が湧いてるってのになんで探すんだろう? あれ、アホクサくね?
「ダメよ。襲われたらどうするの?」
「お前らだけでタオル巻いて入ればいいじゃん。俺とキリトがその辺で背中向けて待機してりゃいいだろ」
「それこそダメよ!!」
「訳が分からん!!」
なんか、うん、なんだかなぁ………。
「そもそも街の外に圏内があるのか? そこに温泉湧いてるかどうかも謎だよな」
「キリト、それ言っちゃダメなやつだよ」
「あ、すまん」
無駄に熱くなる俺とアスナ、呆れとため息が混じるキリトとフィリア。黙々と歩くシノン。
………うーん、俺たち何したいんだろ。
「あ」
「ん?」
「あれ、暖簾に見えない?」
「どれよ……」
疑わしい気持ちで一杯だが、折角の手掛かりを無視するわけにもいかない。シノンが指差した方向へ向けて歩くことにした。
《索敵》スキルの副次効果として、視力向上があるらしい。五感は個人によって差がある為に確実とは言えないが、使用者曰くなんかよく見えるようになったとのこと。
実際に見つけたのはスキル持ちのシノンで、その直後に同じくスキル持ちのキリトも見つけた。もっと言うなら二人以外は見えていない事からも信憑性はあると思う。
次第にぼんやりとそれらしきものが見えてきた。というか、なんで気付かなかったんだろうってぐらいよく見える。
シノンは「暖簾が見える」といった。なら、それと同時に暖簾をかける建物も見えるわけで。結構離れた所から暖簾が見えたってことは、その建物は相当デカイわけで………。
うん、超でけぇ。ビルで言うと十階建てぐらいの高さはある。
暖簾の正体は建物を囲う門で、これだけでも七階建てぐらいか。人間サイズの引き戸が酷くアンバランスだ。実は巨人が住んでいて、連中の家と言われればスッと信じられるぞ、これ。
閉じられた門の前に並んで立ち、奥にある建物の天辺を見上げる。
「なぁ皆、これなんだ?」
「聞かないでよ……目の前に書いてあるじゃない」
引き攣る頬を抑えながら焦点を下にズラして勝手口のような入り口を見る。
でっかく『ゆ』と書かれていた。
あるんだ……温泉。
とにかくアスナがやかましかった。
*********
「た、畳じゃ! 畳じゃないか!!」
「ホント好きね、ユウ」
「でも懐かしいな、畳。そう言えば和風な建物とかここで見たことないな」
「そう言えばそうだね………もしかしたらここって特別な場所なんじゃない?」
「有り得るな、それ」
「わぁ、この床いい香り。これがタタミなんだね」
ゆ、と大きく出ていたので温泉だろうと思っていたが、中に入ると女将さんが迎えてくれたり、狸の置物があったり、日本庭園が広がっていたりと、どう見ても高級旅館でしかなかった。
じゃあ暖簾の字は何なんだよと思って女将さんに聞いてみると、ゆ、という名前の旅館らしい。スタッフの手抜き感を感じたよ。因みに女将さん含め従業員らしき人は全員NPCなので罪はない。
主街区から結構歩いて疲れたし、折角泊まれるのに温泉だけ入って帰るなんて日帰りはお断りだ。ここ最近根詰めていたし、息抜きも兼ねて療養しようという結論に至った。とんだ行き当たりばったりの一泊二日旅行なこった。
でもま、なんだかんだ言って、高級旅館の温泉や料理を一度は体験してみたいという欲望が勝っただけなんだがな。シノンすら目を輝かせているというのに、アスナときたら当たり前のようにくつろぎ始めた。こいつやっぱお嬢様だよ、うん。
「ここって何があるのかなぁ?」
「ゆっくり見て回らない? 私、さっきの庭園歩きたいわ」
「温泉はいいのかー?」
「いいの、後で一年分堪能するから」
「そ、そうか」
ぐふふ、と聞いてはいけない声を聞きながら、俺とキリトは身震いした。いやね、あのアスナさんがね、黒い笑みを浮かべてるのって結構怖いよ?
「失礼いたします」
締め忘れていた障子の向こうからわざわざ声をかけて入ってきたのは、部屋へ案内してくれた人とは別の人だ。女将Bとしよう。
「伝え忘れていた事がございまして」
「はぁ……」
「まず、お夕食の時間ですが……午後の七時にこちらのお部屋までお運び致します。旅館内をお周りになられると思いますが、この時間にお戻りになります様」
現在時刻は午後二時。あと五時間は自由にできるのか。
「旅館内の事になりますが、皆様に開放しておりますのはここ一階から三階、十三階になります」
「じゅ、十三階もあるのかここ」
「一階はご利用される皆様のお部屋と多種多様な当館自慢の湯、売店がございます。混浴も可です。
二階ですが、全面遊戯室となっております。懐かしのモノから最新のものまで、多様なニーズに対応しておりますゆえ、一度は是非足をお運び下さい。
三階は………まぁ、その目でお確かめください」
「絶対メンドクセェって途中で思ったな!?」
「十三階は展望室となっております。ご利用の際は部屋を出られまして右手、真っすぐお進みください。それでは」
ピシャン。
「………」
「………」
「………斬ってきてもいいか?」
「駄目よ。そもそも圏内だから無理」
「ちっ」
女将Bめ、中々良いキャラしてやがるが色々と雑すぎて許せねぇ。
柄を握る手の力を緩めて溜め息をつく。
話の内容をそのまま信じるのなら、一階二階は一般的な温泉や旅館と大差ないと言える。一フロア丸々が遊戯室だとかいう豪華(?)っぷりとその他諸々の突っ込みどころを除けば、だが。旅館に展望室というのは中々聞かないが、この層を見渡せるのはプレイヤーとして好都合だ、後で必ず寄ることにしよう。
だが、明らかにお茶を濁したような三階だけはまるで謎。この旅館の立地や不自然なまでの設計と絢爛ぶり、どこかの本で読んだことがあるような敵の罠にも見えなくはない、気がする。考え過ぎか?
………行かなきゃいいだけの話か。
「《注文の多い料理店》」
「あ?」
「名前、出てこなかったでしょう?」
「あ、ああ。そういうことか」
「それ何処かで聞いたことあるような……」
「学校の教科書じゃないかしら? 興味本位で手に取るような内容の本じゃないもの」
全員分のお茶を用意していたシノンが、自分の分のお茶をすすりながら淡々と答える。確かにそんな感じの名前だった気がする。読んだきっかけも詩乃が読み終わった本のタワーに混ざっていたからだったし。
「道に迷った二人の紳士は、歩いていた森の中にある不自然なレストランに入ったの。でもレストランに入っても料理は全然出てこなくて、それどころか支配人から次々と『料理を美味しくするため』という理由で様々な要求をされるのよ。言われるままに従う紳士二人なんだけど、実はこの支配人、とんでもない化け物で、紳士を自分が美味しく食べるために支度と称して味付けをしていたというわけ。泥を落とせ、身につけた金属を外せ、服を脱げ、塩を体中に揉みこめ、とかね」
「……最後、どうなるんだ?」
「元々二人は狩りへ来ていた。ただ、連れの猟犬は何故か死んでしまって、狩りに来た山の案内人ともはぐれたところから物語は始まる。最後は何故か死んだはずの猟犬が現れて助けてくれたんだけど、二人の紳士は癒えることのない深い傷を負うの」
もっと厳密に言えば解釈の一つなんだろうが……間違いじゃない、か。少なくとも今の俺達にとっては。
「結末は知ってるけど、私達と関係あるのかな?」
「登場人物の紳士二人は、それは愚かに書かれている。猟犬の死を悼むわけでもなければ不安を募らせるわけでもなく、金の話をするんだ。料理店に入って不可思議な注文を受けても都合の良いように解釈して、言われた通りにしていった最後がアレなわけだが……似てないか? なんとなく」
「……歩きつかれて辿りついたやたら豪華な旅館、か。平原のど真ん中にあることもおかしいと言えばおかしいけど、それを言い出したらキリがないぜ」
「でも不自然だよね。作りが良いし、ただの雑なトラップじゃないことは確かだよ。調べる価値、私はあると思うな」
「紳士であり猟犬でもある。そんなところかな。だとしたら、何が目的なのかもどうすればいいのかも分からない現状は相当厳しいんじゃない?」
……やたら話が飛ぶな。状況を整理しよう。
俺達の目的は安全を確保できる場所でパーティ全員で一緒に温泉に入ること、だ。彷徨う様に歩いていたのは条件に合う場所が見つからなかったからで、偶然見つけたこの旅館に滑りこんだ。圏内であることは確認済みだし、少し旅館内を散策すれば温泉なんて直ぐに見つかるはず。当初の目的は十分に果たせる状況にあるんだ。
だが、出来過ぎている。
元々乗り気じゃなかった俺が「その辺で良くね?」と愚痴を漏らした後直ぐにこの旅館が現れた。その事がどうにも引っかかる。
「《どこかにある》と思っていたからいつまでも見つからなくて、《この辺りで良い》と妥協する発言をした。《危険であり》《別々なのが嫌》だから、三つの条件を満たす《圏内エリアの混浴可能な大きな温泉旅館》が近くに現れたとするなら――」
「――この旅館は、私達にとって最も都合の良い空間だということ。思うままに泳がせた後に、何者かが私達を狩りに来る?」
「……考え過ぎじゃない?」
「負ければ死ぬのよ、フィリア。用心し過ぎるに越したことは無いわ。そういうクエストなら、ね」
「勿論考え過ぎなのかもしれない。でもよ、これだけ手が込んだいやらしいクエストがあるのなら……そりゃもうアレしかないだろ? なぁキリト」
「……ったく、最初っからそう言えよな」
お互いの口角がにぃっとつり上がる。何か危ない遊びを思いついた子供の様な笑みだ。周りを置いてけぼりにして、俺達の話はスルスルと進む。
「開放された最上階と、謎の三階。手がかりはこの二つだな」
「一軒ごとの箪笥の中身まで細かく設定されているのに、間の階層がスカスカってのは考えられない。俺が思うに、今開放されているのがこの四階層だけであって、何らかのヒントを元に行動できる階層を増やしていくクエストなんじゃないか?」
「成程な。となると、一階と二階も虱潰しに探索するしかないな」
「こら、二人で話を進めないでちゃんと説明しなさい」
「ん」
アスナのお叱りでようやく気付いた。なんだかんだで、このクエストに挑むのは俺とキリトが二人だけの時だったっけ。ゲーム開始一ヶ月ぐらいからずっとこの五人で動いてきたってのに、珍しいことだ。
「噂ぐらいには聞いたことあるんじゃないか? 《妖精の試練》さ」
さて、久しぶりに腕が鳴る。温泉探しについてきて良かった。
《妖精》再来。決して死に設定等ではない