風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第九話

 

「和麻の野郎! あの無能者が! 絶対に許さねぇ!」

 

久我透は久我の屋敷で周辺の物に当り散らしていた。この男は当主になれたことを喜んでいない。

なぜなら当主の地位は、何もしなくても彼が自動的に手に入れられる物だったからだ。分家の跡取りとして、彼は久我の家でちやほやされて生きてきた。

 

分家には珍しく、彼は当主の一人息子で兄弟がいなかった。

術者の一族は一子相伝や一族内での後継者争いを避けると言った事を除き、基本的には何人もの子供をもうける。一人っ子と言う珍しい。

理由としては彼らの仕事は常に死と隣り合わせ。後継者や血筋を守り、一族を永らえさせるためには、保険の意味もかねて子供は多いほうがいいからだ。

 

分家の当主の子供で一人と言うのは久我の家だけだった。

その分、久我の当主の兄弟の家には子供が多かった。

そんな中、透は炎術師の才能があり、当主の一人息子と言う事でちらほやされて育ち、他の久我の者達から恐れられ、担ぎ上げられたことで有頂天となり、成長してもそれは変わらず、傲慢な人間へと成長した。

 

かつて和麻を炎でリンチしていた際、そのリーダー格で一番年上だったのが彼だ。傲慢で他者を踏みにじる歪んだ性格は、すでに十年以上前から形成されていた。次代を担う若手の分家の者のほとんどは透には逆らえなかった。

理由は幾つかある。次代を担う分家の若手の中で、透が一番体格が良く、炎の扱いも優れていたからだ。

 

同年代で彼よりも上となると、結城慎吾と大神武哉の現代の分家最強コンビぐらいで、彼らの次の三番手の位置にいたのだ。

そしてその性格。彼はやられたら何倍も割り増しで復讐する危険な性格だった。その恐怖もあり、彼は分家の慎吾や武哉を除いた何人もの分家の同年代や年下を取り巻きにしていた。

 

学校のいじめっ子と同じ理論だ。和麻をリンチしていた彼以外の少年少女も、彼が焼かれる様が面白かったのもあったが、その矛先が自分に向かってくるのが怖かったのだ。

自分が傷つくくらいなら他の誰かを差し出す。積極的に和麻を助けようとする者がいなかったのもこれに当たる。

炎に焼かれることは無いが、誰も好き好んでいじめやリンチを受けたいとは思わないだろう。その矛先を、自分に向けられたいとは思わないだろう。

 

ただでさえ透は体格も良く、体術も分家の中では優れていたのだ。大半の子供が彼に付き、その言葉に従っていたのも無理なからぬこと。

ただし、それが許されるかどうかは別の問題であるが。

また神凪一族の血を引いていたために、炎に焼かれると言うこと事態が、幼い子供には理解できなかった。

 

幼い子供が無邪気に虫の手足や羽をむしりとるのと同じだ。純粋であるがゆえにそれを忌避とは思わない。

炎と常にあり続ける神凪一族にとって、炎に焼かれると言うことはありえないことであり、その痛みも苦しみもわからない。

彼らの両親が、大人達が和麻を蔑み、見下していたからこそ、和麻に対してどこまでも残酷な仕打ちを行った。

 

透は思い出す。十年ほど前の出来事を。

あの時、和麻は透に反抗した。最初で最後の抵抗。それは確かに透に一矢報いた。ただしその返礼は、死ぬ一歩手前の炎による反撃だった。

あの時、もし大神の娘が止めに入らなければ和麻は間違いなく死んでいた。透が殺していただろう。

しかし透は思う。あの時殺して置けばよかったと。殺しておけば、今のこの状況は決して生まれなかっただろうと。

 

「あの野郎。俺がお情けで生かしてやったって言うのに、恩を仇で返しやがって」

 

目を血走らせ、透は怒りを振りまく。彼はプライドが人一倍高かった。

久我の当主の息子であり、次期当主であると言う事。炎術師として優れている言う事。

恵まれた体格、そこそこの頭、体術も分家では優秀な部類。炎術師としての力は、神凪一族の分家の中でも上位クラスの実力。

 

これだけ揃えば増長しても致し方ないだろう。

 

今では宗家や分家最強の術者である大神雅人、コンビを組めば宗家以外には負け無い言う、大神武哉と結城慎吾以外に彼と戦える炎術師は神凪にはいなかった。

透はすでに炎術師としては父を超え、分家でも一対一なら武哉や慎吾にも退けを取らない。

 

武哉と慎吾が凄いのは相性が良いのであり、現在の実力はほとんど拮抗していると言ってもいい。まあ雅人は分家の中では別格ではあるが。

 

「この俺が絶対に殺してやる・・・・・・・・」

 

神凪一族の分家の久我と言うのはそれだけでブランドだった。退魔の仕事で神凪一族の名を出せば震え上がるし、分家でも一流の術者と認識される。

しかし今や久我の名は地に落ちた。依頼も久我の名を名乗るだけで断られる。

自尊心を激しく傷つけられた。この怒りは誰かにぶつけなければ収まりそうにも無い。

 

「殺してやるぞぉぉぉっっっ! 和麻ぁぁぁぁっ!!」

 

透の絶叫が屋敷に響き渡った。

 

 

 

 

東京某所にある高級ホテル。最上階のロイヤルスイート。和麻とウィル子はそこに移動してきていた。

風牙衆を徹底的に監視するに当たり、神凪から離れすぎている横浜よりも、本邸に近いここの方が何かと有利だった。

 

すでに危険レベルを高位に設定し、ありとあらゆる監視システムを用いて監視し、和麻も風の精霊の力を借り、徹底的に彼らの動きを把握していた。

パソコンも数台用意し、リアルタイムであちこちの光景を映し出す。

それを操作しているのはウィル子。彼女は慣れた手つきでカタカタと凄い勢いでキーボードを打ち込み、神凪、風牙を問わず彼らの動きを監視していた。

 

「神凪、風牙共に今のところ目だった動きは無いのですが、風牙衆は水面下でこっちを探していますし、神凪の分家は少し暴発しそうな勢いですね」

 

ウィル子が現状の報告をしながら、さらに詳細なデータを集める。いざと言う時のために、神凪の表の資金も含めて、彼らにサイバー攻撃を行う準備はしている。

ウィル子が本気でサイバーテロを画策すれば、それこそ短時間でアメリカを傾けさせられる。和麻と共に行動を起こせば、冗談でもなんでもなくアメリカを潰せるのだ。

 

和麻の力とウィル子の力。ウィル子のサイバー攻撃で通信機構を含めたライフラインの遮断。衛星を経由すれば、同時多発的にアメリカの主要都市の機能を麻痺させられる。

そこに和麻がホワイトハウスを強襲。大統領を含めた要人を暗殺。

あとはアメリカに反感を持つテロリストを煽動して破壊活動を起こさせれば終了。間違いなく第三次世界大戦が勃発するだろうが、これで終わりだ。

 

神凪を潰すのもウィル子と和麻が本気を出せば簡単なのだ。

まずは銀行口座の資金を奪う。もしここで現金や現物で金目のものが存在しても、電子世界ではなく現実世界にあるものならば和麻が見つけさせる。それを根こそぎ奪い取り、一文無しにする。

仮に売り払っても、金を銀行経由で取引すれば即座に奪えるし、現金での取引だと隙を付いて奪えばいい。

 

あとは金融会社のパソコンをいじって神凪一族を宗家、分家問わずブラックリストに登録。これで金を借りる事も出来ない。

他にも神凪に融資するであろうところへサイバー攻撃を仕掛け、そこの資金も奪う。

これで終わりだ。打つ手など無い。神凪の名が地に落ちている今、また貸しなどしてくれるはずもなく、資金の調達も出来ない。

 

食べ物を買う事も出来ず、のたれ死ぬのを待つだけ。よしんば何らかの食い物にありつけても今までどおりには行かず、そんな生活に追い込まれたら、とてもではないがかつてのような精神的余裕を持てるはずもなく、意識が散漫する。そこへ和麻が攻撃を仕掛ければ、防げるはずもなく簡単に命を奪える。

 

アルマゲストにも使った手法であり、現代人にはこれ以上無いほど凶悪で強烈な攻撃だった。

この手の手法の場合、首謀者を取り押さえてしまえば終わりなのだが、和麻の場合風術師であり隠密性と機動力に優れ、腕っ節も世界最高峰のため取り押さえることも出来ない。

 

頭も良く、悪知恵も働き、風で相手の動きをすべて察知する。

もしウィル子のパートナーが炎術師などならば、まだ付け入る隙は十分にあるが、情報収集能力に優れた和麻の場合、それすら生まれない。

十キロ四方を探れる相手からどうやって身を隠せばいい。本気になれば魔術を使っても使わなくても見つけられてしまうのだ。近づく事すら出来ない。

 

「分家の馬鹿は監視をしつつも放っておけ。あいつらには俺を見つけられないし、そんな連中が束になってかかってきても返り討ちだ。それにあいつらが俺を見つけようと思ったら風牙衆を使うしかない。だから優先順位は相変わらず風牙衆だ」

 

重悟に和麻への行動はやめるように厳命されている。しかし分家は止まらないだろう。だが炎術師の神凪が和麻を探し出す事は不可能だ。

所詮彼らは戦うしか能が無い集団。姿を認識してからしか、彼らの強みは無い。

そうなると彼らは他の存在を使うしかないが、体外的に子飼いの集団以外を使うのはタブー。どこから情報が漏れるかわからないし、下手な事をすれば宗主にバレるだけではなく余計に醜聞を広げかねない。

 

それに今の神凪では足元を見られる。他にも余計な憶測を呼びかねない。

まあ分家の馬鹿がそこまで考えているのかは甚だ疑問ではあるが。

ならば使えるのは風牙衆しかない。風牙衆も自分達から調べるのでは問題だが、分家に命令されたと言うのなら言い訳も立つ。

 

兵衛は和麻達を犯人に仕立て上げるために、また分家の憎悪が自分達に向かないためにも和麻を探していた。

風牙衆も神凪の分家の馬鹿の行動パターンは読めていたので、和麻の居場所さえわかれば勝手に突撃してくれると思っていた。

 

基本、和麻がどうなろうが良かった。神凪から逃げてくれても、神凪に殺されても。

ただ理想は和麻が逃げ延びて、余計に神凪の立場を悪くしてもらう方がいいので、情報をリークして和麻を逃がすつもりはしていた。

 

そうすればあとに残るのは宗主の命を破った事と、内部告発したことを逆恨みして、暴力的行為に及んだと言う汚名。

うまくすればさらに分家から逮捕者を出せるし、神凪一族からの除名も望める。そこまで行かなくても、神凪や社会的な立場はさらに低いものになるだろう。

そうしてくれれば、自分達へきつく当たる連中も少なくなる。風牙衆はそう考えている。

 

「風牙衆的には神凪にはつぶれて貰いたいだろうからな。この時点で、俺が逃亡資金を奪ってなかったら、たぶん姿を消してただろうよ」

「そうですね。今の神凪にはもうほとんど力は残っていません。もちろん戦う力は十分でしょうが社会的地位やらコネやら重要な物はごっそりと消えましたからね」

「ああ。そういう意味じゃ、先代は……もう先々代か。頼通のじいさんは稀有な存在だったな。普通に風牙衆が逃げても、頼通のじいさんがいれば政府やら財界やら警察上層部を使って、風牙衆を追えただろうからな」

 

だからこそ、風牙衆は逃げられなかった。神凪のパイプは太すぎた。政財界やらそこから派生する警察上層部との繋がり。それらがあるだけで、この国どころか世界の主要国に逃げようとも、風牙衆として活動していれば見つける事は難しくなかった。

だからこそ、風牙衆は現状に甘んじていた。

 

「けど今はそれもないと」

「くっくっくっ。俺達が全部ぶっ壊したからな。その頼通含め、政財界につながりの深い長老は全部逮捕。政財界のお偉いさんも今はブタ箱行き。いや、本当に風牙衆も残念だったよな。流也が俺にちょっかいかけなきゃ、今頃ウハウハだったろうに」

「いやいや。そもそも流也がちょっかいをかけてこなかったら、マスターは政財界へのちょっかいはなかったでしょうに」

「ああ、そう言えばそうだな」

 

知ってはいたが白々しく和麻は言い放つ。

 

「ちなみに逃亡資金を返してやるつもりは?」

「何で返す必要がある? あれは慰謝料だろ。そもそも精霊術師の癖に妖魔と契約を結ぶのが悪いし、俺に喧嘩を売ったのが悪い」

「ですよー。あのお金はウィル子達が有効活用してあげましょう」

 

ふふふ、にひひと極悪な笑みを浮かべながら二人は笑う。

 

「で、風牙衆に居場所をリークするのですか?」

「お前、ここを戦場にしたいのか?」

 

ウィル子の言葉に、和麻は聞き返す。彼としては正面から戦うと言ったのは神凪厳馬のみ。他の分家の相手をくそ真面目にしてやるつもりなど和麻にはさらさらなかった。

 

「いえいえ。確認をしただけですよ。マスターだったら、神凪の分家の連中を殺すのなんて朝飯前ですよね?」

「朝飯前どころか、俺にとって分家全員を殺すのなんて、片手間もかからないんだぞ。だからこいつらには俺達が楽しめるような痛い目を見てもらおう」

 

和麻はもう神凪を恨んでいない。彼はすでに八神和麻であり神凪和麻ではないのだ。

彼としてみれば十八年間の記憶は屈辱的なものでしか無いが、だからと言って今更同じようにやり返して連中と同じところにまで落ちるつもりはなかった。

なかったのだが、向かってくるなら話しは別であり、今はあの頃以上に極悪非道になったのだ。

 

そう、リンチなどはしない。いたぶられたからと言って、より強い力でいたぶり返すつもりは無い。

今の自分達には、それ以上に凄惨でえげつなく、非道なやり方があるのだから。

 

「にひひひ。マスターは本当に外道なのですね。そこに痺れる憧れる!」

「くくく。そんなに褒めるなよ。と言うわけでプランはこうで、ああで、そうだ」

 

和麻はウィル子に作戦を伝える。一応、向こうがこっちにちょっかいを出すまでは待つつもりだ。自分から仕掛けては正当防衛が成り立たないし、こっちが悪者にされてしまう。

 

「いやー、楽しみなのですよ、マスター」

「俺もだ。分家の馬鹿はどんな風に踊ってくれるのか、実に楽しみだ。ふふふ、ふははははは」

「にほほ。にはは。にほははははははは・・・・・・・」

 

神凪と風牙衆は実に哀れだっただろう。

相手がこの二人でなければ。もしくはこのどちらかであったのなら、普通以上の悲惨な目にはあわなかっただろう。

 

しかしこの二人は風の精霊王と契約を結んだ契約者でありながら、極悪非道で自己中で軽薄で他人を省みない最低男と、電子の精霊で神の雛形なのに超愉快型極悪感染ウィルスで人命よりも食欲を優先すると言う極悪娘。混ぜるな危険の言葉どおりの二人組みなのである。

 

「では厳馬への対処はその後に?」

「ああ。先に厳馬を倒して分家が行動しにくくなったら嫌だろ? あいつらにはきちんと踊ってもらわないと。ただし風牙衆の対処はこっちから積極的にだ。情報を知ってそうな、または口走った奴を拉致って体と頭に直接聞く」

「うーん。ウィル子はあんまり拷問は好きじゃないのですよ。精神的にならともかく、肉体的苦痛を与えるのは、見ていて気持ちいいものではないので」

 

今まで一度も殺しを行っていないウィル子にしてみれば、それにつながりかねない肉体的拷問はあまり気持ちのいいものではなかった。

 

「心配するな。俺も身体をいたぶるってのは趣味じゃないからな。頭に直接聞く道具とか薬を使って穏便に済ませてやる」

 

それが穏便かどうかは別問題なのだが、彼らにしてみればまだ穏便だろう。

 

「ただし情報を知ってたら殺るぞ。情報の漏洩が命に関わることもある。まだヴェルンハルトも残ってるし、それ以外には気づかれないようにしてたって言っても、どこで俺達に恨みを持ってる奴と遭遇するかわからないんだからな」

「そうですね。自分の身が一番可愛いと言うのは当然のこと。それに先に仕掛けてきたのは風牙衆なのですから、同情の余地は無いですね」

 

先に手を出してきたのは向こうだと、二人は言う。もし風牙衆も彼らに関わらなければ、こんな目にあわなかっただろうに。

そして元を正せば、風牙衆が反乱を画策するまでに冷遇していた神凪にまで行き着く。

想像される神凪と風牙の未来は……真っ暗なのだった。

 

 

 

 

「……はぁ」

 

神凪綾乃は神凪の敷地内にある道場で、木刀を流れるような動作で振るった後、深いため息を尽いた。理由は様々。今の神凪の現状とか、これからの次期宗主としての事とか、和麻のことか。

 

「……やっぱりあたし達のこと恨んでたのかな」

 

大阪で巻き込まれてからしばらくは怒り心頭だったのだが、神凪の不祥事が発覚して少し冷静な目で彼を見るようにしてから、何故かその怒りが薄らいで言った。

それでもまだセクハラした事を許したわけではないが、当初に比べれば一発殴ればそれで気が済むと言うレベルにまで落ち着いていた。

 

それよりも驚いたのが神凪の一員が次々に逮捕されたことだろう。自分の祖父である頼通の逮捕の知らせも驚いたが、それ以外にも十人も逮捕者が出た事が驚きだ。

数が多いといっても、総勢で五十余名しかいない神凪一族の全員を綾乃は当然記憶している。和麻はすでにどうでもいい連中を忘却の彼方に放り投げたが、次期宗主の綾乃はそんなわけにも行かない。

 

良く知る、仲がいいとか言うほどのものでもなかったが、このニュースはショッキングすぎた。

この事件を起こしたのは和麻だと言う話しだ。あの時は敵意なんて物を感じなかったが、心の内にどんな思いがあったのか、綾乃には察せられない。

 

「ていうか、神凪があれだけ不祥事起こしてたって言うのも驚きだし、それを暴いたのがあの和麻だなんて、もっと信じられない」

 

一族の不正もそうだが、それを暴いたのがあのいけ好かない男。和麻の行為自体を綾乃は否定的には見ていない。むしろ肯定的に見ているし、凄いなと思った。

どう言った目的だったのかはわからない。神凪への復讐が目的だったのか、それとも不正が許せなかったのか……。

 

「……ありえないわね。不正が許せない正義感の強い男だったら、あたしを巻き込んだりしないし、終わったらすぐに姿を隠すなんてしないわ」

 

思い出してその可能性をすぐに否定する。どう考えても誠実とは正反対の男にしか思えない。とすれば復讐で神凪の不正を暴き、一族の名を貶める事が目的。

 

「はぁ……。でも元々神凪が悪い事してたのが問題なのよね」

 

自分も次期宗主として、こういう事も学んでいかなければならないと父に言われた。知らなかったのでは済まされない。一族の長ならば、すべてを把握しておかなければいけない。

 

「……あたしも頑張らなくちゃ」

 

仕事のキャンセルが多いとは聞いたが、それでもゼロになったわけではない。神凪クラスでなければならない相手と言うのも、決していないわけではない。

それに政財界以外にも神凪によくしてくれている人はそれなりにいる。そう言った人達に対して感謝して、誠心誠意仕事を行う。

 

信用と信頼の回復に近道は無い。地道な事を積み上げていく以外に、神凪がこれから復活していく道は無い。

風評被害は恐ろしいが、それでもそれでもう二度と再建できないわけではないのだ。現実にもある有名食品メーカーの偽装問題などもその会社がその事を詫び、二度とそのようなことが起きないように心を入れ替え頑張っていけば、それまでの評価や固定客のリピートで持ち直すと言う事は実際にあることだ。

 

「はぁっ!」

 

もう一度剣を振るう。何千回、何万回と続けてきた動作。完成された一つの動き。踊るように、舞うように、綾乃は動く。

と、綾乃は不意に自分を見る視線に気がつく。

 

「あれ。煉に燎に美琴じゃない」

 

入り口の方を見ると、そこには三人の人物が立っていた。

一番背と年齢が低い、彼女の弟分である煉。その横に立つのは、同じく宗家の一員である一つ年下の眼鏡をかけた少年――神凪燎と彼の付き人で少し前までは自分の付き人をしてくれていた風牙衆の一人である風巻美琴であった。

 

「あっ、姉様ごめんなさい。せっかく集中していたところを」

「別にいいわよ、煉。それよりどうしたの? 珍しい組み合わせじゃない」

「俺と美琴は鍛錬のためにここに来たんです。煉君とはそこでばったり会って。綾乃様こそ鍛錬ですか?」

 

代表して燎が説明を行った。彼は神凪一族の中でも綾乃に次ぐ使い手だった。四年前の軽傷の儀にも参加の予定であった程だ。もっともそれは彼が謎の病気を発症させた事で不可能であったのだが。

 

「ふーん。美琴も鍛錬?」

「はい。燎様にお付き合いをお願いしまして。私も少しでも神凪一族のお役に立ちたくて」

「そうなんだ。あっ、じゃあ久しぶりにあたしが相手してあげるわ。燎、武器持って」

「えっ!? ちょ、綾乃様!?」

「煉も一緒でいいわよ。煉も鍛錬するでしょ?」

「ね、姉様!?」

 

狼狽する燎と煉。二人は一応の宗家だが病み上がりと未熟者のコンビでは、神凪三番手の実力者である綾乃と戦う事は少々難しい。

 

「大丈夫よ。なんだったら美琴も一緒でいいわ。あたしももっと強くならないとダメなんだから、これくらいしないと。稽古付けてくれるのって雅人おじ様くらいしかいなし、厳馬おじ様はあんまり頼める雰囲気じゃないから・・・・・・・」

 

父である重悟も事故の影響もあり、綾乃も無理を言えない。本人は鍛錬やリハビリを続け、かつての力を取り戻そうとしているが、現状では多方面への交渉などもあり、厳馬や雅人、分家の顔が利く者達を連れて奔走しているゆえに、頼める相手がいないのだ。

 

その点、この二人なら宗家の人間だし、同時に相手をすれば綾乃とでも拮抗できるだろう。

しかしそれを相手する当人達にはたまった物ではない。

 

「ほら、早くしなさい。燎も強くなりたいんでしょ? 大丈夫よ、炎雷覇は使わないから」

「当たり前だ! 炎雷覇を使われたら、俺なんてあっさり負けるでしょうが!」

 

思わず口調がいつもに戻る燎。一応は目上で次期宗主でもある綾乃には丁寧な言葉を使うように気を使っていたが、思わず突っ込んでしまった。

 

「いいからいいから。ほら、木刀。あんた確か二刀流だったわよね? 自分の回復具合も知りたいでしょ? ほら、ファイトファイト」

「燎様、ファイトです!」

「み、美琴まで……。うぉぉっ! こうなったらやけだ! やってやるぅっ!」

「りょ、燎兄様……。わかりました。僕も頑張ります!」

 

燎がやけくそに叫びながら、少し短めの木刀をそれぞれの手に持つと、それに釣られて気合を入れる煉。

 

「あっ、美琴はちょっと下がってて。危ないから」

 

その姿に満足そうに頷く綾乃は美琴に避難を促した。心配な表情を浮かべる美琴だったが、綾乃の言う事には逆らえず、後ろに下がる。

 

「じゃあ始めましょうか」

 

こうして宗家の鍛錬が始まる……。

否、一方的な展開になった。

残念な事に二人がかりでも綾乃には勝てなかった。

燎もセンスはいいし、剣の腕も中々で炎も十分にすばらしかったが、病気で四年間を無駄にしたこともあり、煉よりは上であったが綾乃には遠く及ばない。煉も煉でまだ体術も未熟であり、炎も力だけのお粗末な物でしかなかったので綾乃には通じなかった。

しかし綾乃も何度も二人がかりの攻撃でひやりとしたり、それなりに善戦できた事は評価できるだろう。

 

「ふぅ。お疲れ様」

「……お、お疲れ様です」

「……もうダメです」

「二人ともだらしが無いわね」

 

汗を拭う綾乃と、地面に大の字に倒れている燎と煉。二人ともぜぇぜぇと荒い息を切らしながら、何とか呼吸を落ち着けようとする。

 

「二人とも体力無いわよ」

「無茶言わないでください。俺はようやく体力が戻ってきたところで、煉君はまだ十二歳じゃないですか」

 

と言うか綾乃様は体力馬鹿なのかと小さく呟く。

 

「聞こえてるわよ」

 

いい笑顔を浮かべる綾乃にひぃっと小さな悲鳴を漏らす。

 

「あ、綾乃様。もうそのくらいで。はい、タオルです。燎様と煉様もどうぞ」

 

美琴は気を利かせて、冷たいタオルを人数分用意していた。それをそれぞれに渡す。

 

「ありがとう、美琴。はぁ、美琴が付き人だと本当に助かるのにね。燎、今からでもいいから美琴を私の付き人にさせてくれない?」

 

「なっ! ダメだ! 美琴は俺の付き人なんだから!」

 

ガバッと起き上がって断固抗議する燎に綾乃も冗談よと言い返す。

 

「はぁ。私も同年代の付き人が欲しいわね。風牙衆の熟練の人もいいけど、やっぱり同姓で話が合うってのは大切よね」

「風牙衆には同年代の人がほとんどいませんからね。私の兄も病気で今もどこか遠くで療養中とのことですから」

「流也か。俺もよくしてもらったと言うか病気仲間みたいな物だったからな」

 

美琴の言葉に燎もしみじみと呟く。ここ一年は会っていないが、少しは病気がよくなったのかなと心配している。

 

「そう。美琴、お兄さんが早くよくなるといいわね」

「ありがとうございます。綾乃様」

 

しかし彼女達は知らない。流也がすでに死んでいることを。彼は妖魔の力をその身に宿し、綾乃と和麻に消滅させられた事を。

綾乃は流也の顔を覚えていない。ほとんどあった記憶もなく、妖気に取り憑かれほとんどかつてと雰囲気が変わりすぎていたから。

そして彼らは知らない。平和な日常の裏で、ある計画が動いている事を。

 

 

 

 

「……そうか。和麻の居場所がわかったか」

「はい。調べたところ、あの少女と一緒に都内のビジネスホテルの一室に宿泊している事が判明しました。今も監視は続けていますが、彼らはホテルから出る様子はありません」

 

風牙衆の屋敷では、部下の報告を兵衛が受けていた。和麻の居場所がわかったと言うのは、兵衛の中では一番の朗報だった。これで時間が稼げる。

 

「わかった。それで、分家の連中の動きは?」

「久我透が幾人かの子飼いを動かそうとしております。久我はほとんどが。結城と大神は静観を決め込み、四条は現在どう動くか判断に困っている様子」

「なるほど。分家もそこまで馬鹿ではないか。久我は次期当主の透が動くために他も嫌々ながらに協力と言った所か」

「ええ。本当に彼に賛同しているのは一人か二人でしょう。残りは嫌々といったところ。結城と大神は当主が自分達の家系の動きを止めています。下手に動いて先代宗主の機嫌を損ねるのを嫌ったのでしょう。ですが久我の動きを止めようともしていません。心情的には協力したいのでしょう」

「やはり狡猾な連中だ。久我の青二才とは違うな。奴らも我々が犯人に仕立て上げた和麻に何らかの報復はしたいが、自分達へのリスクやデメリットを考えて手を出せない。しかし久我が勝手にする分にはいい。もし何かあっても責任は久我にあり、万が一に自分達に飛び火するような場合も考え、おそらくすべての責任を宗主代行である厳馬に押し付ける気であろう。厳馬は分家の当主には嫌われているからな」

 

兵衛は結城慎一郎と大神雅行の思惑を、おおよそながらに推測した。久我の小僧を利用し、和麻を排除し、その後は自分達が好き勝手して権力を伸ばすつもりだろう。

今事を起こせば神凪にも被害が及ぶかもしれないが、そこは久我にすべてを押し付け、宗主代行である厳馬にその責任をすべて擦り付けるつもりであろう。

だが下手にこれ以上神凪の名を貶めればどうなるか。彼らはわかっていないのだろうか?

 

「しかし今神凪が不祥事を起こせば、余計に窮地に陥ると言うのに、分家は何を考えているのでしょうか?」

「考えているさ。おそらくすべての責任を久我と宗主代行である厳馬に押し付けて、自分達の安泰を図ろうとしているのだ」

 

兵衛は語る。大神と結城の思惑を。

彼らは久我を切り捨てるつもりだ。確かに分家の中のつながりは強固な物だが、それでもわが身が可愛い。自分の家系が大切である。

少しでも自分達が生き残る可能性をあげたいのだ。

 

「今回の不正では神凪一族全体が吊るし上げられた。しかし大神と結城からは逮捕者が出ていない。ここで奴らが久我が馬鹿なことをしたことを、体外的にアピールする形で弾劾すればどうじゃ? 神凪にもまだ良心は残っている。我々は決して不正を許さず、それを主導した者を許さない。そして和麻に何かあった場合、なくても奴を担ぎ上げ自分達の正当性をアピールする。やつらの理想は和麻が久我になぶり殺しにされることであろう。そこから先はお涙頂戴劇だ」

 

白々しく、彼らはこう言うだろう。我々は不正を暴き、神凪の未来を憂いた宗家の嫡男の思いに報いるため、生まれ変わる事をここに誓う。だから力を貸して欲しいと。

責任は厳馬に取らせればいい。そうなれば宗主の地位は空白だが、綾乃がいる。あとは摂政のような形で、彼らは綾乃を傀儡のごとく動かすつもりだろう。

 

厳馬も宗主代行の地位を剥奪させるだけで、術者として終わるわけでは無いから神凪の戦力も減らない。また和麻が厳馬の息子である事も重要。

神凪の不正を正したが、無念の死を遂げた息子の父親とでもなればいい。同情も集まり、比較的早く神凪の再建が出来るかもしれない。

 

「とにかく、和麻が犯人と言うのは我らにとって都合がいいだけではなく、分家にとって見てもこの状況を打開するのにはうってつけの相手だったのだ」

「はぁ、なるほど。しかし分家もよく考えますね、そんな事」

「まあこれはワシの推測に過ぎないがな。もしこれが外れていて、単純に何も考えず和麻が憎いと言うだけで久我の暴走を止めないようであれば、連中は本当に馬鹿であろう」

「確かに。しかし和麻はたまった物ではないですな」

「いたし方あるまい。我らも生き残るためじゃ。それよりも我らの計画だ。隠し資金の方は回収の目処が立っていない。犯人もわからずじまい」

「はい。方々に手を尽くしてはいるものの、何の進展の・・・・・・・」

 

他の部下からの報告に沈黙が部屋を支配する。重々しい空気が流れる。

 

「……もう良い。調査は引き続き行え。それに神凪も今のまま行けばまだ衰退の可能性は高い。じゃが、やはり切り札が必要か」

 

流也を失った今、風牙衆に切り札は無い。戦力はお寒い限りなのだ。

 

「……予備を使う。あれはこんな時のための器として用意してきた」

「しかし…よろしいのですか?」

「よい。ワシはすでに流也を堕としたのだ。今更罪が増えようと構わぬ。風牙衆の未来のために、風巻の血が途絶えようとも。風牙衆さえ存続すればよい」

 

彼は自らの血筋が耐える事を悔しく思うが、それでも風牙衆がこのまま冷遇され続けるのは我慢なら無い。それに直系が死に絶えるだけで、傍系や彼らの知識や技術は残る。

風牙衆が、風巻が完全に消滅することは無い。そして消滅するよりもいい。

 

「……ワシはこれより美琴を連れて京都に向かう。他のものは引き続き八神和麻と神凪一族の監視を頼む」

 

こうして兵衛も動き出す。

それが破滅への道を加速させているとは気付かずに。

 

 

 

 

登場作品

風の聖痕 RPGリプレイ 深淵の水流

 

紹介(公式サイトより)

神凪燎(かんなぎりょう)

年齢十五歳。

退魔師の名門、神凪家に生まれ、一族の秘宝“炎雷覇”の継承者候補になった少年。だが重病により脱落。挫折による心の傷を受けた。大切な時に動けなかった事に引け目を感じ、その反動で力に執着する傾向がある。

 

 

風巻美琴(かぜまきみこと)

年齢十五歳

神凪家に仕える風牙衆の一員で長である兵衛の娘。幼少の頃、妖魔を宿す“器”として改造されたという秘密を持つ。そのことを燎に知られることを恐れている。


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