風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第十八話

 

美琴の放った風の刃と重悟の神炎が激突する。

しかし威力は重悟の方が上だった。重悟の紫炎は美琴の風を瞬時に飲み込み、衝撃波さえも燃やしてしまったのだ。

 

この結果は当然と言えば当然の結果だ。

重悟の炎は厳馬の炎よりも上である。

流也と和麻の風がほぼ互角に近かったことを考えれば、今の美琴に流也ほどの力があっても真正面からぶつかり合えば厳馬の炎さえも打ち破ることは出来ない。

それは和麻と厳馬の戦いが証明している。

 

和麻は力だけではなく技術と中間圏の超低温の風で厳馬を打ち破ろうとした。しかしそれを持ってしても、厳馬を圧倒する事が出来なかったのだ。

今の美琴はただ力のみで重悟とぶつかっている。確かに強大な力ではある。

並みの術者どころか、一流と呼ばれる術者を持ってしても、美琴の攻撃を防ぎきる事は難しい。

 

しかし目の前にいる神凪重悟と言う存在は一流を超えた超一流であり、化け物、怪物と言った形容詞が付くほどの存在である。

あの厳馬でさえ勝つことが出来なかった存在。事故で片足を失ったとしても、実戦を離れていたとしても、その力は衰えていなかった。

 

これは精霊魔術の特性にもよる。精霊魔術は意思の力である。強い意志こそが精霊魔術を強化する。重悟の意思は現役を離れてもさび付いてなどいなかったのだ。

厳馬と同じように全身に神炎を纏い、防御力を高める。この足では移動しながらの戦いは無理でも、固定砲台としてこの場に留まり攻撃を続ける事はできる。

 

美琴と重悟の戦いは厳馬と和麻との戦いには劣るものの、それでも十分怪獣大決戦の様相を呈していた。

とてもではないが入り込む余地が無い。特に分家の三人の思いは同じだった。

どれだけの技術も、どれだけの鍛錬も、どれだけの経験も、圧倒的で理不尽な力の前にはあまりにも無意味に思えた。

 

少なくとも、自分達が命を賭して精霊を召喚し、炎を生み出そうとしても今重悟が放っている紫炎には遠く及ばない。

大人と子供の差ではない。それこそ蟻と像ほどにもその力には差があった。

ゆえに彼らに出来る事はただ巻き込まれないようにすること。そして兵衛達を拘束すること。

 

「俺達は兵衛を拘束する。お嬢、坊! ぼさっとするな! あの子は宗主に任せて、俺達は俺達の仕事をするぞ!」

「は、はい!」

「わ、わかりました」

 

動揺していた綾乃と燎の意識を引き戻したのは、大神雅人であった。彼は動揺していた綾乃と燎に声をかけ、何とか気持ちを落ち着かせた。

 

「煉坊もだ。大丈夫。煉坊だって宗家の人間だし、何と言ってもあの厳馬様の息子だ。自分を信じろ」

「雅人おじ様……。はい!」

 

自分の傍らにいた煉に雅人は優しく声をかける。この中では経験も豊富で落ち着いた物腰の人物であった。こう言った状況で皆を落ち着かせる事に成功する。

重悟を除く六人は美琴の両脇をすり抜ける形で、真っ直ぐに兵衛に向かう。その行動に気がついた美琴はそれを阻止しようとするが、目の前の男がそれを許さない。

 

「お前の相手はこの私だ! 皆には雫ほどの攻撃も通しはしない!」

 

重悟の炎が輝きを増し、美琴が放つ妖気を浄化していく。しかし美琴も負けてはいない。彼女の器としての力は流也を上回っているのだ。

和麻が行ったミサイル攻撃の最中にも、彼女は力を増し制御を鍛えていった。重悟との戦いにおいてもそれは同じだった。

 

次第に、徐々にではあるが、彼女は力を増していく。ミサイルの迎撃で妖気を多大に消耗したはずなのに、重悟との戦いで妖気を消耗しているはずなのに、その力は衰えていない。

 

むしろ……。

 

(妖気が上がっている!?)

 

妖気が膨れ上がっていく。膨大な風が彼女の元に集結していく。それだけではない。神を祭る祠から、さらに妖気が噴出しているのだ。

 

「妖気が。まさか封印が!?」

 

三昧真火に封じられていながらも、神は妖気を封印の外へと吹き上がらせていた。共鳴しているのだ。封印の外と中。隔絶され、閉ざされた場所でありながらも、神と美琴は互いに呼び合い、反応していた。美琴に憑依した妖気が封印された神の本体を呼んでいるのだ。

封印自体はまだ破られていない。しかし弱まっているのは確実だ。

 

丁度巨大な生物を絡め取っている網を想像すればいい。最初は小さな隙間ほどの大きさしかなかったところを、無理やり広げて大きくしているような感じだ。

まだ本体が抜け出す事は出来なくても、指や手を出す事は出来る。神は自らの一部を外へと送り出し、美琴へと力を与える。消耗した妖気を補充するような形で、彼女へと力を与える。

 

さらに力を与えられたのは彼女だけではなかった。

 

「ぐおぉぉぉぉっっ」

「おぉぉぉっっ!」

「がぁぁぁっ!」

 

兵衛を除く三人の風牙衆の術者が突然苦しみだした。不意に重悟が見れば、彼らも妖気に侵食されていた。

彼らも風牙衆であり、風巻の血を薄くながらに継承する者である。彼らの肉体は直系の風巻には遠く及ばないもの、神の力を宿す事も不可能ではなかった。

 

だが突然の妖気の憑依で、彼らの身体は歪に変化していく。美琴のように適合率に優れたわけではなく、内部に妖気を溜め込むことも出来ない。丁度外に妖気が纏わり付くようなものだ。

彼らの身体はどす黒く変色し、妖気が泥のように彼らの身体を覆っていく。綾乃が大阪で見た流也が変化した姿にそっくりだった。

二メートル半に達するかと思えるほどの巨体。それが三つ。

 

取り込まれ、自我をも失いかけた三人の風牙衆だったが、彼らは心にある一つの考えを忘れずにいた。

復讐。自分達を冷遇した神凪一族への恨みつらみ。負の感情が妖魔の妖気を浴びて増幅された。彼らの目に映る神凪の術者達。自分達を虐げ、見下し、蔑んできた連中。

感情が爆発する。彼らは向かってくる神凪一族に襲い掛かる。

 

「ちっ! 風牙衆の分際で! 武哉!」

「ああ!」

 

結城慎吾と大神武哉が足を止め、向かってくる風牙衆の一人に向かい炎を召喚し解き放つ。二人が組めば宗家に匹敵すると言われるほどの術者だ。二人の火が合わさり炎になるかのように、彼らの力は確かな物だった。

炎に包まれる巨体。まさに火達磨と言ったところか。これで終わりだと二人は思った。

 

しかし……。

 

『ゴガァァァァァ!!』

 

相手はすでにほとんど人間ではなくなっていた。いや、彼らが倒してきたただの妖魔でも無いのだ。

負の怨念。それも特定の者達に向けられる強固な意志。それはこの二人の炎を持ってしても簡単に燃やしつくせるものではない。

叫びとも思えない音が周囲に響く。炎に焼かれながらも、彼は慎吾と武哉に向かい拳を振り下ろす。

 

「ぐがぁっ!」

「慎吾!?」

 

炎に包まれた拳が慎吾に直撃する。慎吾はそのまま大きく後ろに吹き飛ばされ、途中にあった木に激突してようやく止まった。木の前でぐったりとして動かない慎吾。

 

「慎吾! 慎吾!? くそっ!」

 

武哉は炎で牽制しながら慎吾の下へと駆け寄る。何とか彼の下まで近づく。息はある。脈もある。だが炎で燃えた衣服の下を見るとずいぶんと腫れている。おそらくはアバラが何本か逝っている。幸い今すぐに死ぬほどではないが、戦う事など不可能だ。

その間にも風牙衆の一人は二人に向かい襲い掛かる。慎吾を護りながら戦うなど振りどころの話ではない。

 

「はぁっ!」

 

だがその間に躍り出る一つの影があった。炎雷覇を構えた綾乃である。

 

「綾乃様!」

 

「武哉さん。慎吾さんを連れて早く離脱して! ここはあたしと燎で防ぐから!」

 

見れば向こうでは燎が両手にそれぞれ日本刀を構え、風牙衆の一人と対峙していた。また残る一人も雅人と煉が二人がかりで抑えている。

 

「しかし……」

「そんな状態でここにいられる方が迷惑! 大丈夫。こんな奴ら流也よりも楽に倒せるから!」

 

綾乃は早口に言う。実際、傷ついた慎吾にここにいられるのは邪魔でしかなかった。それに綾乃は一度似たような相手と戦っている。

目の前の敵は速度、強さ共に流也に圧倒的に劣っている。和麻やあの少女の援護が無くても十分に戦える相手だ。

 

「わかりました。慎吾を安全な場所に移してすぐに戻ります。綾乃様、後武運を」

 

武哉も綾乃の言葉が正しだけにそれだけ言うとすぐに慎吾を担ぎ、その場を離脱する。二人が遠ざかるのをチラリと一瞥すると、綾乃はそのまま炎雷覇に力を込める。

 

「悪いけど大人しくやられて頂戴。あたしにはあなたを無傷で浄化するなんて器用な真似はできない。下手をすれば手足の一本や二本を燃やしちゃうかもしれない」

 

偽ざる本心である。重悟ならば簡単にできるだろうが綾乃には出来ない。だからこそかなり手荒になってしまう。

 

『ゴォォォォ!』

 

しかし妖気に支配された相手には通じない。

 

「……ゴメンね」

 

短く謝罪の言葉を述べると、綾乃はそのまま炎雷覇を構え相手へと向かう。

燎も燎でその多少苦戦しているようだが、それでも有利に戦いを進めている。雅人、煉のコンビも同じだ。まだ実戦慣れしていない煉を雅人がたくみにフォローし、敵を寄せ付けない。

 

美琴も美琴で重悟と伍して戦っているが、全体的に見ればこちらが不利だとその光景を見ていた兵衛は思った。

それに先ほど、美琴はどこからとも無く飛来した何かの攻撃に意識を割かれた様で、重悟の紫炎に危うく直撃しかけた。

幸い、美琴がすばやく回避したのと重悟も実戦を離れすぎていたために狙いが甘くなっていたために、彼女が致命傷を負う事は無かった。

 

兵衛は援護しようにも彼には美琴や他の三人のような力は無い。

いや、妖気をこの身に宿せばいいのだろうが、それでもこの状況を有利に進められる自信が無かった。

それでも状況は圧倒的に不利だ。

 

何故神は自分だけには妖魔を与えてくださらなかったのか。不意にそんな考えが浮かぶ。

いやいやと兵衛は首を横に振る。これは自分に与えられた試練だ。この状況で自分にだけにしか出来ないことがある。そう考える。そう考えなければ、あまりにもやってられなかった。

 

(援護しようにもワシの力では状況を好転させるどころか、下手をすれば不利にしてしまうかもしれない。どうすれば……)

 

その時、不意に兵衛の脳裏に策が浮かぶ。ニヤリと思わず口元を歪める。

確かに自分には戦う力は無い。しかし神凪には無い技術がある。風牙衆として、風術師として培ってきた技がある。そう、風術師の特性を利用すればいいのだ。

 

「ふふふふ。重悟、貴様はミスを犯した。確かに神凪宗家を集結させたのはいい手じゃよ。未熟とは言え、綾乃も、燎も、煉も優れた炎術師よ。しかし未熟は未熟。さらには若い。そこが貴様ら敗因よ」

 

兵衛はこの戦いに介入する。それは力を持ってではない。かつて頼通が行ったような策謀を持って……。

 

『くくく。いい気になるなよ、小娘、小僧』

 

不意に綾乃、燎、煉の耳元に声が響いた。突然の事に三人は若干の驚きを見せる。

 

「兵衛っ!」

 

綾乃は声の主を睨む。それでも目の前の相手への集中力を切らしていない所はさすがと言える。

呼霊法。風に声を乗せ耳元に運ぶ風牙衆ならば誰もが使える初歩的な技である。兵衛はこの声を、綾乃、燎、煉の三人だけに送った。

 

『確かにこのままではお前達が勝つだろう。美琴も重悟によって救われる』

「そうよ! だからあんたもこのまま大人しく」

『だが本当に美琴はそんなことを望んでおるのか?』

「えっ?」

 

兵衛の言葉に綾乃の身体が硬直した。

 

『確かにワシは美琴の意思を確認する前に妖気を憑依させた。しかし、美琴は本当に神凪に対し、お前らに対していい感情を持っておったと言い切れるのか?』

 

兵衛は揺さぶりをかける。まだ若い三人の宗家の術者に。

 

『お前達は美琴を、我らを他の神凪と同じように見てはいない。思ってはいない。そう考えておるやもしれんが、同じなのだよ。お前達は』

「な、何を……」

『知らなかった。何もしなかった。それで許されると? それで納得させられると? ふふふ。お笑い種だな。お前達は知らなかったが、美琴は風牙衆の現状を知っておった。そんな美琴がお前達を、神凪を本当に慕っておったと本当に思うのか?』

 

ドクンドクンと三人の心臓の鼓動が早くなる。

 

『仮にお前達が勝利しても、ワシを殺してもこの現状が続く限り何も変わらぬ。あの重悟でさえ何も出来なかったのだ。現状を打開する事は出来なかったのだ』

 

歴代でも類見ない力を有した紫炎の重悟でさえ、風牙衆の現状を変えることは出来なかった。

頼通や長老の影響もあった。神凪を取り巻く様々な要因があった。神凪全体の意識の変革がしきれなかった。また厳馬の発言もそれに拍車をかけてしまった。

数多の要因のせいで、重悟でさえも風牙衆の現状をよくすることが出来なかった。

 

『貴様らは重悟を、厳馬を超えるほどの力を、才能を持っておるのか? また超えられると思っておるのか? 神凪千年の歴史上でも十一人しかいない神炎使いどもを?』

 

千年の歴史で十一人と言う事は、単純に百年に一人と言うほどの天才と言うことだ。しかも重悟と厳馬は同年代である。これは稀であり、異常というべきであろう。

普通で考えれば向こう百年は神炎使いなど生まれないだろう。仮に親の力を受け継いだとしても綾乃も煉も父である重悟や厳馬を超えられるとは思えないし、何が何でも超えようと言う気概など無かった。これは和麻のような境遇にならなければ生まれるはずも無い。

 

綾乃も燎も煉も強くはなりたいと言っても、どれほどまでかと言う明確なビジョンは無い。

また重悟や厳馬の力を知っているだけに、憧れはあってもその領域に進む自分と言う姿が想像できなかった。

 

『変えられると思うか? いや、そもそもお前達にはそんな意思も気概も無い。ただ友人である美琴を助けられればいい。それだけじゃ。それ以外はどうでもいい。違うか?』

 

違うと否定できなかった。本当に違うとはっきりと口にする事ができなかった。

 

『ふん。図星か。それに美琴を助けるとか抜かしつつ、すべては重悟任せ。お笑い種じゃよ。それで美琴を助けてどうする? 美琴が本当に感謝するとでも? 本当にお前達は美琴の気持ちを理解しておったのか? 美琴も心のどこかで貴様らを恨んでおったのではないのか?』

 

兵衛は綾乃達の心を揺さぶる。真実かはたまた虚偽か。それは美琴にしかわからず、兵衛には彼女の心の真偽を知る術は無い。だがそれは綾乃達も同じだ。

兵衛はただ楔を放っただけだ。疑惑と言う見えない刃。実体の無い、だがこれ以上無い強固にして鋭い刃。

 

もしこれが重悟や厳馬ならば動揺してもそれを表に出すことなく、まずは美琴を助けるために全力を尽くしただろう。和麻ならばそんなもの関係ないとばかりに一蹴しただろう。

 

しかし綾乃や燎、煉は違う兵衛の言葉に感情を乱される。精霊術にとって何よりも必要な強固な意志。それは心が動揺すれば容易く乱れる。

 

『お前達の行動は所詮は自己満足じゃよ。そして美琴を助けてこういうつもりか? お前は助けたが、これから先生まれてくる風牙衆は今まで以上に酷い目に合うと? それともまさかお前達は自分達がそんな事は絶対させないと言うか? できるわけが無い。風牙衆だけではなく、自分達の血族さえ炎を操れなければ見下し、蔑み、放逐するような者達が』

 

兵衛はここにきてさらに新しい楔を放った。

 

『貴様らも良く知っておる宗家の嫡男であった和麻。神凪一族はあやつをどう扱った? 宗家でありながら、厳馬の息子でありながら、誰からも見下され、無能とされ、最後には実の親から放逐された。お前達は少しでも気に留めた事があるか? 綾乃に至っては四年でその存在を忘れておったな。同じ宗家でもその程度の認識。では風牙衆の貴様らに直接かかわりの無い者は?』

 

くくくと兵衛は嘲笑する。

 

『反論できまい? そしてお前達も我らを下に見ておっただろう? 対等などとは決して考えてはいなかったはずだ。弱い連中と思っていたはずだ』

「そ、それは……」

『それがすでに見下しておるのだ。対等など所詮は口だけの言葉。そんな者が風牙衆を守る? 美琴すら自分自身の手で守れない未熟者が?』

 

兵衛の言葉は綾乃達の心を乱した。戦闘に集中させないようにするという彼の思惑通りにことが進んだ。

疑念を、迷いを、動揺を心に持てば、精霊達は本来の力を発揮することはできない。

 

もし格闘家なら今まで培い、身体で覚えた技術で迷いが生まれても反射的に何らかの動きが出来ただろう。魔術師ならば予め用意しておいた術などがオートで発動したかもしれない。

 

しかし精霊術師は違う。いくら膨大な精霊を従えようとも、どれだけ才があろうとも、意思が無くば力は生まれない。

疑念を、迷いを、動揺を孕んだ心では強固な意志は決して生まれない。

 

(そうだ。もっと、もっと迷え。動揺しろ。ふふふ。いくら神凪宗家の血が流れていると言っても、所詮はまだ子供。貴様らの戦意を挫くなど容易い事。そして隙を見せれば……)

 

綾乃、燎に構っていた風牙衆の二人が、彼女動揺した一瞬の隙を突いて離脱した。狙う先は美琴と互角の戦いを続けている重悟。

 

「むっ!」

 

重悟はその接近に気がついた。視界に映る二つの巨大な泥の塊。

 

「喝ァッ!」

 

両手をそれぞれに向け、気合と共に炎を放つ。どの道放置しておける相手ではない。このまま美琴に合流されれば問題だ。

美琴にも注意を向けつつも、重悟は迫る二つの泥人形を迎撃する。浄化の炎は魔性のみを焼き尽くし、風牙衆には一切の被害を与えない。

妖気だけが焼き尽くされ、中から風牙衆の男が姿を現す。だが彼らは妖気から解放されながらも、重悟への突進を止めなかった。

 

「うぉぉぉぉっっ!」

「神凪重悟!」

 

二人は妖気に侵食されながらも意識を失っていなかった。それどころか、妖気から開放されても重悟に向かい無謀ともいえる突撃を行った。

これにはさすがの重悟も驚きを隠せなかった。しかし向かってくるのならば容赦はしない。

 

重悟は炎の一部だけを二人に向けて解き放つ。威力は意識を奪う程度。殺すつもりは無かった。

だが風牙衆の二人は炎に焼かれながらも、意識を飛ばさずにそのまま重悟へと掴みかかった。本来なら紫炎に触れた瞬間に彼らは灰すら残さず消滅するのだが、重悟は標的以外を燃やさないと言う高等技術で彼らを燃やさずにいた。

 

(やむを得ん!)

 

重悟は拳に力を込め、二人の男の腹部に拳を打ち込ませる。くぐもった声を上げながら、ようやく男達は意識を手放した。

 

「これで……」

 

地面に倒れこむ二人の男。重悟はそのまま美琴に集中しようとしたが、この時すでに彼は致命的なミスを犯していた。

見れば美琴は手を頭上に掲げ、ありえないほどの数の精霊を召喚していたのだ。

 

「なっ!」

 

風牙衆の二人の目的は隙を作る事。重悟がほんの僅かな時間、それこそ一秒か二秒でもいい。美琴から意識を逸らせばいいと考えていた。これは兵衛の入れ知恵である。

 

呼霊法により二人の術者は妖気に支配されながらも、兵衛の策を利いていたのだ。

重悟は厳馬に比べて甘い。兵衛のみならば殺す事を考えただろうが、できる限り犠牲者を少なくしようと彼は思っていた。

それはこの場にいる若い宗家の人間に血なまぐさい場面を見せたくないと言う思いもあった。首謀者さえ倒せばそれでいいと。

 

無論、彼も状況によっては殺す事も厭わないがなまじ力があるだけに、彼は理想を追求してしまった。

尤も仮に重悟が最初から風牙衆の二人を殺すつもりであっても彼らは命を賭して、それこそ捨ててでも重悟相手に数秒の時間を稼いだだろう。

 

風術師と炎術師。この両者が互角であった場合、最大規模の攻撃で打ち合えば必ず炎術師が勝利する。

あの和麻でさえ、聖痕を発動し中間圏の風をかき集め圧縮した風とは思えない最大級の一撃を持ってしても厳馬を倒しきる事は出来なかった。

今の美琴では重悟を真正面から力押しで倒す事など出来ない。

 

ならばどうすればいいのか。決まっている。相手が最大級の攻撃を放つ前にこちらが最高の一撃を与えてやればいい。

重悟は周囲に紫炎をすでに展開している。ここからさらに炎を召喚すれば、並大抵の攻撃では突破は出来ないだろう。

 

しかし今美琴が手元に集めている風の精霊はその防御を突破するのに十分だった。さらには神がそこへと妖気を流し込み、さらに力を増している。

重悟は何とか炎を召喚し続けるが間に合いそうに無い。二秒、いやあと一秒でも早く気がついていれば……。

 

「お前達の稼いだこの時間、無駄にはせぬ。やれ、美琴!」

 

兵衛の声と共に美琴は風を開放する。

 

「うおぉぉぉぉっっ!」

 

ギリギリまで召喚した紫炎を重悟は解き放つも、美琴の風はそれを切り裂き、吹き飛ばす。紫炎ににより多少は威力を落としたが、未だに消えない風は重悟の身体を守る炎さえも切り裂き、重悟自身をもその対象とした。

 

「がはっ……」

 

全身をズタズタにさえ、重悟は肩膝を付いた。未だに意識を失っていないと言うのはさすがというべき。

久しく忘れていた痛みが襲う。文字通り全身を引き裂かれ、重悟は大量の血を流す。

 

「お父様!」

「来てはならん!」

 

綾乃は思わず父親に駆け寄ろうとしたが、重悟はそれを制した。下手に動けば危険だと言う事は彼は分かっていたからだ。

美琴には変化は無い。アレだけの妖気を放ったと言うのに未だに消耗した気配も無い。

 

(いかん。予想以上に私の傷が深い。それに久しぶりの実戦で体力の消耗も激しい……)

 

自分が戦える身体では無いと言うことはわかっていた。それを承知でやってきたのにこの体たらく。自分の力を過信していたと言う事か。

重悟は自嘲する。綾乃達にあんな事を言っておきながら、自分はこの様とは。それに見れば右足が完全に壊れている。義足としての役割を果たすことなど出来そうにも無い。

 

いくら攻撃力が強くても当てられなければ意味が無い。この場を動けぬ、立ち上がることさえ出来ない今、機動力の優れた風術師に攻撃を当てる事が果たしてできるのか。

 

美琴の右手に再び風が収束していく。召喚速度も威力も高い。今の消耗し、傷ついた重悟にはあまりにもきつい。

 

「美琴ぉっ!」

 

不意に彼女を呼ぶ声が聞こえた。見れば燎が美琴に向かって飛び出していた。彼の姿を見た美琴は若干、ピクリと身体を反応させたが重悟に向ける風とは別の風を左手に集め、燎に向かい解き放つ。

 

「がぁぁぁっ!!!」

 

炎を展開しても燎の炎は重悟や厳馬とは比べ物になら無いほどに弱い。たった少し溜めただけの美琴の攻撃にも耐え切れず引き裂かれた。血を流し、身体を切り裂かれ地面に倒れ伏す。

 

「燎!」

 

思わず綾乃も叫んだ。思わず駆け出し、美琴に切りかかっていた。

 

「っ!」

 

衝動的に美琴に炎雷覇を振り下ろしてしまった綾乃は、自分が何をしているのかわからなくなっていた。助けるといったのに、自分は今、何をしている?

怒りに任せ、友人に炎雷覇を振り下ろしている。

 

といっても、仮に綾乃がここで美琴に攻撃を加えなければ彼女は追撃で重悟と燎を攻撃していたであろう。そういう意味では綾乃の行動は正しく、何もしなければ二人は美琴に殺されていただろう。

 

美琴はそんな綾乃の炎雷覇を両手に持った扇子で受け止める。破邪の剣である炎雷覇を何の変哲も無い扇子で受け止める。これだけで今の綾乃と美琴にどれだけの力量差があるかが読み取れる。

 

一度綾乃は美琴から距離を取る。はぁはぁと息を荒くしながらも、何とか炎雷覇を正眼に構え、いつでも最適な動きが出来る構えを取る。

 

しかしどうすればいいのだ。燎は意思こそ失ってはいないが、傷の影響で立ち上がれずまた炎を召喚する事も出来そうにない。重悟も同じであり、全身傷だらけで義足も破損している。雅人と煉はあの泥人形一人に手を焼いている。

 

自分がしっかりとしなければと、綾乃は自身を奮い立たせるが、未だに兵衛の言葉が耳に残る。いや、それどころか兵衛はなおも綾乃を動揺させる言葉を彼女の耳に届ける。

 

『どうした? 美琴を助けるのではなかったのか? それともやはり口先だけか。所詮、お前にとって美琴はその程度の存在じゃったか』

「違う! あたしは美琴の事を大切な友人だと!」

『ならば助けてみよ。しかし重悟でさえ出来なかったものが、お前に出来るか?』

 

くくくと綾乃を嘲り笑う兵衛に綾乃は怒りを覚えつつも、何とかしなければと考える。何かいい方法は無いか。

 

「く、そっ……」

「燎! あんたは動かないの! そんな身体じゃ無理よ!」

 

無理やり立ち上がろうとする燎に綾乃は叫ぶが燎は聞き入れない。

 

「俺は美琴に恩があります。絶対助けるって決めたんです。だからこんな傷なんて……」

 

傷口から血を流しながらも、燎は立ち上がり刀を構える。

 

『馬鹿め。死にぞこ無いが。美琴!』

 

美琴がまるで舞を踊るかのように扇子を振る。扇子から発生する衝撃波が綾乃と燎に襲い掛かる。

 

「はぁっっ!」

 

綾乃は燎を守るように彼の前に立ち、炎雷覇を振り下ろし、炎を放ち衝撃波を焼き尽くす。

 

『それで防いだつもりか! 愚か者め!』

 

兵衛の言葉が耳に届いた瞬間、美琴の姿が掻き消え綾乃と燎の眼前まで出現した。

 

「くっ!」

 

綾乃は炎雷覇を構え何とか防御をこなすが、一瞬の隙を付かれ燎ともども後方へ吹き飛ばされる。

 

『止めを刺せ、美琴!』

 

兵衛の命令で美琴は二人に向かい扇子を振り上げる。やられると二人は思った。

だが二人に攻撃が届く事はなかった。

 

『どうした、美琴! その二人を殺せ!』

 

しかし美琴は一向に動かない。それどころか小刻みに身体を震わせている。彼女の手に握られていた扇子がポトリと地面に落ちる。

 

「りょ、燎様、綾乃様……」

 

不意に美琴の口から声が漏れる。

 

「美琴?」

「あなたまさか意識が?」

 

今まで妖気に支配され虚ろな瞳を浮かべていた美琴の目が、いつもの彼女のものへと戻っていた。彼女は自分の身体を抱きかかえるように腕を回し、地面に膝を付く。

 

「馬鹿な。神の……ゲホウ様の妖気を抑えておるのか?」

 

美琴が一時的に意識を取り戻した事に兵衛自身も驚いていた。堕ちたとは言え、かつては神であり現在でも大妖魔である風牙の神であるゲホウの妖気を取り込んでも自我が崩壊していない。

一瞬とは言え、本来の自分を取り戻している。

 

「はい、燎様、綾乃様・・・・・・・・。時間が、ありません。私が、私であるうちに、お願いします。私を・・・・・・・殺してください」

 

美琴は二人に自らを殺してくれと懇願した。

 

「な、何を言ってるんだ、美琴! そんなこと出来るはずが無いだろ!?」

「そうよ! あなたを殺すなんて!」

 

燎も綾乃も声を張り上げるが、美琴は首を横に振り否定する。

 

「もう時間が、ないんです。私が、私じゃ、なくなって……」

 

途切れ途切れに美琴は告げる。自分自身でもう無理だと思っていた。浄化の炎を使える重悟は満身創痍。綾乃も燎も浄化の炎を使えない。仮に使えたとしても今の美琴に取り付いた妖気を浄化するには、それこそ神炎クラスの力が必要になってくる。

 

「私は、これ以上、燎様や綾乃様を、傷つけたく、無いんです」

 

涙を流しながら彼女は訴える。自分の身体が妖気に支配され動かなくなってからも美琴にはおぼろげながら意識はあった。夢を見るかのように、彼女は自分が何をしているのか見ていた。

 

重悟を、燎を、綾乃を傷つけた。殺そうとしている。

嫌だった。傷つけたくなかった。殺したくなかった。

 

兵衛はああ言ったが、美琴は神凪一族を恨んでいない。いや、風牙衆の扱いに対して何も思わないわけではないが、少なくとも綾乃や燎は自分を良き友人として扱ってくれた。そこには神凪とか風牙衆とかの壁は無かった。

そんな友人達を手にかけようとしている。それだけは絶対に出来なかった。

 

「だから、お願い、します。私を……」

 

気を抜けばすぐに身体が支配されそうだった。ギリギリで身体の自由を取り戻してはいるが、いつまた妖気に支配され、綾乃達に牙を向くかもわからない。

 

「早く、殺して、……ああっ!」

 

美琴の身体が激しく痙攣する。妖気が全身を駆け巡り、激しい痛みが彼女を襲う。抵抗する彼女を消そうとしているかのように。

 

「み、美琴!」

 

倒れながらも燎は必死に手を伸ばそうとする。だが美琴に届かない。触れる事は無い。身体がまったく動かない。

綾乃も何とか立ち上がろうとするが、激しく地面に叩きつけられたのか思うように立ち上がれない。

 

こうしている間にも美琴は妖気で苦しんでいるのに。何も出来ない自分達があまりにも不甲斐なかった。

美琴は必死で抗おうとしているが、脆弱な人の意思では、人の身では堕ちたとは言えかつて神だった存在の力には対抗できない。

妖気が強くなり、さらに祠から新しい妖気があふれ出す。それは黒い塊になって美琴へと迫る。これが美琴と合わされば、彼女の意識は完全に消え去る。

 

「美琴に触れさせないわよ!」

 

綾乃は動けないながらも炎雷覇を妖気に向けて構える。今持てる全ての力を炎雷覇に込めて打ち出す。黄金の炎が妖気とぶつかり焼き尽くそうとするが……。

 

「そんな!」

 

妖気は確かに燃やされた。だがそれは半分程度。残りの半分は速度こそ落としたものの、確実に美琴に迫っていた。

もう間に合わない。

 

「美琴ぉっ!」

「だめぇっ!」

 

燎と綾乃の叫びが周囲に響く。二人は見ているだけしか出来ない。ただ美琴が妖気に襲われるのを。彼女が完全に消え去るのを。

この場の誰もが諦めかけた瞬間、それは空より降り注いだ。

 

ゴォッ!

 

突風と言うにはあまりにも強大で、それでいてあまりにも優しい風が周囲を包む。蒼き風のカーテンが空より舞い降りた。

 

「なっ!?」

 

驚愕の声を上げたのは誰だっただろうか。誰もが目の前の光景に意識を奪われた。

蒼く輝く大気が妖気を飲み込む。綾乃の炎でさえ燃やし尽くせなかった妖気を浄化する。妖気に支配された風を喰らい尽くし、自らの力へと変換していく。

妖気に支配され、蹂躙されていたはずの美琴の身体さえも、風は優しく包みこむ。まるで母なる存在に抱きしめられているかのように。

 

(暖かい……)

 

風に抱かれた美琴は心の中で小さく呟く。蒼い風の奔流はしばらく続いた。風は周辺の全てを飲み込んでいく。浄化していく。

美琴に取り付いていた妖気も、風牙衆に取り付いていた妖気も、周辺に漂っていた妖気さえも、例外なく蹴散らした。

 

「い、一体なにが……」

 

兵衛は何が起こったのかわからず、呆然と呟く事しかできなかった。風が全てを飲み込むと、何事も無かったかのように蒼い風は消え去った。

空を見上げる。空に広がるは雲ひとつ無い蒼穹。そして……。

 

「な、に……」

 

何も無い空に彼は、彼らはいた。

蒼い空にポツリと浮かぶ一人の男。その表情は死神のようにも思えた。まるで忌まわしき物を見せられたかのような、そんな表情。

男は手に身の丈ほどもある槍を持ってた。蒼い輝きを放ち、いくつもの流れるような装飾が施された柄と、研ぎ澄まされた銀色の刃が伸びた槍。

 

もう一人の少女は取り立てて何も目立った武器を持っていない。強いて言えばパソコンのようなものを抱えているくらいか。

 

だが兵衛は、この場の誰もがその男には見覚えがあった。

 

「よう。来てやったぞ、兵衛」

「にひひひ。処刑の時間ですね」

 

全ての風を統べる男と電子を統べる少女。

八神和麻とウィル子。ここに彼らは参戦した。

 

 


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