風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第二十一話

攻撃を防がれた綾乃はそのまま後ろに飛び退き、相手との距離を取る。

心中はやはりと言う思いが占められている。

先ほどまでの和麻とゲホウの戦闘を、綾乃はすべて見ていた。と言っても、あまりにも速過ぎる和麻の攻撃に何とか目で追いかけられていた程度ではあった。

 

途中、何か巨大な力がゲホウに向かい襲い掛かったのも何とか気がついた。光学迷彩をかけられていたので、詳細を知る事はできなかったが、それでも和麻の力を思い知った。

 

はっきり言って、ありえないと思った。

最初にこの場に現れた時も、尋常ならざる力を身に纏っていた。とても大阪で遭遇した人物と同じとは思えなかった。

強いとか言う範疇では無い。自分とは次元が違う。それこそ尊敬する父である重悟や、叔父である厳馬と同じくらい、いや、それ以上かもしれないと思ってしまった。

 

自分とは違う領域で戦う両者。炎雷覇を持っていても自分如きが足を踏み入れられる領域で無いと言うことは理解している。肌で感じていた。

けれども飛び出してしまった。

 

(……炎雷覇の一撃を余裕で受け止めるなんて、そんなのあり?)

 

何て愚痴をこぼすが、これは自分が未熟なだけであろうと思い直す。和麻の攻撃ではずいぶんと傷を受けていたのだ。無敵で無いと言うことはそれが証明している。

 

(なんて弱いんだろう、あたし……)

 

ギリッと歯をかみ締め、己の不甲斐なさを恨む。

ゲホウは綾乃を一度だけ見ると、すぐさま視線を和麻へと戻す。炎雷覇を構え、攻撃の意思を示していると言うのに、ゲホウは綾乃を何の脅威にも思っていなかった。

 

(このっ! 少しはこっちを気にしなさいよ!)

 

だが油断しているのなら幸いだ。何でも炎雷覇で斬りつけよう。炎雷覇を突き立てることさえ出来れば、あるいは倒せるかもしれない。

 

(そうよ。もうあたししかいないんだから)

 

重悟もすでに戦える状態ではない。和麻の薬のおかげで傷は塞がってきているが、あのゲホウ相手に戦える程には回復していない。

燎も煉も自分よりは弱い。分家も出力だけ見れば、綾乃に圧倒的に劣る。それこそ水鉄砲とホース以上の差だ。だからこそ、自分がやらなければならない。

それに、綾乃は和麻に言いたいことがあった。

 

「はあっッッッ!」

 

気合と共に黄金の炎を吹き上がらせ、炎雷覇へと力を込める。大阪で流也と戦った時のように、自分の持てる力全てを込める。

綾乃はゲホウに向かい背後から迫る。炎雷覇をそのまま突き刺すべく、綾乃は突き進む。

 

対してゲホウは背中の羽を羽ばたかせ、綾乃を寄せ付けないようにする。視線は向けない。向ける必要も無い。風が綾乃の姿を捉えているし、彼女の一撃では自分に手傷を負わせる事が出来ないと思っているから。

 

ゲホウにしてみれば、飛んでいる羽虫を払いのける程度の感覚に過ぎない。食人衝動も和麻への怒りが勝っているのか、綾乃の姿を見てもこみ上げては来ていないようだ。

チャンスと思い綾乃は再度切りかかる。

 

だが羽虫と言えども、自分の周辺を飛び回られれば鬱陶しいのは言うまでも無い。近くにいなければ放っておく程度の存在でも、自分の周辺にいられれば払いのけられる。

 

ゲホウは和麻に意識を向けたまま、風を操り綾乃へと攻撃を行う。

ゲホウにしてみれば、何て無い攻撃だが綾乃にしてみれば自分の全力を持ってようやく受け止められる攻撃。

綾乃は炎雷覇で防御を行うが、それでも風で吹き飛ばされてしまう。

 

「きゃぁっ!」

 

実力の差は歴然だった。ゲホウに向かおうとした時、重悟には止められた。これほどの相手と自分の力量の差が理解できないほど未熟でもない。

重悟の制止を振り切り、綾乃はゲホウへと挑んだのにこの有様だ。

 

風で上空に吹き飛ばされ、そのまま重力に向かい自由落下。大阪でも一度体験したことではある。

このままでは地面に叩きつけられる。何とかしなければと綾乃は考えたが打つ手が無い。

だがそんな綾乃を空中で抱き止める存在がいた。和麻だ。

 

「あっ……」

「あっ、じゃねぇ! この阿呆が!」

「あ、阿呆って!」

「ああっ!? 自分と相手の力量差も分からない奴はそれで十分だ!」

 

綾乃の反論に和麻は声を荒げながらに言う。はっきり言って、綾乃が介入できるレベルではなく、逆に綾乃にまで意識を割かれて不利になる。

別に綾乃が死んでも構わないが、それで食われては元も子もない。さらには重悟の手前もある。

 

「じ、自分と相手の力量くらい分かってるわよ! でも仕方が無いじゃない! もうあたししか戦えないんだから!」

 

綾乃は和麻に反論する。彼女は何も考えなしで来た訳ではないのだ。

二人が会話を続けている間にもゲホウの攻撃は続く。和麻は器用に虚空閃を操り、距離を保ちながらゲホウの攻撃を捌く。

先ほどの攻撃のダメージがじわじわ効いているのか、ゲホウの和麻達への攻撃は先ほどより弱まっていた。

何とか会話の片手間に捌ききれる。

 

「お父様はもう戦えない。あたしより弱い燎や煉じゃ余計に足手まとい。分家の叔父様達も同じ。あんただってあいつに苦戦してたじゃない」

 

彼女もわかっていた。和麻が倒されれば次に狙われるのは自分達であると言う事を。そうなれば自分達に抗う術は無い。

 

「あんたがやられたら、あたし達も殺される。だったら、少しでも協力した方がいいじゃない」

「間違いじゃないが、それはお前の力がある程度に達してた場合だ。お前の場合、足手まといにしかならない」

 

無常に、正直に、はっきりと言い放つ。和麻としてみれば足止めや使い捨ての駒は欲しいが、吹けば飛ぶような脆い紙のような盾は邪魔なだけだ。

 

「……わかってる。わかってるわよ! それくらい! それでも命を懸ければ足止めくらいは出来るわ!」

 

手に力を込めて綾乃は言い放つ。彼女は何となくだが和麻が切り札を持っていると言う事に気がついていた。それがどんなものか、どれほどのものかまではわからないが、大阪の一件で彼女は何となく和麻とウィル子はこの状況を打開する何かを持っていると漠然と感じていたのだ。

 

「……時間稼ぎくらいはできるわ。ううん、絶対にする。だから、あたしにも手伝わせて」

「邪魔」

 

真っ直ぐに和麻を見る綾乃だったが、即和麻に切り捨てられた。

 

「ぐはっ! って、あたしがここまで言ってるのに何で断るわけ!?」

「不確定要素を組み込みたくないんだよな、俺。つうかお前程度だとマジで足手まといなんだよ。俺的に苦労は分かち合うようにしたいんだけど、今のお前じゃ本当に役に立たないんだよ。逆に俺が苦労しそうだし」

 

綾乃に気を取られていてやられましたじゃお話にもならない。綾乃が重悟、厳馬クラスとまでは言わなくとも、もう少しだけでも強ければこの申し出はありがたかったのだが、壁にすらならない今の綾乃では本当に邪魔なだけだ。

ちなみに苦労は分かち合っても、おいしい所は独り占めなのは言うまでも無い。

 

「ああ、もう! ええ、どうせあたしは弱いですよ! 足手まといですよ! 邪魔ですよ! 悪かったわね!」

「自覚してるんだったらもう少し強くなっとけよ。そうすりゃ、時間稼ぎくらいは任せたのに……」

 

はぁっと和麻はため息を吐く。綾乃はそんな和麻の態度に青筋を大量に浮かべる。

 

「もういい。話は終わりだ。お前はどっか行ってろ。そろそろお前と会話しながらあいつの攻撃を捌くのも限界だ。あいつもずいぶんとダメージを受けてるから、まあなんとかなるだろう」

 

黄金色の風の一撃は相殺されたが、確実にゲホウの身体にダメージを与えている。無理やり表面の傷を己の存在の力で回復させたが、本体の力は弱まっている。

ゲホウは今は和麻への怒りで動き回っている。感情が優先し、後先考えないで戦っている。傷の回復や和麻達への攻撃。自らの存在の力を切り崩し、神の、妖魔の力を消耗させ続けている。

 

三百年前に神凪により倒され、封印され、その間に一切のエネルギーの補充がなかった。さらには封印を破るために力を使い、流也や美琴を始めとする風牙衆に力を分け与えた。

兵衛の肉体と精神、魂を取り込み一時的にエネルギーを得たがそれも微々たるもの。すでに和麻の度重なる攻撃と黄金色の風の直撃を防ぎ、相殺したことで使い切っている。

 

こうなれば根競べなのだ。先にゲホウの力が尽きるか、和麻の力が尽きるか。

もしここで綾乃が、いや、神凪の誰かや美琴が食われればそれこそ致命傷なのだ。

 

「お前があいつに喰われたら、こっちがさらに不利なんだよ。それくらい理解してるだろ?」

「……わかってるわよ。そんなこと」

 

悔しそうに綾乃は呟く。

 

「だったら宗主達と一緒に出来る限り逃げとけよ。邪魔なんだから。今の所、あいつは俺が第一目標だから、悲しい事に俺が逃げれば絶対に追ってくるだろうしな」

 

逃げている間に時間を稼いで黄金色の風を用意しようかとも考えている。

もう一発放って、黄金色の風が直撃している間に虚空閃で全力の攻撃を叩き込めば、致命傷を与えられるのではないか。

 

「……だって、そうなったらあんたそのままあたし達には関わらないで、どっか行っちゃうでしょ? 大阪でもそうだったし」

 

思い出しただけでも腹立ってきた。綾乃は密かにそう思った。

 

「あっ? んなもん当然だろ。何で好き好んで神凪とつるまないとダメなんだよ」

 

当たり前だとばかりに和麻は言う。と言うか、こいつはこんな状況下であの時の文句でも言いに来たのか? だとすればとんだ大馬鹿で考え無しの阿呆だ。

 

「お前、まさかあの時の文句でも言いに来たのか?」

 

若干声を荒げ、怒りを沸きあがらせながら和麻は言う。ゲホウを相手にしながら、ヤバイ状況だと言うのに。

 

「違うわよ! いや、確かにあの時の恨み言もあるけど……」

 

ぼそぼそと綾乃は言う。和麻はそんな姿にさらに怒りを覚える。

 

「でも言っときたかったことは別。……その、ありがとう」

 

小さく、綾乃は呟いた。

 

一瞬、和麻の動きが止まってしまった。そんな和麻の動きを見逃さないゲホウではなかった。風の刃がいくつも和麻に迫る。

 

「ま、マスター! 前、前! って、ああ、電子武装壱号! イージス開放!」

 

隣に浮遊していたウィル子がピンチだと判断して、彼女の固有武装である魔力障壁を展開した。

イージスと称した盾はゲホウの攻撃を完全に遮断しつくす。電子の精霊の障壁はいかなる攻撃をも弾き返す。

 

「マスター! しっかりしてくださいなのですよ!」

「ああ、悪い悪い。助かったぞ、ウィル子」

 

思わず動きを止めてしまった和麻はウィル子に謝罪する。

 

「お前、いきなり何言い出すんだ。思わずピンチになっちまっただろうが」

 

恨みがましく和麻は綾乃に言うが、その顔はなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

「うっ、わ、悪かったわね! でもただお礼を言っただけでしょ!?」

 

顔を若干赤らめながら、綾乃は叫んだ。

 

「いや、そもそもなんでお礼なんて言うんだよ」

 

和麻はゲホウに意識を向けながら、綾乃に聞き返す。

 

「……大阪では巻きこまれたと思ったけど、実際は助けられてたみたいだし、美琴の事もあったから……」

 

和麻のおかげで美琴は助かった。大金を請求されたが、和麻が薬を渡してくれたおかげで重悟も燎も慎吾も大事には至らずにすんだ。

だからお礼を述べたかった。このまま和麻に関わらなかったら、もう二度と言う機会が無いと思った。

 

和麻に協力しなければと思ったのも事実だが、お礼を述べたかったと言うのも本音である。我ながら、無茶をしたなと思う。

そんな綾乃の姿に和麻は……。

 

「……ああ、しまった。そっちも請求しとけばよかった」

「はぁっ?」

「俺としたことが、お助け料を宗主に請求するの忘れてた。大阪の一件と今回の件で十億ぐらい貰っとけばよかった。くそ、失敗した」

「なっ、あ、あんたは…」

「ほんと。損したな。あっ、これ終わったら請求するかな」

 

などとのたまった。

 

「さ、最低! うわっ! あたしがせっかくあんたに感謝の気持ちを抱いてたのに、全部消し飛んじゃったわよ! と言うか返せ! あたしの感謝の気持ちとかその他もろもろ!」

「いや、お前が勝手に言った事だろ?」

 

とこんな状況にも関わらず、和麻は楽しそうに軽口を叩いた。

ウィル子はそんな様子を眺めつつ、余裕だな、この人達と思いながら汗を流した。

 

しかしウィル子はわかっている。和麻がこんな風に軽口をたたくと言う事は、綾乃の言葉に戸惑っているのだという事を。

和麻は感謝されるつもりは一向に無かったし、されたいとも思っていなかった。

 

人と言うのは不思議なものである。己には決してかけられるはずの無い言葉を言われると戸惑いを感じてしまう。それが不意打ちだったらなおさらである。

和麻は絶対にそれを表に出さないし、本人にもその気は無いだろうが綾乃の感謝の言葉に戸惑いながらも心をいい意味で揺さぶられたのだ。

 

だがその時不意にゲホウの力が高まったのを感じた。風でゲホウの動きを常に把握していたが、突然ゲホウは突進をかましてきた。

音速にも近い速さで和麻との距離をつめ、巨大な斧を振りかぶる。

 

「くっ!」

 

和麻は何とか回避しようと試みる。仙術と風術を駆使し、神速の高速移動で回避を試みる。

しかしゲホウはそれすらも見抜いていた。和麻の逃げ道を漆黒の風で防いでいた。

 

「マスター!」

 

ウィル子の叫び声が聞こえる。回避は間に合わない。相殺しきれるか!?

虚空閃を突きつけ、漆黒の斧を迎え撃つ。蒼と黒がぶつかり合う。

 

(不味い。逸らされる)

 

振り下ろされた斧の威力に虚空閃がはじかれそうになった。いくら強力な武器でも和麻の腕力は人間の範疇である。和麻は技術を持ってそれを補っていたが、単純な力では和麻に勝ち目は無い。

キンっと音がすると虚空閃の矛先が下に逸らされた。

 

瞬間、ゲホウが笑ったような気がした。ゲホウは次の攻撃に出る。それは斧でもない。手でもない。足でもない。単純な頭突きである。

ただの頭突きと侮る事なかれ。オリハルコン製の虚空閃でも硬いと思わせる肉体。そこから繰り出される一撃は直撃すれば頭蓋骨を簡単に砕き去り、ざくろのように人間の脳髄をあふれ出させるだろう。

 

厳馬との戦いの時と同じようにスローに時間が流れるように和麻は感じた。しかしあの時とは違う。距離が、位置が、状況が。

聖痕の発動も間に合わない。ウィル子の防御が間に合うかどうか。それに先ほどイージスを発動させてしまった。

 

だがその直前

 

「はぁっ!」

 

綾乃の炎雷覇が迫り来るゲホウの頭に突き刺さった。

 

『グガァッ!?』

 

緋色に輝く刀身。横合いからゲホウに向かい突き出される炎雷覇が和麻に直撃するはずだった頭突きのコースを変えた。

 

「あたしを、舐めんじゃないわよ!」

 

綾乃が咆哮を上げた。彼女は怒っていた。あの大阪と同じように。否、それ以上に。

気性の荒い綾乃はここまでよく我慢したものではあるが、彼女は押さえ込んでいた感情をここに着て一気に爆発させた。

 

彼女を支配している怒りの感情。しかしそれは和麻に対するものではなかった。

いや、和麻に対する物もあったが、それ以上に別の存在に向ける怒りが大半であった。

 

怒りの対象は神凪綾乃と言う自分自身。

京都に来て、彼女は自分自身の弱さや愚かさが頭に来ていた。

何も出来ない自分。何も知らなかった自分。無力な自分に。

風牙衆の現状を何も知らなかった。美琴を自分の手で助ける事が出来なかった。和麻が来てくれなければ、美琴は妖魔に食い殺されていた。みんな、殺されていた。

 

次期宗主なのに、炎雷覇の継承者なのに、何の役にも立てなかった。

決死の覚悟で、思いで和麻に協力をしようと思った。自分の力が未熟であると言う事は理解している。次元が違うと言うことも理解している。

でも少しくらいは、ちょっとくらいは役に立てると、命を懸ければ、命を捨てる覚悟で望めば、足止めくらいは出来ると思った。

 

だがそれも和麻に一蹴された。邪魔だと。足手まといだと。

自分の無力さ加減があまりにも腹立たしかった。

目の前に迫るゲホウとやられそうになる和麻の姿。和麻と同じように綾乃もその光景がスローに見えた。

また何も出来ないのか。また見ているだけか。綾乃はそう感じた。

 

奇しくもそれは和麻と同じだった。彼女もまた、自らの弱さに打ちひしがれた。しかも彼女の場合は、力を持っていたにも関わらず何も出来ないと言う現実を突きつけられた。

 

ふざけるな。彼女の心の奥底で何かがキレた。

この男が死ぬ。そんなことはさせない。絶対させない!

そして絶対にこの男を一発殴る。いや、一発で済ませるものか。ボコボコに殴ってやる!

人が折角感謝の言葉を述べたのに、それを無下にされた。自分だって色々と葛藤を抱えて、何とか述べた言葉だというのに。

 

気がつけば、無意識に綾乃は炎雷覇を迫り来るゲホウに付きたて、炎を放っていた。

炎の色が黄金から徐々に赤みを帯びていく。朱金の炎が炎雷覇に収束されていく。

朱金の炎を纏った炎雷覇はゲホウのこめかみに若干ながらの傷を与える。僅かな傷ではあるが、それでも傷を付けた。

 

綾乃の攻撃は止まらない。僅かな傷から綾乃は炎をゲホウに向かい送り込む。怒りの感情を全てぶつけるかのように。

目の前のこいつが邪魔だ。和麻と話をつけるのはその後。こいつを倒してから!

 

「邪魔なのよ! あんたはぁぁっっ!!!」

『ぐがぁぁっっ!!!』

 

苦悶の声が響く。ゲホウは風を操る神であり、妖魔である。そのため浄化の風であっても、その耐性は高く、ダメージを与えにくい。

しかし炎に対する耐性は高くは無い。相性としては綾乃の方がいいのだ。それを直接、傷口から体内に、それも頭に流し込まれてはいくらゲホウと言えどもたまったものでは無い。

 

即座にゲホウはその場を離れる。離脱する。炎が未だに頭部に纏わり付く。何とか黒い風で吹き飛ばすが体内に侵入した炎を即座に消し止める事は出来ない。

 

「逃がすかぁっ!」

 

綾乃は追撃する。炎を炎雷覇より解き放ち、巨大な火球にしてゲホウに向かい打ち出す。

万全の状態ならゲホウには有効では無いだろうが、今のゲホウでは少々手を焼く。

頭に残る痛みを無視し、ゲホウは斧で朱金の炎を迎撃する。

 

和麻はそんな綾乃の姿をただ呆然と見る。彼女は気づいていない。自分が神炎を出していると言う事に。ただゲホウを倒す事を考えている。

和麻は口元を僅かに歪める。

 

「おい、綾乃」

「何よ! 今忙しいんだからか後にして!」

 

炎雷覇から炎をいくつも打ち出しながら、綾乃は和麻の言葉に険しい口調で答える。

 

「前言撤回だ。時間を稼げ」

「……えっ?」

 

一瞬、和麻が何を言ってるのか理解できなかった。思わず和麻の顔を見てしまう。

 

「余所見をするな。集中力を乱すな。攻撃の手を緩めるな。あいつだけを見ろ」

 

和麻に言われるまま、綾乃はハッとなりながらゲホウの方を見る。

 

「これから大技かます。準備まで約一分。お前とウィル子で稼げ」

 

言いながら、和麻は地面に綾乃と共にゆっくりと着地する。

 

「言ったからには実行しろ。時間稼ぎくらい出来るんだろ?」

 

綾乃はゲホウから視線を逸らさないように何とかしたが、絶対に和麻の顔が笑っていると思った。それも人を小馬鹿にしたような顔であると言う事が、簡単に想像できてしまった。

 

「当たり前じゃない。それくらい簡単にできるわよ!」

 

だから綾乃は言い放つ。ああ、それくらいできる。してやる。炎雷覇にさらに力を込める。全身から力を漲らせる。溢れさせる。怒りと共に、彼女の中で歓喜の感情がわきあがる。

何故だろう。心が弾む。心が高揚する。今なら、何でも出来るような、そんな気がした。

 

「いい返事だ。ウィル子、こいつを援護しろ」

「なんか釈然としませんが、了解なのですよ、マスター。では、はい、これ」

 

ウィル子は和麻に完全に目元が隠れるバイザーを渡す。

 

「何よ、それ?」

「これから使う大技はな、視覚を潰した方がいいんだよ。だから何も見えないこいつをかけるんだ。視覚が無くても、風術師だから見えなくなることは無い」

 

嘘である。綾乃にはこう説明したが、和麻は聖痕を発動してそれを見られるのが嫌だから目を隠そうとしたのである。

 

「じゃあしっかり時間を稼げ、お前ら。少しは期待しててやるからよ」

「言ってくれるじゃないの、和麻。時間稼ぎ? むしろ倒してやるっての!」

 

和麻に背を向けながら、綾乃はそんな事を言い出した。その言葉にウィル子はプッと噴出し、和麻も爆笑した。

 

「な、何よ! いいじゃない、少しくらい見え張ったって!」

「まあ頑張れ」

「頑張ってくださいね」

「あ、あんたら……。見てなさいよ!」

 

くくくとそんな綾乃の姿を見ていると、和麻は不意に笑みを消し真面目な顔で綾乃に言う。

 

「綾乃。死んでもとか命を賭してとかの自己犠牲なんて言葉で死を美化するな。死は全ての終わりだ。過去・現在・未来の全てが一瞬で意味を失う。やり直しなんて効かない、絶対の終わりだ。あいつを倒しても死んだら意味は無い」

 

いきなり雰囲気が変わった和麻に綾乃は若干の戸惑いを覚えながらも、彼女は素直に彼の言葉に耳を傾ける。

 

「だから死を恐れろ。生き残る事だけを考えろ。無理して倒す必要は無い。時間さえ稼げば、俺が終わらせる」

 

はっきりと言い放つ和麻。しかし綾乃もそう言われてはいそうですかと素直に言えない。

 

「馬鹿にしないでよ。誰が死ぬもんですか。あたしはね、あんたにあとで一発どころか何発も殴らないとダメなんだから。こんな所で、死んでやるもんですか」

「……じゃあ死んでもいいか」

「べーだ。絶対に死んでやらないから」

 

お互いに軽口を言い合う。そんな二人の姿にウィル子がかなり不機嫌な顔をしていたのはご愛嬌だろう。

 

「……時間は稼ぐわ。ヘマしないでよ」

「誰に物を言ってるんだ、小娘。お前こそ、きっちり時間を稼げよ、綾乃」

「言われなくても!」

 

綾乃は走る。自らに与えられた役割を果たすために。

 

「ウィル子!」

「わかってますよ、マスター。まあウィル子もマスターに色々と言ってやりたいことはありますが、全部後にするのですよ」

「くくく。怖いな。……頼むぞ、ウィル子」

「! ……はぁ、まったく、マスターは嫌な人ですね!」

 

和麻は頼むと言った。命令ではなく、自分に頼むと。そんなことを言われれば、頼まれないわけには行かないではないか。

ウィル子もまた、綾乃に続きゲホウへと向かう。

前衛とサポート。あとは二人に任せるだけだ。

 

和麻は虚空閃を手に持ったまま、聖痕を発動させるために意識を深く沈める。

最大の切り札である聖痕を発動させるために。

正直なところ、聖痕の発動には一分も要らない。意識を深く沈め集中し、己の扉を開け放つだけなら、『彼の者』と一つになり再構築されるだけならばその半分の時間も要らないのだ。

 

時間を多く見積もったのは、万が一のためを考えてであり、最悪の事態において、自らの命を守るために無防備にならないためだ。

無防備になった状態ならば、おそらく半分以下の時間で開放できる。

だが実戦の中で、敵がいる状態で無防備になれる人間がどれだけいる。下手をすれば刹那の時間で命を失いかねない状況で、誰がそんな命を捨てる真似ができる。

だからこそ、和麻は絶対に無防備にならず、ある程度の余裕を持たせ聖痕を発動させる。

 

しかし今は完全に無防備になっている。聖痕の発動の時間を短縮させるために。またあの二人を信用しているから。

綾乃の場合は信頼まではいかないが、それでも今は少しは信用している。ウィル子は完全に信用しているし、もう一年もの付き合いだ。信頼していないはずが無い。

ゆえに和麻は無防備をさらす。

 

心を落ち着かせる。

綾乃とウィル子。一人ずつでは心もとなく、万が一のためにそちらにも意識を割く必要があるが、今は二人を信用し、信頼しよう。

全てはゲホウを倒すために。

 

そんな和麻の時間を稼ぐために、綾乃とウィル子はゲホウに戦いを挑む。

稼げと言われた一分。六十秒を。

 

「はぁっ!」

 

朱金の輝きを纏う炎雷覇がゲホウを襲う。まだ頭へのダメージが残っているのだろうか。動きが鈍いし、風もうまく操れていない。

好機である。綾乃は狙う。ダメージが残っているであろう頭部を。

ウィル子も同じである。今作り出せる最大のものであるレールガン。数は一つしか無理だが威力は十分だ。

綾乃とゲホウの動きを解析し、打ち出す。決して綾乃に当たらないように。

 

残り五十秒。

残り時間が長い。十秒が永遠のように長く感じる。

だがそれでもくじけるわけには行かない。綾乃は小手先の技を使わず、渾身の一撃のみを放つ。炎を纏わせた炎雷覇の一撃のみ。効果があるのは、これ以外に無い。

 

残り四十秒。

綾乃は全身から汗を吹き上がらせる。疲労感が襲う。彼女自身気がついていないが、己の力量を超える神炎を召喚しているのだ。それを維持し、ゲホウを傷つけるための攻撃を繰り返すのはかなりの体力と精神力を消耗する。

 

ウィル子も同じだ。もうエネルギーが残っていない。レールガンを起動させられるのはあと三回。念のために和麻を守るためにイージスのエネルギーも確保しなければならない。

無謀、無茶。

そもそも綾乃程度術者とウィル子だけで抑えられるほど容易い相手ではないのだ。本来なら無理だと言える。

 

しかしウィル子も弱音を吐くわけには行かない。退くわけには行かない。あの綾乃が前衛で戦っている。和麻との約束を守るために。

ならば自分はどうだ。自分は彼のパートナーである。それがポッと出の炎術師にその役目を奪われていいはずが無い。

 

今の彼の心はどこまでも穏やかである。焦りも戸惑いも無い。済んだ青空のように透き通っている。でもウィル子には伝わってくる。彼の想いが。自分を、自分達を信じているか彼の想いが。

 

(負けられない。絶対に負けるものかぁっ!)

 

それは何に対してか、それを知るのはウィル子のみ。

残り三十秒。

綾乃とウィル子の攻勢は続く。限界ギリギリまで自分達の力を、能力を駆使する。

想いが、意思が、彼女達を突き動かす。意思の力は時として限界以上の力を発揮する。

本来のゲホウが相手なら、決して届かなかっただろうが、ゲホウには今までのダメージもあり、綾乃の神炎で直接頭の中に炎を流し込まれたのが致命的だった。

 

残り二十秒。

拮抗。ゲホウは鬼気迫る綾乃とウィル子の猛攻に手を焼く。

しかし彼とてかつて神であった存在である。和麻と神凪への恨みを抱く、兵衛の執念が、神としての矜持が、ゲホウの底力を発揮させる。

漆黒の風が襲い掛かる。

 

「なめんなぁっ!」

「負けるかぁっ!」

 

少女達の叫びが木霊する・

残り十秒。

 

「よくやった、お前ら」

 

声が響く。時間ぴったりに、彼は彼女達に声をかける。蒼い風が、膨大な数の風の精霊が綾乃とウィル子の周囲に集まり、彼女達を守るように慈しむように包み込む。

 

緊張の糸が途切れる。どっと疲れが二人を襲う。

けれども、もう心配は要らない。何の不安も無い。

なぜならすでに勝敗は決まったのだから。

バイザーの向こうで瞳が蒼く輝く。人間でありながら、神に最も近い存在と言う高みに上った和麻。契約者“コントラクター”として、彼はここにある。

 

「さあ、終わらせようか、兵衛ぇっ!」

 

大気が渦を巻く。虚空閃が震える。蒼い浄化の輝きが、世界を包み込む。

 

『ガァァァァッッッ!!!』

 

ゲホウも咆哮を上げる。負けるはずが無い。堕ちたとは言え、自分はかつて神だったのだ。神であった自分が人間如きに敗北するはずが無い。

そんなこと神の矜持が許さない!

最後の力を振り絞る。自らの存在全てを持って、今の和麻の蒼き風と拮抗する。

 

「だろうな。予想はしてた」

 

ゲホウの力を目の当たりにしても、和麻に焦りは無い。怯えは無い。どこまでも余裕の表情を崩していない。

 

「何で俺が一分も時間を必要としていたのか、わかるか?」

 

聖痕の発動自体は二十秒程で完了していた。だが和麻はその時点でまだ動かなかった。何故か。彼は確実にゲホウを葬り去るための準備をしていたからだ。

蒼き風と拮抗している今、ゲホウは動けない。状況は和麻が黄金色の風をゲホウに叩き込んだ時と同じだ。

しかし先ほどとは一つだけ、違うところがある。

 

それは……。

和麻は虚空閃を天空に掲げ、そして振り下ろす。

 

「お前を完全に消し去るためだよ!」

 

宣言と共に黄金色の風が天空より飛来する。だがそれは一つではない。三つの黄金色の風が天空よりゲホウに向けて飛来した。

聖痕の発動と虚空閃を使用する事で、強大な威力を誇る黄金色の風を三つも用意する事が出来たのだ。威力は厳馬と戦った時よりも上である。黄金色の風がゲホウに直撃する。

 

黄金色の風に包まれながらも、ゲホウは必死に耐えた。

耐えていようとも、身体は消滅させられていく。ありえない。こんなことありえない。自分は神だ。神なのだ。神が人間などに負けるはずが!

 

「違うな、お前は神じゃない」

 

ゲホウはハッとなり見れば、黄金色の風の中に、丁度ゲホウの目の前に和麻の姿があった。

彼が操る風は彼の制御下にあり、和麻には一切の被害を与えない。彼はまるでゲホウの考えを読んだように言葉を述べる。

和麻は虚空閃を構え、ゲホウに突き立てようとしている。

 

「今のお前は人を生贄にするような妖魔だよ。まあ例え神であっても、人間を生贄にする奴は俺が殺すけどな」

 

虚空閃に周辺の黄金色の風が収束する。風の精霊王から与えられた神槍であり、神すら殺す神殺し槍。それが虚空閃である。

漆黒の槍が黄金色に輝く。神秘的な光景にゲホウでさえ、息をのむ。

それは破邪の光。それは神秘の光。それは神の威光にも等しい。

 

和麻以外の誰が虚空閃を持ったとしても、決してこのような現象は引き起こさないだろう。

超越者、精霊王の代行者である契約者たる存在。

聖痕を刻まれ、その力を解放した八神和麻にのみ赦された御業。

 

「じゃあな、兵衛。風牙の神。そろそろお休みの時間だぜ!」

 

虚空閃がゲホウの身体に突き刺さる。風がゲホウの存在そのモノを切り裂いていく。契約者と精霊王の代行者としての力が合わさった時、全てを突き刺し、切り裂く神殺しの力を生み出す虚空閃。

 

『グッ、ガァァァァァッッッ!!!!!』

 

断末魔の声を上げながら、ゲホウは消えていく。ゲホウの体が光の粒子となり大気へと還元されていく。

一片の欠片さえ存在することを許されない。風がすべてを切り裂き、呑み込み、消し去る。

 

ここに神殺しは成り立った。

風牙が祭り上げた神―――ゲホウは一切の痕跡さえも残さずに消滅したのであった。

 

 


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