風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第二十二話

 

和麻はゲホウが完全に消滅したのを確認すると、そのまま聖痕を封印する。

一週間で二度にわたる聖痕の発動は肉体と精神に多大な負担をかけた。

厳馬戦ほどの疲労は無いものの、それでもこのまままた三日は意識を手放して眠りほうけたい。

 

しかし今はまだ、意識を手放すわけにはいかない。なぜなら先日とは違い、彼の相棒たる電子精霊のウィル子も限界を迎えていたから。

 

「ま、マスター……」

 

ふらふらとパソコンを抱えながら、和麻の傍までやってくるウィル子。その身体は若干薄くなっている。どうやら実体化しておくためのエネルギーも尽き掛けているようだ。

和麻の方も力を消耗しているので、彼女にエネルギーを分け与えることができない。

和麻は自分の傍までやってきた、限界まで力を消耗したウィル子の頭にそっと頭に手を置き、優しく撫でる。

 

「よくやったな、ウィル子」

「うわっ。マスターが優しいのは違和感があるのですよ」

「てめっ、人がねぎらってやってるのにそれかよ」

「にひひ。日ごろの行いのせいなのですよ」

「お前、いつもそれだな。そんなに日ごろの行い悪いか、俺?」

「自分の胸に手を当ててみるといいのですよ」

 

言われ、自分の胸に手を当てるが……。

 

「うん、まったく心当たりが無いな」

 

と笑いながら言う。そんな和麻にウィル子も笑う。

 

「マスターらしいのですよ。ではマスター、ウィル子はしばらくお休みを貰うのですよ」

「ああ、ゆっくり休め、ウィル子」

 

和麻はどこか慈しむように言う。その姿にウィル子はどこか物凄く違和感を覚えるも、どこか心地いい気持ちに満たされる。

 

「ではお休みさせていただくのですよ」

 

そう言うと、ウィル子はパソコンの中に戻り、そのまま一時的に休眠モードに入る。

落ちそうになるパソコンを、和麻は虚空閃を持つ手とは逆の手でキャッチする。

パソコンの影響画面の中ではデフォルメされたウィル子のマークが映り、お休み中と表示されている。それを確認すると、和麻はかすかに笑みを漏らし、本当にお疲れ様と、心の中で小さく呟く。

 

「さてと。あちらのお嬢様は……」

 

次に目を向けるのは綾乃の姿。彼女は大の字に倒れながら、息を荒くして空を見上げている。

 

「よう。ずいぶんな格好じゃないか、綾乃」

「う、うるさいわね……」

「まあ自分の実力に見合わない事をやったんだ。明日からしばらく身体がまったく動かないだろうよ」

 

実体験からも踏まえて、数日は身体がまともに動かないだろうと和麻は予想した。いや、もしかすれば自分と同じように三日ほど、あるいはそれ以上に眠り続けるかもしれない。

 

(しかしこいつ程度のレベルで神炎出すか普通? 炎雷覇を持ってるからって、普通はないよな)

 

正直、こいつの才能やら底力が何気に凄いと思ってしまった。自分が力を手に入れたのは自らの命が尽き掛けようとした時。死にたくないと心の底から願った時であった。

だが綾乃は違う。自らの命が危険に晒された時ではない。

炎と風の性質の差があったとしても、それは彼女の心のあり方によるものであろう。

正直、その心のあり方や力が羨ましく思うところもある。

 

(うまくすりゃ、こいつも厳馬クラスに化けるな)

 

同じ時代に神炎使いが三人とかどんだけだよと思いつつも、和麻はこれ以上、神凪に積極的に関わるつもりも無かったので、どうでも言いかと思い直す。

こいつは見ていて中々面白かったし、いじれば暇つぶしにはなるだろうとは思ったが、こいつのお守をするつもりはさらさら無い。

例え重悟に金を積まれて護衛を頼まれても、神凪の依頼と突っぱねる心積もりだった。

 

和麻自身、神凪を恨んでいるわけではないし、復讐と言っても透は自爆して病院送りになり、社会的にも死んだ。その取り巻きも一緒だ。

ほかにも神凪の大半は病院送りや社会的に抹殺してやったので、ある意味復讐が完了したとも言えなくもない。

と言うか、よくよく考えれば復讐してるじゃん、俺。と思い至った。

 

(あー、でもあれは向こうから仕掛けてきたし、自爆だよな? 神凪の不正も身から出た錆だし、久我透達は勝手に自滅したから)

 

と、俺は復讐ではなく、正当な事をしたと納得しておく。復讐を志、成功させた和麻としてみれば、復讐の是非を問うつもりもないし、来るなら来いと言ってやる。

ただし、返り討ちに会っても責任は一切取らないが。

 

(にしても、綾乃も宗主の娘ってわけだな。ここから成長するかしないかはこいつ次第か。まっ、俺には関係ないな)

 

と、心の中で折り合いをつける。

 

「こ、の、……少しはお礼くらい言いなさいよ。もしくは労いの言葉とか」

「はっ。お前から言った事だろ、時間を稼ぐってのは。お前は当たり前の事をしただけで、別段俺が礼を言う必要は無い」

「……やっぱりあんた凄く腹立つ。うわっ、今すぐに殴りたい」

 

動くものなら今すぐにでもこの男の顔面に拳を叩き込みたいが、生憎と起き上がることさえ出来そうになかった。

 

「くくく、残念だったな、綾乃。殴れるものなら殴ってみれば?」

 

酷く憎たらしげな笑みを浮かべて、綾乃を見下ろす和麻に彼女はさらに青筋を浮かべる。

 

「兄様! 姉様!」

 

その時、遠くから声が聞こえる。不意に二人が見れば、小さな影が二人のほうに向かって走ってくる。

 

「ああ、煉か」

 

和麻は相手を視認すると、その少年の名前を口に出す。今の和麻はほとんど力を使い果たしているので、いつものように風を扱う事は出来ない。

神凪勢の位置を確認しておくほどの余裕は今の彼には無かった。無論、神凪と敵対する事になった場合のための余力は残している。

ただ虚空閃もあるし、自分の敵になりそうな重悟は戦える状態ではないし、綾乃も燎も限界で煉は論外。分家もものの数では無い。

 

「姉様!? 大丈夫ですか!?」

 

二人の傍までやってきた煉が綾乃が倒れている姿を見て驚愕と心配そうな声を上げる。

 

「限界以上の力を使ったから倒れてるだけで、別に死にはしないさ」

 

和麻は心配そうにする煉に説明をしてやる。およそ四年としばらくぶりの実弟との再会である。

綾乃も綾乃で煉に大丈夫と言っている。そんな姉の姿に煉はホッと一息つくと、今度は和麻の方に向き直った。

 

「お久しぶりです、兄様!」

「ああ、久しぶりだな、煉。元気にしてたか?」

「はい!」

 

和麻の言葉にうれしそうに答える煉。和麻にはその姿がどこかご主人が帰って来たことを喜んでいる子犬にしか見えなかった。微妙に犬の耳と尻尾が見える。さらに尻尾は大きく左右に振れている様な気がした。

 

(あれ? 俺もついに目がやばくなったか?)

 

少しだけゴシゴシと手で目をこする。ヤバイ、本気で疲れているのかもしれないと和麻はちょっとだけ心配になった。

 

(しかしよかった。ウィル子に京都に向かっている神凪のプロフィールを見せてもらっといて、本当によかった)

 

実のところ、和麻は煉と言う弟の存在を記憶の片隅に追いやっていたのだ。彼らは仲むつましかったとは言え、実の兄弟とは思えぬほどに疎遠だった。ほとんど年に数回合う親戚の子供程度の付き合いでしかなかったのだ。

しかも最後に会ったのは四年以上前である。これでは忘れていたのも仕方が無い。しかも四年で少しは成長していたため、和麻も最初写真を見せられた時には誰だけわからなかった。

 

「誰だっけな、こいつ?」

 

写真を見た第一声がそれであり、もし煉に聞かれたら、間違いなく泣かれていただろう台詞である。

昔から煉の涙には弱かった。神凪において唯一自分を慕ってくれていた存在だった事もあり、殺伐とした十八年間の中で数少ない清涼剤に近い弟の存在は、和麻の心を落ち着かせ、癒してくれていたのだ。そんな弟の泣く姿は、さすがの和麻にも来る物があった。

 

煉は和麻にとって現在では唯一の弱点と言うか、大切な肉親なのだ。

和麻はよしよしと煉の頭を撫でる。それは愛玩動物の頭を撫でるのにも等しいような感じだった。煉に取ってみて、それが良いのか悪いのかは別であるが。

煉も煉でそんな和麻に撫でられ、えへへとうれしそうな声を上げる。

正直、大きなお姉さんならお持ち帰りしたいくらいに可愛らしいだろう。さらにこれが弟じゃなくて妹なら大きなお兄さんが放って置かないだろう。

 

(ああ、なんか和むな、これ……)

 

などと少々失礼な事を和麻は思い浮かべていた。

 

(しかしこいつ、もう十二歳だろ? いいのか、こんなに可愛くて?)

 

可愛いは正義とか、最近は男の娘が流行っていると言うのをウィル子から聞いたことはあるが、それが自分の弟だと複雑な気分になる。

 

(いや、深く考えるのはやめよう。厳馬みたいになるよりはいい)

 

アレに比べたら、何百倍もマシと言うよりも、比べるのもおこがましいと思う。お前はお前のまま成長してくれと、和麻は心の中で祈った。

 

「兄様、ありがとうございました! 僕達を助けてくれて!」

 

純粋に、純真に、煉は和麻にお礼を述べる。その眩し過ぎる笑顔に、和麻は気圧されそうになる。と言うよりも、一歩後ろに足が下がってしまった。

 

――――馬鹿な、この俺が気圧されかけている!?――――

 

などと思った和麻に非は無いだろう。

とそんな彼らの下に重悟がやってきた。

 

「久しいな、和麻。此度は本当に助かった」

「いやいや、こっちもいろいろと事情があったし。報酬も頂こうかと考えてるから」

「最低」

 

和麻の言葉に綾乃は短く呟く。そんな和麻の姿に苦笑する重悟だが、不意に倒れている綾乃に視線を移す。

 

「この馬鹿娘が。自分と相手の力量も考えずに飛び出しおって」

「えっ、いや、あの、それは……」

「無事だったからよかったものの、万が一のことがあった場合はどうするつもりだったのだ。お前が死ぬだけならばまだしも、和麻の邪魔になることも考えられただろうに」

 

重悟もここでは娘に説教を行う。一族の次期宗主として、また一介の術者としても今回の行動は褒められたものではない。

 

「もう少し考えて行動せぬか。だいたいお前には次期宗主としての自覚がだな…」

 

お説教が始まり、綾乃としては泣きっ面に蜂状態である。

しかし彼女の行動が褒められたものではないにしても、それなりの結果を生み出したのだから、一定の評価はされるべきだろう。

 

「今はこれ以上は言わぬが、帰ってからはみっちりと話をせねばな」

「うっ……」

「……で、怪我は無いのか?」

「ああ、それは大丈夫。怪我はしてないけど、限界以上まで力使ったから、数日はまともに動けないと思うぞ、……厳馬みたいに」

 

最後は小さく、ポツリと重悟にだけ聞こえるような声で呟く和麻。その言葉に重悟は驚いたような顔をして彼を見る。

すると、和麻はまるで悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべていた。

 

「そうか」

 

重悟もまた和麻の顔を見て笑みを浮かべる。

 

「何か厳馬に伝えておく事があるなら伝えておくが」

「あー、そうだな。じゃあ『ざまぁみやがれ』って伝えておいてくれ」

 

本人が聞けば烈火のごとく怒り狂うだろうが、重悟は思わず声を出して笑ってしまった。

そんな二人のやり取りの意味がわからず、煉はおろおろあたふたしているし、綾乃は?マークを浮かべている。

 

「しかし強くなったな、和麻」

「まあそれなりには、な」

 

重悟の言葉に和麻はどこか苦笑しながら答える。

どこか寂しさを含んだものだと、重悟には思えた。

厳馬を倒せるほどに、また堕ちたとは言え、かつては神であったゲホウを倒し切りほどの力を得ているはずなのに、どこかまだ、力を望んでいるようにも重悟には感じられた。

 

重悟が若干、表情を変えたことに気が付いた和麻は、先ほどの雰囲気を消した。

 

「じゃあ俺はそろそろ行くわ。あんたも来たことだし、この馬鹿娘の任せられるし」

「馬鹿娘って、あんた」

「ああ、悪い。猪娘だ」

「この! 和麻!」

 

と和麻に対して罵詈雑言を繰り返すが、和麻はどこ吹く風と聞き流している。

 

「えっ、もう言ってしまうんですか、兄様!」

 

もっと話がしたいとせがむ煉だったが、正直やせ我慢がそろそろ限界だった。これ以上、この場に留まれば、いつ限界来て意識を手放すかわからない。

 

「そのうちな。神凪と関わりたくは無いが、まぁ、お前になら日本を離れる前に一度会ってやってもいいか。何日かしたら、お前の携帯に電話を入れてやるから」

 

少しだけ身体を曲げ、そっと煉の耳元に囁く。その言葉に煉はさらにうれしそうな満面の笑みを浮かべる。

 

「はい!」

「じゃあな、宗主。報酬なり、いろいろな話はまた今度だ。あんたも色々と忙しいだろうからな。それと、綾乃はもうちょっと鍛えておいたほうがいいぜ。才能はあるんだ。あとは育て方次第で化けるさ」

 

そういい残すと、彼は風を纏い、ふわりと空へと浮き上がる。

 

「そうか。わかった。和麻、今回は本当に助かった。神凪一族の代表として、または一人の男として礼を言う。いつか、お前の選んだ店で一杯飲もう。もちろん私おごりで」

「ああ、それはいいな。けど俺が選んだ店は高いぜ?」

 

ニヤリと笑う和麻に重悟も構わんと返す。それを確認すると、彼は空へと舞い上がりそのまま姿を消した。

あとには何も無い、蒼く澄み渡った蒼穹が続くだけだった。

ここに神凪一族を滅亡に追い込もうとした風牙衆の反乱は失敗に終わる。

風巻兵衛の悲願は潰えた……かに思えた。

しかし結果としてみれば、彼は負けたが何も出来ずに終わってはいなかった。

 

 

 

 

 

「風牙衆を追放!?」

 

事件より数日たった神凪邸で、綾乃が父である重悟から聞かされた話に驚きの声を上げた。

 

「落ち着きなさい、綾乃」

「落ち着いてなんかいられないわよ! 何で風牙衆を追放するの!?」

 

あの戦いから今日の朝まで、綾乃は眠り続けていた。自らの力量に見合わぬ神炎を発動させ、それを数分も維持していたのだ。その反動は計り知れない。

ただしそれを見たのは和麻とウィル子のみ。他の者は距離が離れていたために見ることが無かった。

 

今回の件で風牙衆は反乱を起こしたが、それはほとんど未遂だし、神凪の人的被害は無かったと言っても良い。

風牙衆も兵衛や流也を含め、五名が死亡。三名が精神異常を来たし入院中。それでも未だに美琴を含め二十名以上の人員がいる。その彼らを追放するなど、横暴と言っても過言ではないと綾乃は思った。

 

この場には他にも燎や煉、美琴、雅人がいたが、彼らは何も言えぬまま綾乃と重悟のやり取りを見ているだけだった。

 

「いいから話を聞きなさい」

 

重悟は暴走しかけている綾乃を落ち着かせると座るように促す。綾乃もしぶしぶながらに何とか席に着く。

 

「今回の追放には幾つか理由がある。まず最初に京都などの退魔組織への対応によるものだ」

「京都の退魔組織への対応?」

「そうだ。先日、我らは京都において兵衛達と激しい攻防を繰り広げた。それだけならば問題なかったのだが、兵衛は封印されていた大妖魔を復活させた。まあそれは和麻のおかげで倒せたし、周辺への被害や妖気による二次被害も無かったが、いかんせん京都の重鎮が騒ぎ出し、何らかの処分を行わねばならなくなった」

「でもそれは……」

「無論、非は我らにある。しかし連中からしてみれば風牙衆と神凪を一括りで考えておる。なのに神凪が風牙衆に処罰を行わなければ、何をしていると言う話になる。さらに責任を取ろうにも、私も先に一件で引責している上に厳馬が代行としての地位を降りるだけでは済まされないのだ」

 

だからこその追放処分。神凪は風牙衆に重い罰を与えたと内外に広く伝える事ができる。

 

「だからって、こんな風牙衆だけが!」

「話は最後まで聞きなさい。それだけが理由ではないのだ」

 

そう、これではあまりにも風牙衆に対して酷い扱いでしかない。散々利用し用が無くなれば、または邪魔になれば切り捨てる。

少なくとも綾乃はそう感じたし、客観的に見ればそうにしか見えない。

しかし重悟の考えは違う。

 

「この追放には神凪の意識変革も含めてある。神凪は厳馬をはじめ、お前や燎ですらも力一辺倒になりがちだ。情報や風牙衆の力がどんなものか、どれほどの価値があったのかを知る機会がほとんど無かった。それを今の状況で知れと言うのはどだい無理な話だ。私が宗主になって以来、そうした風潮を改めようとはしたが、出来なかった」

 

もし重悟がそれを成し遂げていれば、風牙衆は、兵衛は反乱など起こしはしなかっただろうに。

 

「このままでは同じ事の繰り返しだ。仮に追放しなくとも、反乱を起こした、起こそうとした風牙衆への風当たりは強くなる。いや、すでに強くなっておる」

 

重悟の言葉に美琴は顔を俯かせる。すでにここ数日で神凪内での風牙衆への風当たりは強くなっていた。和麻にしてやられた恨みや、そんな和麻に助けられたと言う事実が自分達よりも弱く、身近な存在である風牙衆へと向けられていた。

 

「これは風牙衆を守るための物でもある」

 

重悟とてこれは苦渋の決断だった。もしここで風牙衆を神凪の中に残してもさらに確執は深まり、第二、第三の兵衛を生み出しかねない。ならばまだ傷口が広がる前に対処するしかない。

それに彼も何も考えずに風牙衆を追放するわけではない。

 

「でもじゃあ風牙衆はどうするの?」

 

追放は構わないが、それで風牙衆が路頭に迷っては意味が無い。さらに独立しようにも、風牙衆には独立をさせる資金は無い。重悟にしてもポケットマネーでは賄えないし、神凪の資金を使えば確実に分家やら長老やらがうるさい。

 

それに風牙衆も独立をしようにも、先の反乱でTOPが軒並み消え去った。美琴はまだ幼すぎるし、彼女を補佐し、組織を運営できる程の能力を持った人間はいないのだ。

兵衛やその取り巻きがそれらを一手に担っていた。そんな人間が兵衛を含め軒並み死亡、あるいは精神異常を来たしているのだ。彼ら自身だけでもどうにもならない。

 

「心配はいらん。受け入れ先はすでに決まっておる。周防、橘警視をお通ししろ」

 

重悟は付き人である周防に命じると、そのまま彼は一人の女性をこの場に連れてきた。

入って来たのは細身のパンツスーツに身を包んだ二十代半ばの女性。どこまでも落ち着いた、できる女性の雰囲気を身に纏っていた。

 

「……どちら様?」

「初めまして、神凪綾乃さん。私はこう言ったものです」

 

取り出したのは一枚の名刺と警察手帳であった。そこには警視と言う役職と橘霧香と言う名前が書かれていた。さらに名刺には警視庁特殊資料室室長とも書かれている。

 

「特殊資料室ってあの?」

「ええ。光栄だわ。神凪の次期宗主に名前を知っていただけていて」

「あれって本当にあったんだ。都市伝説の類かと思った」

「うっ……」

 

綾乃の言葉に軽くうめき声を上げる霧香。確かに特殊資料室はあまり派手な活動を行っていない。そもそも戦闘系の術者がいないのだ。当然、取り扱うものは地味な縁の下の力持ちのような仕事になる。

 

「まあそれは置いておいて置いて、とにかく今回は私達が仲介に入る事になったの」

 

霧香は綾乃に説明する。

風牙衆は今後、警視庁特殊資料室の傘下で活動を行う。これは追放処分と同時に、監視の意味も兼ねてであると他の組織に伝えるつもりである。

資料室は戦闘能力こそ無いが、公僕なのだ。国家直営なのだ。そんな相手に対して何かをすれば、それこそ政府が敵に回る。そんな愚を犯すような真似はしないだろうと言うと、もしすれば、政府の名の下に国内のすべての退魔組織が敵に回る。

これには如何に神凪でも、または他の有力な組織でも二の足を踏むだろう。

 

風牙衆も迂闊なことが出来ないし、神凪も資料室の傘下に加わった彼らに迂闊なことを出来ない。つまりは利害の一致である。

先日の神凪の不正発覚の一件で、霧香は秘密裏に兵衛や重悟に接触を持っていた。風牙衆が独立にしろ、どこかの組織の傘下に入るにしろ、色々と立ち回れば資料室の益になると判断した霧香は何かと行動を起こしていた。

 

そして警視庁の情報網を駆使して、彼女は色々な情報を集めた。さらには京都での一件で彼女達はさらに重悟に接触する機会を得た。

霧香の狙いは重悟に恩を売る事である。さらにはうまく立ち回って神凪の力を一時的にでも借り受けられればと考えていた。

 

綾乃や燎にアルバイトでもいいので、資料室の仕事を手伝ってもらう。そしてそのまま就職。綾乃は無理だが、燎や煉ならばこれも可能ではないかと考えている。

さらに調べたところ、神凪燎は風牙衆の風巻美琴と良い仲と言う話だ。うまくすればこれは取り込めると霧香は考えた。

 

重悟も重悟で今の状況を打開するには霧香の提案は渡りに船だった。風牙衆を他の組織に取られるのは大問題だ。彼らは神凪の内情を知りすぎている。もし他の組織に彼らが情報ごと取り込まれれば、神凪の一大事になる。

しかし資料室ならば現時点では戦闘系の術者がいない。これはこちらに利用価値があると言う事。利用価値があるうちは、彼らもこちらを無下にはできない。

向こうも神凪の術者を取り込み、自分達の力を増そうとしている。ならばこちらはそれを利用してこちらの体勢を立て直すだけだ。

 

お互いに真意を理解しているが、霧香も重悟も本音を語らない。お互いに本音で語り合えれば楽なのだが、周囲がそれを許さない。

霧香は警察上層部が、重悟は神凪の大半が。ゆえにお互いに内心を隠しながら、表面的には協力体制を結び、利用し合い、最後には出し抜こうと言う考えだ。

下手にお互いの内心を周囲に知られれば、今の協力体制さえも壊されかねない。綱渡りであり、薄氷の上を進むように二人は慎重に事を進める必要がある。

 

「つまりこれからは私達資料室が神凪に情報を渡して、必要に応じて神凪は私達に戦力を提供する。こう言う契約と言うわけ」

「資料室には国内から様々な情報や依頼も舞い込む。今の依頼の少なくなった神凪においても、そう言った依頼の対処は術者のレベルの底上げにもなるし、こちらの汚名をそそぐ機会にもなりうる。お互いに益になることなのだ」

「私たちも神凪と協力して事件を解決したって言うのは実績や名前の箔が付くし」

 

お互いにとって利益になることと説明され、綾乃はそれ以上何も言えなくなった。

 

「綾乃。お前も学んでいきなさい。強さだけではなく、様々なことを」

「……はい」

 

綾乃は重悟の言葉に深く頷く。強くなりたい。自分の力で大切な人を守れるように。綾乃はグッと拳を握り締めながら、強くそう願った。

 

 

 

 

 

同時刻、和麻は優雅に都内のホテルで午後のティータイムを楽しんでいた。

紅茶を口に含み、用意された茶菓子に舌鼓。京都での戦いの後、和麻はウィル子のパソコンを抱えて、京都市内まで移動し、そのまま最高級ホテルのロイヤルスィートにチェックイン。そのまま昨日までホテルで身体を休めていた。

 

ようやく身体も回復したので、都内に移動し神凪がどうなったのかを探っていた。

神凪としては何とか丸く治めた感じだろう。風牙衆も兵衛の望みどおりにはならなかったが、一応の神凪から離れる事はできた。霧香ならば、うまく立ち回り、風牙衆の待遇をよくするだろう。

 

「まっ、俺には関係ないことだけどな」

 

もう一口、紅茶を口に含みおいしいパンを食べる。

 

『マスターも鬼ですね。好き勝手して、全然責任を取らないのは』

 

パソコンの中の自分の部屋でくつろぎながら、おいしいデータをむしゃむしゃパクパクと食べているウィル子。

 

「俺はそんな人間だからな。お前だって、データを食べて責任取らないだろ」

 

くくく、にひひと笑いながら、和麻とウィル子は久方ぶりに平穏を満喫する。と言っても、彼らの場合は大半は平穏でいきなり怒涛の展開に巻き込まれるのだが。

 

『でもまさか神殺しをしてしまうとは。マスターはやっぱり非常識な人ですね』

「虚空閃があったからな。無かったらいくら聖痕使っても俺にだって無理だ。虚空閃もたまには使ってやら無いとな」

 

和麻は自分の首にかけたアクセサリーに目を向ける。これは収納型の道具である。虚空閃はこの中に収納している。

 

『本当ですね。で、マスター。この後のご予定は?』

「煉に会ってそれから海外に向かうか。一応、日本で俺が活動した情報は出回ったから、ヴェルンハルトや俺に何かしら用がある奴は来るだろうが、放置だ。見つけたら、絡めてで追い詰めて潰す」

『了解なのですよ、マスター』

「しかし今回は本当に色々あって疲れたな」

 

日本に帰ってきて、厄介ごとに巻き込まれるとは本当についていない。

 

『いや、マスターの場合、どこ行っても厄介ごとに巻き込まれてるじゃないですか』

「言うなよ。そもそも今回はお前が日本に行くって言ったのがそもそもの発端だろ」

『ウィル子のせいですか』

「おう」

 

和麻の言葉にハァっとウィル子はため息を吐く。

 

「でもまあ……」

 

和麻はもう一度紅茶に口をつけ喉を潤しながら、あいた手で拳をグッと握りしめた。

 

『マスター?』

「悪い事ばかりじゃなかった」

 

思い出すのは厳馬との死闘。もう二度とするつもりはないが、それでも今までにない感情が浮かんできた。

 

歓喜や達成感と言ったものである。

 

和麻が初めて、戦いに勝利して得た物。いや、もしかすれば生まれて初めて望んで得た、否、自らの力で勝ち取った物だったのかもしれない。

 

『にひひひ、おめでとうございます、マスター。では今日は祝賀会&お疲れ様のパーティーですね! 滅茶苦茶良い料理を注文するのですよ、マスター!』

「この間からできないでいたからな。じゃあとっとと注文して来い、ウィル子」

 

この夜、神凪や風牙衆や神凪とは違い、どんちゃん騒ぎが某ホテルで行われた。

二人しかいないパーティーだったが、どちらも楽しそうに酒を飲み言葉を交わした。

 

八神和麻とウィル子。

彼らの物語はまだ始まったばかりである。

 

最強の主従はこうしてまた暗躍する。次に彼らに不幸にも喧嘩を売ってしまうのは、一体誰なのか。

それは神のみぞ知る。

 


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