風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第二十五話

 

煉との語らいは非常に充実したものとなった、と和麻は思っている。煉も兄の面白い話を聞き、満足そうに笑っている。

時間を見ればもうすでに夜の九時である。あまり小学生の煉を付き合わせていい時間ではない。

 

一応、煉も家には友人と食事をしてくると伝えているが、そろそろ時間的にも不味い。家には和麻と食事に言ってくるとは言っていなかったのだ。

和麻と食事をしてくると言えば、宗主などは納得してくれるだろうが、他の連中が不味い。

 

宗家はあまり和麻に頓着していないようだが、長老や分家はかなり和麻に敵意を抱いている。

当たり前だ。ただでさえ神凪の不正を暴いて一族の立場を悪くした(自業自得なのだが)事と、彼が綾乃を超える強大な力を身につけ、一族の危機を救ったなど、到底受け入れられる事ではなかった。

 

プライドの高すぎる一族である。今まで見下してきた相手が、自分達以上の力を得たなど到底受け入れられるはずが無い。

さらには久我の暴走で立場がこれ以上無いくらい悪いので、分家としては怒りをぶつける人間が和麻しかいないので、彼に対する風当たりは強くなる一方だった。

 

尤も、和麻としては神凪と仲良くするつもりなどこれっぽっちも無いので、どれだけ恨まれようが憎まれようが構わなかった。

もし直接敵対したり、こちらに害を及ぼそうと言うのなら、これ以上無いほどに徹底的に物理的にも精神的にも社会的にもボコボコにするつもりだったが、基本放置の姿勢をとるつもりだった。

 

しかし煉の立場が不味くなるのはダメだ。ただでさえ、煉は立場的に複雑なのだ。一応、厳馬の息子で、和麻とは違い炎術師の才能が高いゆえに陰口を叩かれる事は無いだろが、それでも心配だ。

 

煉の純真無垢な性格ゆえにこれまで、和麻のような誹謗中傷を受けずに済んでいたのだろうが、この騒ぎを起こした和麻の弟と言う立場であるゆえに、今後どんな事があるかわから無い。

またそれが影響で煉の性格がゆがんでしまったり、心に傷をつけてしまったのでは、流石に和麻も申し訳が立たない。

 

(こいつにはこのまま真っ直ぐに成長してもらいたいんだけどな)

 

煉の可愛らしい笑顔を眺めながら、和麻は表情を和らげる。

よく十二年も神凪の中にいて、それもあの父と母の子でありながら、ここまでいい子に成長するとは思いも寄らなかった。

自分がすぐ横にいて守ってやれればいいが、それだと余計に煉に迷惑がかかるだろう。それに自分は明日にでも日本を立つ。

 

和麻自身に敵が多い―――大半はすでに殺し終えて、直接何かをするような恨みを持つものは両手で数えられる程しか残っていないが―――ため、出来る限り煉にはこっち方面の厄介ごとに関わらせたくない。

 

(いや、綾乃なら巻き込んでもなんとも思わないんだけど、煉はな~)

 

これまた本人に聞かれたら、大変激怒するような台詞を心の中で吐く。

しかしそれでも綾乃を巻き込むと考えながらも、心の片隅で、少しは綾乃の力を認めていると言うことに、和麻自身は気が付いていなかった。

 

ちなみにこの時の和麻の表情はとても穏やかで、慈愛に満ちていた。

もしこれを綾乃やウィル子が見れば……。

 

「うわっ、ありえない」

「マスター、似合わないのですよ」

 

などと言われる事間違いない。

 

「さてと……。煉、そろそろいい時間だぞ」

「えー、まだお話してたいです」

「ってももう九時だ。お前も明日があるだろうし、あんまり遅くなったら悪い」

 

子供はもう寝る時間だと和麻は煉に言う。煉も子供なのだが、子供扱いされるのがされるのが気に食わないのか、少し頬を膨らませる。

いや、それは怖いどころか逆に可愛いんだけどと、和麻は思いながら、自分もずいぶんと煉に毒されてるなとため息を付く。

 

「泊めてやりたいのは山々だが、今の俺の立場的に神凪の鼻つまみで不正を暴いた憎らしい相手だからな。お前にもいらんやっかみが来ないとは限らない」

「えっ、でもそれは……」

「大人の世界には色々とあるんだよ」

 

一応、兵衛の報告で和麻が不正を暴いた張本人と言うことは確定してしまっているし、事実でもあったので、和麻とウィル子はこれをもみ消そうとはしなかった。

これで余計に名前が出回るなと思わなくもなかったが、もう出回っているので沈静化をさせずに、逆に利用するためにあえて放置した。

 

煉としては和麻が正しい事をしたと思っているし、その後も神凪の滅亡を救ってくれた恩人と思っている。煉の考えは間違いではないが、大人の世界とは正しい事だけではなく、正しくても受け入れられない事も多々あるのだ。

それを十二歳の子供に言っても仕方が無いので、和麻はあえて言わない。

 

「まっ、元々俺は神凪では嫌われてたからな。お前は気にするな。俺も連中と関わる気は無いし、それがお互いのためだ。お前は一応、俺の携帯番号を教えているから、何かあれば連絡しろ。地球上のどこでもつながる。ああ、ちなみにお前の携帯からしか無理だから」

 

和麻が煉に教えた携帯番号は言うまでもなく、ウィル子の力を使って煉の携帯からしかつながらない。しかし地球上ならば衛星を経由して、砂漠だろうが南極だろうがジャングルの奥地だろうがつながるようにしている。

 

「……はい」

 

しゅんと少し落ち込んだ煉に和麻は苦笑しつつも、彼は優しく煉の頭を撫でる。

どうにもウィル子の影響で小さい相手に対しては扱いがうまくなった気がした。和麻としても、ウィル子としても非常に不本意だろうが。

 

「じゃあ送ってってやる。ただ神凪のすぐ傍までだけどな」

「わかりました。兄様、また日本に帰ってきたら、連絡をくださいね!」

「ああ、わかってるって」

 

和麻は煉にそう言うと、そのまま彼を神凪の家まで送り届けるため、タクシーを手配した。

 

 

 

 

「じゃあな、煉。また」

「はい! 兄様もお元気で!」

 

うれしそうに手を振りながら、煉はタクシーを降りて、神凪の屋敷に戻っていく。タクシーが停車したのは神凪の正門から五十メートルほど離れた場所である。

 

和麻自身、あまり近づきたくなかったため、目の前で止めることはしなかった。じゃあ煉だけを乗せて目の前で止まればと思ったが、煉としては少しでも和麻と一緒にいたかったので、一緒に来てくださいと懇願された。ならば間を取ってこの位置と言う事にした。

 

煉はうれしそうに手を振りながら、神凪の屋敷に向けて走っていく。

和麻はそのまま様子を眺める。門が開く。その直後、和麻の顔が一瞬だけ硬直した。

煉を出迎えた相手は神凪が抱える侍女ではなかった。煉は帰る前に一度屋敷に連絡をしている。出迎えがいてもおかしくは無い。

だが出迎えたのは意外な人物だった。

 

(……あの女が出迎えか)

 

和麻の目に映る一人の女性。もう記憶の奥底に、それこそ忘却の彼方に忘れ去っていた女。

 

神凪深雪。

 

和麻の生みの親であり、四年前までは母であった女性だった。幾人かの侍女を後ろに従え、深雪はにこやかな笑顔で煉を出迎える。煉もうれしそうに、母である深雪に話しかけている。

和麻には決して見せることのなかった笑顔。和麻には決して見せることがなかった態度。和麻には決してそそぐ事のなかった愛情。煉は深雪のそれを一身に受けていた。

 

「……複雑ですか、マスター」

「いや、別に」

 

問われて、和麻は即座に返した。声の主は言うまでもなくウィル子。彼女はなんとタクシーの運転席にいた。

 

「突然呼び出して、ウィル子を文字通りタクシー代わりにするとは恐れ入ったのですよ」

「いや、使えるものは使わないと。折角タクシーをレンタルしたんだから」

「タクシーはタクシーでもセンチュリーですけどね」

 

国産高級車である。和麻はワザワザセンチュリーをレンタルして、ウィル子に運転させていたのである。

 

「で、マスター。今回は複雑じゃないのですか?」

「そうだな。厳馬の時はそれなりに色々と思ったが、正直、驚いたがそれだけだ。別に何の感慨も沸かなかった」

 

和麻が硬直したのは、あの女がワザワザ自分から煉を出迎えたことに対してである。それ以外に何の感情も沸かなかった。

あの女ならば、自分から出迎えず、自分の部屋に来るように言う程度だろうと思っていた。

 

それだけ煉を溺愛していると言うことだろうか。

自分とは違い、母親の愛を受ける煉。それが愛と呼べるものかどうかわからないが、それでも煉は母親に何らかの情をそそがれているのは間違いない。

 

和麻は理解していた。捨てられる以前からあの女が自分を愛していない事を。四年前のあの日、厳馬に勘当を言い渡されたショックで、和麻はあの女に縋った。

もしかすればあの女がとりなしてくれれば、頑なな厳馬の態度も変わるのではないかと。自分が頼めば、愛していなくとも息子と言う事で少しは何かをしてくれるのではないかと。

 

しかし突きつけられたのは拒絶の言葉と、自分を愛していないと言う事実。気づいてはいたが、直接口に出して伝えられるのとでは衝撃が違う。

その深雪が今はあんなふうに優しく、本当の母親のように煉に振舞っている。

 

「俺はもうあの女の件に関しては折りあいはつけてある。はっきり言ってどうでもいい。あの女が俺に対してなんとも思っていないように、俺もあの女に関しては何の興味も無い。もう二度と言葉を交わす事もないからな」

 

厳馬とは違う。深雪は和麻にとって見て血縁ではあるが、その距離は見ず知らずの他人と同じくらい離れている。

 

「そうですか」

「そうだ……」

 

そう言うと和麻は座席のシートに背中を預ける。その心の内には何の感情も無い。

 

「まああんまり見たい顔じゃなかった」

 

折り合いをつけているし、もう自分とは何の関係もないと割り切っているが、それでも見たいと思える顔では決してなかった。

 

「では憂さ晴らしにでも行きましょう」

「あっ?」

 

和麻はウィル子の言葉に不思議そうに首を傾げる。

 

「マスターと別れる前に言われたとおり、色々と調べていたのですが、アルマゲストの構成員と思われる人間が、数日前に来日しているのですよ」

 

そう言うと、ウィル子は何枚かの資料を和麻に手渡した。

 

「マスターが遊んでいる間、ウィル子も暇つぶしで入国管理局などのシステムに侵入したのですが、どうにもその写真の人物が東京に侵入したみたいです」

 

和麻は資料を見ながら、ほうっと小さくもらす。英語で書かれた資料。某国が集めたアルマゲスト関連の情報である。その中の人物プロフィールに書かれた名前と経歴や大まかな能力について書かれている。

 

「ミハイル・ハーレイ。アルマゲストでも結構上の方の奴か」

「序列百位には入っていませんが、数少ないアルマゲストの残党ですよ」

 

資料眺める和麻に、ウィル子が補足を入れる。

 

「しかしよく生きてたな、こいつ。百位に入って無いから、俺が直接やらなかったが、巻き添えで死んでてもおかしくは無い状況だったし、他のアルマゲスト狩りからも逃げおおせてる。そこそこ優秀だったか?」

「さあ、どうでしょう? 未確認ではありますが、ミハイルの得意の術に転移系があるとか書かれていますので、それででは無いでしょうか?」

 

アルマゲストで二百位以内に入っていれば、それはかなり優秀な部類ではあるのだが、如何せん、和麻自身が非常識すぎるので、あまり慰めにはならない。

資料を眺めながら、和麻はニヤリと唇を歪める。

 

「こいつがこの時期に日本に来るってことは、俺関連だな」

「でしょうね。でなければ、わざわざこんな極東に来るはずも無いのですよ。あるいは欧州の苛烈なアルマゲスト狩りを逃れるためにこの国に来たか」

「確かに日本じゃ宗教やそう言った争いには極力介入してなかったからな。神凪や石蕗をはじめ、この国には優秀な家系は多いが、バチカンみたいな巨大な組織としては動いていない」

「日本は宗教には寛大ですし、国の対異能組織は脆弱ですからね」

「それでも仏教とかの大陸系、陰陽道、精霊魔術と結構色々な術者が多いけどな。それらがお互いに牽制しあって、一応の均衡は保たれている」

 

この国は宗教に関しておおらかではあるが、ゆえに和麻が言ったとおり、大小さまざまな異なった手段が多いのだ。

 

「まあ運の尽きは飛行機で来たってことだな。確かにヨーロッパから日本まで密航して来るのはかなり無理があるし、時間もかかる。仮に俺が目当てだったら、時間との勝負と考えるか」

 

実際のところ、ミハイルが日本に来たのは和麻が目的ではなく、他に事情があったのだが、それを和麻が知る由も無い。

しかし飛行機で来たのは致命的だった。さらには運の悪い事に和麻とウィル子が偶然にも調べようと思った矢先の事であったのが尚更。

 

「どうしますか?」

「あーあ、めんどくさいな~。けどやることは決まってるだろう」

 

けだるそうに言うが、その顔は実に良い笑顔だった。

 

「にひひ。ではやりますか?」

「やらないなんて選択肢はないない。特にアルマゲストに関しては」

「倍返しです」

「少し古いな。でも間違いじゃない。いや、百倍にして返してやるか。ついでに利子もたっぷりとつけて」

 

と和麻は言い放ち、そのままウィル子に命じて車を走らせた。

 

 

 

神に祈りを捧げる教会。東京の片隅、池袋にある教会。

夜の闇の中、一切の光が届かない場所にミハイルはいた。

時刻は明け方だが、ここだけがまるで真夜中のように光が入ってこない。魔術的な結界を張り巡らせ、完全に気配を遮断している。

 

透は今は別の場所にいる。と言うのは神凪の連中をさらに狩るためだと言う。

本人曰く、俺を見捨てやがった連中に復讐するということらしい。

下手に動いて騒ぎを大きくされても困るので、神凪の本邸への突撃は禁止してある。それでも分家が多数いる他の場所への襲撃は、まあ見逃す事にした。

夜が明ければ戻ってくるだろうし、今の時間ならばまだ見つかる事もあるまい。

 

「それにしても神凪はやっぱり凄いな。透もそこそこにはやるみたいだし」

 

十数人の神凪を吸収しただけだが、彼の力は何十倍にも膨れ上がった。無論、それだけでは八神和麻に勝てるはずも無いが、これからさらに神凪の人間を吸収し、さらに一般人まで襲えば確実にあの男を上回れる。

まだ街にはスライムは放っていないが、透が戻り次第スライムを解き放ち、多くの人間を襲いその生気を奪い集めるつもりだった。

 

本当なら、今すぐにでもスライムを解き放ち生気を収集してもよかったのだが、すでにスライムにはかなりのエネルギーが集まっている。

さすがは神凪だ。たった十数人で一般人数百人に匹敵するエネルギーがあるとは。分家はずいぶんとその力を衰退させたと言うが、中々どうして。一流と言うべき力を未だに有しているでは無いか。黄金の炎を使えないだけで、炎術師としての潜在能力はまだまだ高いということか。

 

「ふふふ。さっき確認したけど、透も久我の人間をさらに吸収したみたいだから、これでまた強くなるね。でも透じゃあれだけのエネルギーは扱いきれないから、やっぱり僕がやるしかないね」

 

ミハイルにとって透は捨て駒であり、自分が傷つかず、八神和麻を殺すための道具に過ぎなかった。

透程度ではスライムが集めた力を制御しきれない。しかしミハイルは違う。自分ならば制御しきれる。神凪宗家に匹敵する、それを上回る力を。

力。誰もが望むもの。それがあの不倶戴天の敵である八神和麻を殺せるとあれば、これほど心躍る事は無い。

 

最初はイヤガラセ程度で、和麻を襲えればと思っていたが、取り込んだ力が思いのほか大きかったので、ミハイルも直接和麻を害する事を計画した。

あと一週間、いや、数日もあればあの男を超える力を得られる。そう考えていた矢先、彼の笑顔が凍りついた。

 

「なっ!?」

 

教会に張り巡らせていた結界が一瞬にして崩壊した。

 

「えっ?」

 

驚き、ミハイルは手足を動かそうとするが、次の瞬間、彼の四肢がまるで鋭利な刃物で切断されたかのように飛び散った。

さらにはそれは見えない刃に粉々に、それこそ細切れにされた。

 

「ぎっ……」

 

悲鳴を上げようとしたが、それより先に彼の身体に衝撃が走り、彼はそのまま壁に激突した。壁に激突しただけではない。よく見れば、彼の身体には槍が突き刺さり、彼を壁に縫い付けていた。

 

口からごふっと血を吐き出す。激しい痛みが彼を襲う。意識が朦朧とし、何も考えられなくなる。自分を守るように、使い魔たるスライム達を動かそうとしたが、それすらも操れない。否、すでに存在しないと言えばいい。周囲に蒼く輝く風が満ち溢れ、全てのスライムを浄化していく。

 

(い、一体、なにが……)

 

薄れいく意識。四肢を切断され、身体を槍で貫かれた状況ではまともに術の行使など出来ない。用意していた設置型の術も全て破壊されていた。

 

「な、なにが……」

「教えてやってもいいが、尋問しながらな」

 

不意に声が聞こえた。ミハイルの目の前の空間がぼやけ、一人の男が姿を現した。

 

「き、貴様は…っ!」

 

ミハイルはその男に見覚えがあった。忘れるはずが無い。その男は彼に、彼らにとって見て不倶戴天の敵なのだから。

尤も和麻と直接の面識はない。面識があるのはアーウィンとヴェルンハルトをはじめとする何人かの評議会メンバーとアーウィンの忠実な直属の部下だけだったが。

和麻はニヤリと笑うだけで、何も言わずに左手をミハイルの頭に押し付ける。その手には以前風牙衆にも使った記憶を読む魔法具が装着されていた。

 

「ぎ、ぎやぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

「あっ、声を遮断するの忘れてたな。まあとにかく残念だったな。お前には聞きたいことがあるが、記憶で十分だから。出来ればヴェルンハルトとかがどこにいるかの情報がいいな。他にもアルマゲストとか俺に敵対しそうな連中の記憶とか、お前の目的とか協力者の有無とか。聞くことは山ほどある」

 

苦痛に叫ぶミハイルを気にせずに、和麻は言葉を紡ぐ。兵衛の時の教訓があるため、あまりいたぶり殺すのはやめたほうがいいのだが、アルマゲストとなると情報を得なければならない。なので、殺す前にこうやって一々尋問する事にしたのだ。

 

ミハイルはと言うと、ただでさえ四肢を切り裂かれ、槍で身体を貫かれたことで激しい痛みが身体を襲っていると言うのに、さらに追い討ちをかけられもはや発狂寸前の痛みに苛まれていた。

 

彼が不幸だったのは、なまじ魔術師として優秀で優れた精神力を有していた事だろう。そのために普通なら発狂、あるいはショック死してしまう痛みにもある程度耐えられてしまった。

といっても、現在彼を襲っている痛みは尋常ならざるもので、とてもこの状況で何らかの術を行使できる余裕はなかった。

と言うよりも丹田までつぶされているため、術を発動できる状況ではなかった。

 

その間もミハイルは考える。

何故、何故、何故。何故八神和麻がここにいる!?

どうしてこちらの事がばれた!?

神凪を襲ってまだ半日も経っていない。この男の前に姿を現した覚えも無い。そもそも、この男は自分の正体を知っているはずが無い!

驚愕と疑念がわきあがり、混乱の極みにあったミハイル。激痛の中でこんな事を考えられるのは凄かったが、何の慰めにもなっていない。

 

和麻はミハイルに術を発動させるつもりはなく、すでに槍―――虚空閃―――で、術者が術を使う上で必ず必要な丹田を貫き、術を行使できなくさせている。

 

「あー、ヴェルンハルトのは無いか。あっ、久我透? おいおい、あいつ、まだやるっつうかスライムで神凪を襲って力をつけるとか、どんだけだよ」

 

和麻は情報を得ながら、あいつも馬鹿なことをとため息を吐く。

だがまあ別に何の問題も無いだろう。あの程度なら、油断しなければ神凪全員で囲んで終わりだ。厳馬もまだ動けないが、もうしばらくすれば退院らしい。

 

神凪一族全員でフルボッコにしてやればいい。それにスライムを操るのはこのミハイルだ。確かに一部は透の支配下にあるだろうが、それでも大半の支配権はミハイルが持っている。

つまりこいつを殺せば大規模な生気略奪行為は出来ず、出来ても一人二人とちまちま吸収する程度だ。

 

「よーし。もういいぞ」

 

左手を抜き取り、虚空閃をミハイルの腹から引き抜く。

ドサリと地面に落ちるミハイルはぴくぴくと痙攣しながら、口から血と泡を吹き出し、あっ、あっ、と小さな声を漏らしている。四肢の切断面や虚空閃に貫かれた箇所から血がドクドクと流れる。放っておいても数分以内に死ぬだろう。

しかし兵衛の例があるゆえに、またはアルマゲストだからこそ、和麻は放置しておくつもりはこれっぽっちもなかった。

 

「ご苦労さん。じゃあ死んどけ」

 

短く言い放つと、和麻は風でミハイルを主であるアーウィンと同じように百グラムまで細かく切り裂いた。

何が起こったのか知る事もなく、ミハイルの命は和麻によって刈り取られた。

 

「終了。あっけなかったな」

「そりゃそうですよ。完全な奇襲ですし。マスターの力を考えれば、これくらい余裕でしょう。しかも虚空閃まで持ってるのですよ」

 

和麻の隣に立つウィル子が呆れたように言う。

確かに隠密行動は風術師の十八番だ。さらには和麻クラスならば魔術師の工房に備え付けられている魔術的トラップも即座に破壊してしまう。

ここに神器が付け加えられればもはや手が付けられない。

 

四年前、アーウィンを殺した時よりも、虚空閃を持った今の和麻は圧倒的に強いのだから。

 

「しかし偉く簡単に見つけられましたね。もう少し時間がかかるかと思いましたが」

「そうだな。まっ、お前が丁度池袋の監視カメラでこいつを見つけていたのも大きかったな」

 

ウィル子と和麻は資料を見た後、空港からの足取りを追っていた。と言っても、あの時点でウィル子がある程度の捜索を行っていたので、探すのは早々難しくはなかった。

東京には監視カメラも多い。魔術を使えば和麻が風で痕跡を探し、使わずに移動していればウィル子が監視カメラで探し出す。

ミハイルは空港から出た後、拠点となる場所、すなわちこの教会を根城にすべく透に接触する前にここに来て拠点を作っていた。

 

ウィル子が街中の監視システムで調べた結果、それらしい影を見つけた。と言っても相手も魔術師なので、簡単に見つけられないように気を使っていたが、それでも人間あり、この街にある全ての監視カメラに映らないようにするのは無理があった。

 

あとはその近辺を和麻がしらみつぶしに風で探せば終わりだ。魔術的な結界が張られていたこの教会を見つけて強襲をかけたと言うわけだ。

虚空閃を持った和麻の奇襲。これを防げる人間がどれだけいるだろうか。魔術師が拠点防衛を得意としていたとしても、ミハイル程度の、それも数日で仕掛けた程度の魔術では焼け石に水程度にしかならない。

 

「それにしても、さっき久我透がどうとか言ってませんでしたか?」

「おう、それな。説明するのも面倒と言うかアホらしいと言うか……」

 

和麻はウィル子にミハイルの記憶から見た情報を聞かせると、彼女は物凄くげんなりとした顔をした。

 

「いや、なんですか、それ。アホなのですか、馬鹿なのですか?」

「俺が知るかよ。けど大本は殺したから、これ以上騒ぎはでかくなんないだろ。妖魔に堕ちたっても、所詮は炎術師。あいつだけじゃスライムを扱いきれねぇよ」

 

ミハイルがどれだけの権限を透に譲渡していたかわからないが、炎術師が何の修行も無しに魔術師の術を使えるはずが無い。あくまで借り物であり、ミハイルがいたからこそ、透がスライムを扱えたのだ。すでに大半のスライムは透の手を離れ、消滅しているだろう。

 

「あとは神凪にこの事を伝えて連中が透を滅ぼして終わりだよ。俺がこれ以上、首を突っ込む必要は無い。そもそもアルマゲスト関係もヴェルンハルト以外は誰かに任せたいのに」

「結局、厄介ごとになりましたね。でも兵衛のに比べれば、何てなかったのですよ」

「いや、あれは特別だろ。そもそも、あんなのと一週間ごとにやりあうとか勘弁してくれよな」

「にひひひ。マスターは不運ですからね」

「ハードラックとはおさらばしたい」

 

そういいながら、ウィル子と和麻は痕跡を残さずにこの場を後にする。

これで事件は終わった。

かに思われた。

 

プルルル

 

和麻の携帯の胸ポケットにあった携帯が突如鳴り響いた。この携帯がなるのは珍しいと言うか、まったく無いといってもいい。この番号を知り、つなげられる相手と言うのは少ないのだ。

携帯を取り出し、ディスプレイに書かれた名前を見る。着信の相手は煉だった。

 

「ん、煉だ」

「どうしたのですかね。こんな明け方に。それに昨日もマスターとは会っているのに」

「なにかあったか? まあ出てみればわかるか。もしもし」

 

和麻は携帯を耳にあて、電話に出る。

 

『兄様、兄様、兄様……』

 

電話の向こうの煉は泣いているようだった。声が震え、涙を流している様子が鮮明に浮かぶ。

 

「どうした、煉。何があった?」

 

尋常ならざる煉の様子に、和麻の声が若干険しくなり、表情も硬くなる。

 

『母様が、母様が……』

「……神凪深雪が、どうした?」

『母様が、妖魔に襲われて……亡くなりました』

 

その言葉を聞いた時、和麻はなんとも言えない表情を浮かべるしか出来なかった。

 

 


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