風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第二十七話

 

神凪本家は右往左往のパニックに陥っていた。

追放したとは言え、身内から妖魔を身に宿し、術者として堕ちた人間を出してしまったのだ。さらに他の警視庁の地下に拘留されていた者や、入院していた者を含め十人以上の術者を殺害し、その身に取り込んだ。

 

付け加えれば神凪本邸を襲撃し、宗家の一員である深雪をも手にかけた。由々しき事態どころではない。

燎の証言から現状ならばまだ透は、綾乃レベルでも討滅は可能と推測される。

 

しかし分家では十人集まっても透を倒す事はできない。

これが宗家の出した結論である。これにはさすがに分家も黙るしかない。分家最強の大神雅人や大神武哉を下手に差し向けて、返り討ちにあってはそれだけで大問題だ。

いや、返り討ちだけならばまだマシだ。これで取り込まれでもすればなおさら対処ができない。

 

だが事態の深刻さは、神凪を悩ませるのに十分だった。

ただでさえ世間の神凪の風当たりは強くなっている。もしこれが単独で起こった事件ならば、自分達の手で滅ぼして終わりだったのだが、今回はそれだけで済みそうに無い。

 

神凪の看板を持ってしても、立て続けに起こった不祥事を帳消しにする事は難しいのだ。

まずは神凪の不正の発覚。分家の暴走。風牙衆の離反。風牙衆の神の復活。そして神凪内部から妖魔に落ちる術者を出す。

どれか一つだけなら、あるいは幾つかだけならなんとでも出来た。しかしこれだけの事件が立て続けに起これば、政府も、他の退魔組織も神凪に対して風当たりを強くする。

 

重悟は何とか事態の沈静化を努めようとした矢先にこれである。

まだ情報は出回っていないが、すぐに情報は漏洩するだろう。事態を重く見た政府は神凪に対して今まで以上に強硬に出るかもしれない。

他の退魔組織もこれ幸いと敵対行動を増やすだろう。

 

(いや、それよりもまず何とかしなければならないのは久我透だ)

 

彼を野放しに出来ない。今のところ、一般人への被害は確認されていないが、もし一般人を襲うようなことがあれば致命傷だ。

さらにこれは神凪が自分達で片をつけなければならない問題であり、仮に和麻や他の退魔組織に横取りされるような事になれば、ただでさえ丸つぶれの面目が余計につぶれる。汚名返上どころか、汚名がさらに上塗りされる。

 

一般人への被害、神凪以外での久我透の討伐。

これがなされれば、もはや神凪は再起不能になると言っても過言ではない。

 

(それだけはなんとしても阻止せねばならん)

 

引退したとは言え、重悟は未だに神凪の最高権力者なのだ。厳馬が入院中であり綾乃では判断できない事柄を一族の長として、神凪と言う組織を存続させる義務を負う。

本当ならもう何もかも投げ出したいのだが、娘である綾乃に放り投げる事も出来ない。

はぁっと深いため息を吐くしか出来ない。

 

「久我透をなんとしても我らの手で討つ。それが出来なければ、神凪一族は術者として終わったと思え。もう我らに後は無い」

 

一族の滅亡。重悟はそう宣言した。誇張でも脅しでもない。純然たる事実として、重悟は口に出したのだ。

重苦しい空気がこの場を支配する。本来なら亡くなった深雪をはじめ、他の者達への葬儀の手配をしなければならないが、そんな暇は無い。

一刻も早く透を見つけ出し、討たなければならない。

 

「我ら炎術師では透を短時間に見つける事はできん。風牙衆を追放した今、我らは目と耳を奪われたも同じだ。もし風牙衆がおれば、神凪本邸への侵入などと言う暴挙をすぐに察せられたであろう。これが我らの限界だ」

 

重悟はこの場で如何に風牙衆が重要であったのか、彼らを説き伏せる。風牙衆を追放した事が、即座にこんな事態を招くなど分家はともかく重悟も予想していなかった。

 

「だがそれを言っていても仕方が無い。幸い、追放したとは言え、彼らは警視庁特殊資料室の傘下で我々に協力してくれるとの話だ。今までのようにすぐにとまでは行かなくても、こちらに有益な情報をもたらしてくれるだろう」

 

燎から話を聞いた直後、すでに重悟は霧香に連絡をつけていた。今も風牙衆は透の捜索を続けている。おそらくは半日、いや、数時間もあれば探し出せるはずだ。

 

「久我透に関しては綾乃、燎。お前たち二人で対処してもらう。念のため、雅人を同行させる。また風牙衆からも風巻美琴を派遣してもらう事になっている。よいか。くれぐれも無茶をするな。しかし確実に久我透を討て」

「はい」

「わかりました」

 

重悟の言葉に綾乃と燎は深々と頭を下げる。雅人も同じように真剣な表情で頷く。

 

「ところでお父様。その……和麻の方は」

 

不意に綾乃が言葉を発する。躊躇いがちにではあるが、綾乃は和麻の名前を口に出す。この場の誰もが綾乃の言葉に表情を険しくする。

綾乃もできればこの場では言いたくなかったが、それでも事件に巻き込まれる可能性のある人物の名を口に出さなければならない。

 

それに仮に久我透が和麻に突撃をしかけ返り討ちにあえば、神凪は汚名を返上する事もできなくなる。

 

「……連絡を取ろうとしてはいるが、こちらからは一切通じん」

 

重悟も表情を険しくして答える。和麻がいてくれれば、久我透への対処など簡単だっただろう。

風術師として類稀無い力を有した男。戦闘能力も厳馬を凌駕するのだ。味方でいてくれればこれほど心強い事は無い。

 

しかし今は逆に不味い。もし和麻が今回の件を知り、母の敵討ちを考えれば、神凪は何も出来ないまま終わる。和麻とて煉を大切に思っていたくらいだ。母の死を知れば、あるいは感情で動く可能性はある。

 

ただ重悟は未だに知らない。和麻が母親の死に対してなんとも思っていないことを。敵討ちは見当はずれだという事を。ただし、久我透を殺す事は彼の中で確定事項だという事を。

 

「和麻については今は何も出来ん。資料室に和麻を探す人員を割いてもらう余裕も無い。今はただ、久我透を探し出す事を第一に考える。分家は今まで以上に警戒を怠るでない」

 

話は以上だと重悟は切り上げ、彼は立ち上がる。重悟はこれから向かわなければならない場所がある。

深雪の死を、彼女の夫である厳馬に告げなければならない。それが出来るのは神凪の中では唯一自分だけなのだから。

 

「綾乃、燎。お前達は連絡があるまで屋敷で待機していなさい。久我透の行方がわかれば、橘警視から連絡を入れてもらう。それまでは……煉の傍にいてやれ」

 

重悟も自分がついていてやればいいが、最高責任者としての責務を果たさなければならない。煉一人についていてやることは出来ないのだ。

 

(こんな時に和麻がいてくれれば……)

 

思わずにはいられない重悟であった。しかし今はそんなことを言っている暇は無い。

重悟は足取りの重いまま、厳馬と話をするために病院へと向かうのであった。

 

 

 

 

風を纏い、気配と姿を消し、彼らは上空より神凪の屋敷へと降下していく。

 

「……」

「……」

 

和麻とウィル子は無言のまま、神凪の屋敷に足を踏み入れていた。四年ぶりに足を踏み入れる屋敷。敷居をまたぐ時、少しだけ和麻は躊躇ってしまった。

もう二度と帰って来ることも無い家。自分を捨てた連中がいる家。自分を蔑んだ連中がいる家。

 

足を踏み入れた瞬間、懐かしいと思ってしまった。郷愁の念が、和麻の中には確かにあった。

弱い神凪和麻と少年を十八年間守ってくれていた家。辛い思い出、嫌な思い出が大半を占めるとは言え、それでも和麻は心のどこかで思い入れを持っていたのだろう。

 

「……四年経っても、変わらないな」

 

そっと柱に手を置く。ああ、何も変わらない。和麻は少しだけ屋敷を見渡した。

 

「マスター」

 

心のどこかで、和麻はひょっとすればここに戻ってきたかったのではないかと考える。

十八年間、嫌な思い出が大半だったが、それでも和麻はここで守られていた。厳馬に勘当されるまで、母に決別の言葉を言われるまで、和麻は逃げずにここにい続けた。

 

逃げたかったが逃げられなかった。それは勇気ではない。意地ではない。ただ自分に自信が持てずに、自由に生きることに恐怖したから。

十八年間と言う今まで生きてきた人生の大半を過ごしたここに、和麻は少なからずの望郷の念を抱いてしまった。

 

だが和麻はすぐに頭を振り、その考えを振り払う。

 

「心配するな。ここは俺の帰る場所じゃない。ここが俺の原点であり、出発点であり、逃げ出した場所だけど、俺はもう、神凪和麻じゃないんだ。俺は八神和麻だからな」

 

柱から手を離し、どこか辛そうな表情を浮かべるウィル子に対して、いつもの飄々とした態度で接する。

 

「俺はお前のマスターだぞ。それがこの程度で弱音を吐くような弱い奴に見えるか?」

 

無理をしているのか、それとも素なのか、ウィル子にもわからなかったが、それでも彼女は主である和麻についていくと決めている。

 

「にひひひ。そうですね。見えないのですよ、マスター」

「そうだろ? だからお前も変な気を回すな。それよりも早く煉の所に行くぞ」

 

神凪は二人に一切気が付いていない。彼らの気配遮断は完璧だった。夜の闇の中では光学迷彩を用いれば、視認することもさらに困難になってしまう。

屋敷を気づかれずに歩きながら、和麻は気配を探る。煉の気配はすぐに見つけた。他の神凪の連中は一箇所に集まり話し合いをしている。会話は全て拾っているが、和麻にしてみればどうでもいい話ばかりだ。

 

宗主には悪いが、和麻は久我透の始末を誰かに譲る気はさらさらなかった。見つけ次第、自分の手で始末する。

とことこと和麻は屋敷を歩き回る。勝手知ったる家である。煉がいるであろう部屋の襖の前で止まり、彼は襖に手をかける。

 

「……にい、さま?」

「ああ。大丈夫か、煉?」

 

襖を開いた先では未だに泣いている煉の姿があった。その前には布団をかけられ、白い布を顔にかけられている、おそらくは深雪の遺体があった。

 

「兄様、兄様!」

 

和麻に飛びつき、嗚咽を漏らす煉。和麻はそんな煉をあやすように背中をトントンと叩く。声が漏れないように、風で結界を張り周囲に音を漏らさないようにしている。

 

しばらく後、ようやく泣き止み落ち着いたのか、煉はそのまま意識を手放し眠りについた。よほど精神的にショックを受けていたのだろう。

煉が寝たのを確認すると、和麻は錬を抱えながら少しだけ風で深雪の顔にかかっていた布を浮き上がらせて顔を改めた。ミイラになった彼女の顔は見る影も無い。

しかし顔を見てもやはり何の感慨も浮かばなかった。

 

(ほんと、ここまで何も感じないとは思わなかった)

 

それでも手くらいは合わせてやった。一応は自分を生んだ女なのだ。自分を愛していないとは言え、捨てたとは言え、これくらいはしてやろうと和麻は珍しく拝んでやった。

心はまったく篭っていなく、形だけのものでしかなかったが。

 

「……それにしても。面倒な事になったな」

 

下手をすれば煉は壊れてしまう。それだけは和麻は何とかして阻止するつもりだ。

 

「で、久我透の方は?」

「一応探してはいますが、もう少しかかりますね。マスターの方は?」

「ここ周辺、十キロの範囲にはいない。もしかすれば池袋のあの教会の方に向かった可能性はあるな」

「了解です。そっち方面で探ってみます。あれでしたら、ウィル子が出向いてカメラなどを仕掛けてきます」

「ああ。あいつ自身はただの炎術師だ。魔術が使えるわけもなく、魔法具もない。見つけるのは難しくは無いからな」

「神凪や特殊資料室の動きは?」

「警察無線とかを傍受しておけばいいだろ。どの道、連中が掴んでも神凪が動くしかないんだ。そっちに連絡をしてきたところを先に俺達が抑えればいい」

「そうですね。まっ、ウィル子とマスターの方が絶対に早いでしょうけどね」

「当然」

 

自信満々に言い放つ和麻にウィル子は苦笑する。不意に和麻の顔がこわばった。

 

「どうしたですか、マスター」

「いや、綾乃たちが来た」

「マジですか」

「マジだ。たぶん煉の様子を見に来たんだろうがタイミング悪いな。つうか空気読めよ」

「空気を読んだから来たんだと思いますが……。とにかく見つからないようにしてくださいね、マスター」

「気配消して光学迷彩かけてたら大丈夫だろうよ。とにかく煉をそのあたりに寝かせて……」

 

煉を自分から離そうと思ったのだが、煉はがっしりと和麻の服を掴んで離れない。

 

「うん。困ったな、離れないぞ」

「……フラグが立ちましたね」

 

ウィル子は和麻をそれ見たことかと言う風に眺める。視線を受けながらも和麻は飄々とした態度を崩していないが。

 

「仕方が無い。煉ごと光学迷彩をかけてこの場をやり過ごそう」

「余計に騒ぎになる方に賭けておくのですよ」

「じゃあ俺は騒ぎにならないほうに賭けておく」

 

などといいながら、和麻は結界を展開した。数秒後、部屋の襖が開かれた。

 

「煉……って、あれ? 煉?」

「いないんですか?」

 

入ってきた綾乃と燎は訝しげに部屋を眺める。いるはずの少年がいない。

 

「おかしいわね。ここにいるはずなのに」

「トイレかそれとも部屋に戻ったのか……」

 

しばらく待っていようかと綾乃は言う。

 

「あっ、じゃあ俺は念のため探してきます。部屋やトイレにいれば問題ないけど、もし外に出てたりしたら大変だから。綾乃様はここにいてください。入れ違いで帰ってきても不味いですから」

「頼むわね、燎。美琴ももう少ししたら来るらしいから、来たてそれでも帰ってこなかったら一緒に探しましょ。もし見つけたら連絡頂戴。あたしも煉が帰ってきたら連絡入れるわ」

「わかりました」

 

燎は短く返事をすると、そのまま部屋を後にする。一人残った綾乃はスッと深雪の脇に正座をし、手を合わせる。

 

「おば様。仇は取ります」

 

自らの決意を口にする。綾乃と深雪はそこまで仲がいいわけではなかったが、同じ宗家の一員として分家よりも親密な付き合いをしていた。

母親がいない綾乃としては、煉を羨ましがっていたところもあるが、母親を目の前で殺された煉の気持ちを考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

 

ギリッと綾乃は歯をこすり合わせる。彼女も燎と同じように悔しさに身体を震わせる。

何故気がつかなかったのか。もし和麻なら深雪を襲う前に、いや屋敷に近づいただけでわかるだろう。

綾乃も泣きじゃくる煉の姿を目に焼き付けている。母親を理不尽に奪われた。どれだけ辛いだろう、悔しいだろう、悲しいだろう。

自分がしっかりしなければならない。もう誰も悲しませたくない。

 

「あたしが、あたしが頑張らなくちゃ」

 

炎雷覇の継承者として、綾乃は未熟すぎた。先の事件で骨身にしみていた。

強くなりたい。燎と同じように綾乃も心の底から願った。

 

「和麻みたいに強くなりたい。あいつは四年で強くなったんだ。あたしだって、今以上に努力すればきっと……」

 

グッと拳を握り締める。当の本人がいると気づかずに、彼女は自らの本心を口にする。

 

「今度こそ、和麻の手は借りない。あたしだけで絶対に勝つ。でなきゃ、あたしがいる意味が無い」

 

そんな綾乃の様子を和麻はどうでも良さそうに眺める。

 

「マスター。どうしますか、この状況?」

「あー、こりゃしばらく動きそうに無いな。ふむ、どうするかな」

 

綾乃はこちらに気が付いていないが、長時間いられると面倒だ。綾乃如きに気づかれるヘマはしないが、いつまでもこの状況と言うのは問題だ。

 

「いっそ、不意打ちで意識奪って煉を連れ出すか? 宗主には俺から連絡入れとけばいいし」

「それが一番無難ですね。綾乃程度、マスターなら不意打ちで、いや不意打ちじゃなくても十分意識奪えますからね」

 

和麻と綾乃の実力差を考えればそれくらい余裕である。

 

「んじゃ、とっとと綾乃の意識を奪ってお暇するか」

 

和麻は行動を開始しようとした時、不意に綾乃がこちらを向いた。

 

「ん?」

 

まさか気づかれたのか? そんな考えが和麻の頭をよぎる。綾乃ごときがこの結界で隔絶した中の自分の存在に気がつくか? まさかとしか思えない。

 

「マスター。絶対にバレないって言っていたのでは?」

 

疑いの目を向けるウィル子。和麻もバレないはずだったのだが、綾乃はじっとこっちを見ている。

 

「そのはずだったんだけどな。おかしいな。炎術師のあいつが俺の存在に気がつくはずが……」

 

声も漏れないようにしているので、会話も聞き取れるはずが無い。

その時、和麻はあっと思い浮かべる。和麻とウィル子だけならばなんら問題は無いのだが、今和麻の腕の中には煉がいる。

 

彼も神凪宗家の一員であり、類稀なる才能を有している。煉も綾乃と同様に常に膨大な数の炎の精霊を従えている。和麻の結界である程度隠しているが、同じ炎術師である綾乃ならば、あるいは気がつく可能性はある。

今はただでさえ襲撃された事で神経を張り詰めているのだ。ひょっとすれば気がつく可能性もゼロではない。

 

「誰かいるの? いるんだったら姿を見せなさい!」

 

綾乃は炎雷覇を抜き出し、立ち上がり構えを取る。半信半疑の様子ではある。炎雷覇を抜いたからと言って、ここで派手に戦うつもりは無いだろう。おそらくはカマをかけている。

綾乃が駆け引きかと思わなくもなかったが、和麻はどうしたものかと考える。

 

「ヘマしたな」

 

ウィル子の言うとおり、見つからないはずなのに見つかってしまった。このまま無視を決め込んでもいいが、下手に騒がれても鬱陶しい。

綾乃に見つかるのも面倒なので、当初の予定通り意識を奪おうかと考えていると、先に綾乃が動いた。

和麻がいる場所目掛けて、炎雷覇を振り下ろしたのだ。

 

「でらやぁっ!」

 

唐竹割の一撃。気合と共に彼女は炎を纏わせた炎雷覇で攻撃してきた。

これには和麻もおいおいと思わなくもなかったが、綾乃ならまああるかと納得した。

炎を展開した炎雷覇の攻撃は圧倒的な破壊力を有する。

ただし、相手が和麻クラスになると話は変わる。

 

「なっ!」

 

炎雷覇が受け止められる。何も無いと思われた場所から伸びる腕。ゆらりと周囲の景色がゆがみ、中から和麻が姿を現す。

 

「いきなりだな、綾乃」

「か、和麻!? って、煉!?」

 

いきなり現われた人物に驚きの声を上げる綾乃。その腕に抱かれた煉を見て、さらに二重で驚きの声を上げた。

 

「ああ、勘違いするなよ。煉はただ泣きつかれて寝てるだけだ。俺がここにいる理由は煉に事情を聞いてこいつが心配で来ただけだ」

 

説明する必要も無いが、騒がれても鬱陶しいので事情を話す。

 

「煉に聞いたって……。お父様でもあんたに連絡取れないって言ってたのに」

「こいつに俺の電話番号教えたからな。宗主の場合はいろいろあって連絡先教えてなかったからな」

「な、なによそれ!? て言うかいつからいたの!?」

「うるさい奴だな。別にいつからでもいいだろうが。と言うかうるさい。声を出すな。他の連中に見つかるとさらに面倒だからな。ああ、全員ボコボコにしていいって言うなら、別に誰か呼んでもいいぞ」

 

和麻の言葉に綾乃は言葉に詰まる。和麻がいたことなど、聞きたいことは山ほどあるが、ここで大声を出して事態を悪くする事だけは避けなければならない。

綾乃も和麻の神凪での立場を理解している。一族内での彼の評価は最低だった。和麻が内部告発しなければなどと言う連中は少なくないのだ。

 

もし見つかれば何かしらの手段に訴えてくる奴がいないとは限らない。その場合、高い確立で和麻は敵対し報復する。

彼の強さは骨身にしみている。綾乃が十人いても和麻には勝てないだろう。分家など、全員で挑んでも鼻歌交じりにあしらえる。化け物と言うほどの存在なのだ。

 

(と言うよりも風で声が回りに漏れないようにしてるんだけどな)

 

和麻としてはバレるのも鬱陶しいので、風で結界を張り、綾乃の声も漏れないようにしている。燎が戻ってこなければ、しばらくの間は誤魔化せるだろう。

 

「……怒ってるの? 深雪おばさんを殺されて」

「いや別に」

 

綾乃に聞かれた和麻は即座に返事を返した。すると綾乃が目を見開き驚いたような顔をしている。

 

「正直、何にも思っちゃいねぇからな。死んで悲しいとか怒るとか、そう言う感情が一切でないんだよな、これが」

 

おちゃらけて言う和麻に、綾乃は逆に怒りがこみ上げてきた。目の前の男は自分の母親が殺されたと言うのに、なんとも思ってないと言うのだ。

いや、この男の事だ。それを表面に出さずに心の中では怒っているのではないかと綾乃は考えた。

 

「言っとくが、俺が心の中で怒りを感じてるなんて思ってるんだったら、見当はずれだぞ。俺は本当に何の感情も持ち合わせちゃいない」

「深雪おばさんは、あんたのお母さんじゃないの!?」

「俺を生んだって言うのなら事実だな。だが俺はこいつを母親なんて思っちゃいねぇ。俺に両親はいない」

「あんた!」

 

はっきりと言い放つ和麻に綾乃は怒りを向ける。綾乃には母親がいない。彼女が幼い頃すでに亡くなっていた。

綾乃は母親の温もりをあまり覚えていない。父である重悟がいたから寂しいと思うことはなかった。

それでも母親のいる煉を羨ましく思っていた。綾乃は家族と言うものは大切な存在であり、両親と言う存在は子供に愛情を注ぐものだと思っていた。

 

「自分の母親が殺されて、本当になんとも思わないの!?」

 

和麻のジャケットの襟を両手で掴みながら、綾乃は顔を近づけて彼に抗議をする。

 

「……その手を離せ、綾乃。さもないと……」

「さもないと、何!? あたしをボコボコにする? いいわよ、やっても。あんたなら簡単にできるでしょうね。でもね、こればっかりは言わせて貰うわ! 煉を大切に思ってるんだったら、何で深雪おば様を大切に思わないのよ! 大切な家族なんでしょ!? だったら!!」

「うるさいのですよ! 綾乃! マスターを愛していないとほざいて捨てるような女など、母親でも何でも無いのです!」

「ウィル子!」

 

綾乃の態度に怒りを顕にしたのはウィル子だった。彼女は感情の爆発させ、綾乃に向かって叫ぶ。和麻はそんなウィル子の発言に対して声を上げた。

 

「……えっ?」

 

そんな中、ウィル子の言葉に綾乃は信じられ無いと言うような声を上げた。

 

「いいえ、マスター。こればかりは言わせて貰うのですよ! そこの女はマスターを捨てたのです! 四年前、炎術師の才能は無い息子など要らないと言って、一方的に! そんな相手に対して、マスターが何の感情も抱かないのは当然のことです!」

「捨てたって……、おば様が?」

「そうですよ! だから「ウィル子、余計な事を言うな」」

 

なおも言葉を続けようとするウィル子を和麻の声が制した。

 

「マスター……」

「これ以上、何か喋れば……」

 

和麻の目が鋭くなり、ウィル子を射抜く。彼は自分の事を他人に語られたくないのだ。それが自らがパートナーと認めたウィル子であっても。

いくらお前でも、これ以上は何も言うな。そう目で和麻は語る。

 

「お前にこれ以上話す事は無いし、話すつもりも無い。さっさとこの手をどけろ。これから俺は久我透を消滅させに行かないといけないんでな」

 

和麻の言葉に綾乃はゾッとした。和麻の目が、顔が、まるで張り付いた能面のように見える。どこまでも深く、暗い瞳。

怖い。綾乃は心の底から震えがこみ上げてくるようだった。

 

「一応、勘違いはするな。敵討ちなんて話じゃない。あいつは俺に対して敵対した。あいつが俺の命を狙ってるのは知ってる。だから消滅させるんだ。俺の手で。お前らは手を出すな」

 

問答無用で、有無を言わせぬ言葉で和麻は綾乃に言い放つ。恐怖で思わず手を離し、一報白に下がる。

だがすぐに綾乃は思った。久我透は神凪の手で倒さなければならない。それが神凪が生き残る唯一の手段である。

もし和麻の手で透が倒されれば、神凪は汚名を雪ぐ機会を永久に失ってしまう。

 

「待って! 久我透はあたし達が!」

「あたし達が? 神凪の事情なんて知らねぇよ。お前らは勝手にやればいいだろ? 俺が見つける前にあいつを見つけて倒す。簡単だろ? ああ、風牙衆がいない神凪じゃ無理か」

 

馬鹿にしたように和麻に綾乃は何の反論も出来ない。だがここで退くわけには行かない。次期宗主として何とかしなければならない。

 

(でもどうすれば?)

 

時間を稼ぐ。どうやって? 力ずく? 馬鹿な、ありえない。和麻と自分の実力差はかけ離れている。命を懸けても和麻を苦戦させる事も出来ないだろう。

 

話し合いで止める。無理だ。綾乃は自分がそこまで口の回る人間で無いし、すぐに感情的になって暴走するという事を最近はより思い知らされた。

和麻を言い負かし、行動を制限させるなどできるはずもない。

手詰まりだ。綾乃は悔しさのあまり拳を握り締める。

 

「決まりだな。ああ、煉がいたな。煉が起きるまではここにいてやる。それまでに久我透を見つけて倒してみろ。その間は俺はここを動かないでいてやる」

 

突然の和麻の言葉に、綾乃は思わず彼の顔を見た。

 

「お前らにしてみれば悪くない話だろ?」

「本当に煉が起きるまではここにいるの?」

「ああ。それよりもいいのか? こんな所で油を売ってて? 時間が無いんだろ?」

「っ……」

 

和麻の言葉に綾乃はすぐに行動を開始した。待ってなどいられない。時間が無いのだ。重悟には待機を命じられたが、状況が変わった。

透がどこにいるかはわからないため、自分が闇雲に探しても意味は無い。所詮綾乃は炎術師。探し物は不得意だ。

 

ならばどうする。決まっている。橘警視や美琴と合流する。その方が透を見つけた場合、すばやく対処できる。

綾乃はそう考え、部屋を飛び出すと携帯に連絡を入れるのであった。

 

「……よし。これで餌は蒔けたな」

「別に綾乃をダシにしなくても探すのは難しくないのに。それに本当に先を越されたらどうするつもりですか?」

「そうだな。あいつを餌にする必要はないが、ここに留まられてるのもうるさいだろ。それに先を越されるつもりも無い。久我透は、俺の獲物だ」

 

和麻は誰にも久我透を殺す権利を与えるつもりはなかった。消滅させるのは自分である。

だから、和麻は誰よりも先に彼を始末する腹積もりだ。

 

「俺を怒らせたんだ。たっぷりと思い知らせてやるよ」

 

そう呟いた頃を同じくして、一人の男が重悟の制止を振り切り久我透を始末すべく動き出していたのを、和麻は知る由もなかった。

 


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