風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第二十九話

 

「和麻、それに煉」

 

綾乃はその人物達を見ながら、呆然と呟く。周囲は警視庁が結界を張り巡らせ人払いをしていたはずだ。

尤も和麻ほどの相手に警視庁の封鎖が役に立つはずも無い。時間稼ぎにすらなりはしない。

 

「おうおう。派手にやられてるな」

 

和麻は手に持つ虚空閃を些か弄びながら、綾乃達の様子を憎たらしげな笑みを浮かべながら眺める。

 

「アレだけほざいてこの状況か、綾乃。結構無様だぞ」

 

和麻の言葉に綾乃は唇をかみ締めるだけで何も言えない。反論しようにも反論できなかった。何かを言えば、余計に自分が惨めになりそうだったから。

 

「姉様、燎兄様! 美琴さん! ご無事ですか!?」

「ああ、心配するな煉。あいつらそこまで怪我してないから」

 

煉が三人を心配そうに叫ぶが、和麻は問題無しと切って捨てる。

 

「しかしまあ……、ずいぶんと調子に乗ってるな」

 

視線を向ける先には、獰猛な笑みを浮かべ、憎悪をたぎらせる透の姿があった。

 

「和麻、和麻、和麻、和麻、和麻、和麻、かずま、かずまぁ、カズマァッッッッ!!!」

 

狂ったように和麻の名を叫ぶ透に和麻は心底嫌そうな顔をする。

 

「何が悲しくて男に名前を連呼されなきゃならないんだ? 虫唾が走ると言うかキモイ」

「ほんとですね、マスター。うわっ、本当に気持ち悪い」

「今すぐに黙らせたいんだけどな……」

 

黒い炎をいくつも召喚する透をゴミでも見るように眺めながら、和麻は嫌そうに息を吐く。

透の炎は確かに綾乃達を追い込むだけのことはあり、神凪宗家に匹敵、あるいは凌駕するだろうが、ただそれだけだ。

 

まだ神炎使いの領域にはたどり着いていない。和麻や厳馬クラスには遠く及ばない。

和麻から言わせれば、まだまだ雑魚でしかない。

 

(しかしこれは煉には少し荷が重いか)

 

炎雷覇を持つ綾乃と燎ですら倒しきれないどころか逆にやられているのだ。煉一人に任せてはどうなるか目に見えている。

 

(いたぶってもいいが、それだとな~。ああ、めんどくさい)

 

下手に刺激するのも問題だろう。一応、すでに上空に黄金の風を準備しているのでいつでも透を始末できるのだが、煉の成長やら何やらを考えるとそれは出来ない。

とすれば取るべき手段は限られてくる。

 

「煉。最後は俺が貰うが、それまでは好きにさせてやる。フォローもしてやる。アドバイスもしてやる。やりたいようにやれ」

「兄様……。はい!」

 

煉は和麻の言葉に頷くと、前に出て透を睨む。

 

「ああっ? なんだその目は」

「…よくも、よくも母様を!」

 

怒りを宿した瞳を透に向ける。憎しみほど強くも無く、さりとて人間の感情の中では大きな力を有するもの。

炎の精霊が煉に呼応する。彼の周囲に渦巻く莫大な精霊達が彼の心に突き動かされる。

 

「お前は、お前だけは絶対に許さない!」

 

黄金の炎が踊る。彼の感情により高ぶった炎が、彼の手のひらに収束する。

 

「はぁっ!」

 

気合と共に打ち出される浄化の炎。それは今までの煉の実力からすれば考えられない威力を誇っていた。綾乃ですら驚愕する炎。もしかすれば炎雷覇を持っていない状態の綾乃クラスであるかもしれない。

 

「ちっ!」

 

透も同じように漆黒の炎を打ち出す。炎と炎がぶつかり合う。だが出力はまだ透の方が上だ。いくら浄化の炎でも出力で大幅に負けていれば打ち破られる。

しかし炎が煉に届く事はない。蒼い浄化の力を宿す風が透の炎を全て切り裂き、消し飛ばしている。

 

「煉、気にせずどんどん行け。お前の持っている全てをあいつにぶつけてやれ」

和麻の言葉に煉は再び頷くと、心のままに炎を召喚し続ける。

「この……、この俺様を舐めんじゃねぇ!」

 

透が叫びと共に煉に対して苛烈な攻撃を加える。本来の煉ならば怯むであろう攻撃。まだ実戦経験の少ない煉ならば、対処できない攻撃。

だが煉は怯まない。恐怖に心を支配されない。恐怖が入る込む隙間も無いくらい、彼の心は久我透への怒りで満ちていた。前だけを見る。久我透だけを見る。

 

黄金の炎が舞い、久我透に迫る。膨大な炎の精霊が、煉により制御される。

煉の心を占める怒りだが、今はまだ彼は制御していた。和麻の存在が大きかったのだろう。ウィル子の言葉が煉の心に響いたのだろう。

 

彼の下地は厳馬により作り上げられた物だった。厳馬は色々と問題があるが、炎術師と言う術者としては優秀だった。煉には才能があり、傑出した炎術師である厳馬により指導されたことで、煉もまた炎術師として優れた力を持っていた。

それがここに来て、開花し始めた。

まだまだ拙いし、防御も脆い。攻撃に偏重した炎術師の最たるものだろう。和麻のフォローが無ければ、手痛い傷を負う。

 

(攻撃は中々だが、まだまだ防御が出来てないな。もっと修行が必要だ。しかし十二歳ならこんなもんか)

 

フォローしながら、和麻は今の煉の実力を冷静に判断する。

 

「この、くそ野郎がぁっ! 俺は和麻を殺してぇんだよ」

「そんな事、僕がさせない! もう、これ以上、誰も死なせない!」

 

黄金と黒が激しくぶつかり合う。蒼き風が透の炎を切り裂き、煉の致命傷になりそうな攻撃を吹き飛ばす。

 

「はあぁっっ!!!」

 

持てる力全てを煉は両手に黄金の炎を集め、束ね、透に向かい打ち出す。黄金の輝きは和麻の風により弱体化した黒い炎を飲み込み、浄化し、透本体を焼きつくさんと襲い掛かる。

 

「がぁぁぁっっ!!!!」

 

炎に焼かれ、透はもだえ苦しむ。本来なら炎に焼かれる事などない分家とは言え神凪の炎術師だが、人間から妖魔へと変化した今の彼には神凪の炎は毒でしかなかった。

 

ただの炎ならばまだしも、神凪の浄化の炎は不浄を滅する。透はかつて和麻が炎で焼かれた時以上の痛みと苦しみをその身に受けている。なんとも皮肉な事であろうか。

もだえ、苦しみ、地面に這いずり回る。炎を消そうと躍起になるが、炎は透を侵食し、身体を焼き尽くしていく。

 

もし人間のままであったのなら、透は生きながらえたかもしれないが、妖魔になった彼にはもう生き残る術はない。

浄化の炎により、妖気が消滅し、綾乃達との戦いからの連戦で彼の力は底を尽いていた。

 

時間をかければ回復するだろうが、外部からのエネルギー供給が無ければそれも叶わない。

しかも人間一人二人吸収したところで意味はない。それこそ神凪宗家クラスを捕食しなければ。

 

だがそんなことは和麻が許さない。和麻の目を誤魔化すなど出来ない。逃げ出す事も出来ない。この場で誰かを襲うことなど不可能だ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

肩で息をしながら、煉は透を睨む。持てるすべてを透にぶつけた。もう彼には一変の余力も残っていなかった。

 

「煉、お前はもう下がってろ。あとは俺がやる」

 

煉の隣まで移動し、和麻は彼の頭にポンと手を置く。

 

「兄様……」

「お前にさせてやるのはここまでだ。始末は俺がつける。邪魔はするな。邪魔をするなら、お前でも容赦しない。おい、ウィル子。煉を見てやってろ」

「了解なのですよ、マスター」

「あと、そこの三人。お前らも手を出すな」

「和麻……」

 

綾乃は何かを言いたそうに和麻を見るが、和麻はそれを一蹴する。

 

「残念だったな、綾乃。時間切れだ。まあ、俺を出し抜いてこいつを殺したいんだったら好きにすればいいが……、俺はな、獲物を横取りされるのが大嫌いなんだよ」

 

和麻の顔が不気味に歪む。笑みを浮かべているが、それは見るものに恐怖を与える悪魔のような笑みだった。

綾乃は動かない。動けない。動け動けと自分を叱咤するが、彼女の身体は動く事を拒否している。

 

和麻の殺気が見えない針のように、彼女の身体を縫いつけているようだった。燎も美琴も同じだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように、動けない。

 

「よしよし。そのままいい子にしてろ。んじゃあ、終わりだ」

 

虚空閃の切っ先を透に向ける。

 

「かずまぁっ……」

 

憎悪を和麻に向ける。怒りと憎しみ、ありとあらゆる負の怨念を和麻に向ける。並の人間ならたじろぐほどの感情を受けながらも、和麻はどこ吹く風と受け流す。

 

「おうおう。そんなにされてまだそこまでの気力があるのか。それよりもお前にそんな風に呼ばれる筋合いは無いし、呼ばれたく無い」

 

呆れながらも驚く和麻。こいつももう少し努力すれば宗家に匹敵するとは言われたかもしれないのに。心底どうでもいいことだが。

それにこんな風にこの男に自分の名前を連呼されるのも嫌だった。

 

「てめぇが、てめぇが……」

「ぎゃあぎゃあうるさいな。つうかもう死んどけ。俺もお前みたいな奴がいると鬱陶しいだけなんだよな」

 

覚めた目で、和麻は透を見る。地面に這い蹲る透と見下す和麻。それは十年以上前の再現。だが立場は逆になっていた。

ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうと呪詛を振りまく透だが、和麻の前に何も出来ない。しかし虚空閃は透の目と鼻の先で止めている。和麻はまだ透を消滅させない。

 

「マスター。何をやっているんですか? さっさとやってしまいましょう」

 

いつまでも透を処分しない和麻にウィル子が催促するが、和麻は首を横に振る。

 

「ああ、もうちょっと待て。どうせならギャラリーは多い方がいいだろう。一人、死にぞこないが来てるんだよ」

 

その言葉にウィル子は?マークを頭に浮かべるが、それがどういう意味なのか、彼女は、彼女達はすぐに気づく事になる。

 

気配がする。巨大な気配が。同じ炎術師である綾乃が、煉が、燎が離れた距離でも感知できるほどの強大な気配。隠しているが、隠しきれていない、怒りと膨大な炎の精霊達。

恐怖を覚えるほどの強さを放つ存在。不意に和麻はニヤリと唇を釣りあがらせる。

 

「よう。遅かったな」

 

視線を透から離さずに、声を上げる。

 

「……」

 

公園の入り口。そこからゆっくりと一人の男がやってくる。

神凪厳馬。それが男の名前だった。

 

「か、神凪厳馬!? マスター! まさか待っていたのですか!?」

「ん? ああ。あいつが来てるのは気がついていたからな。どうせならと思って」

「どうしてマスターはこうフラグを立てるのですか……」

 

和麻の行動にウィル子は肩を落とす。どうしてあれほど兵衛の一件で懲りているはずなのに、こんな風に時間をかけたりワザワザ厳馬を待ったりするのか。

 

いや、厳馬が相手なら和麻がこういう風な行動に出るのも納得できる。彼がここに来たと言うことは深雪の死を知ったからだろう。出なければ入院中の身で出てくるはずが無い。

 

それにウィル子も気がついている。厳馬が怒りを発している事を。

それでもウィル子は和麻の行動が愚かな事だと思っている。普段の和麻なら、それこそミハイルを殺した時のようにあっさりと躊躇無く、簡単に済ませるのに。

 

(神凪厳馬が絡むと、碌な事が無いのですよ)

 

和麻にとって神凪厳馬と言う人間は色々な意味で特別な人間なのだろう。だからこそ、ウィル子は最悪の事態を危惧する。

 

「……そこをどけ、和麻」

 

底冷えがするような低い声で厳馬は和麻に告げる。

 

「あっ?」

「……そこをどけと言っている。その男の処分は私がする」

「ふざけた事抜かしてんじゃねぇよ。こいつは俺の獲物だ。誰がてめぇに譲るか。お得意の神凪の問題だか? 知ったことじゃねぇよ、てめぇらの事情なんて」

 

吐き捨てるように言う和麻に厳馬は少しだけ顔を俯かせる。

 

「神凪がこれで没落しようが再起不能になろうが、俺に取っちゃどうでもいい事だ。神凪の名とそこに住む者を守るためって言うあんたの大義名分なんて「誰がそんなことを言った」……何?」

 

厳馬の言葉に和麻は眉をひそめた。

 

「誰が神凪の名を守るためなどと言った。神凪など、もうどうでもいい」

「おい……」

 

和麻は信じられ無いと言うような顔で厳馬を見る。厳馬は神凪一族と言う存在を体現するかのような男だった。神凪を誇り、愛し、守るためならばどんな事でもやるような男。

 

それが和麻の厳馬と言う男に対して抱いていた印象だった。

あのタイマン勝負の際も厳馬と言う男は、神凪を大切に思っていると言う発言をしていた。なのに今は、それがどうでもいいと言っている。

 

(おいおい。どう言う事だ? 話が違うぞ)

 

和麻にしてみれば、神凪が再起不能になる材料である透を彼自身が殺すと言うことで厳馬に失望を味あわせてやろうと考えていたのだが、今の厳馬はそんな彼の思惑を大きく外れていた。

 

「どけ、和麻。さもなくば……殺す」

 

ゾクリ。

 

厳馬が顔を上げた瞬間、和麻は恐怖を感じた。殺すと言う明確な意思。あの時とは違う。あの時は厳馬は和麻を殺すつもりは無かった。ゆえに恐怖は感じてきたが、ここまでではなかった。

 

だが今始めて、厳馬は明確な殺意を和麻に向けた。心の奥底から、感情のままに放たれる殺気。それは和麻にも覚えがあった。

かつて翠鈴を殺され、アーウィンに復讐しようと行動していた時の和麻と同じだった。

 

今の厳馬を支配しているのは、本来なら決して彼が表に現さない負の感情。

怒りを超越し、憎悪へと変化させた感情。

厳馬ほどの使い手が、感情に支配されていた。それは和麻から見れば決してありえない事態。いや、今の和麻も大切な存在を奪われたり、翠鈴に関係する何かで心を抉られれば、こうなってもおかしくは無いが、厳馬と言う男がこんな事態に陥ることなど想像も出来なかった。

 

厳馬の炎が高まる。憎悪は炎さえも染め上げていく。膨大な感情が炎に浸透し、黄金の炎を強大にしていく。さらに厳馬は自らの気をあわせ、蒼炎へと炎を変化させた。

太陽どこではない。超新星の爆発クラス。いや、ビックバンと言われてもおかしくは無い。

あの時、フランス山で見せた厳馬の全力をもさらに上回る炎が厳馬の周囲に展開していく。

 

「これ以上は言わん。……そこをどけ」

 

右手を突き出し、そこにさらなる炎を集める。全身には蒼炎を纏わせて、和麻の一切の攻撃が届かないようにしている。

真正面からぶつかれば和麻の敗北は必死。いくら虚空閃を有していても、現状では五分に届かない。聖痕を発動させれば別だが、そんなことをすれば先日の怪獣大決戦を上回る死闘を演じる事は目に見えている。普通なら逃げるところだろう。

 

しかし……。

 

「はっ、やなこった!」

 

和麻は厳馬の言葉を一蹴する。

 

「何で俺があんたの言う事を、律儀に聞かなきゃならないんだ。てめぇの命令なんて死んでも聞くかよ」

 

すっと和麻は透から虚空閃を外し、厳馬と向き合う。その瞬間、チャンスと思ったのだろう。透はニヤリと笑みを浮かべ、自分に背中を向ける和麻に襲い掛かった。

 

「和麻ぁっ!」

「兄様!」

 

透の叫びと、煉の悲鳴が木霊する。

 

「邪魔だ」

 

次の瞬間、透の四肢が切り裂かれた。

 

「がっ!?」

 

さらに切断された四肢は風により細切れにされ、すりつぶされ、消滅した。地面にドサリと落ちて芋虫のように這いずり回る透に視線を向けないまま、和麻は低く言い放つ。

 

「そこで這いずってろ、バカが。お前なんて眼中にねぇ。邪魔なんだよ。あとできっちり消滅させてやる」

 

透を見ることなく、和麻は透を風で地面に縫い付け、押さえつける。今の透には何も出来ない。力は全て使いきった。もう、彼に成す術はない。

 

「よう。こいつを殺したかったら、俺を倒してからにしろよ」

「……死ぬぞ、和麻」

「誰が死ぬかよ、ボケ。つうかてめぇが俺にそんな口聞ける立場か? どこの誰だったかな。最強の炎術師なんてほざいていながら、風術師の俺に真正面から戦って負けて病院送りになった奴は」

 

ニヤリと口元を吊り上げて和麻は笑う。その言葉に厳馬はピキリと青筋を浮かべる。さらに周囲で聞き耳を立てていた綾乃達は驚愕している。

 

「えっ、兄様。それって……」

「おう。お前らは知らなかったんだったな。こいつが入院したのはな、俺がこいつをボコボコにしたからなんだよ。なあ神凪厳馬? 風術師の俺が炎術師の土俵で戦いを挑んでやったのにも関わらず無様に敗北したんだよな」

 

嘲り笑うように和麻は言い放つ。対して厳馬は無言だった。

 

「何とか言えよ。あれは油断したからだとか言い訳してもいいんだぜ?」

「……それだけか?」

「あっ?」

「言いたいことはそれだけか? ならばもういい。それがお前の最後の言葉になる」

 

炎が爆発した。放物線を描きながら和麻に向かって迫り来る数多の炎の群れ。

舌打ちをしながら、和麻は風を召喚し、虚空閃を持って迎え撃つ。

 

「ウィル子! 煉! 離れてろ! 巻き込まれて消滅してもしらねぇぞ!」

「わかりました! ほら煉も早く!」

「兄様! 父様! やめてください!」

 

ウィル子に離れるように引っ張られるが、煉は二人の戦いを止めようとする。だが煉の言葉で止まるはずもない。

 

「どいてろ、煉!」

 

和麻は煉を叱咤し、そのまま高速で移動する。厳馬の側面に回りこみ、槍を振り下ろし衝撃波を発生させる。すでに和麻も気をあわせ、風を蒼く染めている。

虚空閃により増幅された風は、厳馬クラスといえども簡単に防ぎきる事はできない。世界最強最高の風術師と神器の組み合わせだ。綾乃が炎雷覇を持っているのとはわけが違う。

それこそ全盛期の重悟が炎雷覇を持っているのにも等しい状況なのだ。

 

しかし悲しいかな、炎と風の力の差がある。いくら和麻と虚空閃でも今の厳馬の炎を真正面から打ち破ることは出来ない。

それでも集中しなければ防げない事には変わりなく、厳馬は神速の風による攻撃を炎を持って受け止める。

 

直後、周囲に風が収束し、厳馬の動きを拘束した。咄嗟に厳馬は判断する。来る、と。頭上を見上げる。黄金色の風が、厳馬の頭上目掛けて降り注いだ。

透用に用意していた風ではあるが、厳馬に対して使用する事にした。

 

「くたばれ!」

 

逃げ場は無い。迎撃するしか厳馬に方法は無い。だが前回とは違い、厳馬はまだ全力の炎を用意し切れていない。完全な奇襲。聖痕こそ使っていないが、虚空閃で増幅された攻撃だ。防ぎきれるはずが無い。

 

「同じ攻撃が何度も通用すると思うな!」

 

叫び声と共に、厳馬は右手を空へとつきあがらせる。蒼炎がまるでレーザーのように空へと伸びる。極限まで圧縮した炎。突き上げるという動作を持って、厳馬も破壊の意思を高める事で黄金色の風を迎撃しようとした。さながらそれは龍のようだった。

 

黄金色と蒼い風と炎がぶつかり合う。

互角。聖痕を発動させてはいないとは言え完全な黄金色の風と、全力ではないが今までに無い炎の威力を有した蒼炎。

あまりの光景に和麻と厳馬以外の全員が呆然としている。透など、力の差がここまで離れて居ると言う事をここに来てようやく理解した事で恐怖に震えている。

 

和麻は冷静に事態を分析する。驚愕は無い。予想の範疇。今の厳馬の炎の出力と前回の戦いで理解した厳馬の力。

前回はかなり動揺したが、聖痕を発動させていない今ならば、こんなものだろう。

黄金色の風はただの布石に過ぎない。ゲホウとの戦いでも取った戦法である。

本命は虚空閃による一撃。

 

「うらぁっ!」

「!?」

 

和麻が虚空閃を全面に突き出し、厳馬に向かい突っ込んできた。さしも厳馬もこれは予想外だった。前回の和麻の戦法は遠距離からの攻撃。神炎を纏わせた厳馬に対して接近戦を仕掛けようとは一切しなかった。これは前回は虚空閃を持った事も起因する。

 

愚かなと厳馬は思ったが、彼は左手を突き出し、炎による追撃を行う。威力こそ若干劣るが、和麻の風を吹き飛ばすには十分だった。

 

「甘いんだよ!」

「なに!?」

 

炎が虚空閃により切り裂かれた。炎が貫かれ、霧散する。虚空閃の先端から、和麻を包む風の渦。渦は炎を巻き込み、霧散させていく。激しい激流を制する清流。流れに従い時に逸らし、時に合流する。散り散りになった炎さえも、今の和麻には届かない。

 

「今のあんたなんて敵じゃないんだよ」

 

虚空閃が厳馬に纏わり付く炎を全て吹き飛ばす。

馬鹿なと厳馬は呟く。そんな厳馬を和麻は冷めた目で見ている。

 

「……こんな簡単な事にも気づかない程落ちたのかよ。情けないぜ、神凪厳馬!」

 

炎の消えた厳馬の顔に全力で拳を叩き込む。地面に激しく叩きつけられ仰向けに倒れる厳馬を和麻は見下す。

 

「今のあんたは見ていて腹が立つ。いつものあんたなら、こいつを持っててもこんなに簡単には倒せなかったはずだ。傷が治ってるとか治ってないとか関係ない。今のあんたは単純に感情任せに炎を召喚しただけだ。それで俺に勝てると思ってるのか」

 

動けない。身体が重い。厳馬は立ち上がることが出来なかった。

無理がたたったのだ。感情任せに炎を召喚した。身体が治りきっていない上に、無茶をした。さらには自分の身体を痛めつけたのも原因だ。

それよりも……。

 

(私は何をしている)

 

和麻に倒された事で、冷静になった厳馬は今の自分の状態を考える。無様だった。あまりにも無様だった。何のために力を振るうのか。それさえわからなくなった。

感情を優先させ、重悟の静止も振り切り、ここにやってきた。深雪を殺した透を殺すために。

ただそれだけのために……。

そんな厳馬の様子を見ながら、和麻はハァっとため息を付くと、こう言葉を紡いだ。

 

「……汝、精霊の加護を受けし者よ。その力は誰のために?」

 

厳馬は和麻の顔を見ながら、ハッとした表情を浮かべる。

 

「……我が力は護るために。精霊の協力者として世の歪みたる妖魔を討ち、理を守るが我らが務め」

 

厳馬もまた言葉を紡ぐ。それは神凪一族の、精霊術師のあるべき姿を規定する最初の誓約。神凪一族ならば誰もが知っている言葉。

 

「しかして人たることも忘れず、大切な者を護るために」

 

和麻は最後の言葉を紡ぐ。

 

「……今のあんたは感情に流されて力におぼれてるだけの二流以下だ。んなあんたに俺が殺せるはずも無い。一番大切なことを忘れたあんたに。自分の信念すら忘れたあんたなんて、敵じゃない」

 

和麻は苛立っていた。自分の知る神凪厳馬とかけ離れた目の前の男に。自分はこんな男に勝ちたかったのではない。超えたかったのではない。

自分はこんな情けない男に勝ったわけではない。超えたのではない。

 

厳馬の強さは前回で嫌と言うほど知った。彼が強いのは炎の出力ではないのだ。それは一側面に過ぎない。今の厳馬は本来の彼の力を一切使いきれていない。

それに本人が気づいていないと言うのは救いようが無い。

和麻は自分が超えた男が、この程度に成り下がるのが我慢ならなかった。

 

「そこで寝てろ。そこで見ていろ。あいつは俺が消す。自分の無力をそこでかみ締めてろ」

 

和麻の言葉に厳馬は悔しさのあまりに言葉を発することが出来ない。腕を自分の目の前に持っていく。

その時、和麻は見た。位置的に和麻には決して見えず、厳馬も和麻に見られているとは思っていなかっただろうが、和麻は風術師なのだ。風で全ての事象を知ることが出来る。

 

和麻は見た。厳馬の瞳に涙が浮かんでいるのを。涙をこぼしているのを。

驚かないはずが無い。この男が泣いているのだ。時が止まったような気がした。

この男が涙を浮かべるなど、絶対に、それこそ世界が終わってもありえないと思っていたから。

 

和麻には厳馬の心の内にどんな想いがあったのか、知る良しもない。

厳馬を支えていた信念を捨てさせるような衝撃。ここまで厳馬を弱くしてしまう出来事。涙を浮かべるような事態。

厳馬の心は激しく揺らいでいた。守りたくて守れなかった。何もかも。

妻でさえ、守り抜くことが出来なかった。

 

かつて翠鈴を失った和麻のように、厳馬は打ちひしがれていた。和麻に倒されなければ、それこそもっと酷く暴走していただろう。

和麻と厳馬が違う事は、和麻は力が無かったから守れなかったと言う点であるのに対して、厳馬は力があったのにも関わらず守れなかったと言うことだろう。

 

弱ければ何も守れない。力こそが全て。そんな自らの信念を完全に否定されたのが、今回の深雪殺害。しかもそれを実行したのが追放されたとは言え、神凪一族人間。

厳馬の心を折るには十分だった。

 

立ち上がれないのは、肉体的な問題だけではない。精神的な問題もあったのだ。

そんな厳馬を和麻は一瞥すると、透に再び向き直る。

もう終わらせる。これ以上、時間をかける必要も無い。

だから……。

 

「終わりだ」

 

短く言い放ち、風を右手に集める。

 

「……めんな」

「あっ?」

「俺を……舐めるなぁぁっっ!」

 

透の叫びが周囲を包み込む。透の身体が変化していく。ボコボコと身体を湧き上がらせ、質量を増やしていく。

体表面が金属質の輝きを帯び始める。まるで巨大な水銀の塊。四本の脚が生え、尻尾と長い首を作り出す。背中には巨大な一対の翼。洗礼された造詣へと変化し、腕と脚には間接と鋭い爪が生える。体表にはうろこのようなものが現われ、内部にも骨格があるかのようなしっかりとした構造となった。

ドラゴンと言うにふさわしい姿。透は数十秒の間に巨大な変化を遂げた。

 

『くく、くははははは! どうだ、どうだ! これで俺は最強だ! お前を殺せるぞ、和麻!』

 

ドラゴンに変化した透。まだ意識を失っていないのは感心するが、和麻は本当に冷めた目でドラゴンを眺める。

 

『なんだ、なんだ、その目は! あの時みたいに這い蹲れよ! 俺に許しを請えよ! お前が、お前が俺にそんな目を向けるなぁっ!』

 

叫ぶドラゴンに和麻は虚空閃をゆっくりと向ける。対してドラゴンは黒い炎を口から放出する。

 

『死ね! 死ね! 死ねぇっ!』

 

叫びながら黒い炎を口から撒き散らし、和麻を包み込む。

 

「和麻!」

「兄様!」

 

綾乃と煉は叫ぶが、黒い炎に包まれる炎から和麻は何も応えない。姿は黒い炎のせいで見えない。

 

しかしウィル子は何の心配もしていない。この程度で殺せるほど、和麻は弱くないのだ。

そう、ウィル子はわかっている。和麻が何もしないのは、準備をしているからに過ぎない。

それが終われば……。

 

「終わりですね」

 

呟きと共にそれは頭上より透に落ちる。黄金色の風がドラゴンをあっさりと包み込み、全てを飲み込む。

浄化の力を纏った風の前に、透に成す術はない。一瞬も持たずに、ドラゴンの身体は粉々に打ち砕かれた。

 

その穢れた魂までも、透は一瞬にして打ち砕かれた。

黒い炎が晴れた後、無傷のまま現われた和麻は透がいたであろう場所を静かに見るのだった。

 

 


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