風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第三十一話

 

 

神凪一族を震撼させた風牙衆の反乱と、久我透の暴走。

事件の爪あとは、神凪一族に数多の試練を与える。

 

と言っても、他人から見れば自業自得と言われても仕方が無いが、当事者達からしてみれば溜まったものではない。

分家はもちろん、宗家も窮地に立たされ、社会的、物理的にも神凪一族の没落は日に日に酷くなっていく。

 

草葉の陰と言うか、地獄の釜につかっているであろう兵衛などは、この現状を見れば腹を抱えて大笑いしていただろう。

いや、地獄で大笑いしているのではなかろうか。

 

それはともかく、神凪一族はお家再興を目標に今日も精進するしかなかった。

そんな中でも日常は回る。そして人生には出会いと別れがある。

彼らにもその片方である出会いが訪れる。

 

 

 

 

綾乃side

 

「でりゃぁっ!」

 

綾乃は本日も警視庁から回される案件の解決に勤しんでいた。

特殊資料室に依頼される国内の様々な案件。戦闘系の術者を抱えていない資料室では手に余る討滅の作業を彼女は日々こなしていた。

 

久我透の事件から丸一月。彼女は事件が落ち着いた後、こうして三日に一回の割合で依頼をこなしていた。

以前よりもこなす数は多くなってきた。以前は一週間に一度程度だったが、今ではその倍近い。

 

「お嬢。あんまり無理をするなよ」

「いいえ、叔父様。これくらいしないとだめなんです」

 

仕事を終え、自分を送迎してくれる叔父である雅人にそう答える。正直、今の綾乃は己の弱さを悔いていた。

あの二つの事件で、綾乃は結局ほとんど何も出来なかった。確かに神との戦いでは綾乃は多少なりとも和麻の役に立ったが、それでも一分程度の時間を稼いだに過ぎない。

 

和麻から見れば、弱いくせにそれなりには役に立ったと、割と高評価だったのだが、綾乃自信は自分が弱いと突きつけられる出来事だった。

未熟と言うのは彼女自身理解していたが、それでもああまで現実を突きつけられる事態に遭遇すると、アイデンティティを根底から破壊される。

 

(それにしてもあいつはやっぱり何も言わずにいなくなったし)

 

綾乃の胸中に浮かぶ一人の男。

八神和麻。四年前に出奔したはとこ。四年前は一族内で唯一、炎を扱えない無能者として扱われていた。

 

だが最近日本に戻ってきた彼はどうだったのか。圧倒的と言っても指しつけない力を身につけていた。

綾乃如きでは手も足も出ない力。さらに和麻の言が正しければ、彼は神凪最強の術者である厳馬に正面から打ち勝ったらしい。

この話はあの場にいた者以外には誰も知らないし、聞いたところで一笑に付すだろう。

 

しかし綾乃はあの圧倒的なまでの力に憧れた。全盛期の父である重悟もあんな感じだったのだろうかと思う。

 

(でも性格は最悪よね)

 

思い返してもむかむかする。色々な意味で重悟とは似ても似つかない。いや、父親である厳馬にも似ていない。ついでに弟である煉にも。まさにつかみどころの無い風のような男である。

 

ある意味綾乃の考えは間違っていない。気ままに吹き荒れ、時には暴れ、時には人の迷惑を顧みない天災。和麻を言い表すならばそんな感じだろう。

 

(あいつ、今頃どこで何してるんだろうな……)

 

綾乃はぼんやりと、車の窓から外の光景を眺めながら、そんなことを考えた。

ちなみにその頃の和麻はと言うと……。

 

「よし。そろった」

「にひひひ。これで三連続ですね」

 

ウィル子と一緒に多少着飾って、高級ホテルのカジノで遊びまわっていたとか。

神凪とは本当に正反対の状況であった。

 

「ところで、お嬢。今から友達のところに行くんだろ? このまま送っていこうか?」

「えっ、ああ、うん。どうもありがとうございます」

「なに、気にするな。お嬢もここ最近は頑張ってるんだ。たまの息抜きくらい必要だ」

「でも雅人叔父様や厳馬叔父様だって忙しいんでしょ?」

「俺はお嬢や厳馬殿ほどじゃないさ。依頼の大半は宗家に回されるから、俺はお嬢の付き添いだし」

「……まったく。お父様もあたし一人でいいって言ってるのに」

 

綾乃は多少不機嫌そうに答える。今の綾乃は以前よりも子供扱いされる事が気に食わなかった。早く一人前になりたいと強く願うようになった事による反動だ。

それに雅人クラスの術者は神凪でも稀なのだ。彼には自分の護衛ではなく、もっと違う仕事を任せればいいのにと思っていた。

そんな綾乃に雅人は苦笑する。

 

「いやいや、お嬢や厳馬殿が頑張ってくれているからだよ。聞いた話じゃ、厳馬殿が大半の仕事をこなしているらしい。それに煉坊や燎もやる気を出してるからな」

 

若手である二人も前回の事件で綾乃同様感じる事が多々あり、精力的に修行の意味もかねて仕事をこなしている。

宗家がこんな風に積極的に行動すれば、いくら仕事の依頼があると言っても分家の全員が同じくらい仕事をこなすのは無理だ。

 

それに厳馬など綾乃の倍以上の仕事を受け持っているとか。霧香としてもこれ以上の神凪の失態や失敗は許されないので、出来る限り確実な人選で仕事をこなしたい。

そこに普段以上にやる気を出した厳馬が名乗りであれば、当然彼にばかり仕事が回される。

 

重悟としては厳馬一人だと神凪の全体のレベルが下がると懸念してしまうが、下手に未熟者を仕事に出して失敗しましたでは本当に神凪が終わる。彼としても苦渋の決断だろう。

 

燎や煉も雅人や厳馬が綾乃と同じように付き添いで、仕事に赴く。綾乃と違い、場慣れしておらず、経験も少ないのでは致し方ないが、雅人から見れば、二人は中々の速さで強くなっている。煉にいたっては、目を見張るものがある。燎も燎でかつての遅れを取り戻そうと、また煉に負けないようにと精進を繰り返している。綾乃もうかうかしていられないだろう。

 

(まったく。宗家の若手が育ってきているのに、熟年層があれじゃぁな)

 

雅人は分家の内情を思い出し、内心愚痴をこぼす。分家も先の一件でボロボロだった。

四つあった分家のうち、久我は事実上のお家断絶。四条も久我透によってボロボロにされた。

 

大神と結城はまだ健在だが、当主たる雅行と慎一郎がアレでは先が思いやられる。

それに結城家の次世代は素行が悪いと言う事で有名だ。慎吾に慎治を見ればわかる。武哉や武志はまともなのが救いだが、父親がアレでが……。

 

(我が兄ながら、何と言えばいいのか……)

 

他者を見下す因習は神凪全般に広がっている。その顕著な例が兄である雅行である。

何とかしたいが、自分が言っても聞き入れるどころか逆に反発するだろう。宗主も尽力しているが、どうにも出来ない。

 

(まっ、これはお嬢達じゃなくて、俺達が何とかするしかないな。今のお嬢達にここまで要求するのは酷だし、それを要求しちゃダメだな)

 

雅人はそう考え、これはここまでと打ち切る。しばらくすると目的の場所が見えてきた。

街の一画にあるカラオケ店。

この後、彼女は一つの出会いをする。それは彼女にとって人生でも最悪の部類に属する出会いである。

 

「炎雷覇と最強の炎術師の称号をかけて勝負ですわ、神凪綾乃!」

 

アメリカより、炎術師―――キャサリン・マクドナルド襲来。

 

 

 

 

Side煉

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「どうした。煉。それで根を上げるか」

「い、いえ。もう一度お願いします!」

 

神凪の鍛錬場では、一組の親子が手練を繰り返していた。

一人は神凪煉。和麻の弟にして、将来有望とされる炎術師。

一人は神凪厳馬。和麻の父にして、神凪最強と目される炎術師。

 

しかし両者共に、自分が強いと思ってはいなかった。

煉は目の前で母が殺されたのに、何も出来なかった。厳馬は勘当した息子に炎術師の土俵で破れ、さらには妻を守れなかった。

二人も自分達の未熟を、愚かさをあの事件で嫌と言うほど味わった。

だからこそ、煉は強くなる事を誓った。もう誰も失わないために。兄に心配をかけられないように。

 

厳馬は煉の憧れだった。そして四年前に帰って来た兄もまた、煉の憧れであった。

母の死に対して動揺することなく、自然体でいられるほどの心の強さ。何者をも寄せ付けない圧倒的な強さ。さらには煉を気遣う優しさ。

かなりフィルターがかかっているし、ウィル子の言葉で勘違いもしているが、煉には和麻がヒーローにしか見えなかった。

 

そんな兄のようになりたい。兄に心配をかけないためにも強くなりたい。だからこそ、以前よりも頻繁に厳馬に修行を願い出た。

息子の積極的な行動に厳馬も答え、時間が許す限り稽古を繰り返す。傍から見れば、修練は苛烈を極めた。十二歳の煉に課す修練では無かった。

 

しかし煉はそれをこなした。だからこそ、厳馬はさらに厳しい修練を煉に与える。本人が望むとおりの。

 

厳馬もまた、煉以上の課題を自分に課していた。自分の愚かしさを無力さを突きつけられた事件。

厳馬はかつて無いほど、自分の身体をいじめ抜いた。

もし重悟がその光景を見れば、必ず止めるほどに。自らを追い込み、追い込み、追い込みぬく。さらに退魔の仕事もこなしていくあたりはさすがである。

 

厳馬は自己管理をおろそかにはしない。依頼の失敗は許されない。それを理解しているからこそ、退魔の際は体調を整えている。それでもそれ以外は限界まで自分を酷使する。

それは更なる高みに上るためか、はたまた己の行き場の無い怒りを発散するためか。

 

「……今日はこれまでだ」

「ま、まだいけます!」

 

終わりを告げた厳馬に煉は反発する。しかし厳馬は首を横に振った。

 

「身体を休めるのも修行のうちだ。お前はまだ成長途中。今無理をしても体を壊すだけだ」

「でも!」

「私は休めと言っている」

 

若干睨まれる煉。まだ何かいいたかったが、厳馬の無言の圧力の前に煉は何も言えず、そのまま短く、はいと呟くと修練場を後にする。

残った厳馬は煉がいなくなると、静かに目を閉じ、気を高める。

強く、強くなりたい。何事にも動じぬ心と、大切な者を守れる強さを。

厳馬はそう静かに願った。

 

休めと言われた煉だったが、じっとしていられなかったので、彼は街を走る事にした。体力は何よりも大切だ。家にいて悶々としているよりもこの方がいい。

走りながら煉は考える。どうすれば強くなれるのか。どうすれば兄のようになれるのか。

 

煉は和麻の言葉を思い出す。

 

『本気で強さを求めるんだったら、無理でも無茶でも、何を捨ててでもやるし、やれるもんだ。やるしかないからな。人の十倍、二十倍、それこそ死ぬまでやってみて無理だったらその時諦めろ。途中で諦めるんだったらそれは本気でもなんでもない』

 

和麻はあの時、実体験を下に煉を諭すように語った。しかしそれが逆効果になった。

煉が強くなりたいと願った思いは、和麻の想像を超えていた。強さに憧れを持っていた心が、母を失った事で悪い意味で増幅されてしまった。

 

煉は自らの身体を省みずに修練を続ける。

だが十二歳の肉体がそんな過酷な修行に耐え切れるはずも無い。どれだけ走ったかわからない場所で、煉はとうとう限界を迎える。

 

「あっ……」

 

足がもつれ、倒れそうになる。息もかなり荒く、水分も足りていない。煉はそのまま地面に激突しそうになる。

 

「おっと。危ないよ、君」

 

不意に煉を支える手が横から伸びる。その手はまだ小さく、腕も細かった。しかし崩れ落ちる煉の身体を片手で十分に支えるほどに力強かった。

 

「あっ、ごめんなさい……」

「いやいや。僕は気にしないよ」

 

何とか体勢を立て直した煉は自分を支えてくれた人物を見る。まだ煉とそう変わらない年齢。身長も煉より少し高い程度だろう。黒髪の少年。しかし顔立ちは東洋系だが、日本人ではないようだった。

 

「それにしてもかなり無理をしているみたいだね。疲労困憊に脱水症状。他にもかなり身体をいじめ抜いているのか、筋肉も傷ついているみたいだね」

 

ニッコリと笑う少年は煉から離れると、まるで医者のように診断を下す。

 

「えっ……」

 

「何があったかは知らないけど、あまり感心しないな。折角の才能をここで潰すのはあまりにも勿体ない」

「才能?」

「そうだよ」

 

端的に答える少年に煉は若干訝しげな顔をする。

 

「ああ、いきなりこんな事を言われても不審に思うだろうね。まずは自己紹介をしようか。僕の名前は李朧月。中国から来た道士見習いだよ」

 

彼――李朧月は煉に笑顔で挨拶を交わした。

 

 

 

 

Side和麻

 

「……」

「? どうしたのですか、マスター」

 

今までスロットを打っていた和麻の手が、急に止まったことを疑問に感じたウィル子が声をかける。

彼らの後ろには物凄い数のチップの山が積みあがり、周囲の人を驚愕させ、店の従業員達を戦慄させていたが、そんなことお構い無しだった。

 

「いや、急に悪寒が……」

 

周囲をキョロキョロを見渡し、ついでに風で周囲を調べるが何も無い。怪しい気配は一切無い。

 

「なんですか。また厄介ごとですか」

 

勘弁してくださいとウィル子が言うと、和麻も俺も勘弁だと言い返す。

 

「折角南の島の最高級リゾートのカジノに来てるのに、面倒ごととか嫌だぞ、おい」

 

気を取り直し、もう一度スロットに向き合う。何回か押すとまた777がそろった。

 

「スロットで偉く儲けましたね」

「ああ。そろそろ次ぎ行って見るか。ルーレットで少し消費しても大丈夫だろう」

「これだけ稼いですぐになくなることなど無いのですよ」

「そうだな。んじゃあ席を替えるか」

 

立ち上がり、いくばくかのチップを手にルーレットの台に移動する。周囲もそれに釣られ、どうなるのかを見物するために、和麻の後ろに続く。

と、そんな和麻はルーレットの席を見て、ピシリと硬直する。

 

「どうしたのですか、マスター?」

「……」

 

和麻は無言のままギギギと壊れかけの機械のように、身体を硬くしながら回れ右する。

見てはいけないものを見てしまった。いや、ありえない。ありえない。ありえない。

 

いるはずがない。こんなところにいるはずが無い。いや、いてはいけない人間がそこにいる!

 

「おいおい、久しぶりだって言うのに、冷たい奴だな」

 

和麻に背を向けているルーレット席に座る一人の男。彼は一度も振り返ってなどいないのに、まるでこちらの事が見えているかのように声を発する。

しかもそれは日本語だった。

 

和麻は声をかけられると顔をしかめ、数秒の後諦めた顔をしながら肩を落としてとぼとぼとルーレット席へと向かっていく。そして男の隣にドカリと乱暴に座った。

和麻は男と顔を合わさないままに、チップをかけてルーレットを眺める。

 

「ずいぶん儲かってるみたいだな。最近全然噂も聞かないから、死んだかと思ってたが、生きてたんだな」

「俺がそう簡単に死ぬわけ無いでしょうが」

 

和麻の口調がいつもの尊大なものから相手を敬うようなものへと変化した。その変化にウィル子は驚愕した。

 

「面白い連れもいるみたいだな。どこで拾ってきた、アレ?」

「あいつの居城でですよ。ところで、そろそろお伺いしてもよろしいですか?」

「うん?」

「何故あなたがここにいらっしゃるのでしょうか、老師?」

 

今度は男の顔を見ながら、和麻は問う。

久方ぶりの再会。和麻の厳馬とは別のもう一人の師であり、世界最高の仙人である霞雷汎との不本意な再会であった。

 

 

 

 

日本・富士の樹海。

ここには日本でも名を響かせるある術者の一族が存在した。

石蕗一族。霊峰富士の守護を任された地術師の一族である。

富士山には魔獣が存在する。それは約三百年前の宝永の大噴火の際、あらぶる富士山の気が一つの存在を生み出した。

 

魔獣である。国内最大最強の魔性として語り継がれる存在。暴虐の限りを尽くし、咆哮で噴火を、踏み降ろした足で地震を呼び、触れるもの全てをなぎ払ったとされる。

 

それを封じたのが、かつてまだ名の知られていなかった石蕗一族の、一人の幼い少女だった。少女は七日七晩、大地の精霊王に祈りを捧げ、その加護の下に魔獣を封印する事に成功した。

 

しかしこの話はここでめでたしめでたしではない。少女は自らの命と引き換えに魔獣を封印したが、封印であった倒したのでも滅ぼしたのでもない。

さらに強大な封印をしても、魔獣の力が大きすぎて永遠に封じる事ができなかった。活火山でもある富士山の化身であるのだから、必然ともいえる。

 

三十年。それが封印のリミット。石蕗一族は魔獣を封印し続けるために定期的に儀式を行い、富士山の気を静めてきた。

簡単に言えば石蕗の直系の未婚の娘が、祭主としてその命を持って魔獣の気を鎮めるのだ。ほぼ100%の割合で死ぬために生贄とも呼ばれている。

 

これはある意味で必要な犠牲と言えなくも無い。もし魔獣が開放されれば日本は文字通り壊滅する。富士山の噴火だけでも大被害なのに、そこに魔獣が加われば日本が物理的に沈没してもおかしくは無い。

 

人的、経済的、様々な被害を考慮すれば一人の人間の命を犠牲にその先三十年を無事に過ごせるのなら、国としても黙認するしかない。むしろ石蕗にはその役目を果たし続けてもらわなければならない。

 

そんな大祭は半年先の一月に迫っていた。石蕗一族も九回目を迎える次の大祭に向けて準備を行っている。

だが今年の大祭はいつもと少々違う動きがあった。

 

(ふん。馬鹿馬鹿しい……)

 

石蕗一族の直系であり、首座の娘である石蕗紅羽は心の中で呟いた。彼女は一族の中では異端児だった。

石蕗の直系であり首座の娘でありながら、彼女は地術師としての力を一切有していなかった。変わりに有していたのは重力を操る異端の力。

 

なまじ力が強かったために、彼女は父からも疎まれる事になる。

そんな父が唯一気にかけるのはもう一人の娘である真由美である。紅羽の妹でもある少女。今回の大祭の祭主に選ばれる――――はずだった娘である。

そう、はずだったである。

 

彼女が祭主に選ばれる事は無くなった。なぜなら、祭主になる娘は他にいるからだ。

いや、本来ならいないはずだった。首座の子供は紅羽と真由美の二人だけ。

もし紅羽に地術を操る才能があれば、彼女が祭主にさせられていたかもしれないが、幸か不幸か彼女にはその才はなかった。

 

消去法で残るのは真由美。だが真由美を溺愛する首座の巌はそれだけは出来ないと別の方法を選択した。代用品である。

早い話、真由美のクローンを使うという、中々馬鹿げた考えだった。

それでも巌はそれを成そうと様々な手を尽くした。そのために違法研究所を手に入れ、技術者も用意した。中々の執念だと紅羽は思う。

 

(でもお父様。最後に笑うのはこの私よ)

 

紅羽は心の中で笑う。彼女には彼女の計画があった。五年も前から計画していた。誰にも気づかれず、静かに慎重に遂行してきた。

もうすぐ、もうすぐ私の願いが叶う……。

 

そんな折、紅羽に巌よりある命が下された。

 

「……海外遠征、ですか?」

「うむ。お前にはこの依頼を遂行してもらいたい」

 

紅羽は父より受けた依頼書を眺める。それは南国のある島で起こった猟奇事件の解決だった。

 

「ワシの友人からのたっての頼みでな。ワシは大祭の準備があって動けぬ。真由美では力不足。ゆえにお前が適任なのだ」

(よく言う……。厄介者の私を遠ざけたいのでしょうが)

 

巌の考えなど紅羽にはお見通しだった。と言うよりも、巌もそれを隠そうとしなかった。

彼は今回の依頼が多少重要であり、断れないと判断したため受けたのだろう。そして紅羽を選んだのは実力もそうだが捨て駒にしても言いと考えたのだろう。

 

大祭までもう半年。石蕗もピリピリとしている。

また国内では神凪が不祥事を起こしことで、この気に国内での地位を向上させようと石蕗は躍起になっていた。

紅羽の海外遠征は薄汚れた力を使う石蕗の異端児を外にやり、単純な地術師としての力を持つもので国内での基盤をさらに大きくしたのだろう。

 

ついでに自分を恨む紅羽が邪魔をしないようにするためだ。彼女が妹である真由美を大切にしている事は巌も知っているが、それでも何かしでかさないかと不安なのだ。

ゆえにしばらくの間、海外へ行かせて下手な事を出来ないようにするという狙いもあった。

 

(私が魔獣の力に目を付けていると言うことは、まだ気がついていないでしょうけど、下手な事をしないほうがいいわね)

 

まだ時間はある。ここは従順なフリをしておくべきだろう。

 

「わかりました。その依頼、謹んでお受けいたします」

 

深々と頭を下げる紅羽。

この遠征が彼女に何をもたらすのか、この時彼女は知るよりも無かった。

ウィル子と言う異物により、物語は本来の歴史とは大きく外れる事になる。

それがどんな結末をもたらすのか、誰一人知る事はない。

 

 


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