風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第三十四話

 

強大な雷公鞭から放たれる雷は和麻達を飲み込んだ。

肉体どころか影や魂さえも消し去る雷公鞭。

最大出力ではないにしろ、攻撃力では神凪宗家にも匹敵、否、神炎使いにさえも匹敵する。

濛々と煙が立ち上る。雷公鞭の直撃を受ければ、いかに和麻らとて無事ではすまない。

 

ノスフェラトゥは久方ぶりの全力での戦いに疲弊した。儀式に雷公鞭に魔力の全力放出。

数百年ぶりに全力で戦う事ができる事に高揚している自分がいた。

 

しかし雷公鞭と言うのは酷く体力を消耗する。元々素質は高かったが、まだまだなれない宝貝の使用は、思った以上にノスフェラトゥを消耗させていた。さらに予想以上の和麻の攻撃に魔力もずいぶんと消耗していた。

 

全力の魔力放出でなければ防げないほどの攻撃などありえない。たかが人間。ただの人間のはずなのに。それも精霊術師の中でも最弱と言われる風術師。

 

なのにあれほどの威力の風を操る存在。

 

(一体なんなのだ、あの男は)

 

ノスフェラトゥは和麻にさらに興味を覚えた。あれほどの力の持ち主。自らの配下に加えるのもいいかもしれない。

そう考えていた。

 

「だが雷公鞭の一撃を受けたのだ。生きてはいても無事ではいまい」

 

雷公鞭の雷は物理法則に支配される雷ではない。精霊魔術と同じく、物理法則に支配されない雷を生み出す事も可能なのだ。物理法則に従うように風で雷は防げない。

しかしノスフェラトゥの予想は覆る。なぜなら、和麻も人間と呼ぶにはおこがましいほどの力を持つ存在だったのだから。

 

「なっ!?」

 

風が吹き荒れる。黒い煙が蒼く輝く風により吹き飛ばされる。周囲を包み込む膨大な数の精霊。清浄な風の下、彼らはいた。蒼く輝く風が槍によりさらに輝きを増す。

 

「だあぁっ! 死ぬかと思ったぞ!」

 

和麻は思いっきり叫んだ。風が優しく彼らの周りを包む。霞雷汎を、ウィル子を。ついでに霞雷汎の腕には紅羽が抱かれていた。

 

「つうか老師、何でそいつまで助けてるんですか?」

「女には優しくしねぇとダメだろ?」

 

なんて事を言った。まあいいけど。

ついでに暴れられても困るので浄化済み。一緒に殺してもよかったが、老師が助けると言いうなら、無理に殺す必要もない。

 

「おい、ウィル子。お前のほうはどうだ?」

「にひひひ。何とか。マスターのおかげで大丈夫なのですよ」

 

ウィル子の周りには蒼い風が彼女を守るように、優しく彼女を包み込んでいる。雷公鞭の放つ雷より発せられる電磁波などはウィル子にとっては有害で毒にしかならない。

和麻はそれらを全て遮断していた。全ての粒子を風が物理法則を無視して遮断し、ウィル子に一切の害が及ばないようにしていたのだ。

彼は自分のパートナーたる少女を傷つけさせる気はまったく無かった。

 

「ば、バカな。全力ではなかったといえ、雷公鞭の一撃を受けて無傷だと?」

 

動揺が走っているのがわかる。仙人でもない。同じ吸血鬼でもない。まして数百年を生きた魔術師でもない。

紅羽と同じように、ノスフェラトゥはあり得ないものを見るかのように叫んだ。

 

「貴様、何者だ?」

「ただの風術師だよ」

 

言うと同時に風がさらに輝きを増す。神器・虚空閃がまるで咆哮を上げるかのように風へと力を送り続ける。

 

「なるほど。お前も暴れたり無いか」

 

和麻は虚空閃へと問いかける。虚空閃に明確な意思はない。しかし知性はあり、神器としての誇りのようなものは持っている。

和麻と言う最高の使い手に握られていると言うのに、ここまで自分自身の力を存分に発揮する事は無かった。

 

違う。自分の力はこんなものではない。風の精霊王に作られた自分は、和麻のために強化された自分は、この程度ではない!

まだだ。もっとだ、もっと輝け! 我が全身全霊の力を。主たる存在のために!

そんな虚空閃の震えを感じ取ったのか、和麻もニヤリと笑う。

 

「ああ、そうだ。もっとだ。お前の力を俺に見せろ」

 

風が吼える。和麻の氣が虚空閃の刀身に伝わっていく。オリハルコンで出来た刀身が和麻の力を受け取り、さらに力を増す。

雷公鞭がなんだ。こちらは神器だ。神に作られし、最高の武具だ。その虚空閃が雷公鞭如きに後れを取るはずがない。

 

神器。それは最高の武具。神器。それは神が扱うとされる至高の存在。神器。それは頂点に君臨するものが使うことで本来の力を発揮する。

漆黒の槍が黄金色に輝く。周囲を染める蒼い風がさらに輝きを増していく。

さらに和麻の瞳が蒼く染まっていく。契約者の証・聖痕『スティグマ』。

 

「その瞳。まさか貴様は、契約者だとでも言うのか!?」

 

契約者・コントラクター。風の精霊王より大気の全てをゆだねられし者。

伝説上にしかない存在しない者。三千年生きた吸血鬼であるノスフェラトゥでさえ遭遇した事がない、架空の、御伽噺でしか存在しない者。

それが目の前にいる!

 

「超越者の代行者! 面白い! 我が最高の雷公鞭の一撃を受けてみよ!」

 

天空へと伸びる雷。それは空を染め上げ、雷を雲の目状に広がらせる。雷公鞭はその出力もさることながら、チャージの時間が極端に短いと言う点であろう。

フルチャージを許してしまったのは和麻にとって痛恨の極みだが、和麻には一切負ける気は無かった。

 

「喰らえ!」

 

雷公鞭の一撃が放たれる。厳馬の全力の炎すら凌駕する膨大なエネルギーと熱量を誇る雷が、和麻達に目掛けて迫り来る。

しかし和麻は逃げずに真っ向から雷を迎え撃つ。

 

逃げるなど論外。逃げたところで雷公鞭の有効射程圏外に逃げる事など不可能。

迎え撃つ。虚空閃もそれを望んでいる。

心の中ではあー、何でこんなに熱血仕様なのかなと愚痴る。普段なら絶対しないのに。

 

しかし今は柄でもない事をしよう。和麻は腰を落とし、槍を少しだけ後ろに引き、そして迫りくる雷に向かい、虚空閃を振りぬいた。

 

「てめぇが消えろ!」

 

神器より神気と和麻の氣と風の精霊の力が放たれる。強大にして膨大な風は、蒼から黄金にその色を変える。威力と浄化力を増した風は雷を切り裂き、貫き、受け流す。

 

「ら、雷公鞭の一撃が!?」

 

最強の宝貝たる雷公鞭も神に近い仙人が作ったとも、別の世界から持ち込まれただの、宇宙人が持ち込んだのだの色々な説があるが、神器・虚空閃は正真正銘、超越者たる風の精霊王が作ったものだ。確かにウィル子がいじくったりもしたが、それでも能力は変わらずむしろオリハルコンにより強化されているといってもいい。

雷公鞭の雷が貫かれた事に多少の動揺を見せるノスフェラトゥに、和麻はさらに追い討ちをかける。

 

彼の後ろではウィル子が01分解能である物を生成していた。それは巨大な弓。和麻は即座にそれを受け取ると、あろう事か虚空閃をセットし打ち出した。

突然の事態にノスフェラトゥは動けない。いや、動揺が原因ではない。彼の周囲を風が囲みこみ、身動きを封じていたのだ。

 

「ぐぉっ!?」

 

虚空閃に貫かれた。浄化の風を纏わせる槍はノスフェラトゥの身体を蹂躙する。

 

「ぐっ、ごっはっ……」

 

口から血を吐き出す。空を飛び続ける事も出来ない。身体が痺れ、雷公鞭を握る事も叶わない。そのままノスフェラトゥは地面に激しく叩きつけられた。

 

「こ、こんな、こんな、バカなことが…!」

 

槍を抜こうとするが抜けない。それどころか掴んだ瞬間、浄化の風で手のひらが激しく傷ついた。

最悪の攻撃と最悪の武器。杭で心臓を射抜かれたようなものだ。

 

「いやはや、我が弟子ながら恐ろしい奴」

 

苦しむノスフェラトゥを見下ろす形で、霞雷汎が近くまで寄りながら彼に言う。

 

「き、貴様。あんな化け物を弟子にしていたのか」

「いや、俺もまさかここまでとは思ってなかった。あいつ弟子にしてたのってもう一年以上前だったからな。前はあそこまで非常識でなかったんだけど」

 

どこかのほほんとしながら、霞雷汎は言い放つ。その顔には一切の焦りも驚きも無い。まだどこか自分は勝てると言うふうにも見えた。

 

ノスフェラトゥはちらりと和麻の方に視線を向ける。和麻はもう終わったとばかりに、何故かいきなり準備されていた椅子とテーブルでもう一人の少女と優雅にお茶を飲んでいる。ちなみにノスフェラトゥの腹に刺さっている虚空閃が、どこか泣いているように感じたのか気のせいだろうか。

 

「あいつ、あとは俺に丸投げしやがったからな。あっ、雷公鞭は返してもらうぞ」

 

ヒョイッと雷公鞭を拾い上げて懐にしまう。その懐は雷公鞭が入っているはずなのに全然膨らんでいない。

 

「この我がまさか敗北するとは……。それも貴様ではなく、あんな若造に」

「相手を舐めるからそうなる。まっ、雷公鞭を使いこなしたのには驚きだが、相手が悪かったな」

「ふん。我が勝てなかったのだ。お前でさえも勝てまい」

「んな訳ないだろ。まだまだ負けないぞ」

「雷公鞭を持った我に勝てないお前が、どうやって奴に勝つ?」

 

笑うノスフェラトゥに霞雷汎はニヤリと笑う。

 

「その時は封印してる幾つかの宝貝を出すさ。今回は持ってきたけど使わなかった奴とか」

 

その言葉にノスフェラトゥは驚きの表情を浮かべ、和麻もまた風で会話を聞いていたのだろう。反論の声を上げた。

 

「ちょっと待て! 老師、あんた俺がやらなくても普通に勝てたのか!?」

「まあな。できれば使いたくなかったから丁度良かった。使ったらこの周辺消滅してたし」

 

あっさりと言い放つ老師に、和麻はあんた何を使うつもりだったんだよと戦慄した。

と言うよりも雷公鞭よりもヤバイ宝貝って何だ。

 

もっともできれば霞雷汎も和麻とは戦いたくないと思った。まだ負ける気は無いが、それこそ死闘になるのは目に見えていた。

和麻が虚空閃を持っていなければまだまだ余裕をかましていただろうが、神器を所有した状態は不味い。

虚空閃は最高の宝貝である太極図か、雷公鞭を上回る出力を誇る切り札中の切り札である最強宝貝でも使わないと勝ち目は無いだろう。

 

「ふふ。なるほど。どのみち我は貴様らに勝てなかったのか……。まあ人間に殺されるという最後はあまり愉快ではないが、これも定めか」

 

ノスフェラトゥは仰向けに倒れながら、空を見上げる。腹部に刺さった槍がどうにも腹立たしいが。

彼の身体が砂のように変化していく。どうにも終わりのようだ。

 

「まっ、地獄では大人しくしてるんだな。俺はまだ行くつもりは無いから」

 

酒の入ったひょうたんを口につけながら言う霞雷汎に、怒りよりも笑いがこみ上げてきそうになった。この男はどこまでも余裕なのか。

そう言えば雷公鞭を使いこなしたというのに、確かに余裕の態度を崩していなかった。

 

「これでわが生涯も幕引きか。だがそれも良し…」

 

完全に砂になり風に運ばれて消えるノスフェラトゥ。ここに三千年生きた吸血鬼は消滅した。後に残ったのは、蒼き風を纏った虚空閃のみだった。

 

「ご苦労さん、和麻。ほれ」

 

虚空閃を無造作に掴むと、霞雷汎は和麻に向かって投げ渡す。

 

「っと。どうも。てか老師、俺いらなかったでしょうが」

「いやいや。必要だったぞ。主に俺が楽するために」

 

二人の会話にウィル子は似たもの師弟と言葉を浮かべた。

 

「と言うか強くなったな、お前」

 

霞雷汎は駆け無しの賞賛を送る。実際、色々な意味で和麻は彼の予想を上回る成長を遂げていた。

 

「……まあそれなりには」

 

まさか褒められるとは思わなかった和麻は、何と言っていいのかわからず曖昧に答える。

どこか照れくさそうにしているのを、ウィル子は見逃さなかったが。

 

「しかし派手にやったな」

 

周囲を見渡すと偉い事になっていた。余波のせいで街は瓦礫の山で、あちこちで火が上がっている。ここだけ原爆が落ちたのかと言うような惨状だった。

死傷者の数も凄い事になっているだろう。と言っても、ノスフェラトゥが支配していた地域なので、ほとんどが人間ではなくなっていただろうが、僅かに人間のまま残っていた者もいただろう。

 

「まっ、死者は数百人で済むな」

「俺は知りませんよ」

「別に責任取れっていってねぇぞ。ついでに俺は仙人でも死者を蘇らせる事なんてできないんだからな。つうわけで俺はもう行く」

「結局放置なんですね、マスターといいその師匠といい」

 

タラリと汗を流すウィル子だが二人の意見には賛成だった。彼らはそのまま証拠を残さずこの場を後にする。

後日、この街の壊滅は局地的な天変地異で雷や流星が落ちた事によるものと発表される事になる。死者、行方不明者は数百人にものぼり、復興にはかなりの時間を要するという。

 

だが裏の人間はそれ以上に戦慄することになる。かの地において、化け物が戦ったという事を理解する者達は。

無論、その正体を知る事はないが、しばらくの間この事件は南海の大決戦などと呼ばれ、その近辺に近づこうとする術者は皆無だったと言う。

 

 

 

 

「……ここは」

 

石蕗紅羽はベッドの上で目を覚ました。何が合ったのかを思い出す。自分はあの風を操る男と戦い、そして敗れた。あの男との戦い以降の記憶が無い。

上半身だけ起こして自分の身体を見る。傷は無い。手当てが施されているようで、あちこちに包帯が巻かれている。周囲を見渡すとそれは清潔に保たれた病室だった。

 

「ん。起きたか、地術師」

 

ハッと驚きの表情を浮かべる。声の方を見ると、今までいなかったはずの男がいた。

 

「あなたは…」

「ん。俺か? 俺は霞雷汎。まあ俗に言う仙人って奴だ」

「仙人……」

 

紅羽は胡散臭そうな顔をしながら、霞雷汎を見る。仙人や道士と言う存在がいることを紅羽は知っているが、目の前にいる人間はどう見ても三十代。さらに蓬髪に無精髭とあまり偉い仙人には見えない。それに放つ気配も一般人とそう変わらない。

 

「おいおい。助けてやった恩人に対してそういう顔をするなよ」

 

霞雷汎はそう言いながら、またひょうたんに入った酒をぐびぐびと飲む。部屋にはいやにアルコールの臭いが充満していた。

 

「助けた?」

「おう。お前、ノスフェラトゥの支配下にあっただろ? で、あいつにボコボコにやられたと。あっ、ちなみにノスフェラトゥはもう消滅したから」

「っ!」

 

紅羽は思い出して戦慄した。恐怖が再びわきあがる。自分の全力をまるで赤子の手をひねるかのように簡単に蹴散らした男のことを。

 

「まっ、相手が悪かったな。俺でもまともに遣り合えば分が悪い」

「何者よ、あの男」

「俺の弟子の風術師」

 

紅羽の問いにあっさり答えると霞雷汎だが、紅羽はその言葉に反論した。

 

「風術師? ノスフェラトゥの力で地術と重力操作を高いレベルで使えた私を、まるで赤子のように扱ったのが風術師ですって?」

 

風術と言うのは戦闘には向かない。精霊術師を始めとする数多の術者達の共通の認識であった。紅羽も今まで何人もの風術師を見てきたが、アレはそんなレベルと言うか存在ではない。

香港の凰一族と比べても、頭一つどころか次元が違う力といえよう。

 

(そりゃ契約者で神器持ちだからな)

 

霞雷汎も内心そんなことを考える。契約者と言うだけでも強大な力を操れるのに、それを増幅する神器まで所持している。

さらに和麻自信、はっきり言って天才や秀才の域には収まらない、まさに鬼才と言える存在だ。才能、飲み込み、身体能力、知識、知能。どれもこれも人並みはずれている。

まさにウィル子の言うとおりチート以外の何者でもない。

 

「あいつが風術師ってのは事実だぞ。世の中には常識で考えても意味が無いって事があるんだな、これが」

 

もしここに和麻がいれば、あんたが言うなと声を張り上げて言っただろう。

 

「……なんで助けたの?」

「ん?」

「あなたの弟子なのでしょ、あの男は? あの男は敵対した私を殺そうとした」

「ただの気まぐれだぞ、お前を助けたのは。お前もあいつと同じで素質(仙骨)はあるみたいだしな」

「私に仙人の才能があるの?」

「道士になる資格はな。そこから先に進めるかはお前次第だ」

 

紅羽は霞雷汎の言葉に少しだけ考える。この胡散臭そうな男の言葉を信じるか否かを。

少しだけ落ち着いてきた頭が、自分の今後の姿を想像していた。

 

一族に戻ったところで今回の一件の失敗の責任を取らされるだろう。自分はノスフェラトゥに敗北し、その下僕にされていた。あれから何日経ったかはわからないし、今の状況がどうなっているのかわからない。

 

だが自分の中で男の言葉に乗ろうとしている自分がいる。紅羽は力を欲していた。誰にも負けない、自分ひとりで生きていくための力を。

 

一度はあの男に殺されかけて生きることを諦めていたと言うのに、いざ助かったとなれば力を求めようとする。その様が少し滑稽に紅羽は思えた。

 

「ああ、それとお前、危うく人間じゃなくなるところだったな」

「……えっ?」

 

不意に告げた霞雷汎の言葉に紅羽はどういう事なのかと疑問の声を上げた。

 

「どういう意味かしら? ノスフェラトゥに血を吸われたからかしら?」

 

そう言えばノスフェラトゥも似たような事を言っていた。あの時は力が手に入った事と、彼の支配下にいて深く考えていなかったが。

 

「違うな。あいつに血を吸われただけだとまだ大丈夫だ。それ以前の問題だ。お前、何かに憑かれてた。いや、取り込まれかけてたって感じだな」

「取り込まれかけてた?」

「おう。心当たりないか。なんつうか偉く強力で大きな気だったな」

 

紅羽は心当たりが無かった。ここ最近ではそう言った輩に接触した事はノスフェラトゥ以外に無い。

 

「……無いわね。ここ最近ではそう言った相手とは戦ってないし、ましてや取り込まれるような事態にはなってないわ」

「最近じゃなくもっと前からだぞ。見た感じだけどな。たぶん生まれた時か、おそくても二つか三つくらいまでか。よく今まで人間のままでいれたなと感心したけどな。ああ、心配するな。体の方はあいつが浄化して元通りだ」

 

霞雷汎の言葉にもう一度深く考える。そしてハッとなる。

一つだけ、彼女の近くに強大な力を持つ存在がいた。それは自分がその力を得ようと画策していた相手。だがそれは…。

 

「……まさか富士の魔獣」

「富士の魔獣? ああ、あれか。三百年前に暴れまわってた奴」

「知ってるの?」

「おう。近くで見たわけじゃないが修行中にな」

 

千里眼の修行中に偶々覗いていたことを思い出す。アレは中々の奴だったなと霞雷汎は呟く。

 

「なるほどなるほど。あいつに取り込まれていたのか。だったら納得だな」

「待って。一人で納得しないで頂戴。どういう事?」

「なに。お前はノスフェラトゥに支配される前はその富士の魔獣に取り込まれかけてたんだよ。あいつからお前が地術師のくせに重力操作してたって聞いてな。ノスフェラトゥの支配を受けてそんな能力を得た奴がいなかったから不思議に思ってな。地術師があいつに支配されて重力操作なんて出来るのかって思ってたが」

「……つまり私は今まで魔獣に。でも待って。じゃあ私が今まで重力操作しかできず地術が使えなかったのは……」

「ん? 地術師の癖に地術が使えなかったのか? そりゃアレだ。精霊の声が聞こえなかったからだろ。精霊ってのは個我がないからな。それより強い強い意志と力を持つ物に取り込まれかけてたんだ。そりゃ使えるわけが無い」

 

青ざめた顔をしながら問いかける紅羽に、霞雷汎ははっきりと言う。

 

「じゃあ、私は、私の今までの人生は魔獣のせいで……」

 

ギュッと拳を握り締める紅羽。思い出すのはこの二十数年。地術師としての力を一切使えず、父親からも疎まれ孤独に生きた時間。それが全て魔獣のせいだった。

紅羽の中で明確な怒りが生まれる。今まで何かにぶつける事の出来なかった怒り、悲しみ、憎しみ。それがはっきりと一つの存在に向けられた。

 

「ああぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 

紅羽は絶叫した。心の内を吐き出すかのように。

 

「おいおい。いきなりでかい声出すなよ」

 

非難するように言う霞雷汎に紅羽は視線を向け、その目を見つめる。

 

「……頼みがあるわ」

「……言ってみろ」

 

まるで四年前の再現だなと、霞雷汎は思った。似ていた。彼女の瞳があの時の和麻に。そして今の状況があまりにも。

 

「私をあなたの弟子にして欲しいの」

「ふむ。目的は……復讐か?」

「……ええ。あなたはあの男の師匠で強い仙人なんでしょ? そして私には素質がある。だったら私を弟子にして。私の人生を弄んだ魔獣を倒せる力を私に頂戴」

「いいぞ」

 

はっきりと言い放つ紅羽に霞雷汎はあっさりと肯定した。復讐が無意味だとか価値も無いなどと言う気は無い。

 

「弟子にしてやる。ただし、魔獣を倒せるかどうかはお前次第。と言うか果てしなくゼロに近いと思っておけ。お前には確かに素質はあるが、あいつほどじゃない」

 

四年前に弟子にした和麻は数百年に一人の逸材だ。もう一人の兄弟子の朧も数十年に一人の逸材だと思っていたが、上には上がいる。

しかし紅羽は見た感じ数年に一人と言う逸材でしかない。和麻ほどの力も感じない。例え宝貝を与えても和麻には遠く及ばない。

 

「……構わないわ。強くなれるんだった、魔獣に一泡吹かせれるんだったら何でも」

 

だが紅羽の意志は固い。何が何でも強くなって魔獣に復讐する。四年前の和麻と同じくらいの執念を感じる。

 

「わかった。あと以後は俺のことは老師と呼ぶように」

「わかりました。霞老師。私の名前は石蕗紅羽。以後、よろしくお願いします」

 

それは四年前の再現。霞雷汎は苦笑しながら紅羽を弟子に受け入れるのだった。

 

 

 

 

「と言うわけであいつを弟子にした」

「展開が速すぎませんか、老師?」

 

あの後、紅羽は弟子としての本格的な修行の前に身体を休めるためにもう一度眠りに付いた。

その間に霞雷汎はもう一度和麻と接触して事情を話した。

 

和麻としては一刻も早くここから遠くへ行きたかったが、老師に無断で姿を消すと今度あった時にさらにやばくなるので、逃げたくても逃げられなかった。

今二人は見晴らしのいい外の丘で共に酒を飲んでいる。

 

「そう言うなよ。お前にとっても妹弟子だぞ」

「俺が老師に弟子入りしたのはアーウィンを殺すためで、別に仙人になりたくてじゃなかったんですが」

 

ワインを片手に和麻は淡々と語る。和麻としては復讐を終えた後に、厳しい修行などしたく無いと言うのが本音だった。

 

「お前らしいな。まっ、やる気になったらまた帰って来い。朧の奴は寂しがってたぞ」

「……胡散くさ」

 

物凄く嫌そうで胡散臭そうな顔をしながら和麻は老師の顔を見る。そんな和麻の態度に霞雷汎も苦笑した。

 

「とにかく四年前のお前みたいだったぞ。あの時のお前を思い出す」

「……あの時と今は違いますよ」

「だろうな。本当に変わったな、お前」

「……色々ありましたから」

 

と言ってワインを飲み干す。本当にあれから色々あった。復讐を終えて何も見えなくなっていた自分が彼女と出会えたのは本当に奇跡のようなものだっただろう。

 

「あの時はこうやってお前とゆっくり酒を飲みながら話すなんて、想像もしてなかったからな」

「そりゃそうでしょ。俺はあの時、あいつを殺すことだけしか考えてませんでしたよ。ただそれだけが俺の生きる目的であり、目標であり、すべてでしたから」

 

霞雷汎の言葉に当時の事を思い出しながら語る和麻。あの時はそれしか見えていなかった。それしか考えられなかった。こうやってゆっくり酒を飲むなどあり得なかった。

 

「いいんじゃねぇか、別に。昔は昔、今は今だ」

 

そう言って霞雷汎は瓢箪の酒をグビグビと煽る。つられ、和麻も同じように酒を煽った。

 

「ところで、お前、これからどうするつもりだ?」

「しばらくは悠々自適にと思ってたんですけどね。けどちょっと老師があいつを弟子にしたって言う話とその経緯を聞いてから考えてる事がありまして」

「ん?」

「俺は人間を生贄にする奴が殺したいくらい大嫌いなんですよ。で、日本には生贄をやってる地術師の一族がいるのを思い出しまして」

 

ニヤリと邪悪な笑み浮かべながら、和麻は霞雷汎に言う。

 

「石蕗と魔獣。これを聞いて、ちょっとばかり面白い暇つぶしを思いついたので」

 

まるで悪戯を思いついた悪がきのような顔をする和麻に、霞雷汎も面白そうに酒を飲みながら話を聞く。

 

「ほう。言ってみな」

 

こうして海の向こう側である悪巧みが進行しはじめる事になる。

この悪巧みが実行に移されるのは約半年後のこととなる。それを知る人間はまだこの場以外に存在しないのだった。

 

 


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