風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第三話

綾乃は現在、和麻に文字通り首根っこをつかまれて空を飛翔していた。

と言っても、正確には襟首を持たれていたのだが、綾乃にとって見ればそんな物は些細な事であった。

 

「ちょっと! あんた誰よ!? あたしをどうしようって言うのよ!」

 

ぎゃあぎゃあ騒ぐ綾乃に和麻はハァとため息をつく。その様子にさらに怒りを顕にする綾乃。思わず炎を召喚してこの男を焼き殺そうかと思った。

 

「炎を使うんだったらやめとけ。お前、この高さから落ちて生き残れる自信があるのか?」

 

その言葉に綾乃は状況をもう一度思い返す。彼女は今、大阪の空を飛んでいるのだ。

彼女には空を飛ぶ術も、この高さから落下して無事に地上に着地する術も持っていない。

 

綾乃は炎術師であり、風術師のように空を飛んだり、地術師のように大地の加護に守られているわけではない。

戦闘に特化した炎術師に過ぎず、炎に物理的な役目をさせ、自らを受け止めさせると言うような物理法則をした作用を生み出す事はできない。

 

いや、高位の炎術師ならそのような物理法則を無視した炎を操れるのだが、生憎と綾乃はまだその領域に辿りつけてはいない。

それができるのは神凪一族でも父である神凪重悟か、叔父である神凪厳馬くらいであろう。

つまりこの高さでこの男に手を離されれば、それだけで彼女は地面に落下して死ぬ危険性がある。

 

「って、あんたあたしの事知ってるの?」

 

炎を使うと言う言葉で綾乃は、男が自分が炎術師であると言う事を知っていると言う事に気がついた。

ただ神凪綾乃と言う人間は色々な意味で有名であり、術者の界隈ではそれなりに名が通っていたりはするのだが。

 

「・・・・・・・・・俺の顔に見覚えとかないか?」

 

一瞬、躊躇いがちに綾乃の顔を見ながら和麻は聞くと、彼女はその顔を見て少し考えるそぶりを見せるが・・・・・・・。

 

「・・・・・・・・覚えが無いわね」

 

ガクッと和麻は少しだけ肩が落ちる気がした。いや、確かに最後に会ったのは四年も前だし、綾乃は十二歳の子供でしかなかったのだから仕方が無いかもしれない。

それにしても一応、綾乃と同じ神凪一族の宗家で、それなりに面識もあり、四年前に継承の儀で戦った相手を忘れるか。

 

(違うか。四年前の俺は、所詮その程度の存在だったって事だな)

 

和麻は思い直す。綾乃が悪いわけではなく、かつての神凪和麻と言う存在は彼女にとって見れば覚える価値の無い存在でしかなかったと言う事。

炎を扱えず、一族から蔑まれていた神凪和麻と言う少年。

綾乃にとって見れば、別段気に留める必要性もない少年だったのだろう。

 

彼女は和麻と違い、溢れんばかりの才能を持っていた。神凪宗家に恥じない力。他者を魅了するまでの力。だからこそ和麻とは違い畏怖と尊敬の念を向けられた。

 

宗家の若手の中で和麻は一番年齢が高かった。神凪厳馬の息子と言うこともあり、生まれた当初は次代を担う優秀な術者としてなるだろうと誰もが思っていた。

しかし実際は神凪一族内で唯一炎を扱えない無能者だった。

それ知った一族の落胆や失望は計り知れない。

 

さらに付け加えるなら、厳馬の息子だったと言う点も和麻にとって見れば不幸だった。

彼の父、神凪厳馬は自他共に認める厳格な男だった。自分にも他人にも厳しい男。

息子に対しても一切の妥協をせず、甘やかしもしなかった。

 

炎術師として強くある事が何よりも必要と言う考えの下、息子を鍛え、さらには一族内で置いても、他の宗家、分家に対しても強くなるように指導した。

ただ彼自身非情に不器用だったため、他者との亀裂を深め、厳馬に対して敵意を生み出す事にもなっていた。

そのあおりを食らったのが和麻であり、彼は強さを至上とする神凪厳馬の息子でありながら、炎を扱う事もできないと蔑まれた。

 

もし和麻が神凪一族宗主である重悟の息子であったのなら、彼が神凪和麻であった時に受けた心と身体の傷は半分以下であっただろう。

 

それはともかく、そんな期待はずれと言われた和麻の後に生まれた綾乃は、神凪一族の名に恥じない才と力を持って生まれ、成長してきた。

周囲から憧れ、切望、尊敬、畏怖など様々な正の感情を向けられる事が多かった綾乃にとって、和麻などまさに取るに足りない存在だった。

炎を使えない従兄妹がいると言う話を彼女は聞いた事があり、何度か会ったり話したりする事もあったが、ただそれだけだった。

 

当時の綾乃に和麻と言う人間に何の特別な感情も生まれなかった。また当時の和麻も溢れんばかりの才能を持ち、宗主の娘と言う自分とは何もかも違う彼女にコンプレックスを抱き、極力近づかないようにしていた事もあった。

 

だから綾乃は覚えていない。和麻の顔を、その存在を。

四年前の継承の儀でさえ、あれは戦いとは言えない。一方的なものであり、和麻は何もできずに十二歳の少女の前に無様に膝をついたのだ。

綾乃も和麻の名前を出されれば思い出すかもしれないが、四年ぶりに再会した従兄妹の存在を顔を見た程度で思い出すことは今の綾乃には出来なかった。

 

「覚えて無いんだったら別にいい。そんな事よりも厄介なのは今の状況だ。おい、ウィル子、こいつに説明してやれ」

『マスターはウィル子に丸投げですか』

「って、誰よ!? それにいきなり!?」

 

いきなりパッと出現するウィル子の姿に綾乃は驚きの声を上げる。

 

「マスターの欲望と願望から生み出された電脳アイドル妖精、ウィル子なのですっ♪」

 

キラッ☆

 

と手を顔の前に持ってきてポーズを決めるウィル子。

綾乃はそんな発言をするウィル子と和麻を交互に見比べ、和麻をまるで汚物を見るような目で見る。

当の本人である和麻は思いっきり青筋を浮かべている。

 

「・・・・・・・・・いい度胸じゃねぇか、ウィル子。ああ、そうか。俺が間違っていた。うんうん」

 

しきりに頷いてみせる和麻にウィル子は、今更ながらに悪乗りしすぎたと後悔したが、すべては後の祭りである。

 

「ま、マスター・・・・・・。ウィル子は場の空気をよくしようと・・・・・・」

「いやいや。実によくなったぞ」

 

これ以上無いくらいの笑顔を浮かべ、和麻はウィル子を見る。それがかつて、アルマゲストを殺しまわっていた時に浮かべていた笑みだと言う事を知っているウィル子は、さらに青ざめた。

 

「で、どう言った死に方がいい?」

「ひぃぃぃ!!!」

 

笑顔の和麻に、ガクガクブルブルと震えるウィル子。殺される。間違いなく。殺ると言ったら確実に殺すと言う事をすっかり忘却していた。

最近はマスターである和麻も丸くなり、ウィル子に対して態度を軟化させていたが、元々こういう人だったと嘆く。

超愉快型極悪感染ウィルスであるウィル子の悪乗りが、裏目に出た事態であった。

だがそんな漫才もいつまでも続かない。なぜなら敵が彼らに迫っていたんだから。

 

「・・・・・ちっ!」

 

和麻は後ろを見ると、即座に周囲に風の刃を形成し敵が放った風の刃を相殺する。

相手は綾乃を拾った和麻の様子を少し警戒していたようだが、彼らに隙ができたと判断して攻撃に移ったようだ。

 

「ったく! めんどくさいな!」

「きゃっ!」

 

綾乃を掴みながら、和麻は空中で身体を半回転させ一キロほど離れた相手の方を向く。

数十、数百にも及ぶ風の刃を作り出し、連続で相手に攻撃を仕掛ける。

 

「えっ!? 何なのよ、一体!?」

「あー、状況を説明しますと、マスターとウィル子は現在謎の敵に追われて逃走中なのですよ」

「それでなんであたしがこんな目に合うのよ!? 何で巻き込まれてるの!?」

 

和麻が敵の攻撃を受け止めている中、ウィル子は綾乃に説明を行うが説明されている方はなぜそんなのに巻き込まれるのかとご立腹だ。

 

「それがですね、マスターとウィル子だけだとあれを相手にするのは結構きついので、少しでも楽に勝てるように協力を要請しようと思いまして」

「協力の要請って・・・・・・普通に無理やりじゃないの!?」

「にひひ。まあそうなのですよ。あっ、ちなみに相手に目を付けられた場合、多分逃げられませんので。マスターが頑張っても逃げられないくらいですから、炎術師のあなたでは絶対に無理です」

 

ニッコリといい笑顔で言い放つウィル子に、ヒクヒクと綾乃はさらに顔を引きつらせる。

 

「と言うわけで、死にたく無かったらマスターとウィル子に協力するのですよ。協力しないのであれば、今すぐにマスターに頼んで手を離してもらいますので」

 

とびっきりの営業スマイルをするウィル子に綾乃の堪忍袋の緒が切れた。元々頭に血が上りやすく、よく言えば真っ直ぐ、悪く言えば単純で猪突猛進の娘である。

こんな挑発に耐えられる程、人間ができていない。

 

「上等じゃない! あんたら今すぐここで燃やしてあげるわ!」

 

パンと両手でかしわ手を打ち、自らの中にある神剣・炎雷覇を召喚する。

緋色に輝く絶対の刃が二人に襲い掛かろうとするが・・・・・・・・。

 

「へっ?」

 

不意に綾乃の身体が下に向けて落下し始めた。何が起こったのか、綾乃は一瞬では気がつかなかったが、良く見れば自分の襟首をつかんでいた和麻の手がいつの間にか離されていた。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

重力に従い真っ逆さまに落ちる綾乃。和麻は炎雷覇を取り出した瞬間、攻撃されると面倒なので綾乃から手を離したのだ。

 

「あーあ。マスターも非道ですね。あっさり手を離すなんて」

「ここで暴れられても面倒だろ?」

 

上の方では落ち着いた会話が繰り広げられている。対照的に綾乃は叫び声を上げながら、自由落下。地表まではまだ距離があるが、あと数十秒もしないうちに地面に激突してしまうだろう。

 

綾乃はパニックに陥る。さすがに彼女もこんな状況になった事は無い。空から落ちるなんて経験、退魔などの非常識に関わっている彼女としても一度も無いし、想像した事も無いだろう。炎雷覇を手にしたまま、叫び声を上げて落ちていくしかできない。

 

「ん? 相手の攻撃が止まったな」

「あっ、そうなのですか。では、この隙に攻撃しますか?」

「もうしてる。しかしさっきと違って、少し攻撃が当たったな。つうか、あいつ綾乃に意識を向けてやがるのか?」

 

和麻は敵が動きを止めただけではなく、攻撃の手を緩めたのに便乗して苛烈な攻撃を仕掛ける。

何故か相手は一瞬の隙ができたのか、和麻の風の刃を幾つかその身に受ける。無論、それ以降は完全に防御されたが、今まで一度も攻撃が通らなかったのに比べればかなりのいい状況だ。

 

「っと。そろそろ不味いな。綾乃を回収するか」

 

和麻は綾乃の落下速度を考えると、そろそろ助けないと不味いと判断し、風で綾乃を包み込み落下速度を緩める。

彼とて綾乃を殺す気は毛頭無かった。綾乃は和麻にとって少し特別な位置にいる。

 

別に綾乃のことが好きだとか大切だとかではない。彼女は現宗主・神凪重悟の娘である。

和麻は重悟には色々と世話になった。神凪一族にいた頃の数少ない理解者であり、擁護してくれた人物であった。その恩は今も忘れていない。

今の彼では想像もできないが、和麻とて恩を恩と感じる心はある。

 

彼は基本ひねくれ者である。

彼がまだ神凪和麻だった頃、一族から苛まれ続けていた。それが彼の人格形成に大きな影響をもたらした。その後も恋人を理不尽に殺されたり、その相手に復讐するために修羅に身を堕としていたために、他者をどうでもいいと思うようになっていた。

 

だが一度でもその心の内に入り込めば、彼はそれを絶対に手放したくない。失いたくないと思う極端な精神構造を形成していた。

ゆえにここでも恩がある重悟を悲しませる真似をしたくないと思っていた。重悟は綾乃を溺愛している。それこそ理由もなく小さな傷一つでもつけようものなら、烈火のごとく怒り狂うだろう。

怒らせたくないのもあるが、悲しませたくないと思うがゆえに、和麻は綾乃を死なせるような真似をしない。

風が包み込んだ綾乃の傍まで和麻は移動する。

 

「無事か?」

「あ、あんた・・・・・・・」

 

恨めしそうに和麻を睨む綾乃。その目元には大量の涙が見て止める。どうやら本気で怖かったようだ。

人間、今まで一度も経験した事の無い、体験した事も無い未知の状況に陥るとパニックになる。

人間にとって見れば、未知と言うのが何よりも恐ろしいのだ。

 

如何に炎術師として優れていても、綾乃もまだまだ十六歳の小娘でしかない。涙を浮かべる程度は可愛いものかもしれない。

和麻は綾乃を回収した後、そのまま地表へと降りる。もう鬼ごっこをするつもりは無かった。

 

降りた場所は大阪湾に面した工場が立ち並ぶ一画。夜のできるだけ人がいない場所を選んだ。

本当なら山奥にでも行けばいいかもしれなかったが、綾乃を回収した後手近な場所がここしかなかった。

しかし和麻はここを選んだのには他にも理由があったのだが、今はあえて問題にしない。

 

「炎を出したら落とすって言っただろ?」

「言って無いわよ! そもそもあんた達が悪いんでしょ!?」

「そうだったか? いやー、覚えてないな」

「そうですね~。ウィル子も記憶に無いのですよー」

(こ、こいつら・・・・・・!)

 

互いに顔を見合わせ嘯く和麻とウィル子に、綾乃は本気で殺意を覚えた。

本当に燃やしてやろうと心に決めて、炎雷覇を握る手に力が篭る。

 

「おいおい、相手を間違えるなよ。相手はあっち」

 

ピッと和麻は指を指す。綾乃はゆっくりと視線を指の指す方に向ける。

 

そして・・・・・・

 

「えっ?」

 

ゾクリと身体が震えた。何だ、あれは? 視線の先の夜の闇の中に浮かぶ、闇よりさらに黒く禍々しい何か。闇の中ではっきりとそれを視認する事はできなかった。

見れば人のような輪郭が見えるが、綾乃はそれを人間と言い切ることができなかった。

 

あれは、あれは断じて人間なんかじゃない。

もっとおぞましく、醜悪で、禍々しく、この世界に存在することを赦されない存在だ。

 

「なに、よ、あれ?」

「さあな。俺もそれは聞きたいところだが、まともに聞いて答えてくれないだろううぜ」

 

震える声で聴く綾乃に、和麻は落ち着いたそぶりで答える。

実際のところ、和麻もこれほどの相手には早々お目にかかれないので、若干体をこわばらせている。

 

これほどの相手は中国で出会った三千年生きた吸血鬼や、中国の奥地に生き残っていた竜王に匹敵する。

 

相手から殺気がほとばしる。妖気が、妖気に狂わされた風の気配が、和麻達を飲み込んでいく。

常人なら耐え切れず、間違いなく狂ってしまうだろう。

現に訓練をつみ、退魔を幾度と無くこなしてきた綾乃でさえ、その妖気にガタガタと無意識に身体が震えていた。

 

ウィル子はまだ耐えられた。

もしウィル子が和麻に出会っていなければ、あるいは出会っても、その間に成長していなければ、この妖気を浴びた瞬間に致命的なダメージを受けたり、その妖気で中毒を起こしていただろう。

しかし成長した今ではこれだけの妖気にも耐えられる。それどころか、相手の魔力の一部を自らの中に取り込んでさえいる。

と言っても、取り込んでいるのはごくごく僅かなものである。下手をすれば即座に彼女の許容量を越えてしまう。

 

和麻も同じだ。経験上、こんな敵とも相対している上に、彼自身が強者と言う高みにいるために耐え切れていた。

 

(なんなのよ、あれ・・・・・・)

 

だがこの中で唯一綾乃だけは違った。

彼女はこんな相手、今まで一度も相対したことなどなかった。手ごわい相手と戦った事もある。苦戦した事も何度もある。

しかし綾乃は未だに命を失いかけて尚、勝利を収めるような死闘を演じた事は一度も無かった。自分よりも遥か格上と戦った経験など、一度も無いのだ。

目の前にいる相手は圧倒的格上だ。それくらい綾乃でもわかる。綾乃とてまだまだ未熟であり何とかギリギリ一流の術者と言う力量だが、相手の実力が解からないほどの弱者でもない。

 

理解したからこそ、彼女は震える。人間のほとんど退化してしまっているはずの本能までが訴えかける。逃げろと。あれには勝てないと。

炎雷覇を握る手にはさらに力が篭るが、心の奥底ではすでに心が折れかけていた。

だがそんな折、ポンと綾乃の頭に手が置かれた。

 

「おいおい、ビビるなっての」

 

見れば横にはどこまでも軽薄そうな男の顔があった。

 

「ったく。炎雷覇の継承者だろ、お前? 腰が引けてるぞ」

 

パンッと思いっきり綾乃の尻を和麻は叩いた。羞恥と怒りで綾乃は顔を真っ赤にする。

 

「な、何すんのよ!」

「ん? 何って、ビビってた奴の緊張をほぐしてやろうと。ああ、それとも尻を叩かれるより揉まれた方が良かったか?」

「この変態!!」

 

綾乃は思いっきり炎雷覇を和麻目掛けて振り下ろすが、和麻はヒョイッと綾乃の一撃を軽く避ける。

 

「避けるな!」

「いや、避けないと死ぬだろ?」

「死ね! 死んでしまえ! この変態、馬鹿、スケベ!」

 

ブンブンと炎雷覇を振り回すが、和麻はわははと笑いながら綾乃の攻撃を避け続ける。

 

「あの~、そろそろその辺にしないと、向こうが攻撃してくると思うのですが」

 

漫才を続ける二人にウィル子がおずおずと言う。

 

「おおっ、そう言えば待たせてたな」

「っ! あとで覚えてなさい・・・・・・」

 

今思い出したとでも言いたげな和麻と怒りの収まらない表情の綾乃が、再び敵に視線を向ける。

無論、血が頭に上っていた綾乃と違い和麻はしっかりと敵にも注意を向けていたし、ウィル子も万が一の際はマスターを守るべく準備はしていたのだが。

 

(しかし攻撃してこなかったのは不気味だな。隙は見せてなかったが、あいつの風なら俺と綾乃ごと攻撃できそうなものだが)

 

和麻の風に匹敵、もしくはそれ以上の力を有する風を操る謎の敵ならばあのタイミングで攻撃してこないのはおかしい。

 

(綾乃がいたから? さっきも綾乃が落ちたときに動きを止めたみたいだが・・・・・)

 

手持ちの情報をまとめるがあまり予想は纏まらない。楽観視は危険だし、明確な思考能力があるかも分からない相手に理由を期待するのも無駄かもしれない。

 

「とにかくお前も巻き込まれたからにはしっかりやれ」

「巻き込んどいてよく言うわね、あんた・・・・・・」

「俺も被害者だ。いきなり襲われたんだからな。それよりもいけるか?」

 

確認を取る。綾乃はさっきはまるで使い物にならなさそうだったが、今は緊張や恐怖が薄れたのか少しはマシな雰囲気だ。

 

「・・・・・・・行けるわよ。炎雷覇継承者の力、見せてあげるわ」

「結構。即席の連携はあんまり望めないから、お前はいつもどおりに動いて相手を燃やせ。俺が合わせる」

 

フォローは中々に骨が折れるが、相性を考えるとこれが妥当だろう。

 

「ちなみに遠距離から狙おうとするな。あのクラスだ。接近して炎雷覇を突き立てろ。それ以外に致命傷を与えられると思うな」

 

すぅっと和麻の目が細まる。先ほどの飄々とした雰囲気が消えていく。彼の纏う空気がピリピリとしたものへと変わっていく。

 

「小細工なんて考えるな。全部が全部、最高の一撃で相手を狙え。俺も、それなりにやってやる」

「って、マスターが本気モード!?」

「さすがにあいつ相手じゃ本気で行かないと不味いからな。お前は援護しろ、ウィル子。俺もこいつと前に出る。フォローはしてやるが、自分の身は自分で守れ。二人がかりなら、後衛に攻撃を向ける余裕は生まれないと思うが・・・・・」

 

それも綾乃次第である。綾乃が思った以上に動けない場合、ウィル子にさらに気を向けなければならない。

 

「お前次第だ、綾乃。お前がきっちり役割こなせたら、俺もこいつも余裕が生まれるし、お前をフォローできる」

「巻き込んどいて注文が多いわよ」

「さっきビビッてた奴が何言ってんだか」

 

ハァッとため息をつく和麻に、綾乃はまたプチプチと青筋を浮かべて怒りを増す。

 

「その怒りは俺じゃなくてあいつにぶつけろよ」

「・・・・・・・・・わかってるわよ」

 

と口では言うものの、後で絶対ぶん殴ると綾乃は心の中で思った。

だが今は目の前の敵に集中する。巻き込まれたからと言って、目の前の相手を放置しておくわけにも行かない。

 

精霊魔術師とは世界の歪みを消し去る者である。目の前の相手は世界を歪める存在。

精霊の力を借り受ける術者として、この場で倒さなければならない。

一度空気を大きく吸い込み深呼吸をする。意識を切り替え、ただ精霊に願う。

力を貸してと。

 

「・・・・・・・・・行くわよ」

 

何故かいつに無く落ち着いていた。さっきまであんなに震えていたのに、今は嘘みたいに平常心で望める。目の前の化け物も怖くなくなっていた。

ただ前を見る。そして精霊を呼び、炎を喚ぶ。

彼女の意思に反応し、膨大な数の精霊が彼女の下に集う。精霊は炎雷覇と言う増幅器により、さらに力を増す。

絶対的な力を宿した神剣を持ち、綾乃は敵へと切りかかる。

 

「やあぁぁぁっ!」

 

気合と共に炎雷覇を振るう。

敵―――流也は両手の爪を一瞬で三十cmほど伸ばし、炎雷覇を受け止める。漆黒に染まった爪を交差させ、炎雷覇の一撃を受け止める。

 

「くっ!」

 

まさか炎雷覇の一撃が受け止められるとは思っても見なかった。目と目が合う。飲み込まれそうになる深い闇を宿した瞳。

身体が再び震えだしたのがわかる。炎雷覇を握る両腕も小刻みに震えている。

しかしまた次の瞬間、パンといい音が響いた。さらに綾乃の顔が赤に染まる。

またしても和麻が綾乃の尻を叩いたのだ。

 

「あ、あんた!」

「ボケッとするな!」

 

叱咤と共に和麻が綾乃のすぐ脇を通過し、流也の背後に滑り込む。風を纏った高速移動。

拳を握りその上に風を纏う。綾乃が先ほど召喚した数の精霊を上回る量を集め、風術でありながら圧倒的なまでの破壊力を有した攻撃。

<大気の拳(エーテルフィスト)>。

ヘビー級ボクサーの渾身の一撃を遥かに上回る威力を誇る。連撃。背後に周り炎雷覇を受け止め防御ができない今のタイミングを狙い叩き込む。

 

「っらあああああああぁっ!」

 

気合と共に幾度と無く背中に叩き込む。流也の身体が少しだけ浮き上がる。

 

「綾乃!」

「っ!」

 

思わず集中力を切らしていたが、和麻の声で綾乃は我に返る。目的は変わらない。炎を喚び、炎雷覇に炎を纏わせる。

 

「はぁぁぁぁぁっっ!!!」

 

爪で防がれているが、そんなもの関係ないとばかりに力を込める。膨大な熱量が流也の爪を溶かしていく。

それだけではない。綾乃の炎は魔に対して大きなアドバンテージを有していた。

 

神凪一族が最強たる所以は単純に炎術師として優秀なだけではない。

彼らが最強との呼び声が高いのは、その炎に宿した浄化の力であった。

神凪一族の始祖は炎の精霊達の王である精霊王と契約したと言われている。その契約により、彼らの血には特殊な力が宿り受け継がれていく事になる。

魔を、不浄を焼き清める破邪の力。『黄金(きん)』と呼ばれる最上位の浄化の炎こそが、神凪一族の最強の証である。

 

ただし現在では『黄金』は神凪宗家にしか現れていない。

かつては分家にも『黄金』を持つものもいたのだが、血に宿る能力ゆえか血が薄れていくに連れ能力は低下していき、分家が『黄金』を失って久しくなっていた。

それでも未だに神凪宗家にはこの力を有しており、これにより妖魔邪霊に対して絶対的な優位性に立つことができていた。

 

もちろん、力に差があればあるほど、いくら優位性があったとしても効果が薄い場合はある。

実際、綾乃自身の浄化の炎だけでは流也の風を、妖気を纏った爪を浄化する事はできなかっただろう。

 

しかし彼女にはそれをさらに覆す武器があった。増幅器にしてあらゆる魔を討ち滅ぼす最強の神剣・炎雷覇。

継承者となり早四年。そのすべての力を引き出してはいないものの、彼女がただ純粋に願い、明確な意思を示せばその力は高まっていく。

もし綾乃に迷いがあれば、心のどこかで勝てないと思ってしまっていたら、頭の片隅で燃やせないと感じていたら、流也の爪を燃やし、浄化する事はできなかっただろう。

 

だが今の綾乃はただ相手を燃やす事しか考えていない。

相手に怒りをぶつける事しか考えていない。

原因は言うまでも無く和麻である。和麻とのやり取りが、和麻の綾乃への態度が、和麻の綾乃へのセクハラのような行動が、彼女の怒りに火をつけた。

 

(二度も人のお尻を叩いて・・・・・・・・。あとで絶対に燃やしてやる!)

 

勝手に自分を巻き込み、好き勝手ほざいて、セクハラまでした和麻に綾乃は本気で怒っていた。

あの男に一撃を加えるためにも、目の前のこいつが邪魔だ。

 

幸か不幸か、綾乃は現在一流の炎術師に必要な要素を満たしていた。

炎の性は『烈火』。激甚な赫怒こそが炎の精霊と同調する鍵。冷静なだけの、温和なだけの人間に、炎の精霊達はその力の全てを委ねはしない。

激しい怒りとそれを制御する自制心を持つものだけが、一流の炎術師になれるのだ。

 

さらに和麻もそんな炎雷覇へと風を送り込み、炎を煽りその威力を爆発的に増大させていく。

 

その効果により、今の綾乃の炎は通常の数倍以上の威力になっていた。

ゆえにいかな流也と言えども、この一撃を受ければただでは済まない。

 

「どりゃぁぁぁっっ!!!」

 

綾乃は怒りに任せて炎雷覇を振りぬき、一刀の下に流也を切り裂いた。

 

 


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