「宜しいのですか?イオク様」
部下の言葉に、過ぎ去っていく二隻の装甲艦を見送ったイオク・クジャンは鷹揚に頷きながら答える。
「宜しいとも。我々の任務はドルトコロニーの武装蜂起を鎮圧する事だ、それ以外は何もするなと言うのがエリオン公の御指示なのだから、それ以外はするな」
「しかし、コロニーで武装蜂起は起きておりません」
つまりそれは分遣艦隊の行動が徒労に終わったという事を指す。さらに言えばなんの成果も挙げていないのだから、功績にもならない。イオクにクジャン家に相応しい実績を積ませたい部下たちは忸怩たる思いであったが、当人はそのような事にまるで気づかずに笑顔で応じる。
「我らの威光の前に愚かな考えと思いとどまったのだろう。戦わずして反乱を鎮める。我ながら自らの才が恐ろしくなるな!」
「せめて彼らを臨検しては?MSで武装しているとなれば、捕縛の大義名分も」
部下の言葉にイオクは煩わし気に手を振った。
「安易に情報を鵜呑みにするな。あの艦艇は旧式、どう見てもMSを20も運べるものではない。そもそも情報源はあのマクギリス・ファリドなのだろう?自身の功績を上積みするために誇張したに決まっている。あのような小物は地球外縁軌道統制統合艦隊に任せればよい。たまには連中にも手柄を立てさせてやるべきだろう」
イオク・クジャンは今日も絶好調であった。
『余計な手出しは無用だと言ったはずだぞ、ガエリオ坊や!』
厳しい目で睨みつけてくるカルタ・イシューを見ながら、ガエリオ・ボードウィンは内心溜息を吐いた。
(手出ししなくても平気ならば、態々怒鳴られになど来るものか)
地球外縁軌道統制統合艦隊。セブンスターズの第一席、厄祭戦において最も功績大とされたイシュー家が預かるこの艦隊は、文字通り地球軌道上に拠点を構える地球最後の守護者である。とは言うものの、更に外周である月外縁を活動範囲としているアリアンロッド艦隊の活躍により、出番と言える出番はほぼ存在せず、規模や装備に対して、その練度はお世辞にも高いとは言えない。カルタ自身も才能はともかくとして経験不足は否めず、施している訓練についてもギャラルホルン創立期に制定されたものをそのまま使っている。儀仗兵、口さがない者からはお飾り部隊などと揶揄されているというのが実情だ。
「そう邪険にしてくれるな。マクギリスがどうしてもお前が心配だと言うから来たんだ。友の顔を立ててくれても良いだろう?」
『ふ、ふん!そういう事ならば仕方あるまい、だが、あくまでこちらの指揮に従ってもらうぞ!』
解りやすすぎる反応を示すカルタにガエリオは今度こそ溜息を吐きかけるが、それを強引に呑み込み口を開く。
「了解した。それと、繰り返すが連中は恐ろしく練度が高い。個としての技量もだが、何よりも乱戦で無類の強さを誇る。油断するなよ」
『ふん、連携ならば我々に及ぶ者などおるまい。我々は地球外縁軌道統制統合艦隊!』
『面壁九年!堅牢堅固!』
「…そうだな」
通信を切ると、即座にガエリオから重い溜息が漏れる。その不安は同じく通信を見ていた者も感じたらしく、率直にそれを口に出して来た。
「ボードウィン特務三佐、その、彼らは大丈夫なのでありましょうか?」
「言うな、アイン。数合わせくらいにはなる事を期待しよう。連中が殺さずを貫くならば、数はそれだけで価値がある」
それでも浮かない表情の部下にガエリオは努めて明るく振る舞う。
「それに今回はこちらも切り札を用意している。前のような無様はせんさ。貴様もシュヴァルベには慣れたようだしな」
「ありがとうございます。ご期待に添えますよう、全力を尽くさせていただきます」
「期待しているよ」
そう言ってガエリオは私室へと戻る。ボードウィン家所有のハーフビーク級戦艦、スレイプニルには家族それぞれの個室が用意されている。その中で彼は火星で相まみえたグレイズとの戦闘記録を幾度も再生していた。
『弱者を救おうともしない貴様等が正義だ秩序だを語るなど、滑稽を通り越して不愉快だ!』
内容が犯罪者と罵った相手に面罵された場所になるたびに、ガエリオの表情は僅かに沈んだ。堂々とギャラルホルンを非難する相手に興味がわいた彼は、つい彼らの事を調べてしまった。弱者どころか社会の不要物と認識していたヒューマンデブリの成り立ち、悍ましい行為としか思っていなかった阿頼耶識システムを埋め込む行為の必然性。それらはコーラルと言う自らが寄って立つギャラルホルンの明確な不義を直視した後の彼には余りにも刺激の強いものだった。
「弱者を救う、か」
ガエリオは視野が狭く、独善的な人間だ。だがその視界に守るべき弱者が入ってしまえば、それを捨て置けるほど冷酷ではなかったし、一度でも相手を守るべき者と認識してしまえば、敵だと簡単に割り切れるほど単純でもなかった。
「俺は、どうしたらいい?」
彼の問いに答える者はここには居ない。
「クーデリア?」
「あ、ミカヅキ」
ドルトを離れて半日、月の欠片によって生まれたデブリ帯を船はゆっくりと進んでいる。
「大丈夫?」
「ええ、もう平気ですよ。フミタンとも沢山話しましたし」
そう彼女は笑うが、それは何処かぎこちないものだった。無理もないだろう。後援者だと思っていた人物は、自らをただの商売の種としか見ておらず、最も信頼していた相手はその手先だった。そして彼女の価値を高めるなどというふざけた理由で、危うくその命を失うところだったのだ。ほんの数日で少女にのしかかった現実は、余りにも重い。
「ここまでくれば、あともう少し、もう少しです。会談を成功させて皆で火星に帰りましょう」
「うん」
頷きながら近づいたミカヅキは、クーデリアが震えている事に気が付く。ミカヅキの視線から気づかれた事を感じ取ったのだろう。クーデリアは慌てて体を手すりから起こすと、ミカヅキに向かって言い訳を口にする。
「ち、違うんですこれは、その、む、武者震いというやつ…で」
その顔は、ミカヅキにとってごくありふれた表情だった。幼少の頃から周囲に溢れていた顔。追い詰められて余裕をなくした者の浮かべるそれは、大抵数日のうちに浮かべた者を物言わぬ躯へと変える合図だった。無論ここは火星のスラムとは違う。襲ってくる破落戸もいなければ、あそこにいた連中よりもクーデリアは聡明で経済的にも余裕がある。けれどそんなものが何の保障にもならない事をミカヅキは良く知っていた。だから彼は一歩踏み出す。
「あ、ミ、ミカヅキ!?」
無重力区画であることを利用してミカヅキは少し飛ぶと、クーデリアの頭をその胸元へ抱きしめる。それが相手を安心させる方法だと彼は経験上知っていたからだ。
「大丈夫、大丈夫だから。クーデリアは上手くやれる。だから、大丈夫」
驚いて暴れかけたクーデリアはその言葉を聞くと大人しくなった。ミカヅキはゆっくりと頭を撫でながら言葉を続ける。
「ここまで上手くいってるのは、偶然じゃない。運が良かったからでもない。皆で頑張ったからだ。だから大丈夫。これからも上手くいく」
そう言って彼は、更にクーデリアを安心させるべく次の行動に移る。
「ミカ…んむっ!?」
こちらを見上げてきたクーデリアの唇にミカヅキは自分の唇を重ねる。それはアトラが良くミカヅキにせがんでくるお気に入りの安心の仕方だった。
唐突であるが、阿頼耶識システムは空間認識能力が向上する施術である。これは脳内にそれを認識できる器官をナノマシンが増設し、機体側に設けられたセンサーと接続する事で発揮されるのだが、同時に副次的な効果がある。それは生身でも認識できる範囲が向上すると言うものだ。明確な原理は不明であるが、被術者は本来死角となるような位置からの攻撃に対応できるようになったり、本来ならば見えていない場所の物を正確に認識できるといった能力が付与される。
話は戻り、ミカヅキはここの所よくアトラを安心させていた。そしてアトラは4番隊直伝のより大胆なそれを行う事で満たされていた。それが同時にミカヅキをそちら方面で訓練しているなどとは露ほども思わずに。そしてミカヅキは教え込まれた技術を、持前の才覚と阿頼耶識による恩恵によって凶悪に昇華しながらクーデリアへと解放する。
「っ!?!!!?!?~~~~!!?!?」
最早攻撃と言っても差し支えない蹂躙に驚く間もなく晒されたクーデリアは、一瞬体を暴れさせるが暴力的に押し寄せる快感によって即座に無力化される。しばし絡み合う水音が響きミカヅキが満足し口を離した頃には、彼女は完全に腰が砕け、上気した顔に潤んだ瞳でミカヅキを見つめていた。
「どう、落ち着いた?」
「ひゃい…」
アトラと同じ安心した表情を浮かべるクーデリアを見て、ミカヅキは微笑みながらクーデリアを抱きしめる。既に色々と根こそぎ奪われた彼女はされるがままにそれを受け入れた。更にもう一度頭を撫でながら、ミカヅキはクーデリアへ向かって優しく話しかける。
「良かった、不安になったらいつでも言ってよ。俺、これくらいしか出来ないけど、頑張るから」
「ひゃい…」
後日、顔を赤くしながらミカヅキの後ろを彼の上着の裾を摘まみながら付いて回るクーデリアがイサリビのあらゆる場所で目撃されることとなり、男性社員を戦慄させる事になる。
「倫理観については、もう世界次第だから」
オルガから相談を受けた某社長相談役がそう言って目を逸らすに至り、この問題は放置される事が決定。どうやらミカヅキは火星に戻っても更なる戦いの渦中に居続ける事になりそうである。