起きたらマさん、鉄血入り   作:Reppu

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4.人間は欲求が満たされていれば、多少の不満は許容できる

「もー!ササイさんのエッチ!」

 

「おさわりは禁止でーすっ!」

 

「かたい事言うなよリザ、ミルダ~」

 

鼻の下が伸びきった表情でササイ・ヤンカスは猫なで声を出す。その間も両脇に侍らせた少女たちの体を無遠慮にまさぐる。それを止めたのは意外にも同僚のハエダ・グンネルだった。

 

「その辺にしとけ、ササイ。また出禁にされるぞ?」

 

「うへ、そいつは勘弁」

 

言うと同時にササイは両手を上げて降参のポーズを取る。そのお道化た雰囲気に、両脇の少女が笑い、淫靡さよりも和やかさが勝る空気になる。

 

「ここを知っちまったら街の店なんかで飲めねえよ。悪かったな、リザ、ミルダ」

 

「ササイさんはちゃんと時間と場所を弁えられる人だもんね?」

 

「そっちのサービスは後で個人的に、ね?」

 

親子ほど離れた年に見える娘にそう上目遣いで告げられ、ササイは再び鼻の下を伸ばす。それを見てハエダは眉を寄せながら再び苦言を呈した。

 

「明日もあるんだ。程ほどにな」

 

CGS本社の一角。元は倉庫だったその場所は、現在社員用の慰安施設として作り替えられていた。酒と女を格安で提供してくれるこの施設は男性社員、特にそうした欲が旺盛な1・2番隊の人間に非常に好評を博していた。

 

「しっかし、訓練じゃ鬼みてえな奴ですが、中々粋な事もしてくれるじゃねえですか」

 

「あの訓練とつり合いが取れてるかは微妙なところだがな」

 

上機嫌で社長相談役を持ち上げるササイに苦虫を噛み潰したような表情でハエダが応じる。

 

「どうせ払った金は酒と女に消えるんだろう?なら用意してやるからここで済ませろ」

 

訓練の過酷化、3番隊への体罰禁止、更に職務の増加でCGSに所属する大人たちの不満は増加していた。そんな状況を打開するために彼らが選んだのは、社長であるマルバへの賃上げ要求だった。元々吝嗇家で賃上げをしない代わりに状況を放置していた社長にそう詰め寄ることで交渉を行うつもりだったのだ。

賃上げが出来ないならあの相談役を追い出すか、最低でも現場への口出しをさせないよう要求する。それなりの勝算を持って挑んだその交渉は、社長相談役の言い放ったその言葉で頓挫した。元々ハエダ達は知恵が回る方ではなかったし、そうした方面に強かったトドが真っ先にあちらへ付いてしまったためにそこから再交渉につなげる事すらできずに彼らは引き下がってしまった。そして交渉から一か月後に開放された慰安施設は、彼らの想像を凌駕していた。まず酒、店で飲めば倍では済まない金額の酒が当たり前のように手ごろな金額で並んでいる。提供されるつまみは種類こそ少ないがどれも味が良く、やはり金額は良心的だ。

だが何よりも彼らの心を鷲掴んだのは、愛らしく若々しい娘達の存在だ。表向き彼女たちはCGSの社員であり、施設も偶然相席しているだけの仲という事になっている。事前に示し合わせて施設で合流するためのアプリが全員の支給端末に入っているが、福利厚生の一環として端末のプライベートでの使用が社員同士では許可されているので何らやましい事は無い。断じて事前にお目当ての子を予約するようなアプリではないのだ。ちなみにCGSは社内恋愛について一切禁止をしていないし、プレゼントの贈与に関しても個人の自由を尊重している。致して懸想した相手に、不器用な男が何を送ってよいか解らず、現金を渡したとしても当局は一切関知しない姿勢である。ただし行き過ぎたトラブルは社に損失を与えるとして報告義務と制裁措置が設定されているが。

とにかくこの慰安施設の設置により、社員は安価に良い酒にありつき、それまで暴力で発散していたストレスを性的に処理する事が出来るようになったのである。今やこの施設を利用していないのは年齢制限により利用できない年少組とごく一部の変わり者だけである。そして欲望が満たされれば、人間は多少の不満は許容出来るし、その環境の提供者を憎み続ける事は難しい。たとえそれがマッチポンプのような関係であったとしてもだ。結論からすれば、1番隊と2番隊のメンバーはこの施設によって社長相談役に完全に掌握されてしまった。

 

「隊長も素直になりゃいいのに」

 

「馬鹿野郎!俺はちゃんとタイミングを見計らってんだよ!」

 

卑猥な笑みを浮かべつつ茶化してくるササイにハエダは怒鳴り返す。存外初心なハエダだった。

 

 

 

 

「問題はないようだね」

 

報告書を眺めながら、俺は目の前の女性に声を掛けた。

 

「まあ、あたしらにとっちゃ、ここは天国みたいなところですからね。これで不満を言ったら罰が当たりますよ」

 

答えた彼女は慰安施設の統括責任者兼新設された4番隊の隊長だ。もっともこの部隊は女性だけで編成された完全なペーパー部隊であり、内容は慰安施設の従業員の身分を保証するだけの存在に過ぎない。参加者も全員が浮浪児やヒューマンデブリという3番隊とほとんど変わらない人員構成である。

 

「ひどい天国もあったものだ。社員の福利厚生は社の義務だし、君たちはわが社の社員なんだ。不調の場合は遠慮なく申し出るように」

 

「…そこで壊れたら用済みと放り出されないだけでも、信じられない厚遇ですよ」

 

そう言って彼女は自分の頬を撫でた。彼女の左頬には目から口元にかけて大きな切り傷がある。彼女はヒューマンデブリである。幼い頃海賊に誘拐され、変態の金持ちに売り払われた。そこで変態の倒錯した趣味により全身に傷を負い、死にかけたところを飽きて捨てられたのだそうだ。路地裏で拾ったときは本当に死体だと思ったからな。

因みに火星の性風俗ははっきり言って滅茶苦茶質が低い。何せ若い女が簡単に手に入る環境だ、客も経営者も風俗嬢を割り箸かポケットティッシュ並みの消耗品感覚で扱っている。短期間で壊されることが前提だから店側は研修なんて余計な費用を掛けないし、寧ろド変態に高値で売ってポイ捨てが効率が良いと考えている節すらある。そんな状況だから嬢も性技なんて持ち合わせて居ない。だから客も技術で気持ちよくなれない分、自分の楽しめる使い方をするという、最悪の循環が生まれているわけだ。まあ、おかげでちょっとしたレクチャーだけで社員共を骨抜きに出来たので、俺的には美味しい状況だった訳だが。

 

「君たちから十分搾取している人間に恩など感じる必要はないと言っているだけさ。手に負えない程壊れてしまったら私だって捨てる。だから壊れる前に言うように」

 

前の世界と異なり、この世界は子供が酷く飽和している。当然彼らの価値は安く、買いたたかれることになる。それが常識の世界に、気に入らないと唾を吐くのは簡単だ。だがそんなことをしても誰の腹も膨れない。

 

「まったく、ないもの尽くしで嫌になるね」

 

今の俺には金がない、力がない、権力も持っていない。そんな奴が世界を批判しても、間違っていると嘆いて見せても何も変わらない。だから変えるためにはそれが要る。

 

「相談役は火星の王様になるんですか?」

 

「王様?」

 

そう聞いてくる彼女の言葉の意味が解らず俺は聞き返してしまった。

 

「だって、相談役はこの会社のナンバー2です。お金だってたくさんあります。1番隊との訓練も見ましたがすごく強かった。けれど足りないと仰る」

 

「……」

 

「だから、もっとすごくなるのなら、王様かなって」

 

王様、王様ね。

 

「いいね、王様。けどそれじゃまだ足りない」

 

俺の言葉に彼女は目を見開く。

 

「王様でも足りないんですか?」

 

うん、足りない。

 

「火星の王様じゃ変えられるのは火星だけだろう。俺はこの世界が気に入らない、酷く気に入らない。この世界を変えてしまいたい。だから、目指すなら世界の大王様だろうかね?」

 

 

 

 

滅茶苦茶な事を口にする男を前に、スピカ・ネーデルは言葉を失った。目の前の命の恩人は、嘯くように世界の王になりたいと口にした。一見すれば、スピカの言った火星の王様という言葉に応じた言葉遊びの類だ。彼女が任されている慰安施設という名の社内売春小屋に足繁く通う男たちが口にしたならば、笑って茶化していたことだろう。

 

(だって、あれは本気の目だ)

 

浮かべていたのはいつもの軽薄な笑み。口ぶりだって普段通り周囲を煙に巻くような言い回し。だがその中で、目だけは全く笑わず、その言葉がどこまでも本気だと雄弁に語っていた。

 

「大王様になって、相談役はどんな世界にしたいんですか?」

 

それを理解した瞬間、スピカの口からそんな言葉が飛び出した。何処までも胡散臭い男が口にする安っぽい法螺話。けれどヒューマンデブリと呼ばれる少女はその続きがどうしても聞きたかった。

 

「そうだな、誰もが明日が来ることが当たり前で、そんな不安を口にすれば笑われる。そんな世界がいいな」

 

それは一人の人間が見るには、あまりにも壮大すぎる夢物語。けれど絵空事と笑い飛ばすには眩しすぎて。もっとその先を聞きたくなって。だから、彼女の口は熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。

 

「そこには、その世界には、私の居場所もあるのでしょうか?」

 

彼女の言葉に男は一瞬目を見開いた後、少し怒った口調で語り出す。

 

「当然じゃないか。私は皆と言った。皆だぞ?皆とは全員という意味だ。地球に住んでいる奴だけだとか、コイツは例外なんてものがあるのは全員とは言わない。第一世界を変えるんだ、そんなみみっちい夢を叶えてどうする?今度こそ俺は――」

 

男が熱く語るが、スピカは殆ど聞き取ることが出来なかった。溢れてこぼれそうになる涙を堪えるのに必死だったから。


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