「へえ、じゃあクジャン家の御当主様が今火星にいるのかよ」
「ええ、どうしてそうなったのかは解りませんが、ウチで新人向けの訓練をしてますね」
ハーフメタル採掘場の定例会に出席していたオルガ・イツカは愉快そうに喋るジャスレイ・ドノミコルスにそう答えた。
「新人向けの訓練ってのはアレだろ?MSパイロット向けのだろう?あのガキンチョじゃあそうならぁな」
「お知り合いなんですか?」
「んにゃ、知り合いって程じゃねぇな。あそこの先代と何度か取引をさせてもらった仲ってだけだ」
そう言って目を細めるジャスレイにオルガは疑問を口にした。
「セブンスターズって言えば、ギャラルホルンのトップでしょう?なんでMSに乗るんですかね?」
「お前さんとこの相談役だって乗ってるじゃねえの」
「アレは普通じゃないでしょう。少なくともドノミコルスさんもゴルドンさんもMSなんて乗ってません。当然ウチの社長もです」
そう返すオルガにジャスレイは口角を上げて応じる。
「そこまで解ってんなら答えは出てるだろ。俺達は商売人だが、ギャラルホルンは違うってこった」
ジャスレイの返事にオルガは納得した。商人は利益で動く、だから利益に見合わない事はしない。だが暴力を生業にする連中は違う。彼らにとって、面子や力そのものは時に利益を上回る程の意味を持つ。思えば鉄華団を率いた時がそうだった。暴力を振るう人間は、より強い力を持つものを信頼していたではないか。ならばギャラルホルンで人を従えると言うのも同じことなのだろう。
「ギャラルホルンも大変ですね」
「力の見せ方ってぇのは人それぞれだけどな。まあ真面目にやろうとすりゃ割に合わない商売だぁな」
その言い方に興味を覚えたオルガはジャスレイに疑問を投げかけた。
「それぞれですか。先代のクジャン公って人はどうだったんですか?」
オルガの言葉にジャスレイは皮肉気な表情で口を開く。
「ありゃ変わり種の方だったな。世間じゃ名君扱いだが、まあ大した狸だったぜ?」
言いながら彼は紙巻を取り出し火をつける。
「金と物の力を知ってる爺さんだったな。あのやり方を先代から教えられてりゃ、まだ取引をしてたかもしれねえな」
過ぎた話だと言ってジャスレイは紫煙を旨そうに吸い込むと、今の商売相手に忠告を送ってくる。
「そんで、今お前さん達の所で修行中となりゃ、クジャンの現当主様はどっちも知らねえ事になる。気を付けろよ、お前さんとこのガキより世間を知らねえヤツだ。何でどう転ぶかも解ったもんじゃねえ」
「それは、気の付けようがないんじゃ?」
困った顔で言うオルガを見て、ジャスレイは腹を抱えて笑った。
「ちげえねえな!」
チキンと豆のスープを睨みつけながら、イオク・クジャンは己の境遇を嘆いていた。クジャン家の当主にしてアリアンロッド艦隊の指揮官。輝かしい経歴の中に居たはずの自分が、今は火星の一民間企業の食堂で痛みに耐えながら食事を摂っているという現実に涙が浮かびそうになる。因みに同じ訓練を受けている二人は早々に食事を済ませ出て行ってしまった。その行動に、彼は自分が見捨てられたような気持になる。
「私は、何をしているんだ」
新人研修と言う名の訓練を受け始めて1週間。痛めつけられた体はボロボロで、連日浴びせられ続けた罵倒に心も弱っていた。そして今日新しく始まったMSによる訓練で、彼は完膚なきまでに叩きのめされた。ジュリエッタやガエリオが勝てる相手であっても、彼は手も足も出なかったのだ。それどころかCGSの正規パイロットである少年から、訓練にならないと不満をこぼされる始末だ。
「私は」
「あれ?まだ食ってないんすか、クジャンさん」
呟きを遮って、遠慮無く彼の前に声の主が座る。そしてトレーに載せられている食事を口に運び始めた。心の折れ掛かっているイオクはそれに不満をぶつける気力すら湧かなかった。
「…ザックか」
「ウヒュ」
リスの様に頬を膨らませながら目の前の男、ザック・ロウは頷いてみせた。彼を見て、イオクはため息と共に料理に手を付け始める。ザックとは良く補習で顔を合わせる間柄だ。そのためイオクに対してよそよそしいCGSの隊員達の中で、数少ない真面に話が出来る相手である。
「なんか、悩みごとすか?」
口の中のものを飲み込み、ザックがそう尋ねて来る。スプーンを止めたイオクは、自分の思いを口にする。
「ああ、私はここで何をしているのかと考えていた」
「訓練じゃないんすか?」
そう返してくるザックにため息交じりで答える。
「その訓練の意味だ。この一週間ただ走らされていただけだぞ?これでMSの腕が上達する訳がない」
「あー、ウチの人ら、強いっすからね」
今日の訓練を思い出したのだろう、そう言ってザックは苦笑する。因みにイオクはザックには辛勝している。機体はレギンレイズとランドマン・ロディであったが。
「ラスタル様は、何故私をこの様な場所に送ったのだ。私の理想は、あの方しか居ないのに」
その呟きにスープを飲み干したザックが聞いてきた。
「そんなに凄い人なんですか、ラスタル様って」
ザックの言葉にイオクは顔を上げると笑顔で答える。
「ああ、あの方こそ私の理想とする人物だ」
イオクの圧倒的な信頼に興味を覚えたのか、ザックが問いかけてくる。
「どんな人なんです?」
「何?知らんのか?」
「忘れてませんか?ここ火星っすよ?」
「ならば、私が教えてやろう。ラスタル様は月外縁軌道統合艦隊アリアンロッドの司令官だ。地球圏最大最強の艦隊を率い、日夜世を乱す不埒者共と戦っておられる」
「おー、最大最強っすか」
ザックの合いの手に、イオクは気分よく答える。
「主力艦艇であるハーフビーク級だけでもその数は60隻。これ程の数を揃える艦隊は他にはない、配備されるMSも最新鋭のレギンレイズだ。正に最強最大なのだ」
「でっけえ話っすね。じゃあ、クジャンさんはいずれアリアンロッドを継ぐんすか?」
「何?」
ザックの放った言葉が理解できず、イオクは疑問を顔に浮かべる。するとザックが不思議そうに口を開いた。
「だって、クジャンさんはラスタル様みたいになりたいんすよね?それってアリアンロッドを率いて悪い奴らをやっつけたいってことでしょ?」
深く頷きながら、ザックは続ける。
「いやあ正直俺、ギャラルホルンって好きじゃなかったんすよ。いつも威張ってるけどなんもしてくんねーし、そのくせ街じゃ優遇されたりとかしてて。でもそうやって、クジャンさんみたくちゃんと俺達の事を考えてくれる人も居るんすよね!」
そう笑うザックに、イオクは動揺した。確かに自分はラスタル・エリオンのようになりたいと願っている。彼の様に毅然と悪に立ち向かいたいと。だが、それは何のためであるのかを彼は全く考えていなかった。悪に立ち向かう、悪を討つ。自らが憧れていたそれは、結果ではなく過程なのだと目の前で笑う男を見て、イオクは今更になって気付く。それは頭を金槌で殴られたような衝撃だった。
「…感謝するぞ、ザック」
「へ?」
唐突に涙を流しそう語りかけるイオクに、ザックは間の抜けた声で返事をする。しかし感動に打ち震えるイオクは、そんな事を全く気にせずに言葉を続ける。
「私は、今、本当になすべき事を見つけた!」
「ねえ、ガエリオ。一体何を食べさせたの?」
執務室から颯爽と出ていくイオク・クジャンを見送ったカルタ・イシューは、同じく横で困惑してるガエリオ・ボードウィンにそう尋ねた。
「CGSの食堂で出ているものだけだぞ。因みに俺も同じものを食べている」
「私はここで食事を摂っているから集団幻覚ではなさそうね。本当に何があったのかしら?」
「二日ほど前にCGSの相談役に何か頼み込んではいたが、まさかこうなるとはな」
イオクから会いたいと願われたカルタは、待遇に関する不満だろうと取り合わぬつもりだった。しかししつこく直接会って話がしたいとガエリオが頼み込まれ、彼からの救援要請を受けて仕方なく10分だけと言う制限付きで面会を承諾する。そして面会当日、イオク・クジャンは執務室に入るなりカルタに向かって土下座を敢行したのである。いきなり何かと問えば、CGSの相談役から教えられた最上級の陳謝の姿勢だと彼は言った。
「虫の良い事を口にしているとは、理解しています。ですが、どうか謝らせて頂きたい!」
その件は既に終わったはずだとカルタが言えば、床に視線を向けたままイオクは答える。
「確かに私は、イシュー公の寛大なお心に許されました。しかし、それと私が謝るかは別の問題です!たとえ許されようと、悪事を働いたなら謝罪するのが道理!私はそんな事すら出来ていなかった!」
あまりの豹変にカルタは訓練に耐え切れず心が壊れたかと考えたが、どうやら違うらしい。
「私は今日まで、ただエリオン公の様になりたいと思っていました。そう、ただ思っていた。あの方が、なぜ素晴らしいのか、その本質を理解していなかったのです」
困惑し続ける二人を置いて、イオク・クジャンの独白は続く。
「武門とは、民を守る者。その手にした武器は彼らを守ってこそ価値がある。今更ながら、私は友に教えられたのです」
「成程。それではクジャン公。それに気付いた貴方はどうなさるおつもりですか?」
カルタの問いかけにイオクはすぐに答える。
「恥ずかしながら、今の私には何もかもが足りません。願わくば、今少しこの地での修行を続けさせて頂きたく思います」
真剣な表情でそう告げるイオクに、カルタは微笑みながら応じる。
「解りました、CGSには私の方から言っておきましょう」
「ありがとうございます。お時間を頂き、感謝致します」
そう言って、彼はカルタの許しを得て執務室から去って行った。残された二人の困惑は計り知れない。
「ま、まあ、これで素行が良くなるならば、儲けものだろう?」
何とも言えない不気味さを払拭するようにガエリオがそう乾いた笑い声を上げた。それを聞いたカルタは眉間に皺を寄せ、溜息を吐く。
「本当に、一体何があったと言うの?」
彼がたった一人の青年が放った言葉で変わったなどと想像すら出来ない彼らは、そう思い悩むのだった。
イオク様に必要なのは凄い教科書でも立派な補助輪でもなく、ただ話せる友達だったんじゃないかな、とか思っています。