『なんともむず痒い気分だよ』
別荘の個室で友人の声を聴いたラスタル・エリオンは自然と笑みを浮かべた。
「正義の味方もたまには良いだろう?もしかすれば、一生かもしれんがね」
『それは実に魅力的な話だな。…オセアニア連邦とアフリカユニオン間で緊張が高まっている。オセアニアの方が既成事実を作ろうと動いているな』
「中央アジアの係争地か。いい加減にして欲しいものだ」
厄祭戦以降4つに分割された地球の領土であったが、当然のように全てが丸く収まった訳ではない。戦争以前から続いていた領土問題は未だ多く残り続けている。
『ファリド家の新当主のやり口は案外上手く機能しているな。MSが主力になって以降軍事行動の秘匿が難しくなっている』
何しろ敵がMSを保有している以上、戦場にMSを持ち込まない訳にはいかない。しかし機能上停止が困難かつ、稼働中はまずもって位置が露見するMSは軍事行動を監視する上で非常に都合の良い存在だった。
「MSを投入するとなれば、ギャラルホルンの介入も容易になる。問題はこちらにも相応の戦力が要求される事だが」
2年前の一件で規模を縮小していた地球外縁軌道統制統合艦隊であるが、ここの所規模拡大をアフリカユニオンとSAUの二つが要請している。この背景にはアーブラウの急速な軍事規模拡大が存在していた。
『アーブラウはむしろ大人しいのが不気味だな。例の企業経由でかなりの数を揃えていると聞いているが?』
「ああ、テイワズから新型のMSまで購入している。尤も、本当に警戒すべきは数よりも質だろう」
『随分と厄介な連中だな』
そう言って通信先の相手は溜息を吐いた。あの事件以降アーブラウの軍事顧問に納まったCGSは一部の人員と装備を地球に派遣。肩書通りにアーブラウ防衛軍となる予定の組織を訓練している。その結果アーブラウ防衛軍は発足前であるにもかかわらず極めて精強な組織として出来上がりつつあり、その様子を見た経済圏、特に係争地を抱えるSAUが強くギャラルホルンの規模拡大を望んだのだ。
「オセアニア連邦ではCGSを軍事顧問に招こうと言う意見も出ているそうだ。あそこはアーブラウとも繋がりが深いからな、絵空事とは言い切れん。まあ、そうなれば益々我々は重要視される事になるわけだが」
アフリカユニオンとSAUは経済圏の中でも比較的工業力が低い。加えて火星の自治権拡大でアーブラウに先んじられたために、圏外圏との関係も後れを取っていた。結果自力でのMS調達に不安を抱える彼らは、その分をギャラルホルンに頼りたいという事なのだろう。
『痛し痒し、という奴だな。こちらの発言権が拡大するのは歓迎だが、敵が強大になるのは頂けん』
その言葉にラスタルは笑って応じる。
「いや、敵と決めつけるのは早計だ。経済圏はともかくCGS自体はこちらに協力的だからな。火星支部など合同で訓練をするどころか、一部の作戦に協力を仰いでいる程だ。安易に敵と決めつけて対応するのは余計な藪を突くことになりかねん」
それにとラスタルは口にせず思う。今でこそ蜜月関係に見えるアーブラウとCGSだが、彼らは根本の部分で本来対立関係にある存在だ。何しろCGSは火星に拠点を置く組織であり、アーブラウはその火星を植民地化しているのだ。段階的な規制緩和で表面的には良好に見えるが、完全な独立などアーブラウは認めないだろうし、今後の発展を考えれば火星は独立が必須である。特にここの所は過激な活動家達や、昨今の情勢の立役者とも言えるクーデリア・藍那・バーンスタインが公的な場での活動や発言を控えている事がラスタルには不気味に映る。
(もし本格的に地球と火星で武力衝突が起きたなら、ギャラルホルンはどう動くべきだ?)
治安維持を謳うならば、経済圏への助力が妥当だろう。現在の社会秩序を壊さぬことこそがその本分であるからだ。しかし、人類の発展としての側面はどうか?
(300年抑え続けてきた結果が今だ)
広がる経済格差は対立や犯罪の温床となり、治安維持組織の肥大化を招いている。それを健全な状態であると考えられるほどラスタルは染まり切れてはおらず、かと言って安易に変えてしまえば良いと思えるほどには子供ではなかった。
「当面は情報提供を続けて、地球外縁軌道統制統合艦隊の信頼回復に努めるのが無難だろう。動かせる兵力が多くて困るという事はあるまい」
『了解した』
短い言葉を機に通信が切れる。自然と乗り出していた体をラスタルはゆっくりと背もたれに預けると、机の上に置かれたジャーキーを口に含んだ。
「穏やかに変わりゆくなら、それもまた良しとするが」
そうはならないであろう事を確信しながら、しかしラスタルはそう願わずにいられなかった。
「お疲れ様です、ハエダ隊長」
黙々と駐機場を走る兵士達を見ていたハエダにそう声を掛けて来たのはビスケット・グリフォンだった。そちらを一瞥して、ハエダは溜息を吐く。
「ビスケット、お前ウチの訓練受けてんのになんで丸いんだよ?」
「酷いなぁ、これでも筋肉付いてるんですよ?」
そう言って力こぶを作って見せる彼に、ハエダは頭を掻きながら応じる。
「そこを疑ってんじゃ無くて見栄えの問題だ。お前を見るとあいつ等が不満そうにしやがるんだよ」
そう言ってハエダは走っているアーブラウ防衛軍の兵士達を親指でさした。因みにCGSでは実働部隊である1~3番隊に所属する人員に対して、全員問題無く動けるように訓練が行われている。当然ビスケットもそれを突破しているのだが、体質なのかぽっちゃりとした容姿をしている。
「あー、追加の人達ですか?また一緒に走ります?」
軍事顧問として招かれた当初も同じトラブルが起きた。その際は同じ訓練を熟してみせる事で解決したのだ。そう提案されたハエダは顔を顰めて返事をする。
「お前をこっちで使うとトドの奴がうるせえから駄目だ」
「事務方が全然足りてませんからねぇ」
ビスケットの言うとおり現在のCGSは、組織の規模に対しそうした間接員が大幅に不足していた。募集もしてはいるが、他の企業に比べ待遇が良い訳でもないため反応は悪い。3・5番隊の中から同じように募ってはいるものの即戦力とは行かず、現在は1・2番隊の転向希望者で何とか回しているというのが実情である。
「ミルダ達が来てくれていなかったらやばかったな」
元4番隊のミルダはササイと結婚し除隊後専業主婦として暮らしていた。ササイの地球出向にも付いてきていたのだが、事務員の不足で連日残業が続く夫の状況を改善するべく一時的に復帰してくれている。
「タカキは頑張ってくれてますけど、やっぱり年少組の大半は実働部隊希望ですしね」
二人は揃って溜息を吐く。
「相談役が渋っていた理由が良く解るな。ウチじゃ2拠点、それもこの規模は荷が重い」
「増員が難しいなら、人員を引き上げて規模を縮小とかですかね?」
「そっちはもっと難しい。オセアニア連邦からも軍事顧問のオファーが来ているからな。アーブラウ防衛軍だって完全に手が離せる訳じゃねえから、寧ろ手が足りなくなる」
「何処かに余ってる間接員って落ちてませんかね?」
そう困り顔で言うビスケットにハエダが苦笑する。
「MSじゃねえんだぞ。まあ、もう暫くは踏ん張るしかねえだろうな。そういやあ何か用じゃなかったのか?」
「そうでした。例の追加発注された機体が今月末に届くので、受け入れの準備をしておいて欲しいそうです。あと訓練生の訓練内容について相談したいと先方から連絡が」
「またか?売れるのは結構だが、アーブラウの連中随分買い込むな?」
ハエダの言葉にビスケットが声を潜めて答える。
「ギャラルホルンから提供されているフレックグレイズですけど、あまり評判が良くないみたいなんですよね。結構不満が出ているそうです」
「まあ、良くはねえやな」
試しに操縦した時の事を思い出しハエダはそう認める。フレックグレイズはアーブラウ事件以降に各経済圏が独自の自衛戦力を確保する中で、ギャラルホルンが供給を開始した機体である。性能としてはグレイズを下回るためモンキーモデルと揶揄する者もいるが、それは正確な評価では無い。フレックグレイズはMSの運用能力に乏しい各経済圏が無理なく運用出来るようにパーツの簡略化や生産性を向上させているのだ。そのような意味ではギャラルホルンは真面目に市場に合わせた機体を供給していると言えるだろう。
「操作性は出力の低さもあっていいことはいいんだが」
アーブラウで人気が無いのはそのせいだろうとハエダは考える。ギャラルホルンは各経済圏がMSの運用を開始する際に、文字通り最初から体制を構築すると考えていた。しかしアーブラウは軍事顧問としてCGSを雇い入れたために、設備はともかくMSの運用について一足飛びに習得出来てしまった。当然その中にはパイロットの養成も含まれる。更に言えば、彼等はCGSから購入した機体も運用しているのだ。
「前から相談役がミカヅキ達を使って動作パターンを修正してただろ?あれのおかげでウチの卸してるMSはかなり扱いやすくてな。はっきり言って大差ねえ、そんで機体の性能はウチの方が上ときてる」
確実に負けているのは整備性と購入コストだけだとハエダは評する。その購入コストについても他の経済圏との兼ね合いで供給不足が起きている現状、大きな足かせにはなっていない。何せどこの経済圏でもMSは喉から手が出る程欲しているのだ。多少値が張ろうとも一機でも多く確保したいと言うのが本音だろう。
「ウチ、完全に死の商人ですね」
「少なくとも売ってるウチはギャラルホルンの監視下で真っ当にやってるんだ。後は売った相手を信用するしかねえやな」
ハエダがそう言うとビスケットは帽子の位置をなおしながら、ぽつりと呟く。
「あんまり、信用出来る相手じゃなさそうなんですよね」
ハエダは口を開きかけるが、結局何も言わずに視線を前へと戻す。その先ではアーブラウの兵士達が訓練に励んでいた。