ギャラルホルンと共闘しMAを撃破したCGSは、その勇名を轟かせる事無く淡々とした日々を送っていた。尤もそれは表向きの事で、水面下では様々な交渉が各勢力と持たれているのだが、多くの社員は未だ蚊帳の外に置かれている状況だ。そしてその事を当然の様に不満に思う人間も存在する。
「ああ、クソ。わっかんねぇ…」
日の落ちた後の社員食堂では、恒例となった残業が行われている。対象者は4・5番隊の子供や女性に加え3番隊の新人達も含まれていた。しかしここ数日3番隊の新人達は集中できておらず、その進みは目に見えて鈍化していた。
「どこが解らないんだい?ちょっと見せてごらん」
指導役の老婆――読み書きが出来ると5番隊に雇われている人物だ――が問いかけるが、返ってきたのは憮然とした顔と何も書かれていないタブレットだった。
「最初が解らないんなら飛ばして解りそうなのからやるんだよ、取敢えず手を付けて――」
そう丁寧に教えようとする老婆に対し、新人は不機嫌さを隠そうともせず舌打ちをすると、手にしていたペンを投げ出す。
「俺はチマチマ計算なんかするためにCGSに入ったんじゃねぇんだよ」
それは一人の言葉であったが、他の多くの新人も同じ気持ちの様だった。その言葉を皮切りに殆どの新人のペンが止まり、口々に不満を述べ始める。
「訓練ばっかだよな。俺海賊退治に憧れてCGSに入ったのにさ」
「仕事って言っても採掘場の警備だろ。MSどころかモビルワーカーにも触らせてもらえねえ」
「昔からいたってだけでガキですらMSに乗ってるのに不公平だよな」
「やっぱ阿頼耶識だろ?それがあれば俺らだって」
「今日は賑やかじゃん、何か良い事でもあったか?」
「良い雰囲気とは言えないんじゃないか?」
突然割り込んできた声に室内が静まり返る。声の主であるライドとハッシュは気にした様子も無く部屋に入ると、担いでいたコンテナを机へと降ろした。少しずれた蓋の間から強烈な甘い匂いが漏れ出す。
「ほい、いつものな。終わった奴から食って良しだぜ」
「残業代で欲しい人はこっちに言ってくれな。纏めて申請するから」
「…あの」
「ん?」
二人がそういつもの申し送りをしていると、最初に不満を口にしていた新人が意を決した表情でハッシュへ話しかけてきた。本来であれば彼らの先輩はライドであるため、意見ならばそちらへ掛け合うのが筋であるが、年下へ不平不満を口にするのは憚られたのだろう。察した二人は静かに彼の言葉を待つ。
「こんな事、いつまで続くんですか?俺、早くMSに乗りたいんすけど」
その言葉にハッシュは落ち着いた表情で応じる。
「そのために勉強してるんだろ?字が読めなきゃマニュアルが読めない。どうやってMSの操縦を覚えるつもりなんだ?」
「推進剤の残量、残弾。計算だって出来なきゃ、普通に戦うなんて夢のまた夢だぜ?」
そうライドが付け足す。勿論戦闘中に複雑な計算などする機会はほぼ存在しない。だが全く計算もせずに戦えるほど戦場は甘くない。だがそれに対する新人の返事は素直な納得などではなかった。
「なら、俺にも阿頼耶識をつけてくださいよ。あれがあれば読み書きなんて出来なくてもMSに乗れるんでしょう?」
「おいっ――」
「ん?良いぜ」
その言葉にハッシュが何かを言いかけるが、それより先にライドが快諾する。あまりにも呆気なく認められた事に新人は訝しむが、ライドは笑いながら続ける。
「別に会社側は強制してねえけど、本人達が受けたいって言うなら施術くらいしてくれるさ。ただ解ってるよな?」
「え?」
問い返され間抜けな声を上げる新人に、ライドは意地悪い笑顔で口を開いた。
「おいおい、契約書に書いてあっただろ?本人が希望した阿頼耶識手術は、会社側は一切責任を負わないって。お前らが廃人になろうがどうなろうがCGSは知らねえし、働けなくなった奴を雇ってなんておかないぜ?」
「!?」
目を見開く新人達にライドは更に追い打ちをかける。
「ああ、それから解雇されるときは違約金を払ってもらう事になるぜ、なんせお前らは訓練ばっかでロクに仕事をしてねえ。今のお前らって会社からすれば赤字なんだよ。それでも今後使えるようになるから投資してるわけだ。けどその今後が無くなるんだから追い出す前に出来る限り回収しとかないとな。確かこの辺りも入る前に渡された契約書に書いてあったはずだぜ?」
「心配するな、お前ら」
ライドの言葉に青くなっている新人達にハッシュがそう声を掛ける。だがそれは更なる恐怖を煽る事になる。
「幸いCGSには阿頼耶識を研究している学者さんがいてな。人体実験出来る相手をいつも待ち望んでる。だからCGSに残る事も出来るぞ、まあ実験次第じゃ死んだ方がマシって場合もあるけどな」
「いや、嘘でしょ。契約書にそんな内容書いてなかったっすよ」
タブレットに視線を向けたまま、そう突っ込みを入れたのはザックだった。その言葉に嘘のばれた二人は視線を交わらせ肩を竦める。漸く騙されていた事に気付いた新人達が剣呑な表情で二人を見るが、ライドとハッシュは平然と視線を受け止め笑って見せる。
「騙したのかよ!?」
「まだ解らないぜ?字が読めるザックだけ別の契約書かもしれない。お前達の契約書には本当にそう書かれてるかもしれない。けどお前達には確かめようがないよな。だってお前らは字が読めない」
「ザックに読んでもらえば」
「会社がザックを買収したら?誰かに読んでもらってもそれはなんの保証にもならない」
そうハッシュが告げると、ライドが真面目な顔になり口を開く。
「MSってのはすげえ武器だ。お前たちが思ってるのより遥かに簡単に沢山の人を殺せちまう。その意味が解るか?お前らがちょっと騙されるだけで、直ぐに人が死ぬって事だ。お前らはもうCGSの社員なんだ。もし騙されて人殺しをすれば、その責任はCGSにだって降りかかる。その事を良く考えた上でもう一度言ってみろ。字も満足に読めない奴がMSをどうしたいって?」
「それと会社がお前らに金をかけているっていうのは本当だぜ。考えてみろよ、ただ突っ立っているだけの仕事で、お前らの給料が入ると思うか?訓練なんて文字通り1ギャラーにだってなりゃしない。だけどお前さん達は給料を貰ってる。その金は何処から出てると思う?」
そうため息交じりにハッシュがライドの後に続けると、新人達は沈黙せざるを得なかった。今更になって、自分たちの環境が在り得ない好待遇である事に気付いたからだ。
「まあ、阿頼耶識が欲しいって気持ちは解らなくないからな、どうしてもって言うなら施術の申請はしてやるよ。ただし勉強は続けろ。MSは馬鹿が持っていいもんじゃないからな」
ライドの言葉に、新人達は黙って頷いた。
「あのー、相談役。俺の問題なんかおかしくないっすか?」
いつもの残業時間を少し過ぎた頃、ライドとハッシュがメールを送って来た。内容は3番隊新人の阿頼耶識施術希望について、まああの便利さを考えれば無理もない事だと思う。
「そんなことは無い。ザックは読み書き計算が出来るからな。それに合わせた問題というだけだ」
「ぜってぇ嘘だ」
うむ、嘘だからな。でもザックは正直前線で戦うより幕僚としての能力の方が高いのだよなぁ。なので彼には作戦立案とか戦局分析、ついでに兵站管理なんかの問題を押しつけている。まあ彼については追々説得していくとして、先にこっちを片付けるべきだろう。
「…相談役。その、やっぱり阿頼耶識ってヤバイんですか?」
「危険性が完全に払拭されている訳ではないな。以前に比べると遥かにマシだが」
取敢えず今の所は以前のような施術失敗についての報告は無い。とは言えこういうのは万単位で治験しなければ解らないからな、安易に絶対なんて言うわけにはいかない。まあビルス達の献身のおかげで万一が起こっても治療出来るからそれ程深刻に捉える必要は無いのだが。
「だから新人に施術しないんすか?」
いんや?
「阿頼耶識についてはあくまで個人の自由を尊重しているだけだ。本人の希望があれば施術するのも許可するさ」
俺が問題だと考えているのは阿頼耶識システムではなくて、子供が施術しなければ生きていけないという社会そのものとそれを許容する連中だからな。第一遺伝子治療やインプラントなんざ前の世界では当たり前の技術だったから、むしろそれに忌避感を覚える方が難しい。
「だから彼等が受けたいと言うなら吝かじゃ無い。だが解っているのかね?」
俺はそう言ってつい難しい顔になってしまう。その意図が伝わらなかったのかザックは不思議そうな表情でこちらを見ている。いや、だってさ。
「君たちはまだ半人前だから軽い業務と訓練で済ませているんだ。施術をしたら繰り上がりで業務に携わって貰うし、並行して訓練も行って貰う。正直かなりハードなスケジュールになるんだがね」
言われて初めて気付いたようにザックが目を丸くする。おいおいウチは企業、営利団体だぜ?
「まあ若い連中のやる気に水を差すのも気が引ける。存分に頑張って貰うとしようじゃないか」
俺がそう笑うと、釣られてザックが引きつった笑みを浮かべた。
インターミッション回