ノンケウマ娘を狂わせるウマ娘(トレーナー)の日々 作:樽薫る
朝、外は快晴。気分は爽快。体温も極々平熱。
なに一つとして問題ない朝、昨日来てくれたルドルフたちに感謝を伝えるメッセージを送って、深夜に来ていたらしいマルゼンからの『タマモちゃんたちに話した』とのメッセージにも、だろうなと頷いて、適当に返しておく。たぶんマルゼンも私がなんて返事するかは大よその予測はついてるだろうし……。
スマホをソファに軽く投げて、朝シャンの時間だと背を伸ばす。
―――バツンッ、と音がした。
「……あ~もう、昨日縫ったばっかでしょぉに」
やっぱりボタン式は駄目だ。と、私の気分はサゲサゲ。
重たい気分のまま、私は胸元そのままに、欠伸をしてもう一度背を伸ばす。すでに拘束するものなどなにもないので、そのまま私は洗面所へと向かう。
鏡を見れば、額に張ってあった冷却シートが半分ほど剥がれており、私はそれを自らの手で剥がすと顔を洗ってから、もう一度鏡を見てその中の自分と眼を合わせる。
「頑張れ……クロノネクサス!」
自分に暗示をかけるようにそう言うと、私はパジャマのボタンに手をかけた。
◆◇◆◇◆◇
ターフを駆け抜ける。前には誰一人として存在していない。それがマルゼンスキーでスーパーカーたるアタシの走り。
圧倒的加速、誰一人として影すら踏めないはず。
なのにも関わらず、迫る足音。
―――この息遣いは!?
背後から迫る憶えのある……。否、忘れるはずがないプレッシャー、息遣い、限界に喘ぐ声。
ああ、そうだった。この子はいつだって全力で、いつだって私を喰らうためにアタシを“逃がさず”駆けてくる。
約束した“また走ろう”って……でも、そうはならなかったはずなのだから、だからこれは……。
―――こういうのなんて言ったっけ……そうだ、明晰夢。
なのに、駆ける足はとまらない。ただ真っ直ぐに背後から迫る“あの娘”から逃げるために駆ける。逃げるために駆けているのに、逃げ切れないのが嬉しい。
しっかりとアタシの背後で、アタシを捉えて離さない。たった二人だけの世界、それがどうしようもなく好きで、アタシの全力の走りをもってしても決して突き放せないそれがたまらなく好きで……あの娘がその“領域”へと踏み入れる。
―――そう、これはあの日の夢なのね。
コーナーに差し掛かるとあの娘がアタシの影を追うように、加速してきた。ほぼ真横へと着いたあの娘へと視線を軽く移すと、あの娘は八重歯をむき出しにして、笑みを浮かべながら、独特の低い体勢でアタシとの距離を詰めていく。
だけど、負けるわけにはいかない。アタシも歯を食いしばって、その“領域”へと足を踏み入れる。覚醒した剛脚、あの娘が目覚めさせてくれた自分自身すら知らぬその末脚。
あの娘が距離を詰めれば、アタシも加速する。
―――早く、早く起きなきゃ……。
状況は理解している。夢見た回数は何度もあった。
だからこそ起床しろと本能が叫ぶ。
―――そして、アタシの背後の気配が“突如として消えた”。
「ッ!」
勢い良く、眼を見開いた。自分の部屋の天井が視界一杯に広がる。少し遅れて汗のべたつきによる不快感を感じ、上体を起こしてから時間を確認する。時刻は午前10時を回っているけれど、アタシにとっては別にどうでも良いこと。
背を伸ばしてから、ベッドから降りて立つ。
「チョベリバ……ベッタベタだし、シャワー浴びてから行きましょ」
一人ごちてから、息をつく。ろくでもない夢は、たぶん昨日のせいだとは理解してるけれど、理由がわかったからといってスッキリするわけでもない。
いっそのこと、ドライブでも行ってすっきりするほうが良いかもしれない。
―――夜にクロ、ネでも誘ってみようかしら。
◆◇◆◇◆◇
昼時のトレーナー室、私はマルゼンからの『病欠します!』のメッセージに『元気な病人だな』と返して、からコーヒーを一口すする。
さて、私の作業机の上に置いてあったメモでおおよそ昨日話したことは理解した。マルゼンがそうも細かいことをするのは意外だなとも思ったけど、ことこの案件にいたっちゃ細かくもなるだろう。
フッ、と自然と笑みが浮かぶ。
「さて、そろそろ次のこと色々としちゃわないとなぁ……」
今年もネームレス杯は開催する。カフェにも実戦を経験させたいし、タキオンのこともなんとかしないとだし……。
「う~ん」
うだうだしていても仕方ないと、立ち上がって購買でなにか昼食を買おうと立ち上がってトレーナー室を出る。色々大事な資料もあるしと、施錠だけはして目的地へと向かう。
歩いている最中に、ふと“見覚えのある顔”を見つけた。一昨日ぶりのその人物が、私に気づく。
「あ、クロネさん!」
私を見るなり、即座に駆けてくるのは乙名史悦子。月刊トゥインクルの記者だ。
一発で私みたいなマイナーウマ娘の名前をドンピシャで当ててくるヤバい人でもある。
「す……すみませんッ!」
バッと頭を下げられる。周囲に人はいないのでまだ良いけれど、とりあえず私は動揺しながらも乙名史さんに、大丈夫です。と伝えて頭を上げてもらう。
「その、まさかクロノ、じゃなくてクロネさんが……名前と経歴を隠してたとは、改めて謝罪を……」
「だ、大丈夫ですって……ま、まぁ私の経歴とか、あんま出ないとは思うけど……し、知られたらトレーナーとしては、キツいもんがありますから、ね」
たぶん調べて出たところで、重賞を一つたりとも勝利していないどころか、クラシックの“あのレース”で故障して、そこからは復帰してもすぐ故障の連続だった。というとこぐらいだろう。その実、領域まで辿り着くにも至らなくなり、車椅子での生活のほうが多いぐらいだったとかは調べても出ないはずだ。
アドバイザーとしては良くやってたとは思うけどね。出走レースのこととか、トレーニングのこととか、相談事までやってたし……。たぶん前理事長はそこを知ってたんだと思う。
「でも、も、もう大丈夫です。他のルートで知られちゃってたらしいし、い、今の私の担当の娘たちが、それで私の元を離れるとも、思えないし……」
そう、タマちゃんたちが私の経歴を知ったところで今更、担当を外れるなど言うはずもない。これは確信だ。あの娘たちは私を信用してくれている。
ブライアンもカフェは成り行きだったけど、今は違う。それにタキオンには“プランA”についての契約もあるがそれ以上の信頼もある。
―――だから、もう良い。良いきっかけだった。
「私はタマちゃんたちのこと、信じてますから……たぶん、あの娘たちも、私のこと信じてくれてると……」
「す……」
「へ?」
「素晴らしいですっ!!」
「へひゃっ!?」
両手をぐっと寄せて少し上を見ながら言う乙名史さん。
ふと、私のほうへと向き直ると私の左手を両手で握り締めて、凄まじい勢いで接近してくる。他人との距離感が近すぎて、私は動揺せざるをえない。そもそも顔が良い。こんな顔が良い記者いて大丈夫ですか色々と、なんて思いながらバクバクと音を立てる心臓を落ち着かせようと努力する。
「その信頼感、まさにトレーナーとウマ娘の、いえウマ娘とウマ娘ですけども、なにはともあれ……私、感銘を受けましたッ!」
「あ、あぁ、はい」
その勢いに圧されて、頷く。
「よろしければ、今後も懇意なお付き合いを!」
「ふぇっ、は、はぃっ」
「そして、いずれは取材なども!」
「ぜ、是非っ」
タマちゃんを有名に、日本一のウマ娘にしてあげるためにはこういうことも必要だ。覚悟はしていたけど、今がその時、いやそのうちって言っているから今すぐではないけど……。
「それにその、私情ではあるんですが……」
少し気恥ずかしそうに、乙名史さんは笑う。
小首をかしげると、ハッとして乙名史さんは顔を左右に振るって、その直後に
「私、クロノネクサスさんが―――好きなんです」
「ふぇあっ!?」
―――我が世の春がきた!? いや私はノンケだけども!?
◆◇◆◇◆◇
クロネのトレーナー室へと向かうためにウチ、タマモクロスは廊下を歩いていた。
別段、昨日の話の続きが聞きたいからとかそういうわけでも、なんで隠してたとかを問い詰めたいわけやない。昨日のマルゼンの話で大よそは理解できた。
ただ、ウチらの前でもうなにも隠すことないっていうのと……ウチらは話を聞いてもなにも変わらないってことを伝えるために……。
―――その、つもりやったんやけど。
「私はタマちゃんたちのこと、信じてますから……たぶん、あの娘たちも、私のこと信じてくれてると……」
たまたま、そんな言葉が聞こえた。
―――そっか、なら、ウチの言葉はいらんか。
思わず口元が綻ぶのがわかって、ウチは曲がり角を曲がった先にいるクロネと顔を合わせないよに壁に背をつけて立ち止まる。
一緒にいるのがたぶんクロネを一発でわかった記者。知識やら記者としての腕は本物やけど。変人って噂。
まぁ、明確に悪い噂は聞かんし、むしろ良いうわさのほうが多いところがあるので、たぶん安心。ここで出て行ってクロネと話すのは簡単やけど、野暮やろう。また放課後で十分や。
「タマモクロスはクールに去るで」
「私、クロノネクサスさんが―――好きなんです」
―――アァンッ!?
ウチはびしっと壁に背をついて、頭の上の耳を澄ます。
クロネの驚いた素っ頓狂な声、ウチは黙って会話の続きを待つ。
「視ていました、あの“弥生賞”から! ずっと!」
「へ……み、見てたん、ですかっ」
「はい!」
どういうことや、弥生賞はクロネのトラウマレースのはずや。
「でも、あんなレース。私は途中で骨折して転倒して……」
「クロネさんには嫌な思い出かもしれませんけど、何度も立とうとして、無理で、腕で這ってでもゴールしようとした姿、私の脳裏に未だ刻まれていますっ!」
「……ど、どぉも」
なに照れてんねん!!
「その後のレースも見ていましたけど、引退して消えてしまって……ですが、ここで出会えたのは、そう。運命だと思うんです!」
「う、運命、ですかっ」
「はい、なので今後はトレーナーとしてのクロネさんを、追わせていただけませんか?」
ただのファンなら大丈夫や。ただのファンなら!
「ふぁ、ふぁい……」
―――なにデレデレしとんねん!
◆◇◆◇◆◇
放課後。
私は乙名史さんと共に、軽く昼食を取ったおかげで空腹に苛まれることなく、無事にここまでの時間を乗り切った。
それなりの資料をまとめて、タキオンにそれを渡したときには『あとでもうちょっと色々教えてくれたまえよ?』との言を受けたけども、私はもちろんと返して目的の相手の下へと急いだ。
「あ、タマちゃん」
「ん、クロネ」
探していたのはタマちゃんで、オグリとクリークちゃんも一緒にいたけれどタマちゃんは軽く話して別れると私の元に歩いてくる。
「丁度会いに行こうとは思ったんやけどな」
「え、そうなの?」
「まぁええわ、トレーナー室行くか?」
その言葉に、私は周囲を見渡す。
人もいないし、近くにはベンチと自販機。そちらを指差すと、頷いたタマちゃんと共にそちらへと向かった。
座ったタマちゃんに私は買ったお茶を渡して、私は私で缶コーヒーを片手に、タマちゃんの隣に座る。
別段、打ち明けることはほぼすべて終わってるんだけど、そこじゃなくて……。
「あのねタマちゃん」
「ん?」
「私……地方荒らしぐらいの勢いで言われたことがあってさ」
なんの話や、って顔をされる。いやそりゃそうか、でもそうじゃなくて……。
「結局、中央ではなんの成果も出せてなかったけど……やっぱり必要なことだったよ」
「お、おう」
「それでもさ、タマちゃんも、地方から行ってみようか」
そういうことかと、頷いてくれた。
「おう、それならそうしよか」
「ん、ありがと」
「クロネのこと、信用しとるからな。相当変なこと言わん限りは任せる」
―――なにこれ、こそばゆい。
「そう、だよね。今年、大事なクラシックなのに止めちゃっても受け入れてくれたし」
「クロネのこと知ったら、すっかり納得できたわ」
タマちゃんの言葉に、私は苦笑を浮かべて頷く。もうちょっと早く話していればよかったのかもしれないとも思うけど、結果オーライということにしておこうと思う。
タマちゃんと向き合って、すぐに表情をひきしめる。風が吹いて、私の瞳がタマちゃんの瞳をジッと捉えた。
「でもね。絶対してみせるよ……タマちゃんを、日本一のウマ娘に」
自然と口元が綻ぶのを感じる。きっと自然に言えたと思う。
少しばかり驚いた表情を浮かべるタマちゃんが、すぐに笑みを浮かべて拳を差し出してくる。
「これからも、頼むわ」
「うん、一緒に日本一のウマ娘目指してこう……白い稲妻、響かせてさ」
「一緒に、か……せやな、二人三脚、人バ一体、とはまた違う感じするけどまぁ二人で一緒に、な」
二人で一緒に……私はその拳に、拳をあわせた。
「これからも二人で、みんなで、やっていこうね」
ニッと、出会ったあの日のような笑顔を浮かべるタマちゃん。
「それはこっちの台詞や―――ウチとやろーや! トレーナー!」
あとがき
シリアス終わり!
今回は全然ギャグはさめなかった
ボタンを飛ばすぐらいしかできなかったちくせう
とりあえず次回からはまた日常回というかなんというか、デート回とかもそのうち
なにはともあれ次回もお楽しみいただければ嬉しいですー