クレストベスト   作:ルカリオ

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第2話

 春。冬を乗り越えて次に来る季節。

 冬は長く暗い。だが、やがてふと頬に当たる陽射しの色が違うことに気づく頃、吹雪は間遠になっている。

 雪が融けて、露が光る枝に固い新芽の蕾が見えるようになると、大地を閉ざしていた雪が消えた後の黒く濡れた土には、一面に緑の草が生え、たちまちにして色とりどりの花が競い合うように花弁をひらく。森の木々も一斉に若葉を萌やし、花をつけ芳香があたりに満ちる。

 時が過ぎるのも早いもので、四月になれば桜が咲き誇り、淡いピンク色の花が頭上を覆って、快晴だったはずの青空もしばしば隠れていた。散り落ちた花びらが、ピンク色の雪のように地面を染めている。

 車窓から見える桜の花弁は、枝に付いたまましばらく静止を保っていたが、ついに堪えきれず散りに入った。その花びらはまるで揺れ動く太古の地表のように大きな固まり、小さな固まり、合体したり離れたりを繰り返し、視界の外に流れてゆく。じっと見ていると次第に視界は花びらで埋め尽くされ、散る花弁の向こう側を見ることも難しくなる程。

 東京都高度育成高等学校。俺が今バスで向かっているこの学校は、最新設備完備や町一つに相当する敷地面積、電子マネーの月支給、卒業生は希望する進路をほぼ確実に認められるなど、高校としては異様な学校だった。実際に現在、最先端で活躍する者達がこの学校の卒業生であった例は決して少なくない。

 完全寮生は兎も角、外部との連絡の遮断を強制するなど不穏極まりない注意事項はあったが、俺の気持ちはその程度では揺らがなかった。むしろ、興味をそそられるという意味で決心の後押しとなっていた。

 頂点の学校に行く。それは俺の中では決定事項にも似た決意だった。

 学校の方針として、未来を支えていく若者を育成するというフレーズが掲げられている。現状それがどれ程の具体性を持ったものなのかが見当も付いていないが、日本一を誇っていることからも十分に期待していた。

 座り心地の良いシートの背もたれに身を任せながら、景色の変わりゆく様子を車窓から眺めつつ時を過ごす。バスの行き先はもちろん複数設定されていて、制服姿ではない乗客の姿も見える。

 バス停が大学附属の医療センターに到着した時、当然のように高齢者が続々と乗車。あっという間に座席は全て埋まったため、俺は席を立ち、近くを通りかかったお爺さんに席を譲った。

 その間にも乗客は増え続け、いつしか人の数は三十人近くにまでなっていて、座席を確保できなかった乗客が数人ほど出る状況となっていた。

 だがそんな中、悪びれる様子もなく二人席を自分と荷物で占領する男がいた。地毛なのか、赤色の髪のその男は、周囲から奇異の目で見られていることに気づいていない様子。有線のイヤホンを耳に挿しながら、動画を見ているかゲームをしている様だった。時々、小さく「クソッ」という声が漏れ出ていることから、イライラしているのは誰の目にも明らかだった。

 派手な髪色と口調、態度も相まってか、荒々しい性格であることを察するのはそう難しいことではない。当然、その男には誰も声をかけようとはせず、座りたそうにしているお婆さんも困っている状況だった。

「荷物をどかしてあげようとは思わないのか?」

 考えるよりも先に、体が動いていた。バスの真ん中あたりで吊り革を掴んでいた俺は、バス後方のその男の席の真隣まで足を運んでいた。

「あ?なんだお前?」

 声が聞こえたのか気配を感じたのか、赤髪の男は自分を見下ろす俺と目を合わせると、初対面のはずだが、まるで親の仇とでも言わんばかりの眼光で睨んで威圧してきた。

 チラッと見えた画面には、NBAの試合が流れていた。出場しているどちらかのチームのブースターなのか、律儀に動画は止められていた。少なくとも、今は声が聞こえるのだろう。

「この荷物のせいで、一人座れない」

 そう言って、座席に雑に置かれているエナメルバッグを目で指した。

「だから何だよ。俺の席なんだよ。どう座ろうが勝手だろ」

「何もそこを空けて立ってくれと言ってるんじゃない。荷物だけどかしてくれないかと頼んでいるんだ」

 公共交通機関とは、不特定多数の人々が所定の運賃を払えば自由に利用することのできる交通機関のこと。だが電車でもバスでも、思いやりやマナーのある行動が求められている。目の前の男が法的に悪いことをしているわけではない。だが、思いやりに欠けていることは確かだ。

 人は助け合っていかなければ生きていくことはできない。そしてそうであることは何も恥ずかしいことではない。誰かが困っている、助けを求めているのであれば、それを解決するために動くことは当然のこと。

 日頃そう考えているからこその行動だったのだが、目の前にいる男子生徒とは価値観が合わないようだった。コードを引いてイヤホンを強引に耳から抜くと、携帯を置いて立ち上がった。そして、これから喧嘩でも始めるのかと思わせるほどにガンを飛ばしてきた。

「俺は昔からお前みたいな奴が大っ嫌いなんだよ。さっさとどっか行け」

 その状況に他の乗客は良くない展開だと思い始めてきたのか、我関せずといった様子で物音一つ立てまいと息を潜めていた。

 しかしそんな中、バスの前方から動き出す影が一つ。

「はい、そこまでにしよっか!」

「あん?」

 赤髪の男が声の方を向いたところで、俺も振り返って声の主を確かめた。声から分かっていたことだったが、やはり女子生徒だった。

 ストロベリーブロンドの髪色に、思わず視線が吸い込まれるような清廉さを感じさせるライトブルーのくりっとした大きな瞳。あどけなさの残るその顔立ちは、美人と美少女の側面の両面性を持っていた。

「私が席を空けるからこの話はこれでお終い!ほら、行くよ!」

 割り込んできたかと思えば、そう言って俺の腕を強引に引っ張ってバスの前方へと移動し始めた。

「お、おい、、!」

 振り払えない力ではなかったが、実行に移したことで体勢を崩されでもしたら、狭いバスの中では怪我に繋がりかねない。俺は大人しく彼女が止まるまで連行されるままに従った。

 バスの乗車ドア付近に立っていたお婆さんを彼女が座っていた座席へと案内した後、そこから少しだけ離れた場所で彼女は足を止めてこちらを見た。

「私の名前は一之瀬帆波。よろしくね」

 彼女の行動に面食らっていたところに、開口一番の自己紹介。俺は状況が上手く飲み込めず戸惑っていた。

 まるで何事も無かったかのような彼女の純粋無垢なその表情は、性別を関係なく人を惹きつける笑顔だった。

「、、どういうつもりだ?」

 色々な疑問を置いといて、まず第一に俺は彼女にそう問いかけた。

「何が?」

「さっきの。アイツが荷物をどかせば済む話だった。なぜ━━━」

「なぜ邪魔したのか、って?逆だよ。私は君を助けたんだよ」

「、、助けた?」

 俺からしてみれば、彼女の行為は邪魔以外の何物でもなかった。最終的に彼女が席を立ち、お婆さんは座ることができた。結果だけ見れば、目的は達成されている。しかし、その過程において、赤髪の男が反省するという通過点を無視することとなった。

「あのままだったら向こうは殴りかかってきてもおかしくなかった」

「それが何だ。上手く対処できる」

「問題なのは彼が殴りかかる行為自体だよ。例え彼を押さえつけられたとしても、この一連の出来事は『事件』になる。入学早々に悪目立ちはしたくないよね?」

 入学したての新入生が、生徒それぞれの人間性など知り得るはずもない。暴力事件に関与していたという噂一つあれば、赤髪の男だけでなく俺の周りにも人が寄って来ないのは必然の流れ。人間関係の構築という意味では、確かに考慮すべきデメリット。

「それに、仮に彼が荷物を移動させたとして、あの状況でお婆さんがそこに座りたいと思う?怖いって思うんじゃないかな?だから、彼が譲歩してくれなさそうだった時点で、違う人に席を譲ってもらえないか検討するべきだったと思う」

「でもそれだと、アイツの言動を許すことになる」

「確かに彼の行動は褒められたものじゃない。だけど、それで喧嘩になるのも同じだよ」

「許せと?」

「許容できる範囲ではあると思う。少なくとも、法では裁けない。裏を返せば、裁く必要がない程度のこととも捉えられる」

 少しだけ理解できた。彼女、いや、一之瀬には一之瀬なりの考えがあって、俺と彼の仲裁に買って出ていた。自分が間違っていたとは思わない。ただ、一之瀬の考えが正しくない、間違っているとも思えなかった。

 人の考えは人の数だけ存在する。当たり前だ。人はそれぞれが独立していて、考えが共有されているわけではないのだから。

 最初に衝突こそしたものの、俺は彼女のことを、数少ない『同類』だと認識し始めようとしていた。

「火神蓮だ。よろしく」

「うん、改めてよろしくね、火神くん」

 

 

 そこから暫く、バスに揺られながら一之瀬と談笑していると、いつの間にかバスは目的地である高度育成高等学校に到着していた。それだけ彼女との会話が自分の中で楽しかったということなのだろう。

 降車口から降りると、何処からともなく風が吹き、髪先が揺れる。人通りも車の通りも少ないため、鳥の囀りや葉擦れがよく聞こえる。都心部では滅多に遭遇出来ない静謐に、表情も自然と柔らかく、笑顔になっていた。

 一之瀬と共に歩を進めると、正門を潜った先には生徒が集まっている場所があった。足取りの覚束なさや、背格好などからして全員が新入生だろう。

 奥をよく見てみると、紙が貼り出されている掲示板のようなものが設置されていた。集団が立ち去るのを一之瀬と少し待ちながら、最前列へと進み出る。

 掲示板には今後の流れ、校舎の見取り図と各教室への案内、そしてクラス分けの結果が張り出されていた。

「どうだった?」

 一之瀬のその問いかけがクラス分けの結果であることはもはや疑い様もない。

「Aクラス。そっちは?」

「Bクラス。また来年に期待だね」

 短時間とはいえ、これだけ仲良くなったにも関わらずクラスが別とは運が無い。来年のクラス替えでも確率は変わらないが、三年間もあればいつかは同じクラスになる時があると信じる他ない。

「火神くん?」

 一之瀬、ではない声の主は、俺の真後ろに立っていた。

「、、堀北?」

 一年間もの間、声を聞いていなかった少女の名前を口に出した。

「いつ戻ってきたの?」

 堀北自身は淡々と話しているつもりのようだが、声音や身振りから動揺を隠しきれていていなかった。その様子を見て、その可愛らしさに思わず笑顔が溢れる。

「昨日の夜だ。福岡から飛行機でビューっとな」

 一年前、俺たちが中学三年生に上がる少し前、ちょうどあの日の一週間後に俺は九州に飛び立っていた。突然の転校だったため、堀北はおろか、教員も含めた学校の全員が事後報告で聞かされる形となってしまっていた。

 俺も堀北も電話をするタイプではないので、お互いへのやり取りはメールで行っていた。だが受験期などでお互い忙しかったせいか、一日に一通程度の毎日が続いていた。内容も他愛もない雑談レベルで、生存確認のためだけに送り合っているとしか思えないようなものだった。

 それでも、俺にとってはそれが毎日の頑張る理由で、生きるための活力だった。

 関係はあの日以来、前進も後退もしていない水平線。色々なものが変わっても、お互いの考えは変わっていないはず。

 この学校に進学することは伝えていたが、俺もまさかこんな早々に再会するとは夢にも思っていなかった。

「変わらないわね」

 俺の全身を一瞥して、少し笑った顔でそう言った彼女は、俺の好きな『堀北鈴音』のままだった。一年ぶりの再会というのも相まってか、自然と愛おしさが溢れてきた。髪に、頬に、全身に、彼女に少しでも触れたいという欲求を全て抑えて、俺は彼女との再会を笑顔で迎えた。

「お前は一段と美人になった」

 久しぶりに出た彼女への言葉は、何故かすんなりと出てきた。口に出した後も込み上げてくるものがない。本当に自分が発した言葉なのかと疑いたくなるほど無意識なものだった。ただただ純粋に、目の前の少女だけが視界に映っていて、自分の理性や感情などは後回しになっていた。

「えーっとぉ、、?」

 風景が変わった。目の前には堀北と多くの生徒。横には一之瀬。周りには桜の木々と綺麗な校舎。空は青く、雲は白い。ピンク色の、彼女だけがいる世界などではなかった。

「彼女は?」

 堀北の問いかけは、純粋な疑問だった。

「バスで知り合ったんだ」

「初めまして。一之瀬帆波です。堀北さん、でいいのかな?」

「堀北鈴音よ。よろしく」

「うん、よろしくね。、、そっちの彼は?」

 そう言って一之瀬が目で指したのは、堀北の後ろでクラスの掲示板の方を見ながらも、体勢はこちら側に向いている男子生徒だった。話に加わりたかったのか、落ち着かない様子でチラチラとこちらの様子を見ていたことから、堀北の知り合いだと一之瀬も思ったんだろう。

「知らないわ。赤の他人よ」

 彼を切り捨てるようにバッサリと放った堀北の一言に、流石の一ノ瀬もどう返すべきか、一瞬判断が遅れてしまっていた。

 その隙に、と言っていいのか、男子生徒は俺と一之瀬の方を見て徐に口を開いた。

「綾小路清隆だ。俺たちもバスで知り合ったんだ」

 堀北の『赤の他人』発言とは多少異なるニュアンスの自己紹介。多分何かあったんだろう。

 そして綾小路が言い終わるとすぐに、堀北は振り返って窘めるように見上げた。その堀北の様子から察するに、多分ではない。確実に何かあったんだろう。

「ちょっと?今のは貴方に立ち去って欲しいという合図だったのだけれど?」

「え?、、すまん」

「空気を読むのが下手みたいね」

 堀北の追い討ちをかけるその言葉に、綾小路は多少なりとも傷付いているように見えた。

 何があったのかは知らないが、流石に言い過ぎだと注意しようとしたその時、隣で一之瀬がパンッと手を叩いた。全員の視線が一之瀬に集まる。

「まぁまぁ!よろしくね、綾小路くん!」

 一之瀬の無邪気な笑顔に綾小路も多少は救われたのか、元気を取り戻した様子で頷いた。

「次のバスが来る。新入生は案内に従って速やかに移動するように」

 少し離れた所に立っていた教師と思われる男が、俺たちを含めた掲示板で立ち止まっている生徒たちにそう呼び掛けた。

「おっと、じゃあ折角だし途中まで一緒に行こっか!」

 一之瀬のその言葉で、俺たち四人は校舎へと歩き出した。四人横並びではなく、前に一之瀬と綾小路、後ろに俺と堀北という二列構成。久しぶりの再会だということを考えてなのか、俺と堀北の関係がただの友人というだけではないことを察したのか、一之瀬が俺と堀北を通り越して綾小路と歩き出したが故の状況だった。

 校舎に向かうまでの道でも桜は満開に咲き誇っていた。だがそんな綺麗な風景を前にして、堀北の表情は浮かなく、何かを思案しているような顔だった。

「ねぇ、貴方の最後の言葉。よくよく考えてみたんだけど、結局どういうこと?」

「、、そのまんまの意味で言ったつもりだったが?」

 

━━━ お前の障害は、俺が始末する

 

 思い返してみたら、よくこんなセリフを言えたなぁ、としみじみ思う。お酒でも入ってたのかと疑いたくなるが、当然未成年だったのでアルコールは一滴も摂取していない。

 そして果たして、この言葉の何が堀北の喉につっかえていたのか。

「私、いや、私たちの障害って、、貴方は何だと思っているの?」

 それを聞いて納得した。確かに抽象的すぎる。ゴールも、ゴールまでの道のりすら分からないのは釈然としないだろう。

「気付いたんだ。俺が何をしようと変わらないもの、変えられないものがあることに。どんな時でも、悔やまれたのは俺の無力さだった。だから、俺の周りにいる人たちが、どうしようもない理不尽や他人の勝手な都合で苦しめられないように、自分の発言や行動に力が欲しいんだ」

 何かを為すためには、それに合った力が必要だった。目の前の少女との間で起こった、中学での些細な問題さえ解決できなかった自分の不甲斐無さ、無力さを実感して初めて、今まで悪いイメージで毛嫌いしていた『権力』というものが欲しくなった。

「まさかとは思うけど、国のトップにでもなるつもり、、?」

「目標は近いと思う」

 俺の目標は、果たしてそうなりたい、そこまでなる必要があるかは別として、分かりやすい例であれば堀北が言ったような存在だろう。

 ただ俺自身でも具体的なイメージがまだできていないのが現状だった。

 だが、それをマイナスではなくプラスで捉えていることが出来ているのは、信じているからだった。自分が何者にでもなれるということを。国のトップは無理だと考えている自分がいないことこそが、未来に無限の可能性があることの裏付けになっていた。

「堀北」

 髪が靡くような風が吹いた。今度は、春に似つかわしい暖かい風だ。

 

「とりあえず、俺は、この学校の生徒会長になるよ」

 

 入学以前から決めていた目標を、初めて口に出した。俺はこの時、どんな目をしていたんだろう。視線の先にいた堀北が、息を呑んでいた気がした。

 

 この学校でそれを達成するために多くの苦難や困難を乗り越えなければならないことを、この時の俺は理解したくてもすることができなかった。だからこんな簡単に、口にすることが出来たんだろう。

 だが、それでも後悔はしていない。俺は、俺の信念を曲げないため、そう目標を掲げたのだから。

 これは、そんな物語なのだから━━━

 

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