≪中央暦1639年7月29日≫
<パーパルディア皇国連邦首都エシストラント>
皇帝の居城であるパラディス城の元に広がる官庁街の一角に、国家戦略局の庁舎はある。そして都市計画局特別顧問のレミール殿下によって、特別模範建造物に指定される程洗練された庁舎のあるフロアに、新たな部署が設置された。
「諸君らが召集されたのは、ある新興国の調査を行う部署が必要とされたからだ。ある新興国とは、ずばり日本国である」
会議室に集まった者達にそう言ったのは、新たな部署の課長に指名されたパルソだった。
「日本国に警戒を強化されない為に、大東洋海砂課を名乗る事になる。この事からも分かる様に、非常に機密性の高い職務だ。皆、情報の取り扱いには注意して欲しい」
パルソは会議室に集まっている、様々な機関から出向して来た者達を見回して、続けた。
「これまでは海軍、陸軍、外務局、国家戦略局などが独自に日本の調査を実施していたが、この度、国家戦略局の元に一致団結して調査にあたる事となった。不満のある者もいるだろうが、まず、見てもらいたいものがある」
新設された大東洋海砂課の者達は、パルソの指示で会議室を出た。パルソは新しい部下達を先導し、ある部屋の前まで連れて来た。
パルソが部屋の扉を開けると、先程の会議室と同じくらいの広さの部屋に、抱える程の箱が数百個置いてあった。
「これらの中身は、日本国で販売されている書籍である。先日、日本国に潜入した国家戦略局のスパイが、入手したものである。総計5863冊に及び、続々と新しい書籍が送られて来ている」
これには外部から出向して来た者達も驚愕した。
「これこそが日本国の調査が国家戦略局の元に一本化される事となった最大の理由だ。我々は、この書籍を解読し、日本国の保有する知財の入手を目指していく事になる」
さらに、パルソは畳み掛けた。
「この中には日本語とアラビア語の辞書や、スパイが作成した日本語の文法などに関する報告書も含まれている。解読に関して、諸君らの奮戦に期待する」
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≪中央暦1639年5月17日≫
<山口県某所>
時は遡って2ヶ月半程前。
パーパルディア皇国連邦国家戦略局に所属するレクマイアは、第一弾の書籍の発送が完了した事に安堵していた
レクマイアは幼い頃から竜騎士に憧れていた。退役軍人による曲芸飛行を見たのが最初だっただろうか。
しかし、その時には既に空の支配者は飛行機に代わっており、竜騎士と言う仕事は無くなっていた。
どうしてもワイバーン乗りになりたかったレクマイアは、国家戦略局では、潜入の為にワイバーンからの空挺降下をする事があると聞きつけ、直ぐに採用試験に願書を出した。そして試験にて言語習得能力などの項目で優秀さを示したレクマイアは、晴れて国家戦略局に採用される。
しかし、肝心のワイバーンを使った作戦に参加した事は未だ無く、異国の地に潜入させられる日々を過ごしていた。
「レフ〜、発送は終わったの?」
そんな彼に話しかける20代後半くらいの日本人女性が1人。名を尾崎瑞穂と言う。
「ああ。瑞穂の方は、書籍の発注は終わったのかい?」
「ええ、貴方のリスト通りに注文したわ」
「うむ、ありがとう」
尾崎は、レフことレクマイアに抱き付いた。彼女は潜入したレクマイアが獲得した現地協力者である。国家戦略局で学んだ、色恋を含む凡ゆる方法を用いて、彼女を従順な手下にしたのだ。その後、彼女の協力により、択捉島に訪れていた観光客である、レフ・アンドレーエフの身分を乗っ取る事に成功していた。
現在、潜入時に持ち込んだ貴金属を資金に換え、尾崎に本屋を立ち上げさせる事で、大量の書籍を入手する手段も確保した。スパイとして上々の成果と言えるだろう。レクマイアは帰国後、この成果を以てワイバーンを扱う部署への異動を頼み込むつもりであった。
「今日はこれからどうするの? 暇なら本の整理手伝って欲しいんだけど」
「今日は岩国に行くつもりだよ」
「結構な遠出ね。分かった、夕食までには帰って来てね」
「時間には気を付けよう」
尾崎への対応を済ますと、レクマイアは撮影機材を持って岩国飛行場へと向かった。
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≪中央暦1639年8月12日≫
<エストシラント・国家戦略局ビル>
世間が第二艦隊の勝利に沸き立っていたこの日、国家戦略局の大東洋海砂課では報告会議が行われていた。日本国にて入手した書籍の解読作業の初期報告の為である。
「まず、前提として共有しておきたい認識がある。日本国の技術力についてだ。我々工学班は、日本国の技術は我が国の物に優越していると認識している。」
「海軍班としても同意である。技術のみならず、実際の軍事力においても劣勢を強いられる可能性があると認識している」
「陸軍班も概ね同じ見解だ。エンジンや機関銃に関する職人的なノウハウにおいては、我が国が優っている部分もある。が、特に演算機など分野では恐るべき技術格差があると言う認識だ」
「工学班はその意見に全く同意する」
「海軍班も工学班に同じく同意である」
工学班、海軍班、陸軍班が日本国の技術力について見解を示した。
「法務班としては、日本国の憲法、法律は国民主権や基本的人権などの要素から、急進的で危険な物だと警告する。技術力について詳しい見解を述べる事は出来ない」
「外務班としては、日本国の外交姿勢は穏健な物であると判断している。技術力については、駐日大使館からの情報を共有する許可を得た」
法務班や外務班も見解を簡潔に述べた。最後に国家戦略班が発言した。
「日本国を資源目的に獲得する意味は無いと、現状考えている。しかし、海上輸送や安全保障の観点から、日本国の脅威は非常に高く、大東洋海砂課の責務も重いと認識している。解読作業の加速が必要だ」
解読作業の加速。この言葉に、職員達は皆同意を示した。課長のパルソが呼びかけた。
「現在、各班からは翻訳作業に時間を取られ、新しい概念の解読作業を圧迫していると報告を受けている。これを解決する案はあるか?」
職員達は言語学者の招聘や翻訳班の設置などの案を出していった。その時、海軍班がある提案をした。
「日本人をここに連れて来れば良いのではないか?」
「確かに、良い案かも知れない」
パルソは言語が翻訳される現象について改めて説明し、海軍班の案を肯定的に評価する。
「拘束した一般人を、書籍と共に輸送する事は容易だ。複数人連れて来れば、騙される事も無いだろう」
会議全体が誘拐計画の実行を支持する流れになった時、外務班が反論した。
「待って欲しい。日本国は隣国との間に誘拐問題、いや、拉致問題とでも訳すべきか。そう、拉致問題を抱えていた。日本国とその国の関係は最悪だったらしい。我々が誘拐を行えば、同じ様に見られて必要以上に敵対する事になるのでは無いか? 加えて日本国の警察はかなり優秀だ。我が国の策謀であると露見し難い手段を取るべきだ」
この発言に法務班が頷いた。法務班が主体となって日本警察の能力を調べていたからだろう。大東洋海砂課の発足前に上陸作戦を念頭に日本国の治安維持能力を調査していた陸海軍も同意した。
これを受けて議論が続けられた結果、2つの計画の実施が決定された。
海賊に誘拐をさせる計画と、本人の意思で出国させる計画である。前者は素早く、確実に日本人を確保する事が目的であり、後者は高度な人材の勧誘が目的とされた。
「では、計画の第一段階として、スパイの増員を行う。この中に潜入調査の訓練を受けている者はいるか」
パルソが聞くと、全体の7割程が手を挙げた。パルソは若干引きつつも、スパイの人選作業に取り掛かった。
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≪中央歴1639年9月1日≫
<瀬戸内海西部、某海域>
レクマイアはクルーザーの船尾から沈んでいく一斗缶を眺めていた。そして、上階でバーベキューをしている瑞穂達に聞こえないように小さく呟いた。
「死体処理はこれで完了、と」
先程沈めた一斗缶には、3人分の遺灰とおもりが入っていた。単に捨ててしまっても良かったのだが、船についた灰から足がつくのを恐れ、念には念を入れたのだ。レクマイアは自分の理解の及ばない科学捜査という物を危険視し、慎重に慎重を重ねて行動していた。
「これで3人分の身分を確保出来たな。うーん、まあバレないだろう。入れ替わってもバレなさそうな帰化2世、若しくは3世を探すのは大変だった。スパイ候補と顔の似ている奴という縛りもあった事だしな」
レクマイアによって殺害された犠牲者達は、公的には死んだ事にはなっておらず、既に上陸に成功したスパイ達によってその身分を利用される事になっている。
そして、日本警察はレクマイアの犯行に全く気付いて居なかった。しかし、それも仕方の無い事だろう。訓練された工作員によって行われた、魔法を使った犯罪なのだから。
一斗缶が消えた海を少し眺め、レクマイアは考える。まもなく難民認定の基準が変わり、かなり簡単になる筈だ。理由は簡単で、今日本にいる外国人は皆、物理的に帰国する手段が失われているからだ。ならばこの機を逃さず、上手くスパイの身分を使っておきたい。
レクマイアは審査の穴を探しながら、上階のデッキへと向かった。階段を登る前に、上着の裾を伸ばして腰のホルスターを隠す。そして、階段を自然体で登り、バーベキューを楽しんでいる同乗者の1人、このクルーザーの持ち主である中年の男に話しかけた。
その男と共に階段を降り、船内に入ると、レクマイアははっきり、されど遠くに聞こえないくらいの声で、こう言った。
「私の正体にはある程度勘づいているのでしょう?」
男は動揺し、軽く頷きながら言った。
「新世界の工作員、ですかねぇ? 恐らくは。どこの国かは、分かりませんが」
レクマイアは満足そうに頷いた。この男との交流は、かなりアンダーグラウンドな界隈で得た物だ。実際、この男と知り合った時、レクマイアは新世界と取引している密輸業者を名乗っていた。
レクマイアは金銭欲が強く、船舶を複数保有し、愛国心などは無く、後ろ暗い事を幾らかやっているこの男に目を付け、利用してやろうと交流を深めていたのだ。その上かなり知能が高いと来れば、協力者として使いやすい。
「期待通りです、そこまで分かっているなら。単刀直入に、あなたには荷物の受け渡しに協力して貰いたい」
「はあ。もし、拒否したら?」
男の言葉にレクマイアは笑い、おもむろに腰のホルスターへ手を伸ばした。男は反射的に手を伸ばし、レクマイアの右腕を掴もうとした。レクマイアは左手で素早く男の腕を掴み、右手では男の口を押さえた。そして、レクマイアはブツブツと何かを唱える。
「ングッ」
すると、男はくぐもったうめき声を上げながら、苦しみ崩れ落ちた。レクマイアが手を離すと、掴まれていた男の腕は服が焦げており、押さえられていた口は軽く火傷を負っていた。炎の魔法による攻撃である。
「もし拒否したら、と言う質問への答えですが、個人的な暴力では私に勝てない事をお忘れなく。また、徒党を組んだところで、私の背後には国家がありますから、集団としての暴力でもやはりこちらが優っています」
男は必死に頷いている。何か言おうとしたが、口の火傷のせいで上手く喋れていない。
「ああ、その口では食べれませんね。折角のバーベキューなのに。治癒しましょう」
そう言って治癒魔法で火傷を治した。
男が上着を来て焦げた袖を隠して居る間に、レクマイアは心の中で交渉の成功に喜んだ。これで精密機械類の輸送が可能になる。日本国の優位性はじきに失われるだろう。
パーパルディアのスパイ活動は、その初期段階において大成功と言ってもいい順調さで進んでいた。