カイオーガを探して   作:ハマグリ9

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抜け殻と食事

 部屋の隅っこで布団を被りながら何をするでもなく、ただただぼうとテレビを眺め続けている。結果的に居座ってしまっている旅館の部屋は防音性が高く、内からの音を外へ出さないのは勿論のこと、外からの音も一切聞こえてこない。障子で窓を閉め切ると、ここが完全に外界から隔離されてしまったような印象を受けた。

 

 (もや)の中に居るかのように目と思考が朧げになる。睡眠不足が原因だ。脳が休息を求めて悲鳴を上げている。 視線をすぐ隣へ向けると、ワカシャモが普段の忙しなさの欠片もないほど静かに、目を瞑って静かに座禅を組んでいた。ウインディやナックラーもアレ以来大人しいまま。特にナックラーは気落ちが酷い。わたしと同じぐらい気落ちしている。

 

 ……塔に登る数日前のナックラーとフライゴンのやり取りからして、やっぱりと言うべきだろうか――――塔を崩したのはあのフライゴンなのかも。あの日、あの場で、幻影の塔を崩せる程の力を持ったポケモンは、レジロックかフライゴンぐらい。大穴で幻影の塔自体に自壊するような仕掛けがあった可能性もあるけれど……私には、あの塔が自壊に適した造形では無いように思えた。更に付け加えるなら、定期的に現れては消える幻影の塔の真実は、きっとそういう事なのだろう。

 

 わたし達に気を使ってなのか、二匹とも普段とは打って変わって部屋の中で静かにしてくれている。部屋を出るのも、お風呂か食事を持ってきてくれた時ぐらい。

 

 唯一の例外は、今この部屋の中に居ないゴンベだろうか。普段はこの子達の中で一番大人しいゴンベも、今回は何か思うところがあったのかも。旅館の中を一匹でうろついているようだ。どこにいるのかはわからないけれど、食事時以外は必ず外に出ている。

 

「コーン……」

 

 そして、そのゴンベと入れ替わるように、いつの間にか旅館で多数飼われているロコンの内の一匹がなぜか部屋に入り浸るようになった。体温の高いウインディの上で、気持ち良さそうに丸まって寝息を立てている事が多い。この件に関して旅館の従業員は何も言ってきていない。なら、このロコンはゴンベに何か頼まれたのかも? よくわからない。

 

 ただ、このロコンについて一番理由が分からないことは――――偶に値踏みでもするかのような目線を、向けてくることだ。今この瞬間も、ウインディの上から薄目を開けてじっと眺めてきている。

 

 ぼうとテレビを眺めている時や、ウインディの上で寝ている時はぽややんとしているのに、時たま急に纏う空気が変わる。そういう時は決まってロコンがじっと、どこか冷たい目で、怪しく目を光らせながらこっちを眺めていた。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。雰囲気がガラリと変化するのは、わたしの被害妄想でも気のせいでもない……と思う。

 

 でも、だとすると……どうしてこんな、わたしなんかを観察しているのだろう? 思考の纏まらない頭ではやっぱり分からない。

 

 ……どうでもいいか。深く考え過ぎるのは億劫だった。でも、思考を途切れさせる訳にもいかない。 こうしてみると、キョウヘイ先生のテキトーに行動するというのは、心を護る為の一種の防衛行動だったのかもしれない。

 

「――アクア団による海上封鎖を解除させることに成功できました。これにより、アクア団は海上から撤退した模様です。封鎖解除に協力した方にはポケモン協会より感謝状が送られました。今回の事件について、ポケモン犯罪に詳しい専門家の……」

 

 気分転換と眠気覚ましになるかと思って、テレビを音量を少し上げてずっと垂れ流し続けているけれども、当たり前と言うべきか内容が頭に全然入ってこない。それでも、眠るのが怖いからテレビを消す訳にはいかなかった。

 

 生死を賭けて戦った殺意を持った理外の怪物(ショゴス)。凄まじい力でぐちゃぐちゃに握りつぶされて、赤黒い雨になった人間だったモノ。あの場では極度の興奮と頭に血が上っていたこともあって、その意味をしっかりと理解できていなかった。

 

 でも……冷静になってしまってからは違う。本当に怖いものというのは、ソレが起こった後にも心に残り続けるのだと知った。 あの日以来ずっとまともに寝れていない。少しでも眠ってしまうと、夢の中で人間が潰されて殺される瞬間の光景と異音を何度もフラッシュバックしてしまうから。

 

 まず最初に捕まえていた女マグマ団員が、見せつけるように殺される。次に、わたしが恐怖で動けない間に殺されるのはワカシャモ達。そして最後に、お前が無謀な挑戦を行った上に失敗したせいだと咎めるように、嬲るように、じわじわと絞り殺される。

 

 果実を絞るように殺される間際での、嘲笑う幻聴が耳から離れない。悪夢を見る度に体の震えが止まらなくなって、吐き気と共に不思議と涙が零れ出てくる。すぐに眠る事自体を恐れるようになってしまった。その辺りでなぜキョウヘイ先生があの怪物を恐れていたのか、心の底から理解できた。できてしまった。本当は理解なんてしたくなかったのに。

 

 そして何よりも、わたしの心を(さいな)ませているのは、わたし自身の心なのだと思う。わたしが砂漠の遺跡に興味を示さなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない。ダイゴさんからの依頼も、受けるように後押ししてしまったのはわたしだ……キョウヘイ先生が行方不明になってしまった原因は、わたしだ。

 

 今の思考は大分ネガティブ寄りになっているとは思うし、悪循環に囚われてしまっているような気もする。お風呂に入って気分転換ができるほどの体力もない。そんな状態も相まって、食欲も湧かず、無理やり食事を行うような気力も枯れ果てた。結局水を少し口に含むだけで、料理にはほとんど手を付けれていない。それどころか、感情のままヒステリックに喚くことすらできていない。吐き出し方を忘れてしまっている。無い無い尽くしの状態だ。ここまで酷いのは初めての経験かも。

 

 ――――こんなもの、一度でも心を折った事があるような、弱いわたしが知るべきではなかった……心が、息苦しい。ひたすらに、辛い。

 

 わたしというモノが音を立てて崩れていっているのを、部外者のように冷めた視線でぼうと眺めている。普通なら、精神安定剤のようなものを使わなければならない状態なのかもしれない。幹が朽ちかけている木のように、ただその場で生きているだけだ。きっと今のわたしの思考も、傍から見たら異常に見えるのだろう。

 

 自分の才能が無いという現実に叩きのめされた時は、折れながらも外面だけはどうにか取り繕えられていたように思う。でも、今はそれも無理。今回の一件で心が折れてしまった。それに伴う頭痛と怠さと、何よりも閉塞感が酷い。

 

 ――――先が見えない。真っ暗闇だ。

 

 今この旅館に居るのも、キョウヘイ先生が失踪した後、ダイゴさんに連れられて来ただけで、ただの惰性でしかない。その時に何か言っていたけれども、朧げに霞んだ頭ではそこまで話の内容を覚えていなかった。保護がどうと言っていた気がする。一緒に2枚の手紙も渡されたけれども、結局開封せずにテーブルの上に置いたまま。それどころか、誰からの、何の手紙かも確認していない。 それすらも億劫だ。

 

「続いてホウエン地方の天気予報です。注目すべきはキンセツシティ以北で一週間前から続いている、観測史上最大の集中豪雨ですね。天気研究所からの発表によりますと、今回の豪雨により深刻だった水不足が解消されたものの、ハジツゲタウンや砂漠では一部水没した場所が観測されており……」

 

 一週間……キョウヘイ先生が行方不明になって、もう一週間経つ。幻影の塔は名前の通り、わたしの目の前からキョウヘイ先生達と共に、幻のようにその姿を消してしまった。今ではキョウヘイ先生も、あの行方不明者のリスト入りだ。

 

 行方不明となった次の日から、急に強い雨が降り始めてきた。この雨のせいで、ささやかながら砂漠に残っていた幻影の塔跡や、キョウヘイ先生達の居た証(秘密基地や足跡)も水没し、洗い流されてしまったらしい。ダイゴさんからは、キョウヘイ先生はもとより、マグマ団の足取りを追うことさえ不可能だと言われてしまった。

 

 延々と思考の迷路を彷徨っていると、不意にスパンッと小気味の良い音を鳴らしながら勢いよく部屋の扉が開かれた。音に引かれて胡乱げな視線を扉へ向けると――――ゴンベが仁王立ちしていた。

 

 逆光で表情がよく見えない。そのまま、あっと思った時には、ゴンベがゆっくりと踏みしめるように歩み寄って来ていた。一歩一歩が遅いながらも背筋を伸ばしてキビキビと歩く様は、少し前までのゴンベが持っていた迷いを感じさせない。きっと、迷いの元である何かを切り捨てたのだろう――――もしかすると、とうとう愛想を尽かされたかも。

 

 ポケモンだって生き物だ。私の為の便利な道具なんかじゃあない。そこには明確な意思があって、何かしらの目的を持って行動している。気に入らないことがあれば意見だってするし、認められない事があればトレーナーから離れていく。頭の中でコレこそが正解のように思えた。そして一度そう思ってしまうと、もう他に考えられなくなる。

 

 そんな嫌な現実から目を逸らしたくて、今まで何度も行ってきたように布団の中に隠れて、目を瞑って両手で耳を塞ぐ。でも、そんな抵抗も虚しく、ナニカによって掛布団が勢いよく引き剥がされた。

 

 たぶん、ゴンべだ。

 

 ワカシャモ達はゴンベの妨害をしないらしい。これはきっと、この子達の総意なのだろう。これから何をされるのだろうという恐怖と共に、これも自業自得だと納得してしまう私が居た。

 

 ……せめて痛くなければいいのだけれど。でも、そんなことを考える資格もないか。

 

 顔に近づいてくるゴンベの気配を肌で感じる。薄目を開けて恐る恐る確認すると、顔のすぐ近くで、普段の緩んだ顔つきとは180度変わった凛とした表情をしていた。そのまま引き込まれるように、目と目が合う。憎悪や怒りで濁ってはいない。引き締まってはいるものの、その奥底にはどこか、優しさのようなものを感じた。

 

 いつかどこかで、似たような目をしていた人がいた気がする……誰だっけ?

 

「……あっ」

 

 ふと、口から言葉が漏れる。昔、研究所を作る事が決まって、家族全員で引っ越すことになった際にお父さんが似たような表情をしていた時があったかも。

 

 ――――あれは、何かしらの覚悟を決めたモノの表情だ。後に引けないような選択をしたモノの表情だ。

 

「ゴォ……」

 

 私の頭を丸かじりにできそうな程口を大きく開くと、気合の入った表情とは真逆に、どこか間延びしていて気が抜けそうな柔らかい声が眼前から聞こえた。

 

 何をしたいのか分からず混乱しているわたしを尻目に、ゴンベはすっと一歩後ろへ下がる。すると、すぐに強烈な眠気に襲われた。ゴンベがナニカしたんだ。

 

 ただでさえ睡眠不足の状態なのに、そこに改めて強烈な眠気を与えられたら、わたしが抗えるはずもない。重い瞼が下がり、霞んでいた意識が更に遠のいていく。 崩れていく体勢を、ゴンベが支えて布団へ戻してくれる。

 

 でも、意識を失う直前に心を支配したのは――――――安らぎなどではなく、またあの悪夢を見てしまうという恐怖だけだった。

 

   ◇  ◇  ◇

 

 気が付けば、いつの間にか穏やかで心地の良い温もりと、目の細かいビーズクッションを彷彿とさせるようなゆったりとした浮遊感に包まれていた。

 

 そこには自らを害するものなど何もなく、それどころか不快感すら覚えない。静穏とはこういう事を指すのかも。心地の良い時間に身も心も委ねて、内側から湧き上がってくる黒いナニカを全て放棄する。

 

 都合のいい事に、どんどん湧き上がってくるモヤモヤしたモノは()()が手際よく整頓して、大きな大きな箱に片づけてくれていた。中身を入れられた箱はそのまま外へ運ばれてゆく。以前お母さんに部屋の片づけについて注意されたことを何となく思い出す。

 

 時折()()()()()()()が増えて、悪戦苦闘しながら片づけていることもあった。目に見えて手馴れていないせいか、まるでお手伝いしている子供のようにも見える。ソレを眺めていると、手伝いもしない事に少し罪悪感が芽生えた。片づけてくれている誰かに自分でやると伝えてみる。

 

 しかし、今は休めと言わんばかりに、いつの間にか敷いてあった布団にもう一度押し込められてしまった。全身がまた穏やかで心地の良い温もりと、ゆったりとした浮遊感に包まれる。こんな心地の良い布団なんて持っていただろうか……? 持ち運びのできる似たようなソファなら買った気がするけども…………あれはいったいどこにやったっけ?

 

 そういえば、キョウヘイ先生に貸した人をダメにするソファをまだ返してもらっていない。今度取り立てないと。そんなことを思いながら、再度意識は深く深く沈んでゆく。

 

 何度目かわからない微睡みの中、ふと美味しそうな匂いを鼻が感じて、身体が空腹を思い出す。ご飯。そう、ご飯だ! 身体が栄養を求める。ビタミンやミネラル、何よりもカロリーを欲している。肉体的な欲望に引っ張られて、意識がハッキリし始めた。

 

 目を開けて身体を起こす。多少目がぼやけているものの寝起きの怠さは全く感じず、頭が澄み渡るようにすっきりしていた。

 

 ――――――同時に、ふと気が付くと、今まで確かに心の中心にあったはずの陰鬱とした感情や、身体を締め付けるおぞましい恐怖、不意に襲い掛かる底なし沼のような狂気はかなり薄らいでいた。あの先の見えない閉塞感もない。久方ぶりに、()()として生きている。

 

 そんな実感を覚えたからか、お腹の虫がぐぅと大きく主張をし始めた。

 

 匂いに釣られて目をやると、低いテーブルの上には起き抜けの人間に食べさせる量を遥かに超えた、様々な食事が用意されていた。全てが出来立てであることを立ち昇る湯気と香りが証明している。それをワカシャモ達がせわしなく食べ続けていた。その中には、最近元気がなかったナックラーも居り、目の前の食事を平らげていた。

 

 全員が全員、本当に凄まじい勢いで一心不乱に食べている。それこそ、やけ食いや食い溜めに近い印象を受ける程に。 勢いはともかく、他者の美味しそうな食事風景は見ているだけでお腹がくぅくぅ鳴る。口の中に唾が溢れ出てきた。ここ最近、まともに食べていなかったせいか、1分1秒でも早く食事を行えと胃から命令が下る程に空腹感が酷い。

 

 引き寄せられるように料理に手を伸ばすが、布団から起き上がる寸でのところで横から腕を毛むくじゃらな手に握られて止められた。なぜ止めるとばかりに、握ってきた腕をたどって横を見ると、そこには――――――――枝のように痩せ細ったゴンベがそこにいた。

 

「ひゃッ!?」

 

 それこそ警戒したホーホーが、枝に擬態しようとして身体を細くした時のようになってしまっている。眠る前にはあんなにも凛とした表情をしていたのに、げっそりと頬肉が落ちて目の下の隈が酷い。毛並みがゴワゴワなのも相まって、山から降りてきたヒトガタの怪物モドキになってしまっている。

 

 一瞬だけだが食欲が驚愕に負けた。卓の向こうとの対比が酷すぎる。これは最早ホラーだ。わたしを眠らせた後に、いったい何があったというのだろうか。どうにも食欲がないらしく、羨ましそうに他の子達が食べている姿を眺めている。何か()()()()()()()()()のかも?

 

「ゴン」

 

「お、おはよう……ございます……?」

 

 細々としたゴンベは挨拶に満足したのか、二回頷いた後、横から黒い土鍋の乗ったお膳を取り出して目の前に用意してくれた。どうやらこっちがわたしの朝食? らしい。お膳を受け取り、土鍋を開けるとお粥が入っていた。

 

 そういえば、以前レンジャーさんから教わった事の中に、栄養失調になった時は急激な再栄養補給を行ってはいけないみたいなのがあった。アレはもっと酷い場合の事だけれども、今回のもなるべく消化にいいものを食べてほしいという旅館側の配慮なのだろう。

 

「ありがとうゴンベ」

 

 お粥の中央には梅ペーストが乗っかっており、周りにはパラリと小口ネギが散らばっている。一見ボリュームが少ないようにも見えるけれども、レンゲで掬うと少量なのに重たく感じた。そのまま一口食べると出汁と塩味が奏でる優しい味がする。おいしい……とても、おいしい。身体に活力が戻ってくる気がした。ペーストと一緒に頬張ると、爽やかな梅の風味が口いっぱいに広がる。涎が溢れちゃいそう。さっぱりとした味わいが食欲を更に刺激してくる。これはいいものだ。

 

 よく噛んで食べることを心掛けなければ掻き込んでしまいそうになる。理性対欲望で戦っている間に、ゴンベも横でお粥らしきものを食べ始めた。ただ、それで足りるの? と疑問に思ってしまう程度には量が少ない。本当にどうしてしまったのだろう。疑問に思いながら食事を続けていると、部屋の戸がノックされた。

 

 料理の事もそうなのだけれど、何か……やけにタイミングがいいように感じる。まるで、いつわたしが起きるかを知っていたかのような……いや、でも料理はわたしが起きていなかったら他の子達が食べればいいだけか。

 

 部屋へのノックも、定時で確認しているだけかもだし。うん、旅館で引きこもってる人が居たら普通は定期的に人を向かわせる。わたしなりに納得のいく答えが出た。でも、本当にそれだけなのだろうか? 何か忘れているような気がする……?

 

 そう思いながらも布団から這い上がろうとしたところで、不意に自分の汗臭さを認識する。そういえば、食事と同じようにお風呂にもあれ以来全然入っていない。顔だってスッピンのままだ。まぁ、スッピンはともかくとして、ここまで汗臭いまま人前に出るのは、女以前に人としてまずい……とても、まずい。

 

 しかし、かと言ってこのまま居留守を決め込むのもどうかと思うし……そんなことを考えている間に、素早くワカシャモが席を立ち、扉を開けて相手の対応をしてくれるようだ。ただ、食事を中断して立ち上がる際に見えたワカシャモの表情は、不思議と目が鋭くなっていた気がした。

 

 申し訳なく思いながら身体を傾けて扉の向こうに目をやると、そこには中居さんではなく、一匹のロコンが小さなリュックを背負って佇んでいる。あの手でどうやってノックしたのだろうか? 周囲に音を鳴らせそうな硬い物も見当たらない。

 

 そのまま眺めていると、小さなリュックはひとりでに口を開いて、中から出てきた紙はワカシャモの手元に。手紙だろうか? 渡すべきものは渡したとばかりにロコンは振り返りもせず、そのまま帰って行ってしまった。

 

 不思議に思っていると、ワカシャモは受け取った手紙をそのままわたしに差し出してくる。わたし宛て? このタイミングで?

 

「あ、ありが……とう?」

 

 確認してみると、宛先には確かにわたしのフルネームが、毛筆と墨を用いた達筆な字で封筒に書かれている。しかし、表はもちろん、裏を見ても差出人は書かれていない。唯一の特徴は、封蝋の刻印がロコンよりも大きい肉球印であるぐらいだ。筆跡からも予想できそうにないかも。そもそも、知人に毛筆を使ってこんな達筆な字を書ける人なんて居ただろうか?

 

 中を確認してみると、丁寧な文章の頭語から始まり、こちらの体調を気遣う言葉の後に本題が書かれており、結語で〆られている。本題を要約すると、案内はロコンが行うので明日の12時に、日照りの間へ来て欲しいとのことらしいけれども…………この内容や刻印から薄々感じていたけれども、この手紙の相手は旅館の関係者なの?

 

 ちらりと時計を確認すると、もう21時を少し過ぎた辺りだった。いつの間にか昼夜逆転生活を送ってしまっていたみたい。お粥の残りを食べ終えると、そそくさとゴンベが食器を片づけて纏めてしまった。きっと、後で中居さんが取りに来るのだろう。

 

「シャモシャモ」

 

 片づけのついでとばかりに、ワカシャモが近くに纏めて置かれていた紙束を渡してくる。元々テーブルに置いていた物かな?

 

 今のうちに読んでしまおうかとも思ったけれど、もう瞼が重たい。先ほどまですっきりとした気分でいたはずなのに、夕飯を食べ終わった辺りから異様に眠たくなってき始めているのだ。栄養を得た身体が、改めて休息を求めているのがわかる。今日は備え付けのお風呂に軽く入った後は、もう一度眠ってしまった方がよさそうかも。残りの手紙は明日の朝にでも読もう。

 

 そのままお風呂に入り、洗い終わって出てきた頃には、いつの間にか纏められていた食器が全て下げられている。その代わりに、又も入れ替わるようにロコンが一匹部屋の中央で6本の尻尾を揺らしながら座っていた。ゴンベ達もロコンが居ることに対して、一切気にしていないように見える。

 

 寝間着に着替えて、髪を乾かし終えてもまだ移動する気配がない。この子は何を待っているのだろうかと目を向けるが、どこ吹く風とばかりにゆったりと、リラックスした様子で尻尾を揺らし続けている。

 

 ゆらゆらと左右に靡く(なびく)尻尾の動きをぼうと眺めていると、ぶり返してきた眠気の猛攻により、だんだんと意識が遠のき始めてくる。睡魔に抗わずに、もぞもぞと大人しく布団の中に潜り込む。微睡ながらもう一度ロコンの方へ目を向けると、ロコンは目を怪しく光らせながら、じっとわたしを見つめ返していた。

 

 




運ばれた箱はスタッフが美味しく頂きました。

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