宿を一度出る前に、今までの感謝を女将さんに伝えるべきだろうと思っていたので実行する。しかし、挨拶の後にサラッと流されてしまった。精神的にそうして貰えたのはありがたかったけど。
薄い化粧を施した後、そのまま朝一で銀行へ行き、新たにわたしの精神を荒立たせる原因となったブツを回収して、再び部屋に戻る。ずっと横になっていたせいか、少しの運動で身体が怠さを訴えてくるけれども、まだソレに屈するわけにはいかない。
部屋の中では、テーブルから1歩どころか10歩は離れて戦々恐々としながら、ワカシャモ達が全員で隅に固まっていた。この子達はあれから一切手紙に触れなかったらしい。テーブルの上には握り潰した手紙と、未開封の手紙が朝の状態のまま放置されている。
手紙を読み始めた辺りからこの子達の挙動がぎこちないままだ。あなた達にはこの矛先を向けないから、そんなに心配しなくてもいいのに。
握り潰した手紙をテーブルの上から再度拾い上げる。宛先にはわたしの名が書かれていた。この字は間違いなく、キョウヘイ先生が書いたものだ。くしゃくしゃになった紙を広げて、拝啓だのの前書きは読み飛ばし、握りつぶした手紙の2枚目の重要部分だけにもう一度目をやる。
『ありきたりな書き方ではありますが、ハルカ様がこれを読んでいらっしゃるという事は、私の身に何か起きたという事でしょう。死んだのか、行方不明なのかのどちらかだと思います。予言と予感が揃っていたので、まず間違いなくロクな結果にはなっていないでしょう。
なので、事前に口座の残りをオダマキ研究所に送金できるように、銀行の貸金庫に遺書と退職届を用意してあります。保険金は
貸金庫の他の内容物は、砂漠に出発する直前までに得られた検証データのコピーや調査ファイル、まだ渡していなかったハルカ様宛の問題集などです。貸金庫の内容物を銀行から回収した後はダイゴ様の指示に従って、オダマキ研究所へ一時的に避難を…………』
そのままつらつらと続きが書き込まれているが、文面の内容からして、ダイゴさんにも似たような内容の手紙が届けられている可能性が高い。
切り上げて目の前の寄木細工の箱を見据える。遺書や退職届などの重要書類の他に貸金庫の中にあったのは、この4㎝×4㎝×4㎝の寄木細工の箱だけだった。寄木細工の素材となった木材に見覚えがある。御神木様の天辺から稀に採取できる、色の濃い大きな木製の棘だ。ご丁寧にもキーホルダーに出来るように、頑丈なシルバーチェーンが隅に付いている。強度的に余程の事でもない限り千切れる事はないだろう。
大きさがルービックキューブより2、3回り小さい程度である以上、中に入っているものは紙媒体ではなさそうだ。恐らくメモリー内にデータ化した問題集が入っているのだろう。振るとカラカラ音が鳴った。軽く触ってみるが、開きそうな部分に封がされているように感じる。そのままでは開けられないようだ。所謂、秘密箱というやつだろう。
それにしても――――――――あの野郎、流石に自分勝手過ぎやしないだろうか?
あの時、わたしを先に帰した理由はコレか。普段は優しく、おしとやかな美少女だと評判のわたしも、こればかりは怒り狂うのを一周通り越して、頭から過冷却水をぶっかけられたぐらいヒエッヒエになるレベルだ。自己中心的にも程がある。
何よりも、想定している自分の被害を他人事のように書いているところが気に入らない。
その狂気自体は、キョウヘイ先生がシダケタウン行きの電車の中で謎の大火傷を負った時から知ってはいた。だけど、理解しているという事と、それを認められるという事には天地ほどの差がある。今更全てを忘れて、以前通りに生活できるとでも? そしてその上で、居なくなった後も指示を守るような聞き分けの良い娘だと思っているのか。
いいわ。そっちがその気なら、こっちにだって考えがある。今まではある種の一線だけは超えないように配慮して過ごしてきた。最近は目につくモノが特に多くなった事もあって、多少触れる事はあったけど。ソレを超えることがいい事だとも思えなかったから。でも、その結果がコレならば、ソレはもう止める。当たり前の帰結だ。
――――――絶対に、絶対に見つけ出してぶん殴る。全力で、グーで、顔面を、殴る。
率直な感想だが、今の心の大部分はソレが支配していた。判決、有罪。わたしの中の裁判長がそう言っている。馬乗りで殴打しないだけ理性的だと思って欲しい。あの馬鹿がバカやらかした事がいけないのだ。これだけの事をされても仕方がないだろう。
首輪とリードも探さなくてはならない。とびきり耐久性能が高い物を。あと念のために生態確認用のICチップの予備もあった方がいいかも。実験に必要な物だから、仮に備えておいたとしてもそこに他意はない。そんなことを考えながら、寄木細工の箱をバックパックへ着ける。微妙な大きさだけれども、動くときにはそこまで邪魔にはならなさそうだ。
やや不本意ながら、これからやるべき目標は決まった。既に一週間以上間を空けてしまっただけに、迅速な対応が必要となる状況だろう。とりあえずマグマ団の目撃情報を集めるところからかな。
何だかんだ言っても、マグマ団が死者を出しながらでも撤退出来ている以上、キョウヘイ先生も生きている可能性はある。あんな無茶苦茶なポケモンと戦えていたのだ。負けた後、貴重な情報源として連行されたというのが有力説だろう。というか、それ以外は考慮しないことにする。考えたところで意味がない。
ちらりと時計を見る。だいたいあと30分で、ロコンの手紙に書かれていた約束の12時だ。そんなことを考えていると、扉がノックされる。扉を開けると、案内役であろうロコンがちょこんと座って6本の尻尾を左右に揺らしていた。ワカシャモ以外の皆をボールへ戻して、身支度を再度整える。一応バックパックも持っていこう。
「コンッ」
それを見届けて一鳴きした後、そのままついて来いとばかりに歩き始めた。バックパックを持って行っても問題ないらしい。
階段を降り、枯山水のある中庭の横を抜け、あからさまに従業員専用っぽい通路を通り、また階段を上って、ぐるぐると旅館内を巡る。同じような階段を、同じような部屋の前を、同じような通路を、同じような枯山水のある中庭の横を。ぐるぐる、ぐるぐる。外観からは想像できない程に別館や通路が多い。注意深く見まわしていないと見落としてしまうような階段まである。ある程度自信のあったわたしでさえ、10分も歩き回ると方向感覚が狂い始めた。脳内の地図がこんがらがってきている。
以前、ダイゴさんと旅館内で合流しようとして迷ったってキョウヘイ先生が言っていたけど、今ならわかる。きっと、誘われるようにどこかに入り込んだのだ。 あの人は偶にそういう変な行動を取る。迷い込んだのだろう。
道案内のロコンに従って後ろを付いて行くが、次第に疑問が湧いてくる。この旅館なんでこんな造りをしているのだろう……? 高級旅館としては明らかに異様だ。別目的の建物を旅館に改装したと言われた方がまだ納得できる。
更に5分ほど歩き続けて、ようやく日照りの間らしき部屋の前に到着した。まず目につくのは銀色のキュウコンと太陽が鮮やかに描かれたの板絵戸。その上にある表札は古ぼけていて『日……の間』としか読めない。恐らくここだろう。ワカシャモがぐいぐいと引き戸を開けようとするも、開かない。鍵でもかかっているの?
すると、ロコンの目が淡く光るのと同時に、戸が動き
そのまま中に入ると、宴会場としては申し分がないほど大きな、総畳張りの広間となっていた。い草の香りに満ちていて、奥には立派な大屏風が設置されている。左右の壁には窓はなく、代わりに板絵戸が16対、計32枚、これでもかと設置されていた。それぞれの戸に雄々しく茂った松の木が異なる姿で描かれている。使用頻度は少なさそうに見えるものの、掃除の手がしっかりと行き届いていることから、この旅館にとって大切な場所であろう事が伺える。
今までの流れから、戸のどれかが行き先に繋がっているのだろう。
しかしロコンはそんな予想を裏切り、慣れた足取りで広間の中央を通って大屏風へ近づいていくので、わたしも脱いだ靴を手に持って、後に倣い近づく。4つ折りの屏風にはそれぞれに、満開の桜、緑生い茂る木々、色鮮やかな紅葉、幻想的な雪景色が、太陽と共に描かれている。折りが少ない分、一枚一枚がとても大きい。それこそ、ウインディの全長ぐらいはある。
「コーン……」
大屏風の前にたどり着いたロコンが一言鳴く。すると、不思議なことに大屏風の絵が水に滲む絵の具のようにぼやけてゆき、やがてそこには最初からそうであったかのように、洞窟らしきものが絵として浮かび上がっていた。描かれた洞窟には正面に赤い鳥居、その左右に
そしてロコンは、そのままゆらゆらと
「…………え? 何? 【さいみんじゅつ】か何か? それとも夢? わたし、銀行行った後にまた眠っちゃった?」
流石にソレは予想外。なんとも現実離れした異様な光景。ワカシャモも目が点になっている。これを現実として受け止めきれない。エスパータイプのポケモンが、トレーナーを守る為に幻影を創り出して偽装のようなことをしたというのは聞いたことがある。けれどもこれはモノが違う。
あと【テレポート】でこれは無理だ。絶対に。古今東西の様々な天才が【テレポート】の限界に挑み、未だ成功していない。現段階のアレに、そこまでの自由度はないと断言できる。物流業に革命は起きていないのだ。
裏に回ってみるが、やはり大屏風の裏は間違いなくどこにも繋がっていない。横から見ても、厚手の板がそこにあるだけ。そもそも後ろの壁と密着していない。ちょっとしたテーブルが設置できる程度には離れている。
何をすればこんな事ができるのだろうか。今更になって背中に冷や汗が流れる。ストレスでテンションが振り切れていたのかもしれない。これは、付いてきたの早まったかも。せめてダイゴさんに連絡してから行くべきだった。
行くべきか戻るべきか考えていると、ロコンが大屏風から頭だけを出して行かないの? と不思議そうな表情でこっちを見つめてきた。この子にとってはきっと、コレは慣れ親しんだ当たり前の事なのだろう。そこに悪意は感じないけれども……手紙の相手までそうだとは限らない。
「――――そう怯えるな。試練はあれども、害らしい害はない」
中性的な声が聞こえた瞬間、ワカシャモが大屏風との間に割って入り、臨戦態勢を取る。驚きを噛み殺して声の元を辿る……多分、あのロコンだ。目を淡く光らせながらこちらを見つめている……あれ、デジャヴだろうか? どこかで似たような光景を見たような……?
「あなたは、誰? わたしの事を知っているようだけれども」
「知っているさ。ああ、知っているとも。君達は最大の警戒対象だったからね」
警戒対象? 含みのあるような言い方のせいもあるだろう。声自体は優し気なのだが、その内容が不穏過ぎる。手にモンスターボールを乗せて、何時でも出せるように準備。単純に相手は旅館関係者なのかと考えていたけれども、これは思っていた以上に変な事になってきてしまった。
「どういう意味……」
「詳しく話を聞きたいのならば、中へ入りなさい。その方が話がスムーズだ。何より――――――
「えっ!?」
さっさと来いとばかりに、ロコンはそのまま大屏風の中に戻ってしまった。たとえ罠だとしても、そんな餌を出されてしまったら食いつくしかないじゃない。ワカシャモを見ると、ワカシャモもこちらを引き締めた顔つきで見つめ返していた。言外に行くのかと聞かれている。
「行こう。今は少しでも情報が欲しい」
「シャモ!」
ワカシャモが先行して中を確認している間に、新たにボールからウインディを出す。
「グゥ……」
ボールの中で聞いていたのか、すぐに警戒態勢を敷いて慎重に歩き出す。靴を履いてからウインディの背に乗り、その陰に隠れるようにしながら、ゆっくりと洞窟の絵に入る。
「うわっ、なんかヌメッとする」
大屏風を通り抜ける瞬間、水気のない何とも言えないような生暖かいヌメり気が全身を包む。ただ、それ以外は特に何も感じない。周囲を見ると、大屏風に新たに現れた洞窟の絵と同じ場所だった。左右にある篝火の数も、奥に設置されている提灯の数も、絵と同じだ。カビ臭はしないし、空気がこもっている感じもないけれども……こんなに篝火を焚いて酸欠とか大丈夫なのだろうか?
後ろを振り向くとそこにも大屏風があり、先程まで居た大広間が浮かび上がっている。大屏風の更に後ろは壁しかない。帰るにはまた大屏風を通る必要がありそうだ。
足元は石畳のように均等にならされていて、自然洞窟のような凹凸がない。しっかりと踏ん張りも利く。これなら何かに躓いて足を挫くこともなさそうだ。天井までの高さは3m前後だろうか? かなり広めに掘られている。
付近で待機してくれていたロコンやワカシャモと合流し、ロコンの先導に従って赤い鳥居の前に向かう。空気が澄んでいると言うべきなのか、雰囲気が違う。旅館同様に、ここでも何かしらのルールがありそうだ。
「どうすればいいの?」
そう問うと、身体ごと右を向いたロコンは、どこから取り出したのか頭に葉っぱを乗せて、青白く光り始める。あの葉っぱは何だろう……葛の葉? 旅館のすぐ横に生えていた気がする。
ポンっと乾いた音がすると、そこには赤髪の童女が、地味ながらも清潔さが伺える小豆色の和服を着た状態で佇んでいた。特徴的な6本の尻尾も、耳もない。特徴らしい特徴はないものの、表情が硬い事を除けば、将来が楽しみな感じの童女である。表情が硬いせいでクラスで1番は難しいかもしれないが、3番以内には確実にランクインできるだろう。かわいい。
「…………うん、ツッコまない。ツッコまないぞ、わたし。これは下手にツッコんだらダメなパターンだ。キョウヘイ先生を思い出せ……ツッコんだら調子に乗るあの人を……」
最早今更である。きっと、【へんしん】でも覚えていたのだ。ここは人に化けるロコン、キュウコンの昔話が多い土地だし。メタモンが人に【へんしん】した例だってある。だからこういう事もあるのだろう。たぶん。おそらく。あるいは。そうであって欲しい。
「………………」
全力で現実逃避をしていると、その童女に袖を引かれた。宙に飛んでいた意識を戻して童女を見ると口をパクパクさせている。どうやら喋れないらしい。ただし、身振り手振りぐらいはわかる。つまり真似ろという事だろう。
ウインディから降りて道の左側を通り、とりあえず見よう見まねで赤い鳥居に一礼する。どうやら四足歩行するポケモン用のルールもあるようなのだが、周囲に目を配り続けているウインディは従う気がないらしい。ロコンもソレを咎めずに放置している。わたしにさえ受けさせれば、それでいいのだろうか。
そのまま鳥居を抜けて、奥にあった提灯を一つ拝借し、中の蝋燭に火打石で火を着ける。着火のやり方もルールがあるらしい。ただ、最初見た印象通りあまり手持ちの光源は必要ではなさそうに見える。たぶんコレもルールなのだろう。
神社の参拝に近いみたいだけれども、
更に近づくと尋常ではない程の熱気が肌を撫でて、じわりと汗が浮かぶ。下から大量に酸素とガスでも突っ込んでいるのではないかというぐらいに火力がある気が……天井に炎の頭が届いているどころか、当たったうえで更に広がっている状態だ。それなのに天井には焦げ跡一つない。灰も付着していないように見える。
本当にこんな閉鎖空間でここまで燃やしていていいの? 最初に見た篝火とは規模が違い過ぎるのだけれども。酸欠とか本当に大丈夫? ちらりと横目でロコンを見るが、すんとしたお澄まし顔のまま変化がない。
篝火の目の前で片膝をついてしゃがめというロコンの指示に従い、なかなかの熱波に若干身の危険を感じつつ左膝を地面につける。その間にロコンは篝火の中から松明を一本抜き取り、自身の頭上に松明を通していく。火の粉を浴びているようだ。次にわたしの番らしく、松明を近づけてくる。身構えた状態で燃え盛る松明が頭上を通り、火の粉が全身に降り注いだ。しかし、火の粉どころか松明からは熱を一切感じない。ワカシャモやウインディの火に似ている気がする。
進行方向を眺めてみると、ここから先は等間隔で赤い鳥居と篝火が設置されているようだ。お清めのようなものを受けた後は、そのまま提灯片手に洞窟の奥を目指す。
鳥居の前に到着する度に足を止めて一礼を行い、一時間近くかけて洞窟参道を抜ける。
抜けた先には今までよりも更に広い空間に繋がっていた。これだけの広さならば、野球のようなスポーツも可能だろう。その中央には大きな赤い鳥居と、漆喰染めのこれまた大きな社が聳え立っていた。社の四方に焚いた篝火は青白い炎で周囲を淡く、揺らぎながら暖かく照らしている。天井には淡く光る
そして何よりも目に付くのは、社を覆う大きな満開の枝垂桜だ。それぞれの花弁が光を反射しながらはらはらと舞い散ってゆく様は、淡く光る苔や薄暗い空間も相まって非常に幻想的な風景を醸し出していた。また、周囲にあの独特で上品な桜の香りを振り撒いて、存在を強調している。日光など入るはずもない洞窟内であることを忘れさせるほどに。常識など知った事ではないと当たり前のように深く根ざし、高らかに咲き誇っているのが見えた。
終点である以上、ここが目的地らしい。ならば声の主もここにいるはずだ。
ロコンに視線を向けるが、その場から一切動こうとしない。どうやらここから先には付いてきてくれないようだ。ワカシャモとウインディが警戒した状態で慎重に歩みを進めて、境内へ向かう。
大きな赤い鳥居の向こう、境内の奥、枝垂桜の幹の下。大きな、とても大きな白銀のキュウコンが、静かにこちらを見下ろしていた。
体長だけで2.5mはあるだろうか。尾も含めると全長は6m近くになりそうだ。薄く輝く色艶の良い白銀の毛並みと彫刻のような姿が合わさり、生物としての一線を超越した神々しさがそこにはあった。何気ない動作の一つ一つから目が離せない。全てを忘れて息をのむ。
――――――美しい。
今まで生きてきて、美というモノでこれ程まで心が揺さぶられた事など一度たりとも無かった。しかし、唐突にそれが起きた。今まで見た何よりも、美しい。心が震える。火を火のようだなどと言わないように。水を水のようだなどと言わないように。余計な修飾語では、逆に陳腐化させてしまいかねない程に。
振り散る桜の花弁がキュウコンの上質な毛の上を滑るように落ちてゆき、地面に当たった瞬間、刹那の間燃えて消える。正しく、ここは神域だ。万物を慈しむ、天照らし
更に1歩近づこうとした瞬間、不意にコツンと硬い何かがお尻に当たった。
「…………ッ!」
鑑賞の、いや、信仰の妨害をされたのだ。どこか恨みに近いような気持ちで、釣られるようにお尻に当たったモノを取り出す。手の中には何故か、バックパックに着けていたはずの、キョウヘイ先生から預けられた寄木細工の箱があった。バックパックからシルバーチェーンが限界まで伸びていて、寄木細工の箱6面全てに
ソレを握っていると、ふと、自分がどういった状況なのかを思い出す。わたしは何をしていたのだろう。そんなことをしている場合ではなかったはずだ! 意識が身体に戻り、奥歯を噛みしめてキュウコンを見据える。
改めて観察すると、神の創りあげた芸術品のような美しさの反面、その身からは強者特有の圧倒的なプレッシャーを感じた。何が美しいだ。今は感動などよりも、現れた脅威に対する緊張の方が強い。恐らく精神操作か何かされていたのだろう。動けなくなっているワカシャモとウインディを戻して、ゴンベとナックラーを新たにボールから出す。
「ふむ、やはり君は多少の手助けさえ受ければ、この魅了も突破できるのか。感受性共々、素晴らしい精神力だ。磨き上げれば奴らに対抗するための
頭の中に声が響く。すると、キュウコンが今まで纏っていた神秘的な雰囲気が霧散し、それに伴いプレッシャーも消失した。更に目線を合わせる為なのか、頭を下ろして前足の上に乗せ、伏せに近いゆったりとした体勢を取る。
「…………」
それでも油断しない。していい相手ではないのだから。この状態でも相手はこちらを圧倒できるのだ。目線も、合わさずに少しズラす。魅了の大本はどこだろうか。視覚か、聴覚か、嗅覚か。接触ではないと思う。ワカシャモ達の症状からでは判断できそうにないかも。危険を承知で意識を周囲に向けるしかない。
手元にある寄木細工の箱さえあれば、多少調べても何とかなりそうだと言う直感に従う。目、所謂小説で出てくるような魔眼と言うやつの可能性は一番高い。けれども、ロコンやキュウコンがエスパータイプの技を扱う際には、目が淡く光る。先程はそういったモノは見受けられなかった。音は頭に直接響く物以外は篝火の弾ける音ぐらい。匂い……辺り一面には、上品で心地の良い独特の桜の花の匂いぐらいだ。
あれ? そういえばなんで桜の花の匂いがするのだろう? あれは加工して初めて放たれる匂いだったはず。昔、桜を使ったお菓子を作ろうとした際に教えてもらった事だ。恐らく間違っていない。となると、匂いが原因か。
――――本当に? 何かが引っ掛かる。腑に落ちない。何だ。わたしは何に納得できていないの?
「そう睨むな。試練を以て確認しておきたかったのだ」
「……試練?」
これが? 悪趣味にも程がある。
「重要な事だとも。君は感受性や共感性が他者よりも鋭い。それらは探索時には役立つ才能であるものの、今回のように他者からの影響を受け過ぎる時もある」
悪意あるモノの意図的な暗示でさえ感じ取って受け入れやすいと? 意図的…………誘導? 桜の匂い?
視線をキュウコンから枝垂桜へスライドする。大地に根を張り、幻想的な存在感を放っている枝垂桜。不思議ではあるものの、ソコに最初からあるのだからと特に意識せずに流してしまっていた。だが、匂いなどよりもこれこそが明らかにおかしい。ここに存在している事もそうだが、何よりも花弁が燃えるってどういう事だよ。
「気づいたようだし、そろそろ答え合わせをするとしようか」
そう言った瞬間、巨大な枝垂桜が火の玉の集合体へと変化し、はらはらと燃えながら散ってゆく。神業とはああいった物なのだろう。残されたのは漆喰染めの大きな社と篝火、白銀のキュウコン。そして、桜の香りも消えることなく留まり続けていた。
「君のその才能は諸刃の剣だ。故に、更なる高みへと磨き上げなければならない」
いったい何を言いたいのだろうか。
「わたしの技能とあなたに何の関係があると言うの?」
何よりも目的がわからない。わたしを導いてくれるとでも?
「関係あるとも。君は探すという作業に高い適正を持つ。そして、
探し物――――キョウヘイ先生!
「やっぱりキョウヘイ先生は生きているの!?」
願い程度だった道に光明が差し込んだ。やはりあの人は、あの場所から生き延びていた。そしてきっと、今もどこかで行動し続けているのだ。今回のこの話し合いが決裂したとしても、この情報だけで十分な収穫になる!
「アレが砂漠に埋もれた程度で死ぬのであれば、態々私自ら監視を行わない。何よりも、早急に居場所を割り出す必要性がない」
……どうにもニュアンスがおかしい。探しているという目的は同じでも、その終着点は大きく異なっている気がする。キョウヘイ先生が負傷しているから探し出すのではないの? それだとまるで――――
「……あなたは、いえ、銀狐様は何故キョウヘイ先生を探しているのですか?」
そう問いかけると、銀狐様は真っ直ぐな目でわたしを見つめてくる。
「なぁ、君は――――――――【オノハラ キョウヘイ】というモノが本当に唯の人間であるなんて、心の底から信じているのかい?」
その言葉は、わたしの心に深く突き刺さった。
首輪を着ける際には人間用の物を用意しましょう。ペット用だとかぶれたりします。
また、装着する場合、ナイロン製では特殊プレイだとバレやすいので、チョーカーだと言い訳できるレザータイプをおススメします。