目の前で圧倒的な存在感を放つ色違いのキュウコン……銀狐様からの一言は、わたしの精神を大きく揺るがした。
確かに変な所は沢山あった。それは精神的なモノもあれば、肉体的なモノもある。そして何よりも、キョウヘイ先生自身が自分の身体について調べていた。今思うと
ちらりとゴンベ、ナックラーに目をやる。ナックラーは
――――つまりは、そういう事なのだ。キョウヘイ先生と付き合いの長い御神木様は、いつ頃気が付いたのだろう。それとも、最初から理解した上で付いて行ったのだろうか?
ああ、そういえばキョウヘイ先生が電車の中で大火傷をした時に、【あいいろのたま】を使い出したのはワカシャモだったっけ。あの時は何故そうしたのか分からなかったけれども、少なくともあの時点で既にポケモン達は知っていたのだ。ワカシャモが頭を傾げていたのは、理由が分からなかったのではなく、
――――でも、本当に?
あくまでもこれは当てはまりそうな項目でしかない。人間もポケモンも、無くて七癖あって四十八癖なんて聞いたりする。変な所のない人間なんていない。何よりもバーナム効果のような場合もあるのだ。思い込みは判断を誤らせる。
……確信が持てない。持てるはずがない。何よりもそんな確信、持ちたくはなかった。そんなわたしに諭すように、静かに銀狐様が語りかけてくる。
「信じたくなくて否定材料を探しているな。ふむ……ならば肯定材料を増やしてやろう」
肯定……材料……?
「まず、この地図」
そう言うと、わたしのバックパックに入れていたはずの
「方向音痴だと自称する人間が、このようにある程度正確な地図を書けるのかね。方角や現在地、目標物を記憶せず、理解できていないから方向を迷うのに。つまり奴のソレは方向音痴などではなく、別の理由で無意識に身体が向かっているのだ」
……どういう事? 確かに、あの
「――――別の、理由?」
「砂漠でオアシスを発見した時のように、或いは猛吹雪の中で唯一の建造物を発見した時のように、足りていないエネルギーを求めて
強い生命力ならばともかく、溢れ出る程の魔力というのはよくわからない…………だがその上で、龍脈や気という言葉にはどこか心当たりがあった。部屋の模様替えで聞く風水のソレ。大地の気という力。昔は恋愛運がって気にしたりした事がある。気持ち程度だと思っていたのに、そんなものが本当にあるモノなの?
…………ああ、でも、そういえば。トウカシティで不思議な苔むした大きな丸い岩があった場所。植物が狂ったように異常発達していたし、何よりもあそこではキョウヘイ先生がおかしかった。
「奴はこの宿に到着した日、誰の案内も受けずに、引き寄せられるように日照りの間までたどり着いている。そして日照りの間は私の魔力が常に漂っている高濃度の魔力溜まりだ」
あの長い迷路のような訳の分からない道のりを!?
「あれを誰の案内も受けずに最短距離で辿れる時点で、方向音痴など戯言でしかないというのがわかるだろう?」
それは……いや、でも、御神木様が居るのなら別の可能性だってあり得る。あの子の幸運は本物だ。あり得ない確率でさえも幸運で引き寄せる。偶然通った道が、偶々最短距離で重要そうな場所に辿り着いただけとか。
「ふむ……では次の肯定材料だ。奴は以前身体検査を受けたそうだな。体温以外は全て異常がないなどと書かれていたカルテを確認している」
「……それが?」
どうやってキョウヘイ先生が普段から持ち歩いていたカルテを盗み見たのか、この常識外の存在に対して尋ねるのは今更だろうか? アレはわたしでさえ見せてもらえていない物なのに。
「今の奴とはかけ離れているデータが複数ある。
異様な単語の数々に、一瞬思考が停止する。効率化とタイカ、たいか……退化?
「退化は文字通り。このまま進行してゆけば、奴の身体から胃腸や歯は完全に無くなるだろう。何故なら、それらは外から
なんだ、それは。
「これらの最も厄介な点は、機能や力そのものが効率化されているだけで肉体に掛かる負荷は常人では耐えられない状態となる事だ。常時傷を負い続けているに等しい。本来のスペックを遥かに超える状態を維持しようとしているのだから、当たり前ではあるが……ましてや、本来の機能より退化してしまった物など語るまでもない」
いや、冷静になれ、わたし。これは実際に検査して出した結果というわけじゃない。好き勝手に言っているだけの可能性だってある……言わば、推しの素晴らしさを熱く語るお父さんみたいなものだ。信頼に値しない。そうだ。信じる必要はない。
「最後の肯定材料だ。君達は旅の行く先々で、その土地の強力なポケモンが出てきたのではないか?」
心当たりがあり過ぎる。101番道路の主であるマッスグマから始まり、サーナイト、ロズレイド、フライゴン、サマヨールといった強者達と会っている。果てにはあのジョウト地方で伝説の3聖獣として伝えられている内の1匹、スイクンだ。まず出会えるはずのないポケモン。でも、これだって幸運で――――
「――――ソレ等のポケモン達が出てきたのは決して偶然などではない。明確な目的があったからだ」
ドキリと心臓が跳ねる。
「……それは?」
「自らの縄張りに、土地や配下に甚大な被害を与えかねない程の異物が現れたからだ。人でもなければ、ポケモンですらない独特な気配を持っていて、尚且つ類稀な量のエネルギーを内包する異物。土地を束ねる管理者として、そんなモノを無視出来るはずもない」
思い出してみると、わたしの知る限りでは出てきた主ポケモンは、だいたいがキョウヘイ先生を警戒していた。そして何よりも、キョウヘイ先生はポケモンよりも先に攻撃の標的になる事が多い。あのマスクがヘイトを稼いでいると思っていたけれど、違うのかもしれない。
でも、トウカの森……眠りの森攻略時では、だいたいにおいて隠れながら行動する事が出来ていたのだから、少し疑問が残るかも? ……いや、
だけど、もしそうならキノガッサ達の警戒度がもっと上がっているのではないだろうか。また、キョウヘイ先生の真横を通り抜けたキノココ達が気が付かないというのもおかしい。
それに――――
「今までの話の内容で確かにあり得るのかもしれないとは思いました。ですが、どうして銀狐様が探す必要があるのでしょうか? 探しているわたしが言うのもおかしい気がしますが、それなら土地から追い払えればそれで十分なように思います」
――――やっぱり、
「旅館に滞在していた時点では、奴はまだ
……大怪我がトリガー?
「キョウヘイ先生が覚醒すると……どうなるのでしょうか」
あの時はまだ怪我を負っていなかったはずだ。でも、あのままポケモンバトルを続けていた場合、怪我をしていてもおかしくはない。長期戦になればなるほど、余計に。何よりも――――キョウヘイ先生はマグマ団に囚われている可能性が高いのだから。
「普通ならば最初に元となった人間の人格が崩壊して無くなる。親にとって不必要だからだ」
人格、崩壊……!? それは、つまり…………このままだとキョウヘイ先生は……死ぬ? もう助けられないの? 頭の片隅に追いやって直視しないようにしていたモノが現実になりかけていた。ゾワゾワとした絶望に混じる焦りで鼓動が激しくなる。汗で服が全身に張り付いてキモチワルイ。
空洞内でナックラーの激しい威嚇音が耳に響く。呆然とした目で音の方向を見ると、ナックラーは今にも飛びかかりかねない程に苛立っていた。ゴンベに抑えられていなければ、本当にそうしていそうだ。
銀狐様はそんなナックラーを無視して話を続ける。
「次に土地や生物から際限なくエネルギーを吸収、回収して蓄えながら歩き回る。周囲に居るだけでもエネルギーを収奪され、直接触れらたならばポケモンでも一時的に動けなくなりかねない。多少長く人間が触れ続ければ、枯死は確実だ」
触れ続けたら…………驚愕しっぱなしの情報の濁流の中で焦りだけでなくふと、思い出す事があった。キョウヘイ先生は人との接触を忌み嫌っていた。本人は火傷のトラウマだと言っていたが、それは本当なのだろうか?
「そして最後は――――自身が親に食われる事で、内部に貯めたエネルギーを献上する。親は受け取ったエネルギーを使い、悠久の時を経て眠りから目を覚ますだろう」
力が抜けて膝から崩れ落ちた。でも、これはもう、どう考えたって積みだ。
「――――だが、奴はどういう訳かソレに抗っている。侵食具合からして恐らく既に数回は覚醒し、精神崩壊をしているはずだ。年単位で蓄えているにしては、エネルギーが少なすぎる」
「……は?」
数回は精神崩壊をしている……? そんな様子は何もなかったはず。いや、まさか、精神崩壊が原因で普段の奇行を行うようになったの?
「どのような手段かはわからないが、崩壊した精神を再度繋ぎ合わせて、疑似的に元の人格に近い状態を維持し続けているな。そこに対しては素直に驚嘆に値する。人の身程度でよく練り上げられたものだ。元から何かしらの知識を持ち合わせていたのやもしれぬ。だからこそ、奴の精神が完全に崩壊する前に探し出す必要がある」
……え?
「まだ、助けられるの……?」
間の抜けたような声が空洞内に響く。膝の力が抜けてしまって立ち上がれそうにない。でも、まだ。まだ助けられるんだ。
「でなければ態々君をここに呼び出したりはしない」
最初に言ったはずなのに、何を今更とでも言いたげな表情だ。
「さて、ここまでの情報を踏まえた上で、だ。君は奴を探す為には強くなる必要がある。過酷な環境に行くのだから、今まで以上に過酷な修行してもらう」
深呼吸をして腹と足に力を入れる。大丈夫、もう立てる。もう二度と、間に合わない悲しみなんて味わいたくないから。はやる気持ちを押さえつけて、心の中の火に薪をくべる。ここから、もう一度始めよう。
前を向いて銀狐様を見据える。
「修行、ですか?」
そんな事している程時間があるの? ……いや、焦ったところで何も変わらない。基準は不明だけれども、それだけの猶予があると判断したのだろう。
「そうだ。刻限は分水嶺が発生する可能性が高い9月まで。君には日照りの間から洞窟を通って日照りの岩戸へと向かってもらう。そして日照りの岩戸内に設置されている【狐の調印】を持って帰ってきなさい。それが修行の内容だ」
……それだけ? あと一月ほどの猶予がある。期間が長いし、どうにも簡単すぎる気がするけれど。
「洞窟内部は光源がない上に、最深部にはとあるモノが門番として封じられている。少なくとも、今の全力を超えるだけの力がなければ、戦いにすらならないだろう」
それでもやりきってみせる。今のわたしは今までの人生で一番やる気に満ち満ちているのだ。
「君の精神を揺るがす事もあるはずだ。そういった場合に備えてゴンベが【ゆめくい】を覚えた。悪夢ならばその全てを食べるだろう」
え? いつの間にそんな技を覚えてたの? 驚いてゴンベを見ると、胸を張ってアピールしている。この前のあの不思議な夢は、ゴンベが関わっていたのかも?
「だがそれだけでは精神を癒す手が足りぬはず。故に助手としてソコのロコンを1匹君に預けよう。気に入ったのならばそのまま旅に連れて行っても構わない」
「コンッ!」
いつの間にか通常の獣型に戻っていたロコンが、6本の尻尾を揺らしながら一声上げる。どことなくこの子は銀狐様に似ている気がするけど……まさかお子さん?
「さて……情報の整理も必要だろう。暗く異様で慣れない道や幻惑で精神の消耗も多い。今日は一度帰って寝てから、再度答えを聞こう」
◇ ◇ ◇
少し重たい足取りで部屋に戻ると急激に疲労感が襲ってきた。わたしだけじゃない。皆、疲れている。唯一、新しく仲間になったロコンが愉快そうに尻尾を揺らしていた。そのまま冷蔵庫から美味しい水を取り出し、一口飲んでようやく一息ついた。
あのプレッシャーは強者とかそんな次元を超えていたように思う。神……いや、亜神とでも称するべきなのだろうか。銀狐様と対面するだけで酷い消耗だった。そのせいなのか、少しだけギスギスとした雰囲気が流れてしまっており、今もゴンベが何かを弁明している。一瞬、ちらりとこちらに救助の視線が飛んできた。しかし思うところがあったのか、わたしが仲裁する前に謝り始めた。
それを眺めながら先程の会話の内容を思い出す。キョウヘイ先生に関する情報が手に入ったり、仲間が増えたりと色々な事があり過ぎた一日だった。
――――答え、答えかぁ……心の中でそれ自体はもう決まっている。ソレ自体は改めて確認するまでもない。
ちらりと時計を見る。夕食まではまだ時間があるかな。今やるべき事……改めて考えるべき事……必要なのはディスカッションかも? 今のうちに、心配かけてしまったダイゴさんに連絡しておこう。動くためには色々と話し合う必要がある。お父さんやお母さんと話すのはその後だ。根回しを優先したい。
そう思い立ちポケナビに手を伸ばした辺りで、テーブルの上の未開封の手紙が目に入った。朝、起き抜けに読んだキョウヘイ先生からの手紙のせいでもう一つの手紙、即ちダイゴさんからの手紙の事をすっかり忘れていた。電話を掛けるのは読んでからの方が二度手間にならずに済む。
内容を確認すると、今回の件の感謝と報酬について、そしてわたしの今後についての選択肢が書かれていた。ただし、示された選択肢の中に残留という文字はない。完全に還す気でいるらしい。
しかし、それは当たり前である。この間までわたしという人間は、間違いなく精神が死にかけていたのだから。自宅どころか病院に入院コースが普通だ。その上で連れて行くなんて言うのなら、死ねと断言しているようなものだろう。
わたしが復帰できたのはゴンベが悪夢を食べてくれた上で、莫大な力を持つ銀狐様が精神治療をしたからだ。幾ら手を施したと言ってもそれは単なるイレギュラー要素でしかなく、いつ再発しても不思議ではない。
このままコレに関わり続けるという事は、恐怖という闇に襲われ続けるという事だ。それでも、家に戻る気にはなれなかった。
怖くない訳ではない。むしろ凄く、怖い。失敗したら悪夢のように惨たらしく殺されるかもしれない。思い出そうとすると、未だに心が恐怖で震える。でも――――
――――だからこそ乗り越える……いや、
わたしは、何もできずに暗闇に潜む怪物を恐れ続ける方が怖い。日常のふとした拍子に我を失うような状況の方が怖い。知ってしまったが故に、もう以前のようには暮らせないのだから。見て見ぬふりなど出来るはずがない。そして何よりも、大切なモノ達があの怪物の脅威に晒されるのが耐えられない。
やっぱり考えは変わりそうにない。となると……この子達の意見を聞く必要がある。無理やり参加させる訳にはいかない。何よりも可哀そうだ。付いて来られないのならば、ここでお父さんの所へ送ろう。
「あの――」
「――シャモ」
喋ろうとした瞬間、ワカシャモに遮られる。視線を向けるとこの子達全員が意志の籠った目でこちらを見ていた。ロコンだけゆるゆるだが、とりあえず気にしない。この子は上からの指示な訳だから、その辺りは気にしていないのだろう。
「…………本当にいいの? 死んじゃうかもしれないんだよ?」
何を今更とでも言わんばかりに頷いている。お腹が減ってきたのか、ナックラーがちらりと晩御飯のメニューをこちらへ見せて主張していた。どうにも、覚悟が足りていなかったのはわたしだけだったらしい。伊達に身体を張って戦闘を行っている訳ではないとでも言いたげに、胸を張っていた。
「ありがとう……皆がついてくれて凄く、凄く、心強い」
これ程嬉しい事はないかも。胸が温かい。心を乱さないよう気張っていたつもりなのに、涙が溢れてきた。とりあえず皆の希望通り、少し早いけれども先に一度晩御飯の注文してしまおう。ダイゴさんへの電話は食事の後で、心を落ち着けてからかな。
◇ ◇ ◇
電話を掛け、指示を受けてから待つこと30分、ダイゴさんが直々に部屋にやってきた。普段通りの黒いスーツ姿……の筈なのに、纏う雰囲気は重々しい。
「ああ、なるほど…………やはり、急いで合流して正解だったか。電話では対応が遅れて大惨事になりかねなかったみたいだ」
少しの間、話を聞いていたダイゴさんの表情は奥歯に物が挟まったようなモニョモニョとしたものだったが、大きく溜息を吐いてからは目に力が籠った。
静かに次の言葉を待つ。ダイゴさんは一口お茶を含んでから、重たい口を開いた。
「あえて明言するよ。僕は、ここでハルカ君を安全な場所へ保護するべきと思っている。理由は言わなくてもわかるよね?」
普段のダイゴさんならば一切出すことはないであろう圧が放たれ、全身に降りかかる。これだ。これこそが、チャンピオンとして君臨している者の引き起こすプレッシャー。幻影の塔でレジロックというポケモンと出会った時を思い出す。あの時と勝るとも劣らない程の圧。人の身でもここまでの物を練り上げられるものなのだろうか? いったいどれ程の修羅場を潜り抜けたら
覚悟していたものの、思っていた以上で怯みかける――――それでも、口を噛みしめて、ダイゴさんの目を見て無言で頷く。
「なら、今すぐに帰るべきだ…………と言っても、ここで素直にはいと言ってくれるような人物だとは思っていないさ。その顔つきからして意見があるのだろう? まず言い分を聞いてあげよう」
「あ、あの……」
銀狐様は、わたしの協力が必要だと言っていた。不意な優しい言葉に、そんな言い訳じみた言葉が口から溢れそうになるのを慌てて飲み込む。必要だと言われたからだなんて……わたしが言いたいのは、求められたからだなんて取り繕うような軽い言葉じゃあない。もっと、もっと重たくて、澱んだヘドロのようにドロドロとしたモノの筈だ。
一度深呼吸をしてから、腹に力を籠める。顔を上げてもう一度目線を合わせた。今、わたしはどんな顔をしているのだろう。ちゃんと真剣さを表情に出せているのだろうか? ここは間違いなくターニングポイントだ。折れる訳にはいかない。
「わたしは……わたしは、自力でキョウヘイ先生を探し出したい! それはキョウヘイ先生の安全の為に出来る限り早く助け出したいというのが一番だけれども、最近の警察や協会の対応の遅さへの不信感からくるのも本心かも。でも、そうは言いつくろわない。わたしは、
そして絶対に一発はぶん殴る。その後、納得し満足するまで話し合う。今回、人との関わり合いは時に強引なのも必要だと学んだ。
「その為に怪しげな術を使う、信用できるかもわからないキュウコンの話に乗ると?」
目を逸らさない。 これがわたしの答えだ。
「はい。わたしが感情的になって闇雲に動くよりも、情報を持っているであろう相手からの手を借ります」
今わたしの求める情報を近隣で一番知っているのは銀狐様だ。だから、
「…………話の都合が良過ぎるな。君は騙されているとは思わないのかい?」
一瞬、言い返したくなる気持ちを抑え込む。ここで言い返してもわたしが望む展開にはならない。受けた言葉を堪えて、溢れそうになる言葉を飲み干して、じっと機を待つ。
「この町の守護神は理由もなく手を貸すほど甘い性格をしていない。そこには、何らかの利益があるから手伝ってやると、さも救いの手を差し伸べたかのように言っているだけだ。何よりも、君がこの旅館に泊まり続けている件もそうだろう」
「……それは、わたしも気になっていました」
何度も考えたが、普通ならすぐに入院させられていたはずだ。 態々旅館で放置する必要はない。それこそ、何かしらの理由がなければ。
「僕は最初、ポケモンセンターを経由して病院へ搬送する手配をしていた。応急手当やトリアージを行う上で一番効率的だったからだ。だが、複数の病院で小火や電気系トラブル、医療スタッフの人出不足などの問題が次々に発生し、結果的にポケモンセンターには許容可能量をはるかに超えた負傷者が集まってしまった」
狙い澄ましたかのようなタイミングで?
「そんな時だったよ。旅館側が妙に入れ込んだように、熱心に負傷者の全てを受け入れると申し出てきたのは。確かにこの旅館は何かしらの災害が発生した場合、避難所としても機能するように設計されている。必要なスペース、物資、人員、全てが揃っていた。だからその言い分自体は何も間違ってはいない。だが――――」
「そうまでする理由がわからない?」
当たり前だが物資は使えば無くなるし、無限に鍋の底から湧き上がる訳でもない。人員だって貴重なリソースだ。動かせばお金がかかる。
「そうだ。しかし、時は一刻を争う。このまま負傷者を放置するわけにもいかなかった。僕は渋々ではあるがその申し出を受け、負傷者達は旅館で療養をさせた」
ほとんどの人は病院食でなくて助かったと喜んでいたよ、とダイゴさんは苦笑しながら言葉を続ける。
「ここまで露骨だと誰だって何かしらの背景がある事は察せられる。だが、皆そこに触れるのを嫌がったのさ。明らかに今の方が待遇もいいのだから、態々藪をつついてハブネークを出す必要もない……これは何も、守護神に関してだけではないよ。今回の事で被害に遭った者の仲間も、良い待遇を受けている。文字通り人もポケモンも全て受け入れたのだからね。それをひっくり返すという事は、仲間からも文句を言われかねないという事だ。この時点で敢えて口に出す人間は少なくなる」
確かにそこまで大々的に受け入れの姿勢を示されると露骨に怪しさを感じるけれども、今のような立場でなければ多少は見て見ぬふりをし、嬉々として便乗するだろう。普段は料金を気にしながらだが、今回はそうではないのだ。そうなって当たり前とも言える。
「話を聞く限り、守護神は大多数の人間を受け入れる負荷よりも、ハルカ君という特異的な駒の方が価値が高いと判断したのだろう。つまり、最初から狙われていた訳だ。そして、ハルカ君は今、相手の狙い澄ました言葉に舞い上がって、冷静さが欠けた状態であると判断している。事実として、守護神は一度もキョウヘイを確保しようとしている理由を言っていないのだから」
同時にわたし以外にも接触しているのだろうなぁ……うん。そうとしか思えない。まぁ、裏から色々と仕込みでもしているのだろう。
「危険だから探しているのではなく、ソコに何かしらの利用価値があるから探しているんだろう」
「相手の裏に別の意図があるのは気づいていました。魅了以外の暗示を受けていた事は知っていますし、わたしがその暗示を破ったのはただ運が良かっただけというのも理解しています」
そんな事、誰よりもわたし自身が理解している。だから、悔しいんだ。ずっと、ずっとずっとずっと選択肢を強いられてきたから。
「なら、なんで――――」
「――――それでも、それでもわたしは力が欲しい! キョウヘイ先生を探せる力が! わたし自身の意志を貫き通せるだけの力が! もう、足手まといになんかなりたくないんです! だから、その為に利用されながらでも相手を利用します!」
抑え込んでいた感情が爆発する。吐き出す気のなかった言葉が口からこぼれ出てしまった。
「…………慣れない環境下で、同じ動作を繰り返し行わせる事で相手を精神的に疲弊させる」
ダイゴさんが静かに、ゆっくりと言葉を紡いでゆく。
「暗く密閉した空間で一点に集中させる事で視線をコントロールする。インパクトのある話題で思考力を奪う。実質一択しかない問いを選択させる事で、自身が選んだのだと誤認させる。否定と肯定を使い分ける事で思考を縛る」
遠まわしな言葉に少しイラッとした。
「それが何か?」
「ハルカ君の受けたソレ等は、全て洗脳を行う際に使われる手法だ。怪しげな術なんて必要ない。普段通りの何気ない会話だけで、人はコントロールできる。そして、この町の守護神は話術に長けていた。断言するが、相手にとって小娘一人を踊らせるのは文字通り児戯に等しい。今のハルカ君は危険だと判断されて、実家に強制送還されるとは考えないのかい? 何度も言うように、その為の実力行使ならやぶさかではないと思っているよ」
きた。ここだ。ここを上手く利用する。後はダイゴさんが乗ってくれるかだ。
「……思い、ません」
「…………ほう?」
ダイゴさんの声色と表情が今までとは少し異なる変化をした。静かに目を細めて続きの言葉を待っている。
「ここでわたしを強制的に家に戻しても、家が……もっと言うと研究所が安全である保証はありません。何故なら、あそこにはキョウヘイ先生の身体データや、各地のポケモンの生態レポート……そして何よりも、各地の壁画や石碑から集めた古代ポケモンについての情報があります。マグマ団がキョウヘイ先生を拉致していた場合、所持品から所属を把握して襲撃が発生しかねませんし、拉致できていなくても物品の流れから襲撃されてもおかしくない状況です」
キョウヘイ先生が【藍色の珠】を持ってきた事もあり、わたしが旅に出る少し前から研究所では各地で依頼を出して様々な古代ポケモンの情報を集めている。そして、どういう訳かマグマ団は古代の情報を積極的に集めていた。実力行使も含めてだ。そんなマグマ団の行動的に考えて、ありえなくはないはず。
「そして何よりも銀狐様が動いた場合、正規ルートで研究所に協力を取り付けれられる可能性があります。たとえお父さんが断っても、わたしが勝手に動くかもしれませんし」
きっとその場合、今回の仕込みを盛大に使うのだろうなぁ……やはり、このまま家に帰らされるのはあまりいい方法だとは思えない。
「病院に封印しても、恐らく複数の病院を経由してフエンタウンの病院に流れ着くのが容易に想像できます」
正直、病院に行った場合の方が手早く回収されそうな印象がある。同じ事を考えたのか、ダイゴさんの顔が少し歪んだ。
「他にも色々と手段がありそうですけれども、だいたいは政治的に面倒な方向になると思います。なのでわたしが提案するのは――――」
「――――僕がハルカ君を預かる、かな?」
「その方が、お互いに幸せになれると思います」
ようやくここまで繋げられた。さぁ、どう出る? ダイゴさんの表情からして、ここまでは想定済みの筈だ。どうにも今、わたしは、良くも悪くも一人のトレーナーとしてダイゴさんから認められているらしい。だからこそ、ここからが本当の交渉となるだろう。
「……下手な場所に送る訳には行かなくなった以上、取れる手段は限られている。誰も知らないような場所で潜伏するように指示を出しても、隙を見て脱走するだろうし。それに、正直に言うとね、ハルカ君のトレーナーとしての成長は著しい。今後の成長だって素晴らしいのだろう。ハルカ君の言った案だって考えたさ」
あのキョウヘイの弟子が素直に言う事を聞くとは思えないと言った表情をしている。その直感は正しいだろう。仮に拘束されても抜け出す方法は、以前直々に習った。
「だがね。今のハルカ君程度の実力では、連れて行っても足手まといでしかないんだ。残酷な話たけれども、求めているのは未来のハルカ君クラスの実力者であって、今のハルカ君ではない」
淡々と、変わらないトーンで静かに紡がれる言葉が心の深い所に突き刺さる。
「確かに僕は強い。伊達や酔狂でチャンピオンをやっている訳ではないからね。ハルカ君を預かる事は大したことないだなんて謙遜をする気は無いさ。その上で出来てしかるべき内容だとも。だけど……それだけではハルカ君は望みを叶えられないんじゃあないかい?」
ふっと、今まで感じていた圧力が緩んだ。
「――――だから、僕がもう一度改めて訓練の指示を出そう。君が望む力を得られるように」
「本当ですか!」
ダイゴさんが大きく頷く。
「本当だとも。とは言え、僕も忙しい。用事や仕込みの間に直接指示できるのは月に2日程度。基本的にはトレーニングメニューだけ出して、自力で行ってもらう事になる。それに時間を作る為に僕の用事も全力で手伝って貰う……だから、まずは横からちょっかい出されないように先に杭を打ち込んでおくべきかな」
明後日からは忙しいぞ、と言いながらダイゴさんは立ち上がった。
「ハルカ君達は今日はもう寝るといい。色々とあり過ぎて疲れただろう? 明日、何ができるかと知識の確認をするとしよう」
のんびりとした言葉とは裏腹に、スーツの裏ポケットからバトルグローブを取り出して装着し、纏う雰囲気はどんどん物々しくなってゆく。
「ダイゴさんは、この後どうするんです?」
「ポケモン協会は今、僕にあんまり動いて欲しくないらしい。だから溜まりに溜まった有給を纏めて消化して
普段の貴公子然とした表情からは考えられない程かけ離れた、静かながらも獲物を狙う肉食獣のような攻撃的な笑みを浮かべていた。
そしてダイゴさんと別れた日の深夜。館全体を揺らす程の地震で目を覚ましたので慌てて旅館の外から周囲を眺めて見ると――――裏の山頂から天にまで届きそうな程の長く、旅館全てを包み込んでもまだ余りそうな程太い業火の柱が立ち昇っており、町全体を昼と見紛うばかりに明るく照らしていた。
交渉は決裂したらしい。
搬送されただいたいの負傷者はフライゴンや同格の砂漠の主ポケモン2匹&その配下からの強襲で発生しました。
だいたいが地面に降り立ったタイミングで【じゅうりょく】+【じしん】+【すなあらし】+【ロックブラスト】+【りゅうせいぐん】というコンボですね。
なお、ダイゴさんは主ポケ3匹を同時に相手取って、かすり傷程度で生還しています。