空輸されながら今日の行動を振り返っていると、あることに気がついた。
「クスノキ造船所や海の科学博物館に行くの忘れてた」
己の失態に凹みながら顔を上げると、目の前には黒々とした積乱雲が広がっている。このままの進路では、ぶつかってしまう気がしてならないのだが。
「あの、ダイゴ様? このままでは積乱雲に突撃してしまう気がするのですが……」
「これ以上高度を上げられないからね。あの下は集中豪雨のようだし、遠回りに飛行するのが無難かな」
「あの、私下で掴まれているせいでモロに風を受けているのですが」
「本日の罰だ。甘んじて受け入れるがいい。雹の嵐と暴風を受けるよりはマシだろう」
こんな形でやり返されるとは思わなかったぞ。
予定時刻より1時間遅れてトウカシティへたどり着いた。思っていたよりも牧歌的な風景だ。ニョロトノの大合唱がどこかから聞こえてくる。まだ小雨程度で大雨には見舞われていないようだ。
ただ、先程通過した地域で想定していたよりも雨足が強くて、川が氾濫しているのが見えて焦った。おそらくあの濁流で、周辺のポケモンの生息地が変動することが想像できる。しかもどうやら数日前からハスボーの大量発生があったらしく、水辺に複数の人影が確認されていたらしい。巻き込まれていなければいいのだが。
とりあえずダイゴさんを見送った後、ジョーイさんの指示を受けて壁や窓の補強を進めてゆく。真夜中なのに今日は起きて作業している人が多いようだ。今もポケモンセンター入り口付近に、土嚢を積んでいるカイリキーやハリテヤマが見える。なんだかポケモンセンターというよりも要塞のようだ。
俺も
ままならないものだな。仕方がないので御神木様の本日の役割は、小物の荷物持ちです。
木の板を貼り付ける作業に戻る。ここを打ち終えたら次はトウカジムの土嚢積みの手伝いだ。池周辺には昼のうちに土嚢を積んだようだ。石垣のように腰辺りの高さまで積まれた土嚢は、どこか物々しい雰囲気を醸し出している。
今日からは、このトウカジムに約50人は収納しなければならないらしい。その手伝いもする必要があるのだろう。ジム周辺ではせわしなく人やポケモンが動いている。食料の計算結果を聞きに行く役を仰せつかったので、フレンドリーショップの店員さんに聞きに行く。
「すみません、食料の計算は終わっていますか? あとこれ差し入れです」
そう言っておいしい水を1本渡す。
「ああ、ありがとう。計算はもう終わっているから、これをセンリさんに渡してくれないか」
書類を受け取り、軽く目を通す。書き漏れらしいところはなさそうだ。これなら問題ないだろう。
「了解しました。後何か足りないとかはありますか?」
「足りないものねぇ…………大体はもう準備が終わっているはずだから、大丈夫なはずだよ」
「わかりました。では届けてきますね」
「よろしく頼むよ」
預かった紙が濡れないようにファイルに入れて街の中を移動していると、草むらの中を大移動しているジグザグマたちが目に入った。そのまま104番道路へ進んでゆく。おそらくトウカの森に避難しているのだろう。他にもいろいろなポケモンが移動していた。アメタマやハスボーのような水棲のポケモンも移動していることを踏まえて考えると、一体どれだけの規模の水害になるやら。
センリさんにファイルを届けて今日のお仕事は終了だ。ようやく眠れる。ゴロゴロという音を聞き、ふと顔を上げると月の光も通さないほどに分厚い雲がこの街を覆おうと向かってきていた。明日も皆無事ならいいのだが。
◇ ◇ ◇
次の日、雷の轟音で目を覚ますと、外は大雨どころか大嵐となっていた。まだ午前3時頃だ。雨風に打たれて軋んだ窓が悲鳴をあげている。1階のホールに降りると、入り口前の土嚢の一部が脆かったのか既に浸水が始まっているようだった。全員が必死に水を掻き出している。
最早全員がパニックになっているのだろう。当たり前だが、水が入っている元を潰さなければどうしようもない。人やポケモンの手で抜く量より、遥かに入水量の方が多いのだから。大声で指示出しをして、土嚢に土を詰めてゆく。ここで見当たらないという事は、昨日見かけたカイリキーやハリテヤマはジム側に居るのだろうか。
どうやら建物内にある排水ポンプは一部がショートしてしまったらしい。どうにも不運続きだ。機械系には興味はあるが、流石にこんなタイミングでは弄れない。本職が上で寝ているらしいのでジョーイさんが起こしに行ったようだ。
追加の土嚢で隙間を埋めて、バリケードを拡張した次の瞬間、表を流れていた水量が激増した。流木か何かが直撃したか、はたまた単純に飽和したのか不明だが、付近の池の土嚢が完全に決壊したのだろう。こちらの土嚢もいつまでもつかわからんな。まさかここまで強い嵐になるとは誰も思っていなかったはずだ。これは、町にはかなり深い爪跡が残りそうだぞ。
無線などを使って連絡を取り合っているようだが、いかんせん嵐で電波が悪い。ブツブツと途切れ気味で聴こえづらいのだ。なんとか聞こえてきた情報を整理すると、1時間降水量が約800mmを超えたらしく、トウカの森では地すべりで入り口付近に巨木が倒れ込んでしまったようだ。当分トウカの森には入れそうにないらしい。マタギの人が確認に行ったとのこと。
ここまでの被害が出ると人間笑うしかできないようだ。いっしょに聞いていたおじさんが乾いた笑いをしている。
そんな時にブツンッと音を立てて電気が消えた。ついに発電機が浸水しかねないと判断されて、漏電防衛機能で電源を落としたようだ。二階に移動した俺の仕事として電気ポケモンたちが発電しているのを尻目に、壁に突き刺さった枝を抜いて、板で補強していく。窓にも×字にガムテープを追加だ。
少ししたら電源が復旧したようでまた明るくなったが、その時点で大多数の人間はもうバテバテだった。交代してきた人に挨拶し仮眠を取る。
明日は晴れていればいいのだが。
◇ ◇ ◇
ようやく晴れた。晴れたのだが……その惨状は余りにも酷いものだった。
「なんだよ……これ……」
窓から見える範囲だけでも最早街とは言えないほどに被害を受けてしまっているようだ。自然と人がふれあう街というキャッチコピーの街は、小さな家が押し流され、どこかから土砂ごと運ばれててきた木々が散乱し、岩が転がっている。格闘ポケモンたちが片端から砕き、運び出しているのが見えた。一部の家には木が刺さり壁を貫通して、大きな穴を開けている。所々窓が割れており、その向こう側のカーテンが悲し気に風で揺られていた。
もし避難せずに居座っていたらと思うとゾッとする。それでも、火事にならなかっただけマシと考えるべきなのだろうか?
俺はジョーイさんに102番道路にいるであろう怪我をしたポケモンを運んでくる仕事を貰ったので大型のソリのようなものを持ってすぐに102番道路に向かう。
障害物のせいで凸凹になった上でぬかるんだ道を歩き、102番道路に着くとあまりの酷さに足が止まった。ここも周囲には木々や岩、土砂が散乱している。
無事だったポケモンが致命傷に近い傷を負ったポケモンに木の実を渡そうとしているが、意識がないせいか動いていない。ポケモンは致命傷を受けると小さくなってやり過ごそうとするらしいが、いたるところでそれが起きている。すぐさまソリにポケモンを乗せて運んでゆく。中でも一番重症なのが、逃げ遅れて濁流に飲み込まれたのか葉や身体がボロボロになってしまったハスボーだ。
「おい! しっかりしろ! 大丈夫か!?」
焦りで呼吸が上手くいかないが、そんなことを気にしている余裕もない。コヒュー、コヒューという自分の呼吸音がとてつもなく不快に感じる。震える手で抱き上げ、心臓が動いているかを確認する。
とくんとくんと鼓動を感じる。まだハスボーの心臓は動いているようだ
そのハスボーに癒しの鈴を持たせて、大急ぎでポケモンセンターに戻る。隣で御神木様もかなり心配そうにしている。
俺は心のどこかで高をくくっていたのかもしれない。ポケモンがいるからどうにでもなると。どうせ直ぐに【にほんばれ】でもして、嵐を治めることができるのではないかと。
甘かった。
この世界はゲームじゃないんだ。ゲームのように何が起きても最後に大団円になれるわけではないのだ。ポケモンの力も万能ではない。
とたんに自分が情けなくなった。上手く行く事が多すぎて、その熱に浮かされていたのだろう。頭では理解していたつもりでも、その本質まで理解していなかったんだ。
不意に、ポケットの中が震える。スマートフォンに何かメッセージが届いたのだ。画面を見てみると、ポケリアルに更新があったというメッセージだった。それを見て、かっと頭に血が上る。
ソレは、まるでゲームのように、淡々と周囲のポケモンの情報を吐き出していた。
今嘆いても仕方がない。それよりも一匹でも多くポケモンを助けるべきだろう。頭の中を入れ替えて行動を開始する。ハスボーたちは御神木様に任せ、何人かに声をかけてもう一度102番道路に向かう。
何度も往復しているうちにいつの間にか夕暮れ時になっていた。もう一度102番道路に行こうとする俺をジョーイさんが引き止める。
「キョウヘイさん。今は他の人が代わりますから一度食事をしてください。これ以上病人けが人が増えても困ります」
「……すみません。一度食事をして心を落ち着かせてきます」
動いていないと最悪の事態が頭の中をよぎってしまう。だから何も考えずに、ただひたすらに怪我をしたポケモンを探して連れてきていた。
あのハスボー達が死ぬなんて考えたくなかった。もっと、もっと事前に何かできなかったのか。栓無きことだというのは頭で理解している。それでも感情が考える事を止められなかった。いつもこうだ。世の中には都合のいい狂気に満ちている。
そうしていると、不意にライブキャスターに通信が入ってきた。ダイゴさんだ。
「やぁ、ダイゴさん。いったいどうした?」
「……想定以上の被害が出たとニュースで見てさ。随分やつれているようだがどうした?」
一瞬、その能天気な雰囲気に苛立ちを覚えた。だが、ここで当たるのはお門違いだ。吐き出しかけた言葉をぐっと飲み込む。
「いや……なんでもないさ」
「言い当ててみせようか?」
何だ? まだあの事怒っているのか?
「いらないさ、何を言われるかもだいたい理解しているし、なにをやるべきかも知っているつもりだから」
「だが、納得はしていない…………そうだろう?」
今回はやけに食いついてくるな。
「…………」
「ならそれができるぐらいの力を持て。災害を除けるぐらいの力を」
「そんな力、人には大きすぎる」
これは……何だ?
「一人で押さえ込むのは不可能だ。だがお前にはポケモンという相棒がいるだろう?お前には、お前にしかできない、お前ならできることがあるはずだ。誰もお前に強要はしない。自分で考え、自分で決めろ。自分が今、何をすべきなのか」
「求めていいのだろうか、そんな力を」
違和感が酷い。普段の言動とはあまりにもかけ離れている気がする。
「望んでも手に入らないかもしれない。だが望まなければ絶対に手に入らないぞ」
なら、こんな事出来そうな知り合いって誰だ?
「そうか……少しだけど踏ん切りはついたかな。ありがとうダイゴさん――いや、アルセウス」
途端にダイゴさんが無表情になる。
「……いきなり何を言っているんだい? アルセウス? 僕は人」
「ダイゴさんは力を望めなんて言わないさ。むしろそれを止める側だ。じゃあ、そんな力を勧めてくるような奴が俺の知り合いにいるのか。一人、いや一匹だけそれを勧めてくるであろう奴を知っている。そいつは俺に【あいいろのたま】を持たせたのだから」
「……なるほど、理解した。やはり人間というのは難しい生き物だ」
「目的は分からないし、なんで今のタイミングで、どうやってダイゴさんの周波数でかけているのかも知らないがこれだけは言っておく。俺を簡単に御せるとは思うなよ」
……切りやがったか。はぁ……ちくしょう。やるせねぇな。力を欲しちまったのは事実なんだよなぁ。
とりあえず、頭は冷えたから飯食って復興作業に戻るか。